美保神社は島根県松江市美保関町にある神社で、式内社・美保神社に比定されている古社。主祭神はコトシロヌシ(事代主命)とミホツヒメ(三穗津姫命)とされている。

 

コトシロヌシは「えびす様」として崇敬され、全国各地にあるえびす社3385社の総本社とされている。美保は日本海航路の港として大いに繁栄し、出雲大社だけでは方詣りといわれるほど美保神社も人々の信仰を集めた。

出雲風土記によると美保神社の本来の主祭神は美保郷の名の基になったミホススミ(御穂須須美命)一柱だけだったようだ。

ミホススミ(御穂須須美命)はオオナムチ(大穴持命)とヌナカワヒメ(沼河比売命)とのあいだに生れまれたとあり、諏訪神社の祭神タケミナカタ(建御名方命)と同神と見られている。

ヌナカワ姫は越の国の翡翠の女神だった。古代の言葉の「ぬ」に宝玉の意味があり、ヒスイ(翡翠)のことをヌナタマと呼んでいた。ヒスイの勾玉は縄文中期(BC5,000年)頃から作られていた。越の国とは越後国(新潟県)の越で出雲と日本海で繋がっていた。

 

 

伝承では大国主命から離縁されたヌナカワ姫は悲しみのあまり姫川(新潟県糸魚川市)に身を投げて入水自殺してしまう。時代が変わりヒスイの勾玉は必要とされなくなったのである。

 

現在、美保神社の本殿2棟の間に三つの末社がある。大后社、カムヤタテ姫(神屋楯比売命)、ヌナカワ姫(沼河比売命)、姫子社、ヒメタタライススズ姫(媛蹈鞴五十鈴媛命)、イスズヨリ姫(五十鈴依媛命)、神使社 イナセハギ (稲脊脛命)の3社5神が祀られている。

 

カムヤタテ姫はコトシロヌシの母親、ヒメタタライススズ姫は神武天皇の皇后でイスズヨリ姫は第二代・綏靖天皇の皇后でいずれも出雲系の姫である。

 

祭神のミホツ姫(三穗津姫命)はタカムスビ(高皇産霊尊)の娘で、国譲りの後でタカミムスビが『もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のためにお護りせよ』ということでオオクニヌシの妻神となったとされている天津神である。

『古事記』の国譲り神話を読むと美保神社の祭神が入れ替わった経緯がよくわかる。

天つ神のタケミカヅチ(建御雷命)が降臨してオオクニヌシ(大国主命)に国ゆづりをせまると「息子達に聞いてくれ」と判断を息子達にゆだねた。息子のコトシロヌシ(事代主)は「どうぞ差し上げます」といとも簡単に承諾してしまう。

 

ところが異母兄妹のタケミナカタ(建御名方命)だけが逆らってタケミカヅチ(建御雷命)に力比べを挑むが負けて諏訪まで逃げて命乞いをする。「これから私は、諏訪の地を一歩も出ません。父と兄にも逆らいません。この葦原中国は、全部お譲りしますから助けてください」こうして国譲りは完了したことになっている。

 

 

これは、もちろん勝者の話なので、敗者の子孫からすればこんな情けない話を聞かされるのは嫌だと思う。タケミナカタ(建御名方命)の立場から、まったく異なる物語がでてくる可能性があるが敗者の歴史は大抵闇に葬られて残っていない。

 

 

今日、ミホススミ(御穂須須美命)は美保神社の祭神から外されて境外社の地主神社の小さな社に置かれている。

中央集権が確立すると各地の神社の祭神は土着の国津神から天津神への変更がなされたのである。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
〜封印が解かれた女神〜
トーク:清水友邦 & 武藤悦子
ダンス・パフォーマンス:アムリッタ朝子
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