六甲山は昔、向津(むかつ)峰と呼ばれ、それが武庫(むこ)となり、江戸時代ごろより六甲(むこ)と表記され、明治以降「ろっこう」と音読みされるようになったといいます。

六甲山の旧名から昔はムカツヒメと呼ばれていたのではないかというところから六甲比命神社の祭神六甲比女大善神は瀬織津姫とされています。



六甲山神社は廣田神社の摂社ですが六甲山は廣田神社の奥宮ではなかったかと思われています。廣田神社の祭神は天照坐大神の荒魂である撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)としています。



桜井市にある横内神社の正式名は撞賢木厳御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津姫命(あまざかるむかつひめのみこと)神社となっています。社名の男女神二柱が祭神です。籠(この)神社の海部氏系図(あまべしけいず)の注記(江戸時代初期)にも天照皇大神宮の祭神名が 天照大神荒御魂 瀬織津姫と明記されているということです。

 



日本書紀に仲哀天皇が熊襲との戦いの最中に崩御されたので竹内宿禰(たけのうちのすくね)に琴を弾かせて中臣烏賊津(なかとみいかつ)を審神者(さにわ)にして神功皇后が入神して祟り神の名を問いただすと伊勢の五十鈴宮にいる向津媛命(むかつひめ)と答えます。そして天照がわが荒魂を廣田に祀るように神功皇后に託宣します。



廣田神社の祭神は向津媛ですがホツマ伝も向津媛命を男性アマテルの正妃サクナダリ・セオリツ姫ホノコつまり瀬織律姫のことだとしています。鎌倉時代中期の成立とされている倭姫命世紀は瀬織律姫を天照大神の荒魂としています。拝殿と階段は六甲比命講の方々により整備されたということです。

参拝が終わって車に乗ってから雨が降りだしたので嵐の日だったのにずぶ濡れにならずにすみました。

 

◉2019年9月14日(土)

「瀬織津姫とマグダラのマリア」
〜封印が解かれた女神〜
トーク:清水友邦 & 武藤悦子
ダンス・パフォーマンス:アムリッタ朝子
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