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fuyusunのfree time

長唄などの邦楽をこよなく愛する看護師のfuyusunです。
ナースの仮面を脱いだ、fuyusunの日常を綴っています。

八月納涼歌舞伎の第三部に行ってきた。

「新版 雪之丞変化」。久しぶりの玉様♪

俳優を兼ねながら歌舞伎俳優に転身した中車丈。その心意気にいつもエールを送っています。そして、その美しさにいつもうっとりの七之助丈。私としては、けっして見逃してはいけないメンバーのお芝居です。

 

「雪之丞変化」は、確か、長谷川一夫氏のと、大川橋蔵氏のと、美空ひばりのを見ている気がする。

映画やテレビでは、雪之丞と闇太郎は同一人物が演じるケースが多いのですが、今回は雪之丞を助けて育てた菊之丞が闇太郎をも演じていた。新しい考え方のキャスティング。中車丈は雪之丞の養父、剣術の師匠、雪之丞を支える謎の男である一松斎、闇太郎、敵である三斎と良いキャラから敵役まで色々演じて楽しそうであった。

最近の演出は本当に現代的で楽しめる。まあ、昔の歌舞伎の方が想像力を要して、それが醍醐味なところもありましたが・・・。

が、日本民族はどんどん「説明しないと分からない」という世代になっているので、こういう変化も仕方がないのかなと思う。

しかし、超歌舞伎・・・現代歌舞伎もエンターテーメントして素晴らしい。

そもそも、古典と堅苦しく考えがちだが、歌舞伎も所詮は庶民の娯楽。そしてエンターテーメントですものね。

じゃなければならないという事はない。楽しければよい♪

 

本日の長唄さん。私の心をくすぐる三味線弾きの一番、二番を競う杵屋勝国氏の伴奏で、本日は巳之助氏が立唄であった。ベストメンバーだと勝四郎氏がタテ唄のようである・・・。ベストメンバーでないのが残念であったが、好きな唄い手さんの一人である巳之助氏なのでよかった。

 

客席に舞妓さんを発見♪帰り道、その舞妓さんが間隣にいらっしゃって吃驚。失礼かと思ったが、思わずガン見してしまった。ごめんなさい。

しかし、本当に舞妓さんっていいですよね。凛としていて、なのに愛らしくて。素敵な芸妓さんになって下さいね♪

本日のお弁当はみやびの観劇弁当。笹の葉鮨がとっても美味しかったです。

しかし・・・何気に、歌舞伎座のお弁当も飽きてきたなァ。。。贅沢な事を言うようになってきた。

 

今日も楽しいお芝居を拝見できて幸せでした。

実は、本日の観劇。二十日にまたまた歳を重ねた母の誕生日プレゼントでした。

 

 

帰り道、大きな大きな虹の橋を発見。

母にも見せたいと急いで帰ったけれど、家に到着する前に消えてしまった・・・。残念。

 

虹は、本当に幸せ気分にさせてくれる。

ルンルン♪

窓ガラスにペトッと引っ付いていたのは・・・

なんと若いカマキリでした。

ああ、夏だなァ♪そして、秋だなァという感じです。

まだまだお若いカマキリだけれど、カメラを向ける威嚇をしてきました。

 

さて、お盆も過ぎて、秋まっしぐらの今日この頃。

 

が、我がと事は、お盆も正月も変わらず忙しい。

もともとは、認知はあってもお家で過ごしていた方。ある時、誤嚥性肺炎で入院。花に胃管を突っ込まれて経管栄養に。。。

こんな状態でき家に帰れないと、うちにいらっしゃった患者さん。

当初からご家族から「口から少しでも食べて欲しい」との要望有り。

この方は向こうの病院から、胃管を抜いてしまうからという理由で、ミトンを装着していた。

入院を取ったのは私で・・・できることならミトンはしたくない。という事で入院時からミトンフリーで様子を見ていた。

日勤帯は大人しかったのに、夜間変貌して、ベッドから滑り落ちて床に臥床。その上、胃管を自抜とか。。。

以来、鼻にチューブを留置すると、すばやく抜去という様子もあり、こりゃ身体拘束なしでは難しいと24時間ミトン装着となった。

でも、この方はミトン・・・嫌なんですよね。

「外して」アピールばかり・・・。でも、胃管を抜いてばかりいたら、君のストレスはもっとヒートアップ。胃管を入れるってつらいものね。

これが無ければ、栄養が・・・。困ったものだ。

が・・・。

ご家族の希望で、経口食。。。経口食が上手くいけば、チューブがいらなくなるのでミトンオフ。

お試しでお昼を出したら、問題なく完食。素晴らしい♪

で、めでたく胃管は抜かれ、ミトンもオフとなった。

午後になって、両手をグーパーしながらご満悦の患者さん。嬉しい顔で「ありがとう」と。

えっ!本当かよ。。。と思ったけれど、言葉通りに受け止めました。

夕方、奥様来院。ごはんが始まった事を伝えると、涙して喜んでいただけた。

 

こういう、代替策がヒットすると嬉しいね。

というか、そもそも身体拘束の原因となる、鼻のチューブ。。。いらないんじゃない。

 

嚥下機能評価・・・。確かにむせ易いけれど、でも、「この人は経口摂取が難しい」という評価で、うちの病院に来て食べている人はものすごく多い。

たぶん、顕在的にむせているのだと思います。

でも、本人が食べたいならいいじゃん。

食べられないからといって、無理やり鼻にチューブを入れ₂れて、身体拘束によって人権や自尊心を損なうよりは・・・

 

まあ、うちの病院にも、身体拘束は「業務」とか思っちゃっている人もいますしね。

認知症患者に自己決定権とか人権とか「ない」と思っている人も少なからずいますし・・・。

まずは、足元から改善しなくちゃね。

 

 

写真は、ミトンという身体拘束に使用する道具です。

経鼻栄養を受けている患者さんが、お鼻のチューブを抜かないために、点滴を抜かないために・・・。

手指の動きを抑制する道具です。

「たかが手袋じゃん」・・・とお思いですよね。

いやいや、たかが手袋には大いなる弊害があります。

〈身体的弊害〉

患者さん自身に起こる弊害です。

関節が拘縮し、筋力も低下します。よって、手の役目を果たせなくなります。

〈精神的弊害〉

人としての尊厳を失い、怒り・不安・屈辱というものを味わいます。

そして、認知症の方々は、問題行動が出現したり、せん妄という意識障害が出てしまったりします。

ご家族も、身内に対して身体拘束を選択した自責の念が出現して精神的弊害が起こります。

また、私たちスタッフも、仕事に対してのプライドを失い士気の低下や、倫理的感受性の低下を招きます。

〈社会的弊害〉

「あそこはすぐに患者さんを縛る」などといったうわさが流れ、社会的な偏見や不信を招きます。

また、患者さんのQOLを低下させて、いらぬ処置や薬剤投与によって社会的経済の無駄遣いといった影響も及びます。

 

本来はいい事のない手袋なのです。

が・・・

倫理的感受性が低いと、

「これしかない」

軽い気持ちで「だってしょうがないじゃない」と安易に手袋を装着しちゃいます。

そして、そういった行為に抑止をかけると、「口うるさい」「頭が固い」と非難されます。

まあ、そういう人材に育ててしまった、急性期を主流とした病院が純粋な若者の倫理観を損なってきたのですから仕方がない。

 

治療優先の現場のラインは一つ一つが延命の糸なので、救命が仕事の現場では仕方がない。

しかし、我らの病院は治療ではなく、生活を求めて入院している人が主流なので。

ラインの一つの意味が違う。優先されるべきは、延命よりも、治療よりも、安楽な生活。

自分らしい終末を迎えるための場所。

誰も、弊害あるミトンを装着した終末なんて希望してないですよね。

私は嫌です。

直大切なものを流しているラインなんて一つもない。

基本的には、そんなものは抜けても大騒ぎするものではない。

ただ、事故報告を書くのはストレスだよね。

 

しかし、自分のストレスと患者さんの天秤をかければ、やっぱり患者さんの方が優先されるべきこと。

患者さんは、かゆかったり、違和感があって異物は抜き去ろうとしますよね。

それを事故に至る前に察知して解決する事が目標。

が、文で書くほど簡単じゃない。なかなか難しいけれど・・・。

 

私は、

今の病院から極力ミトンを無くしたい。簡単じゃないけれど。

だから、シーラカンスのような人とは戦う。

 

 

これが解決しないと、私は音楽ができないよ。

最近、心が硬くなって大好きだった小鼓を触っても何も感じないのである。

何も感じない人と多く付き合っているという事は芸術を愛する人にとっては病原菌如きである。

今は、すっかり感染症にかかった状態である。

シーラカンスに勝たねば・・・

私から音楽が消える。本当に。とんだ病原菌てある。疲れるよ。

本当に、私の方が「ハアッ!」です。

悪名高き○○病棟。看護師の離職率超高い。

私は看護師長一人のせいにしてきたが、あの病棟は全体で病んでいる。

あそこは別世界・・・!そう思った。

 

ある職員に用事があった。渡したいものがあって。。。研修時のテスト結果で他人に託すわけがいかないものだ。

が、よくよく考えれば、あんな病棟のナースだから他人に託しちゃってもいいかと後々思った。・・・モラルのない人たちですから、別に個人情報なんて気にしないのじゃないかしら。次回からは他人に託すくことをちかった。だって、いったりきたり・・・。その上、いやな思いをして・・・。そこまで大人じゃない。

 

年齢的にも、在職歴的にも、経験年数的にも、

私は、若い看護師に「はあっ?!」なんて対応される立場ではない。

私の方が、あなた達の対応に「はあっ!」である。

本当に、朝からむかついた!

あそこの看護師長は、とてもまじめで素敵なところがある。しかし、根本的なところで看護観が違う。

なので、彼女が仕切っている病棟に配属されると、絶対に看護観の違いでぶつかるので、きっと私は退職の道を選択するし、

病院側としては、二人の小競り合いに巻き込まれ嫌な思いをするし、我ら自身も嫌な思いもするし、

誰も幸せは無いし、数合わせでも、私は「やめる」から目的は達成されない。よって二年連続、異動の話を蹴りました。

 

モラルのない看護師ばかりが揃っている。それが一番許せない。私の倫理ある看護を大切にしている私には一番合わないところである。

チューブ類を抜いちゃいそうな患者に、アトピー用の手袋を被せている。○○病棟のナース曰く、あれは「ミトンでないので抑制ではない」と言い放っている。いやいや、抑制だから・・・(息)

私の考え方は、倫理学会の基準での事なので、ある意味「一般的」である。一般的に対抗するエビデンスがあるの?

はっきり言って、アトピーの小児に対して、その袋をかぶせても小児科では身体拘束で取っているのに・・・。

老人は違うのかい。なんで?本当に抑制でない根拠を教えて欲しい。

抑制をしておいて、抑制していませんという宣言は許せません。看護研究では、しっかり「抑制」で把握させていただきました。

 

訪ねて行って、いきなり「はあっ!」の病棟。絶対に、患者主体の看護何てできているわけがない。

自分の楽しか感がず、最低、最悪。

うちの病棟の看護師でパーソンケアセンタードケアまがいを取り入れているから、

ある時は悲惨なアクシデントに見舞われ悲しい思いをしている。

あの病棟には、そういった苦労がないからある意味幸せ。

ただ、私は入院したくない。人権もなく、ただの認知症の患者として思われていないから。

 

「私が一番偉い」から、年上だろうと、先輩であろうと「はあっ?!」の返事でしょ。

金輪際、私はあなた達を人間とは認めず、ここの病院に奉仕をしているものと思う事にしました。

人権も倫理も持たない下等動物に看護・介護されている患者さんたちは本当に可愛そう。

が、どんなに可愛そうでも、病棟が違うので救えません。本当にごめんなさい。

人手不足だから、そんな片手落ちの看護師や介護でも助けられないのが悲しいですね。

藤といえば初夏の花。何を血迷ったか、セミがミンミン鳴いている真夏に艶やかな紫の房を付けているのを発見する。

 

今年は何かと忙しく、ゆっくりお中元の吟味する時間がなく今日に至ってしまった。

何とか時間を作る事の出来た本日。お中元から暑中お見舞いと思ったら、暑中お見舞いも明日で終了とか。

ガーン!

という事で残暑お見舞いに切り替えて発送致しました。

劇遅・・・。が、何とか季節のご挨拶に間に合って良かったです。

 

 

 

日・中・韓の時代劇が好きで、よくテレビやDVDを観ている。

三国とも、儒教という考え方にかなり影響されている国家である。

儒教といえば「礼節」である。礼節にも色々ありますが、礼といえばお辞儀です。相手に感謝や敬意などなど・・・頭を下げる行動で示されます。

 

中国の時代劇を観ていて、

「礼」がとっても綺麗という印象を持ちます。これこそが「礼」と♪

現代中国で、このパフォーマンスが行われているか分かりませんが、時代劇を観ていて、さすが儒教発信の国と思います。

 

とても違和感を感ずるのが半島の方々の礼です。

高校の時にお作法の時間があったのですが、けっして礼は頭だけを下げるものではないと習いました。

確かに頭を垂れて、コクンとうなずいたような動作では「礼」を感じません。

しかし、半島系の時代劇を観ていると、底辺のものが頂点のものに対して、単に頷くような礼しかしていないのに気が付きます。

礼節にうるさい日本人としては、とっても違和感の感じる場面です。

 

半島の方々は「小中華」を自負していると聞いたことがあります。

なのに、根本となる礼節がそのレベルで・・・。ふーんと思う事が度々あります。

 

隣国との摩擦。

「特別」を「普通」ら戻すだけで大騒ぎ。今や戦争が起こりそうです。

隣国の方は「小中華思考強く、中国とは弟的存在。日本は末の弟的存在なのに、文化も経済も先行する日本が許せないというDNA」があるとか。

末の弟的日本人には、本当に理不尽な事ばかり。

総領の甚六で長男が・・・というのがありがちな話ですが、次男が「???」という例もあるようです。

 

その実証が、この「礼」にあるように思います。

日本人は、何故そうするかの理由を知っているのだと思います。隣国の方は、単に型を真似ただけ。精神等を学ばずにある文化だからと思います。

 

根本的に、日本人は物事の考え方が柔軟で、自分たちのプラスになるような改善が得意な民族。

隣国は、常に大国を敬い、思考を停止して刷り込むように文化を受け止める必然のある立場の民族。

たぷん、そういう違いがあるのだと思う。

 

独立国であると唱えているけれど、歴史的にずっと付属品の国であったわけで、歴史的にただ一度たりとも独立した国になっていない事に「ドラマを通して知ろう韓国の歴史」のような雑誌を読んでいて気が付いた。

それが故に、自分たちでつくり出す事を、大国に対する大罪と考えて今日にある。

天文学の巨匠のヨンシルのドラマを観た時に感じた。

 

たぶん、そんな思考が今も続いているんだろう。

末の弟が小賢しく繁栄する事が妬ましいのだろう。が、それを乗り越えたいと思うと、上の兄への遠慮がある。

 

が、やっぱり・・・

何故、末の弟が繁栄したかを考えて欲しい。「礼」がよい例である。

時代劇のように型を大切にする演技で、国民のレベルって分かる。

きっと、半島の人たちは人に頭を下げる文化がないのだろうな。わが国も、中国も普段の生活で人に頭を下げる文化がある事が分かる。

頭を下げる事で、相手をどれだけ敬った地位の人なのか、そういった事を表現できる。

なのに、半島の人は相手の尊さを感じさせない。

 

今回の隣国との摩擦・・・。

やっぱり文化の違いもあるけれど、小中華思想がかなり足を引っ張っていると思う。

 

 

ずっとワクワクとこの日を楽しみにしていました。海老蔵丈十三役早変わりのエンターテーメント。

七月歌舞伎夜の部『星合世十三團~成田千本桜』を鑑賞。先週でしたかしら?!海老蔵丈が体調を崩されて休演されましたよね。

海老蔵丈の身体を心配したとともに、このまま休演が続くのではないかと心配しました。

 

「義経千本桜」をベースとした海老蔵丈の大エンターテーメントで新鮮な海老蔵流のお芝居でした。

十三役の早変わりは本当に見ごたえがあってワクワクしました。歌舞伎って楽しいね♪

今回はチケットが取りにくくて、あまり良い席ではなかったのですが、

宙乗りが良く見えなかったにも関わらず、心憎い演出で楽しめました。

 

本当にチケット取りづらかったです。何せ、今日の席より良いところだったけれど、迷っているうちに売れちゃうという初体験に見舞われ・・・。

一般発売日の初日の夜だったのに、、、。やっぱり松竹友の会に入ろうかと思いました。

本日のお弁当は穴子です。しかし、歌舞伎座のお弁当はどれもお野菜が少ない。それがやや不満でございます。

 

今日も母と観劇。楽しんでくれたようで良かったです。

私たちの席の前にも、中年の男性と老年期の女性が座っていらっしゃって、お顔そっくりの親子のようでした。

似たような感じ♪

しかし、上演中

「ほらほら、海老蔵だよ」「だから○○なんだよ」と解説は止めて欲しかったな。

 

歌舞伎座は国立劇場と違って、携帯の電波が届くのでしょうか。

まあ、一応「電源を切れ」と指示はしているけれど、国立の場合は電波が届かないから・・・と安心している。

という事で歌舞伎座も一緒と思っていましたが・・・。

隣に座っていた高齢の男性の携帯が上演中に鳴って吃驚。係の女性は違うところで鳴ったと思ったらしく、ぜんぜん違うところに駆け寄っていたけれど・・・。本当に「ここだよ」と教えてあげたかった。

ついでに、その男性。着信したメールをじっくり読んで、電源を切ることなく携帯をしまっていた。

また鳴ったらどうするんですかね。本当にマナー違反者はイライラするよ(怒)

 

来月も納涼歌舞伎の第三部に行く予定。本当は第二部に行きたかったのですが・・・。

こちらも、チケット入手困難でした。

 

権利には義務が付随する。

それを知っていて、権利を主張しているのかはなはな疑わしい。

 

最近、介護士が夜勤の「休む権利」を主張するようになっている。

しかし、権利主張をするならば、我々は労働を提供する義務がある。

人の少ない夜勤で患者さんが安全で安心な一晩を過ごせる事を提供するのが、我々に課せられた義務である。

患者さんは人間である。

「この時間は私たちが休憩だからトイレに行かないでね」

「この時間は休憩だから死なないでね」

そんなの無理な仕事をしているのが私たちです。

なのに、どんなに現場が忙しくても

「休憩ですから・・・」と、支えた手を外す事が許されるのですかね。

と言うか、人としてどうかと思う。

 

ある夜勤の事。けっこう大変でした。

夜間頻尿の患者さんが、おむつ外しばかりしてくれるので、更衣を八回もしたという出来事がありました。

その前の夜勤でも、同様な事があって、同じ介護士から

「つなぎ(介護衣)はダメなんですか」と提案があった。

つなぎは、身体拘束の一つである。患者さんにとって命に関わらなければ難しいと伝えた。

そして、先日も、恨みがましく「つなぎはダメなんですよね」と言われた。だから、患者さんにとって命に関わらない事だからダメと再度伝え、記録にも、提案があったが、「切迫性・非代替性・一時性」どれにも適応しないので実施しなかったと記録した。

はっきり言って、汚染してしまう事は、その患者さんにとって重大な問題ではない。汚染したら、速やかに更衣する事が仕事である。そして、頻尿であれば、頻回に訪室して、怪しい動きがあればトイレに誘導するのが、看護であり介護である。

私的には、その人が夜間頻尿であることや、そのために睡眠障害に至っている事が問題である。そのための対策は必要と思うけれど、夜間に何回も着替える事はまったく問題ではない。本当に、素人でもあるまいし、この介護士はと゜こに目が付いているのか憤りを感じた。

 

 

権利を主張する前に、いかに義務を果たせるか考えるべきである。

まあ、たまたまそれを主張している人が、わが国の方でなく隣国の血統の方なので

あのお国の方はそういう傾向にあるので、まあ、そういう国民性かもしれないですけれど、

日本には、権利の裏には義務がある事を理解するべきですね。

まあ、権利主張にびっくりするのと、やっぱり隣国の国民性は我が国土に似合わないという事を理解した。

 

我々労働者には、様々な権利があるし、義務がある。

しかし、職業上、患者さんの人権や尊厳を保つのが私たちの仕事。

自分の休憩のために、患者さんの人権や尊厳を損なう事はどうかなと思わないのだろうか。

 

相手は「認知症だから。。。」で片づけたら、もう介護・看護をする資格がない。本当にムカつくよ!

 

 

 

 

 

関羽は、三國志のキャラクターの中で一番好きである。本当にカッコいいキャラクターである。

この映画の関羽は、他の三國志シリーズの関羽像(見た目)がすごっく違うので、やや違和感があったが、

それ以外はよい映画であった。

 

関羽を演じられたドニー・イェンという方は俳優であり武道家であり、映画監督であったり色々な顔のある方である。が、私的にはあまり馴染みのない俳優さんである。

曹操を演じたチアン・ウェンという方も俳優であり映画監督と多才な方である。あの味わい深いお顔に「観たことがある」と・・・。そうそう『紅いコウリャン』のコン・リーと共に主役を演じた方であった。

 

忠義を貫いた関羽は敵将の曹操にも愛された武人であった。呉の孫権軍に敗れ捕まった関羽は斬首され、首は魏の曹操のもとに送られた。

曹操は関羽の死を悲しみ手厚く葬ったと語られている。この映画の冒頭も失った胴体を木造で作成し立派な棺に関羽の首が納められるところから始まる。曹操って悪役イメージが強いけれど、こういう素敵な一面もあるんだなと思わせるエピソードだ。

 

 

さて、最近は三國志にはまって色々観ている。

 

大好きキャラ第二位の趙雲の物語。趙雲をケニー・リンが熱演。

これは泥臭い国盗り物語ではなくて、どちらかというと青春ラブストーリーという感じのドラマであった。

 

最近、観始めたのがこのドラマです。三國志も後半戦。曹操や孫権や劉備の戦いから次の世代に移る頃の物語ですね。

超大作でまだまださわりの部分しか始まっていませんが、次のシリーズが出るのが楽しみ。

 

そうそう、漢(後漢)の最後の皇帝である献帝を主役としたドラマも近々上陸するらしい。とっても楽しみ。

三國志は壮大なスケールの歴史物語なので登場人物が多くて訳が分からなくなってくる。

だから、こうして一人一人をクローズアップしたドラマは分かりやすく面白い。

きっとこれからも色々なドラマが作られるでしょう。楽しみだな。