日・中・韓の時代劇が好きで、よくテレビやDVDを観ている。
三国とも、儒教という考え方にかなり影響されている国家である。
儒教といえば「礼節」である。礼節にも色々ありますが、礼といえばお辞儀です。相手に感謝や敬意などなど・・・頭を下げる行動で示されます。
中国の時代劇を観ていて、
「礼」がとっても綺麗という印象を持ちます。これこそが「礼」と♪
現代中国で、このパフォーマンスが行われているか分かりませんが、時代劇を観ていて、さすが儒教発信の国と思います。
とても違和感を感ずるのが半島の方々の礼です。
高校の時にお作法の時間があったのですが、けっして礼は頭だけを下げるものではないと習いました。
確かに頭を垂れて、コクンとうなずいたような動作では「礼」を感じません。
しかし、半島系の時代劇を観ていると、底辺のものが頂点のものに対して、単に頷くような礼しかしていないのに気が付きます。
礼節にうるさい日本人としては、とっても違和感の感じる場面です。
半島の方々は「小中華」を自負していると聞いたことがあります。
なのに、根本となる礼節がそのレベルで・・・。ふーんと思う事が度々あります。
隣国との摩擦。
「特別」を「普通」ら戻すだけで大騒ぎ。今や戦争が起こりそうです。
隣国の方は「小中華思考強く、中国とは弟的存在。日本は末の弟的存在なのに、文化も経済も先行する日本が許せないというDNA」があるとか。
末の弟的日本人には、本当に理不尽な事ばかり。
総領の甚六で長男が・・・というのがありがちな話ですが、次男が「???」という例もあるようです。
その実証が、この「礼」にあるように思います。
日本人は、何故そうするかの理由を知っているのだと思います。隣国の方は、単に型を真似ただけ。精神等を学ばずにある文化だからと思います。
根本的に、日本人は物事の考え方が柔軟で、自分たちのプラスになるような改善が得意な民族。
隣国は、常に大国を敬い、思考を停止して刷り込むように文化を受け止める必然のある立場の民族。
たぷん、そういう違いがあるのだと思う。
独立国であると唱えているけれど、歴史的にずっと付属品の国であったわけで、歴史的にただ一度たりとも独立した国になっていない事に「ドラマを通して知ろう韓国の歴史」のような雑誌を読んでいて気が付いた。
それが故に、自分たちでつくり出す事を、大国に対する大罪と考えて今日にある。
天文学の巨匠のヨンシルのドラマを観た時に感じた。
たぶん、そんな思考が今も続いているんだろう。
末の弟が小賢しく繁栄する事が妬ましいのだろう。が、それを乗り越えたいと思うと、上の兄への遠慮がある。
が、やっぱり・・・
何故、末の弟が繁栄したかを考えて欲しい。「礼」がよい例である。
時代劇のように型を大切にする演技で、国民のレベルって分かる。
きっと、半島の人たちは人に頭を下げる文化がないのだろうな。わが国も、中国も普段の生活で人に頭を下げる文化がある事が分かる。
頭を下げる事で、相手をどれだけ敬った地位の人なのか、そういった事を表現できる。
なのに、半島の人は相手の尊さを感じさせない。
今回の隣国との摩擦・・・。
やっぱり文化の違いもあるけれど、小中華思想がかなり足を引っ張っていると思う。