非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」 -98ページ目

非二元|自分を見失わず幸福に生きる「技と知」

より多くのお金を求めて働く貨幣経済の中で、自分らしく輝きながら、他者と共に幸福に生きる「技と知」を、ライフコーチの矢沢大輔が提案。

昨日、Facebookの人の投稿を読んで愕然とした。

「誰々に言われたのでやりました」

その人はあたりまえのように、こんな言葉を使っている。

「自分がやりたかったのでやりました」なら、わかる。

でも、なぜ、この人は「言われたからやった」という言葉をわざわざ使うのか。

「私は誰かの奴隷なんです」
自らそう表明しているように、私には聞こえた。

占師がこう言ったから、そうしました。
医師がこう言ったから、そうしました。
ボスがこう言ったから、そうしました。
親がこう言ったらから、そうしました。

私ではなく、誰かが言ったから、そうしました。

なぜ、それが私ではいけないのか?

それは自分では決められないから。

私は自分で決められない。
だから、私の代わりに誰か決めて。

「どこに私の人生の行く末を決められる人がいるの?」と、決めてくれる人を探し回る人生。

そして、不運なことに、この世には「では、私が決めてやろう」「私が教えてやろう」という人がわんさか揃っている。

「それを決めるのはあなただよ」と言ってくれる人に出会えても、本人は自分では決められないから、また、別の人の元へと訪ねていくだけ。

この彷徨える人は、実は私。
一年前の私。

昨日のその人の投稿を鏡に、私はそこに一年前の自分をありありと観てとることができた。
愕然としてしまったのは、一年前までの私にだった。

逆に言うと、私はこの一年で、それくらい目覚めていた。
一年前の自分がどれだけマインドコントロールされていたかに気づけるほど、私は目覚めていた。

そして、このなんのつっかえもなく、隅々まで冴え渡った心地よい感覚を体感できたのは、どれくらいぶりだろうと振り返ってみたら、1000年ぶりに感じたような感覚がした。

1000年も眠っていたのか?
それは気持ちがいいはずだ!

その心地よさを全身で感じながら、私は、昨夜、生まれてはじめて迎える日のような眠りを楽しんだ。

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私は奴隷だった。

小学生の時から49歳まで、奴隷だった。

奴隷であることに無自覚なまま、誰かの奴隷であり続けた。

「おまえはいつまで奴隷を続けるつもりなんだ?」

師にそう問われてはじめて、私は自分が奴隷でいたことを自覚できるようになった。


誰かが私に嫌なことをすると、私は苛立っていた。怒っていた。

誰かが惨めな気分でいると、私までいたたまれない気分になり、その人を早く立て直そうと支援していた。

あなたがいい気分でいてくれないと、私がいい気分でいられない。

だから、早く立ち直って。

と相手に自分の幸福を依存していた。

私は、自らの幸福を、誰かに依存させて生きる奴隷だった。

いつも他の誰かが主人で、私はその奴隷だった。

「いつまで、奴隷を続けるつもりなのか?」と師に問われて、私は「今日、今すぐ、そんな生き方はやめます」とやっと決断できるようになった。


一生のうちで、私に一番大事な選択をさせてくれた師、自由とは何かを教えてくれたその師は、もうこの世にいない。


しかし、私の中で師は生きている。

師とともに私は生きている。



何?
結局のところ、いまだに師に依存してるだけじゃないかって?

自らが何者かの奴隷である師は、自ら奴隷となりたがる弟子を生み出す。

自らが自らの主人である師は、自らの主人となる弟子を生み出す。

Do you understand ?

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思い通りにことが運んだら、喜ぶ。
思い通りにいかなければ、落ち込む。

子供の話をしているのではない。

大人の話。

子供の時から何も変わっていない大人の話。

体は大きくなった。
顔も大人の顔になった。

しかし、精神的には子供のまま。
まったく成長していない。

知識は増えたが、意識は子供のまま。

自分の思い通りにいったら、奇跡が起こったと、はしゃぐ。

それは奇跡でもなんでもない。

奇跡は毎日、毎瞬、起きている。

しかし、それに気づけない。

なぜか?

今にいないから。

夢を見続けているから。
夢に囚われて、今を見過ごし続けているから。

だから、奇跡が見えない。
わからない。

希望があるうちは、夢を見ているから、奇跡は見えない。
絶望しているうちは、絶望の夢を見ているから、奇跡は見えない。

希望も絶望も夢。
同じ夢の表と裏。

夢の中に至福はない。
奇跡はない。

夢を超えた時、夢から覚めた時、あなたは、本当のあなたと出会う。

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(注)この記事を書いた頃は、私と他人が分離して存在していると思い込んでいました。

来る日も来る日も、ボヤいてる人がいる。
事あるごとに、怒ってる人がいる。

ボヤきの標的を見つけては、ボヤく。
怒りの標的を見つけては、怒る。

標的がなければ、ボヤけない。
怒れない。

だから、ボヤく人、怒る人は標的を探している。

ボヤく人、怒る人は、周りがけしからんから、自分がこうなっているんだと思い込んでいる。
周りに対して、誰かに対して、自分は怒っているんだと思っている。

本当は自分に対して、ボヤいていること、怒っていることに気づいていない。

それほど、自分に対して人は怒っている。

そして、身近な人に、そのボヤきや怒りをぶつけている。

自分が怒っていることに気がつくまで、それは続く。

一日中、ボヤいている人を見てボヤいてる人も、怒っている人を見て怒っている人も、同じ穴のムジナ。

揃いも揃って、みんな自分に怒っている。
しかし、誰一人、それに気づいてはいない。

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この世に存在するものは、すべて陰陽の二局性によって成り立っている。
真逆のもの同士が一つ合わさって、お互いを補完しあっている。

善があるから、悪が生まれる。
光があるから、影ができる。
平和があるから、争いが生まれる。
健康があるから、病気になれる。
豊かさがあるから、貧しさが生まれる。
喜びがあるから、悲しみがある。
与党があるから、野党が生まれる。

片方が消滅すると、もう片方も消滅してしまう。

片方だけのものは、この世から消える。
つまり、両方消えてしまう。

これが、この世界の法則。

男と女がいなければ、男も女もいなくなり、人類は滅びる。

片方だけでは、何ひとつ成り立たつものはない。

ところが、道徳は言う。
悪をなくせば、善になると。
争いをなくせば、平和がくると。

道徳が目指していることは、この世界の法則に反している。
自然の摂理に反している。

だから、歴史上いまだかつて、道徳的に考えられた理想が達成されたことはないし、これからも達成され得ない。

道徳的理想を追い求めるものは、自らのその考えや行為が、不道徳を生み出すことをわかっていない。

一方の極性を強めようとすればするほど、逆の極性が強まっていく。

陰陽で一つ。
それを忘れてはいけない。

そして、人は道徳を超えて、陰と陽の真ん中で、くつろぐことができる。
その時、人はこの上なく、安らげる。
そして、この世界全体も、同時に安らぐ。
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私が何かを伝えたとして、相手が「あー、よくわかりました。ありがとうございます」と言ったとする。

そうなると、私は相手にもうそれ以上、何も語れなくなる。

でも、時々、私は相手にこう聞くようにしている。

「どう理解したのか、聞かせてもらってもいいかな?」

するとたいてい、私が伝えていたこととはまったく逆のことを相手は話しだす。

ぜんぜん伝わっていなかったのに、なぜ、相手は「よくわかりました」と言ったのか?

それは、相手が私の話を聞いていなかったから。

私が話していることを耳からいれながら、頭の中で自分が理解できるように解釈し直して聞いていたから。
人は自分の都合のいいように、他人の話を聞く。

他人の言っていることを、そのまま飲み込むことができず、自分の都合のいいように解釈し直して聞いている。

「わかった」という言葉は、自分なりに理解したという意味で、決して、相手の言っていることを理解したという意味ではない。

それくらい人は自分勝手な聞き方をして、わかったつもりになっている。

たとえば、「宗教が言っていることは、結局、どれも同じだよね」と言っている人は、それぞれの違いを理解していない。

自分の信じる宗教にあてはめて、他の宗教の教えを理解しているだけ。
歴史的に宗教戦争が繰り返されている理由や、なぜ、この世にこれだけバラエティ豊かな宗教が存在しているかの理由をまったく理解できないでいる。

多くの人が実のところわかってはいないのに、わかったつもりになっている。

そして、面白いことに「わかりました」という人ほど、私のところにはやってこない。

「言っていることがよくわからない」という人ほど、私に会いにきてくださる。

わかったと思っている人は、わかったと思っているわけだから、私のところには決して来ない。

そして私は、「わからない」という人と向き合い、会話しているのがとても楽しい。

私だって、何もわかってはいない。
何かをわかれば、わかるほど、わからないことが逆に増えていく。

それほど、この世界は神秘に満ちている。

この世界は神秘そのもの。

だから、私はわかったつもりに、なるつもりはない。

宇宙全体からすれば、私が知っていることなど、塵ほどのもの。

「私こそ、叡智」「私のいうことを聞いていたら、なんでもうまくいく。私の言う通りにやればいい」
そういう人を見ると、私は笑ってしまう。

そして、思う。
この笑っている自分こそ、わかったつもりになっている際たる存在だと。

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私は自分の師を求め続けた。
私の人生を良き方向に導いてくれる師が、きっとこの世界のどこかにいるはずだと信じて、探しつづけた。
そして、師は突然、私の目の前に現れた。

大阪の書店で、彼は待っていた。
彼は既にこの世にいないが、本に変身していた。
そして、私がくるのを待っていてくれた。

彼が私の師だと気づけるように、私の大好きな著者の名前を借り、Amazonで検索しても、東京の書店を探しても決して見つからないタイトルをつけて、私を待っていてくれた。
こんな本があったのか!と、私に気づかせるように。

そして、彼は、「おまえこそ、おまえの師だ」と教えてくれた。
「おまえが探していたのは、おまえ自身だ」と教えてくれた。

「こんな師が、この世のどこかにいるはずだと、自分でわかっているのだから、それはおまえのことだ」と教えてくれた。

「おまえはもう悟っているじゃないか」と教えてくれた。

そして、私が何者であるかに気づけるように、夜、眠っている間に、私が夢を見ていることに気づかせてくれ、私自身に私を導かせ、覚醒させてくれた。

「ほら、私が言ってることは本当だったろう。おまえがおまえ自身の師だったろう」とわかるようにしてくれた。

こうして私は、目覚めた。
その瞬間、師は消えた。
師を求めていた私も消えた。

そこに残っていたのは静寂だった。
どこまでも広がる静寂の中で、私は今日もくつろぎ、起こることを眺めている。

今週末は、東京で、感情に関する新しいセミナー「波と月からの贈りもの」と「アクティブブレイン読書法」をやります。
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心理学の用語に、ゲシュタルトという言葉がある。

例えば、一つの絵を見せると、そこに貴婦人の顔を見る人もいれば、老婆の顔を見る人もいる。

同じ絵の中に、二つの異なるものが見える。

しかし、貴婦人を見ている時は老婆は見えない。
老婆を見ている時は貴婦人は見えない。

人生においてもこれと同じことが起こる。

夢を見ている時は眠っているので、実在の光が見えない。

実在の光を見ている時は、目覚めているので夢は見えない。

多くの人は夢を見続けている。
その証拠に、小学生くらいの時から、大人は子供に向けて、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねる。

これによって、夢に生きることが素晴らしいことだと、多くの子供たちが教えられていく。

既に光を見ていない大人たちが、こうして子供たちから光を奪っていく。
夢の中に誘い込む。

夢を見ている時は、実在の光は見えない。

しかし、実在の光が消えてしまっているわけではない。

空がどれだけ厚い雲に覆われていようと、雲の向こうに太陽があることを私たちは知っている。

実在の光は、今も輝いている。

目を開ければ、それはいつでも見える。

しかし、人は夢を見たがる。
これまで歩んできた人生という名の夢の続きを見たがる。

光があることを知っても、眠りたがる人がいる。

結局は、本人が眠りから醒める意志があるかどうか?

夢を見続けるのも、夢から醒めるのも本人次第。

■人生が変わる覚醒ワークショップ「奇跡学校」第6期、只今、早割中。
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人は普段、自分が何をやっているかに気づいていない。

無意識のまま、無自覚なまま、昨日と同じような考えを頭の中で巡らせ、昨日と同じような行動をとっている。
完全なる自動操縦状態。
言ってみれば、夢遊病者のようなもの。

無意識に操られ、自分が眠っていることさえ、自覚できていない。

自分が何者であるかさえわからなくなり、完全に眠り、夢遊病者のように、毎日、無意識に操られ、彷徨い続けている。

あなたは、あなたの名前ではない。
あなたはあなたの生年月日ではない。出身地ではない。血液型ではない。星座ではない。学歴ではない。職歴ではない。性格ではない。価値観ではない。

本当のあなたは、形なきもの。姿なきもの。言葉では表せないもの。

それでも、あなたはちゃんと存在している。
今、ここに確かにいる。

その実在に気づいた時、人は目覚める。夢から醒める。

このまま、自分とは違うものと自己同一化し、それを自分と思い込み、夢の中をまだまだ彷徨い続けるか?
それとも今、目覚めるか?
その選択の自由が私たちには与えられている。

そして、その選択を決められるのは、自分しかいない。

このまま眠り続けたいという者を、起こせるものは誰もいない。
神とて、その人を起こすことはできない。
それだけの自由が、私たちには与えられている。

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