昨日、Facebookの人の投稿を読んで愕然とした。
「誰々に言われたのでやりました」
その人はあたりまえのように、こんな言葉を使っている。
「自分がやりたかったのでやりました」なら、わかる。
でも、なぜ、この人は「言われたからやった」という言葉をわざわざ使うのか。
「私は誰かの奴隷なんです」
自らそう表明しているように、私には聞こえた。
占師がこう言ったから、そうしました。
医師がこう言ったから、そうしました。
ボスがこう言ったから、そうしました。
親がこう言ったらから、そうしました。
私ではなく、誰かが言ったから、そうしました。
なぜ、それが私ではいけないのか?
それは自分では決められないから。
私は自分で決められない。
だから、私の代わりに誰か決めて。
「どこに私の人生の行く末を決められる人がいるの?」と、決めてくれる人を探し回る人生。
そして、不運なことに、この世には「では、私が決めてやろう」「私が教えてやろう」という人がわんさか揃っている。
「それを決めるのはあなただよ」と言ってくれる人に出会えても、本人は自分では決められないから、また、別の人の元へと訪ねていくだけ。
この彷徨える人は、実は私。
一年前の私。
昨日のその人の投稿を鏡に、私はそこに一年前の自分をありありと観てとることができた。
愕然としてしまったのは、一年前までの私にだった。
逆に言うと、私はこの一年で、それくらい目覚めていた。
一年前の自分がどれだけマインドコントロールされていたかに気づけるほど、私は目覚めていた。
そして、このなんのつっかえもなく、隅々まで冴え渡った心地よい感覚を体感できたのは、どれくらいぶりだろうと振り返ってみたら、1000年ぶりに感じたような感覚がした。
1000年も眠っていたのか?
それは気持ちがいいはずだ!
その心地よさを全身で感じながら、私は、昨夜、生まれてはじめて迎える日のような眠りを楽しんだ。
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