登山経験ゼロ、運動経験ゼロ、都内在住の30代独身・事務系OLのあなたが富士山に登頂するには? -2ページ目

登山経験ゼロ、運動経験ゼロ、都内在住の30代独身・事務系OLのあなたが富士山に登頂するには?

特に刺激のない毎日を送り、休みの日も家でゴロゴロ。
気づけばもう、一週間が過ぎていた・・・。

そんな日常から一歩抜け出し、日本人なら一度は登りたい富士山にチャレンジ!
ほんの少しの勇気と、ある程度のコツさえ知っていれば富士山は登れます!

☆毎日更新中



昨日 は、


全く聞かされていなかった遭難者救助の仕事に、


急きょ行くことになった



というところまでお話ししました。



肩にはタンカを担ぎ、


救急道具が入った大型のウエストポーチを腰につけます。



そして、


登山者数を数える市のバイトのお兄さん4名に私を加えた、


5名の救助隊が出発。



僕の相方のN君はお留守番です。




現場は、下山道の緊急避難所(標高2900m)。



下山道は登るのには適していないので、


登山道から登って途中で下山道に移ることに。



最初から、猛烈なスピードで歩き始めます。



「ウソだろ・・・」



救助だから当然と言えば当然ですが、


本当に速いのです。



普通のバイトのお兄さん達かとばかり思っていたので、



「この人たちは一体何者なんだ?」



驚きを隠せませんでした。



肩に担いだ10キロ以上はありそうなタンカがずっしりと重く、


必死についていきます。



さすがにタンカを運ぶのは、


市のバイトのお兄さんが交代でやってくれましたが、


酸欠になりそうなくらいのペースで登り続けます。




そして、


あっという間に、


七合目(標高2700m)に到着。



ここまで、


六合目(標高2400m)からわずか20分ちょっと。



コースタイムだと1時間の区間です。



その後も登山者の間を縫うようにして登り続け、


まもなく標高2900m付近に到達。



ここから無理やり道なき道を通り、下山道に合流します。


あたりはもちろん真っ暗



そこは道になっていない斜面で、


滑落や落石の危険をかなり感じました。



「救助に来たけど、むしろこっちの命の方が危ない」



という状態。



そして、


なんとか下山道に合流し、緊急避難所に到着。




緊急避難所といっても、


畳三畳ほどの広さの単なる板張りのスペースです。

(無人です。今はもう取り壊されていてありません。)



中には、


中年の女性が横たわっていました。



命に関わるケガではありませんが、


ひどいネンザをしている模様。


持ってきたタンカに女性を乗せ、


4人で肩に担ぎます。



本当に大変なのはここからでした。



真っ暗な下山道を、


足元のでっぱりなどに気をつけながら、


下らなければならないのです。



足元が非常に不安定なので、


5人のうち1人はライトで先頭の人の足元を照らし、


疲れた人が交代し、ライト役になります。




タンカで運ぶというのは、


思ってたよりずっとやっかいでした。



タンカの重さと女性の重さを合わせて60キロくらいだとすると、


4人で運べば1人にかかる重さはせいぜい15キロくらい。



普段の登山では30kg前後のザックを担ぐこともありますので、


それに比べれば大した重さではありません。



しかし、


ザックの場合は、


肩はもちろん背中や腰など上半身全体に重さを分散して担げるのですが、、


タンカというのは、


片方の肩だけに全ての重さがかかるのです。



中や腰などに重さを分散できないのです。



感覚的には、


60キロくらいの重さに感じました。



もう、肩が痛くて、


5分くらいしか担いでいられないのです。



おまけに、


片方の肩だけに重さがかかるので、


バランスがすごく悪くなります。



ネンザの人を運んでいたわけですが、



「こっちはネンザどころか、骨を折ってもおかしくない」



というほど、全く気の抜けない状態。



5分担いでは降ろし、2・3分休んではまた担ぐ



ひたすらこれを繰り返し、


下へ下へと遭難者を運んでいきます。




ようやく六合目安全指導センターに着く頃には、


すでに出発から2時間以上が経過



ここまでは車が来るので、


あとは車で病院まで連れていきます。



時刻は22時過ぎ。



朝5時過ぎに麓を車で出発して以来、


すでに17時間以上が経過。



もはや、


どうにもならないくらい疲れていました。



約2時間、全力を出しっぱなしです。



昼間の7時間の富士山巡回よりも、全然きつい



と思いました。



「もう、残った力はどこにもない」



という状態だった私に、


さらなる試練が待っていたのです。




続きは明日 です。



※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。




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昨日 までの流れを最初から少しおさらいします。



自信満々で応募した富士山レンジャーは、


結果的に、応募2名で合格2名の合格率100%。



相方のレンジャーのN君は文科系としてはパーフェクトとも言える存在。



仕事初日は、3週間分の荷物を担いで、


まず五合目から六合目の安全指導センター(標高2400m)へ移動。



それからすぐに、業務の引き継ぎのため、


前任の富士山レンジャー2名と出発。



本八合目(標高3400m)まで安全登山指導、ゴミ拾いをしながら巡回。



下山道に入った後は七合目付近の乾燥トイレで、


ムダに重いマンホールを持ち上げ、水をくんで清掃し、


今にも爆発しそうな機械の点検を終える頃、相方のN君が遅れて到着。



そして、出発から7時間ほどを経て、


ようやく六合目安全指導センター(標高2400m)に帰還。



その後、


県への報告書の作成

センター内の清掃

センター脇のトイレの清掃

食事の準備

後片付け


をこなし、これで1日の仕事は終了・・・



かと思いきや、まだまだ続きがあったのです。




まずは、


登山者数のカウント調査と案内図配りです。



本来、これは富士吉田市に雇われたバイトの方々の仕事。


市のバイト4名で、交代に24時間体制でやるわけです。



ところが、誰が決めたのか知りませんが、


なぜか「富士山レンジャー枠」が2時間あり、


二人のレンジャーが1時間ずつこの仕事をやることになっていたのです。



もちろん、


こんな仕事があるなんて話は、



県からは全く聞いていません。



ただ、


そんなにきつい仕事というわけではないので、



「昼の暑い時間帯じゃないし、まあいいか。」



ということで、毎日夜7時~9時くらいの間で約1時間、


登ってくる登山者の数を機械でカチカチとカウントし、


同時に案内図(簡単な富士山の地図)も配ります。




そして、


時刻は20時を過ぎます。



朝5時過ぎに県職員のGさんの自宅を出発して以来、


すでに15時間が経過。



もう、かなり疲れていました。



「いくらなんでも、これで今日の仕事は終わりだろう」



と思っていたら、


一日で最も大変な仕事が待っていたのです。



それは、


一本の電話から始まりました。



センター内には電話が備え付けられており、


富士登山者やその他にも問い合わせなど、


いろんな人から電話がかかってきます。



今回かかってきたその電話の内容は、



下山中にネンザをして動けなくなった人がいる



というものでした。



場所は、


下山道の緊急避難所(標高2900m付近)。

(今は取り壊されていて、もうありません。)



電話があった途端に、


登山者数を数えるバイトのお兄さん4名の動きが慌しくなります。



どうやら彼らが救助に行くようです。



「こんな夜に大変だな」



と完全に他人事のように思っていたら、


なんと、


私にもお呼びがかかったのです。



「えーーー!?」



もちろん、


こんな仕事があるなんて一言も聞いていません。



しかし、センター内では、



富士山レンジャーも遭難者救助に行く



ことになっており、それだけならまだしも、



「タンカ」と「救急道具(小型酸素ボンベや包帯など)」



も富士山レンジャーが持つことになっていたのです。



本来なら、


レンジャー二人で分担して交代で運ぶのでしょうが、


私のパートナーであるもう一人のレンジャーN君は、



救助に行くことすら不可能な状態。

(というか、私も無理です)



「聞いてないよ・・・」



朝5時に麓を車で出発して以来、


もう15時間が経過。



1日富士山を歩き倒してきて、


センターに戻ってからも5~6時間の雑務をこなし、


かなり疲れていました。



にもかかわらず、


10kg以上もありそうなタンカと、


酸素ボンベなどが入った大型のウエストポーチまで持たされる



という始末。



「俺、一体どうなっちゃうんだろう・・・?」



続きは明日 です。




※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。




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昨日 は、


ムダに重いマンホールのふたをフルパワーでこじ開けて水をくみ、


乾燥トイレの機械を、今にも爆発しそうな音を出しながら再起動させ、


ようやくトイレ掃除を終えた頃、相方のレンジャーのN君が到着した、


というところまでお話をしました。



こうして、


7時間ほどの仕事を終え、六合目安全指導センターに帰還。


初日の緊張感もあり、もうクタクタです。


しかし、


センターに戻ってからも、仕事は続きます。


まず、


チップの金額を数えて、


1日の作業日誌を書き、県にFAXで報告。

(チップがどれくらいの金額が集まるかはまた後日お話しします。)



次に、


センター内の清掃


センター内は、


手前に事務所のようなスペースが一部屋あり、


奥に4畳半くらいの寝室が二つ。


正直、


10人でこの広さはかなり狭いです



あとは、


ダイニングキッチンのような部屋が一つあります。


ここには、冷蔵庫とテレビもありました。



さらに、


センターの脇にあるトイレの清掃

(今はもうありません。代わりに、仮設トイレが置かれています。)



ここまで終わったところで、


第1班のレンジャー二人とはお別れです。


一緒にいたのはたった一日でしたが、


すごく名残惜しい気持ちでした。



まだまだ仕事は続きます。


夕方過ぎに、


センター内10人分の夕食の準備を始めます。


夕食の準備といっても、大したものは作りません。



カレー、焼肉、その他

カレー、焼肉、その他



ほぼ、このローテーションなのです。


一見、それなりにいいものを食べてるようですが、


そんなことはありません。

(これも、また後日にお話しします。)



米を炊き、下ごしらえをして準備は完了。


食事が終わったら、後片付け。




時刻は19時過ぎになります。



「これでようやく終わりか・・・」



と思いきや、


さらに恐ろしい仕事が待っていたのです。



「日給11500円でも、到底割に合わない・・・」



とぼやきたくなるような、きつい仕事が・・・



すみません、今日はここまでです。


続きはまた明日 です。




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それでは昨日 の続きです。


本八合目(標高3400m)からは登山道を外れ、


下山道に移ります (富士山は登山道と下山道が分かれています)。




この道を通れば、登山道の途中から下山道に移れます



下山道に入ると私の相方のN君のペースはさらに遅くなり、


前任のレンジャーG君が付き添って、


私と前任のレンジャーH君は、先に下ることに。



というのも、


下山道の7合目(標高2700m)付近には県が管理するトイレがあり、


ここの清掃と点検という重要な仕事があるからです。



下山道七合目トイレ
現在の富士山吉田口下山道の七合目公衆トイレ(改修されてきれいになっています)



一足先に7合目のトイレに着いた私は、


H君に仕事を教わります。



まずは、トイレ内の清掃


ご存知の方もいると思いますが、


富士山の五合目より上ではほとんど水が使えません。



川や湧き水がないからです。


そのため、


雨水を貯めて少しずつ使うしかないのです。



トイレの清掃をする時にも、貯めた雨水を使います。



すぐ近くに雨水を貯めるマンホールがあり、


このフタを空けて水をくむのですが、


このフタが恐ろしく重い。



「鉛でできてるのか?」



というくらい、ムダに重い


しかも、


このマンホールがトイレの真ん前にあるので、


大勢の登山者が見ている前で、フタをこじ開けるわけです。



つまり、


できるだけ涼しい顔を保ちつつ、


フルパワーを発揮してマンホールのフタを横にずらす



という荒行をしなくてはならないのです。



これが、調子が悪いとなかなか持ち上がらない。



「フンッむかっフンッむかっ



と心の中で叫びつつ、


表面上はあくまで富士山レンジャーとして平静を装うわけなのですが、


持ち上がらないとものすごく恥ずかしい。



これから毎日、このトイレが近づくと、


「今日はマンホール持ち上がるかなあ・・・」


というムダな心配をすることになります。



いや、結局は持ち上がるまでやるしかないのですがw



ともかく、マンホールを持ち上げてずらしたら、


ヒモのついたバケツを下に落とす


という、原始時代のような手法で水をくみます。



これでようやく、トイレの掃除ができるわけです。



まず、


床に水を流して、ほうきで泥やゴミを掃きだします。


そして、


便器を一つ一つきれいに洗い、


使用済みトイレットペーパーを回収して持ち帰ります。



富士山では、トイレットペーパーは便器に流さず、

備え付けの箱か袋に入れるようになっています。



これで終わりではありません。


実は、ここのトイレは「乾燥トイレ」といって、


汚物を熱で処理する特殊なトイレ。
(今は、処理方法は違うかもしれません)



トイレの横に機械室があり、


発電機で動かしているのですが、


これが本当によく故障するのです。



機械が故障すると、


トイレに水が流れなくなります。



そうなると、


便器に汚物がたまり、


目を覆うばかりの惨状に。



高山なので、いちいち業者を呼ぶわけにはいきません。


ですので、


ちょっとした故障は自分で直さないといけないのです。



直すといっても、


機械を再起動させたりするくらいなのですが、


これがけっこう怖い



不気味な音を立てるのです。



ビーッ、ビーッ、ビーッ


シュー・・・・・



「まさか爆発しないだろうな・・・」



機械室の中はとても暑く、


汗だくになりながらの作業になります。



無事直ったら、


あとは全く意味のわからない機械の数値を記録し、


それからトイレのチップを回収して、ようやく終わりです。



短くても30分、長ければ1時間以上かかります。



そして、


トイレの掃除が終わる頃、


N君が遅れて到着。



このパターンは最終日まで続くことになります。



ここまで、


六合目の安全指導センターを出発してから5時間以上が経過。



1日の富士山レンジャーの仕事は、


これでようやく折り返しといったところ。



夜には、想像もしていなかった恐ろしい仕事が待っていたのです。



続きは明日 です。



※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。




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前回 の続きです。



六合目の安全指導センター(標高約2400m)に着く頃には、

私も、もう一人の美化レンジャーのN君も汗だくに。


富士山六合目安全指導センター

現在の吉田口六合目の安全指導センター(このブログでは13年前のことを書いています)



センター内に入ると、いろんな人がいました。



まず、


麓の富士吉田市の職員の方が2、3名。

2泊3日で交代し、また別の職員の方が来るようです。


次に、


地元の富士吉田市の警察官の方が1名。

こちらは1週間くらいで交代するようです。


さらに、


富士吉田市に雇われたバイトの方が4名。


私より少し年上のお兄さん方で、


登山者数を24時間体制で数えるバイトとのこと。

1ヶ月くらいで交代するようです。


そして、


第1班の富士山レンジャーが2名で、



総勢約10名(私たちは第2班の富士山レンジャーです)


もちろん、全員男です。


年代も20代から50代までバラバラで、



男だらけの不思議な共同生活



が始まりました。


センターに入ると、


汗だくになって入ってきた私達を見て、



「おいおい、大丈夫か?」



と、そんなんで富士山レンジャーが勤まるのか?


みたいに言われたので、

まだ若くて血気盛んだった私はムッとなり、



「うるせえな!今に見てろ!」



とは言いませんでしたが、


思わず、その方をにらみつけてしまいました。



荷物を降ろし、


センター内の方々への挨拶もそこそこに、次の指令が。



「これから、第1班のレンジャー二人と一緒に本八合目(標高3400m)まで登ります」



「えっ?」



この日は登らないものと勝手に思っていたので、


ビックリしました。

要は仕事の引継ぎです。


偶然にも、


第1班のレンジャーは、二人とも私と同い年。

二人とも登山経験者で体力もあり、とても活発な印象です。



正直、



「この二人のどっちかと一緒にやりたかったな・・・」



と思ってしまいました。


そして、

新旧富士山レンジャー4人と県職員のGさんと5人で、


本八合目(標高3400m)に向かって登り始めます。


一緒に登りながら、仕事の流れを教わりました。

まず、

山小屋の前を通る時は、必ずあいさつ。

(本八合目までは十数個くらいあります)



遭難者が出た時には、お互いに協力して作業をする



こともあるからです。


して、

登山道を外れて危険な所を歩いていたり、


ゴミを捨てたりする人を見たら注意します。


さらに、

落ちているゴミを拾いながら登ります。


片手には大きなゴミ袋を持ち、


もう片方の手にはゴミ拾い用の鉄の道具(トング)を持って、



登山道上のゴミをほぼジグザグに歩きながら拾う



のです。


3週間の仕事を終えたばかりのレンジャー二人はさすがに屈強で、

あっという間に
本八合目(標高3400m)に到着。


ペースについていけないということはありませんでしたが、

麓(甲府)からわずか5時間くらいでこの標高まで来たせいか、

高山病で
頭痛がしました。


一方、

私のパートナーのN君はとてもつらそうにしていて、


常に遅れてしまっていました。



「もしかしたら、やめちゃうかもしれないな」



とこの時は思いました。



そりゃそうです。

誰であろうと、


登山経験も全くないのにこんなことやったらつらいと思います。


富士山レンジャーの巡回の範囲は、


本八合目(標高3400m)まで。



ここからは、登山道から下山道に移り、


下山道の巡回に入ります。



続きは明日 です。


※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。




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前回 は、

私の相方となる富士山レンジャーと初対面したものの、


文科系としてはパーフェクトともいえる男性だった


というところまでお話しました。



それでも、人は見かけによらないからと思い、


車の中でこっそり、その男性の応募書類をのぞき見します。



すると、


登山経験の欄には、



驚愕の文字が書かれていたのです。




小さい頃、遠足で磐梯山(ばんだいさん)に登りました。



・・・・・・・・・・・・・・。



「えー!????」



平静を装ってはいましたが、


心の中では悲鳴を上げていました。



「完全な初心者じゃないか!!!」

「なんでこの人が雇われたんだ???」



よくよく話を聞いてみると、なんと、



応募があったのはたった二人



だったそうです。

つまり、



合格率100%



だったのです。


私は、


厳正なる選考により合格したわけではなかった



のです(笑)



全く人のことは言えませんが、

この文科系男性が合格したのも、これで納得です。


本来、これだけ好条件の仕事だったら、



山好きな人を中心に応募が殺到していてもおかしくない



はずなのですが、

募集の仕方があまりにも小規模すぎた


ことが、人が集まらなかった原因だったようです。



ともかく、

これから3週間は、


文科系の彼と一緒に仕事をすることになったわけです。



車はそのまま、富士山五合目に向かいました。



途中、少し話を聞いたのですが、

文化系の彼・N君は、

地元山梨県の大学に通う2年生で、

当時大学4年生だった私の3つ年下。(私は一浪してますので)


理科サークルだか英語サークルだかに入っている、


とのことでした。(やはり文科系でした)



やがて、車は、


吉田口の富士山五合目(標高2300m)


に到着。



3週間分の荷物を抱え、


山梨県職員のGさんを先頭に、


六合目(標高2400m)に向かいます。



空身のGさんは容赦なくハイペースで登っていき、

約30キロのザックを背負っていた私は、



ついていくのがやっと


なぜこんなに重くなったのかというと、

ノートパソコンとか意味不明なものが


入っていたからです。(一体何に使うつもりだったのでしょうか)


もう一人の富士山レンジャーN君にいたっては、


ボストンバックでした。


そして、


登山は小学生の遠足以来、という彼は、


かなり遅れ気味になってしまっていました。


そして、

約30分後。


六合目(標高2400m)安全指導センター


に着く頃には、

二人そろって汗だく。



さらにこの後、汗だくの私たちに、


非情の指令が。


前途多難な3週間が始まりました。



続きは明日 です。



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前回 の続きです。


無事、山梨県・富士山レンジャーに内定した私。

私の興味は、


一緒に仕事をすることになる、



もう一人の富士山レンジャー


に移りました。



前回お話した通り、


日給11,500円というのは、


大学生でしかも自然関係の仕事という条件では、


破格ともいえる金額です。


しかも、仕事内容がものすごく魅力的。


応募が殺到したに違いない


と思ったのは言うまでもありません。


そうなると、

選ばれたもう一人の美化レンジャーは、



ドス黒く日焼けした山男だろう



ということで、

私の期待は高まります。


そして、

ついに仕事初日を迎えることになります。

前日は、


選考の段階からいろいろとお世話になっていた県職員の方


の家に泊めてもらいました。(山梨県甲府近辺)



翌日の早朝、


車でもう一人の富士山レンジャーが待つ場所へ。



まるで好きな人に会いに行くかのように、



私の胸は高鳴ります。



「どんな山男なんだろう?」



まもなく、

車は男性との待ち合わせ場所に到着。

いよいよ
ご対面です。



しかし、

期待はあっさり裏切られました。

(期待される方も迷惑だと思いますけど)


なんと、


車の窓越しに立っていたのは、


およそ山とは縁のなさそうな、


メガネをかけた超細身で色白の男性だったのです



どこからどう見ても、アウトドア系ではありません。



文科系としてはパーフェクト



とも言える男性だったのです。


ショックで倒れそうになりましたが、



「人は見かけによらないから、もしかしたらすごい山男なのかもしれない」



現実逃避に走ります。

しかし、


そのわずかな期待も崩れ去りました



車の中で県職員の方がその文化系男性の応募書類を


見ていた時、

こっそりのぞき見をしてしまったのですが、

登山経験の欄には、



驚愕の文字が書かれていたのです。




続きは明日 です。



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前回 は、


富士山レンジャーの募集ポスターを見た瞬間、参加の決意は200%になった


というところまでお話をしました。




参加を即決した私は、


さっそく応募用紙への記入を始めました。


応募用紙には、

登山経験や応募の動機を書く欄があり、


何がなんでもやりたい!



という思いが伝わるように、熱心に書き込みました。


今思えば、まだ大した登山経験もないのに、



「よくもまあ、あんなに自信満々に書けたな」



と感心してしまうくらい、青臭い文章でした。


若さとはすごいものです。


そして、応募から約1週間後。


山梨県から郵便が届きます。


中を開けてみると、



富士山レンジャー内定



のお知らせが。



「やった!!」



ずうずうしいことに、


当然受かるもの


と思っていた私。


でも、


「まさか落ちたりしないよな・・・」


という不安はあったので、

とてもうれしかったのを覚えています。



日程は、私の第1希望が通り、



第2班(7月22日~8月11日)



になりました。


ただ、7月下旬というのは、


実は大学の中間試験の真っ最中なのです。


4年生だったので、


もうそれほど科目は多くありませんでしたが、

2、3個の試験はすっ飛ばさないといけないことに。

今思うと、


「なんで第3班(8月12日~9月2日)で希望を出さなかったんだろう?」

と不思議でなりませんが、

当時の私が何を考えていたのかは全くわかりません。

若い頃の私は、


矛盾だらけの謎の行動を繰り返していたのでした。



美化レンジャーが内定してからは、

私の頭はほぼそのことだけでいっぱいになりました。



「もう一人の選ばれた人はどんな人なんだろう?」


「どす黒く日焼けした山男に違いない」


いろんな妄想が頭の中を駆け巡ります。

とにかく、


山好きな人と一緒に仕事をできるのが、


すごく楽しみだった


のです。



そして、

ついにその日はやってきました。

しかし、

もう一人のパートナーを目の当たりにした私は、


恐ろしい衝撃


を受けることになるのです。



続きは明日 です。



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今からちょうど13年前の今頃。



私は富士山レンジャーとして、



山梨県側の富士吉田口六合目の安全指導センター



というところに勤めていました。



そして、3週間の勤務を終える頃には、



私は周りから心配されるくらいにゲソゲソにやせ細ってしまった



わけなのですが、その当時の日記をもとに、

これから毎日少しずつ、


その時に起こったことを書いていきたいと思います。




当時の私は、まだ大学4年生

年は、なんと22歳です。


東京のとある大学に通っていた私は、登山サークルの同期から、


山梨県が富士山レンジャーを募集している



という話を聞いたのです。


「なんだそれは!?」



興味津々だった私は、


募集のパンフレットを見せてもらうことにしました。

それには、次のようなことが書かれていたのです。


富士山レンジャー募集!

日本一の山、富士山で環境美化に貢献する仕事をしてみませんか!



「やるしかない!」


もう、これを見ただけで、ほぼ参加の意思を固めていました。

そして、その下には次のような文章が。



業務内容


(1)安全登山の指導
(2)ごみの持ち帰り指導
(3)高山植物の保護指導
(4)その他富士山の美化に関すること

勤務地
山梨県側の6合目安全指導センター

期間・募集人数
第1班 7月 1日~7月21日 2名
第2班 7月22日~8月11日 2名
第3班 8月12日~9月 2日 2名

手当

1日 11,500円(食費代1,500円込み)



「絶対やる!!」


読み終わった時には、参加の決意は200%に。

そりゃそうです。

当時の私は、最も体力に自信がある時でしたし、

何より、今と変わらず超がつくほどの山好きです。


そして、

究極の怖いもの知らず。

さらに、


座学だけじゃなく、実地での自然保護活動をやりたい


という思いを、ちょうど強く持っていた時だったのです。

そのうえ、


自分の好きなことをやるのに、お金までもらえる


ときてます。



日給11,500円


というのは、大学生にとっては破格ともいえる金額。

もはや、

やらない理由を探すほうが難しいです。


傲慢にも、


「俺がやらなかったら、他に誰がやるんだ!?」

ぐらいに思っていました。


この時はまだ、



3週間のバイトを終える頃には、ゲソゲソにやせ細ってしまう


とは夢にも思っていなかったのです。


続きは明日 です。



※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは、運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。




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