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昨日 までの流れを最初から少しおさらいします。
自信満々で応募した富士山レンジャーは、
結果的に、応募2名で合格2名の合格率100%。
相方のレンジャーのN君は文科系としてはパーフェクトとも言える存在。
仕事初日は、3週間分の荷物を担いで、
まず五合目から六合目の安全指導センター(標高2400m)へ移動。
それからすぐに、業務の引き継ぎのため、
前任の富士山レンジャー2名と出発。
本八合目(標高3400m)まで安全登山指導、ゴミ拾いをしながら巡回。
下山道に入った後は七合目付近の乾燥トイレで、
ムダに重いマンホールを持ち上げ、水をくんで清掃し、
今にも爆発しそうな機械の点検を終える頃、相方のN君が遅れて到着。
そして、出発から7時間ほどを経て、
ようやく六合目安全指導センター(標高2400m)に帰還。
その後、
県への報告書の作成
センター内の清掃
センター脇のトイレの清掃
食事の準備
後片付け
をこなし、これで1日の仕事は終了・・・
かと思いきや、まだまだ続きがあったのです。
まずは、
登山者数のカウント調査と案内図配りです。
本来、これは富士吉田市に雇われたバイトの方々の仕事。
市のバイト4名で、交代に24時間体制でやるわけです。
ところが、誰が決めたのか知りませんが、
なぜか「富士山レンジャー枠」が2時間あり、
二人のレンジャーが1時間ずつこの仕事をやることになっていたのです。
もちろん、
こんな仕事があるなんて話は、
県からは全く聞いていません。
ただ、
そんなにきつい仕事というわけではないので、
「昼の暑い時間帯じゃないし、まあいいか。」
ということで、毎日夜7時~9時くらいの間で約1時間、
登ってくる登山者の数を機械でカチカチとカウントし、
同時に案内図(簡単な富士山の地図)も配ります。
そして、
時刻は20時を過ぎます。
朝5時過ぎに県職員のGさんの自宅を出発して以来、
すでに15時間が経過。
もう、かなり疲れていました。
「いくらなんでも、これで今日の仕事は終わりだろう」
と思っていたら、
一日で最も大変な仕事が待っていたのです。
それは、
一本の電話から始まりました。
センター内には電話が備え付けられており、
富士登山者やその他にも問い合わせなど、
いろんな人から電話がかかってきます。
今回かかってきたその電話の内容は、
下山中にネンザをして動けなくなった人がいる
というものでした。
場所は、
下山道の緊急避難所(標高2900m付近)。
(今は取り壊されていて、もうありません。)
電話があった途端に、
登山者数を数えるバイトのお兄さん4名の動きが慌しくなります。
どうやら彼らが救助に行くようです。
「こんな夜に大変だな」
と完全に他人事のように思っていたら、
なんと、
私にもお呼びがかかったのです。
「えーーー!?」
もちろん、
こんな仕事があるなんて一言も聞いていません。
しかし、センター内では、
富士山レンジャーも遭難者救助に行く
ことになっており、それだけならまだしも、
「タンカ」と「救急道具(小型酸素ボンベや包帯など)」
も富士山レンジャーが持つことになっていたのです。
本来なら、
レンジャー二人で分担して交代で運ぶのでしょうが、
私のパートナーであるもう一人のレンジャーN君は、
救助に行くことすら不可能な状態。
(というか、私も無理です)
「聞いてないよ・・・」
朝5時に麓を車で出発して以来、
もう15時間が経過。
1日富士山を歩き倒してきて、
センターに戻ってからも5~6時間の雑務をこなし、
かなり疲れていました。
にもかかわらず、
10kg以上もありそうなタンカと、
酸素ボンベなどが入った大型のウエストポーチまで持たされる
という始末。
「俺、一体どうなっちゃうんだろう・・・?」
続きは明日 です。
※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。

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