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前回 は、
富士山レンジャーの募集ポスターを見た瞬間、参加の決意は200%になった
というところまでお話をしました。
参加を即決した私は、
さっそく応募用紙への記入を始めました。
応募用紙には、
登山経験や応募の動機を書く欄があり、
何がなんでもやりたい!
という思いが伝わるように、熱心に書き込みました。
今思えば、まだ大した登山経験もないのに、
「よくもまあ、あんなに自信満々に書けたな」
と感心してしまうくらい、青臭い文章でした。
若さとはすごいものです。
そして、応募から約1週間後。
山梨県から郵便が届きます。
中を開けてみると、
富士山レンジャー内定
のお知らせが。
「やった!!」
ずうずうしいことに、
当然受かるもの
と思っていた私。
でも、
「まさか落ちたりしないよな・・・」
という不安はあったので、
とてもうれしかったのを覚えています。
日程は、私の第1希望が通り、
第2班(7月22日~8月11日)
になりました。
ただ、7月下旬というのは、
実は大学の中間試験の真っ最中なのです。
4年生だったので、
もうそれほど科目は多くありませんでしたが、
2、3個の試験はすっ飛ばさないといけないことに。
今思うと、
「なんで第3班(8月12日~9月2日)で希望を出さなかったんだろう?」
と不思議でなりませんが、
当時の私が何を考えていたのかは全くわかりません。
若い頃の私は、
矛盾だらけの謎の行動を繰り返していたのでした。
美化レンジャーが内定してからは、
私の頭はほぼそのことだけでいっぱいになりました。
「もう一人の選ばれた人はどんな人なんだろう?」
「どす黒く日焼けした山男に違いない」
いろんな妄想が頭の中を駆け巡ります。
とにかく、
山好きな人と一緒に仕事をできるのが、
すごく楽しみだった
のです。
そして、
ついにその日はやってきました。
しかし、
もう一人のパートナーを目の当たりにした私は、
恐ろしい衝撃
を受けることになるのです。
続きは明日 です。
※これは13年前の話であり、現在の安全指導センターや富士山レンジャーとは運営主体も業務も異なり、何の関係もありません。

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