近鉄特急とは?

近鉄特急とは近畿日本鉄道が走らせている特急列車の総称、ブランドです。

近鉄の特急はJRの特急と同様、乗車券のほかに特急券を徴収する有料特急です。

他の大手私鉄会社でも有料特急を走らせていますが、近鉄の特急に対する力の入れようは群を抜いており、広大な近鉄特急ネットワークを築いています。

ここでは日本一特急に力を入れている近鉄の特急について解説します。

 

 

 近鉄が特急に力を入れる理由

 

1.路線網が広大だから

ご存じの通り、近鉄は日本で最も広大な路線網を有する大手私鉄会社です。

東は名古屋、東は大阪、北は京都、南は奈良の吉野や三重の志摩半島にまで及びます。

近鉄の沿線には大阪や名古屋、京都などの大都市がある一方、奈良や志摩半島など観光地もあります。

これらの都市や観光地同士は距離が離れているため、普通列車で移動するには時間もかかりますし、サービス的にも問題があります。

そんな都市間、観光地への輸送を便利かつ快適にするために特急列車が運行されています。

また、近鉄の路線網は広大である故、沿線にほとんど人が住んでいない区間や、赤字路線が多く存在します。

この広大な路線網を維持するためには京阪神圏や中京圏の通勤・通学輸送の収益だけでは賄えないので、特急列車を走らせて客単価を上げるという側面もあります。

特に大阪線の三重と奈良との県境区間や、伊勢志摩地方の路線は特急列車が走らないと成り立たないような区間となっており、特急の存在感が非常に高くなっています。

 

 

沿線地域活性化のため

特急列車は沿線地域に観光地を誘致する効果があります。

近鉄沿線には奈良や伊勢志摩など魅力的な観光地が多く、そうした観光地に観光客を誘致するためにも特急列車を走らせています。

特に近鉄は伊勢志摩地方の観光開発に力を注いでおり、近鉄系列のホテルやテーマパークなどを建てまくっています。

更に「伊勢志摩ライナー」や「しまかぜ」など魅力的な特急列車を名古屋、京都、大阪から走らせることにより、伊勢志摩地方の観光振興に大きく貢献しています。

 

 近鉄特急の特徴

 

ネットワークが広い

大手私鉄として日本で一番広い路線網を有している近鉄ですが、そのネットワークの端から端まで特急列車を走らせています。

名古屋と大阪を結ぶ名阪特急を中心に、京都と奈良を結ぶ特急列車、名古屋、京都、大阪から伊勢志摩を結ぶ特急列車など至る所から特急列車が発着しています。

近鉄沿線のほぼ全ての主要都市を特急列車が網羅している状態で、ビジネスにも観光にも使いやすいサービスが提供されています。

 

発着本数がやたら多い

特急のネットワークが広い分列車の本数も尋常ではなく、1日約400本程度の特急列車が運行されています。

一部を除きどの系統の特急でも基本的には1時間に1本程度の本数は確保されており、普通列車よりも特急列車が多く走っている区間もざらにあります。

また近鉄特急は短い編成で運行されることも多く、最低2両編成で運行されることもあります。

需要の多い時間帯は増結し、少ない時間帯は単独編成で運行するフレキシブルな運用で、特急の高頻度運転を実現しています。

時間を気にしなくても特急がやって来るのが近鉄の特徴です。

 

乗り継ぎが便利

近鉄は特急列車を中心に回っているため、ダイヤも特急列車を第一に考えて組まれています。

特に別系統同士の特急の接続を考慮したダイヤが組まれており、特急同士の乗り継ぎを乗客に促しています。

伊勢中川、大和八木、大和西大寺、橿原神宮前といった別系統同士の特急列車が停車する駅では、乗り換えの便を図るため特急列車の接続が基本的に行われています。

 

例えば名古屋から吉野へ行く場合、名古屋から大和八木まで名阪特急、大和八木から橿原神宮前まで京橿特急、橿原神宮前から吉野まで吉野特急に乗ることにより、名古屋から吉野まで特急列車だけで移動することができます。

3駅で乗り換えることになりますが、どの駅でも乗り換え時間は10分以内に収まっています。

 

また、名古屋から難波へ向かう場合も、通常なら名阪特急に乗れば事は済みますが、名阪特急が走っていない時間帯でも伊勢中川で名伊特急と阪伊特急を乗り継ぐことで、名古屋と難波を特急で移動することができます。

 

更に、近鉄では特急列車同士の乗り継ぎを促進するため、30分以内の3回乗り継ぎ、4列車までは1枚の特急券で利用することができます。

名古屋から吉野まで3つの特急列車に乗るわけですが、この場合名古屋から吉野まで1枚の特急券で済みます。

特急券は乗車距離によって計算されるわけですが、鉄道の切符は距離が長ければ長いほど距離当たりの料金が安くなるので、列車ごとバラバラに特急券を買うより断然お得です。

 

恐らくここまで便利な特急のシステムが形成されている鉄道会社は他にないでしょう。

近鉄での長距離移動は特急を使う以外の手はありません。

 

列車名が存在しない

ここまで特急列車に力を入れている近鉄ですが、特急に「列車名」は存在しません。

JRであれば「特急あずさ3号」、「特急ひたち2号」、東武鉄道であれば「特急きぬ1号」、「特急りょうもう3号」など特急列車には列車名や愛称が付いているのが一般的です。

しかし、近鉄ではただ単に「特急〇〇行き」と案内されます。

理由はよくわかりませんが、特急列車の本数があまりにも多いので愛称が付けられないのでしょうか?

また、「ひのとり」や「しまかぜ」といった愛称は使用されている車両の愛称であり、列車名ではありません。

▲列車案内板では単に「特急○○行き」としか案内されません。

 

 

普通列車との格差がすごい

近鉄特急の特徴というより近鉄の特徴ですが、特急に力を入れるあまり普通列車に対する投資はかなり消極的です。

特急車両に対しては定期的にエポックメイキングな車両を投入し、常にブラシアップを図っている一方、普通車両は半世紀前に製造された車両が主要路線を何食わぬ顔で走っています。

2000年代にシリーズ21と呼ばれる車両が投入されて以降、20年にわたり普通車両の新車は製造されていません。

京都線に直通する烏丸線の車両が、近鉄を走る車両で最も新しいと言われる始末です。

近鉄的に普通列車は儲からないため、儲からないものに対して投資が消極的なのは致し方がないと思います。

しかし、さすがに老朽化が進んでいるためか、2024年度以降新車を投入する計画を発表しました。

とはいえ近鉄は広大な路線網を有しているため、普通車両の数も尋常ではありません。

まだまだ昭和の時代に作られた車両が活躍することでしょう。

▲「たぬき顔」と呼ばれるこの顔の普通車両は基本的に古く、新車が投入されたら真っ先に置き換えられるでしょう。

▲愛知県、三重県内の近鉄路線には2000年代に投入された普通車両は走っていません。

 

 近鉄特急の種類

 

名阪特急(大阪難波~近鉄名古屋)

名阪特急は難波線、大阪線、名古屋線を経由して大阪難波と近鉄名古屋を結ぶ特急列車です。

停車駅の少ない甲特急と、停車駅の多い乙特急がそれぞれ1時間おきに運行されており、甲特急は毎時00分、乙特急は毎時30分に大阪難波、近鉄名古屋を発車しています。

名阪特急は近鉄特急の始まりともいえる列車で、1947年に運行を開始しました。

遠回りな東海道本線、距離は短いが単線区間や非電化区間がある関西本線に対し、全線電化、複線、標準軌である近鉄は名阪輸送において圧倒的なシェアを誇っていましたが、1964年に東海道新幹線が開業したことにより名阪特急は大打撃を受けました。

しかし、運賃が安いことや大阪の中心街に直接乗り入れていること、快適な着席サービスを提供することにより所要時間が長いというハンデを補っています。

 

甲特急は鶴橋から近鉄名古屋まで一切停車しないノンストップ運転を行っていましたが、全列車が津に停車するようになったため現在は行われていません。

乗務員交代のためかと思われます。

 

名阪特急は伊勢中川を通過する際、かつては伊勢中川でスイッチバックを行っていましたが、大阪線と名古屋線を直接結ぶ中川短絡線が開通してからは、伊勢中川のホームに進入することはありません。

 

2024年現在甲特急には80000系「ひのとり」、乙特急には21000/210020系「アーバンライナーPlus/Next」が使用されています。

どちらも近鉄が威信をかけて設計した車両が投入されており、今でも名阪特急が近鉄特急の花形であることが伺えます。

特に「ひのとり」はJRのグリーン車に相当するレギュラーシート、グランクラスに相当するプレミアムシートを備えており、東海道新幹線では味わえない異次元の着席サービスを提供しています。

 

 

名伊特急(名古屋~津・松阪・宇治山田・五十鈴川・鳥羽・賢島)

名伊特急は名古屋から名古屋線、山田線、鳥羽線、志摩線を経由して伊勢志摩方面を結ぶ特急列車です。

甲特急と乙特急が運行されていますが、甲特急は土休日のみ運行されています。

また、「しまかぜ」が木曜日を除き1往復運行されています。

伊勢志摩方面への観光客を輸送するのは勿論のこと、名古屋と三重県の各都市を結ぶビジネス特急としての顔も持ち合わせています。

1時間に2本程度の運行がされています。また、伊勢中川で阪伊特急に乗り換えることで、名阪特急の代わりとして使用することができます。

 

 

阪伊特急(大阪難波・大阪上本町~名張・伊賀神戸・松阪・宇治山田・五十鈴川・鳥羽・賢島)

阪伊特急は難波線、大阪線、山田線、鳥羽線、志摩線を経由して大阪から伊勢志摩地方を結ぶ特急列車です。

甲特急と乙特急が運行されていますが、甲特急は土休日のみ運行されています。

また、「しまかぜ」が火曜日を除き1往復運行されています。

伊勢志摩方面への観光客を輸送するのは勿論のこと、大阪と奈良県南部、三重県西部の各都市を結ぶビジネス特急としての顔も持ち合わせています。

特に早朝と深夜帯には名張、伊賀神戸発着の列車が設定されており、三重県から大阪方面への通勤需要を拾っています。

 

 

京伊特急(京都~名張・松阪・宇治山田・鳥羽・賢島)

京伊特急は京都から京都線、橿原線、大阪線、山田線、鳥羽線、志摩線を経由して伊勢志摩までを結ぶ特急列車です。

全区間を走破する列車は水曜日以外の平日は1日2往復、休日は1日3往復運行されており、内1往復は「しまかぜ」で運行されています。

京都から賢島までは約195kmの距離があり、所要時間は約2時間40分~50分です。

これは私鉄特急としては最長の距離となっています。

 

京橿特急(京都~大和西大寺・橿原神宮前)

京橿特急は京都から京都線、橿原線を経由して橿原神宮前までを結ぶ路線です。

京都から近鉄沿線に観光客等を呼び込むために、東海道新幹線が開業した直後に運行が開始されました。

新幹線開業前は名阪特急を主軸にしていた近鉄ですが、名阪輸送のシェアを新幹線に一部奪われた後は、大都市と近鉄沿線の中小都市、観光地への輸送にシフトしました。

これ以降近鉄は特急ネットワークを拡げていき、現在の近鉄特急ブランドを確立させました。

京橿特急は大和西大寺、大和八木、橿原神宮前といった3つの乗換駅で他系統の特急列車と接続しています。

 

京奈特急(京都~大和西大寺・近鉄奈良)

京奈特急は京都から京都線、奈良線を経由して近鉄奈良を結ぶ特急列車です。

京都と奈良の2つの古都を結ぶこともあり、観光輸送は勿論のこと、ビジネス需要も多いため1時間に1~2本程度の運行が行われています。

京橿特急が運行を開始した2か月後に運行を開始し、新幹線から奈良へ向かう需要を拾っています。

 

阪奈特急(大阪難波~近鉄奈良)

阪奈特急は大阪難波から難波線、奈良線を経由して近鉄奈良を結ぶ特急列車です。

朝と夕方、夜にしか運行されておらず、近鉄奈良行きの列車は夕方以降にしか運行されていません。

奈良から仕事や買い物などのために大阪へ向かう「奈良府民」向けの特急列車となっています。

所要時間や停車駅は急行列車とほとんど変わらないため、特急は着席サービスの提供のために運行されています。

そのため、汎用特急の他にも「ひのとり」や「アーバンライナー」、「伊勢志摩ライナー」の車両が使用されており、短い距離を走る割にかなり豪華な車両が使用されています。

 

阪京特急(大阪難波~近鉄奈良~京都)

阪京特急は大阪難波から難波線、奈良線、京都線を経由して近鉄奈良・京都を結ぶ路線です。

京都と大阪を結ぶ特急として1972年に登場しました。

京都と大阪を結ぶ競合相手は新快速、阪急、京阪などがありますが、奈良を経由する分それらの列車よりも所要時間がかかっていました。

近鉄で京阪の移動する人は少なかったためか、1992年に廃止されました。

しかし、2022年に観光特急「あをによし」が登場したことにより、阪京特急が復活しました。

「あをによし」は京都、奈良、大阪の三都を結ぶことを目的としているため、京都・大阪難波を出発後一旦近鉄奈良に乗り入れ、近鉄奈良で折り返して京都・大阪難波に向かうという変わった経路で運行されています。

かなり非効率な運行をしていますが、「あをによし」は奈良へ向かう観光列車のため、このような運行が行われています。

なお、朝方に大阪難波から奈良方面へ向かう場合、この「あをによし」が唯一の特急列車となっています。

 

 

吉野特急(大阪阿部野橋~橿原神宮前・吉野)

大阪阿部野橋から南大阪線、吉野線を経由して吉野を結ぶ特急列車です。

近鉄の狭軌路線を走る唯一の特急列車で、飛鳥・吉野への観光需要と南大阪線沿線住民のビジネス需要を拾っています。

橿原神宮前では京橿特急との接続を行っており、京都からの観光客誘致も行っています。

使用車両は汎用特急車両の他、26000系「さくらライナー」が使用されています。

また、観光特急として「青の交響曲(シンフォニー)」が運行されています。

 

 

日本には数多くのローカル線が存在しますが、その中でも圧倒的な存在感を誇る路線が「飯田線」です。

本線級の路線ではないにもかかわらず営業距離は約200km、その中に92の駅があるという何もかもが規格外のローカル線です。

そんな飯田線には他の路線には見られない特徴がいくつも存在します。ここでは「飯田線七不思議」として、飯田線の魅力に迫ります。

 

 

飯田線とは?

飯田線は愛知県豊橋市の豊橋駅から、長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ全長195.7kmの路線です。

JR東海が管轄する在来線区間としては東海道本線の熱海から米原に次いで長い。全国規模で見ると地方交通線としては宗谷本線、石北本線、高山本線に次いで長く、「本線」が付かない地方交通線としては日本最長の営業距離を誇ります。

長いだけでなく、飯田線には道中92もの駅が存在します。平均駅間距離は約2.1kmでローカル線としては異様に間隔が狭いです。更に全体的に線形が悪く急勾配や急カーブが連続しているため表定速度も非常に遅いです。

このため普通列車で全区間を乗り通すと約6時間かかります。

 

飯田線七不思議その1、なぜ飯田線は長い?

飯田線はなぜここまで営業距離が長いのでしょうか?それは飯田線の成り立ちに秘密があります。

飯田線は元々私鉄として開業しましたが、4つの鉄道会社によって建設されました。

その4つの鉄道会社は豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道で、各鉄道会社の区間と営業距離は以下の通りです。

・豊川鉄道:豊橋~大海(28.0km)

・鳳来寺鉄道:大海~三河川合(17.22km)

・三信鉄道:三河川合~天竜峡(67.0km)

・伊那電気鉄道:天竜峡~辰野(79.8km)

 

このようにそれぞれ別会社の路線として開業しましたが、戦時国有化によって「飯田線」に統合されました。

 

飯田線七不思議その2、なぜ飯田線は駅が多い?

飯田線と言えば距離もさることながら、駅の数も異様に多いです。

JR東海が管轄する東海道本線(熱海~米原)ですら87駅のため、飯田線はJR東海の路線で最も駅が多い路線と言えます。

なぜ駅の数が多いかというと先述した通り私鉄として開業したためです。

私鉄は基本的に地域密着型の鉄道路線であるため、少しでも街や集落があれば駅を作る傾向にあります。

飯田線は端から端まで私鉄によって開業したため、全線を通して駅の数が多くなったのです。

 

飯田線七不思議その3、なぜ豊橋駅では名鉄の真横に飯田線の列車が停まるのか?

飯田線の起点である豊橋駅では不思議な光景を見ることができます。

飯田線の列車は豊橋駅の1,2,4番線から発着しているが、真ん中の3番線からは名鉄の列車が発着しています。

なぜ飯田線の真隣から名鉄の列車が発着しているのでしょうか?

更に名鉄の列車はすぐ分岐せず、飯田線の船町駅、下地駅を通過してようやく分岐します。

このような奇妙な光景は飯田線と名鉄の前身の会社が存在した時代まで遡ると、理由が判明します。

飯田線の前身である豊川鉄道と名鉄の前身である愛知電気鉄道はそれぞれ豊橋へ乗り入れようとしていましたが、そのためには豊川放水路と豊川の2つの川を越える必要があります。

当然橋を架けるには多額の費用が掛かるため、愛知電気鉄道が豊橋鉄道側に「一緒に橋を架けて線路を共用しないか?」と話を持ち掛けたのです。

当初、豊川鉄道はこの提案に難色を示しましたが渋々合意し、愛知電気鉄道と豊川鉄道は豊橋への乗り入れを果たしました。

その後、愛知電気鉄道は名古屋鉄道に、豊川鉄道は国鉄・JR飯田線となりましたが、線路の共用は現在も続いています。

名鉄と飯田線の共用区間は豊橋駅から約3.8kmほど離れた平井信号所まで続いています。

そのうち船町駅と下地駅がありますが、これらの駅に停まるのは飯田線の列車だけで、名鉄的にはホームを通過するものの通過駅という扱いはしていません。

そのため相互直通運転でないにも関わらず、違う鉄道会社の列車が同じ線路の上を走る世にも奇妙な光景を見ることができます。

▲飯田線と名鉄は2つの川を越えてから分岐します。

 

 

飯田線七不思議その4、なぜ川を渡らない橋があるのか

橋と言えば普通川を渡るためにありますが、飯田線にはそんな常識が通じない橋があります。

城西から向市場の間には「渡らずの橋」と呼ばれる「第六水窪川橋梁」という橋がありますが、この橋は川を越え対岸に向かうと思いきや、途中でカーブを描きさっきまでいいた岸の方向に戻ってしまいます。

なぜこんな奇妙な橋があるのか?実はこの橋本来は作られる予定はありませんでした。

 

この場所は崖が川べりまで迫っているため、トンネルを掘って線路を敷く予定でした。

しかし、トンネル掘削中に現場を2度の台風が襲ったため、掘削中のトンネルが滅茶苦茶に崩壊してしまいました。

崩壊したトンネルを復旧させることはほぼ不可能となり、別の位置にトンネルを掘ることも検討されましたが、鉄橋と作って崖を迂回するという方法で線路が敷かれました。そのため、渡らずの橋が完成しました。

なお、掘削中に崩壊したトンネルはそのまま放置され、今も山の中に眠っています。

 

飯田線七不思議その5、なぜ飯田線には長大トンネルが存在するのか

飯田線は全体的に線形が悪く、路線がぐねぐねしていますが、2区間だけ異様に直線的な区間が存在します。

それが佐久間から相月間と、水窪から大嵐間です。

特に水窪から大嵐までは6.5kmも離れており、飯田線で最も駅間距離が長い区間となっています。

そしてこの直線区間の正体は「大原トンネル」と呼ばれる約5kmにも及ぶ長大トンネルです。

また、佐久間と相月の間にも「峯トンネル」という全長約3.6kmのかなり長いトンネルが存在します。

なぜローカル線である飯田線に2つも長いトンネルが掘られたのでしょう?

▲付け替えが行われた旧線と現在の路線を比較。かつては天竜川沿いに線路が敷かれていました。

この2つのトンネルは1955年に佐久間から大嵐までの18.8kmの区間を付け替える過程で誕生しました。

元々飯田線は天竜川に沿って線路が敷かれていましたが、佐久間ダムの建設にあたり線路が沈んでしまうため、付け替えが行われました。

付け替えのルートは現在の「水窪線」と「大入川線」の2つが検討されました。

「水窪線」は佐久間から峯トンネルで山をぶち抜いた後、水窪川、秋葉街道(国道152号)に沿って水窪を経由し、大原トンネルで山をぶち抜いて天竜川沿いの大嵐に至るルートです。

「大入川線」は上市場から北上し、愛知県の山の中を突き進んだ後天竜川を渡って大嵐に至るルートです。

このルートの場合「キビウトンネル」と呼ばれる約4.8kmのトンネルを掘るだけで済みますが、沿線にほとんど人が住んでいない他、上市場から佐久間までの既存区間を経由しないという問題点がありました。

一方、「水窪線」は2本の長大トンネルを掘る必要があるものの、既存のルートを取り込め、周辺地域では最大の街である水窪を経由できるためこのルートが採用されました。

▲飯田線付け替え時に検討された2つのルート。

現行の「水窪線」に対し、「大入川線」はかなり無理があると思います。

しかし、この「水窪線」を採用するにあたっては日本屈指の軟弱な地層に2つの長大トンネルを掘る必要があるため、当然難工事となりました。

結果的には特に大きな事故もなく約2年ほどで付け替え工事が完了しました。

なお、旧線は現在ダムの底に沈んでいますが、ダムの水位が低くなるとトンネルの一部が顔を出すそうです。

また、飯田線の旧線の一部を利用して「静岡県道288号大嵐佐久間線」という道路が整備されましたが、土砂崩れで道路が崩壊してしまい、県も復旧を放棄しているため実質廃道となっています。→詳しくはこちら

ちなみに、水窪から大嵐まで列車だと約10分ほどの所要時間ですが、車だと約1時間10分ほどかかります。

この地域の道路交通網がいかに貧弱かお判りいただけるとかと思います。

 

飯田線七不思議その6、なぜ飯田線には秘境駅が多いのか

飯田線の特徴と言えば秘境駅の多さにあります。秘境駅を世に広めた「秘境駅へ行こう!」というサイトではランキング形式で秘境駅が紹介されていますが、TOP20の内、飯田線の駅は6駅ランクインしています。

更にTOP10には4駅がランクインしており、日本トップクラスの秘境駅が飯田線に集中しています。

さらにこれらの駅は三信鉄道が開業させた三河川合から天竜峡の間に集中しています。

▲飯田線には日本トップクラスの秘境駅が集中しています。

飯田線に秘境駅が多く生まれた理由は大きく分けて2つあります。

1つ目の理由は集落の近くに駅を作れなかったためです。

三信鉄道が開通させた区間は地盤が非常に脆かったため、線路を敷ける土地が限られていました。

本当は集落の近くに駅を作りたかったと思いますが、それが不可能だったため、仕方なく集落から少し離れた僻地に駅が作られました。

これが国鉄が開業させた路線なら駅が作られることはなかったと思われますが、民間私鉄だったため駅が作られたと思います。

例:田本駅、金野駅

▲金野駅。駅名の由来となっている集落まで歩いて50分ほどかかります。

 

2つ目は沿線にダムが建設されたためです。

ダムの建設により天竜川の水位が変わり、駅周辺にあった集落が水没してしまいました。

その結果、駅だけが取り残され秘境駅と呼ばれるようになりました。

例:小和田駅、為栗駅

▲小和田駅。ダムの建設により駅周辺の集落は全て水没してしまいました。

 

 

飯田線七不思議その7、なぜ飯田線には多数のΩループが存在するのか

飯田から駒ヶ根の間にはΩ(オメガ)ループと呼ばれる急カーブがいくつも存在します。

オメガループができる理由はの多くは、距離を稼いで急こう配を登るためか、人の多い市街地を経由するためです。

その最たるものは下山村から伊那上郷の巨大オメガループである。

この区間は直線距離約2kmの区間を7kmもかけて結んでおり、走れば電車に追いつくとも噂されています。

このオメガループは急こう配を緩和するため、飯田市の市街地を経由するためと思われます。

▲下山村から伊那上郷の間にあるオメガループ。

川の南岸と飯田駅周辺はかなりの高低差があり、直線的に線路を敷くことは難しかったでしょう。

 

更に飯田以北にもいくつかオメガループがありますが、これは川を渡るために作られました。

 

飯田線は天竜川が作り出した河岸段丘に線路が敷かれていますが、この天竜川に向かって山の上から多くの川が流れています。これらの川は段丘を侵食するため、天竜川の河口に近いほど川幅が広くなり川と地面の高低差も大きくなります。

このような地形を「田切地形」と言い、飯田線には「田切」と「大田切」という駅があります。

この田切地形を越えるには長大かつ、高い橋を架ける必要がありますが、地方私鉄である伊那電気鉄道にはそんな橋を架ける技術もお金もありませんでした。

そこで川幅が狭く地面との高低差が小さい上流まで遡り、橋を架けて再び下流に戻るという方法で川を越えました。

この方法で飯田線は中田切川や与田切川といった川を越えています。

このカーブは3両編成の車両でも最後尾車が見えるほどかなり急であるため、飯田線はかなりスピードを落としてカーブを曲がっています。

 

由布院温泉の概要

由布院温泉は由布市にある温泉地で、別府に次ぐ源泉数、温泉湧出量を誇ります。

湯平温泉と主に「湯布院温泉」と呼ばれており、そのほか由布市内の温泉地を含め「由布院温泉郷」と呼ばれています。

「湯布院」とは由布院と湯平の合成地名です。

由布院が温泉地として開発されたのは近代になってからで、知名度の割に歴史は浅いです。

高度経済成長期になると多くの温泉地では団体旅行、男性旅行客をターゲットとした大型宿泊施設や性風俗店などが進出し、歓楽街的な開発が行われていました。

しかし、由布院は当時から女性をターゲットにした景観や雰囲気を重視した開発が行われており、個人旅行がメインになった現在では日本有数の温泉地として多くの観光客で賑わっています。

 

市内散策(2024/05/22)

由布院の玄関口となる由布院駅。

礼拝堂をイメージした洒落たデザインです。

地元の建築家に設計を依頼したようですが、当時としてはかなり異例だったようです。

駅前。お土産屋や商店が建ち並んでいきますが、何よりも目立つのは由布院のシンボルである由布岳です。

由布岳の方面に向かって温泉地が広がっています。

由布院駅から10分ほど歩いた所にある湯の坪街道。由布院のメインストリートとなっており、雰囲気のいい飲食店やお土産店が軒を連ねています。

確かに若い女性には受けそうな雰囲気で、インスタ映えスポットの宝庫となっているようです。

朝の9時台に歩いたのでほとんど人はいませんでした。店が開き始める10時、11時ぐらいになると人で溢れかえっていました。

若い女性というよりは中国や韓国からの観光客が多く、至る所で中国語や韓国語が飛び交っていました。

特に韓国人から絶大な人気を誇っているようで、店員さんも韓国語で接客していました。

湯の坪街道を歩くと由布院の名所である金鱗湖があります。

湖を泳ぐ魚の鱗が夕日を浴びて金色に輝くことから「金鱗湖」と呼ばれています。

特に紅葉の時期は美しいようです。

温泉が混じっているせいか若干水温が高く、多くの魚が生息していました。

ほとんどが外来種だと思いますが。

由布院にも公衆浴場がありその一つが「下ん湯」です。

金鱗湖の畔にあるこの温泉は混浴となっており、解放感は凄そうです。

映画「怪物」に登場した文化財の鉄橋、富士見町撤去方針 災害リスクや保存コスト懸念

 

信濃毎日新聞の報道ですが、中央本線の信濃境から富士見の間に架かっている旧立場川橋梁を撤去する方針を富士見町が固めたことがわかりました。

富士見町町長が定例会で発言したもので、災害リスクや保存費用を考慮すると保存は難しく、撤去する方向で話を進めるそうです。

旧立場川橋梁は明治時代に架けられた橋梁で、中央本線が複線化のため線路を付け替えられた際に廃線となりました。

現在の中央本線からの車窓からも見ることができ、鉄道遺産として長年親しまれ、最近では映画のロケ地にも使用されていました。

この橋は立場川だけでなく車通りの多い町道も跨いでいるため、崩落すれば大事故になりかねません。

保存するにもかなり大掛かりな補修作業が必要で、費用対効果も見られないため撤去は止む無しと個人的には思います。

 

まずは新線と旧線の位置関係から。

旧線は立場川橋梁の手前で大きくカーブしていますが、新線は比較的真っすぐなルートで建設されています。

 

手前に見えるのが現立場川橋梁で、奥に見えるのが旧立場川橋梁です。

現在の立場川橋梁は非常に立派ですが、旧立場川橋梁もそれに引けを取らないほど立派です。

橋脚は石造りとなっています。この橋脚が撤去されることはなさそうですが、橋の部分は撤去される事でしょう。

この橋はボルチモアトラスという構造だそうです。

現役の橋脚だと磐越西線の一ノ戸川橋梁が有名です。

今にも列車が通過しそうな雰囲気です。

こう見ると撤去するのは大変惜しいですが、逆にここまで規模が大きいと保存のための修繕費や作業も馬鹿にならないでしょう。

旧信越本線のめがね橋のような観光開発できればよいのですが厳しいでしょう。

築堤上には架線柱が今も残っています。築堤は全面立ち入り禁止となっていました。

現役の橋梁を特急「あずさ」が通過していきました。

こちらは2017年11月に撮影した時の様子。

明治時代にここまで大規模な橋梁が建設されたのは珍しいと思います。

築堤上の様子。当時は立ち入ることができました。

橋梁部。当然ながらこの部分は昔から立ち入り禁止でした。

 

 おまけ

2017年11月に現役の立場川橋梁で撮影したので、その様子を紹介します。

旧立場川橋梁から見た現在の立場川橋梁。

立場川橋梁を通過するE257系とE351系。バックには八ヶ岳が見えます。

山の中から俯瞰した写真。結構紅葉が綺麗な場所です。

「スーパーあずさ」に使用されていたE351系と「ホリデー快速ビューやまなし」に使用されるため酒折に回送される251系。251系は千葉から小淵沢で営業運転を終えた後「小淵沢→富士見→酒折→小淵沢」という変則的な回送運転を行っていました。

 

別府市の概要

別府市は大分県第2の都市で、人口は約11万人です。

日本一の温泉の源泉数、湧出量を誇る温泉都市で、観光は勿論のこと地熱発電や湯の花製造、花き研究など温泉を中心とした経済活動が行われています。

「温泉に浮かぶ島」とも形容されるように至る所から温泉が湧いており、温泉が市民生活に密着している都市は世界でもここしかないでしょう。

 

市内散策(2024/05/21)

別府市の玄関口である別府駅。

別府市内には「別府八湯」と呼ばれる8つの温泉地があり、今回はその中で最もメジャーな鉄輪温泉へ向かいました。

鉄輪温泉は別府駅からバスで約20分から30分です。

別府駅前にある油屋熊八の像。

一見ふざけたおっさんにしか見えませんが、別府温泉の観光開発に尽力した方で、この人なしに現在の別府はありません。

亀の井バスを創業し日本初の定期観光バスの運行、女性バスガイドを採用したことなどで知られています。

「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」というキャッチフレーズもこの方が広めました。

バスに乗って鉄輪温泉にやって来ました。

この通り至る所から湯気が湧いています。

鉄輪温泉は市街地から少し離れた山の上にあり、振り向くと別府湾を望むことができます。

 

鉄輪温泉といえば「地獄めぐり」です。

別府観光のド定番である地獄めぐりは7つの地獄を巡るものですが、今回は時間があまりなかったので主要なものだけ巡りました。

なお、亀の井バスの周遊バスに乗れば簡単に7つの地獄を巡ることができます。

 

 海地獄

地獄めぐりの中でも最も有名かつ、訪れるべき地獄はこの海地獄です。

地獄めぐりのコースも基本的にこの海地獄から始まります。

コバルトブルーの綺麗な色をしていますが、98度の熱湯がものすごい勢いで自噴しており入れば当然死んでしまいます。

当初このような地獄は何の役にも立たないため市民から疎まれていましたが、海地獄を見物する客から見物料を徴収したことから「地獄めぐり」が始まったと言われています。

その後市内の各地で地獄の整備、新しい地獄の開発が行われましたが、いろいろ問題が発生したため大正時代を最後に新しい地獄の開発は行われていません。

園内では温泉熱を利用した蓮の栽培が行われており、綺麗な蓮池がありました。

園内には「赤池地獄」もあります。

酸化鉄によって茶色くなっているようです。

 

 鬼石坊主地獄

泥沼が沸騰している様子が坊さんの頭に見えることから「鬼石坊主地獄」と呼ばれています。

これも結構有名な地獄ですがつい20年ほど前に再整備された地獄です。

一時期閉鎖されていたようですが、なぜ閉鎖されていたかはよくわかりません。

海地獄に比べると地味ですが、この泥も100度近い温度のため入れば当然死んでしまいます。

園内にはこのような泥沼が何か所かあります。

園内には「鬼の高鼾」と呼ばれる温泉もあります。

岩の中から湯気が上っているさまは山地獄のミニチュア版ともいえます。

 

 かまど地獄

かまど地獄は古来より氏神の八幡竈門神社の大祭に、地獄の噴気で炊いた飯を炊いたことが由来となっています。

かまど地獄には1丁目~6丁目までの様々な地獄があり、1か所で様々な地獄を楽しむことができます。

他の地獄に比べてアミューズメントパーク感が強いです。

1丁目の泥熱地獄。これは酸化鉄ではなく、地熱により溶け出した様々な泥の色だそうです。

 

2丁目はこの地獄のシンボルである鬼とかまどがありますが、なぜか撮り忘れてしまいました。

かまど地獄3丁目。海地獄みたいな色をしています。

かまど地獄4丁目。これも1丁目と同じく泥によって茶色くなっているようです。

かまど地獄5丁目。年に数回水の色が変わるという不思議な池です。

綺麗な色をしていますが当然熱湯なので、何匹もトンボが死んでいました。

かまど地獄6丁目。昔はこんな色じゃなかったようですが、現在は血の池地獄みたいな色をしています。

 

 鬼山地獄

鬼山地獄は別名「ワニ地獄」と呼ばれており、温泉熱を使用したワニの飼育が行われています。

この柵の中でワニの飼育が行われています。

園内には結構な数のワニが飼育されています。

基本的にワニは動きませんが、動くときはめちゃくちゃ速いようです。

 

17:00を過ぎ地獄は閉館となるため、鉄輪温泉の温泉街を散策しました。

鉄輪温泉の名物「地獄蒸し」を提供する地獄蒸し工房鉄輪。地獄蒸しは温泉の熱を使用して蒸し料理を作る調理法で、別府では江戸時代からこの調理法が確立されていたようです。

100度近い熱で一気に蒸すため、うまみが閉じ込められやすいようです。

鉄輪温泉の湯けむり通り。

この写真ではよく分かりませんが、道の側溝からも湯煙が上がっています。

こんな所は他にないでしょう。

駅前に下りてきました。

駅周辺にも温泉地があり別府温泉と呼ばれています。

右側にある古い建物は駅前高等温泉と呼ばれています。

人口10万人強ほどの街ですが、駅前の人通りはそれなりに多いように感じました。

駅前通りを進むと国道10号線に突き当たります。

九州でも有数の主要街道ですが、隣の大分市とを結ぶ一般道はこの道しかないため、九州屈指の交通量を誇ります。

奥にそびえている山はサルで有名な高崎山です。

別府市のランドマークである別府タワー。

日本で3番目に建てられた高層タワーで、設計は内藤他中内藤多仲が担当しました。

登録有形文化財に登録されており、当の下にあるビルも非常にレトロです。
 

 

特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」の概要

特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」は別府・大分・由布院から博多を久大本線経由で結ぶ特急列車です。

特急「ゆふ」は1992年にJR四国から購入したキハ185系を導入し、急行「由布」を特急に格上げしたものです。

特急「ゆふいんの森」は1989年にJR九州初の本格的な観光列車として運行を開始しました。

由布院や日田などの観光地を有する久大本線と、観光列車である「ゆふいんの森」は非常に相性がよく、登場から35年が経過した現在でも絶大な人気を誇っています。

 

 
 

 

 

特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」の停車駅

特急「ゆふ」と「ゆふいんの森」はそれぞれ3往復運行されています。

特急「ゆふ」は2往復が別府発着、1往復が大分発着となっています。

通勤需要もあるためか停車駅は多めに設定されています。

一方「ゆふいんの森」は2往復が由布院、1往復が別府発着となっており、停車駅も絞られています。

 

特急「ゆふ」・「ゆふいんの森」の使用車両

特急「ゆふ」にはキハ185系が使用されています。

キハ185系は国鉄末期に投入された特急型気動車で元々はJR四国が保有していましたが、豊肥本線と久大本線の急行列車を特急に格上げするために、JR九州が買い取り改造したうえで使用されています。

 

特急「ゆふいんの森」はキハ71系とキハ72系が使用されています。

キハ71系はキハ58形、キハ65形を改造した車両で、「ゆふいんの森」運行開始当初から使用されています。

元の車両はかなり古いですが、外観はもちろん床下機器も台車を除けばほぼ換装されているため、ほぼ新車と言ってもいいでしょう。

当初は3両編成でしたが、3号車がのちに増備され4両編成で運行されています。

キハ72系は「ゆふいんの森」が好評だったため、増発のために一から新造された車両で、1999年にデビューしました。

こちらも当初4両編成でしたが、4号車が増備され5両編成で運行されています。

初代から数えて3代目の「ゆふいんの森」車両のため、「ゆふいんの森Ⅲ世」とも呼ばれています。

2代目はキハ183系を改造した車両で、この車両は大村線の観光列車「シーボルト」に改造されたのち、「ゆふDX」として久大本線に復旧します。

現在は更に改造され豊肥本線の「あそぼーい!」で活躍しています。

 

「ゆふいんの森」は戦前のヨーロッパの豪華列車をモチーフにしており、デザインを担当したのは水戸岡鋭治氏です。

丸みを帯びた前面形状、全車両がハイデッカー構造、メタリックグリーンの配色は当時の鉄道業界に強烈なインパクトを与え鉄道列車に新たな価値を提供した記念碑的な車両となっています。

 

乗車レポート(2024/05/22)

この日は大分から由布院まで「ゆふ2号」、由布院から博多まで「ゆふいんの森2号」に乗車しました。

今回乗車する「ゆふ号」は4両編成でしたが、2号車の指定席に乗車しました。

2号車の1~6番目の座席はグリーン席を普通指定席として販売しており、指定席料金でグリーン座席を味わうことができます。

2+2列の配置となっており、他のJR九州のグリーン車両に比べると少しランクが落ちますが、あくまでも指定席扱いのため乗り得だと思います。

グリーン車だけありシートピッチも広く、フットレストも装備されています。

キハ185系のグリーン車は特急「ゆふ」か、JR四国で運行されている臨時列車「ゆうゆうアンパンマンカー」でしか乗ることができないため、割と貴重です。

 

・大分~由布院

大分を出た列車はしばらく大分市の郊外を走ります。沿線には住宅が多く人口も多そうです。

最初の停車駅である向之原を過ぎると、大分川が作り出した渓谷に沿って進みます。

絶景という程ではありませんが、対岸の山や広がる田園は結構雰囲気が良かったです。

湯平を過ぎると列車は大分川の険しい渓谷を進みます。

東側に大きくカーブし、土地が開けると由布岳が見えると列車は由布院に到着します。

外国人観光客からも絶大な人気を集めているためか、由布院到着前には4か国語での案内が行われていました。

 

・由布院~豊後森

由布院からは当駅始発の「ゆふいんの森2号」に乗車しました。

使用されている車両は新しく製造された「ゆふいんの森Ⅲ世」です。

「ゆふいんの森」は豪華列車というイメージがありますが、グリーン車は連結しておらず全席が普通指定席として販売されています。

フットレストは設置されていますがシートピッチも広く座席も快適なので、グリーン車未満普通席以上の豪華さがあります。

Ⅲ世の方はモダンなデザインとなっており、床や壁は木目調となっています。

「ゆふいんの森」は全車両がハイデッカー構造となっているため、デッキ部分には橋が架けられています。

バリアフリー法が厳しくなった現在このデザインを適用するのは難しいかもしれません。

3号車にはフリースペースとビュッフェが併設されています。

ビュッフェではお菓子や飲み物、ゆふいんの森グッズを買うことができます。

 

由布院を出た列車は大きなカーブを描きながら山の斜面を登っていきます。

そのため車窓からは由布院の街並みを見ることができます。久大本線有数の絶景ポイントではないでしょうか。

しばらくほとんど人気のない山の中を進み、約2kmの長さがある水分トンネルをくぐります。

水分トンネルを抜けると野上川沿いに走り、列車は玖珠盆地に入ります。

玖珠盆地に入ると山頂が真っ平な伐株山を見ることができます。

玖珠盆地にはこのような真っ平な山が集結しており、このような地形は全国でもここでしか見れないようです。

主要駅である豊後森に着く手前では豊後森機関区跡地を見ることができます。

日本でも有数の規模を誇る扇形車庫の廃墟が残っていることで知られており、割と最近になってい保存活動が行われた場所です。

 

・豊後森~日田

玖珠盆地を抜けると列車は玖珠川に沿って進みます。

ここでの見どころから車内から見える慈恩の滝です。

アテンダントからの案内もあり、「ゆふいんの森」も徐行運転を行うため、道中の名所となっています。

玖珠川は蛇行を繰り返しているため、久大本線はいくつものトンネルと橋梁を越えながら進んでいきます。

なんとなく高山本線に似ています。

険しい地形を走る割に久大本線の線路は比較的真っすぐなため、「ゆふいんの森」は割とスピードを出して走っていました。

山の中を抜けると沿線最大都市である日田に到着します。

水運の街として発展し、江戸時代には天領でもあった日田は流石に大きい街で、このような光景は大分以来です。

日田も由布院と並ぶ沿線屈指の観光地であるため、多くの乗降がありました。

 

・日田~久留米

日田を過ぎると久大本線は最後の山越え区間となります。

列車は三隈川に沿って進みます。

福岡県との県境部分に夜明ダムがあるため、川の色は「ゆふいんの森」と同じエメラルドグリーンでした。

山を抜けると列車は筑後平野に入り、ここからは博多までひたすら平坦な地形を走り続けます。

白壁通りで有名なうきは市を過ぎ、多くの建物が見えると久留米に到着します。

 

・久留米~博多

久大本線は久留米までで、ここから博多までは鹿児島本線を走ります。

久留米を出てすぐに列車は筑後川を渡ります。

「筑後三郎」の異名を持つこの川は九州最大の河川で、ここまで久大本線で辿ってきた三隈川、玖珠川も筑後川の一部です。


次の停車駅は鳥栖です。

鳥栖は九州随一の交通の要衝で、かつては九州一の規模を誇る構内を有していました。

現在も広い構内が残っていますが、これでも縮小された方で昔はサガン鳥栖のスタジアムも鳥栖駅の構内の一部でした。

その広大な敷地を横目に鳥栖貨物ターミナル駅を通過する際に、銀釜ことEF81-303号機が停まっていました。

博多手前での景色の見どころは水城跡です。

水城は7世紀に朝鮮半島にあった、王朝の百済からの侵攻に備えて築かれた巨大な土塁です。

高さは約5m、長さは約1.2kmあり、さらに西側に5kmほど続いていたようです。

久留米からだいたい30分ほどで終点の博多に到着します。

 

 
 
 

 

 

総評

・スピード感:★★★

・乗車時間 :★★★

・車窓   :★★★★

 

第一印象としては思ったより速かったです。

久大本線の最高速度は95km/hとローカル線としてはそれなりの規格ですが、「ゆふ」、「ゆふいんの森」共にその規格をフルで活かしているような走り方をしていました。

結構山深い区間でもスピードを出していたので、乗っていて楽しかったです。

「ゆふいんの森」は観光列車ではありますが、ほどよく豪華でほどよくスピードを出すので、観光列車と普通の特急列車とのバランスがよく取れている印象を受けました。

閑散期の平日に乗車しましたが、車内はほぼ満員で外国人観光客の姿も多くありました。

観光列車は乗るのが目的になり沿線にお金が落ちないという問題点がありますが、「ゆふいんの森」の場合は沿線に日田や由布院など魅力的な観光地があるため、今や「ゆふいんの森」は日田や由布院観光の一部として認識されていると思います。

車窓もよく沿線に魅力的な観光地が多くある「ゆふいんの森」は一番理想的な観光列車かもしれません。

博多方面に乗る場合は、進行方向左側の席をお勧めします。

伐株山や慈恩の滝など沿線の見どころは大体左側にあります。

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特急「ソニック」の概要

特急「ソニック」は博多から中津・大分・佐伯を結ぶ特急列車です。

博多から大分を結ぶ特急列車は「にちりん」として運行されていましたが、民営化後のイメージ、サービスアップのため883系が導入された列車に「ソニックにちりん」の名称が与えられました。

その後、大分を境に系統分離が行われ、博多から大分を結ぶ大半の列車は「ソニック」に改められ現在に至ります。

「ソニック」は「音速の」を表す英単語で、英単語をそのまま名称に採用される特急列車は珍しいです。

その名の通り九州最速のスピードを誇る高速特急列車で、日本でも2番目の俊足ぶりを誇ります。

博多から大分までの所要時間は最短で約2時間です。

 

 

特急「ソニック」の停車駅

基本的には太字の駅にしか停まらない速達タイプの列車と、停車駅の多い列車がそれぞれ1時間おきに運行されており、JR九州では最も活発な運行が行われている特急列車です。

博多から大分を結ぶという需要がある一方、通勤需要も拾うため通勤時間帯の列車は停車駅が多くなっています。

一日1往復だけ大分県最南部の駅である佐伯まで向かう列車があります。

また、大分から中津、博多から中津を結ぶ列車もそれぞれ1往復設定されています。

 

 

特急「ソニック」の使用車両

特急「ソニック」には883系と885系が使用されています。

883系は「ソニック」が運行を開始した1995年から投入されました。

「ワンダーランドエクスプレス」の愛称が付けられたこの車両を設計したのは水戸岡鋭治氏で、遊び心あるデザインが取り込まれています。

印象的な前面デザインはヨーロッパのトラックを参考にしているようです。

性能面では交流電車としては初の振り子式車両となっており、カーブの多い日豊本線でも速度を落とすことなく走行することが可能となりました。

以前は酒瓶やさきいかがそこらへんに転がっているほど治安が悪かった日豊本線の特急列車でしたが、883系の登場によって速くて子供も楽しめる特急列車へと変貌しました。

2000年には885系が投入され、時刻表などでは「白いソニック」と案内されています。

こちらも水戸岡氏がデザインを担当しており、ヨーロッパの高速鉄道の車両を参考にしているようです。

この車両も883系同様振り子式車両のため、性能はさほど変わりません。

 

この日は博多から大分まで全区間乗車しました。

今回は「ソニック25号」のグリーン車に乗車しました。

まずはデッキ部分ですが赤や青など原色をふんだんに使用したデザインが特徴的で、当時の鉄道車両としては画期的だったに違いありません。

グリーン車は2+1列の配置となっています。

883系といえば夢の国のネズミによく似た形状のヘッドレストが特徴ですが、これは全席共通です。

グリーン車座席の形状は普通車座席とあまり変わっておらず少し安っぽい印象を受けますが、地味に電動リクライニング機能を備えています。

グリーン車なのでシートピッチは広く、フットレストも設置されています。

また、窓側席のみですがコンセントも設置されています。

883系のグリーン車の最大の魅力は前面展望を楽しめるトップキャビンです。

このスペースがあるのはグリーン車がある1号車のみですので、このスペースに立ち入るためにグリーン車に乗る価値は十分にあると思います。

左側にある業務用冷蔵庫はなんなのでしょう?

なお前面展望を楽しめるのは博多から小倉であれば上り列車、小倉から大分であれば下り列車です。

 

・博多~小倉

大都市博多を出て最初の見どころは多々良川に架かる名島橋です。

登録有形文化財にも指定されている名島橋はアーチの構造が美しい橋ですが、鹿児島本線の車窓からはあまりよく見えません。手前に見える橋は西鉄貝塚線の橋梁で、名島橋をイメージしてかアーチ状の構造となっています。

その奥にある橋は鹿児島本線の貨物線の橋梁で、さらにその奥にある橋が名島橋となっています。

福岡市を過ぎるとこのような長閑な風景がしばらく続きます。

福岡市と北九州市は意外と距離が離れており、途中には峠越えのような区間もあります。

遠賀川を越えると九州第二の都市である北九州市に入ります。

折尾、黒崎といった北九州市内の主要駅に停車した後はかつて日本経済を支えた工業地帯に沿って進みます。

戸畑を過ぎると北九州市のランドマークである若戸大橋を見ることができます。

列車は北九州高速2号線に沿って進み主要駅の小倉に停車します。

 

・小倉~中津

小倉で「ソニック」は進行方向を変えるため、座席の方向転換を依頼するアナウンスが流れます。

ここからは1号車が先頭車となるため、前面展望を楽しむことができます。

列車は先ほど通過した西小倉をまた通過して、日豊本線に入ります。

西小倉駅の近くには小倉総合車両センターがあります。

九州鉄道の時代に開設された非常に歴史のある車両工場で、九州で使用されている車両の新造・改造なども請け負っています。

この日は415系の廃車体(?)が置かれていました。

日豊本線に入線した後も「ソニック」のスピードは落ちることなく福岡県を南下していきます。

しばらくは平凡な景色が続きますが、豊前松江を通過すると周防灘に沿うように走ります。

この時は干潮だったのかかなり潮が引いていました。

山国川を渡ると大分県に入り中津に到着します。

 

・中津~大分

中津を過ぎると次の別府まではノンストップで走り続けます。

しばらくは田園地帯を走りますが、宇佐を過ぎると峠越えの区間となります。

この峠は立石峠となっており、豊前国と豊後国の境と言われています。

西屋敷を過ぎると上下線の線路が大きく乖離します。

上り線は旧来からの線路でかなりグネグネしていますが、下り線は「新立石トンネル」という長いトンネルで峠を貫いています。

このトンネルを猛スピードで抜けきり、立石を通過すると日豊本線は少しだけ単線区間となります。

単線区間になってもスピードはほとんど落ちることなく走り続けます。

ポイント分岐でも弾性ポイント分岐が採用されているためか、ほぼ最高速度で突っ込んでいました。

単線区間は隣の中山香駅までで再び複線となりますが、杵築から日出までまた単線区間となります。

▲対岸に見える街は別府で、高い山は高崎山?。

日出を過ぎると別府湾に沿って進むため、別府湾を望むことができます。

しばらく別府湾沿いを進み別府に到着します。

▲左側の対岸は国東半島、右側の対岸は大分市の工業地帯。

別府の市街地を過ぎると次の街は県庁所在地の大分市ですが、別府と大分の間には急峻な山が聳えており、列車は別府湾の際を走ります。

隣には大分県の二大都市を結ぶ国道10号線(別大国道)が通っています。片側三車線の非常に大きい道路ですが、大分県の二大都市を結ぶまともな一般道はこれしかないため、九州屈指の交通量を誇ります。

そんな車たちを颯爽と抜き去る「ソニック」は乗っていて爽快です。

写真には写っていませんが、後ろを振り向くと別府の市街地と立ち上る湯煙を望むことができます。

大分市の市街地に入ると大分に到着します。

 

総評

スピード感:★★★★★

乗車時間 :★★★

車窓   :★★★

 

九州最速の特急列車だけありとにかく速かったです。

「ソニック」が走る区間は全て最高速度130km/hに対応しているため、常にトップスピードを出して走っているような感覚でした。

日豊本線はカーブが多く決して線形がいいとは言えませんが、それを振り子式車両を使い力技で高速でぶっ放す姿は乗っていて爽快です。

単純に一番スピード感を味わえる特急列車だと思います。

なお、早めにネットで予約すると通常の5割引きくらいの値段で利用できるのでお勧めです。

博多から大分までグリーン車を使っても5,000円少々でした。

 

 

 

  鳥栖駅

佐賀県鳥栖市の代表駅です。

鳥栖市は九州全県から伸びる鉄道路線、道路が集積する九州屈指の陸上交通の要衝で、鉄道の時代には九州随一の鉄道の町として栄えました。

福岡にも比較的近く、交通の便もいいことから人口の増加、企業の進出が進んでおり、物流拠点としての整備も行われています。

鳥栖駅は九州鉄道が開業させた九州最古の駅の一つで、佐賀や長崎へ向かう長崎本線の分岐駅となっています。

かつては広大な機関区や操車場が置かれ、旅客・貨物ともに九州一の輸送拠点として発展を遂げましたが、鉄道貨物の衰退や新幹線の開業と共に徐々にその地位は低下傾向にあります。

しかし、現在も多くの優等列車が停車し、多方面から多くの列車が発着する光景は健在で、九州を代表するターミナル駅としての地位は維持されています。

 

乗り入れ路線

・鹿児島本線

・長崎本線

 

駅舎。1903年に現在の場所に駅が移転されてから使用されている大きな木造駅舎です。

九州の鉄道史的に非常に重要で価値のある駅舎ですが、橋上化の話も出ておりその先行きは不透明です。

駅前。少し歩くと大型ショッピングセンターがありますが、市の中心部からは離れています。

切符売り場。カウンター式のみどりの窓口が設置されています。

駅舎内は見た目の割にこじんまりとしています。

かしわめし弁当やかしわうどん・そばなどを販売する中央軒とサガン鳥栖のオフィシャルショップ、パン屋が入居しています。

改札口。乗り換え客が多いためか改札口はあまり広くありません。

大きな時計がいい味を出しています。

鳥栖に本社を置く久光製薬のサロンパスの広告がでかでかと掲示されています。

ホームは3面6線。非常に広大な敷地を擁していますが、これでも昔に比べだいぶ縮小されました。

ホームには廃レールを使用した年季の入った上屋が設置されています。

駅の東側にある鳥栖スタジアム(駅前不動産スタジアム)。

Jチームであるサガン鳥栖の本拠地ですが、昔は鳥栖駅の構内の一部でした。

各ホームで営業している中央軒の立ち食いそば。

鳥栖駅を訪れたら是非とも食べておきたいものです。

ホームは2本の連絡地下道で結ばれています。

低い天井やむき出しの配線が歴史を感じさせます。

北側の地下道には鳥栖駅、鳥栖市の歴史を紹介するパネルが設置されています。

通路の屋根は木造です。

地下通路内。

古き良き時代のターミナル駅の雰囲気が残る鳥栖駅は貴重な存在です。

 

 

 

 

  由布院駅

大分県由布市にある駅です。

別府と並ぶ大分県の一大温泉地である由布院温泉への玄関口で、多くの観光客で賑わっています。

当駅で折り返す列車も多く設定されており、当駅から日田の間は本数が非常に少ないです。

また、一部の特急「ゆふいんの森」も当駅を始発・発着駅としています。

 

乗り入れ路線

・久大本線

 

駅舎。巨大な吹き抜けが特徴的な駅舎です。

礼拝堂をイメージしているようで、由布院に相応しいお洒落なデザインとなっています。

駅前。お土産屋などが建ち並んでいます。

正面には由布院のシンボルである由布岳が見えます。

駅舎内。非常に開放的な造りとなっています。

改札口が無いというかなり思い切った構造となっており、駅舎という雰囲気が感じられません。

駅舎の半分はアートギャラリーとなっています。

ホームは2面3線。ホームは跨線橋と構内踏切で連絡しています。

構内踏切からは停車している特急「ゆふいんの森」をいい感じに撮影できます。

今や由布院観光の一部となっており、列車発着時には多くの観光客で賑わいます。

 

 

 

 

  大分駅

大分県大分市の代表駅です。

大分市は大分県の県庁所在地で人口は約47万人です。

東九州の中心都市であり沿岸部には多くの重化学工業が進出しており、九州有数の工業都市として大きな存在感を放っています。

大分駅は3つの本線が合流するターミナル駅で、九州でも有数の規模を誇る駅となっています。

日豊本線の中間駅では最も主要な駅であり、特急「ソニック」と特急「にちりん」は基本的に当駅で折り返します。

 

乗り入れ路線

・日豊本線

・久大本線

・豊肥本線

 

府内中央口。2012年に全面高架化されました。

駅ビルは「JRおおいたシティ」と呼ばれており、JR九州系列のホテルや温泉施設、商業施設「アミュプラザ大分」が入居しています。

府内中央口入り口。

駅舎のデザインはJR九州ではお馴染みの水戸岡鋭治氏が担当しました。

レンガ風の壁や西洋風の時計、半円型の窓は一昔前のターミナル駅の駅舎を彷彿とさせます。

府内中央口前。かなり広い駅前広場が整備されています。

個人的に大分市は「思いのほか都会」というイメージです。

上野の森口。

昔大分駅の裏口はしょぼいとよくネタにされていましたが、もうそんな声を聞くことはないでしょう。

上野の森口前。

駅の広大な敷地によって街は南北に分断されていましたが、南側も再開発によって街が形成されています。

コンコース。内部は木材と白を基調としており、いかにも水戸岡デザインらしいです。

切符売り場。カウンター式のみどりの窓口が営業しています。

改札口。当然ながら自動改札機が設置されています。

改札前にある豊後にわさき市場。お土産屋や食料品店が入居しており、大分名物は一通りここで揃います。

駅ビルの屋上には「シティ屋上広場」と呼ばれる屋上庭園が整備されています。

「夢かなうぶんぶん堂」と呼ばれるお堂やミニ鉄道が走っていたりと、屋上にも小さな街が形成されています。

屋上には鉄道神社があり、柞原八幡宮のご分霊が祀られています。

鳥居の手前には仲見世通りもあります。

ホームは4面8線。

 

訪問日:2024/05/22