酒田駅

山形県酒田市の代表駅です。

酒田市は庄内地方を代表する港町で、北前船の寄港地となってからは東日本を代表する商業都市として栄えました。

現在も鶴岡市と並び、庄内地方を代表する都市として大きな存在感を放っています。

酒田駅は特急「いなほ」、臨時快速「海里」の他多くの普通列車が折り返す羽越本線屈指の主要駅となっており、駅の主要度は鶴岡よりも勝ります。

 

乗り入れ路線

・羽越本線

 

酒田駅の正面外観と駅前広場

駅舎。2階建ての主要駅らしい大きな駅舎です。

1960年に建築された駅舎ですが、2021年にリニューアルされたため見た目は綺麗です。

酒田駅前交流拠点施設ミライニと街並み

駅前。駅は市の中心部からは離れておりこれといって何もありません。

駅前には駅前再整備事業で建設された駅前交流拠点施設「ミライニ」があり、図書館や飲食店の他バスターミナル等が入居しています。

酒田駅の自動販売機と通路

駅舎内。テナントとして和菓子店「清川屋」が入居しており、お土産等が販売されています。

酒田駅の指定席券売機とポスター

切符売り場。みどりの窓口は封鎖されており、みどりの券売機が設置されています。

酒田駅の改札口と発車案内

改札口。自動改札機が設置されていますが、ICカードは利用できません。

酒田駅ホーム、山形県庄内地方の玄関口

ホームは2面4線。その内1線は切り欠きホームとなっています。

 

訪問日:2026/04/15

 

 

特急「しらゆき」の概要

特急「しらゆき」は新井・上越妙高から新潟を結ぶ特急列車です。

「しらゆき」の前身の前身は長野から新潟を結んでいた特急「みのり」でしたが、この「みのり」はわずか5年ほどで廃止され、新井から新潟の間で快速「くびき野」が運行を開始します。

 

快速「くびき野」は特急車両である485系を使用しており、停車駅も特急と殆ど変わらない超乗り得列車でした。

2015年3月に「くびき野」の特急格上げと、この年開業した北陸新幹線の上越妙高と新潟の各都市を結ぶ列車として特急「しらゆき」が運行を開始しました。

特急しらゆき、雪景色の中を走る。

▲北陸新幹線金沢延伸直前にリバイバル運転された特急「みのり」。

快速くびき野号、雪景色を走る列車

▲新潟各都市を結んでいた快速「くびき野」。

 

 

特急「しらゆき」の停車駅

特急「しらゆき」停車駅路線図特急しらゆき停車駅一覧

特急しらゆきは1日4往復運行されており、2往復が新井発着、もう2往復が上越妙高発着となっています。

また春日山駅には1往復ずつ停車します。

直江津から新潟までの停車駅は前身の快速「くびき野」とほとんど変化が無く、宮内に停まるか停まらないかの違いです。

 

 

特急「しらゆき」の使用車両

特急しらゆき E653系1100番台 白ベース塗装

特急「しらゆき」ではE653系1100番台が使用されています。

E653系は元々常磐線特急の「フレッシュひたち」で使用されていた車両で、4両編成の付属編成が種車となっています。

「しらゆき」ということで白をベースにした塗装となっており、日本海をイメージした紫と夕日をイメージした朱色のラインが加えられています。

 

 

 
 

 

特急「しらゆき」の車内とお勧め座席

特急しらゆき車両座席図

特急「しらゆき」は4両編成で運行されており、グリーン車は連結されていないモノクロス編成となっています。

JR東日本の特急列車では珍しく自由席が設定されており、多客時でなければ自由席でも十分座れると思います。

お勧めの座席は海が見えるCD席です。

特急いなほ E653系座席車内

普通座席の様子。デッキと扉を仕切る扉が1枚ガラスになっているのが特徴的です。

特急いなほ E653系座席特急いなほ E653系座席

座席はリクライニング、座席のスライドそれぞれにボタンが設けられた少し古いタイプのリクライニングシートです。

元々自由席主体の特急列車であった「フレッシュひたち」に使用されていた名残で、座席にはチケットホルダーが設置されています。

 

特急「しらゆき」の景色と見所紹介(上越妙高~新潟)

・上越妙高~直江津【冬の妙高連峰は上越地方屈指の絶景】

直江津まではえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインを走ります。

この区間は北陸新幹線が金沢まで延伸開業する前は信越本線の一部だったためか、単線の割にスピードを出しているなという印象でした。

 

この辺りの景色の見所はなんといっても妙高の山並みで、進行方向の左側に見ることができます。

冬の妙高連峰と田園風景

・直江津~柏崎【特急「しらゆき」一番の見所!日本海沿いを猛スピードで駆け抜ける】

直江津からJR東日本信越本線となるため、乗務員交代で直江津に数分間停車します。

かつて直江津は日本海縦貫線を代表する主要駅として、多くの優等列車が停車していましたが現在停車する定期優等列車はこの特急「しらゆき」のみです。

 

特急「しらゆき」の最高速度は120km/hと結構速く、直江津を過ぎてからは大体の区間で100km/h以上は出している印象でした。

快速列車の最高速度は100km/hに制限されているため、快速よりも所要時間が10分短縮されています。

 

柿崎を過ぎるといよいよ特急「しらゆき」屈指の絶景ポイントに差し掛かります。

高田平野と越後平野の間は急峻な山で阻まれており、信越本線は海岸線ギリギリに線路を敷いています。

そのため、列車からは日本海を間近に眺めることが出来ます。

曇り空の日本海と荒れた海岸日本海沿いの海岸線と青い海

 

写真だけ見ると海岸に立っているかのようです。

このような海岸線を走る場合列車は速度を落としがちですが、特急「しらゆき」はそこそこの速さで通過します。こんな体験は「しらゆき」でないとできないと思います。

また、この区間は昭和時代に改良が行われたようで、長いトンネルの脇には昔使用されていた古いトンネルを見ることが出来ます。

 

柿崎を過ぎて約10分経ち、鯨波駅を過ぎると海は見えなくなります。

この区間に特急「しらゆき」の魅力の8割が詰まっているといって良いでしょう。

・柏崎~新潟【広大な越後平野を猛スピードで駆け抜ける】

主要駅である柏崎から長岡までは山越え区間となります。

そこまで険しい山越えではありませんが、この区間だけまともに雪が残っていました。

 

次第に住宅が多くなり、宮内で上越線と合流すると長岡に到着します。

新潟県第2の都市の代表駅だけあり多くの乗り降りがありました。

 

長岡から終点新潟まではひたすら越後平野の中を突っ切っていきます。

日本屈指の米どころであるため、車窓には一面の田んぼが広がっています。

東北地方同様駅の無い所には田んぼしかありません。

広大な越後平野を走る特急しらゆき

 

新潟らしい光景なのですが、終点新潟手前までこんな感じの光景がずっと続きます。

越後平野の中を110km/hくらいのスピードでぶっ飛ばしながら終点新潟に到着します。

特急しらゆき E653系1100番台車両

 

車窓の動画はこちらから↓

 

 

 

 

 

総評

スピード感:★★★★

車窓   :★★★

お勧め度 :★★★

上越妙高から新潟まで所要時間は約2時間とそこまで長い距離を走りませんが、平坦な区間が多いため全体的にスピードを出していた印象です。ここは流石天下の信越本線といったところです。

車窓は柿崎から柏崎の海岸沿い区間は超絶景ですが、それ以外の区間は普通です。

特に長岡から先はずっと田んぼが続くため寝るかもしれません。

車内チャイムはひたちチャイムが採用されており、他の路線との乗換駅の発車後には鳴らしていました。

お勧めの座席は海側のCD席です。

 

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特急「ひたち」・「ときわ」の概要

・基本情報

  • 運行区間:品川~土浦・勝田・高萩・いわき・仙台
  • 所要時間:4時間30分(品川~仙台)
  • 運行本数:1日15往復(ひたち)、1日18往復(ときわ)
  • 使用車両:E657系
  • 座席種類:全車指定席(グリーン車有り)
  • 車内設備:コンセント有り、Wi-Fi有り
  • 車内販売:有り(ひたちのみ)

特急「ひたち」、「ときわ」は主に常磐線を走る特急列車です。

特急「ひたち」は品川からいわきまでを結ぶ列車が大半ですが、一部の列車は常磐線を全区間走破し仙台まで結んでいます。

特急「ときわ」は品川から土浦・勝田・高萩までを結ぶ列車で、茨城県内の主要な駅に停車しています。

2015年のダイヤ改正で車両がE657系に統一されたため、現在の運行形態となりました。

 

2015年以前は651系を使用した「スーパーひたち」とE653系を使用した「フレッシュひたち」で運行されていました。

「ひたち」の名前の由来は茨城県の旧国名「常陸」から、「ときわ」は茨城県と福島県を指す「常磐」の訓読みから来ています。

「ひたち」は福島まで乗り入れる一方、「ときわ」は茨城県内で完結するため、由来と実際の運行区間が逆転しています。

「ひたち」は1969年から運行されていますが、「ときわ」は1985年に一度消滅しています。

約30年ぶりに「ときわ」は復活したこととなります。

 

 

特急「ひたち」、「ときわ」の停車駅

特急ひたち・ときわ停車駅時刻表特急ひたち・ときわ停車駅路線図

※2024年現在 :ひたち ー:ときわ

「ひたち」、「ときわ」共に約1時間に1本の間隔で運行されており、停車パターンも多種多様です。

「ひたち」は上野から水戸までは基本ノンストップで走る一方、水戸から先はコンスタントに停車します。

仙台発着の「ひたち」は1日3往復走っており、所要時間は約4時間半です。

 

「ときわ」は茨城県民向けの列車となっており、「ひたち」が停車しない石岡、友部に全列車が停車します。

朝夕には通勤需要を拾うため龍ヶ崎市、牛久、ひたち野うしく、荒川沖、赤塚に停車します。

一部上野発着、土浦発着、高萩発着の列車も設定されています。

 

 

特急「ひたち」、「ときわ」の使用車両

・E657系(2012年~)

E657系特急ひたち・ときわ号

特急「ひたち」、「ときわ」にはE657系が使用されています。

E657系は2012年に常磐線特急用車両として導入され、2015年には全列車の置き換えが完了しました。

 

常磐線では最高速度130km/hの高速運転が行われますが、「フルアクティブ振動制御装置」(先頭車とグリーン車)が搭載されており、高速走行中の乗り心地向上に努めています。

 

先代の651系とE653系にはそれぞれ付属編成が用意され、利用客の少ない区間では付属編成のみでの運行も行われていましたが、E657系は全編成が10両編成となっています。

・651系(1989年~2020年)

E657系「ひたち・ときわ」号 いわき行き

651系は1989年にデビューした車両で、特急「スーパーひたち」に使用されていました。

在来線特急として初めて最高速度130km/h運転を実現した記念碑的車両であり、ボンネットに巨大なLED、ほぼ真っ白な外見のデザインも当時は衝撃を与え、JR東日本初のオリジナル特急型車両として華々しいデビューを飾りました。

 

当時は「タキシードボディのすごい奴」というキャッチコピーが与えられ、ビジネスマンをターゲットにした設備が充実しており、グリーン車ではBS放送が視聴でき、デッキにはカード式の公衆電話も設置されていました。

 

2020年に常磐線から撤退した後、直流電化専用車両に改造されたのち特急「草津」、「あかぎ」などに使用されていましたが、2023年に引退しました。

・E653系(1997年~2013年)

E657系「ひたち・ときわ」が駅に停車中

E653系は1997年にデビューした特急型車両で、特急「フレッシュひたち」に使用されていました。

651系導入後も残っていた485系を置き換えるために投入された車両で、全体的に尖った印象のある651系に対し、シンプルさやカジュアルさを前面に押し出したのがE653系です。

 

スピードを売りにしていた「スーパーひたち」に対し、「フレッシュひたち」は気軽に乗れる特急列車という立ち位置で運行されており、停車駅は多めに設定されグリーン車も連結されていませんでした。

さらに各車両には5色のカラーリングが割り振られており、カジュアルで親しみやすい印象も与えていました。

 

2013年に引退した後は、日本海側で活躍する特急「いなほ」、「しらゆき」に転用されたほか、K70編成とK71編成は現在も勝田車両センターに所属しており、臨時列車用の車両として現在も活躍しています。

 

 

特急「ひたち」の車内の様子とお勧め座席

特急ひたち・ときわ E657系車両編成図

E657系「ひたち・ときわ」の車内風景E657系「ひたち・ときわ」の座席

特急「ひたち」に使用されているE657系普通車の様子です。モケットは黒で纏められており、シックな印象を受けます。

 

リクライニングシートは最近の車両らしく少し薄めのクッションながら、人体力学に基づいた座り心地のいい座席となっています。

長時間座っていても疲れにくく、可動式の枕も設置されているので、長時間の移動でも快適に過ごせるでしょう。

 

全席にコンセントが設置されており、フリーWi-Fiも設置されているのでビジネスの利用にも最適です。

 

お勧めの座席は海側のAB席です。常磐線は海が見える区間は少ないですが、時折見える海は非常に綺麗なのでAB席を確保するべきです。

しかし太平洋側を走る列車の宿命ですが、日中は基本的に逆光となるのでそこは留意するべきです。

 

特急「ひたち」の景色と見所紹介

・上野~水戸【最高速度130km/hで水戸までの所要時間は70分!】

「ひたち」は全て品川発着ですが、上野東京ラインが開業する前は全て上野駅発着でした。

発着駅ではなくなった上野駅ですが、現在も「ひたち」は基本毎時ぴったしの時間で発車しており、かつて発着駅だった名残を感じさせます。

E657系特急ひたち・ときわ、常磐線

▲できれば地上ホームから乗車したかった。

 

しばらく東北本線らと並走した後、日暮里を過ぎて急カーブを曲がると常磐線に入ります。

「ひたち」はひたすら東に向かい、隅田川、荒川、中川、江戸川、利根川と川を渡り続けますが、川を渡るたびに建物が低くなり、田舎になっていくのが面白いです。

利根川を渡ると茨城県に入り畑など長閑な光景が広がるようになります。

橋と川、街並みが広がる景色

▲「葛飾ラプソディー」でお馴染みの中川を渡る。

 

景色は平坦ですが、とにかく速く景色がものすごいスピードで過ぎ去っていきます。

「ひたち」は上野から水戸まで基本ノンストップのため、ほぼ最高速度の120km/hをずっとキープしながら走り続けていました。

 

常磐線は東北本線に比べて地形が平坦なため、東北本線と共に東京と東北地方を結ぶルートとして重宝されていた時代があり、かつて上野から青森を結んでいた寝台特急「はくつる」が東北本線経由で運行されていたのに対し、「ゆうづる」は常磐線経由で運行されていました。

 

常磐線には取手から藤代の間に、直流と交流が切り替わるデッドセクションがあります。

茨城県内を走る鉄道路線はは石岡市に気象庁のの地磁気観測所がある関係で、基本的に直流電化をすることができません。

主要幹線である常磐線を非電化のままにしておくわけにはいかないため、関東地方の路線では珍しく交流電化されています。

 

「ひたち」はここを通過する際は電気の供給が途切れますが、予備電源が備わっているので車内灯は点いたままとなります。一方でモータ音や空調の音は途切れるので、そこでデッドセクションを体感しましょう。

 

猛スピードで茨城県内を爆走し、上野からわずか70分ほどで県庁所在地の水戸に到着します。

約110kmを70分で走り抜けるわけですから、「ひたち」がいかに速いかお判りいただけると思います。

常磐線E657系、田園風景と青空

・水戸~いわき【太平洋を見ながら勿来の関を越え東北地方へ】

水戸を過ぎると一気に停車駅が増えるため、さっきのような疾走感を味わうことはできませんが、最高速度は130km/hに設定されています。

水戸の隣、勝田は車両基地が併設される常磐線有数の主要駅です。

「ひたち」の半分以上の需要は水戸・勝田のため、かつては特急列車の増解結が行われていました。

 

日立を過ぎるとこれまでずっと山とは無縁だった常磐線も少し山がちな地形を走るようになります。

茨城県最北の駅である大津港を通過すると、太平洋を見ることができます。

ずっと海岸沿いを走っているイメージがある常磐線ですが、常磐線で海が見える区間はごくわずかです。

海辺の町と青い空

大津港と勿来の間の県境を越えると、東北地方に入り福島県に入ります。

勿来は東北三関の一つ「勿来の関」で有名ですが、勿来の関は詩に読まれているだけで実際どこにあったかは現在も特定されておらず、存在していなかったという説もありなんとも謎な存在です。

青い海と空、防波堤と車

▲勿来手前から望む太平洋。

 

勿来からはいわき市に入りますが、いわきまでほぼ各駅停車のような停まり方をします。

いわき市は勿来市(勿来駅周辺)、磐城市(泉駅周辺)、常磐市(湯本駅周辺)、内郷市(内郷駅周辺)、平市(いわき駅周辺)などの市町村が合併して誕生した巨大な市で、一つ一つの駅の規模が大きいため、「ひたち」も各駅に停車します。

 

各駅は山に阻まれており、駅と駅の間には必ずと言っていいほどトンネルがあります。

列車は泉、湯本と停車し、常磐線の一大主要駅であるいわきに到着します。

「ひたち」の大半の需要はいわきまでで、仙台行きの「ひたち」にはほとんど人が乗っていませんでした。

・いわき~仙台【震災から15年が経過した浜通りエリアの復興状況を望む】

先述した通り常磐線特急の需要の大半はいわきまでのため、いわきで特急列車の系統分離を行う計画がありました。

上野からの特急は全ていわき終着となり、いわきから仙台は別の特急列車を走らせる計画で列車名の公募も行われましたが、東日本大震災によって常磐線が寸断されたためこの計画は白紙になりました。

2020年に常磐線が全線復旧したと同時に「ひたち」はいわきで分断されることなく、3往復だけですが仙台行きが運行されるようになりました。

 

正直いわきから仙台に10両編成の特急列車を走らせるのは過剰としか言えませんが、東日本大震災さらには、福島第一原発事故で大打撃を受けた常磐線沿線地域の復興のシンボルとして走らせていると感じられます。

もちろん、全く需要が無いわけではなく震災復旧工事の関係者や、いわきから原ノ町、仙台へ向かう人に重宝されています。

 

四ツ倉を過ぎると再び太平洋が見えますが、広野を過ぎると太平洋はほとんど見えなくなります。

普段は穏やかな海ですが、東日本大震災の際には巨大な津波を引き起こし、甚大な被害を与えました。

この辺からは東日本大震災の爪痕を感じざるを得ない光景が続きます。

常磐線沿いの穏やかな海と青い空

▲四ツ倉周辺からの太平洋。

 

富岡から浪江は福島第一原発事故の放射能汚染の影響で、最後まで不通状態が続いた区間です。

富岡は津波によって流出したようで、駅は少し移設されたそうです。

駅の周りには一面更地が広がっており、津波の爪痕が感じられます。

鉄路と広がる原野、青い空

▲富岡駅周辺。一面の更地が広がっており、津波の痕跡は今も残っています。

 

大野から双葉の間は震災前複線化されていましたが、復旧時に単線化されました。

線路が敷いてあった敷地は道路に整備され、福島第一原発で何かあった時のための避難通路、修繕用通路として使用されています。

また、大野周辺は現在も帰宅困難区域に指定されている場所があり、震災後からずっと放置されているような民家などが見受けられました。

田園風景と送電線

▲この道路には元々線路が敷いてありました。奥の山の向こうに福島第一原発があります。

 

浪江を過ぎると福島第一原発の影響も小さくなり、かつて「スーパーひたち」の終着駅にもなっていた主要駅の原ノ町に到着します。

 

相馬から亘理までは津波の被害をもろに受けた区間で、駒ヶ嶺から亘理までは内陸に線路が移設されました。

この辺りも一面の更地が広がっており、津波の跡が色濃く残っていました。

 

岩沼を通過すると、約330kmぶりに東北本線と合流し終点の仙台に向かいます。

仙台に近づくにつれマンションや商業施設などが多くなり、広瀬川を渡ると仙台の中心部に入ります。

大きなカーブをゆっくり通過して終点仙台に到着します。

常磐線・新緑の田園風景と河川

▲広瀬川を渡り仙台の中心部へ。

 

車窓の動画はこちらから↓

 

 

 

 

総評

乗車時間: ★★★★★

スピード感:★★★★

車窓:   ★★★

 

東京から仙台まで約4時間半の長旅となりましたが、乗っていて退屈にはなりませんでした。

正直際立って景色のいい区間はありませんでしたが、とにかく速いので流れ去る車窓を眺めるだけでも十分楽しめます。

いわき以降は東日本大震災の影響をもろに受けた区間であり、現在もその爪痕はくっきりと残っています。

常磐線は全線復旧を果たしましたが、沿線の復旧はまだまだ道半ばといった印象でした。

この光景を見れば色々思うことはあると思います。

東京から仙台に行く場合新幹線なら1時間半程の所要時間ですが、この仙台行き「ひたち」の場合は約4時間半かかり、料金もそこまで安くはなりません。

しかし、これだけ新幹線網が発達した現代で4時間を超えるようなロングラン特急が残っていることは大変貴重です。

わざわざ「ひたち」で東京から仙台を目指すのは非常にコスパが悪いですが、新幹線では味わえない非常に価値のある体験ができます。

乗り鉄なら是非とも乗り通したいものです。

nosh(ナッシュ)

 

 

 

「中央特快」の概要

「中央特快」は東京から高尾を結ぶ特別快速です。一部の列車は山梨県の大月や河口湖まで乗り入れます。

中央快速線の全駅に停車する「快速」に対し「中央特快」はいくつかの駅を通過し、東京から高尾を約1時間ほどで結びます。

競合する京王線特急への対策として1967年に運行を開始しました。

 

 

「中央特快」の停車駅

中央特快停車駅の路線図

この項では中央快速線で運行されている各種別の列車の停車駅を紹介します。

なお全ての列車は立川から先の区間では各駅に停車します。

・「快速」

中央快速線で最も多く運行されている種別です。「快速」を名乗りながら平日は中央快速線の全駅に停車します。

高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪の「杉並三駅」は当初快速線のホームを設置する予定はありませんでしたが、地元商店街などからの要望により平日に限り停車します。

 

・「中央特快」

中野から先は三鷹、国分寺、立川に停車します。

立川から先青梅に乗り入れる「青梅特快」も運行されており、中央快速線内の停車駅は全く同じです。

 

・「通勤快速」

平日の夕方下りのみ運行されています。

「中央特快」の停車駅に荻窪と吉祥寺が加えられています。

 

・「通勤特快」

平日の朝上りのみ運行されています。

国分寺を発車すると中野まで停まりません。

 

 

「中央特快」の使用車両

E233系中央線、大月駅にて

「中央特快」含め中央快速線で運行されている全ての列車にE233系0番台が使用されています。

E233系は201系の置き換えを目的に、2006年から運行を開始しました。

 

フルカラーLEDによる行き先表示器や車内ディスプレイの設置など、2010年代以降に製造されるの通勤型車両の基礎を築いた車両と言えます。

 

E233系は中央快速線系統の他首都圏近郊の各路線にも投入され、今や首都圏最大勢力を誇る車両となっています。

0番台には2024年からグリーン車が追加され、中央快速線では12両編成で運行されています。

 

 

 

「中央特快」グリーン車の様子とお勧めの座席

中央線快速では2024年からグリーン車サービスが開始し、2階建てグリーン車が連結されました。

中央線E233系グリーン車 interior中央特快グリーン車座席

グリーン車の様子。

グリーン車の設備はE235系に準じており、車内Wi-Fiと全席にコンセントが備わっています。

 

日本屈指の混雑路線である中央線を走るため、乗降口には両開き扉が採用されており、東京駅でのスムーズな折り返しを実現するため、自動回転式のリクライニングシートも備えています。

 

お勧めの座席は展望性を考慮すると2階席ですが、車端部にある平屋席もちょっとした個室感があるのでお勧めです。

また1階席も眺望性は劣りますが、地面に近い分中央特快のスピード感を味わえるので、見方を変えれば結構楽しめます。

 

中央特快の景色と見所紹介(大月~東京)

・大月~高尾【難所「小仏峠」を抜けて東京都へ】

大月を出た列車は桂川が作り出した渓谷に沿って走ります。

この辺りは中央本線の他国道20号線、中央自動車道が並走する交通の要衝となっており、特に対岸に建設された中央自動車道の赤い橋梁は見事です。

山岳地帯を走る中央線、赤い橋梁の風景

猿橋を出発すると長い猿橋トンネルをくぐり、巨大な鳥沢橋梁で集落ごと桂川を越えます。

この区間は1968年に付け替えられた区間で、従来の線路は国道20号線に沿うように敷かれており、車内から猿橋も見えたようです。

中央線沿線の秋の田園風景と山々

鳥沢を出発するとより山深い渓谷の中を進み梁川、四方津と停車します。

久しぶりに開けた土地が見えると上野原に到着します。

上野原市の代表駅ですが、上野原市の市街地は駅の北側にある河岸段丘の上にあるため、そのため駅周辺にそこまで大きな街は広がっていません。

中央特快と山並みの風景

上野原を発車するとすぐに県境を越え神奈川県に入ります。

川が県境を成しているようですが、川の名前はよくわかりません。

緑に覆われた山と線路の橋

神奈川県に入っても景色の雰囲気はそこまで変わらないため、神奈川県に入ったという実感はあまりありません。

相模川に沿って進むと小仏峠の下を越える小仏トンネルを潜り、東京都に入ります。

東京都に入ってもしばらくは深い山の中を走ります。首都圏普通列車のグリーン車でここまで山深い景色を楽しめるのは中央線快速だけでしょう。

この辺りは裏高尾とも呼ばれており、釣り堀や八王子ジャンクションがこの辺りの景色の見どころです。

中央特快、大月~高尾の車窓風景

京王高尾線の高架が見えてくると高尾に到着します。

高尾線KEIOの踏切を渡る車

・高尾~新宿【実は日本で2番目に長い直線区間】

高尾は運行上の主要駅で、一般的に当駅から東を「中央線」、西を「中央本線」と案内されます。

実際当駅を過ぎると景色の雰囲気は一変し、東京郊外の通勤路線の雰囲気が強くなります。

 

駅周辺には住宅街が広がるようになり、多摩地方の一大主要駅である八王子に到着します。

八王子を発車して浅川を越えると沿線には畑などが目立つようになり、少し長閑な雰囲気が漂います。

 

豊田の手前では豊田車両センターを見ることができます。

豊田車両センターは中央線系統で使用されているE233系0番台全編成が所属する大規模な車両基地で、広大な車両基地には大量のE233系が留置されていました。

E233系中央線快速車両が並ぶ豊田車両センター

日野に到着する手前には少し広い鉄道用地が見えます。これはかつての日野駅の跡地で、中央線複線化に伴い現在の位置に移転しました。

現在は鉄道総合技術研究所の実験場として活用されています。

中央線沿いの緑のシートと建物

日野を出発し多摩川を渡ると立川に到着します。

中央特快沿線の川と住宅地

立川は多摩地方随一のターミナル駅で、東京都区外の都内の駅では最多の利用客数を誇ります。

大月から立川まで全駅に停車してきた「中央特快」ですが、いよいよここからいくつかの駅を通過する快速運転を行います。

 

立川から三鷹までは高架化されており、少し高い位置から関東平野西部の様子を眺めることができます。

絶え間なく家やマンションなどが建ち続ける光景は圧巻です。

住宅街の屋根と青空

中央線区間で最も速い速度で走るのは特急列車ではなく「中央特快」と呼ばれており、快調に飛ばしていくかと思われましたが、特急列車の遅れにより前の列車が詰まっていた関係であまりスピードは出しませんでした。

 

中央線はよく遅れることで知られていますが、5分に1本は通勤列車が通るうえ、更に30分に1本のペース(土休日にはこれに加え臨時列車が運行される)特急列車が走る路線はそうそう無いため、遅れが多いのも仕方ないのかもしれません。

 

また立川から東中野までの約13.1kmは分岐などを除けば直線区間となっており、日本で2番目に長い直線区間となっています。

これだけ長い直線路線を建設できるという事は当時の中央線沿線に何もなかったということですが、現在は御覧の通り東京のベッドタウンとして目覚ましい発展を遂げています。

 

立川を発車すると国立、西国分寺を通過して国分寺に停車します。

国分寺は全ての快速列車が停車する主要駅で、かなり多くの乗降があります。

 

国分寺の次の停車駅は三鷹です。三鷹からは複々線化されており、一般に「総武線」と呼ばれる中央・総武緩行線と並走します。

 

東京都区外有数の繁華街が広がる吉祥寺を通過すると杉並区に入ります。杉並区内には4つの駅がありますが「中央特快」は全て通過します。

 

中野を出発すると住宅街の奥に新宿の高層ビル群を見ることができ、中央線でも有数の絶景区間でしょう。

東京都心高層ビル群と住宅街の風景

この景色が見えると中央線は大きなカーブを描き巨大ターミナル駅、新宿に到着します。

新宿のビル群と線路敷き

・新宿~東京【東京都心のど真ん中をグリーン車2階席から眺める】

新宿から東京は中央快速線でもっとも景色の見応えがある区間と言えます。

なぜならこの区間は東京都内で、唯一山手線の内側の地上を走る鉄道路線だからです。

新宿の南口には高島屋タイムズスクエアがありますが、これは新宿貨物駅の跡地を活用したものです。

中央線E233系電車の走行風景

代々木で山手線と別れ東に進むと進行方向の左側に広大な林が見えますが、これは新宿御苑です。

元々内藤家の庭園として整備され、皇室の庭園となったのち国民公園として開放されました。

 

進行方向の右側には国立競技場や神宮外苑、赤坂御用地があり御所トンネルを抜けると四ツ谷に停車します。

四ツ谷を過ぎ市ヶ谷に近づくと江戸城の外堀に沿って進みます。

 

中央線が都心のど真ん中の地上に線路を敷けたのも、この外堀を活用することができた為です。

桜の木も植えられており、春には桜の名所としても知られています。

高層ビル群と川沿いの街並み

飯田橋を過ぎると神田川に沿って進みます。山間部では川に沿って線路が建設されることがよくありますが、ここまでの大都会で川に沿って線路が敷かれているのは非常に珍しいと思います。

水道橋付近では駅名の由来となっている水道橋と東京ドームシティを見ることができます。

中央特快から見える新宿の街並み

中央線と総武線の線路の位置が入れ替わり、順天堂大学病院や東京医科歯科大学病院が見えると御茶ノ水に到着します。

現在御茶ノ水は大規模な再開発が行われており、神田川の上には巨大な足場が組まれています。

建設現場のトラックとクレーン

御茶ノ水を出発して聖橋の下をくぐると、東京メトロ丸ノ内線が一瞬だけ地上に顔を出す区間が見られます。

この辺りは江戸時代に本郷台地を開削したため、深い谷のような地形をしています。

中央線特快、トンネルと高架線路

神田川沿いには近代的なビルを背景に、昭和時代に建設されたであろう古い建物が連なっています。

どの建物も神田川に背を向けているのは、当時神田川があまりにも汚かったためと言われています。

ビル群と古い建物が並ぶ街並み

しばらくすると総武線とオーバークロスして中央線は神田、総武線は秋葉原へ向かいます。

中央線と総武線の高架に挟まれるように架かっているのが昌平橋です。

かつてこの辺りに昌平橋駅という駅がありましたが、万世橋駅開業に伴い廃止されました。

緑の橋と都会のビル群

昌平橋を過ぎると留置線が敷かれているのが見えますが、これは万世橋駅の跡地です。

万世橋駅は東京駅が開業する前の中央線の起点ターミナル駅として開業しました。

開業時の駅舎は東京駅丸の内駅舎を設計した辰野金吾氏によって手掛けられ、大層立派な駅舎だったようですが関東大震災で焼失してしまいました。

その後東京駅が開業すると利用客が減少したため1943年に廃止されました。

万世橋駅跡地には交通博物館が建設され、イベントが催される時にはこの留置線に珍しい車両が展示されることもあったようですが、その交通博物館も2006年に閉鎖されました。

現在は「マチエキュート神田万世橋」という商業施設に活用されています。

中央線沿線のビル群と作業用トラック

都道302号線靖国通りをオーバーパスする時には東北本線や東北新幹線の線路を見ることができます。

奥に見える急な坂は上野東京ラインの線路で、勾配が急なため神田峠とも呼ばれています。

中央特快の街並みと高架線

これが見えると東北本線と合流し神田に到着します。

神田を出発すると急な坂を使って3階の高さまで登ります。

中央線の東京駅ホームだけ3階にあるのは、北陸新幹線のホームを建設する時に用地が足りなくなったため、現在の3、4番線の上に中央線ホームを増設したためです。

東京駅に停車する新幹線や在来線の列車を眺めながら東京に到着します。

高層ビル群と電車が並ぶ東京駅

 

 

 

 

  喜多方駅

福島県喜多方市の代表駅です。

喜多方市は会津地方第2の都市であり、主要な街道が交差する陸路の結節点であるため商業の街として発展しました。

商品や家財の保管場所として多くの蔵が建設されたことから「蔵の街」として有名な他、人口当たりのラーメン店が多く「ラーメンの街」としても知られており、「喜多方ラーメン」は日本のご当地ラーメンの中でもトップクラスの知名度を誇ります。

 

喜多方駅は磐越西線の主要駅の一つで、特に会津若松と当駅の間は多くの利用客で賑わっています。

また電化区間の北端となっていますが、会津若松で運行系統が分題されている関係で電車が乗り入れることは無くなり、実質非電化区間となってます。

 

乗り入れ路線

・磐越西線

 

喜多方駅 蔵の街デザインの福島県代表駅

駅舎。平屋建ての大きな駅舎です。「蔵の街」をイメージしたデザインにリニューアルされています。

喜多方駅前広場:蔵の街とラーメンの街

駅前。街の中心部からは離れており、蔵街も若干離れた所にあります。

またラーメン店も意外と少なく、駅近でラーメンを食べるには少し苦労するかもしれません。

喜多方駅のラーメン歓迎装飾と駅構内

駅舎内。駅舎の外観とは裏腹に、中ではラーメンをアピールしまくっています。

喜多方駅舎内の案内表示と券売機

切符売り場。近距離切符用の券売機が設置されています。

喜多方駅の窓口と構内案内表示

改札口。指定券券売機は設置されていませんが、みどりの窓口が営業しています。

喜多方駅のプラットフォームと線路

ホームは2面3線。架線柱は残っていますが、架線は撤去されています。

 

訪問日:2026/04/14

 

 

快速「最上川」の概要

快速「最上川」は酒田・余目から羽越本線、陸羽西線を経由して新庄を結ぶ快速列車です。

その前身は仙台・米沢から酒田を結んでいた急行「月山」にまで遡ることができ、快速に格下げされた後は無名称だった時代もありましたが、1999年に山形新幹線が新庄まで延伸された際に、「最上川」の愛称が与えられ現在に至ります。

快速格下げ後もその走りっぷりは急行時代と殆ど変わりなく、東北地方を代表する俊足列車としてその名を馳せています。

 

 

快速「最上川」の停車駅

快速「最上川」停車駅路線図

快速「最上川」は現在1日1往復運行されています。下り列車は夜に運行されるうえ、全列車通過駅となっている高屋と羽前前波と羽越本線内の駅以外に全て停車するため実質各駅停車となっている一方、上り列車は昼間に運行され、途中停車駅は狩川と古口のわずか2つであるため、走りっぷりや景色を堪能するなら上り列車一択です。

 

快速「最上川」の使用車両

快速「最上川」 キハ110系200番台

快速「最上川」にはキハ110系200番台が使用されています。

キハ110系はJR東日本が1990年から投入した一般型気動車で、JR東日本管内の非電化ローカル線のサービス向上のために導入されました。

電車並みの走行性能と、冷房を標準装備した快適な内装を備えており、JR東日本各地の非電化路線で活躍しています。

 

陸羽西線、陸羽東線で使用されている車両はキハ110系最終増備車で、オリジナルの塗装が施されています。

陸羽西線は「奥の細道最上川ライン」、陸羽東線は「奥の細道湯けむりライン」の愛称がそれぞれ付いているため、前面には「奥の細道」のロゴが描かれています。

 

 

快速「最上川」の車内の様子とお勧め座席

※写真は小海線で使用されているキハ110系100番台の内装ですが、快速「最上川」で使用されているキハ110系200番台とほとんど同じなのでご了承ください。

快速「最上川」 キハ110系 車内

キハ110系200番台の車内はロングシートとボックスシートを合わせたセミクロスシートとなっています。

ボックスシートは片側が2人掛け、もう一方が4人掛けとなっており、後のJR東日本の一般型気動車のスタンダードな座席配置となっています。

キハ110系200番台のセミクロスシートキハ110系200番台の座席と車内

ボックスシートの様子。最近の車両とは違い重厚感のあるボックスシートが設置されています。クッションも分厚くて柔らかいので乗り心地は非常にいいです。

ブラインドも布カーテンとなっており、普通列車用の車両としてはかなり豪華な設備だと思います。

 

キハ110系運転席横のスペース

快速「最上川」のお勧め座席(スペース)はボックスシートでもロングシートでもなく、列車最後部の運転席横のスペースです。

快速「最上川」はワンマン運転のため、運転室が半室構造のキハ110系はワンマン運転を行う場合、運転席横のスペースが解放されます。

貫通扉の後ろに立てば後ろに流れ去る景色を間近に見ることができ、猛スピードで爆走する快速「最上川」の迫力ある光景を堪能することができます。

まるで気分は一等車の展望デッキですが、助手席側のスペースは立ち入り禁止となっているので、ここは注意が必要です。

 

快速「最上川」の景色と見所紹介

・余目~狩川【庄内平野を猛スピードで爆走】

快速「最上川」が走る陸羽西線は今でこそ超ローカル線というイメージが付いていますが、元々は山形県で最も重要な鉄道路線として建設されたため、ローカル線としては異常ともいえるほどハイスペックな規格の線路が敷かれており、その線路の上を猛スピードで爆走するのが快速「最上川」最大の魅力となっています。

 

快速「最上川」は余目で羽越本線から分岐した後、庄内平野に敷かれた真っすぐな線路を突き進みます。

陸羽西線は庄内地方で最初に開通した鉄道路線であり、余目から酒田も元々は陸羽西線の一部として開通しました。

車窓からは庄内平野のシンボルである鳥海山がよく見えます。

快速「最上川」の沿線風景、線路と田畑月山と田園風景

上りの快速「最上川」は非常に停車駅が少なく、余目の次の駅である南野は通過します。

猛スピードで駅を通過する光景は見ていてとても爽快です。

南野駅の風景と線路

陸羽西線の最高速度は95km/hとなっており、狩川まではひたすら真っすぐな線路が続いているため、快速「最上川」はほぼトップスピードで走り続けます。

羽越本線の普通列車よりも圧倒的に速く、そこら辺の下手な特急列車よりも速いかもしれません。

陸羽西線、最上川ラインの単線線路

快速「最上川」の2つしかない途中停車駅の一つ、狩川は旧立川町の中心駅で昔は列車すれ違いが可能な島式ホームの駅だったようです。

旧立川町は「清川だし」と呼ばれる強風が吹き荒れるエリアで、農作物に影響を与える悪風として町民の悩みの種となっていましたが、現在はその強風を風力発電に活かしており、狩川周辺には風力発電用の風車が建っています。

狩川駅と桜、線路の風景

・狩川~古口【松尾芭蕉も驚愕!?最上川沿いを猛スピードで爆走】

清川を通過して少し長いトンネルを抜けると、陸羽西線は最上川の渓谷に沿って走ります。

最上川は河口部に設けられた酒田の港と、山形県の内陸部を結ぶ物流の大動脈として活躍していました。

明治の時代になり最上川水運を鉄道に置き換えるため建設されたのが陸羽西線であり、当時は山形県で最も主要な鉄道路線という立ち位置だった目、開業時期が早く非常に恵まれた線形で建設されました。

 

陸羽西線の殆どのトンネルは煉瓦で作られており、歴史の長さを感じさせます。

100年前の土木技術ではなるべくトンネルを掘らないように、地形に沿って線路を建設するのが一般的ですが、陸羽西線は贅沢にいくつものトンネルが掘られているため、渓谷沿いでも猛スピードで爆走することが可能となっています。

陸羽西線の線路を使って、山形新幹線を庄内地方へ延伸する計画が本気で検討されていましたが、それも納得の線形であり、本線並みの待遇で線路が建設されていることが分かります。

列車がトンネルへ進入する様子最上川沿いを走る磐西線、キハ110系

線路の横には国道47号線が通っていますが、快速「最上川」にはどんな車も敵わないでしょう。

陸羽西線には「奥の細道最上川ライン」という愛称が付けられており、最上川沿いを走るのどかなローカル線というイメージが付きがちですが、実際にはとんでもない速度で最上川沿いを爆走する路線であり、そのギャップこそ陸羽西線最大の魅力でしょう。

最上川沿いの渓谷と森林

清川と古口の間には高屋駅がありますが、この駅は2026年限りで全列車通過扱いとなっており、いずれは廃止となるでしょう。

・古口~新庄【最上川から離れ月山を背景に猛スピードで爆走】

古口は戸沢村の中心駅で、陸羽西線で唯一の列車交換可能駅となっています。

駅の近くにはコンビニもあり、陸羽西線沿線としては比較的都会な光景を見ることができます。

列車から見た陸羽西線、家と山並み快速最上川、庄内平野を疾走

陸羽西線は第一最上川橋梁を渡って最上川を渡ります。「第一」と名づけられている通り最上川に架けられた最初の鉄道橋で、第二最上川橋梁は羽越本線の北余目から砂越の間で最上川を渡る鉄橋に名づけられています。

第一最上川橋梁を渡る快速「最上川」

津谷を通過すると周囲の景色が開け、進行方向の後方には出羽山地が広がる光景を見えることができます。

とくに有名な山は出羽三山の一つとして古くから信仰の対象とされていた月山であり、四月中旬でも大量の雪を被っており非常に綺麗でした。

快速「最上川」 津谷駅の田園風景快速最上川、雪山と田園風景の線路

津谷と升形の間にある羽前前波も、高屋同様2026年から全列車通過扱いとなっています。

羽前前波駅、キハ110系、田園風景

新庄の手前で陸羽西線は奥羽本線の線路と並走します。

新庄は4方向に路線が伸びる交通の要衝で、駅の構内はレンガ造りの車庫が現役で活躍しています。

駅に停車する快速「最上川」のキハ110系駅構内の様子と信号機

 

総評

・車窓:   ★★★★

・スピード感:★★★★★

・お勧め度 :★★★★★

恐らくJR東日本で最も速い気動車列車と言っても過言ではないかもしれません。

最高速度は95km/hであり、制限速度区間も70km/hや80km/hなど高めに設定されているため、最初から最後までずっと速いという印象でした。

 

キハ110系の走りっぷりも素晴らしく、速度を上げるために排気ガスを巻き上げる姿が印象的でした。

唯一の欠点は乗車時間があまりにも短いという点でしょう。陸羽西線は利用客が少なくJR東日本屈指の赤字路線となっており、つい最近長期間運休から復活したとはいえその将来性は不安視されています。

まだそこまで注目をされていない間に乗っておくことをお勧めします。

 

 

 

 

磐越西線の概要

・基本情報

  • 路線区間:郡山~新津
  • 営業距離:175.6km
  • 管轄会社:JR東日本
磐越西線は福島県の郡山から会津若松、喜多方などを経由して新潟県の新津を結ぶ路線です。
会津若松を境に南は電化区間、北は非電化区間となっており、南部は郡山と会津地方を結ぶ通勤通学路線という側面を持つ一方、北部は「森と水とロマンの鉄道」という愛称が付けられており、SL列車が運行されるなど観光路線という側面が強くなっています。
 
今でこそ全区間に渡りローカル線の雰囲気が強い路線ですが、上越線が開通する前は東京と新潟を結ぶ主要ルートの一角を担っていたこともあり、国鉄再建法に基づく区分では幹線路線に指定されています。
磐越西線路線図:郡山~新津

 

磐越西線の使用車両

・E721系0番台

E721系0番台電車 磐越西線 郡山〜会津若松
E721系はJR東日本が2006年から導入した、東北地方向けの交流一般型電車です。
当系列の導入により455系などの急行型国鉄車両が置き換えられ、東北地方で使用される普通列車用電車は全てJR車両に統一されました。
磐越西線の郡山から会津若松で運行されている快速「あいづ」に使用される際にはリクライニングシート区画を設けた車両が連結されることがあり、指定席として販売されています。

・キハ110系

磐越西線 キハ110系とGV-E400系
キハ110系は1990年から投入された一般型気動車で、JR東日本管内各地の非電化路線で使用されています。
電車並みの走行性能や山岳地帯にも対応しうるパワーを有しており、車内には冷房装置を標準で装備するなど非電化ローカル線のサービス向上に大きく貢献しました。
前面デザインも気動車としてはスタイリッシュに纏められており、以降のJR東日本で製造される一般型気動車の標準的なデザインとなっています。
磐越西線では会津若松から新津までの非電化区間で使用されており、主に2両編成で運行されています。

・GV-E400系

GV-E400系気動車、磐越西線で運行
GV-E400系は2019年から投入された一般型気動車で、当系列の投入により新潟地区で使用されていたキハ40系列が置き換えられました。
ディーゼルエンジンで発電した電気でモータを回して走るディーゼル・エレクトリック方式を採用しており、GVは「Generating Vehicle」を表しています。
ハイブリット式気動車とは違い蓄電池を省略しているため、メンテナンスコストと初期導入費を削減することに成功しています。

 

磐越西線の景色と見所の紹介

今回は郡山から会津若松までは臨時特急列車「あかべこ」号で移動し、会津若松から新津までは普通列車で移動しました。

特急「あかべこ」は福島デスティネーションキャンペーンの一環で運行されている臨時列車で、使用車両はキハ110系0番台でした。

これにより郡山から新津まで磐越西線全線をキハ110系で乗り通すことが可能となりました。

磐越西線キハ110系0番台特急あかべこ号キハ110系0番台 特急「あかべこ」号

キハ110系0番台は急行用車両として製造された車両で、主に普通列車に使用されているキハ110系でありながら、リクライニングシートが設置されているのが特徴で、2000年代前半までは急行列車に使用されていました。

急行が廃止されたあとは釜石線を走る快速「はまゆり」等に使用されていましたが、釜石線で使用される車両が全てHB-E200系に統一されたため、今回福島デスティネーションキャンペーンの臨時列車用車両に抜擢されました。

 

キハ110系0番台といえばパイプスカートが特徴的ですが、今回は特急運用という事で「特急」幕が表示されており、より一層カッコよく見えました。

キハ110系車内の様子キハ110系0番台の車内座席

キハ110系0番台の車内の様子。

特急「あかべこ」は一部の平日を中心に運行される臨時列車ですが、ほぼ満席の状態となっていました。

キハ110系0番台の車端部にはボックスシートが設置されていますが、全席指定席として運行されているため販売されておらず、使用禁止となっていました。

・郡山~猪苗代【郡山盆地から山を越え猪苗代へ】

郡山は東西南北に路線が伸びる交通の要衝であり、県内一の利用客数を誇る一大ターミナル駅です。
駅構内の敷地は非常に広く、昔ながらのターミナル駅の雰囲気が現在も色濃く残っています。
磐越西線 E721系 電車が停車する駅
郡山を出発してしばらくは郡山盆地を走ります。
今でこそ広大な田畑が広がる郡山盆地ですが、阿武隈川等大きな川から水を引くことができなかったため、長い間不毛の地として放置されていましたが、明治時代に日本初の国策事業である「安積疎水」によって猪苗代湖の水が郡山盆地に引かれるようになると、郡山盆地は県内屈指の農業地帯、工業地帯として発展しました。
 
郡山市も元々は街道沿いの小さな宿場町でしたが、安積疏水の灌漑により街が発展し、いつしか福島県内一の経済都市になるまで成長しました。
郡山盆地は不毛の地から開拓されて人が住むようになった北海道のような歴史を歩んでおり、郡山市も片田舎の街から県を代表する都市に発展した極めて稀有な例と言えます。
田畑と送電線、遠くの山並み
郡山盆地の西端にあるのが磐梯熱海です。磐梯熱海は県内を代表する温泉地の一つで、奥州征伐後にこの地域の領主となった源頼朝の家臣が故郷の伊豆の地名にちなんで、「熱海」と名づけたと言われています。
磐越西線沿いの温泉街と駐車場
磐梯熱海を出発すると、磐越西線は会津盆地を目指して山越え区間に入ります。
郡山と会津の間に聳える中山峠の途中にある中山宿駅は元々はスイッチバック駅で、本線から外れた場所にホームが設けられていました。
現在の場所に中山宿駅が移転すると、スイッチバックの中山宿駅は廃止されしばらく放置されていましたが、2015年から旧ホームの整備が行われ誰でも立ち入り可能となっています。
ホームの周辺には桜の木が植えられており、綺麗な花を咲かせていました。
旧中山宿駅のスイッチバック線路と桜 磐越西線 満開の桜と山並み
中山峠を越えると、磐越西線は猪苗代湖の湖畔を掠めるように走ります。
日本で4番目の大きさを誇る巨大な湖ですが、磐越西線の車窓からはほとんど見ることができません。
磐越西線沿いの田園風景と山々
代わりに進行方向の右手に目をやると、会津地方のシンボルである磐梯山を見ることができます。
磐梯山は活火山であり1888年には大噴火を起こし、山体崩壊村が丸ごと土砂に埋まるといった被害もありましたが、見た目の綺麗さや豊かな湧き水を盆地に提供することから会津では「宝の山」と呼ばれており、古くから会津の人々に親しまれています。
磐越西線から見える磐梯山は「表磐梯」と呼ばれており、独立峰らしい優美な姿を見せてくれます。
猪苗代駅周辺は扇状地となっており周囲が開けているため、特に磐梯山が美しく見えます。
磐越西線と磐梯山、広がる田園風景

・猪苗代~会津若松【のたうち回る線路を越えて会津の中心部へ】

猪苗代駅周辺の平地を過ぎると、磐越西線は会津盆地の中心部へ向けて再び山を越えます。
翁島から広田にかけては右へ左へのたうち回るように線路が敷かれていますが、これは磐梯山の山体崩壊により膨大な土砂が流出した結果、ぼこぼこと小さな丘(流れ山)が乱立する非常に複雑な地形が形成されました。
 
さらに猪苗代と会津若松の間には大きな高低差があるため、流れ山を避けて勾配を緩和した結果、のたうち回るような線形となりました。北海道駒ヶ岳周辺の函館本線も同じような線形をしていますが、これも駒ヶ岳の火山活動により複雑な地形が形成された結果です。
 
急カーブが連続している様子は、磐梯山を見れば感じることができ進行方向右側の後ろ側に見えると思えば、すぐ手前に山が移り、さらに進行方向の左側に見えるようになるなど見ていて飽きません。
磐越西線、耕作地と山並み 磐梯山と田畑が広がる田園風景
急カーブ区間の途中には少しだけ開けた土地があり、ここに磐梯町駅があります。
さらに会津盆地が近づくと、雪をかぶった飯豊山脈を見ることができます。飯豊山脈は東北のアルプスとも呼ばれている山地で、一年の内半分近くは雪を被っています。
飯豊山脈と磐梯山が右へ左へ移り変わる様子を見ながら、磐越西線は会津若松へ向かいます。
磐越西線 鉄塔と雪山のある田園風景
広田あたりになるとようやく急カーブが連続する区間も終わり、会津盆地の中心部に向かっていきます。
広大な会津盆地を突き進み、扇形庫が見えると会津若松に到着します。
磐越西線 郡山盆地の田園風景と遠景 磐越西線 車両基地と線路

・会津若松~喜多方【磐越西線の真骨頂!?気動車が会津盆地を爆走】

会津若松駅は磐越西線の他に新潟県の魚沼から乗り入れる只見線、会津地方の南部から会津鉄道が乗り入れており、東武鉄道と野岩鉄道を乗り継げば東京から在来線だけでアクセスできます。
多くの路線が乗り入れる会津若松駅は会津地方の一大交通ターミナルであり、駅がある会津若松市も11万人の人口を擁する会津地方の中心都市となっています。
 
会津若松駅は磐越西線的には中間駅ですが、ここから喜多方・新津方面へ向かうにはスイッチバックをする構造となっているため、定期列車は全て当駅で折り返します。磐越西線は喜多方まで電化されていましたが、運行系統が会津若松駅で完全に分断された結果、会津若松より北に電車が乗り入れることが無くなったため、架線が撤去され非電化区間となりました。
そのため会津若松より北ではキハ110系とGV-E400系が活躍しています。
会津地方の第1と第2の都市である会津若松と喜多方の区間は利用客が非常に多く、乗車当日は平日の昼間にも関わらずほぼ満員でした。
この区間は盆地の中に真っすぐな線路が敷かれているため、普通列車でも最高速度90km/h近い速度でぶっ飛ばします。
磐越西線、田園風景と集落
会津若松と喜多方の間には堂島、笈川、塩川、姥堂、会津豊川という駅がありますが、この内全ての列車が停まるのは塩川のみで、大半の列車は普通列車を名乗りながら塩川以外の駅を通過します。
かつて会津若松と喜多方の間ではバスが走っており、これに対抗するため小さな駅が作られましたが、利用客が少ないため朝夕以外の列車は猛スピードで通過しています。
磐越西線 笈川駅の看板と駅舎
日橋川を越えて喜多方市に入ると、会津若松と喜多方の間で唯一全列車が停車する塩川に到着します。
川を渡るとき、進行方向の左側手前には飯豊山脈がよく見えます。
塩川は阿賀川水運の拠点として発展した町で、船で塩を運んでいたことから「塩川」という地名が付いたとされています。
桜並木と小川、田園風景 磐越西線 飯豊山脈と秋の風景
磐越西線の普通列車は並走する一般道を走る自動車をごぼう抜きしながら走っており、高規格自動車専用道路として整備されている会津縦貫北道路を走る自動車ともいい勝負をしています。
 
会津若松から喜多方まで自動車なら30分近くかかる所を、磐越西線の普通列車は最短15分強で結んでおり、基本的に自動車社会の地方において、磐越西線は自動車に対する一定のアドバンテージを体現しています。
磐越西線 郡山盆地の田畑と空

・喜多方~新津【阿賀川の渓谷を進み越後平野へ】

喜多方は主要な街道が交差する陸上交通の要衝であり、会津地方を代表する商業都市として発展しました。
「ラーメンの街」としてのイメージが強いですが、商売に使う道具や売り物等を火事から守るための蔵が何棟も建設されたため、「蔵の街」としても有名です。
 
喜多方からは一気に利用客が減るため、キハ110系の最後部の運転席横スペースを占拠することができました。
キハ110系の運転席は半室構造となっており、ワンマン運転が行われる際には運転席横のスペースが解放されます。
貫通扉のすぐ真後ろで流れ去る景色を見ることができるため、戦前の一等車の展望テラスに立っているかのような体験ができます。
キハ110系運転席から見る磐越西線の風景 キハ110系車内、運転席横の展望スペース
喜多方を出発すると磐越西線は会津盆地を抜けるため、再び山越えをすることになりこの山越え区間は新潟県の馬下辺りまで続きます。
カーブを描いて勾配を登るときには、進行方向の左側に会津盆地の街並みを見ることができます。
磐越西線、住宅地と田園風景、遠景に山々 磐越西線、田園風景と山々
喜多方以北は山越え区間となるため、線形はよくありませんが基本的には60km/hほどのスピードで走っており、出せる区間では80km/h近いスピードで走っており、SLばんえつ物語は味わえないスピード感を体験できました。
 
山都の手前で阿賀川の支流である一ノ戸川を渡りますが、ここに架けられている一ノ戸川橋梁は磐越西線屈指の撮影地として知られています。
橋からの眺めは非常によく、特に奥に見える飯豊山脈の景色は格別です。
橋脚は石造りになっており、中央部は「ボルチモアトラス」と呼ばれる複雑な鉄骨の組み方がされているなど、外から見ても美しい鉄橋です。
磐越西線沿線の田園風景と山々 磐越西線E721系が鉄橋を渡る
蕎麦の里として知られる山都を過ぎると、磐越西線は終点の新津までほぼ阿賀川に沿って進みます。
阿賀川は日本海と海が無い会津盆地を結ぶ非常に重要な航路として活躍した歴史があり、会津地方でニシンの山椒漬けが名物として親しまれているのは、阿賀川によって会津盆地と日本海が結ばれていたためと思われます。
磐越西線も阿賀川水運の代替として、建設された側面は非常に大きいと思います。
 
磐越西線は多くのトンネルが掘られていますが、多くのトンネルは歴史を感じさせるレンガ造りとなっており、磐越西線がかつて非常に重要な路線であったことが伺えます。
磐越西線トンネルと線路 阿賀川の渓谷と山並み
荻野のホームの周りには多くの八重桜が植えられており、2026年の4月中旬の時点ではほぼ満開でした。
ソメイヨシノが散り始めた後に見ごろを迎えるため、ちょうどいいタイミングで見ることができました。
磐越西線沿いの満開の桜並木
磐越西線の凄い所は渓谷沿いの区間でも制限速度が割と高めに設定されている点で、どんな区間でも大体60km/hほどのスピードは出しています。この辺りからも磐越西線がただのローカル線ではなく、元々は主要路線であったことが伺えます。
磐越西線 60km/h制限とトンネル
福島県最後の駅である徳沢を出発して阿賀川を渡ると、新潟県に入りこれと同時に川の名前も阿賀野川に変わります。
阿賀野川徳沢橋梁
狐の嫁入り行列で有名な津川を出発すると、磐越西線は国道49号線と阿賀野川に並走して走ります。
磐越西線の横を通る国道49号線は土砂崩れなどのリスクがあることから、対岸に立派な道路が整備されため廃道となっています。
列車内から廃道を観察できる全国的にも珍しいスポットとなっています。
磐越西線、カーブの線路と山道 磐越西線 渓谷沿いの線路と山並み
五十島から東下条にかけては、磐越西線と国道49号線が川沿いの崖にへばりつく様に通されています。
国道には非常に長いロックシェッドが建設されており、磐越西線にもいくつかのロックシェッドが建設されるほどこの辺りの地形は脆いようですが、磐越西線は60m/h以上のスピードでぶっ飛ばしていきます。
磐越西線、渓谷の鉄橋と山並み
馬下を出発すると阿賀野川の渓谷区間も終わり、いよいよ広大な越後平野に抜けます。
ここまで開けた土地を見るのは喜多方ぶりであり、磐越西線がいかに厳しい地形を越えてきたかが実感できます。
磐越西線、田園風景と山並み 磐越西線 遠景 畑と山々
馬下から約30分ほどで終点の新津に到着します。新津は磐越西線の他に信越本線と羽越本線が乗り入れる交通の要衝で、現在も非常に広大な敷地を有しています。
磐越西線 郡山駅構内 留置線と信号機

 

 

特急「いなほ」の概要

◆基本情報◆

  • 運行区間:新潟~酒田・秋田
  • 所要時間:3時間40分(新潟~秋田)
  • 運行本数:7往復
  • 使用車両:E653系
  • 座席種類:自由席、指定席、グリーン席
  • 車内設備:コンセント無し、Wi-Fi無し
  • 車内販売:無し

特急「いなほ」は新潟から酒田・秋田を結ぶ特急列車です。

元々「いなほ」は上野から高崎線、上越線、信越本線、白新線、羽越本線経由で秋田を結ぶ特急列車でしたが、上越新幹線開業後は新潟が発着駅となっています。

 

ほぼ全区間日本海沿いを走っており、日本海縦貫線で最も長距離を走る特急列車となっています。

それゆえ風の被害を受けやすく、冬場は強風により運転が打ち切られることも珍しくありません。

 

 

特急「いなほ」の停車駅

特急いなほ 下り上り停車駅路線図

※2024年3月現在

特急「いなほ」は7往復運行されていますが、そのうち秋田まで向かうのは2往復のみで、残りは酒田止まりとなっています。

停車駅は全列車統一されています。

 

 

特急「いなほ」の使用車両

特急「いなほ」E653系列車 parked at station

▲E653系1000番台の基本カラー。

2014年から「いなほ」ではE653系1000番台が使用されています。

E653系は元々常磐線特急「フレッシュひたち」で使用されていた車両で、「いなほ」への転用にあたりカラーリングの変更や寒冷地対策、グリーン車の新設などの改造が行われました。

7両編成で1号車がグリーン車となっています。

1日1往復だけ特急「しらゆき」で使用されている1100番台が「いなほ」の運用を担当することがあります。

特急いなほ E653系 青色編成

▲一面青色に塗られた「瑠璃色」塗装。このほか「ハマナス色」も存在します。

特急いなほ E653系 白い車体に青と赤のライン

▲特急「しらゆき」で使用されている1100番台も「いなほ」に使用されることがあります。

 

 

特急「いなほ」の車内とお勧め座席

特急いなほE653系座席配置図

特急「いなほ」に使用されているE653系は一部の列車を除き、7両編成で運行されています。

JR東日本の特急列車では珍しく、2026年現在も自由席が設定されています。

海が見えるのはAB席となっており、CD席は基本逆光となるため席を選ぶならAB席一択でしょう。

・グリーン席【お勧め】

特急いなほ E653系 車内座席

特急「いなほ」に乗るなら是非とも利用したいのがグリーン車です。

E653系には元々グリーン車が連結されていませんでしたが、「いなほ」への転用にあたりグリーン車が新設されました。

その際「どうせグリーン車を新設するならとびきり豪華なグリーン車を作ってしまおう」と、JR東日本の車両としては異例の2+1列のグリーン車となりました。

特急いなほの豪華グリーン席

シートピッチは1820mmという驚異的な広さとなっており、これは普通車の2席分に相当します。

乗車定員は半減しましたが、快適性は倍増しました。

各座席には仕切りが設けられており、後ろの人を気にせずリクライニングも倒し放題ですが、仕切りのおかげで若干足を伸ばしづらいのが玉に瑕です。

特急いなほE653系グリーン車座席

しかし最前列のグリーン席をは事情が異なります。

この席だけはとてつもなくシートピッチが広くなっており、壁に設置されているテーブルはもはやお飾り状態となっており、下手すればグランクラスよりも広いかもしれません。

しかし、最前列シートはデッキの真後ろにあるためか暖房の効きが非常に悪く、他の座席に比べて異様に寒いです。冬に乗車する場合は注意が必要です。

 

特急いなほ E653系 車内フリースペース

グリーン車両にはだれでも使用できるフリースペースが用意されており、恐らくフレッシュひたち時代からあったものと思われます。

・普通席(指定席、自由席)

特急いなほ E653系座席車内

普通座席の様子。デッキと扉を仕切る扉が1枚ガラスになっているのが特徴的です。

特急いなほ E653系座席特急いなほ E653系座席

座席はリクライニング、座席のスライドそれぞれにボタンが設けられた少し古いタイプのリクライニングシートです。

元々自由席主体の特急列車であった「フレッシュひたち」に使用されていた名残で、座席にはチケットホルダーが設置されています。

特急「いなほ」景色と見所紹介(新潟~秋田)

・新潟~村上【広大な越後平野を疾走】

新潟駅を出発すると、新潟市の都会的な風景を見ながら高架線を下りていきます。

特急いなほ E653系車両と線路

新潟から隣の東新津までは広大な新潟貨物ターミナルの敷地が広がっており、大都市新潟の物流の拠点であることが伺えます。

JRコンテナと線路、駅風景

 

新潟から新発田までは白新線を走ります。羽越本線の起点は新津となっているため新潟を経由しませんが、白新線は新潟と新発田をショートカットする路線として建設されました。

日本海縦貫線を走る貨物列車は羽越本線経由で運行される一方、特急列車は大都市新潟を経由する白新線ルートで運行されるのが一般的です。

 

白新線は新潟県を代表する主要ルートであるため、線路の規格は主要幹線並となっており、特急「いなほ」は110km/h~120km/hの速度で駆け抜けていきます。

豊栄辺りまでは新潟近郊の住宅地という雰囲気が強いですが、豊栄から先は景色が一気に開け広大な越後平野を走るようになります。

田園地帯と送電鉄塔

新発田からは羽越本線に入線します。羽越本線は新津から秋田を結ぶ路線で、日本海縦貫線の一翼を担う路線です。特急「いなほ」はここから羽越本線を走破する形で秋田を目指します。

羽越本線に入線してからも村上までは越後平野に敷かれた直線的な線路を走るため、特急「いなほ」は速度を落とすことなく進んでいきます。

田園風景と電線鉄塔

新潟を出発して50分ほどで新潟県最北の主要駅である村上に到着します。

E653系特急いなほ、日本海沿いの風景

・村上~あつみ温泉【羽越本線屈指の絶景区間"笹川流れ"を堪能】

新潟から50分ほどで新潟県最北の都市、村上に到着します。

村上駅は越後平野の北限ともいえる場所に位置しており、ここから羽越本線は海岸線沿いの険しい地形を縫うようにして山形県を目指します。

 

その前に見どころの一つとして、村上駅を過ぎると電線に流れる電気の流れ方が変わるデッドセクションを通過します。

村上より南は直流電気、北は交流電気が流れておりその境目となっているのがデッドセクションです。

デッドセクション通過時は一時的に電気の供給がストップし、室内灯や空調の電源は切られます。

 

E653系は交直流電化区間に対応した車両であるためデッドセクションを越えることができ、少し古い車両であるためデッドセクション通過時に室内灯が消える光景を見ることができます。

この区間を走る羽越本線の普通列車は全て気動車で運行されているため、特急「いなほ」でなければデッドセクションの体験をすることはできません。

特急いなほ E653系 車内通路と座席

 

このデッドセクションを越えるといよいよ日本海の際を走るようになります。

新潟県と山形県の県境は急峻な山地となっており、羽越本線は仕方なく海岸線を通っているような区間です。

 

村上から小波渡付近まで約60kmに渡り海岸線を走り続け、いくつかのトンネルをくぐりつつも基本的にずっと海を眺め続けることができます。

ここまで長時間海を眺められる路線もそう多くはありません。

笹川流れの奇岩と日本海

▲「いなほ」から眺める日本海。奥に見える島は栗島。

そんな中特に絶景と言われているのが桑川から今川の間にある「笹川流れ」と呼ばれる景勝地です。

日本海の激しい波によって浸食された奇岩が無数に転がっており、「いなほ」の車内からも堪能することが出来ます。

笹川流れの絶景、日本海の岩礁と松笹川流れの海岸線と日本海

海だけでなく沿線の民家に目を向けると、瓦や壁の色が黒っぽいのが特徴的です。

これは日本海沿岸の強風や雪、塩害から家を守るために黒い塗料が使用されているようです。

海沿いの町並みと遠くの島

府屋周辺になると羽越本線は海岸線より少し高い所を走るため、高い所から海を見下ろせるようになります。

このあたりの「いなほ」のスピードは決して速くありませんが、並走している国道7号線に比べると羽越本線の方が線形が良いため、自動車に完敗しているとは思えません。

羽越本線も開業以降、所々線路の付け替えが行われており、トンネルの外側に廃線跡らしき空き地が見受けられる所が多々あります。

特急いなほ、笹川流れの絶景日本海沿いの景色と家々

東北三関の一つである鼠ヶ関を越えると、羽越本線は山形県に入ります。

 

・あつみ温泉~遊佐【米どころ庄内平野と名峰”月山”と"鳥海山"を望む】

あつみ温泉駅を発車した後、小波渡を通過すると羽越本線は内陸部に進むため海はしばらくお預けとなります。

ちょっとした山を越えて周囲の景色が開けると、庄内平野の中を走ります。

庄内平野は山形県の日本海側に広がる広大な平野で、越後平野同様日本有数の米どころとして知られており、平野には広大な田んぼが広がっています。

庄内平野からは美しい山を見ることができるのも特徴で、進行方向の右側には出羽三山の一つとして古来より信仰の対象とされてきた月山、左側には庄内平野のシンボルである鳥海山が見えてきます。

庄内平野と鳥海山、月山を望む風景鳥海山と越後平野の田園風景

羽前大山の手前から大きくカーブして東側に向かうと、鶴岡に停車します。

鶴岡は庄内藩の拠点であった鶴岡城の城下町として発展した街で、現在も庄内地方一の人口を誇る都市です。

駅のすぐ裏手には巨大な農業用倉庫が何棟も建っており、米どころ庄内の力強うさを感じられます。

倉庫とトラック、草むら

陸羽西線が分岐する余目から酒田の区間は、元々陸羽西線として開業した区間で、庄内平野で最も古い鉄道路線の一部となっています。

なぜ主要幹線の羽越本線より、陸羽西線が先に開業したかと言えば、最上川水運の代替として建設されたためです。

最上川は山形県中を経由した後日本海にそそぐ川で、その河口に作られた酒田の港は山形県内中の荷物と北前船で運ばれた荷物が集積する一大物流拠点として栄華を極めました。

 

明治時代以降近代化を進めていくうえで、山形県や庄内平野の経済成長のためには。最上川水運を鉄道に置き換えることが急務とされ庄内地方でいち早く陸羽西線の建設が進められました。

 

北余目を通過すると羽越本線は最上川を渡ります。最上川橋梁は今から110年前ほどに架けられた古い橋で、特に開業時に架けられた上り線の橋梁には、レンガ造りの橋脚が現在も残っています。

青い鉄骨の橋と空、山並み

2005年に最上川を渡る直前に突風にあおられ車両が脱線・転覆するという大事故が発生しました。

死者も発生する大惨事となりましたが、乗務員にも対処のしようが無かった不慮の事故とされていますが、二度と同じ事項が起きないよう最上川を渡る周辺の線路には頑丈な防風柵が取り付けられています。

 

余目から酒田の区間で唯一路線開通時に開業した駅である砂越には、重厚な鉄製の柱が使われている跨線橋があります。

駅周辺には農業用倉庫と思われる巨大な建物が何棟か建っており、歴史を感じさせる光景が残っています。

E653系いなほ、JRロゴとピンク帯古い倉庫と桜並木のある風景

砂越を通過して西側に大きくカーブすると酒田に到着します。

酒田は羽越本線屈指の主要駅であり、大半の特急「いなほ」は当駅を発着駅としています。

酒田市は北前船の寄港地であり、最上川の河口に設けられた酒田港を中心に発展した商業の街で、江戸時代には「西の堺、東の酒田」と呼ばれるほど賑わっていたようです。

 

豪商として名を馳せた本間家が収集した美術品や庭園を見学できる本間美術館や、木造の米蔵が何棟も並ぶ山居倉庫が市内の観光地として有名です。

庭園の池と緑豊かな景観黒い木造倉庫と石畳の道

 

酒田を過ぎたあたりから右手に雄大な鳥海山を見ることが出来ます。

特に綺麗に見えるのは遊佐あたりで、車内にも遊佐周辺で撮影された鳥海山の写真が掲示してありました。

雪化粧した山と田園風景

・遊佐~秋田【陸の松島"象潟"を過ぎて終点秋田へ】

山形県最北の停車駅である遊佐を過ぎると、秋田県との県境部分に差し掛かります。

新潟県と山形県との県境区間同様、海岸沿いにしかまともな土地が無いため、再び海を眺めることが出来ます。

笹川流れ周辺に比べ海岸沿いギリギリを通る区間ではありませんが、高い所から海をながめることができます。

特急いなほ:日本海沿いを走る車窓

 

象潟駅を発車すると右側に景勝地である象潟を眺めることが出来ます。

象潟は江戸時代までは松島のように大小さまざまな島が浮かぶ景勝地でしたが、地震により土地が隆起し完全な陸地となりました。

現在は田んぼからかつての島がボコボコ出っ張っている珍しい光景が広がっています。

そんな光景も「いなほ」からは少しだけですが見ることが出来ます。

風景を望む特急いなほの車窓笹川流れと鳥海山を望む風景

 

秋田県内はほぼほぼ海岸沿いを走っていますが、もう暗くなってしまったため景色はわかりませんでした。

18:30に終点秋田に到着しました。

特急「いなほ」指定席 秋田行き1号車

車窓の動画はこちらから↓

 

 

 

 

総評

乗車時間: ★★★★

スピード感:★★★★

車窓:   ★★★★★

非常に乗り応えがあり、乗ってて面白いと燃える列車でした。

日本海が美しいことはもちろんですが、月山に鳥海山や象潟、庄内平野や越後平野の田園風景など景色のバラエティに富んでいるところが素晴らしいです。

速度もそこそこ速く乗っていて非常に楽しかったです。

新潟から秋田を結ぶ列車は1日2往復しか運行されていませんが、日本海縦貫線を代表する在来線特急として末永く活躍してほしいものです。

 

 

前編はこちら

 

 

 

 

◆広島地区(糸崎~岩国)

・糸崎~広島【じつは山ばかり?本格的な広島県の旅】

糸崎の次は三原に到着します。三原は山陽新幹線の他、呉を経由して海田市で合流する呉線が分岐します。

三原市自体も8万人の人口を擁するそこそこ大きい都市で、新幹線が停まるにふさわしい規模の街が形成されています。

岡山地区の115系が乗り入れるのも当駅までで、岩国までしばらく115系はお預けとなります。

 

 

 

三原は在来線の線路が高架化される際に線路の付け替えが行われています。

かつては西側の山を迂回するように線路が敷かれていましたが、高架化にあたり新幹線同様トンネルで山を抜けるルートに変更されました。

 

山陽本線は日本を代表する大幹線ながら、山陽新幹線の建設が早い段階で決まっていたため、輸送改善のための線路の付け替えは殆ど行われませんでした。

三原の西側で山陽本線でほぼ唯一大規模な付け替えが行われた区間と言えます。

街並みにそびえる山と店舗群山陽本線沿いの住宅街の風景

本郷から河内にかけては沼田川の渓谷に沿って走ります。広島県は意外と山地が多く、特に三原から海田市まではひたすら山の中を走るような区間となっています。

沼田川の渓谷には山陽自動車の橋と、広島空港大橋が架かっています。特に広島空港大橋はアーチの間隔が380m、地上からの高さは約190mととんでもなく巨大な橋で、見上げないとその全貌を見ることはできません。

広島空港大橋と沼田川渓谷橋脚と山、住宅地、山陽本線

白市からは広島シティネットワークに入り、列車本数も一気に増えます。

広島では列車の編成数を短くする分、列車本数を増やす「シティ電車」と呼ばれるダイヤ形態が国鉄末期に実施されました。

現在も広島地区の他岡山や仙台、静岡など中規模都市圏でこの形態のダイヤが採用されています。

 

西高屋辺りからは西条盆地に入り、盆地の中心地である西条に到着します。酒の産地として知られる西条こと東広島市は盆地であるため冬場の冷え込みが厳しいため、寒さに強い石州瓦を葺いた屋根の家が多く見られます。

 

八本松から瀬野にかけては「セノハチ」という愛称が付けられるほど、マニアの間では有名な区間です。

この区間は厳しい勾配が延々続く区間で、現在も長大編成貨物列車は補機を連結してこの勾配区間を登っていきます。

かつてはセノハチ専用に開発された電気機関車、EF67形が使用されていましたが、現在はEF210形が使用されています。

山陽本線くらいの主要路線であれば新しい土木技術で勾配を緩和するのが一般的ですが、上記の理由で山陽本線のテコ入れは行われなかったため、現在も補機を連結するという光景が残っています。

セノハチ区間は広島県内でも一際冷え込みが厳しいようで、沿線には少量の雪が残っていました。

田園風景の農村住宅と山並み日没の山間にある田舎の集落

瀬野は広島市の東端に位置する駅ですが、駅の裏の山には大規模なニュータウンが造成されており、2024年までは駅とニュータウンの間でスカイレールが運行されていました。

 

スカイレールはモノレールとロープウェイを組み合わせたような革新的な交通機関でしたが、特殊過ぎる構造のためメンテナンス費用が高騰し、現在はEVバスに置き換えられ廃止されました。

 

山陽本線は瀬野川に沿って走り、一旦広島市を抜けて海田町に入るとようやく平野に抜けます。

海田市からは先ほど三原で分かれた呉線が合流し、大半の列車は広島まで乗り入れるため列車本数がさらに増えます。

山並みと町並みの風景

次の向洋は広島市ではなく府中町にある駅です。府中町にはマツダの本社があり、その強固な経済地盤で広島市との合併を回避しています。

向洋駅前にはマツダの工場が広がっており、車窓から見える殆どの建物はマツダ関連の物です。

また向洋は高架化工事が行われており、一番左側の線路は廃線になっていました。

 

 

セノハチ区間の特徴的な建物

天神川からは再び広島市に入ります。

進行方向の左側にはコストコと広島カープの本拠地であるマツダスタジアムがありますが、ここには元々広島操車場がありました。

広島駅付近のスタジアムと線路

赤いローソンと現在も踏切監視員が駐在する愛宕踏切を過ぎると広島に到着します。

・広島~岩国【山陽一の大都市「広島」から瀬戸内海に沿って山口県へ】

広島は120万人の人口を誇る広島市の代表駅で、山陽新幹線の他に呉線、可部線、芸備線の列車が乗り入れるターミナル駅です。在来線特急は全て廃止されたため、在来線は通勤通学客の利用が主ですが非常に多くの利用客で賑わっています。

 

広島駅は市の中心部から外れた駅の典型例として語られることが多いですが、新駅ビル「ミナモア」が開業してからは広島市の新たな商業拠点として発展を続けています。

路面電車が駅ビルの2階部分に直接乗り入れる構造も大きな話題になりました。

 

広島市は太田川が作ったいくつもの三角州に跨って築かれた都市であるため、広島駅から西に行くにはいくつかの川を渡ります。

京橋川を越えると新白島、太田川を越えると横川、太田川放水路を越えると西広島に到着します。更にこれらの駅は路面電車、アストラムラインと連絡しており、広島市の強力な交通ネットワークを形成しています。

 

西広島から宮島口までは広島電鉄と並走します。広島電鉄は広島中心部では路面電車として走っていますが、西広島からは専用軌道を使って宮島口まで向かいます。

阿品を過ぎると海が見えるようになり、宮島や厳島神社の鳥居が見えると宮島口に到着します。

夕日と瀬戸内海の海岸線、白い車

宮島口はその名の通り宮島への玄関口で、現在JRが唯一運営する航路である宮島航路が発着しており、かつては18切符でも乗船することができました。

宮島は昔から広島県を代表する観光地だったため、かつては名だたる寝台特急も停車しており、ホーム上には乗降口案内の跡が残っています。

 

大野浦から玖波にかけてが広島シティネットワーク内では最も海がよく見える区間と言えます。
左側には宮島、右奥には大竹のコンビナートが見え瀬戸内の風情が感じられます。

海沿いを走る車と夕日

大竹を過ぎて小瀬川を越えると山口県に入ります。

広島県側、山口県側双方で重化学工場が操業しており、この地域の高い工業力を感じさせます。

工場地帯を流れる川と橋

◆山口地区(岩国~下関)

・岩国~徳山【ローカル線から本線に復活した海線区間から瀬戸内海を望む】

岩国は広島シティネットワークの西端に位置する駅で、殆どの列車は当駅で折り返します。
いよいよ山陽本線も山口地区へと差し掛かり、ラストスパートといったところです。
山口地区では基本的に115系が使用されており、特に新山口以東では主に3000番台が使用されています。
3000番台は近郊型車両である115系でありながら、片側2扉かつ転換クロスシートが設置されており、117系のような快速用車両の要素を備えています。
クロスシートには窓側にも手すりが設置されており、乗り心地は非常に快適です。
車内画像 115系電車内部 電車内の座席と窓
岩国から徳山へ向かうルートは2つ存在し、一つは海側を経由する現在の山陽本線と、山側を経由する岩徳線です。
元々開業したのは海側ルートですが、さらに短絡的に両都市を結ぶため山側のルートが建設され、海側ルートは柳井線というローカル線に格下げされました。
 
その後山陽本線の電化、複線化をする際にトンネルが多い山側ルートは新しいトンネルを掘り直すなどの面倒が生じるため、柳井線が再度山陽本線として復活し、山側ルートは岩徳線というローカル線に格下げされ、非電化単線のまま今に至ります。
 
なお岩国から徳山の区間は距離が長い山陽本線に乗車しても、岩徳線の距離で計算されこれは山陽新幹線にも適用されています。
山陽本線の方が距離は長いものの本数も多く、所要時間も短いため岩徳線を選ぶメリットはほとんどありません。
 
南岩国の裏手には一面の湿地が広がっていますが、これはレンコン畑です。岩国のレンコンは普通の物よりも穴の数が多いようです。
夕日と工業地帯の広がる田園風景
南岩国から柳井港にかけてはずっと海岸線に沿って走るため、瀬戸内海が見えます。
古い時代に建設された鉄道の名残がよく感じられます。
 
またこの辺りは島が自然の防波堤の役割を果たしているため、線路と海の間に遮るものが無く非常によく見えます。
山陽本線で一番海が近くに見えるのはこの辺りだと思います。
青い空と穏やかな海、砂浜の風景 瀬戸内海の穏やかな風景と遠くの島々
大畠の手前では本土と周防大島を結ぶ大島大橋の下を潜ります。
周防大島は昔から本土との繋がりが強く、橋が架かる前は大畠から連絡船が発着していました。
大島大橋と瀬戸内海の夕日
柳井港からは内陸部を進み主要駅である光に到着します。
光を出発すると一瞬だけ海沿いを走りますが、この辺りには工場が建ち並んでいます。
光から福川にかけては山口県でも屈指の工業地帯を通るため、瀬戸内地方の強い工業力を感じられることでしょう。
下松の手前には日立製作所笠戸事業所がありますが、ここは鉄道車両の作る工場として有名です。
建物の並ぶ風景と空
岩徳線が合流する櫛ヶ浜から徳山にかけては、徳山コンビナートの真横を走ります。
在来線からでも迫力のある光景が見れますが、新幹線で高い所から見下ろした方が遥かに迫力が感じられるので、新幹線の乗車した時には徳山前後の景色に注目してみてください。
工場敷地内を走行するタクシー

・徳山~新山口【山陽本線から見える最後の海は必見!天気が良ければ九州も見える?】

徳山は約13万人の人口を誇る周南市の代表駅です。周南市は先述した通り県内有数の工業都市で、特に駅の真後ろにコンビナートが広がっているのが特徴です。

 

徳山を出発した後もコンビナートの光景が続きます。
工場群から煙突が煙を上げる風景

次の新南陽は徳山近辺の貨物輸送の拠点として、非常に広い鉄道用地が広がっています。

特に日本で最後までヤード継走式輸送が行われていたことでも知られています。ヤード継走式輸送は行き先がバラバラの貨車を数珠つなぎにつなげ、各地の操車場で連結・解結を繰り返しながら目的地へ運ぶ手法です。

かつての鉄道貨物はヤード継走式輸送が一般的でしたが、非効率すぎるという理由で現在はコンテナ式輸送に置き換えられています。

操車場はあまりにも広大すぎるため、不要になった操車場の跡地は再開発されるのが一般的ですが、新南陽は操車場の光景を今に留めており、ハンプヤードの跡が現在も残っています。

山陽本線沿いの線路と住宅街線路と茶色の建物

戸田からは防府にかけては山陽本線で最後の海が見える区間となります。

この辺りになると海に浮かぶ島が少なくなり、だいぶ広い海が見えるようになります。

また奥にうっすら見える陸地は大分県の国東半島で、山口県と大分県は意外と近いことがわかります。

一方で島が少ない分波がダイレクトに陸地に届く為、線路沿いには高い防波堤が築かれ全く海が見えない区間もあります。

穏やかな瀬戸内海の景色と島々青い空と海、遠くに島が見える風景

海沿いの区間も終わり高架線を走ると防府に到着します。駅がある防府市は人口約11万人の都市で、山口県内の都市では少し地味な存在ですが、人口密度は県内一で駅周辺の光景は非常に都会的です。

また防府市には日本三大天満宮に数えられる防府天満宮がある事でも有名です。

無印良品のある立体駐車場と街並み

椹野川を渡り、広大な鉄道用地が見えると新山口に到着します。

赤い電車が並ぶ山陽本線沿いの風景

・新山口~下関【山陽本線もラストスパート!本州最西端の都市「下関」へ】

新山口は山陽新幹線の他に山口線、宇部線が分岐する山口県屈指のターミナル駅です。

元々は「小郡」を名乗っており、所在地も小郡町でした。山陽新幹線の駅が開業する際山口市から「新山口」に改称するよう小郡町に求めましたが、小郡町が拒否し続けていました。その後小郡町が山口市と合併したため、晴れて「新山口」を名乗るようになりました。

 

なお山口市の中心部は山陽本線から外れた内陸部に広がっており、山口線でアクセスできます。

新山口が山口県かつ、山口市の代表駅かと言われると少し微妙ですが、山口県の玄関口として機能していることは間違いありません。

 

 

新山口から先はひたすら内陸部を走るため景色は割と単調です。

厚東川に沿って進むと宇部に到着します。駅がある宇部市は約15万人の人口を誇る都市で、周南市や下関市に並ぶ工業都市として有名です。

特にセメント製造で有名な宇部興産の創業地であり、海岸沿いには巨大なセメント工場群が聳えています。

宇部は市の中心部から大きく外れており、宇部線に乗り換えて宇部新川まで行くと市の中心部にアクセスできます。

黄色い電車が停車する駅のホーム

小野田、厚狭と言った主要駅を過ぎると本州最西端の都市である下関市に入ります。

幡生の手前では山陽本線に次ぐ中国地方の主要幹線である山陰本線が合流します。

この事実からもわかる通り幡生は西日本を代表する鉄道の街で、駅周辺には下関総合車両所や操車場の跡が残っており、広大な鉄道用地が広がっています。

また幡生はスクラップの名所としても有名で、JR西日本管内で廃車になった車両の多くはこの幡生で解体されます。

建設現場の重機と線路

幡生の次の駅はいよいよ本州最西端の駅である下関です。

◆関門トンネル区間

・下関~門司【日本最古の海底トンネルで九州へ】

下関市は本州最西端の都市であり、山口県最大の都市です。
歴史的にも下関市は非常に重要な位置にあり、壇ノ浦の戦いや下関戦争など歴史の舞台として幾度となく登場しています。
当然ながら下関駅も非常に重要な駅で、本州と九州を繋ぐという重役を担っていました。
現在の下関駅は関門トンネル開通後に開業した駅で、かつてはシーモールや海峡ゆめタワーなどがある位置に駅がありました。
 
トンネルが無かった時代は関門連絡船が下関と門司(現在の門司港)の間で運航されていました。当初は貨車から船に荷物を積み替えていましたが、非効率という事で貨車をそのまま船に詰め込む車両航送が日本で初めて行われました。
これにより関門間での荷物の輸送効率が劇的に改善し、それを記念したレリーフが現在も残っています。
また日本が朝鮮半島を占領していた時代には朝鮮半島への連絡線も発着しており、その名残で現在も関釜フェリーが運行されています。

関門トンネル記念碑と貨車航送の碑

関門トンネル開業後も下関の重要性が下がることはありませんでした。本州側が直流電化されているのに対し、関門トンネル以西は交流電化となっているため、電気機関車の付け替えのためにほぼ全ての優等列車が停車していました。

新幹線が開業し、寝台特急が廃止になって以降下関から発着する優等列車は無くなりましたが、関門経済圏の繋がりは未だに強く、多くの乗り換え客で賑わっています。

下関が山陽本線の終点と思いきや、まだ終わりではありません。ここから関門トンネルで九州を渡った先にある門司が山陽本線の終点となります。

下関から先の区間はJR九州の管轄となり、交流電化区間となっているため必ず乗り換えが必要になります。
下関の先にはかつては下関運転所と呼ばれた広大な車両基地が広がっています。
日本で最後の国鉄型車両の巣窟として知られていますが、227系の姿も見え時代の流れを感じました。
工場地帯と線路、車両が並ぶ風景
狭い海峡を渡ると山陽本線は一瞬離島である彦島を走ります。
この彦島に関門トンネルの本州側の坑口があります。
夕暮れの河川と橋、山並み
関門トンネルは1942年に開通した世界初の海底鉄道トンネルです。
戦時中にも関わらずなぜ関門トンネルの工事が行われたかと言えば、九州で製造された軍需物資や石炭を本州へ効率的に運ぶことが、戦時中の日本にとって急務でした。
関門トンネルの長さは約3.6km程で今の感覚からすると決して長くはありませんが、戦時中に掘られた海底トンネルと思えば関門トンネルの偉大さが感じられると思います。
関門トンネルを抜けて九州、福岡県に入ると山陽本線の終点、門司に到着します。
駅周辺の建物と木々、夕日

 

総評

山陽本線を普通列車で乗り通してみましたが、景色は非常に変化に富んでいて面白かったです。

大都会から山間部、海岸沿いなど多種多様な景色を楽しめます。

また最初から最後までずっと転換式クロスシートの車両に乗れたので、普通列車の旅ながら非常に快適でした。

さらに岡山地区や山口地区ではまだ115系に乗れるという点がポイント高いです。ただし2026年1月現在、岡山地区ではすれ違う車両の殆どが「Urara」であるほど新型車両の運用拡大が続いており、山口地区でも227系「Kizashi」の導入が決まっています。もしかしたら2026年が山陽本線の115系を楽しむ最後のチャンスかもしれません。

 

 

 

  郡山駅

福島県郡山市の代表駅です。

郡山市は県内2位の人口を誇る都市かつ、東北地方第2位の都市圏を有しており、実質福島県の最大都市となっています。

郡山市は江戸時代まで小さな農村でしたが、明治時代の国策事業の一つ「安積開拓」の影響で農業、工業が発達しいつしか東北地方を代表する都市にまで発展しました。

 

また郡山市は「陸の港」と評されるほど東北地方屈指の交通の要衝となっており、仙台、会津若松、いわき、東京方面へ陸路が十字に伸びており、人や物資が集積する一大拠点となっています。

 

郡山駅も県内最大級のターミナル駅となっており、利用客数も県内最多です。路線網も東北本線、東北新幹線以外に会津若松へ向かう磐越西線、いわきへ向かう磐越東線、水戸へ向かう水郡線が乗り入れていますが、どれもローカル線で優等列車は走っていません。

 

乗り入れ路線

・東北本線

・東北新幹線

・磐越西線

・磐越東線

・水郡線

 

郡山駅 西口広場 福島県最大級の交通拠点

西口。福島県一の駅に相応しい巨大な駅舎です。福島県内最大級の駅ナカ施設である「S-PAL郡山」も入居しており非常に華やかです。

郡山駅西口前広場。都会的な駅前広場。

西口駅前。「機能的かつ都会的な美しい駅前広場」と評されています。

駅前には繁華街が形成されており、福島県最大の経済都市に相応しい光景が広がっています。

郡山駅西口とビッグアイ、駅前広場

駅には「ビッグアイ」と呼ばれる福島県で最も高い高層ビルが隣接しています。

郡山駅東口:福島県郡山市の玄関口

東口。華やかな西口とは対照的に、いかにも裏口という雰囲気が漂っています。

東口から西口までは非常に長い通路を歩く必要があり、東西の行き来は結構不便です。

郡山駅西口広場とホテルアルファ-1

東口駅前。ビジネスホテルが数軒あるのみで、西口に比べ非常に閑散としています。

郡山駅の切符売り場と改札口

1階コンコース。在来線の近距離切符売り場と改札口があります。

郡山駅の改札口と電光掲示板

在来線改札口。

郡山駅 西口コンコース、エスカレーターと人々

2階コンコース。みどりの窓口と新幹線改札口があり、構造は仙台駅によく似ています。

郡山駅 新幹線改札口とS-PAL郡山

新幹線改札口。

郡山駅構内、NewDaysと案内表示

新幹線改札内コンコース。改札内にも大きなキオスクや飲食店があります。

郡山駅のプラットフォーム、水郡線ホーム郡山駅の在来線ホームと電車

在来線ホームは3面6線。地下道と跨線橋で連絡しています。

設備は非常に古く、広大な敷地も含めて昔ながらのターミナル駅の雰囲気が色濃く残っています。

荷物運搬用の古い跨線橋も残っています。

郡山駅のプラットホームと線路

ホームは2面3線。真ん中に通過線があります。

 

訪問日:2023/04/20、2026/04/14