特急「わかしお」の概要
特急「わかしお」は東京から京葉線、外房線を経由して上総一ノ宮・勝浦・安房鴨川を結ぶ列車です。
外房線沿線は高速道路網があまり発達していないためか、高速バスに押され気味な房総特急の中では、まだ活発な運行が行われています。
勝浦や安房鴨川へ向かう行楽輸送と、千葉から東京へ向かう通勤客を輸送する役割を担っています。
「わかしお」の名前は黒潮の別名である「若潮」が由来です。
特急「わかしお」の停車駅

※2024年3月現在
特急「わかしお」は1991年に「成田エクスプレス」の運行が開始された際に、総武本線経由から京葉線経由に変更されました。
日中は安房鴨川発着の列車が運行されていますが、朝夕は通勤需要を拾うため、上総一ノ宮、勝浦発着、茂原発着の列車が設定されています。
「わかしお15号」は勝浦から普通列車に種別を変更し、安房鴨川まで向かいます。
土日には新宿を発着する「新宿わかしお」が運行されており、こちらは総武本線を経由します。

特急「わかしお」の路線図。東京から蘇我までは京葉線、蘇我から安房鴨川までは外房線を走行します。
特急「わかしお」の使用車両

▲現在も使用されているE257系500番台。
特急「わかしお」にはE257系500番台が使用されています。
E257系は2002年からJR東日本が投入した汎用型特急車両で、0番台が中央線特急、500番台が房総特急に投入されました。
500番台は基本編成が5両編成と短めに設定されており、両端の先頭車は貫通扉車となっているため、需要に合わせ増解結に対応できる設計となっています。
特急「わかしお」は東京から上総一ノ宮まで10両編成で運行される列車がありましたが、2024年のダイヤ改正で増解結する運用は廃止されました。

2024年までは255系が定期運用に入っていました。
255系は1993年に導入され、当初は「ビューわかしお」として、他の車両を使った列車との差別化が図られていました。
「BOSO View Express」の異名を持っており、前面には巨大な一枚ガラスを用いるなど、90年代の特急車両らしい攻めたデザインを採用しており、房総特急の花型車両として活躍していましたが、房総特急の衰退を止めることはできませんでした。
255系は2024年3月のダイヤ改正で引退する予定でしたが、2026年現在も大型連休を中心に波動運用で使用されており、「わかしお」の運用に入ることもあります。
特急「わかしお」の車内の様子

特急「わかしお」は一部の臨時列車を除き、E257系500番台5両編成で運行されています。
グリーン車が連結されていないモノクロス編成で、全ての座席が指定席となっています。

車内の様子。房総特急が全車指定席となったはつい最近の話で、それよりはるか前からE257系500番台は使用されているため、座席上の予約状況を表示するランプは設置されていません。


普通座席の様子。E257系500番台の座席は硬いという評判がありますが、房総特急は運行距離が短いたいめ、座席はあえて硬めに設計しているようです。
2時間程度の乗車なら全然問題ないので、個人的には全く気になりませんでした。
登場時はコンセントが設置されていませんでしたが、現在は窓側にのみコンセントが設置されています。
特急「わかしお」の景色と見所紹介(安房鴨川~東京)
・安房鴨川~上総一ノ宮
安房鴨川から勝浦まで地図を見ると海岸沿いを走っているように見えますが、海が見えるのはわずかで大半は山の中を走ります。しばらくは鴨川市の市街地を走りますが、ひときわ目立つのは巨大なホテルや、リゾートマンションたちです。
鴨川シーワールドや多くの海水浴場が点在する鴨川市は外房屈指のリゾート地で、特急「わかしお」も行楽輸送に大きく役立っています。

市街地を過ぎると太平洋が見えたかと思うと、すぐに山の中を走るようになります。
房総半島の先端部は山が海の近くまで迫っており、外房線も山の中を縫うようにして進みます。そのため線形も悪く、特急「わかしも」も控えめな速度で進んでいきます。


次の停車駅である安房小湊は、日蓮聖人生誕の地とされており、日蓮宗に所縁のある仏閣が多く存在します。
現在五井から上総中野を結んでいる小湊鉄道も、当初は安房小湊を目指して建設されたため、現在も「小湊」の名前を社名に採用しています。
安房小湊と上総興津の間には行川アイランド駅があり、駅前には同名のテーマパークがありました。
行川アイランドは1964年に開業したテーマパークで、フラミンゴショーやキョンの放し飼いが名物でしたが、鴨川シーワールドや東京ディズニーランドなどの競合レジャー施設が台頭し、経営権を金属加工を本業とする会社に渡したりするも経営が成り立たず、2001年に閉園しました。
現在もメインゲートの前にはロータリーが整備されていたり、ヤシの木が植わっているなどテーマパークの面影が感じられます。

一部の特急列車が停車する上総興津のすぐ手前には、巨大なリゾートマンションが建っています。最近はリモートワークやワーケションの普及で、バブル期に建設されたリゾートマンションが注目されており、外房線沿線にもそのようなリゾートマンションが多く点在すると思われます。

勝浦湾が見えると、列車は湾に沿って進み勝浦に到着します。
勝浦は日本三大朝市に数えられる勝浦の朝市や、勝浦タンメンなどで有名です。
また夏は涼しく、冬は暖かいという理想的な気候条件を満たしており、鴨川同様リゾート地として知られています。

勝浦を過ぎると、列車は複線化された線路を走ります。外房線の上総一ノ宮から安房鴨川の間は単線区間と複線区間が混在しており、そのうち勝浦から隣の御宿までは複線化されています。

御宿も外房線沿線を代表するリゾート地で、駅周辺には巨大なホテルやリゾートマンションが建っています。また童謡「月の砂漠」のモチーフになった場所としても有名です。

御宿を過ぎるとリゾート地の雰囲気も薄れ、房総半島の内陸部を走るようになります。
再び単線区間に戻りますが、この辺りは線形がいいためか特急「わかしお」は最高速度120km/h近いスピードで走り抜けます。
太東を過ぎた辺りから、遠くに九十九里浜が見えます。九十九里浜はいすみ市の太東から、旭市の飯岡まで約66kmにわたり続く真っすぐな海岸線で、サーフィンのメッカとしても知られてます。

・上総一ノ宮~蘇我
上総一ノ宮は総武快速線、京葉線からの快速列車が乗り入れる最南端の駅で、当駅から先は東京近郊の路線というイメージが強くなります。
巨大な天然ガスのタンクや、大きな工場群が見えると茂原に到着します。
駅がある茂原市は外房線沿線では千葉市に次ぐ都市で、駅周辺には大きな市街地が形成されています。
茂原市には日本最大の天然ガス田があり、資源に乏しい日本では珍しく天然ガスの地産地消が行われています。

新茂原を通過して程なくすると、進行方向の右側に不自然に広い土地と、廃墟になっている構造物を見ることができます。
これはかつて存在した新茂原貨物駅で、1981年に茂原駅や房総地方各地の駅の貨物取扱機能を集約した貨物駅として開業しました。
さらに近くにある化学工場への専用線も延びており、首都圏有数の規模を誇る貨物駅として活躍していましたが、モータリゼーションの波には抗えず1994年には休止状態となり、その後正式に廃止されました。

東金線との乗換駅である大網は、1972年までは現在とは別の位置にありました。
現在の大網駅は東側に向かって線路が八の字に延びていますが、かつては600mほど北東に駅があり、南側に向かって線路が八の字に延びていました。


当時は大網から土気の間にある勾配区間が貨物列車にとってきついため、平坦な東金線を経由するルートで貨物列車を運行するため、東金線から安房鴨川方面へ直接乗り入れられる配線となっていましたが、外房線の高速化に際しスイッチバックがネックとなっていたため、スイッチバック解消のため現在の位置に移転されました。
現在の位置に大網駅が移転した後も、貨物列車のために短絡線として新線と旧大網駅を繋ぐ線路が残っていましたが、貨物列車廃止後は撤去され、道路や商業施設等に転用されており、駅の近くにあるイオンの脇を斜めに通る道が、かつての外房線の廃線跡です。

大網と土気の間は下総台地と九十九里平野の境となっており、かつての外房線は台地を越えるため線路を蛇行させながら坂を登っていましたが、複線化と電化に際して長大な橋とトンネルで山を越えるルートに改められました。



千葉市に入ると沿線には新興住宅が建ち並ぶようになり、東京近郊の雰囲気がより一層強くなります。
大網から蘇我の間には土気、誉田、鎌取の3駅があり、どの駅も線内トップクラスの利用客数を誇ります。

・蘇我~東京
蘇我は内房線と京葉線が合流しており、千葉市内では千葉駅に次ぐ乗り換えの拠点となっています。
特急「わかしお」は当初外房線で千葉に向かい、千葉から総武本線に乗り入れていましたが、「成田エクスプレス」の運行開始によって総武本線の線路容量がいっぱいになったため、京葉線経由で東京へ向かうルートに改められました。
京葉線は東京の外環を貨物線で繋げる「東京外環貨物線」の一部として建設され、1970年代に蘇我から千葉貨物ターミナル(現在の千葉みなと駅の周辺)が貨物線として開業しました。
千葉貨物ターミナルから先は京葉臨海地域を通って、東京貨物ターミナルへつなげる予定でしたが、鉄道貨物の衰退、総武線の混雑緩和、京葉臨海地域の開発を見越して、残りの区間は通勤路線として建設されることになり、最終的に東京と蘇我を結ぶ「京葉線」として開業しました。
京葉線は大部分が臨海部の埋立地を走っており、都会の通勤路線ながら見える車窓はかなり独特です。
千葉みなと駅辺りでは、その名の通り広大な港が広がっており、かつてこの辺りに貨物ターミナルがあったのも十分納得できます。


京葉線沿線は埋立地であるため、近年になって開発された整然とした街並みが広がっています。
等間隔で真っすぐな道路が敷かれ、その間に住宅や商業施設がひしめき合っている光景は、北海道の大都市を彷彿とさせます。


多くのビルやタワーマンションが見えてくると、海浜幕張に到着します。
駅周辺は幕張新都心として大規模な開発がされており、幕張メッセを始め多くの商業施設やホテル、ビジネスビルやマンションが建ち並んでいます。
多くの人が想像する「幕張」の光景ですが、本来の「幕張」は花見川区幕張町エリアの事を指しており、幕張新都心と総武線の幕張駅や、京成幕張駅がやたら離れた場所にあるのもそのためです。

海浜幕張を出発して程なくすると、京葉線や武蔵野線の車両を管理する京葉車両センターが見えてきます。非常に広い車両基地ですが、この土地は鷺沼貨物駅を作るために確保していた土地で、京葉線を通勤路線に転用するにあたり、この広大な土地も車両基地に活用されました。
車両基地の反対側にはイオンモール幕張新都心があり、この商業施設へのアクセス駅として幕張豊砂駅が2023年に開業しました。


新習志野を通過すると、奥に広がるビル群の手前に谷津干潟が見えます。谷津干潟はこの辺りが東京湾だったころの名残で、かつての東京湾の環境が現在も維持されています。
京葉線が走っている場所はほぼ100%埋立地で、100年くらい前はみんな海の底だったと思うと少し感慨深いものがあります。

二俣新町の手前では、武蔵野線の線路に繋がっている二股支線が分岐し、二俣新町を通過すると武蔵野線の線路から伸びる高谷支線が合流します。二俣新町周辺はデルタ線となっており、武蔵野線の列車が東京、千葉方面双方へスムーズに乗り入れることができます。

鉄道の一大ジャンクションである二俣新町ですが、高速道路にとっても非常に重要な結節点となっており、東京都心へ向かう首都高湾岸線、成田方面へ向かう東関東自動車道、東京の外環を通る東京外環自動車道が合流する高谷ジャンクションがあります。

市川塩浜周辺は楽天やアマゾンなど、名だたる企業の倉庫が建ち並ぶ物流の拠点となっています。市川塩浜は一大消費地である東京に近く、先述した高谷ジャンクションが近くにあるため関東各地へのアクセスが良く、成田空港にも近いという絶妙なロケーションであるため、物流の拠点として発展しました。


市川塩浜を過ぎてしばらくすると、京葉線は海のすぐキワを走ります。今でこそ関東を代表する物流拠点となっている塩浜エリアですが、昔はその名前の通り塩の生産地として知られていました。
高度経済成長期以前の京葉臨海地域一帯は漁業や、海苔の栽培、塩の産出など水産業が盛んに行われており、その名残が地名にも残っています。

運河を越えると浦安市に入ります。浦安市は漁民が細々と暮らす小さな漁村でしたが、高度経済成長期以降は東京のベッドタウン、工業地帯として開発され、現在は千葉県内でも有数の人口を誇る大都市にまで発展しました。
新浦安周辺は住宅地として開発されている一方、中央公園通りを越えると広大な浦安の工業地帯が広がります。


工業地帯を抜けると、今度は夢の国が広がります。夢の国がある舞浜はフロリダ州のマイアミビーチに因んで名づけられた地名で、まだ夢の国の誘致が正式に決まる前から、一大リゾート地になることを見越して名づけられたようです。


夢の国を過ぎるとすぐに旧江戸川を渡り、東京都に入ります。

進行方向の左側に、巨大な「ダイヤと花の大観覧車」と、海に浮かぶガラスのドームが印象的な「葛西臨海水族園」を擁する葛西臨海公園が見えてきます。 東京ドーム約17個分という圧倒的な広さを誇るこの公園は、かつての東京湾の自然を取り戻すべく作られた人工渚や鳥類園が広がる、都内最大級のウォーターフロントです。

荒川を越えると新木場を通過します。新木場は東京臨海高速鉄道りんかい線と、東京メトロ有楽町線の乗換駅で、1990年まで京葉線の終着駅だった時代がありました。
京葉線とりんかい線は現在直通運転を行っていませんが、歴史的な経緯から線路自体は繋がっており、新木場手前で分岐する真ん中の線路はりんかい線に繋がっています。

りんかい線も京葉線と同様、東京外環貨物線の一部として建設されていましたが、国鉄の財政難のため工事が凍結。その後東京都が主体となり、国鉄が建設した遺構を活かしながら鉄道の整備が進み、1996年に初期開業、2002年に大崎まで全線開業しました。線路自体繋がっているにも関わらず相互直通運転を行っていないのは、運賃計算の複雑さなど諸事情により実現できていません。
新木場を通過すると、京葉線は気が変わったように急カーブを描いて、潮見に向かいます。
元々京葉線はりんかい線を通じて大井町の東京貨物ターミナルへ向かう予定でしたが、通勤路線として整備する方針に変わると、一大ターミナル駅である東京へ乗り入れさせるため、新木場から潮見、越中島にかけて急カーブを描いています。
京葉線が地下に入る手前で見える最後の光景が、越中島レールセンターです。
北九州市の八幡製鉄所で製造されたレールを貯蔵、加工する施設で、JR東日本管内で使用されているレールはここから搬出されています。

レールセンターが見終わると、列車は地下に潜り東京駅の京葉線地下ホームに到着します。
総評
スピード感:★★★★
車窓 :★★★★
お勧め度 :★★★★
安房鴨川から御宿までは房総のリゾート地の雰囲気、蘇我から東京までは京葉臨海地域の活発な経済活動の様子が感じられ、全体的に景色の見応えがありました。
外房線内では結構スピードを出す区間が多かったので、乗っててなかなか楽しい列車でした。
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