特急「北斗」の概要

◆基本情報◆

  • 運行区間:函館~札幌
  • 所要時間:3時間40分(函館~札幌)
  • 運行本数:11往復
  • 使用車両:キハ261系
  • 座席種類:指定席、グリーン席
  • 車内設備:コンセント有り(グリーン席のみ)、Wi-Fi無し
  • 車内販売:無し

特急「北斗」は函館から札幌を函館本線、室蘭本線、千歳線を経由して結ぶ列車です。

かつては函館、札幌、旭川と北海道の3大都市を結ぶ特急列車として運行されており、北海道を象徴する花形特急列車と言えます。

列車名は北斗七星に由来します。

 

 

 

特急「北斗」の停車駅と路線図

特急「北斗」停車駅時刻表

特急「北斗」は運行本数が多い割に停車駅はある程度統一されています。

早朝深夜帯の列車は観光需要の多い大沼公園、登別、白老を通過します。

 

特急北斗・すずらん 路線図

特急「北斗」の路線図。函館から長万部までは函館本線、長万部から苫小牧までは室蘭本線、苫小牧から札幌までは千歳線を走行します。

 

 

 

特急「北斗」の使用車両

・キハ261系1000番台

特急「北斗」キハ261系、雪景色と駒ヶ岳

特急「北斗」ではキハ261系1000番台が使用されています。

 

特急「北斗」はJR北海道を代表する花形特急であることから、JR北海道発足直後に新型車両の開発が行われ、振り子式車体傾斜装置を備えたキハ281系が投入されました。

当初は「スーパー北斗」として運行され、函館から札幌を最短3時間で結ぶスーパー特急として活躍していました。

特急「北斗」JR北海道キハ261系気動車

↑特急「スーパー北斗」として投入されたキハ261系(AIで生成したイメージ画像)

 

その後「北斗には」北海道新幹線開業に伴う輸送力増強のため、ハイスペック特急型気動車であるキハ285系を投入する予定でしたが、石勝線での火災事故を機に高速運転から安全性やメンテナンスコスト削減を優先する方針に転換したため、特急「とかち」や「おおぞら」で使用されていた、既存車両であるキハ261系1000番台が2016年から「北斗」での運行を開始しました。

 

キハ261系には空気ばね式の車体傾斜装置が搭載されていましたが、2015年から増備された車両には搭載が見送られました。

代わりに通勤型車両並の加速力を有しており、キハ281系やキハ283系といった振り子式車両にも引けを取らない走りっぷりを実現しています。

 

特急「北斗」にはキハ183系も使用されていましたが、老朽化が進行していたためこれもキハ261系1000番台で置き換えられ、更にキハ281系も置き換えたことにより、2022年から特急「北斗」は全列車がキハ261系1000番台で運行されています。

 

特急「北斗」の車内とお勧め座席

・キハ261系1000番台(北斗)

特急北斗・すずらん 座席指定イメージ
特急「北斗」は基本的に5両編成で運行されていますが、最近はインバウンド需要などで利用客が多いため増結されることが多く、最大9両編成で運行されます。
 
全席が指定席であるため座席を予約する必要がありますが、特急「北斗」は海を楽しむなら CD席、山を楽しむなら AB席がお勧めです。
また近年はインバウンド需要で日中の列車の普通指定席は、終日満席に近い状況が常態化しています。
直前の予約では窓側は全滅していることもざらにあるので、予定が決まっている場合は早めに予約することをお勧めします。

・普通車

特急「北斗」・「すずらん」の車内座席特急「北斗」・「すずらん」の車内座席

キハ261系1000番台は約10年にわたって製造されたため、車両によって座席の形状や内装が異なります。

こちらは普通車の様子で、キハ261系1000番台は2009年ごろに一部の普通車両の座席がグレードアップされ、可動式枕やドリンクホルダー、チケットホルダーが搭載された少し豪華な座席に変更されましたが。

 

その後の増備車はグレードアップ座席が普通座席の標準設備となり、2009年以前に製造された車両の普通座席もすべてこの座席に更新されました。

普通座席としてはかなり快適で、長時間の乗車も苦になりませんがコンセントは設置されていないので注意が必要です。

・グリーン車

グリーン車は初期から中期に製造された車両と、後期に製造された車両で内装が大きく異なります。

特急「北斗」のグリーン車内:革張りシート

こちらは2006年から2016年まで製造された初期・中期車のグリーン車の様子。

2+1列の配置で、座席は革張りとなっています。

特急北斗・すずらんの快適な車内座席特急「北斗」の革張りグリーン車座席

床はカーペット敷きで、横幅とシートピッチともに広くグリーン車の座席としては申し分ありません。

テーブルは手すり収納式となっています。

最大の特徴は座席が革張りとなっている点で、高級感がありますが滑りやすく、冬は冷えて寒いという意見もあり、最近は劣化が進んでいるためか、テープで補修している箇所も見受けられます。

コンセントは当初設置されていませんでしたが、のちに2口コンセントが窓際に設置されました。

 

特急「北斗」「すずらん」の車内画像特急「北斗」「すずらん」のuシート座席

こちらは2018年から製造された車両のグリーン車の様子。

座席幅やシートピッチは変更ありませんが、最大の特徴はモケットが布張りになっている点で、長時間乗車するならこっちの方が座り心地が良いかなと思います。

テーブルは背面式に変更されたほか、レッグレストも追加されコンセントはひじ掛け部分に標準搭載されました。

 

どちらの車両にあたるかは運次第ですが、特急「北斗」は普通指定席が混雑する一方、グリーン席は繁忙期でなければ利用客が少なくゆったりと過ごすことができるため、グリーン券を課金する価値は十分あると思います。

またグリーン車に乗れば確実にコンセントは確保できるため、個人的に「北斗」のグリーン車はかなりお勧めできます。

特急「北斗」・の景色と見所紹介(函館~札幌)

・函館~新函館北斗【函館から約20分で新幹線アクセス駅へ】

今でこそ道内第3の都市となっている函館ですが、かつては北海道の玄関口として栄華を極め、道内一の都市であった時代もありました。

函館駅は青函連絡船で本州の青森と結ばれていたため、貨物も旅客も必ず函館を経由する必要があり、かつて北海道内で運行されていた優等列車は基本的に函館が起点となっていました。

函館駅には青函連絡船からの荷物の積み下ろしや、車両の留置のため非常に広大な土地が広がっており、函館が北海道の鉄道の起点だったことを現在に伝えています。

特急「北斗」キハ261系車両基地

函館駅構内には函館運転所が併設されており、JR北海道と道南いさりび鉄道の車両の保守点検などが行われています。

特急「すずらん」車両と工場風景

函館駅を過ぎると、特急「北斗」は倉庫街の中を走ります。

北海道の玄関口かつ、道内有数の遠洋漁業の拠点だった函館は道内屈指の港町であり、道内や道外からの荷物や、水産物が集まる物流の拠点でした。

今は苫小牧が道内一の港町として発展し、遠洋漁業も衰退したため函館の地位は少し落ちた気もしますが、それでもこの倉庫街を見ると函館がまだまだ物流の拠点として活躍していることが伺えます。

倉庫群と煙突、青空と雲

次の駅である五稜郭は函館市内有数の観光地である五稜郭からは離れていますが、北海道の貨物列車にとって非常に重要な駅となっています。

五稜郭から分岐している道南いさりび鉄道線(旧江差線)は青函トンネルへと線路が繋がっており、青函トンネル内を走れる電気機関車と、北海道内で使用されているディーゼル機関車との付け替えが行われています。

駅構内には北海道内で使用されているDF200形(RED BEAR)が大量に留置されており、その光景は圧巻です。

 

五稜郭駅を過ぎると、函館市の郊外を進み進行方向の右側には住宅街が広がっている一方、左側には農地が広がっており対照的な風景を見ることができます。

広大な畑と山並み広がる風景

七飯から大沼にかけて、函館本線は二手にルートが分かれます。

一方は新函館北斗や仁山を経由する従来からのルートで、もう一方は1966年に建設された藤城支線と呼ばれるルートで、高架線で本線をオーバークロスして東側に向かいます。

藤城支線は本線の急こう配を緩和するために作られた下り列車専用の路線で、途中駅は設置されていません。

 

かつて特急「北斗」は全て藤城支線を経由していましたが、新函館北斗で新幹線と接続する必要が生じた為特急「北斗」は全て本線を経由するようになり、現在藤城支線を通る列車は貨物列車と1日3本程度の普通列車のみです。

ビニールハウスと田園風景、遠くに高架橋と山々函館本線と藤城支線の路線図

列車は北海道新幹線の車両基地の脇を通り、高架線と並走し新函館北斗に到着します。

・新函館北斗~森【車窓の主役は駒ヶ岳!道南屈指の絶景ポイント】

現在は北海道新幹線の暫定的な終着駅かつ、在来線との乗換駅となっている新函館北斗は元々「渡島大野」という駅名で、これから控える仁山峠を越えるための拠点として整備されました。

そのため広大な敷地を有しており、その広大な土地を活用して現在の新幹線駅が開業しました。

 

新函館北斗からは仁山峠と呼ばれる峠を越えるため、カーブを描きながら距離を稼ぎ急こう配を登っていきます。

特急「北斗」に使用されているキハ261系は非常にパワーの強い気動車ですが、さすがにこの区間ではあまりスピードを出せないようです。

雪景色と山並み、田園風景

峠を登ったところにある仁山は坂の途上にあり一度停車すると発車が困難となるため、助走をつけて発車するための引き込み線が設けられた日本でもかなり珍しいスイッチバック駅でした。

仁山は2026年に駅として廃止され、現在は信号所として現存しています。

にやま駅と雪景色

仁山までは内地とそこまで変わらない雰囲気の景色が続きますが、トンネルを抜けて七飯で分かれた藤城支線と合流すると、北海道らしい光景を見ることができます。

函館本線は小沼の湖畔に沿って走りますが、その奥には道南のシンボル的な山である駒ケ岳を望むことができます。

函館を出発して最初の絶景であり、大都市函館から30分ほどでこのような大自然の光景が広がるのは、北海道ならではの光景と言えます。

駒ヶ岳と湖の絶景(特急「北斗」)

雪景色と駒ヶ岳、特急北斗の車窓

↑冬場には全面凍結した小沼と雪を被った駒ケ岳が見えます。

 

大沼では再び二手にルートが分かれ、一方は大沼公園、駒ヶ岳を経由する従来のルートで、もう一方は鹿部や渡島砂原を経由する砂原支線と呼ばれるルートです。

この砂原支線も藤城支線同様、急こう配を緩和するために後から建設された路線で、下りの貨物列車は砂原支線を経由する一方、特急「北斗」は上下列車とも観光地である大沼公園を経由する本線を走行します。

これらが函館本線の名物「8の字ルート」ですが、特急「北斗」はどちらも旧ルートを採用しています。

函館本線と砂原支線の路線図

道南随一の景勝地である大沼公園の玄関口である大沼公園駅を出発すると、小沼と大沼の境を橋で越えます。

車内からも大沼を望むことができますが、背景に駒ヶ岳が見えてこその大沼なので、真の大沼の美しさを体感するにはしっかりと立ち寄りましょう。

積雪した湖畔と冬の木々

積雪の駒ヶ岳と雪原の風景

↑大沼公園から見た大沼と駒ヶ岳

 

大沼や小沼など「沼」があるように、この辺りは湿原が広がっています。

内地の湿原は大部分が農地や宅地に開発され、人里離れた秘境の地にしか残っていませんが、北海道では至る所に湿原があり列車の車内からも普通に見ることができます。

冬の森と川、雪景色

駒ケ岳駅を通過すると函館本線の線路は右へ左へ、のたうち回るように敷かれています。

この辺りは駒ヶ岳の噴火の影響でかなり複雑な地形をしており、線路も地形になるべく逆らわないように敷いた結果、カーブが連続する区間となりました。

地形図に描かれた特急「北斗」の路線

この区間では駒ヶ岳にすると左側に見えると思ったら右側に見えたり、さっきまでと形が違って見えたりと、移り変わる景色を楽しむことができます。

駒ヶ岳と田園風景、夕暮れ時の景色雪景色の駒ヶ岳と広大な平野

駒ヶ岳が見えなくなり、砂原支線と合流するといかめしで有名な森に到着します。

森は北海道で初めて天皇陛下が上陸した土地で、駅に到着する手前では天皇陛下上陸の記念碑を見ることができます。

鉄路と青い海、遠くの山並み

・森~長万部【内浦湾の西側を走行!天気が良ければ羊蹄山も見える!】

森からは東室蘭までひたすら内浦湾に沿って進みます。

内浦湾は噴火湾とも呼ばれており、北海道の印象的なシルエットを形成する非常に大きな内海で、森から東室蘭まで直線距離なら約45kmほどのところを、特急「北斗」は同区間を約140kmもの距離を走り続けて結んでいます。

 

森を発車すると対岸の胆振地方の山々が見え、特に一番目立つ山は蝦夷富士とも呼ばれる羊蹄山でしょう。

日本全国にある○○富士の中で最も富士山に近いのがこの山で、北海道を代表する山の一つと言えるでしょう。

約82kmほど離れた倶知安辺りにある羊蹄山が、はるか遠く離れた森から見えるとは驚きです。

駒ヶ岳と内浦湾の冬景色

森から落部あたりは海岸のギリギリまで山が迫るような厳しい地形となっており、函館本線は海岸線スレスレを走行しますが、特急「北斗」はそんな厳しい地形をお構いなしに、猛スピードで爆走します。

海に浮かぶ羊蹄山と青い空

八雲を出発すると羊蹄山も見えなくなり、比較的土地も広くなります。

山側には田んぼや小麦畑が広がっている一方、海側には何もない原野と国道5号線だけが並走するという北海道らしい光景を見ることができます。

雪景色と海、遠くに山並みが見える風景広大なトウモロコシ畑と遠くの山並み

瀬棚線が分岐していた国縫の手前辺りから、建設中の北海道新幹線の高架線と並走します。

北海道新幹線は新函館北斗を出発すると、日本最長の陸上トンネルになる予定である渡島トンネルを抜け、この辺りでようやく地上に出ます。

北海道新幹線が札幌まで開業すれば、新函館北斗から札幌は約1時間程度で結ばれる予定ですが、現状開業予定は2038年度末と試算されているため、当面の間は特急「北斗」が活躍しそうです。

 

また北海道新幹線が開業すると、特急「北斗」は廃止もしくは、函館から長万部間での運行が廃止になるのはほぼ確実で、普通列車の利用客が殆どいない同区間は貨物専用線として存続する予定となっていますが、現在も協議が続いておりまだ確定事項ではありません。

建設中の高架橋と列車の線路工事中の工場と線路

 

・長万部~東室蘭【内浦湾の東側を走行!山側に目を向ければ有珠山、昭和新山が見える】

長万部は札幌へ向かう線路が二手に分かれる主要駅で、倶知安や小樽を経由する山線ルートと、室蘭や苫小牧、千歳を経由する海線ルートに分かれます。

特急「北斗」は遠回りながら線形が良いためスピードが出しやすく、沿線人口も多い海線ルートを採用しているため、長万部から室蘭本線を走行します。

 

長万部を出発してしばらくは海岸線に沿って進みますが、静狩から礼文にかけては海岸沿いに線路を敷けないほど山が海岸線に迫っているため、室蘭本線は山の中に長いトンネルを掘って進むことになります。

雪景色の函館港とクレーン

トンネルを抜けて一瞬だけ外に出ると、小幌を通過します。

日本一の秘境駅として知られており、両端をトンネルに挟まれ駅周辺には何も無く、外部から通じる道も無いという凄まじい立地の駅で、一時期は廃止が検討されましたが地元自治体の支援により現在も営業しています。

山あいの小さな建物と線路

礼文を過ぎると再び海岸沿いを走るようになり、右奥には2時間ほど前まで近くを走っていた駒ヶ岳、左手前には室蘭半島、左奥には襟裳岬が見えます。

森~長万部間の内浦湾の景色

この辺りは室蘭本線で最も海に近づく区間で、特に北船岡駅は海のすぐ間近にある絶景駅として有名です。

北舟岡駅と海、空の風景

長和を通過したあたりから、有珠山と昭和新山が見えます。

有珠山は道内でも屈指の活火山で、非常に短いサイクルで大規模な噴火を繰り返しており、特に2000年の噴火は室蘭本線を2カ月ほど不通にさせるなど、道内の物流に大きな影響を与えました。

 

昭和新山は昭和の時代に何もない所から火山活動によって突如出現した山で、元々私有地であったことから、現在も個人が所有する珍しい火山となっています。

内浦湾沿いの絶景と駒ヶ岳

崎守辺りからは、室蘭の工業地帯の付近を走行します。

天然の良港である室蘭湾の沿岸部にはコンビナートや重化学工場が多数建設されており、特に製鉄業は室蘭の発展の礎を築きました。

 

空知炭田からの石炭や鉄鉱石などが鉄道によって室蘭に集まり、製鉄してそのまま輸出できることから、室蘭は鉄の街として栄華を極めました。

近年は工業都市、港湾都市として苫小牧が台頭して事により、室蘭の地位は昔比べ低下しましたが、「北斗」からの車窓を見れば、室蘭がまだ工業都市として健在であることが伺えます。

球形ガス貯蔵タンクと建物群室蘭工業地帯の工場風景

・東室蘭~南千歳【北海道の工業力と大自然を一挙に堪能】

東室蘭は室蘭中心部へ向かう室蘭支線が分岐している他、当駅から南側は電化されています。

隣駅の鷲別を通過すると、旧鷲別機関区の跡を見ることができます。

物流の拠点であった室蘭を支えた道内最大級の機関区で、多数の機関車が所属していましたが、2014年に廃止され現在は広大な施設と空地が残っています。

倉庫と白い建物の並ぶ風景

白老を過ぎると約28.7kmに及ぶ日本最長の直線区間に差し掛かり、樽前山が見えるようになります。

三重式火山と呼ばれる世界的にも珍しい山で、火口の中にさらに火山があるような独特の形をしており、現在も活発な火山活動が行われているため、溶岩ドームから噴煙が上がっている姿を見ることができます。

その麓には競走馬の牧場が広がっており、車内からも馬が放牧されている様子を見ることができます。

北海道の広大な田園風景と遠くの山々

王子製紙の工場が見えてくると、苫小牧に到着します。

苫小牧市は近年になって工業都市、港町として発展した都市で、現在では北海道で4番目に人口が多い都市となっています。

苫小牧市の発展の源となったのが王子製紙の工場で、王子製紙無しに今の苫小牧は無かったと言っても過言ではありません。

王子製紙苫小牧工場と工場の景観

苫小牧の市街地は広範囲に広がっていますが、室蘭本線と千歳線が分岐する沼ノ端を過ぎると急に市街地が途切れ、ウトナイ湖を中心とした湿原が広がるようになります。

この急激な景色の移り変わりも、北海道らしさを感じられるポイントです。

湿原と森、青空の風景

・南千歳~札幌【発展目覚ましい千歳線沿線から北の大都市札幌へ】

南千歳は千歳空港のアクセス駅として開業しましたが、新千歳空港開港後は道南、道東への乗り換えの拠点となっています。

人口約10万人弱の千歳市の中心駅である千歳周辺には多くのビルが建ち並んでおり、これまで見てきた都市の中では最も都会的に感じます。

札幌の街並みとビル群

千歳、恵庭、北広島といった千歳線沿線の都市は、札幌のベッドタウンとして目覚ましい発展を遂げており、その象徴とも言えるのが北広島市に建設されたFビレッジです。

北海道日本ハムファイターズの本拠地であるエスコンフィールドを核にした商業・エンタメ施設で、将来的には北海道医療大学の移転、駅の新設が予定されています。

Fビレッジ建設現場のクレーンと建物

Fビレッジを過ぎると千歳線は先ほどまでの都会的な雰囲気から一変し、原生林の中を走ります。

今の千歳線は高規格な高架線を走っていますが、昔は森の中を突き進み大谷地や東札幌を経由するルートで線路が敷かれていました。

緑豊かな丘と田園風景

この原生林を抜けると、急に200万人の人口を誇る札幌市の市街地が広がり、新札幌に到着します。

新札幌は千歳線の新線切り替えや、地下鉄東西線の乗り入れによって目覚ましい発展を遂げたエリアで、札幌の副都心として開発されました。

札幌の中心地でなくてもこれだけの大都会が広がる辺り、札幌が日本で5本の指に入る大都市であることが伺えます。

オフィスビルと駐車場

豊平川を越えて、札幌市の中心部に入ると、終点札幌に到着します。

高層ビル建設現場とクレーン

 

 

 

 

総評

車窓   :★★★★★

スピード感:★★★★

お勧め度 :★★★★★

 

北海道には数多くの魅力的な特急列車がありますが、「初めての道内特急旅」なら迷わず特急「北斗」をおすすめします。

 

その理由は、函館〜札幌という北海道屈指の主要ルートを駆け抜けながら、「北海道の大自然」と「経済の成り立ち」を同時に体感できるからです。

 

4時間の車窓に広がるのは、単なる景色ではなく「北海道という大地がどう作られ、どう動いてきたか」という壮大なドラマそのもの。

北の大地を訪れる際は、ぜひ特急「北斗」のシートに腰掛けて、この大動脈の旅を楽しんでみてください!

 

  八戸駅

青森県八戸市の代表駅です。

八戸市は約21万人弱の人口を有する県内第2の都市であり、南部地方の中心都市です。

沿岸部にあることから県内を代表する港町、工業都市となっており、八戸港からは北海道の苫小牧へ向かうシルバーフェリーが発着している事でも知られています。

八戸駅は当初八戸市ではなく、上長苗代村に建設されたため「尻内」という駅名を名乗っていました。

その後上長苗代村が八戸市に編入されると八戸線の八戸駅が「本八戸」、尻内駅が「八戸」に改名され現在に至ります。

「八戸」に改名された後には晴れて八戸市の玄関口となり、2002年には東北新幹線停車駅に昇格しましたが。駅周辺が開発されることはなく、現在も街外れに佇んでいます。

 

乗り入れ路線

・東北新幹線

・青い森鉄道青い森鉄道線

・八戸線

八戸駅とホテルメッツの外観

東口。JR東日本系列の「ホテルメッツ」を併設した橋上駅舎です。

新幹線開業に併せて整備されましたが、立派な駅ビルを併設する青森駅や弘前駅に比べると見劣りしてしまいます。

八戸駅前、バス停に停車する南部バス八戸駅前広場:バス停とビル群

東口駅前。駅前のロータリーから市の中心部へ向かうバスが15分間隔で発着しています。

駅前にはコンビニとビジネスホテルくらいしかなく、南部地方の拠点都市の玄関口とは思えないほど静かです。

八戸駅の正面広場と駅舎

西口。

八戸駅東口の鳥の像と広場

西口駅前。東口以上に何もありません。

八戸駅構内の案内板と通路

自由通路。「うみねこロード」という愛称が付けられています。

八戸駅のみどりの窓口

切符売り場。カウンター式のみどりの窓口が営業しています。

八戸駅の自動改札機と切符売り場

在来線改札口。青い森鉄道線と八戸線の改札口で、さすがに自動改札機が設置されています。

八戸駅の改札口と電光掲示板

新幹線改札口。改札内にも売店が営業しています。

八戸駅のホームと線路、電車

在来線ホームは3面5線。

八戸駅の薄暗いスペースと仕切り

改札内コンコースにある謎の薄暗いスペース。かつてバリケードの奥には特急列車と新幹線を乗り換えるための、乗り換え改札口がありました。

八戸駅の在来線ホームと新幹線ホーム

新幹線ホームは2面4線。天井の高い屋根で覆われており、非常に開放的です。

 

訪問日:2026/07/28

 

 

東北本線の概要

・基本情報

  • 路線区間:東京~盛岡
  • 営業距離:535.3km
  • 管轄会社:JR東日本

東北本線は東京から埼玉県、茨城県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県を経由して盛岡までを結ぶ路線です。

東北新幹線が八戸まで開業する2002年以前は青森が終点となっており、営業距離は657.2kmと日本最長の路線でした。

 

首都圏近郊に含まれる東京から黒磯までの区間は、「宇都宮線」という愛称が付けられており、旅館案内上でも使用されていますが、黒磯以北からは「東北本線」の名称が使用され、電化方式も交流電化に変わります。

 

長距離輸送の役割は東北新幹線にり、現在は貨物列車や普通列車の運行が主体となっており、普通列車は2両から6両編成程の短い編成の列車が主要駅の間を行き来しています。

 

東北本線の路線図と停車駅

・東北本線の路線図

東北本線路線図と停車駅

東北本線は黒磯から県境を越えて福島県に入ると、白河、郡山、福島と福島県の主要都市を結び、宮城県に入ると白石を経て仙台に到着します。

仙台からは小牛田や石越といった小規模な都市を結び、岩手県に入ると一ノ関に到着します。一ノ関からは北上川に沿って形成された岩手県の各主要都市である水沢、花巻、北上を経て終点盛岡に到着します。

 

運行系統は列車にもよりますが、基本的にその地域を代表する都市間で完結する運用が多く、大きく分けると黒磯~新白河、新白河~郡山・福島、福島~白石・仙台、仙台~小牛田・一ノ関、一ノ関~盛岡となります。

 

列車本数はどの区間でも概ね1時間に1,2本となっていますが、仙台近郊区間はさすがに本数が多く、最大1時間に5,6本ほど確保されています。

 

東北本線の使用車両

・701系100番台、1000番台、1500番台(新白河~盛岡)

701系電車 東北本線 停車駅
↑福島・仙台地区で使用されている701系
東北本線 701系 盛岡行き
↑盛岡地区で使用されている701系
 
701系は1993年から投入された東北地方向けの普通列車用車両で、現在は東北地方全域で使用されています。
東北地方では1990年代以降も客車もしくは急行型車両が普通列車に使用されている状態だったため、サービス向上と運行コスト削減のために導入されました。
 
首都圏に投入された新系列車両をベースに設計されており、車体には軽量ステンレスが採用されました。車内は、新幹線が開業し東北地方の普通列車は近距離利用が主体となったことや、ラッシュ時の混雑防止のため基本的にロングシートとなっています。
また東北地方は90年代まで客車が使用されていた関係でホームが低くなっているため、乗降口と客室の間にステップを設けることでこの高低差を解消しています。
 
基本編成は2両から4両と需要に合わせたフレキシブルな運用が可能となっており、後述するE721系との併結運転にも対応しています。
 
・E721系0番台、1000番台(新白河~一ノ関)
東北本線 701系電車 駅構内
E721系は2006年から投入された普通列車用車両で仙台地区の既存車両の置き換えと、仙台空港アクセス線用の車両として導入されました。
701系以降も仙台地区では急行型車両が普通列車に使用されており、慢性的な混雑が問題となっていましたが、3扉車かつセミクロスシートを採用したE721系の導入により仙台地区のサービス向上に貢献しました。
 
701系ではステップを設けることで東北地区の低いホームに対応しましたが、E721系では台車などの床下機器のサイズを縮小し、床の高さを下げることで客車とホームの段差をフラットにすることに成功しています。
 
東北本線の新白河~一ノ関、磐越西線の郡山~会津若松、仙山線の他仙台空港アクセス線や阿武隈急行の運用にも使用されています。

東北本線の景色と見所紹介(仙台~盛岡)

・仙台~小牛田【かつては二手に分かれていた!?東北本線の松島越え】

仙台を出発して仙山線が分岐すると、 仙台車両センターが見えてきます。
主に仙台周辺で使用されている電車を管理している車両基地ですが、その中でも一際目を引くのが 建築限界測定車のマヤ50形です。
 
建築限界測定車とはカメラやレーザーで、線路周辺の構造物や木などが列車に接触しないかを調べる車両ですが、マヤ50形はかつて東北本線でも使用されていたであろうオハフ50形旅客客車を魔改造したレア車両です。
出番が無い時は基本的に仙台車両センターに留置されているため、車両基地の横を通過する際には要注目です。
東北本線 701系車両
岩切の手前では、移転工事が進められている 仙台貨物ターミナルの様子が見えます。
現在の仙台貨物ターミナルは宮城野区宮城野にある1961年に建設された古い貨物駅で、施設の老朽化や大型のコンテナトラックや最新設備を十分に拡充・配置するためのスペースの不足が問題になっていました。
 
そんな状況で東日本大震災が発生し既存の貨物ターミナルは防災・広域避難場所として整備されることになり、新しい貨物ターミナルは宮城野区岩切に移設されることになりました。
鉄道貨物が衰退した現在において新しい貨物ターミナルが作られる光景はかなり貴重だと思うので、今のうちに見ておくべき光景でしょう。
建設中の貨物ターミナルと線路 東北本線と貨物ターミナル地図
岩切では利府へ伸びる 利府支線が分岐していますが、元々は利府支線が東北本線の一部でした。
当初の東北本線はひたすら山をかき分けて品井沼まで向かっていましたが、この区間は補機を連結しなければ登り切れないほどの勾配区間が続く為、戦時中に輸送力増強のため海側を経由する新線が建設されました。
 
しばらくは旧線が 「山線」、新線が 「海線」と称され共存していましたが、沿線人口が多い海線のみを残すことになり山線は廃線となりましたが、岩切から利府の区間は宅地化が進み利用客が多かったことから、利府までの区間は残されました。
その後利府町は仙台のベッドタウンとして急速に人口が増加し、利府支線は仙台近郊を代表する通勤路線に変貌したため、この区間を残したのは大正解と言えるでしょう。
東北本線の線路と駅の風景
↑左手にカーブするのが利府支線、右手にカーブするのが東北本線。
東北本線路線図「山線」「海線」
陸前山王からは 仙台臨海鉄道が分岐しており、仙台港に向かって線路が伸びています。
仙台港から内陸部の物流を担う路線として建設された貨物専用線で、東日本大震災発生時には津波で施設や機関車が流されるなど甚大な被害を受けましたが、見事復興を遂げ仙台の物流を支えています。
東北本線の広大な田園風景と送電線
国府多賀城駅は中世の時代に東北地方の軍事拠点として整備された、 多賀城の近くにある駅です。
多賀城の構造物は殆ど残っていませんが、多賀城があったことを示す石碑が奈良時代から残っており、国内でも屈指の古さを誇る古碑として国宝に登録されています。
 
さらにその石碑を保護するための小屋が江戸時代から残っており、こちらも大変貴重な歴史的建造物として保護されています。
駅周辺には東北歴史博物館やだだっ広い草原が広がっており、この辺に多賀城があったんだろうという雰囲気が伝わります。
東北歴史博物館と国府多賀城駅
塩釜を出発して山を抜けると、 仙石線と並走して松島湾沿いを走ります。
仙石線は仙台から石巻を結ぶ路線で、仙台都市圏を代表する通勤路線として活躍していますが、元々宮城電気鉄道という私鉄路線として開業した経緯から、東北地方のJR線としては唯一の直流電化路線となっています。
 
仙石線の線路が見えると、一瞬だけですが 松島湾と湾に浮かぶ小さな島々を見ることができます。
ひたすら内陸部を走り続ける東北本線で海が見える数少ない区間であるため、この車窓は見逃し厳禁です。
松島湾沿いの景色と東北本線 東北本線 港町の風景
仙石線の陸前浜田の近くに広がる港町を過ぎると、東北本線はいくつものトンネルで松島湾沿いの険しい地形を越えていきます。
松島の手前では東北本線と仙石線を結ぶ連絡線が見え、 仙石東北ラインの列車が使用しています。
東北本線と仙石線は隣り合う路線ながら長年直通運転を行っておらず、計画こそされたものの電化方式の違いや採算性などの問題から実現せずにいました。
 
そんな状況下で東日本大震災が発生し、仙石線は津波を被って線路や車両が流されるなど甚大な被害を受けましたが、仙石線を復興させるにあたり東北本線との直通運転を行うための新線 「仙石東北ライン」の建設が実現しました。
電化方式の違いを解消するために高性能なハイブリッド気動車が投入され、両路線が最も近づく松島手前から高木町手前に連絡線が整備されたことで、仙台と仙石線の松島以東の沿線都市の距離は大きく短縮されました。
東北本線の線路と緑豊かな風景
愛宕を出発すると、岩切で分岐した山線と隣り合うようにして走ります。
一部は道路に転用されており、車窓からも確認することができます。
東北本線の複線と緑豊かな車窓
品井沼を過ぎると、広大な 大崎平野の中を走ります。
仙台周辺では見られなかった広大な田園地帯が広がっており、宮城県随一の米どころとなっています。
関東平野は田んぼの中にポツポツ家が建っているイメージですが、東北地方の平野は一面田んぼが広がっているのが特徴で、みちのくの風情を感じられる風景だと思います。
広大な田園風景と道

・小牛田~一ノ関【秋になれば「初雁」が見える湿地帯を越え岩手県へ】

小牛田は東北本線他鳴子温泉、新庄へ向かう陸羽東線、石巻や女川へ向かう石巻線が分岐する宮城県北部の主要ターミナル駅です。
東北本線の大半の列車が当駅で折り返すため、乗り通しの旅では降りる機会が多い駅ですが、新幹線は少し離れた古川に停まっているため、駅の規模の割に長閑な雰囲気が漂っています。
東北本線 701系電車と複線区間
小牛田から一ノ関の区間は沿線に登米市や栗原市といった、それなりに人口の多い都市がありますが、絶妙に両街の中心部から外れた所を走っているため、沿線の雰囲気は非常に長閑です。
梅ヶ沢から新田は、沿線に多数の沼が点在する湿地帯となっています。
このうち最も大きい沼が伊豆沼で、渡り鳥の越冬地として知られています。
毎年秋になるとマガンや白鳥の群れが冬を越すため大量に押し寄せ、その年の秋に一番最初にやって来たマガンは 「初雁(はつかり)」と呼ばれています。
かつて上野から青森を東北本線経由で結んでいた特急「はつかり」の由来となった言葉で、2002年まで親しまれた愛称でした。
川と緑豊かな景色
石越はかつて くりはら田園鉄道が分岐していた駅で、その廃線跡が進行方向の左側に見えます。
くりはら田園鉄道は石越から細倉マインパークを結んでいた路線で、元々は細倉鉱山の物資を運搬するための鉄道として活躍していました。
 
細倉鉱山が閉山すると沿線住民の足として活用されていましたが、貨物輸送が廃止になった影響は大きく、運営会社を第三セクターに移管し電化区間を非電化に戻すなどして運行を続けていましたが、経営状態は改善することなく2007年に廃止となりました。
東北本線の駅構内と線路
石越を出発すると、夏川と呼ばれる小さい川を渡って岩手県に入ります。
福島県から宮城県に入るときには険しい国見峠を越えたのに対し、宮城県から岩手県に入るのはかなりあっさりとしています。
鉄橋から見た東北本線、緑豊かな田園風景
岩手県に入って最初に到着する駅が花泉で、駅周辺はそれなりに大きな街が形成されています。
東北本線の線路と跨線橋
ここから岩手県の旅が始まる・・・と思いきや清水原を過ぎると再び県境を越えて宮城県に入り有壁に到着します。
清水原と有壁の間の県境は目印と言えるものが何も無く、事前知識が無ければ再び宮城県に戻っていることに気づかないでしょう。
 
有壁は旧奥州街道の宿場町があった場所で、江戸時代に建設され移築された本陣の建物が残っています。
東北本線の田園風景と住宅地
有壁は正真正銘宮城県最北の駅で、ここから有壁峠を越えて岩手県に入ります。
有壁峠には全長約1000mの 大沢田トンネルが掘られており、このトンネルを抜けると岩手県に入ります。
これまで越えてきた宮城県と岩手県との県境に比べると、よっぽど県境を越えた感があります。
トンネルと線路、緑豊かな木々
ちなみに開業当時の東北本線は有壁を経由せず、現在よりも短絡的なルートで有壁峠を越えていました。
このルートは距離は短いものの急こう配が連続する区間で、非力な蒸気機関車で登ることが難しいため現在の遠回りながらも、勾配を緩和したルートに改められました。
東北本線の路線図と見どころ

・一ノ関~盛岡【701系が爆走!北上平野を猛スピードで縦断】

一ノ関は岩手県南部のターミナル駅で、東北新幹線の他気仙沼へ向かう大船渡線が分岐しています。
一関市の玄関口のみならず平泉や厳美渓・猊鼻渓、一関温泉郷など岩手県南部の観光の拠点ともなっており、周辺地域では非常に大きな存在感を放っています。
東北本線の運行系統は当駅を境に完全に分断されており、ここから先は盛岡仕様の701系が活躍します。
東北本線 701系電車と駅構内
一ノ関を出発して磐井川を渡ると、線路を境に進行方向の左側には住宅地、右側には土手が続いています。
土手の向こう側は広大な田んぼになっていますが、いざ北上川が氾濫した際には溢れた水を受け止める遊水地となっています。
 
北上川作り出した北上平野は南部の一関や平泉辺りで急に川幅が狭くなりながらも、高低差が無いため水が滞留しやすく、ひとたび大雨が降れば一関、平泉は洪水被害に見舞われていました。
そんな状況下で戦後間もない頃カスリーン台風とアイオン台風が襲来し、一関市街地がほぼ全域水没するなど甚大な被害に見舞われました。
 
二度とこのような災害に見舞われないよう、一関周辺では日本史上類を見ないような大規模治水工事が行われ、その一環で整備されたのが一関遊水地で、山ノ目の手前から平泉の手前辺りまで線路の右側に民家は一切存在しません。
線路脇の田園風景と家々
太田川を渡ると、平泉に到着します。
平泉は平安時代末期に奥州藤原氏によって整備された歴史都市で、金色堂で知られる中尊寺や浄土楽園で知られる毛越寺があります。
東北本線は中尊寺への参道を踏切で横断しており、この辺りは他の都市とはまた違った趣が感じられます。
踏切を通過する東北本線の線路と信号
衣川を越える辺りから、東北本線は真新しい高架線を走るようになります。
昔は地面に近い所を走っていましたが、この辺りも北上川が氾濫した際には水没するリスクがあることから、線路の嵩上げのために高架線が建設されました。
東北本線の田園風景と線路
前沢の手前になると周囲の土地が一気に開け、広大な 北上平野を北上します。
北上平野は岩手県を南北に縦断する県内最大の平野で、岩手県民の大半がこの平野に住んでいます。
東北本線は盛岡までひたすら広大な平野を進んでいくため非常に線形が良く、701系普通列車は爆音モーターを唸らせ、最高速度110km/hで爆走します。
東北本線の盛岡地区は景色は平坦ですが、701系が最も爆走ぶりを発揮する区間でもあるので飽きることは無いでしょう。
東北本線 701系 電車と田園風景
水沢は大谷翔平選手の出身地である奥州市の代表駅で、かつては特急も停車していた主要駅でした。
ホームには地場産業である南部鉄器をアピールするため、南部鉄器製の風鈴が大量に吊り下げられており、夏の風物詩となっています。
東北本線の無人駅と線路
和賀川を渡ると、北上に到着します。
北上市は県のほぼ中央部に位置し、古くから陸上交通の結節点として栄えていました。
その立地の優位性を活かし昭和30年代から積極的な工場誘致を行った結果、自動車や半導体メーカーの企業が進出し、隣の金ヶ崎と共に県内を代表する工業都市に成長しました。
人口は約9万人と県内4番手ですが、経済力の高さから人口が安定しており実質県内第2位の都市と言っても過言ではありません。
東北本線の線路とビル群
北上駅周辺は市街地という雰囲気ですが、村崎野辺りから北上市の工業都市っぷりが伺える光景が続きます。
この辺りは「北工業団地」として整備されており多種多様なメーカーの工場が建ち並んでいますが、特に目を引くのが半導体メーカー「キオクシア」の工場です。
四日市工場と並ぶキオクシアの拠点工場で、地域に大量の雇用と税収を生み出しています。
東北本線沿いの工場群と線路 キオクシア工場と田園風景
工業団地を抜け豊沢川を渡ると、花巻に到着します。
花巻市も北上市に並ぶ岩手県中央部の主要都市で、大きな存在感を放っています。
花巻市にはいわて花巻空港があり、花巻駅の隣駅は 「花巻空港」を名乗っていますが、とても近くに空港があるとは思えない鄙びた住宅地が広がっています。
 
元々は 「二枚橋」という駅名で近くに空港が開港したため改称されましたが、ターミナルが空港の敷地の向こう側にあるため実際はめちゃくちゃ遠く、当駅を空港アクセス駅として使うのは現実的ではありません。
東北本線の駅と住宅地
紫波中央辺りからは沿線に新興住宅が建ち並ぶようになり、盛岡市のベッドタウンという雰囲気が強くなります。
岩手飯岡を過ぎると、 盛岡貨物ターミナルの横を通ります。
盛岡駅に新幹線駅を建設するにあたり移設された貨物駅で、北東北の貨物輸送の拠点として活躍しています。
東北本線の風景と701系電車
仙北町を出発すると、東北本線は雫石川を渡って盛岡へ向かいます。
盛岡駅は北上川と雫石川が合流する三角州の先端に設けられた駅で、盛岡駅へ向かう鉄橋はちょうど2つの川の合流地点に架けられています。
盛岡市の中心街は北上川の対岸に広がっているため、盛岡市のビル群が良く見えます。
橋と街並み:東北本線風景 東北本線 鉄橋と川の風景
2002年から東北本線の終着駅となった盛岡駅は八戸・青森方面へ向かう元東北本線ことIGRいわて銀河鉄道線、好摩から分岐して八幡平、大館へ向かう花輪線、宮古へ向かう山田線が乗り入れる岩手県屈指のターミナル駅です。
さらに大曲へ向かう田沢湖線は秋田新幹線のルートに組み込まれており、秋田への玄関口としても機能しています。
 
盛岡市は約28万人の人口を誇る岩手県の県庁所在地であり、北東北を代表する都市です。
盛岡は 「北上川」「雫石川」「中津川」の3本の川が集まる水運の拠点であり、その天然の要害を生かして南部藩の城下町が築かれた歴史を持ちます。
 
市内にある 岩手銀行赤レンガ館は、東京駅丸の内駅舎などを手掛けたことで知られる辰野金吾氏が設計した建造物で、明治時代にこのような立派な建造物が建てられたことからも、盛岡が古くから東北地方で威厳を放っていたことが分かります。
歴史的建造物、岩手銀行赤レンガ館
そんな盛岡に鉄道の駅が置かれ、多くの路線が乗り入れるようになり、東北地方を代表する大ターミナル駅の一つになれたことは必然と言えます。
特に東北新幹線開業のインパクトは大きく、1982年から2002年までは東北新幹線の終着駅として存在感を高め、中間駅となった現在も秋田新幹線との分岐点、「やまびこ」の終着駅、全列車停車駅として大きな存在感を放っています。
駅併設の商業施設「フェザン」は常に多くの人で賑わっており、盛岡駅は東北地方第2のターミナル駅と言って差し支えは無いでしょう。
盛岡駅の建物とバス

 

  盛岡駅(JR東日本)

岩手県盛岡市の代表駅です。

盛岡市は岩手県の県庁所在地で人口は約28万人です。本州の県庁所在地では最も寒いとされていますが、降雪量はそこまで多くありません。

盛岡駅は当初仙北町駅の辺りに建設される予定でしたが、岩手県出身の原敬や後藤新平の働きかけで北上川と雫石川が合流する間の土地に建設されました。

6路線の列車が乗り入れる県内最大のターミナル駅で、東北新幹線も開業から2002年までは当駅を終点としていました。

1997年には秋田新幹線の分岐駅となり、東北新幹線の中でも有数の主要駅となっています。

 

乗り入れ路線

・東北本線

・東北新幹線

・田沢湖線(秋田新幹線)

・山田線

 

盛岡駅東口、黄色い看板と駅舎

東口。3階建ての巨大な駅舎です。石川啄木の筆跡を写した「もりおか」の駅名表示が印象的ですが、昔はこれ以外に駅名を表すものは無かったようです。

盛岡駅東口の駐車場とビル群

東口駅前。盛岡市の中心地は北上川の対岸に広がっていますが、駅前にも市街地が形成されています。

盛岡駅西口地下通路入口

西口。大きな駅舎がある東口とは対照的に西口には駅舎という駅舎は無く、自由通路の出入り口しかありません。

こちらは地下自由通路の出入り口です。東口側には30万人弱の都市には珍しく地下街が形成されています。

盛岡駅西口の広々とした駐車場

西口にはだだっ広い土地が広がっていますが、昔は鉄道用地でした。

盛岡駅西口、近代的な駅舎と広々とした広場

さんさこみち西口。地下道のほかに2階に直結する自由通路もあり、「さんさこみち」と呼ばれています。

秋田新幹線建設当時は田沢湖線代行バスへの連絡通路として使用されていました。

盛岡駅西口の近代的ビル群

西口駅前。左側が盛岡市民文化ホール(マリオス)、右側がアイーナ・いわけ県民情報交流センターです。

この辺りも昔は盛岡駅の構内の一部でした。

西口側は雫石川がすぐ近くに迫っているためか土地に余裕が無く、開発があまり進んでいないような気がします。

盛岡駅東口のインフォメーションセンター

コンコース。

盛岡駅の「みどりの窓口」と券売機

みどりの窓口。盛岡駅は新幹線の高架下に収まっているため南北に長く、みどりの窓口は南北の2か所に設置されています。

盛岡駅の券売機と改札口

切符売り場。

盛岡駅 自動改札機とポケモンスタンプラリー

在来線改札口。

盛岡駅北口改札口の様子

新幹線改札口。在来線改札口の対面に設置されています。

以前は跨線橋からコンコースに向かって南北に改札口が分かれており、自動改札機が八の字に設置されていましたが、動線が分かりづらいということで1か所に集約されました。

盛岡駅のホーム、電車、人

在来線ホームは4面8線。主要駅らしい長いホームが用意されていますが、ローカル列車しか発着しなくなった現在は無用の長物となっています。

盛岡駅のホームと電車

8,9番線の田沢湖線ホームは秋田新幹線が入線する関係で標準軌の線路が敷かれています。

稀に秋田新幹線の車両が地上のホームに停まることがあるようです。

盛岡駅 新幹線ホーム 新緑のE5系はやぶさ

新幹線ホームは2面4線。

真ん中の12,13番線は通過列車が通ることを想定して、列車とホームの幅が若干広くなっています。

現在盛岡駅を通過する列車は無く、12,13番線は当駅で折り返す列車が発着します。

秋田新幹線は外側の11,14番線で「はやぶさ」との解結・併結を行います。

 

訪問日:2024/12/13,2026/07/28

 2024年12月訪問時の様子

盛岡駅 みどりの窓口(南)

改札口改良前のみどりの窓口(南)。当時はみどりの窓口(南)とみどりの窓口(北)と案内されていました。

盛岡駅 新幹線改札口と発車案内

改札口改良前の南改札口。在来線改札口と新幹線改札口が八の字で設置されています。

盛岡駅北口みどりの窓口と改札口

みどりの窓口(北)。

盛岡駅の改札口と新幹線入口

北改札口。こちらも在来線改札と新幹線改札が八の字に設置されています。

当時は南北改札口の間に乗換改札口がありました。

 

訪問日:2024/12/13

  盛岡駅(IGRいわて銀河鉄道)

 

2002年に東北新幹線が八戸まで延伸開業した際に、東北本線の盛岡から目時まではIGRいわて銀河鉄道に経営移管されたため、JRとは別に駅設備が設けられました。

IGRいわて銀河鉄道線の列車の他、好摩から直通運転している花輪線の列車も乗り入れています。

 

乗り入れ路線

・IGRいわて銀河鉄道線

・花輪線

盛岡駅(JR東日本・IGRいわて銀河鉄道)入口

北口。IGR線の駅の出入り口は駅舎北端の1階部分に設けられています。

盛岡駅の待合室ときっぷ売り場

切符売り場。近距離切符用の券売機が設置されています。

盛岡駅の自動改札機と電光掲示板

改札口。自動改札機は設置されておらず、有人改札が現役です。

盛岡駅のピカチュウ自動販売機

ホームは1面2線。行き止まりの0番線ホームと、1番線ホームを使用しています。

1番線は元からあったものを改造したもので、0番線はIGR線用に新設されました。

 

訪問日:2026/07/28

 

 

東北本線の概要

・基本情報

  • 路線区間:東京~盛岡
  • 営業距離:535.3km
  • 管轄会社:JR東日本

東北本線は東京から埼玉県、茨城県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県を経由して盛岡までを結ぶ路線です。

東北新幹線が八戸まで開業する2002年以前は青森が終点となっており、営業距離は657.2kmと日本最長の路線でした。

 

首都圏近郊に含まれる東京から黒磯までの区間は、「宇都宮線」という愛称が付けられており、旅館案内上でも使用されていますが、黒磯以北からは「東北本線」の名称が使用され、電化方式も交流電化に変わります。

 

長距離輸送の役割は東北新幹線にり、現在は貨物列車や普通列車の運行が主体となっており、普通列車は2両から6両編成程の短い編成の列車が主要駅の間を行き来しています。

 

東北本線の路線図と停車駅

・東北本線の路線図

東北本線路線図と停車駅

東北本線は黒磯から県境を越えて福島県に入ると、白河、郡山、福島と福島県の主要都市を結び、宮城県に入ると白石を経て仙台に到着します。

仙台からは小牛田や石越といった小規模な都市を結び、岩手県に入ると一ノ関に到着します。一ノ関からは北上川に沿って形成された岩手県の各主要都市である水沢、花巻、北上を経て終点盛岡に到着します。

 

運行系統は列車にもよりますが、基本的にその地域を代表する都市間で完結する運用が多く、大きく分けると黒磯~新白河、新白河~郡山・福島、福島~白石・仙台、仙台~小牛田・一ノ関、一ノ関~盛岡となります。

 

列車本数はどの区間でも概ね1時間に1,2本となっていますが、仙台近郊区間はさすがに本数が多く、最大1時間に5,6本ほど確保されています。

 

東北本線の使用車両

・E531系(黒磯~新白河)

E531系交直流電車 東北本線
E531系は2005年から投入された交直流対応一般型車両です。元々は常磐線、水戸線で使用されていた403系や415系などの国鉄型車両の置き換えと、つくばエクスプレスに対抗するため最高速度130km/h運転に対抗可能な車両として導入され、常磐線の品川から原ノ町、水戸線で使用されています。
非常に運用範囲が広いため約20年にわたって量産し続けられたJR東日本を代表するベストセラー車両となっており、当車両の汎用性の高さが伺えます。
 
東北本線では交流電化区間となっている黒磯以北から、直流電化されている黒磯駅構内に乗り入れるため交直流電化対応の当車両が抜擢され、新白河から黒磯の間で使用されています。

 

・701系100番台、1000番台、1500番台(新白河~盛岡)

701系電車 東北本線 停車駅
↑福島・仙台地区で使用されている701系
東北本線 701系 盛岡行き
↑盛岡地区で使用されている701系
 
701系は1993年から投入された東北地方向けの普通列車用車両で、現在は東北地方全域で使用されています。
東北地方では1990年代以降も客車もしくは急行型車両が普通列車に使用されている状態だったため、サービス向上と運行コスト削減のために導入されました。
 
首都圏に投入された新系列車両をベースに設計されており、車体には軽量ステンレスが採用されました。車内は、新幹線が開業し東北地方の普通列車は近距離利用が主体となったことや、ラッシュ時の混雑防止のため基本的にロングシートとなっています。
また東北地方は90年代まで客車が使用されていた関係でホームが低くなっているため、乗降口と客室の間にステップを設けることでこの高低差を解消しています。
 
基本編成は2両から4両と需要に合わせたフレキシブルな運用が可能となっており、後述するE721系との併結運転にも対応しています。

 

・E721系0番台、1000番台(新白河~一ノ関)
東北本線 701系電車 駅構内
E721系は2006年から投入された普通列車用車両で仙台地区の既存車両の置き換えと、仙台空港アクセス線用の車両として導入されました。
701系以降も仙台地区では急行型車両が普通列車に使用されており、慢性的な混雑が問題となっていましたが、3扉車かつセミクロスシートを採用したE721系の導入により仙台地区のサービス向上に貢献しました。
 
701系ではステップを設けることで東北地区の低いホームに対応しましたが、E721系では台車などの床下機器のサイズを縮小し、床の高さを下げることで客車とホームの段差をフラットにすることに成功しています。
 
東北本線の新白河~一ノ関、磐越西線の郡山~会津若松、仙山線の他仙台空港アクセス線や阿武隈急行の運用にも使用されています。

 

東北本線の景色と見所紹介(黒磯~仙台)

・黒磯~新白河【デッドセクションを越えて本格的に始まる東北本線の旅】

黒磯から先もしばらく栃木県の県域は続きますが、鉄道的には黒磯が関東地方と東北本線の境目と言えます。
まず東京からここまで東北本線は 「宇都宮線」という愛称が付けられていましたが、黒磯から先は 「東北本線」の名前で案内されるようになります。
次に東北本線は黒磯まで関東地方で主流な 直流電化区間でしたが、黒磯から北は東北地方で主流な 交流電化区間に切り替わります。
以下の2点を踏まえれば、黒磯が関東と東北の境であることが理解できるでしょう。
交流電線注意の看板と緑の風景
直流と交流電化区間の境である黒磯は、今まで駅構内に流れる電気の種類をスイッチで切り替えることで、関東側と東北側の列車が乗り入れられていました。
しかし複雑な電気設備のため点検中に作業員が感電死する事故や、電気の種類を間違えてショートするなど重大な事故が多発したため、黒磯駅構内に流れる電気は直流に統一されました。
 
これにより東北側の列車が乗り入れが不可能となったため、一時期キハ110系が使用されていましたが、さすがに輸送力不足という理由で主に常磐線などで使用されている、 交直流対応電車E531系が使用されています。
東北本線で最も利用客が少ないエリアで5両編成の車両が使用されているため、超満員になることはまずなくゆったりと過ごすことができます。
E531系交直流電車 東北本線 4139M
黒磯を出発すると那珂川を渡りますが、この手前に直流と交流が切り替わる デッドセクションがあります。
デッドセクションの区間は電気が流れていないため、一時的に電気の供給が無くなります。
E531系は新しい車両であるため車内の電気が消えることはありませんが、モーターと空調の音は止まるためそこでデッドセクションの通過を感じることができます。
 
鉄橋を渡るときから見える景色や、鉄橋を渡り終わった後の景色は自然豊かな一面の緑が広がっており、関東地方の終わりを感じさせます。
鉄橋と緑豊かな山並み 東北本線、田園風景と青空
関東と東北の間には山で隔てられているため、東北本線は山を越える必要がありますが、黒磯から白河までの大半の区間は1920年代に付け替えられています。
開業当時はまだ土木技術が未熟なため、なるべく地形に逆らわないよう線路を建設した結果、山間部を蛇行しながら進む線路になってしましたが、日本を代表する大幹線として心もとないという理由で、現在のルートが完成しました。
 
東北本線の旧線の一部は道路に転用されており、東北本線に並走してきた県道211号線豊原高久線が黒田原の手前で大きくカーブしていますが、これこそ東北本線の旧線です。
東北本線 路線図 豊原周辺 東北本線沿いの住宅地と線路
黒田原駅は那須町の中心駅で、駅周辺には市街地が形成されています。
開業当時の黒田原駅は現在の那須町役場がある所にあったようですが、線路付け替えに伴い現在の場所に移転しました。
移転当時から使用されているであろう立派な木造駅舎が健在ですが、あまり有名な存在ではないので今後の行く末が案じられます。
東北本線 黒磯駅構内の風景
栃木県最北の駅である豊原を出発すると、いよいよ県境を越えて福島県に入ります。
栃木県と福島県の県境は黒川を基準に決められており、開業当時の東北本線は地べたに張り付くように走っていたようですが、現在の東北本線は 黒川橋梁と呼ばれる長大な橋で川を越えていきます。
東北本線 路線図 白河~新白河
黒川橋梁からの景色はまさに絶景であり、東北地方への第一歩を踏み入れた実感が湧きます。
またこの鉄橋は撮影スポットとしても有名で、特に寝台列車の定番の撮影地として親しまれていたようです。
田園風景と山々が広がる東北本線の景色
名実ともに東北地方に入り、最初に到着する駅が白坂です。
白坂を出発すると、一気に平地が広がり新幹線の高架と新興住宅地が見えると新白河に到着します。

・新白河~郡山【白河の関を越えて本格的に始まるみちのくの旅】

新白河はE531系が乗り入れる北限の駅で、ここから北へ向かうには必ず乗り換えが必要となります。
そのため新白河は乗り換えに特化した構造となっており、黒磯からの列車と郡山からの列車が対面に停まるため、フラットな移動で乗り換えが可能となっています。
新白河・郡山方面行き列車、東北本線ホーム
↑新白河のホーム。奥に黒磯からの列車、手前に郡山からの列車が停まります。
 
新白河で降りる際に注目していただきたいのが、乗降口とホームとの段差です。
東北地方は1990年代くらいまで客車列車が走っていたため、ホームが客車の高さに合わせた低いホームが現在も使用されています。
そのため普段関東地方で使用されているE531系だと、ホームの高さが合わないため段差が生じます。
この段差を見るだけでも、東北地方に来たことが実感できるでしょう。
E531系電車、東北本線ホームにて停車中
新白河は乗り換えの拠点でもあり、新幹線停車駅でもあります。
元々は信号所として開設し、その後「磐城西郷」として駅に昇格したのち、東北新幹線開業により新幹線停車駅に大出世を遂げました。
「新 白河」と名乗っていますが、駅があるのは白河市と西郷村の境で戸籍上は西郷村に所在しています。
西郷村は日本で唯一の新幹線駅を持つ となり、駅周辺はマンションや住宅地、工場が建ち並ぶなど村とは思えな程発展しており、周辺自治体と合併することなく存続しています。

 

新白河から先使用されている車両は701系もしくは、E721系となるためここから先は完全に東北地方の空気となります。
特に701系は乗る機会が多いと思いますが、ロングシート車両という理由で毛嫌いされがちです。
しかし701系はワンマン運転を行う際に、貫通扉の真後ろのスペースが解放されるため、そこに立てば一等車の展望車気分で後ろに流れ去る景色を楽しむことができます。
物を置ける台もあるのでかなり快適に過ごせますが、車両によっては立ち入りを制限している区域もあるため、そこには立ち入らないよう注意が必要です。
東北本線E531系車内から見た線路
もう一つの701系の魅力と言えば爆音モーターです。
701系はJR発足間もない頃に製造された車両で、まだ国鉄の雰囲気を留めているのが特徴です。
特に顕著なのが最近の車両ではまず聞けないであろう爆音モーターで、唸るモーター音を聞けば他の車両よりもスピード感を体感できます。
701系を楽しめるかどうかで東北本線の旅の面白さは変わるので、ぜひ参考にしてください。
 
新白河を出発すると白河市の中心部へ向かう一方、新幹線は大きく反れていきます。
元々城下町として発展していた白河の中心部に新幹線駅を作るのは難しかったため、新白河に新幹線駅が作られたのでしょう。
東北本線 701系 電車と田園風景
白河は福島県および東北地方の最南部にある都市で、奈良時代には東北三関の一つである 白河の関が置かれ、中世の時代には城が築かれ、江戸時代には現在の場所に 小峰城が築かれ城下町として発展しました。
小峰城は幕府が東北地方の各大名を牽制するための重要な防衛拠点として位置づけられており、白河藩の藩主は常に徳川と親しい関係にある親藩、譜代大名が置かれたようです。
駅のすぐ裏手には小峰城の城跡が見え、近年木造で再建された三重櫓がシンボルとなっています。
白河小峰城と木造駅舎 白河小峰城の城郭と緑の芝生
白河は元々優等列車が停車する主要な駅でしたが、新白河に新幹線が停車するようになってからは白河および、周辺地域の玄関口という役割は失われてしまいました。
しかし白河には大正時代に建設された木造駅舎や、立派な木造の上屋が残っており、東北本線でもこのような構造物が残っている駅は非常に貴重なので一見の価値ありです。
白河を出発すると阿武隈川を渡り、ちょっとした山を越えると郡山盆地に入ります。
矢吹、鏡石、須賀川といった主要な街を経由して水郡線の線路と合流すると安積永盛に到着します。
東北本線の橋梁と線路
安積永盛の次はこの地域の一大拠点である郡山ですが、この間の景色からは郡山が東北地方の鉄道の拠点であることがわかる光景が続きます。
まず見えるのは 郡山貨物ターミナルで、かつては東北三大操車場の一つである 郡山操車場と呼ばれていました。
当時の郡山操車場はコンピューター制御で自動的に貨車を選別する、当時最先端のシステムが導入された操車場で世界的にも注目を集めていました。
 
しかし80年代になると、操車場で貨車を目的地ごとに振り分けるヤード継走式貨物は終焉を迎え、広大な操車場の土地もお役御免となりました。
現在敷地の東半分は郡山貨物ターミナルとして貨物の取り扱いを行っている一方、西半分は 「ビッグパレットふくしま」と呼ばれるコンベンションセンターに再開発されています。
東北本線の広大な貨物ヤードとスタジアム
郡山操車場と郡山貨物ターミナル空撮
↑左が1980年代の郡山操車場、右が現在の郡山操車場こと郡山貨物ターミナル周辺の様子。
 
続いて見える鉄道施設が、郡山総合車両センターです。
ここは車両基地と車両工場を備える、東北地方の鉄道において非常に重要な施設で、特に太平洋側の東北地方で使用される車両や、常磐線などで使用されている交直流電化区間対応車両の検査を請け負っているという点では、非常に大きな役割を担っています。
東北本線の車両と線路の風景
 
また郡山総合車両センターには廃車になった車両の解体を行うスクラップヤードも備えており、車窓からもスクラップを待つ車両の姿を見ることができます。
車両基地の軌道と重機、列車
郡山総合車両センターを過ぎると、新幹線の高架と並走し郡山に到着します。

・郡山~福島【ドラマチックな歴史を持つ郡山盆地を抜けて福島へ】

郡山駅がある郡山市は福島県最大の人口を誇る都市で、東北地方でも仙台に次ぐ規模を持つ大都市です。
駅前の活気あふれる繁華街や、駅に隣接する超高層ビル 「ビッグアイ」を見れば郡山市の発展ぶりが伺えます。
郡山駅と高層ビル、広場
郡山は昔から大きな都市だったわけではなく、江戸時代までは奥州街道の小さな宿場町に過ぎませんでした。
それがなぜ県下最大の都市にまで発展したかと言えば、安積疏水の開削による農業と工業の発展と鉄道の開業が大きくかかわっています。
 
特に鉄道が果たした役割は大きく、福島県の大体中央に位置する郡山は福島県の県庁所在地である福島、浜通り地方の中心都市であるいわき、会津地方の中心都市である会津若松と県内の主要都市全てに直接アクセスが可能となっており、福島県内中の人・物資・資本が集まる 「物流と商業の拠点」として一気に急成長していきました。

 

東北本線の大半の列車は郡山で折り返すため、先へ進むには乗り換える機会が多いです。

郡山を出発してしばらくすると、広大な田園地帯の中を走ります。

今でこそ福島県を代表する穀倉地帯となっている郡山盆地ですが、江戸時代までは慢性的な水不足に悩まされる不毛の土地でした。

 

そんな郡山盆地を豊かな土地に変貌させたのが、明治時代に日本初の国策事業として行われた安積疎水開削で、盆地の向こうにある猪苗代湖から水を引っ張るための水路を作るという非常にぶっ飛んだ計画でしたが、当時の人々の涙ぐましい努力によって成し遂げられました。

東北本線の田園風景と送電鉄塔

郡山盆地の北端にある松川を出発すると、次の盆地へ向けて再び山を越えます。

松川から隣の金谷川にかけては基本上下線が離れて建設されているため、しばらく単線のような区間が続きます。

東北本線、雨の日の車窓からの景色

しばらく進むと、松川事件が起きたことを示す松川記念塔が見えます。

松川事件は戦後間もない頃に発生した事件で、人為的に線路が壊された結果貨物列車が脱線し、3名の死者を出したという事件です。

現在まで線路を破壊した犯人は特定されておらず、国鉄三大ミステリーとして語られています。

緑豊かな丘に立つ石碑と木々

松川の塔を過ぎると上下線がさらに大きく離れ、先に開通した下り線はひたすら地上を走りますが、上り線は立派な高架橋が建設されています。

 

東北本線の雨の日の風景

金谷川は山間の駅ですが、すぐ近くに福島大学のキャンパスがあるため大量の学生が乗り込んできました。

再び山を越えると、目の前に福島盆地が見え荒川を渡ると福島に到着します。

雨の東北本線、車窓に広がる街並み

・福島~仙台【東北本線屈指の難所を越えて東北の首都「仙台」へ】

福島駅がある福島市は福島県の県庁所在地で、郡山には及ばないものの約26万人の人口を有する都市で、行政の中心地となっています。

福島駅は山形、秋田、弘前を経由して青森で合流する奥羽本線が分岐する交通の要衝で、現在は山形新幹線の分岐点としてさらに重要度が高まりました。

 

 

福島を出発して松川を渡ると、矢野目信号所で阿武隈急行線が分岐していきます。

阿武隈急行線は東北本線の弟分と言える路線で、元々は急勾配区間が多い東北本線を迂回するためのバイパスルートとして建設されました。

東北本線、線路と空、緑の景色

最初に宮城県側の槻木から丸森まで建設され「丸森線」として開業しましたが、国鉄の経営悪化や東北新幹線開業により東北本線の輸送力に余裕が生まれたことから、バイパス線の存在意義が無くなり、丸森から先は未成区間のままとなりました。

 

更には利用客が少ないことから廃止対象路線に指定されてしまいましたが、沿線自治体により第三セクター会社「阿武隈急行」が設立され、丸森線を継承したうえ未成区間のままとなっていた丸森から福島まで開通させました。

東北本線と阿武隈急行線の路線図

福島盆地に入ると沿線には果樹園が多く見えます。

福島県は生産量日本一の果物はない一方、桃やブドウ、リンゴなど様々な種類の果物の生産が盛んで、特に福島盆地では寒暖差の激しいため、果物栽培の中心地となっています。

果樹園と緑豊かな田園風景

実質的な福島県最北の駅である藤田を出発すると、東北本線は宮城県との県境である国見峠(越河峠)越えに挑みます。

国見峠は25‰の急こう配が続く東北本線屈指の難所で、かつて長大編成を組んでいた貨物列車や旅客列車は補機を連結する必要があるほどでした。

国見峠を越えるときには福島盆地を一望することができ、東北本線でも屈指のダイナミックな景色を堪能することができます。

東北本線の田園風景と住宅地東北本線の田園風景と街並み

峠の途上にある貝田を出発すると、ついに県境を越えて宮城県に入ります。

峠の麓にある越河は中世の時代には「館(タテ)」と呼ばれる軍事施設が多数置かれ、江戸時代になると奥州街道の宿場町として整備されました。

現在も国道4号線沿いに建ち並ぶ古い民家を見れば、昔宿場町であったことが容易に想像できます。

田園風景と山々、集落が広がる景色

峠を下りて最初に到着する街が白石です。白石は伊達政宗の重臣である片倉小十郎が治めた城下町で、新幹線も停車する宮城県南部の中心都市です。

新幹線は白石蔵王駅という単独駅ができたため、白石駅に新幹線は停まりませんが、仙台都市圏最南部の駅として、折り返し列車が多数設定されています。

 

次の駅である東白石周辺は、線路の間近に白石川が迫っています。

東北本線では意外にも川に沿って走るという区間は少ないので、この辺の川の景色は見所です。

黒川橋梁からの絶景と東北地方への第一歩

大河原町から柴田町にかけて白石川の川岸には桜の木がずらっと横並びに植えられており、白石川一目千本桜と呼ばれています。

春には残雪の蔵王連山をバックに桜並木が広がる東北地方屈指の桜の名所で、佐倉の時期になったら再び訪れてみたいものです。

緑豊かな田園風景と連なる木々

槻木では福島で分岐した阿武隈急行線、さらに岩沼では日暮里で分岐した常磐線と合流し、東北本線は大都市仙台に向かいます。

名取では仙台空港からの仙台空港アクセス線も合流するため、仙台までは1時間当たり6,7本もの列車が行き交うようになります。

東北本線 名取駅の駅名標

仙台市南部の副都心である長町にはかつて「長町操車場」と呼ばれる巨大な操車場がありましたが、現在は再開発され跡地には巨大なショッピングモールやタワーマンションが建ち並んでいます。

これまで宇都宮や郡山、福島とそれなりに大きな都市を経由してきましたが、長町周辺のタワーマンション群を見ただけでも110万都市仙台の格の違いを見せつけられた気になります。

York Townに並ぶ店舗群と高層マンション

長町駅周辺の航空写真

↑左が現在の長町周辺、右が1980年代の長町周辺

長町を出発すると、横に2本の線路が並ぶ複々線区間となります。

この線路は宮城野貨物線と呼ばれる貨物専用線で、広瀬川を越えると東北本線は仙台中心部へ向かって西に大きくカーブするのに対し、宮城野貨物線は直進して市の郊外にある仙台貨物ターミナルに向かいます。

仙台は名古屋や福岡でも成し遂げられなかった旅客列車と貨物列車の分離に成功しており、仙台駅を貨物列車が通過することはありません。

川と緑、街並み、鉄橋を渡る風景東北本線の車窓、ビルと線路

沿線に巨大マンションやビルが建ち並ぶようになると、東北本線の一大ターミナルである仙台に到着します。

東北本線のビル群と緑ヨドバシカメラマルチメディア仙台、工事現場の車両

仙台駅がある仙台市は宮城県の県庁所在地であり、約110万人の人口を有する東北地方唯一の政令指定都市です。

全体的に田舎というイメージが付きがちな東北地方ですが、その中で仙台は圧倒的な大都会ぶりを誇っており、東京よりもさらに北にこんな大都市があるのかと着くたびに感動を覚えます。

仙台の街並みと空伊達政宗騎馬像と狛犬

仙台と言えば「杜の都」の異名を持ちますが、その由来となっているのが仙台市内中に植えられている街路樹です。

仙台の礎を築いた伊達政宗が街に積極的に木を植えるよう命じたのがきっかけで、大都市になった今でも木々とビルが共存する独自の景観が見られます。

特に欅の木が植えられた青葉通りと定禅寺通りの景観は素晴らしく、仙台に訪れたら一見の価値があります。

緑豊かな並木道とビル群、都心の風景緑豊かな並木道と横断歩道

仙台駅はほぼ全ての列車が折り返す東北地方屈指の一大ターミナル駅で、在来線新幹線含め全ての列車が停車します。

東北本線から特急列車は無くなってしまいしたが、現在でも東京まで乗り換えなしで行ける特急「ひたち」が1日3往復運行されています。

短い編成の列車ばかりが停まる仙台駅のホームで、ひときわ長い10両編成の特急車両が停まっているシーンを見ると、往年のターミナル駅の雰囲気を感じられます。

ここまで大きな駅はここから北には無く、東北本線の長い旅において一区切りつける場所と言えるでしょう。

 

 

  一ノ関駅

岩手県一関市の代表駅です。

一関市は岩手県南部の中心都市で、仙台市と盛岡市の大体中間に位置します。

一ノ関駅は岩手県南部の中心駅で、東北本線の普通列車は基本的に当駅で折り返します。

また、東北新幹線開業後は平泉への玄関口としても機能しており、厳美渓や猊鼻渓、一ノ関温泉郷といった市内各地の観光地へもアクセス可能です。

 

乗り入れ路線

・東北本線

・東北新幹線

・大船渡線

 

一ノ関駅:世界遺産・平泉への玄関口

西口駅舎。2階建ての大きなコンクリート駅舎です。

平仮名の駅名表示や一関温泉郷と平泉の宣伝が特徴的な駅舎です。

一ノ関駅西口前、昔ながらの雰囲気のロータリー

西口駅前。駅前のロータリーは昔ながらの雰囲気です。

一ノ関駅構内:時刻表、案内、改札口など

切符売り場。

一ノ関駅 西口改札と自動改札機

西口改札口。

一ノ関駅 西口夜景

東口駅舎。昔はNECの工場がありましたが再開発され今に至ります。

通路は交流センターに直結しています。

一ノ関駅の切符売り場と改札口

東口改札口。自由通路は設置されていないため、東西の行き来には入場券が必要になります。

自動改札機は設置されていませんが、みどりの窓口は営業しています。

一ノ関駅の東北本線・大船渡線・平泉方面案内

新幹線改札口。東西の改札口を経由しないと通ることができないため、実質中間改札口となっています。

一ノ関駅のプラットフォームと線路

在来線ホームは2面3線。

1,2番線は主に東北本線、3番線は主に大船渡線の列車が発着します。

一ノ関駅に停車するE5系はやぶさ

ホームは2面2線。一部の「はやぶさ」と盛岡発着の全ての「やまびこ」が停車します。

 

訪問日:2024/12/14,2026/07/28

 

 

東北本線(宇都宮線)の概要

・基本情報

  • 路線区間:東京~盛岡
  • 営業距離:535.3km
  • 管轄会社:JR東日本

東北本線は東京から埼玉県、茨城県、栃木県、福島県、宮城県、岩手県を経由して盛岡までを結ぶ路線です。

東北新幹線が八戸まで開業する2002年以前は青森が終点となっており、営業距離は657.2kmと日本最長の路線でした。

 

東北本線の原型となる路線は、日本初の民間鉄道会社である日本鉄道によって建設が進められ1883年に上野から熊谷が開業しました。

その後大宮から北上する形で建設が進められ、1891年に全線開通したのち1906年に国有化されて「東北本線」と名乗るようになりました。

 

首都圏近郊に含まれる東京から黒磯までの区間は、「宇都宮線」という愛称が付けられており、旅館案内上でも使用されています。

宇都宮までは東京への近郊路線として、10両以上の長大編成による中距離列車が運行されている一方、宇都宮以北の区間は短編成の列車によるワンマン運転が行われており、ローカル線の雰囲気が強くなっています。

 

東北本線(宇都宮線)の路線図と停車駅

・東北本線(宇都宮線)の路線図

東北本線(宇都宮線)路線図と停車駅

東北本線(宇都宮線)は東京から上野、赤羽を経由した後埼玉県に入り、埼玉県第2の都市である川口や、県庁所在地であるさいたま市内の浦和と大宮を経由します。

そのあとは東北地方へ向けて北上し、一瞬茨城県の古河市を経由した後栃木県に入り、県内の2大都市である小山と宇都宮を経由します。

宇都宮を出た後は次第に関東平野の北限に近づき、那須塩原市に入ると黒磯に到着します。

・東北本線(宇都宮線)の停車駅と運行系統

宇都宮線停車駅と運行系統図

東北本線(宇都宮線)の中距離列車は東京から上野東京ラインを介して、大半の列車は宇都宮もしくは小金井まで運行されています。

また赤羽からは湘南新宿ライン系統の列車が合流し、大宮までは別の線路を走りますが、大宮以北は宇都宮線と同じ線路を共有しています。また快速運転を行っており通過駅が設定されている一方、宇都宮線の快速列車は快速「ラビット」が1日下り4本のみに留まっています。

 

東京から大宮までは緩急分離が行われており、各駅停車は京浜東北線として運行されています。さらに東京から田端までは山手線も並走しており、全列車が各駅停車として運行されています。

 

宇都宮線は宇都宮を境に運行系統が完全に分断されており、宇都宮以北の運用は2022年のダイヤ改正でE131系に統一されワンマン運転が行われています。

 

東北本線(宇都宮線)の使用車両

・E231系近郊型(東京~宇都宮)

E231系近郊型電車 東海道本線 走行シーン
E231系は2000年から投入された一般型車両です。従来の普通列車向け鉄道車両は通勤型なら209系、近郊型ならE217系と用途に応じて別々の車両・形式を用意していましたが、E231系ではその枠を取っ払い、通勤列車にも近郊列車にも使える「一般型車両」として設計されました。
209系で確立した新系列車両の系譜を受け継ぎながら、新しい運行制御システムを搭載し大幅なコストカットと安全性の向上を実現しました。
 
宇都宮線では近郊型の車両が使用されており、2階建てグリーン車を連結した10両編成と、5両の付属編成による10両、15両編成で運行されています。
車内にはトイレが設置されている他、座席はメインはロングシートながら一部セミクロスシートも存在し、長距離移動にも配慮された内装となっています。

・E233系3000番台(東京~宇都宮)

東海道本線 E231系近郊型電車
E233系3000番台は2007年から投入された一般型車両です。
E231系同様一般型車両として製造され、革新的な技術は投入されませんでしたがバックアップ機能による安定性の向上、硬いと評判だった座席の改善やユニバーサルデザインの採用など車内の快適性向上が図られ、首都圏各地の路線に投入されました。
 
近郊型として投入された3000番台はE231系近郊型とほぼ同じ仕様となっており、共通運用が行われている他、併結運転も行われています。

・E131系600番台(宇都宮~黒磯)

E131系600番台 宇都宮線
E131系は2021年から投入された地方ローカル線用一般型車両で、宇都宮線の宇都宮以北の運用に使用されている600番台は2022年末から投入されました。
首都圏で使用されている一般型車両同様片側4扉となっている一方、基本編成は短めかつワンマン運転に対応しています。
一部の車両には線路設備をモニタリングする装置が搭載されており、営業運転を行いながら線路の状態確認を可能としています。
 
宇都宮線に使用されている600番台は冬場の冷え込みを考慮し、霜取りパンタグラフやスノープロウが搭載されるなど寒冷地対策が施されています。
また急こう配線区に備えセラミック噴射装置も搭載されており、E131系グループの中でも一際過酷な環境にも対応できる仕様となっています。

 

宇都宮線の景色と見所紹介(東京~黒磯)

・東京~大宮【最大14本の線路が並ぶ首都圏屈指の通勤路線区間】

東北本線の起点である東京駅には路線の起点を示す0キロポストが置かれており、ここから東北本線の旅が始まることを実感させてくれます。
東京駅の東北本線(宇都宮線)ホーム
東北本線の内、東京から宇都宮・黒磯まで走る中距離列車は 「宇都宮線」、東京から田端まで各駅に停車する列車は「山手線」、東京から大宮までの各駅に停車する列車は 「京浜東北線」と案内されており、走行する線路も完全に分離されています。
東京を出発すると国道1号線をオーバークロスし、その奥には皇居の大手門があります。
東京駅は日本の玄関口でもあり、皇居への最寄り駅ともなっているため、丸の内には国家の威信をかけた駅舎が建設されました。
東京~大宮区間、ビル群と線路
宇都宮線の列車は神田峠とも呼ばれる急こう配を登って、東北新幹線の真上を走行します。
宇都宮線の中距離列車は1970年代頃まで上野から東京までの連絡線を介して乗り入れていましたが、東北新幹線建設用地確保のため連絡線は寸断され、山手線もしくは京浜東北線で行き来するしかありませんでした。
長らく宇都宮線・高崎線の列車は上野発着、東海道線の列車は東京発着という状態が続いていましたが、2015年に開通した上野東京ラインによって再び東京と上野は結ばれ、再び宇都宮線・高崎線は東京への乗り入れを果たしました。
 
神田峠を登ると少し高い所から東京都心の光景を望むことができ、坂を下る際には万世橋と中央線の高架橋を見ることができます。
東京近郊のビル群と曇り空 東北本線(宇都宮線)のビル街の風景
神田峠を下り終えるとすぐに秋葉原を通過します。
秋葉原は山手線、京浜東北線、総武緩行線やつくばエクスプレス、地下鉄日比谷線との乗り換えができるターミナル駅であり、駅周辺は電気街やサブカルの街として知られていますが、かつては貨物輸送の拠点として駅で、東北本線も全国からの荷物を運ぶために活躍していました。
 
東側のヨドバシカメラがある辺りには神田川からの水路が引き込まれており、鉄道と船との連係プレーで都心に荷物が運ばれていました。
 
西側の秋葉原UDXがある辺りには神田青果市場があり、東北本線で運ばれた全国からの野菜や果物などが並んでいましたが、青果市場は大田区に移転したため、現在は綺麗なビルが建ち並ぶビジネス街に変貌しました。
秋葉原UDXビルと鉄道線路
御徒町を過ぎると、古いビルが雑然と立ち並ぶ昔ながらの東京の光景が見えます。
アメ横の横を通り、ヨドバシカメラマルチメディア上野を過ぎると上野の山と西郷隆盛の像が見え、上野に到着します。
宇都宮線沿線の寺社とビル群 宇都宮線 E231系電車
上野は東北本線の起点として開業した駅で、東京まで線路が繋がった後も東北や北陸、上信越地方へ向かう昼行特急や寝台特急はほぼほぼ上野から発着しており、 北の玄関口として重要な位置を占めていました。
 
上野は主に近距離列車が使用する高架ホームと、中距離列車、長距離列車が使用する地上ホームに分かれており、地上ホームはターミナル駅らしい頭端式ホームであるため、旅情を感じられるスポットとなっています。
ホームは石川啄木の歌碑が置かれており、啄木は長距離列車ではるばるやって来た東北地方からの人々を見るために足しげく上野駅に通い、故郷を懐かしんだとされています。
  東北本線起点を示す0キロポスト
上野駅の地上ホームを語るうえで外せないのが寝台列車で、かつては北陸や東北地方、北海道へ向かう 寝台列車が多数発着していました。
寝台列車は時代の流れと共に姿を消していき、2016年に 「カシオペア」が廃止されたのを最後に上野駅から発着する寝台列車は消滅しました。
寝台特急あけぼの号の側面
↑上野駅を出発する寝台特急「あけぼの」。羽越本線、奥羽本線経由で上野から青森を結んでいました。
EF510-509機関車とカラフルな帯の客車
↑2016年まで運行されていた寝台特急「カシオペア」。上野から札幌を東北本線経由で結んでいました。
 
上野東京ライン開通後、中長距離列車含め大半の列車は東京まで乗り入れるようになったため、地上ホームから発着する列車も激減し、上野駅の拠点性は大きく低下してしまいました。
しかしノスタルジーな雰囲気を残す地上ホームは健在で、駅周辺も大規模な開発がされておらず、他の都内のターミナル駅とは一風変わった雰囲気を感じられるのが上野駅の魅力です。
上野を出発すると、地上ホームからの線路と合流し、常磐線と並走しながら進みます。
上野を過ぎると進行方向に左に上野を山を始めとする台地が広がっていますが、これは武蔵野台地の終端部で宇都宮線は台地と平地の際に線路が建設されています。
台地の上のエリアは 「山の手」と呼ばれており、台地よりも低いエリアは 「下町」と呼ばれています。
東北本線(宇都宮線)の複線区間
日暮里は東北本線の弟分ともいえる常磐線の分岐駅です。
常磐線は日暮里から茨城県や福島県の浜通り地区などを経由して、仙台の手前にある岩沼で再度東北本線と合流する路線です。
東北本線に比べ線路が比較的平坦であることから、東京と東北を結ぶ路線として昔から活用されており、上野から青森を結ぶ寝台列車は東北本線経由が「はくつる」、常磐線経由は「ゆうづる」として運行されていました。
 
日暮里はかつて全ての普通列車が停車していましたが、常磐線と宇都宮線の線路を分離する際に、これ以上ホームを建設する余地が無かったため、宇都宮線は通過扱いとなりました。
宇都宮線駅舎と電車
日暮里を過ぎると地下を走っていた東北新幹線が顔を出し、高架線を走る京成線を含めれば合計14本の線路が並ぶ、日本一線路が横一列に並ぶ区間となります。
宇都宮線 E231系近郊型車両
西日暮里を過ぎると線路が二手に分かれ山手線と京浜東北線は田端へ、宇都宮線は尾久へ向かいます。
田端には東京北部を代表する操車場である田端操車場があり、東北地方からの旅客列車や貨物列車が集まる拠点となっていました。
鉄道路線と緑豊かな木々
しかし列車の増加と共に田端だけでは捌けなくなったため、近くにある尾久地区に新たな操車場 (尾久操車場)が設けられました。
尾久操車場と上野、赤羽を結ぶバイパスルートが尾久支線と呼ばれており、京浜東北線や山手線、貨物列車は田端経由、宇都宮線などの中長距離列車は尾久経由に分離されました。
東北本線(宇都宮線)の路線図(東京~王子)
尾久操車場は尾久車両センターに名前を変えて、宇都宮線や高崎線で使用されている車両の点検・整備等が行われる重要な車両基地となっています。
宇都宮線E231系電車と並走する線路群
かつては上野を発着する寝台列車の整備拠点として活躍しており、上野に到着した寝台列車の客車は推進回送で尾久車両センターまで運ばれていました。
寝台特急が全て廃止になった後も24系客車など、ブルートレインで使用されていた車両が長らく放置されていましたが、2025年ごろに全て解体されブルートレインの記憶はまた一つ消えてしまいました。
JR東日本E231系近郊型電車
↑上野駅から推進回送される寝台特急「北斗星」
 
王子の手前で京浜東北線と合流し、王子を通過すると左手に飛鳥山が見えます。
 桜の名所として知られる飛鳥山は、江戸時代から土器を遠くへ投げて厄払いをする 「かわらけ投げ」が有名でしたが、明治に鉄道が開通すると「眼下を煙を吐いて走るSLや線路」を目指して土器を投げつける遊びが大流行し、警察が出動するほどの騒ぎになりました。 (※当然ですが、現在は線路への投石や投擲は厳禁です!)
緑豊かな丘を背景に、カーブした鉄道路線と建物が見える
埼京線や東北新幹線の線路が見えると、赤羽に到着します。
赤羽は宇都宮線の他湘南新宿ライン、京浜東北線、埼京線が乗り入れる東京都最北のターミナル駅で、多くの利用客で賑わっています。
 
赤羽で乗り換えができる埼京線は大崎から大宮を結ぶ路線ですが、厳密には大崎から池袋は山手貨物線、池袋から赤羽は赤羽線、赤羽から大宮までは東北新幹線と一緒に整備された通勤新線を走ります。
 
通勤新線と呼ばれる区間は東北新幹線を上野まで延伸する際、沿線住民への騒音等の公害問題の補償として建設された路線で、ほぼ全区間が東北新幹線に沿って建設されています。
 
路線戸籍上赤羽から大宮の区間はは東北本線の支線という扱いとなっていますが、 「埼京線」の名前が浸透しているため、大半の人はそんなことを意識していないでしょう。
E231系近郊型宇都宮線電車
 
赤羽の北側には赤羽台と呼ばれている台地が広がっており、歴史の古い宇都宮線は台地を避けている一方、近年になって建設された東北新幹線、埼京線は赤羽台トンネルで台地を貫いています。
宇都宮線、鉄道高架橋と線路
赤羽を過ぎると荒川を渡り、埼玉県に入ります。
利根川にかかる東北本線の鉄橋
埼玉県に入って最初に通る都市が川口市で、約50万人の人口を誇る埼玉県第2の都市で、鋳物の街として知られています。
川口市は鋳物工場の街から東京のベッドダウンにシフトしており、何棟ものタワーマンションが建ち並ぶ駅前の光景は圧巻です。
しかし赤羽に近いという理由からか停まる列車は京浜東北線のみで、ホームを増設して中距離列車を停めるという計画もありますが先行きは不透明です。
高層ビル群と街路樹、黄色いタクシー
次第に沿線にビルが増えてくると、浦和に到着します。
浦和はさいたま市の前身である県庁所在地浦和市の代表駅で、県庁などの公的機関や教育機関が集中する埼玉県の行政と教育の中心地です。
 
合併前は大宮市と拮抗するほどの人口を有していましたが、駅の規模は圧倒的に小さく一部の快速列車は通過している有様でしたが、2003年から高架化工事が始まり現在では湘南新宿ラインの列車含め、全ての列車が停車する駅に昇格しました。
駅周辺にはパルコを始め多くの商業施設が建っており、目覚ましい発展を遂げています。
浦和駅周辺のビル群と線路
北浦和を通過すると、武蔵野線と宇都宮線を結ぶ連絡線(大宮支線)と合流します。
この線路は東北、上越地方からの貨物列車が東京貨物ターミナル等へ向かう時に使用する他、大宮から八王子を結ぶ「むさしの号」と大宮から海浜幕張等を結ぶ「しもうさ号」が使用しています。
宇都宮線の街並みと線路
武蔵野線(大宮支線)と合流すると、線路が一面に広がるようになり 大宮操車場の横を通過します。
 
大宮操車場は貨物列車にとっての大宮駅みたいな役割を果たしていた駅で、関東から東北、上信越地方各地へ向かう貨物または、各地方から関東地方へ向かう貨物を振り分けるための非常に重要な貨物の拠点でした。
 
当時は行き先がバラバラの貨車を繋げ、各地域の操車場で行き先ごとに貨車を付け替えていくヤード継走式貨物が主流で、東北と上信越地方への分岐点である大宮操車場の規模は頭一つ抜けた存在でした。
 
しかしより小回りの利くトラック輸送が普及し、不効率過ぎるヤード継走式貨物も廃止され、現在の鉄道貨物は2拠点間で大量の荷物を運ぶコンテナ式貨物が一般的となりました。現在の大宮操車場は貨物列車の時間調整や、回送列車や臨時列車の待機場所として使われています。
都会のビル群と複線線路
今でもある程度の広さを誇る大宮操車場ですが、昔は東京ドーム約5個分もの広さを誇っており、最盛期には約50~60本もの線路が横一列に並んでいたようです。
操車場としての役割をほぼほぼ失った後にその跡地は再開発され、さいたまスーパーアリーナやコクーンシティなどがあるさいたま新都心に変貌しました。
大宮操車場跡地のさいたま新都心と線路群
↑左は現在の大宮操車場で、右は1980年代の大宮操車場
さいたま新都心は道路の形などからも操車場の跡地に作られたことが伺えます。
 
赤羽で分かれた埼京線と東北新幹線の高架と合流すると大宮に到着します。
高架線路と首都圏の道路
・大宮~宇都宮【日本一広い平野「関東平野」を北上】
大宮は鉄道によって栄えた鉄道の街の筆頭格で、大宮駅は現在も首都圏を代表するターミナル駅として君臨しています。
 
大宮は元々中山道の宿場町兼氷川神社の門前町で、そこまで大きな街ではありませんでしたが、上信越方面へ伸びる高崎線と東北方面へ伸びる東北本線の分岐点となったことで大宮駅は大ターミナル駅へ成長し、さらに近隣に操車場や鉄道工場が作られたことにより大宮は埼玉県を代表する街に進化を遂げました。
 
東京から北へ向かう際必ず通ることになる大宮駅は、東北新幹線と上越・北陸新幹線の分岐点となったことで更に重要度が増し、北の玄関口としてゆるぎない地位を確立しています。
大宮駅の敷地は非常に広大で、在来線のホームは地下ホームを含めて7面13線、新幹線のホームは3面6線あります。
大宮駅を語るうえで外せないのが駅周辺に広がる大宮車両工場で、1894年に操業した非常に歴史のある工場です。
首都圏で使用されているJR車両の多くはこの工場で整備・点検や改造が行われており、大宮駅では普段首都圏近郊ではお目にかかれない車両が止まっていることがあります。
  大宮車両工場とJR車両
宇都宮線 E231系近郊型車両とE233系3000番台
↑大宮駅構内にて新長野色、新新潟色、湘南色の115系が勢ぞろいしている様子
大宮を出発すると、これまで並走していた京浜東北線や湘南新宿ライン、新幹線の高架が次々と離れていき、 それまで最大14本もあった線路はシンプルな「複線(2本)」へとスリムに絞られます。 
列車はここから日本一広い関東平野をひたすら北上し、ビル群が減り、車窓には住宅街と広い田園風景が交互に広がるようになります
 
東大宮を過ぎると、大宮総合車両センター東大宮センターを見ることができます。
日本唯一の特急型車両の車両基地で、当日は三連休の中日だったためか、ほぼ全ての車両が出払っていました。
車両基地の東側には訓練センターが併設されており、209系を改造した訓練車や訓練施設のみで使用されているクモユニ143形の姿を見ることができます。
鉄道線路と建物、空の風景宇都宮線のE131系とE233系車両
東大宮と蓮田の間は東京から北上した初めて周囲が開けるエリアであることから撮影の名所として知られており、鉄道マニアの間では 「ヒガハス」と呼ばれています。
ここまでくると沿線の雰囲気は先ほどまでの都会の喧騒が嘘のような田舎で、宇都宮線は広大な田畑が広がる関東平野を北上します。
田畑が広がる関東平野を北上する宇都宮線
東武日光線との乗換駅である栗橋の構内には、宇都宮線と東武日光線を繋ぐ連絡線が設けられており、現在もJR線と東武線を直通する特急列車が使用しています。
特急列車は当駅通過扱いですが、乗務員交代のため運転停車を行っており、乗務員専用の簡易的なホームが設けられています。
 
東武鉄道とJR東日本(当時は国鉄)は日光へのアクセスルートの覇権を争っていた時期があり、 「日光戦争」とも呼ばれていました。
最終的には東武鉄道が勝利を収めましたが、東武鉄道は自社路線だけで都心にアクセスできないという致命的な欠点を持っているため、現在はJR線を介する形で新宿・池袋から日光・鬼怒川までの特急列車を走らせています。
宇都宮線の車両基地と広大な駐車場
栗橋を出発すると、列車は日本一の流域面積を誇る利根川を渡ります。
関東平野を流れる利根川は 「坂東太郎」の異名を持つ非常に大きな川で、この川に橋が架けられたのは1886年の事でした。
この時すでに宇都宮線は大宮から宇都宮まで開業していましたが、橋の建設が間に合わなかったため、架橋されるまでは栗橋から対岸の中田仮駅まで渡し船が運航されていました。
 
当時は鉄橋の原材料である強固な鉄を作る技術が国内で確立されておらず、鉄橋はもっぱら海外からの輸入に頼っていたため、なるべく橋を架けないルートで線路が建設されました。
宇都宮線のルートを選定する際、熊谷から分岐し足利や佐野など、当時養蚕で栄えていた両毛地域を経由するルート案もありましたが、渡良瀬川と利根川を渡る必要があったため、利根川への架橋だけで済む現在の大宮分岐ルートで建設されました。
利根川と関東平野の河川敷
利根川を過ぎると一瞬だけ茨城県は入り、宇都宮線の駅で唯一茨城県内にある古河に到着します。
この辺りはかつて渡良瀬川が蛇行しまくっていた関係で、茨城県、群馬県、埼玉県、栃木県の県境が複雑に入り組んでおり、今どこの県にいるのかよくわからなくなります。古河市は一時期千葉県に含まれていたことがあり、茨城県という雰囲気は全く感じられません。
 
栃木県に入ると、県内有数のターミナル駅である小山に到着します。
小山から東北新幹線の他には常磐線よりも先に水戸まで線路が開通した水戸線と、養蚕で栄華を極めた両毛地方を経由して前橋・高崎へ向かう両毛線が分岐しており、どちらもかつては主要路線として活躍していましたが、現在は普通列車が1時間に1本程行き来するローカル線となっています。
 
宇都宮市に入ると沿線に高層マンション等が見えるようになる、宇都宮に到着します。
宇都宮線の街並みと車両
宇都宮駅がある宇都宮市は栃木県の県庁所在地であり、50万人以上の人口を擁する関東地方有数の大都市です。
表口である西口のバスターミナルからはひっきりなしにバスが発着している一方、東口は裏口とは思えないほど再開発がされており、2023年には芳賀・宇都宮LRTが開業し、新たな地方都市の交通機関として大きな注目を集めています。
 
宇都宮駅は諸説ありますが日本で初めて駅弁が売られた駅とされており、駅前で旅館を営んでいた白木屋がホーム上でおにぎりなどを立ち売りしていたのが、駅弁の起源とされています。

・宇都宮~黒磯【東京近郊路線からローカル線へ、関東平野の北限へ向かう】

宇都宮は東京からの近郊列車が乗り入れる北限の駅となっており、ここから先へ向かうには必ず乗換が必要になります。
使用されているのはE131系3両もしくは6両編成で、ワンマン運転が行われておりローカル線の雰囲気がより一層強くなります。
 
宇都宮を出発すると新幹線の高架下の建物の壁に、「ようこそ〇うつのみや」と描かれた文字を見ることができます。
だいぶ色あせていますが、地方都市の駅にはこのようなメッセージが掲げられていることがよくあり、個人的にかなり旅情を掻き立てられるポイントです。
JR東日本のロゴと電車内から見える景色
岡本を出発すると、鬼怒川を越えて宇都宮市外に出ます。この川を遡ると栃木県を代表する温泉地である鬼怒川温泉があります。
鬼怒川を渡る手前で東北本線は大きなカーブを描いていますが、当時これだけ大きな川を渡ることは非常に大変なことだったので、なんとか渡れる場所を選び抜いてそこに線路を通したという感じがします。
利根川の河川敷と広がる風景
鬼怒川を渡ってもしばらく関東平野らしいだだっ広い景色が広がりますが、宇都宮以南に比べて明らかに民家の数が少なく、東北地方とあまり変わらない雰囲気が感じられます。
田畑とビニールハウスが広がる関東平野の風景
蒲須坂を過ぎた辺りから沿線に山が迫るようになり、関東平野の終端を感じられるようになります。
塩原温泉郷から流れている箒川を渡ったあたりから、進行方向の左側に日光連山や那須連山が見えるようになります。
ここまで来ると華やかな関東という雰囲気が無くなり、東北地方に近づいている実感が湧きます。
宇都宮線沿いの田園風景と山並み 関東平野の田園風景と山並み
新幹線の高架線と並走すると、西那須野に到着します。
西那須野と隣駅で新幹線との乗換駅である那須塩原(旧東那須野)は那須高原、塩原温泉への玄関口となっており各観光地に向かってバスが発着しています。

 

西那須野の次の駅である那須塩原は元々「東那須野」という駅名で、観光の拠点である西那須野と街の中心駅である黒磯に挟まれた小駅でしたが、新幹線停車駅に昇格し駅名も現在の駅名に改められました。

 

列車は宇都宮線の終点である黒磯に到着します。黒磯は東北本線における大きな境目となる駅で、当駅から北は路線案内では「東北本線」の名称が使用されるようになります。

また東北本線はここまで関東地方で主流な直流電化区間を走ってきましたが、黒磯から先は東北地方で主流な交流電化区間となるため、必ず乗り換えが必要になります。

栃木県の県域はまだしばらく続きますが、黒磯は実質的な関東地方の北限にある駅であり、東北地方への玄関口でもあります。

黒磯駅周辺の鉄道線路と駅舎

 

 

 

  藤田駅

福島県伊達郡国見町にある駅です。

国見町は福島県の最北にある駅で、同町の中心駅である当駅は折り返し列車が設定されており、実質福島県最北の駅となっています。

 

乗り入れ路線

・東北本線

 

藤田駅 新しい駅舎の全体像

駅舎。2019年に改築された新しい駅舎です。

藤田駅前 福島県国見町の風景

駅前。ロータリーや駐車場は整備されていますが、駅前にはこれといって何もありません。

藤田駅の新しい駅舎内待合スペース

駅舎内。待合スペースにはベンチが設置されています。

藤田駅の新しい駅舎内、案内表示と改札口

改札口。駅員が在中していますが、窓口業務や改札業務は行っていません。

藤田駅の跨線橋とホーム

ホームは2面3線。

 

訪問日:2026/07/27

 

 

特急「成田エクスプレス」の概要

特急「成田エクスプレス」は大船・新宿から成田空港を結ぶ特急列車です。
成田空港開港当時に空港アクセス列車を運行していたのは京成電鉄のみでしたが、1991年に成田新幹線の遺構を利用した成田空港線が開業した際に、JR東日本が空港アクセス事業に参入し、その際登場したのが「成田エクスプレス」です。
 
京成電鉄の「スカイライナー」は基本的に上野や日暮里から成田空港を結んでいますが、「成田エクスプレス」はJR東日本の広大なネットワークを活かし、東京、新宿、渋谷といったターミナル駅や横浜近郊から成田空港を結んでいます。

特急「成田エクスプレス」の停車駅と路線図

成田エクスプレス停車駅路線図

※2024年3月現在

「成田エクスプレス」は大きく分けて大船から発着する列車と、新宿から発着する列車が設定されており、大船発着の列車は基本的に東京駅で新宿発着の列車と増結・解結が行われます。

昔は大宮・池袋や高尾・八王子から発着する列車がありましたが、これらは全て廃止されており運行範囲は年々縮小傾向にあります。

 

「成田エクスプレス」は東京から成田空港を結ぶことが目的のため、東京から空港第2ビルまでは基本ノンストップで運行されていましたが、最近は千葉に停車する列車が1時間おきに設定されるようになり、コロナ禍以降は空港アクセス以外にも、東京と千葉を結ぶビジネス特急としての活路も見出しています。

成田エクスプレス路線図:新宿・大船から成田空港まで

特急「成田エクスプレス」の路線図。東京から佐倉までは総武本線、佐倉から成田空港までは成田線を走行します。

新宿発着、大船発着の列車がそれぞれ設定されており、首都圏の各方面から利用することが可能です。

 

特急「成田エクスプレス」の使用車両

・E259系(2009年~)

成田エクスプレス E259系 車両

↑2024年以前のリニューアル前の塗装

E259系成田エクスプレス側面

↑2024年リニューアル後の塗装

 

「成田エクスプレス」では2009年からE259系が使用されています。

E259系は2代目の成田エクスプレス用車両として製造された車両で、基本編成は6両編成となっています。

先代の253系がグリーン個室や、集団お見合い式固定クロスシートなど個性的な内装が採用された反面、E259系では一般的な回転式リクライニングシートが採用され、平均的な居住性が大幅に向上しました。

 

登場時は「成田エクスプレス」専用の車両として登場したため、全面デザインには「N'EX」の文字とロゴがデカデカと描かれていましたが、2024年3月のダイヤ改正から特急「しおさい」でも使用されるようになったため、E259系を強調するデザインに変更となりました。

・253系(1991年~2009年)

成田エクスプレスE259系車両

253系は初代成田エクスプレス用の車両として投入された車両で、赤、白、黒を基調とした奇抜なカラーリングは当時の鉄道業界に衝撃を与え、成田エクスプレスのイメージカラーとして現在まで定着しています。

 

車内にはプライベートな空間を確保できるグリーン個室が導入された一方、普通車に集団お見合い式の固定クロスシートが採用されました。

荷物スペースを確保するため、海外の車両を意識したなどの理由で採用されたようですが、既に「特急列車=回転式リクライニングシート」のイメージが刷り込まれていた日本人には評判が悪く、後の増備車では回転式リクライニングシートに変更されました。


2009年に「成田エクスプレス」から撤退した後はJRから日光・鬼怒川へ乗り入れる特急列車に投入されたほか、一部編成は長野電鉄に譲渡され特急「スノーモンキー」として使用されています。

 

 

特急「成田エクスプレス」の車内の様子とお勧め座席

成田エクスプレス E259系 車内成田エクスプレス E259系 座席

普通座席の様子。

E259系の普通座席は2009年に登場した車両ながら、ホールド感のある背もたれ、可動式ヘッドレスト、全席に充電用コンセント、車内Wi-Fiを備えており2010年代以降の特急型車両の内装のベースとなっています。

 

シートピッチは通常910mmのところが980mmに拡大されており、グリーン車と遜色のないレベルの座席となっています。

車内ディスプレイは多国籍後に対応しているのはもちろんのこと、車端部のみならず複数台のディスプレイが等間隔に設置されており、空港アクセス特急としての気合を感じさせます。

 

一方グリーン車は2+2列の極めて普通な座席となっており、普通車とそこまで雰囲気が変わらない上、A特急料金なのでグリーン料金もかなり高いという事から「ボッタクリグリーン車」と呼ばれることもあります。

 

落ち着いた環境で過ごしたいのであればグリーン車がいいと思いますが、個人的には普通車で十分すぎるくらい快適に過ごせると思います。

成田エクスプレスE259系 荷物スペース

車端部の大型荷物スペース。大半の利用客が飛行機利用者、特に国際線の利用が多いためスーツケースなどが置けるスペースが確保されています。最近の車両では当たり前に設置されていますが、2009年当時はかなり珍しかったと思います。

成田エクスプレス15号の行き先案内表示

車内ディスプレイ。日本語、英語、中国語、韓国語の4か国語に対応しています。

特急「成田エクスプレス」の景色と見所紹介

・新宿~東京【特殊なルートで副都心から都心へ移動】

特急「成田エクスプレス」は新宿駅の5,6番線ホームから発着します。

新宿駅5,6番線ホームは元々貨物ヤードがあった場所で、「成田エクスプレス」の運行開始に併せて増設されました。

そのため他のホームとは離れた場所に設置されており、改札外からのアクセスも他のホームからの乗り換えも割と不便です。

 

新宿から大崎あたりまでは、山手線に並走するように線路が敷かれている山手貨物線を、埼京線や湘南新宿ラインの列車と一緒に走行します。

 

大崎では埼京線ホームと山手線ホームの間を走り、東海道新幹線の高架が見えると、目黒川信号場で品鶴線(主に横須賀線が使用)の線路に合流します。

山手線貨物線も品鶴線も元々は貨物線として開業しましたが、現在は旅客列車がメインで使用する路線が使用しており、「成田エクスプレス」もこういった線路を上手く活用して運行されています。

ビル群と線路、高架橋都会のビル群と鉄道橋梁

成田エクスプレスの車窓、橋と川

▲目黒川信号場(現在は大崎駅の構内扱い)で品鶴線と合流し、名前にもなっている目黒川を渡る

品川を出発すると、列車は東京トンネルで地下に潜り、東京駅地下ホームに到着します。

・東京~千葉【「成田エクスプレス」の本領発揮!最高速度130km/hで総武快速線を爆走】

東京では数分停車し、大船からの列車との連結が行われました。

東京から先は総武本線を走り、両国辺りで東京トンネルから地上に出ると、特急「成田エクスプレス」はいよいよ特急らしい走りを見せてくれます。

 

総武快速線内は線路がひたすら真っすぐに敷かれているうえ、列車本数も少ないため「成田エクスプレス」は最高速度130kn/hで爆走します。

「成田エクスプレス」がここまでのスピードを出すのは「京成スカイライナー」という強力なライバルに対抗するためです。

 

「京成スカイライナー」は成田スカイアクセス線内では国内在来線最速の最高速度160km/hでの走行が行われ、上野・日暮里から成田空港を約40分弱ほどで結んでおり、速度と所要時間ではとても太刀打ちできる状況ではありません。

それでも「成田エクスプレス」は限界までスピード出し、更にはJR東日本の広大なネットワークを武器に様々な都市と成田空港を結ぶことで対抗しています。

 

総武本線沿線は「下町」と呼ばれるエリアで、特に錦糸町エリアは総武本線沿線屈指の繁華街となっており、多くの人で賑わっていますが「成田エクスプレス」は容赦なく通過していきます。

新宿~東京、ビル群と東京スカイツリー

江戸川を越えて千葉県に入ると沿線には戸建の住宅が目立つようになり、東京のベッドダウンという雰囲気が強くなります。

そんな中船橋駅周辺は錦糸町にも負けず劣らずな繁華街を形成しており、多くの利用客で賑わっていますが「成田エクスプレス」は容赦なく通過していきます。

普通の特急なら停車するクラスのターミナル駅を猛スピードで通過していくのが、「成田エクスプレス」に乗っていて爽快な気分になれるポイントです。

成田エクスプレス、E259系車両の並び

・千葉~空港第2ビル【長閑な下総台地を越えて日本の空の玄関へ】

千葉は成田や銚子と言った東総地方、内房地域、外房地域へ線路が分岐する県内随一のターミナル駅で、以前は大半の「成田エクスプレス」は通過していましたが、コロナ禍以降は半数近くの列車が停車するようになり、東京から千葉へのビジネス需要も拾っています。

 

四街道を過ぎると一気に沿線の雰囲気が変わり、田園と台地が続くような長閑な景色が続きます。

特に物井から佐倉の間は周囲が開けていて、障害物がほとんど無いことから撮影スポットとして知られており「モノサク」の愛称が付けられています。

田園風景と森、雲空

▲四街道から佐倉までこんな雰囲気が続く。

E259系成田エクスプレス、総武快速線を走行

▲モノサクは長大編成も収まる理想的な撮影地として有名

モノサクは緩やかなカーブを描いており、15両編成の長大編成も楽々収まることから撮影地として親しまれていますが、この区間は1968年に電化・複線化される際に付け替えられており、元々は台地を避けるようなルートで線路が敷かれていましたが、台地をトンネルや切通で貫くルートに改められました。

旧線と新線(現役)の成田空港線路線図

台地を越えて市街地が見えると、佐倉を猛スピードで通過します。

佐倉は成田線の起点となる駅で、総武本線は南下し八街や成東へ向かいますが、成田へ向かう方が圧倒的に需要が高いため、総武本線は単線になる一方、成田線は複線となっています。

成田エクスプレス E259系 電車成田エクスプレス沿線の田園風景と送電鉄塔

佐倉を通過して総武本線と分岐すると、成田線は下総台地の複雑な地形を縫うようにして進みます。

成田線は台地を避けるためカーブが連続しており、「成田エクスプレス」はかなり速度を落としてこの区間を進まざるを得なくなっています。

沿線は湿地帯であるため駅周辺以外はほとんど開発されおらず、東京から1時間以内の景色とは思えないほど長閑な光景が続きます。

広大な関東平野の中でありながら、台地の小高い丘がすぐ近くまで迫っているため、関東という雰囲気が感じられないのもこの辺りの景色の見所です。

田園風景を走る成田エクスプレス

入り組んだ台地を抜けると、住宅地が広がり酒々井を通過します。

「酒々井」と書いて「しすい」と読ませるのはかなりの難読ですが、これはこの地に伝わる「酒の井戸(さけのい)」の伝説が由来となっています。漢字の読みの変化を経て現在の「しすい」という難読地名になったそうです。

酒々井駅のホームと木々

再び台地を抜けて、周辺に市街地が広がると成田を通過します。

成田は3方向に路線が伸びる一大ターミナル駅ですが、所属路線は成田線のみという全国的にも珍しい駅となっており、佐原、銚子方面へ向かう路線は成田線の本線、我孫子方面へ向かう路線は成田線の我孫子支線、成田空港に向かう路線は成田線の空港支線と呼ばれています。

駅のホームと線路の様子成田線路線図:我孫子~成田空港~銚子

成田は今でこそ空港のイメージが強いですが、元々は成田山新勝寺の門前町として栄えた街で、京成線や成田線も元々は成田山への参拝客を輸送するために建設されました。

成田を通過すると、住宅街の奥の山の上に新勝寺の三重塔が見えます。

田園風景と町並み、遠くに塔が見える景色

成田を通過してイオンモールが見えると列車は本線と分岐し、空港支線に入線します。

この空港支線は元々成田新幹線として建設された遺構を使用しているため、かなり高規格な路線となっています。

 

成田新幹線は国鉄が東京から成田空港を30分以内に結ぶことを目標に計画された新幹線で、京葉臨海地域から船橋、千葉ニュータウンを経由して成田空港のターミナル直下に乗り入れる計画でした。

しかし沿線住民による騒音などを発端とした反対運動、空港開港前後で勃発した空港建設反対派による闘争(成田闘争)の激化、国鉄の深刻な経営状態の悪化などが重なり計画は中止となりました。

 

ちなみに千葉ニュータウン周辺で確保された成田新幹線用の土地は京成電鉄、北総鉄道の成田スカイアクセス線に転用されており、形を変えて成田新幹線の構想は活用されています。

成田新幹線計画ルートと遺構活用マップ

その後京成電鉄の本線が空港アクセス線として空港の近くまで延伸されるも、当時の成田空港駅(現在の東成田駅)はターミナルから絶妙に離れた位置にあり、空港自体が東京から遠いうえアクセス駅からターミナルも遠いという二重で不便な成田空港でしたが、当時の石原慎太郎運輸大臣の鶴の一声で、成田新幹線の遺構を用いて在来線を乗り入れさせる計画が始動しました。

成田エクスプレス駅舎とトラック成田エクスプレス新宿駅ホーム

↑生きる廃墟として有名な東成田駅が当時の成田空港駅でした

 

成田空港周辺にすでに建設されていた成田新幹線の遺構は、JR東日本と京成電鉄の列車が乗り入れるための設備として活用されるようになり、1991年に空港支線が開通しました。

これによりターミナルの直下に列車が乗り入れるようになり、JR東日本も空港アクセス事業に乗り出し「成田エクスプレス」の運行を開始したことによって、成田空港の利便性は飛躍的に向上しました。

 

イオンモール成田などの巨大商業施設や住宅が集積しているエリアは「ウイング土屋」地区と呼ばれており、成田空港の開港に合わせて開発されました。

ウイング土屋地区へのアクセス向上のためこの辺りに駅を建設する構想があり、ロータリーだけが先行して整備されましたが、現状駅が建設される具体的な計画は進んでいません。

イオンモール成田、TAX FREEの看板

成田空港周辺の空撮図、鉄道網と商業施設

↑イオンモール成田の北東部に駅開業を見込んで整備されたロータリーがある

 

根木名川を越えると民家はほとんど見えなくなり、下総台地らしい長閑な光景が続きます。

空港支線は新幹線の規格で建設された路線であるため、台地を切通やトンネルで貫く形で建設されており、列車は高速で通過していきます。

この辺りは比較的土地の買収が容易だったため、空港周辺は先立って線路が建設されたのかもしれません。

田園風景が広がる田舎の景色

空港支線は当然複線を想定して建設されていますが、現在はJR東日本と京成電鉄が線路を1本ずつ共有する並列単線区間となっています。そのため京成、JR双方に交換用の設備が設けられており、前者は根古屋信号所、後者は堀之内信号所で列車交換を行います。

千葉~空港第2ビル、長閑な下総台地の景色

 

いくつかのトンネルを越え、地下に入ると成田空港の直下に乗り入れ、第2ターミナル直下の空港第2ビル駅、第1ターミナル直下の成田空港駅に到着します。

 

 

 

総評

スピード感:★★★★

車窓   :★★★

お勧め度 :★★★

京成スカイライナーと競合関係にあるためか、JR東日本の特急ではトップクラスのスピード体験が可能です。

景色の方は単調かと思いきや、下総台地に分け入る区間は沿線に本当に何も無く、台地の山がすぐ近くに迫っているため関東地方とは思えない景色を堪能できます。

 

 

 

  白河駅

福島県白河市の代表駅です。

白河市は東北最南端の都市として非常に重要な役割を果たしてきた都市で、古くは東北三関の一つである白河の関が置かれ、江戸時代には白河小峰城が建設され城下町として発展しました。

現在も東北地方最南部の都市として、一定の存在感を放っています。

 

白河駅は1887年に開業した古い駅で、東北本線内でも有数の主要駅として栄えていました。

しかし東北新幹線の駅が新白河に開業すると、新白河駅周辺の郊外や西郷村が発展し、古くからの市街地の中心駅である当駅は衰退してしまいました。

かつては当駅と磐城棚倉を結んでいた白棚線が分岐しており、現在は廃線跡の一部がバス専用道に転換されJRバス関東が代替バスを運行しています。

白河駅の趣ある木造駅舎と駅前

駅舎。1921年に供用を開始した木造駅舎で、大正ロマン漂う東北本線屈指の名駅舎です。

現在は駅舎内にカフェが入居するなど綺麗に整備されており、新幹線駅が開業していればとっくに取り壊されていたかもしれません。

白河駅前バス停と街並み

駅前。市街地は旧奥州街道沿いに広がっており、駅周辺は割と静かです。

白河駅舎内、ステンドグラスと待合室

駅舎内。屋根が高く、ステンドグラスを用いた天窓が特徴的です。

白河駅構内、木造駅舎の待合スペース

切符売り場と改札口。自動改札機や指定券券売機は設置されておらず、この辺りは昔の雰囲気を留めています。

白河駅の木造駅舎通路と地下道

改札口からホーム地下道への通路。木造の屋根が趣を感じさせます。

白河駅の趣ある木造駅舎のホーム

ホームは1面2線。風格漂う立派な木造の上屋が設置されています。

白河小峰城と線路、緑豊かな風景

駅の裏手に建つ小峰城。

 

訪問日:2026/07/27