卵子提供治療に申し込んだ後、病院より下記必要書類の提出が求められました。

 

<必要書類>

 

★オンライン登録→登録

 

★身分証明書→夫婦のパスポートと運転免許証

 

★婚姻証明書→戸籍謄本を用意し、原本を持参し東京港区にある「台北経済文化代表処」を訪問、婚姻証明書を依頼。

ひっそりとした場所にあるので、始めは迷子になりました。

 

受付のお姉さんの機嫌が悪かったようで

「婚姻証明書?そんなものはない。何に使う?不妊治療?コウノトリ?戸籍謄本の翻訳なら出来る。」

という調子でした。

ぐっと我慢をし、病院の書類を見せて忍耐強く説明。

当日発行はできないので、ピックアップのため1週間後に再訪。

同じ受付嬢より、戸籍謄本と中国語で書かれた婚姻証明書がホッチキス止めされたもの(計紙2枚)を手交。

このホッチキスを外すと無効になるから、絶対2枚をバラバラにしてはならない!と最後まで威圧的に念押しされました。

お客さまの声BOXはないのかと、事務所を探してしまいました。我慢我慢。

 

婚姻証明書代 1,800円

 

★四親等表→夫婦の家系図です。

両親・祖父母の代は分かっても、曾祖父母の代になると名前すら不明でした。

既に交流のない親戚、亡くなっている、離婚して他人となった、再婚したなど諸事情満載。

亡くなっているので、バッテンばかりの除籍謄本でした。

昔の戸籍は手書きなので非常に読みにくいのですが、会ったことのない血縁者にはそれぞれドラマがあり、読みごたえがありました。

 

夫婦別々の役所に出向き、遡れるだけ遡って戸籍謄本・除籍謄本を5-10通集めました。

それをもとにA3の用紙に記入。

妻側よりも夫側が重要な家系図です。

 

戸籍謄本450円/1通 

除籍謄本750円/1通

 

 

★体外受精同意書→同意する医療と不同意の医療をそれぞれ記入し、提出。

日本の病院でも何度も同様の検査をしているので、代替可能か確認しました。

 

どんどん費用がかさむ不妊治療、最大限出費を抑えたいと考えていました。

比較検討して節約していかないと、恐ろしい金額に膨れ上がります。

保険が使え、日本語で円滑に治療を受けられる日本の病院で、出来るだけ検査を受けるよう準備しました。

 

・自己抗体検査:日本の病院では実施していないので、コウノトリに依頼しました。

 

・クラミジア:日本で何度も検査済。

 

・卵管造影検査:近所の総合病院で検査。

この検査を引き受けてくれる病院を見つけるのに少し時間を要しました。

色々な病院にコンタクトを取りましたが、どの病院も消極的でした。

データを提出。

 

初診:2,090円

2回目(検査):4,720円

3回目:694円

 

・子宮鏡検査:日本の不妊治療専門病院で検査。

この病院には、台湾での卵子提供についても全て説明し、バックアップをお願いしました。

有難いことに無事快諾いただきました。

 

初診 850円

2回目 1,305円

3回目検査 2,880円

4回目 970円

 

・血液型、エイズ、梅毒→日本の病院で得た結果を提出

 

・子宮頸部→コウノトリ。日本の病院で検査した頸部 Nilm検査は違うとの事。(Nilmの具体的な意味は知りません)

 

・精子→日本の病院

 

32,400円

 

★卵子提供による非配偶者間体外受精同意書→提出

 

★着床前受精卵遺伝子スクリーニングPGS同意書→PSG不同意を記入し、提出

 

 

訪台して、2カ所の不妊治療病院を直接訪問したのが1月。

 

比較検討して、新竹の送子鳥コウノトリ生殖医療センターを選択した。

 

選択の最大の決め手になったのは、「卵子パンク」がある事だった。

卵子バンクとは、事前に採卵した冷凍卵子のことだ。

既に採卵してあるので、卵子数も確保されている。

 

成熟卵を獲得するのは、至難の業であることは身をもって経験している。

その排卵のタイミングを逃さないために、KLCは年中無休365日営業しているのだ。

タイミングがずれると、採卵しても空胞だったり既に排卵済みだったりする。

 

一方、新鮮胚は患者とドナーさんとのマッチングが決定してから採卵を行う。

子宝ねっと掲示板やブログを読むと、ドナーさんの個人的な事情で採卵周期が延期になったり、音信不通になったりして、ドナーチェンジを2回も3回もしている患者の方もいた。

 

契約通りに履行するプロフェッショナルなドナーさんの方が多いと信じているが、一方クーリングオフのように、契約後

「忙しくて通院は無理」

「やっぱり怖い」

と中止するドナーさんがいても、それは致し方無いと思う。

契約にはキャンセルはつきものだ。

 

卵子バンクの方が相当高いが私の時間は限られているので、採卵状況に一喜一憂している時間は勿体無いと判断した。

 

2017年2月、正式に契約することにした。

 

台湾到着後、時間がなかったため、1日で2病院回る弾丸ツアーを組みました。

 

★午前:台北「宏孕(ホンジ)生殖医学センター」を訪問。

日本人女性スタッフ2名が、パンフレットYouTube等を使用し、丁寧に説明してくれました。

費用:650台湾ドル

 

ホンジは地下鉄直結の立派なビルに病院を構えてます。

地下鉄に乗り、台北駅から新幹線(高鉄)に乗り換え、新竹駅へ。

新竹駅からタクシーで10−15分移動。

のんびりした郊外に美術館のような建物が表れ、それがコウノトリでした。

 

★午後:新竹「送子鳥(コウノトリ)診療所」を訪問。

日本語通訳を担当する台湾人女性が2名が迎えてくれ、その後女性医師とカウンセリングしました。

医師とのカウンセリング費:1000台湾ドル

 

何から何まで全く異なる2つの病院でした。

気になっていた点も直接確認でき、資料を持ち帰り日本でじっくり比較検討することにしました。

 

あれこれ悩みながらも卵子提供を行なっている海外の病院を視察したのは、今年2017年1月でした。

 

経験者が集う掲示板(子宝ねっと)、セントマザー産婦人科医院のホームページなど参考に、台湾に絞りました。

台湾では、日本人患者を積極的に受け入れている下記2医院を訪問しました。

 

・送子鳥(コウノトリ)診療所

・宏孕(ホンジ)生殖医学センター

 

両病院は日本でも年数回説明会を行なっていますが、私はその説明会には参加しませんでした。

イメージ先行になってしまう気がしたためです。

 

現地では、下記3点を確認しました。

 

★言葉の壁

→夫婦共中国語が全く出来ないので、電話メール現地での日本語通訳がOKかどうか

コミュニケーションの確認

 

★本当に病院があるのか

→病院として機能してるのか

倒産の危機に瀕してないか(失礼)

医療施設は整っているのか

現地台湾での評判実績(私が台湾事情に疎い日本人のため)

 

★安心できるか

→最後の希望を託せる先生か

先生との相性

治療の流れの確認

明確な料金体系

 

両病院へメールすると、どちらの病院からも翌日には返信が来ました。

もし期待と違っても、その時は鼎泰豊の小籠包食べて帰国すればいいと割り切り、台湾へ飛び立ちました。

 

 

妊娠可能な卵子が体内に残っておらず、全て生理で流されていました。

老いてしまった40代の私に救いの手を差し伸べる存在、それが卵子提供者でした。

稀有な存在の女性に対して感謝しつつ、図々しくも一体どんな方なのかと質問が次々に浮かびます。

 

中学高校時代グレていたらどうしよう。

若気の至りで、全身刺青ピアスだらけだったらどうしよう。

シンナー、薬物に手を出した経験があったらどうしよう。

勉強は出来るのだろうか。

大学進学できるだけの学力を有しているのだろうか。

身長は高いのか低いのか。肥満体質だったらどうしよう。

ご家族は全員健康なのだろうか。

どうして卵子提供者することを決心したのだろうか。

 

自分の立場を弁えていない、勝手な悩みかもしれません。

お見合いのように身上書があれば精査することができますが、病院・エージェントを通してフィルターを通した情報を教えてもらうだけです。

本人と会うこともなく、ある意味就職活動よりも情報が少ないのです。

 

親になるという決意を持って、どんな子供でもその全てを受け入れなければならない。

しかも子供が成人するころは60代。

野田議員のお子さんの成長記録をブログで読み続けました。

子供に対する責任、親としての夫婦の決意。

 

不惑の40代を迎えたのに、迷いに迷い逡巡する日々が始まりました。

不妊治療を始め、自分は引き返せないところまで老いた現実を知りました。

 

白髪が生えても美容院で染めれば問題ないし、体重が増加したら食事制限をして減量しました。

マイナス5歳肌ファンデーションを使えば、たとえ化粧崩れしていても自分で鏡を見ない限り気分は若返りました。

「老化は無かったことに」、昔と同じような気分の維持ができたのです。

 

しかし卵子だけは、プロの手を借りても何ともなりませんでした。

日本一不妊患者を抱える大病院でも、東京大学医学部卒の医師でも、四十路の私の子宮にミラクルは起こりませんでした。

 

40年以上もお腹にある卵、年代物です。

ウィスキーなら年代物として珍重されるでしょうが、「40年ものの卵で作った貴重なピータンです」と言われても、私は食べないです。

 

自己卵に限界を感じ始めた頃、知ったのが「卵子提供」。

日本の病院では基本的には行われてないため、希望者は海外に渡航し、外国人の卵子を得て妊娠するのです。

 

50歳を過ぎた芸能人の出産がニュースになることはありますが、「卵子提供を受けた」と正式表明している芸能人はいません。

 

一般市民も既にチャレンジしていて、ネットには情報が溢れています。

「子宝ねっと」というサイトには「卵子提供・ドナー治療などの掲示板」があり、体験談や意見交換が活発にされています。

アメリカ、タイ、台湾、マレーシア、スペイン、キプロス、様々な国に飛び外国人の卵子提供を受けていることを知りました。

 

日本人の卵子を求めている人がほとんどですが、日本人提供者がほぼいないため国籍・人種の異なる卵子を移植しているのが現実のようです。

 

遺伝子父は夫(日本人)、遺伝子母は外国人、出産するのは妻(日本人)。

 

人種の異なる白人黒人の卵子だとハーフであることは一目瞭然ですが、アジア人の卵子だと表面的には判別しにくいです。

国際結婚が進みハーフ率が上昇している一方、実は水面下でのハーフも増えている現実を知りました。

 

見ず知らずの外国人の卵子をいただいてまで、子供が欲しいのか。

どちらにしても遺伝子上は自分の子供ではないのだから、養子でいいのではないか。

遺伝の要素は大きいのに、卵子提供者のことを知らずに子供を産んで、将来責任は取れるのか。

 

薬を飲み、集中的に通院し、針で突き刺す採卵まで経験してくれるのが、卵子提供者です。

自分が出来るかといったら、強い信念或いはよほどの理由がない限り断るでしょう。

 

そんな有り難い女性(卵子提供者)なのに、様々な疑問が湧き上がるのです。

全国から高齢出産希望者が集う、加藤レディスクリニック。

病院には中国語も飛び交い中国人らしき患者とその通訳や、欧米系の患者も見かける。

排卵は月1つで充分という考え方で、低刺激の薬を使用。

自然に排卵するタイミングを逃さず、採卵。

そのため、日曜もお正月も関係なく文字通り365日営業している。

 

早朝病院に行っても、診察受付を求める患者が長蛇の列をなしている。

朝6時頃には列ができており、7時頃到着しても受付番号は当時で200番くらい。

掲示板には、600番800番の数字が並ぶ。

何百人、何千人患者が押し寄せようが、空港のチェックインカウンターのように整然としている。

コンピューター管理システムが出来上がっており、この大人数を黙々と裁いている。

採卵のダブルブッキングなどあるのか分からないが、混乱している様子は見たことがない。

 

噂通り診察は秒殺で終わり、待ち時間の方が長い。

ひたすら待つ。掲示板を眺めている時間がほとんどだ。

 

これだけ大人数でもカルテは手書き。どれだけのカルテが病院内を飛び交っているのかと思う。

 

採卵1回目2回目は、空胞だった。

長い間誘発していたので、卵巣も疲れ、卵胞が干からびていたのだろう。

 

3回目以降は正常卵が毎回採取できたが、胚盤胞まで成長したのはたった1回だけだった。

指定時間に培養士に電話をし、淡々と受精卵の成長結果を伝えられた。

分割の速度が遅かったです、大きさが十分ではありませんでした、途中で分割が止まりました。

平易な言葉で、感情を交えずに残念な結果を丁寧に教えてくれた。

 

KLCでは6−7回採卵、3回移植し、結局心拍確認できるまでの妊娠には至らなかった。

朝早起きして通院し、麻酔なしで針を突き刺す採卵にも耐えたけれど、結果は出なかった。

針の恐怖に怯え、若い看護師さんに手を握ってもらって採卵に臨んだ。

そのうちその採卵にも慣れてしまった自分がいて、スタスタ診察台に上がり、看護師さんが連呼する私の名前と生年月日を聞きながら、採卵の5ー10分間を我慢した。

そんな痛みに慣れる前に卒業したかった。

 

さて40代の壁は厚かった。

 

待合室には、失礼ながら四捨五入したら50代に近いような方もいた。

見ず知らずの先輩方と、一緒に頑張っているような気持ちにもなった。

採卵回数をこなせばもしかしたら生きのいい若めの卵に巡り会えるかもしれないが、それは本当に低い確率だ。

何よりもお金がバンバン飛んでいる。

合計300−350万円はKLCに払っている計算になる。

体を痛めながら、これ以上確率の低い宝くじを買うことは辛くなってきた。

 

自分の老いを認め、卵子を諦める時期なのではないか。

 

そんな考えが頭をよぎり始めた頃、「海外での卵子提供」を知った。

海外での卵子提供、野田聖子議員しか思い出せない。

50歳で確か出産したけれど、お子さんは重い障害を持って生まれたと聞いた。

情報収集を始め、また知らない専門用語と知識を学ぶことになった。

最初に門戸を叩いたのは、吉祥寺にある池○レディースクリニックでした。

東大医学部を卒業した女性医師が、当時は基本的に一人で対応している病院でした。

 

顕微授精、桑実胚、胚盤胞、今まで聞いたこともないような漢字だらけの熟語から学びました。

自己注射のやり方も教わりました。

ガラスの容器に入っている薬を破片が飛び散らないように要領よくパキっと折り、薬を混合し、ブスッとお尻に筋肉注射をすることにも回数を重ねるうちに慣れてしまいました。

全身麻酔を受けたのも、人生で初めての経験でした。

 

病院には、本や論文の切り抜きが置かれてました。

論文では、妊婦の年齢が上昇したことで子供の育児と親の介護両方を同時期に抱える現実を指摘してました。

たとえ子宝に恵まれても、40代では「渡鬼」のように家族内で勃発する問題に耐えなければならないのでしょう。

孫の育児を目を細めて助けてくれるお婆さんお爺さんはいなく、老親のおしめも併せて取り替えなければならない可能性もあるということを、名古屋の医師の論文を通しやんわりと婉曲的に指摘していたように思いました。

 

さて約1年通院し、通算5−6回採卵、3−4回桑実胚もしくは胚盤胞を毎回1−2個移植しました。

残念ながら1度も心拍確認はできず、無情にも移植の度に生理が毎回到来。

この生理は約40−50万かかった失敗作かと思うと忍びなく、トイレで老化の残骸をじっと眺めていました。

合計250−350万円は支払った計算になります。

 

採卵回数を重ねるにつれ、採卵数も減り、胚盤胞の数も減少。

質及び量の低下は、素人が見ても明白でした。

最新の薬を飲んでも、高価な注射を打っても、卵子の老化に抗うことはできないのです。

 

40代の1年の差は非常に大きく、残されている時間が限られていることから、最後のあがきで他の病院を検索し始めました。

 

そして全国から高齢出産希望者が集まる「最後の砦」、加藤レディスクリニックに一縷の望みを託し、転院することに決めました。

不妊治療を始めたのは40代になってからでした。

極めて遅いスタートだったのは、日々仕事趣味に忙しくその生活に満足していたことが大きいです。

40代を迎え、ふと振り返ると人生半ばまで来ていました。

 

このまま夫婦2人でしばらくしたら定年・老後を迎えるのか、それとも今頑張って現在の医学の力を借りて家族を作るという選択をするのか。

 

もう自分の力では子供が出来ないことは分かっていました。

 

その先待っている数年間続く心身消耗するストレスと、結果が得られないまま莫大なお金だけがひらひら飛んでいく事も知らず、希望を胸に専門病院の初診を入れました。