最初に門戸を叩いたのは、吉祥寺にある池○レディースクリニックでした。

東大医学部を卒業した女性医師が、当時は基本的に一人で対応している病院でした。

 

顕微授精、桑実胚、胚盤胞、今まで聞いたこともないような漢字だらけの熟語から学びました。

自己注射のやり方も教わりました。

ガラスの容器に入っている薬を破片が飛び散らないように要領よくパキっと折り、薬を混合し、ブスッとお尻に筋肉注射をすることにも回数を重ねるうちに慣れてしまいました。

全身麻酔を受けたのも、人生で初めての経験でした。

 

病院には、本や論文の切り抜きが置かれてました。

論文では、妊婦の年齢が上昇したことで子供の育児と親の介護両方を同時期に抱える現実を指摘してました。

たとえ子宝に恵まれても、40代では「渡鬼」のように家族内で勃発する問題に耐えなければならないのでしょう。

孫の育児を目を細めて助けてくれるお婆さんお爺さんはいなく、老親のおしめも併せて取り替えなければならない可能性もあるということを、名古屋の医師の論文を通しやんわりと婉曲的に指摘していたように思いました。

 

さて約1年通院し、通算5−6回採卵、3−4回桑実胚もしくは胚盤胞を毎回1−2個移植しました。

残念ながら1度も心拍確認はできず、無情にも移植の度に生理が毎回到来。

この生理は約40−50万かかった失敗作かと思うと忍びなく、トイレで老化の残骸をじっと眺めていました。

合計250−350万円は支払った計算になります。

 

採卵回数を重ねるにつれ、採卵数も減り、胚盤胞の数も減少。

質及び量の低下は、素人が見ても明白でした。

最新の薬を飲んでも、高価な注射を打っても、卵子の老化に抗うことはできないのです。

 

40代の1年の差は非常に大きく、残されている時間が限られていることから、最後のあがきで他の病院を検索し始めました。

 

そして全国から高齢出産希望者が集まる「最後の砦」、加藤レディスクリニックに一縷の望みを託し、転院することに決めました。