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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

豊田市民芸館

 第一美術館 常設展 本多静雄コレクション展

 第三美術館 ガラス展 本多静雄コレクション展

 第二民芸館 第104回企画展 雑誌『工藝』の美

写真は第一、第三美術館だけ可なので、少し撮りました。

 

第一美術館 常設展 本多静雄コレクション展

いつもの感じなのですが、毎回展示内容が少し変えられています。

●根来の瓶がいいですね。格好良くキューッと腰を狭め いい感じ。

 

 

 ●かすり織の鯉の滝登り、これは素晴らしい

  この織のレベルはとても高いです。並の職工では織れません

 

 ●瓶型の着物

 父がまだ若い頃沖縄で紅型なども研究していて、私も小さい頃から見慣れた懐かしい柄

 

 ●インドカッチ県のミラー刺繍

これもいいですね、私の持っているものの長さが5倍以上あり、とても素晴らしい物

 

 ●中国の椅子

 

 これと同じものと、よく似たインドネシアの椅子はどちらも偶に使っているおなじみだが、

座ると幼い日のプリミティブ感というか温かいです。

 

●バーナード・リーチの蓋物

 これも味があっていいですね。

  展示などしていなくて 普段使いで使いたい 

      欲しいな

 

 

 ●朝鮮の水屋ダンス

 これは格好いい 在るだけで存在感がある

 

 ●朝鮮の拭き漆八角鉢 いい感じ

  これに八朔を載せてたべたいね。

 ●朝鮮の漬物甕も素晴らしい これは高さが70cm位ある見事なものだ。

第三美術館 ガラス展は 特に見るものはなかったが、ガラスの衝立は良かった。陽を通して観ると更にいいだろう。

 

 

第二民芸館 第104回企画展 雑誌『工藝』の美展

 

雑誌「工藝」は実家に数冊あり、子供の頃から読んだことがありますが、とても内容のある素晴らしい本です。

今回の雑誌「工藝」の美の展覧会、雑誌「工藝」はガラスケースに収められていて本なのに中は読めません。

 本当は素晴らしい内容のものなのに、多くの方に知って欲しいのに とてもとても残念ですが、仕方ないですね。

 この展示室全体が撮影禁止なので何も資料はありませんが

ただ、表紙だけ見ていただいても、とてもいいものだということが十分伝わります。

…………………………………………

昭和6年 (1931 年 に創刊した雑誌『工藝』は、思想家の、

『工藝』は、柳宗悦の民藝運動の機関誌で昭和6年(1931)に発刊され、昭和26年(1951)の終刊120号まで続きました。

雑誌そのものが「工芸的な作品」であるべきという考えのもと、用紙には各地の手漉き和紙が用いられ、表紙の装丁や小間絵は民藝運動の同人たちが担当しました。その美しさから本自体が工芸品と言われる装丁の多くは、芹沢銈介の図案を手織り布や漆絵等で飾ったもので、他に棟方志功の版画で装丁されたものなどもあります。本文は様々な和紙を用い、柳宗悦をはじめ河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司らが執筆し、”暮らしの美”を啓発する民藝運動の機関紙として重要な役割を果たしました。

 …………………………

 豊田市民芸館は

駒場の日本民藝館が改築される時に旧大広間と柳宗悦の館長室を譲り受けて豊田市に移設し、第一民芸館として本田静雄氏のコレクションを譲り受けて始まりました。

全国に14の民芸館があり、私も結構行っていますが、おそらく敷地が一番ゆったりとしていて、春の桜 秋の紅葉 冬は横を流れる矢作川の水鳥等、のんびりできるいい所です。

 常設展が中心なので、今回も入場料は無料です。

染めと織の万葉慕情21

 年の恋今夜つくして

   1982/8/27 吉田たすく

 七夕の夜も明けがたに近づいてまいりました。

 遠妻と

  手枕交(か)へて

    寝る夜は

   鶏(かけ)はな鳴きそ

     明けば明けぬとも

 夜が明けてもかまわない。二人で寝ている今夜、一夜の手枕じゃないか。

鶏さんよ、大きなこえで鳴いてくれんなよ。

 さ寝そめて

  幾何(いくだ)もあらねば

    白袴(しらたえ)の

  帯乞ふべしや

   恋も過ぎねば

 二人で寝そめていくらもたたないのに、白袴の帯を結ぶからよこせなどとまだおっしゃらないで、恋もつきないですもの。

 ただ今夜(よい)

  逢ひたる児らに

    言どひも

   いまだせずして

    夜そ明けにける

 ようやく今夜、一年ぶりに会ったあなたに、恋の睦言も、思ふ十分の一も言っていない。もっともっと長くお話もしましょうと思っている。夜も東の空の明けに染まってしまった。あなたのお帰りが近づいてしまいました、となげきます。

 年の恋

  今夜(こよいつくして)

    明日よりは

   常の如くや

    わが恋ひ居らむ

 年に一夜の恋、 一年分をこの一夜で恋いつくし、つくし暮らしました。

明日よりは、いつものようにまた一年間、恋いつづけることであろうか。

「年の恋、今夜尽して」などは中国の詩に歌われ、言葉の翻訳の輸入語であろうといわれています。

こんなところを見ると、七夕は中国の詩でそれが当時の日本に入って来ては海国舶来のポエマとしてもてはやされ、日本の歌として宮廷で歌われたものです。

 明日よりは

  わが玉床を

    うち払ひ

   君とはい寝ず

    独りかも寝む

 もう夜もあけてしまった。 二人で袖を巻いたこのうるわしの床ももういらない。明日からは君は居ない。ただ独り寝のわびしい夜のつづく事よ、と歌います。

 織女(たなばた)の

  今夜逢ひなば

    常のこと

   明日を隔てて

    年は長けむ

 織女がこの夜、 彦星と逢ったならば(もう会ってしまった) 明日を境にして毎年のように一年間逢えなくなって、長い時をすごすことになるでしょう。

織女と彦星は一夜をあかし、来年の七夕を約して別れて行くのです。

 七夕の顔は沢山あり、その中で彦星をまつ歌、いよいよ来る歌、二人になっている歌などありますが、別れに彦星を送る歌がありません。 織女が赤裳の裾を天の川でぬらして別れを惜しみ、朝露に衣の袖をぬらす場面を想像するのですが、万葉にはないのです。

 やはり七夕は恋人が来るのを待つ事を歌って、地上のわれわれの恋のときめきを感じさせたのかもしれません。 これらの歌の大半は、宮廷歌人であった柿本人麿の歌です。

持統天皇(女帝)の宮中の七夕の夜宴に、華やかに歌われた事でしょう。

                      (新匠工芸会会員、織物作家)

染めと織の万葉慕情20

 牽牛と織女の恋

   1982/8/20 吉田たすく

 

中国でも盛んに七夕の詩が作られていたようです。この七夕の伝説が日本に伝わって来て、日本でもたくさんの歌が作られました。 七夕の天上の恋も、中国と日本では少々違うようです。 中国では織女の方が美しい馬車をしたてて行っているようですが、日本の七夕では牽牛が天の川の瀬を徒歩で渡ったり、舟で渡っています。

 当時の日本の風習では、男が女の家に夜会いに行き、朝帰るのが普通で、この結婚の形式を「よばう」といい「よぱい」といいました。この風習にしたがって、牽牛も女のもとへ出かけて行くのでしょう。

 

 天の河

  白波高し

    わが恋ふる

   君が舟出は

    今し為らしも

 

白波が高く、少々荒れているけれども、いよいよ彼はお出ましらしい。

 

 天の河

  波は立つとも

    わが舟は

   いざ漕ぎ出でむ

    夜のふけぬ間に

 

 波高くとも、漕ぎ出そう夜がふけないうちに。

 

 今年の七夕の晩は雨でしたが、年に一度の袖巻きに牽牛は舟を漕いで出かけます。

 

 このゆうべ

  降り来る雨は

    彦星の

   早漕ぐ船の

    櫂の散味(かいのちり)かも

 

 地上に降る雨は、天の川を漕ぐかいのしづくだというのです。

 織女は彦星を待っています。

機を織って、 彦星の着物を作って待ちますが、待ちかねて機を壊してしまいました。

 

 機(はたもの)

  まね木持ち行きて

    天の河

   打橋わたす

    君が来むため

 

 機を壊し、そのふみ木をかついで行って天の川に打ち橋を渡して、君がおいでになるのに役立つためにと、もう一生懸命です。

いよいよおいでだ。

 

 天の河

  川門に立ちて

    わが恋いし

   君来ますな

    紐解き待たむ

 

 川門に立っていると櫂の音が聞えて来ました。下紐を解いて待ちましょう。はやく寝れるように、と。 素直ですね。きついですね。はっきり歌えるのですね。

 

 わが待ちし

  秋は来りぬ

    妹とわれ

   何事あれぞ

    紐解かざらむ

 

 一年間待った、ようやく来たこの夕、どんなことがあっても下紐を解かない事がありましょう。 

 解きますわよ。

 長い月日を待ちに待って、二人は互いに袖を巻く事が出来ました。

 

 一年(ひととせ)

  七夕(なぬかのよ)のみ

    逢ふ人の

   恋も過ぎねば

    夜は更けゆくも

 

 一年に、この七月七日の夜だけしか逢う事の出来ない牽牛、織女の恋、今愛し合っても愛し合ってもまだ満たされない。

 

もっともっとと思うけれども、夜は更けて行く。

二人の愛は深まるけれども、暁が近くなるのです。

 お別れが近づくのです。

   はかなくもうるわしい歌です。

 

      (新匠工芸会会員、 織物作家)

 

…………………………………………

 

 今回はすごく素直で赤裸々な歌でしたね。

次回も続きますが、万葉集はとても鷹揚で万(よろず)のうたがありますね。

染めと織の万葉慕情20

 牽牛と織女の恋

   1982/8/20 吉田たすく

中国でも盛んに七夕の詩が作られていたようです。この七夕の伝説が日本に伝わって来て、日本でもたくさんの歌が作られました。 七夕の天上の恋も、中国と日本では少々違うようです。 中国では織女の方が美しい馬車をしたてて行っているようですが、日本の七夕では牽牛が天の川の瀬を徒歩で渡ったり、舟で渡っています。

 当時の日本の風習では、男が女の家に夜会いに行き、朝帰るのが普通で、この結婚の形式を「よばう」といい「よぱい」といいました。この風習にしたがって、牽牛も女のもとへ出かけて行くのでしょう。

 天の河

  白波高し

    わが恋ふる

   君が舟出は

    今し為らしも

白波が高く、少々荒れているけれども、いよいよ彼はお出ましらしい。

 天の河

  波は立つとも

    わが舟は

   いざ漕ぎ出でむ

    夜のふけぬ間に

 波高くとも、漕ぎ出そう夜がふけないうちに。

 今年の七夕の晩は雨でしたが、年に一度の袖巻きに牽牛は舟を漕いで出かけます。

 このゆうべ

  降り来る雨は

    彦星の

   早漕ぐ船の

    櫂の散味(かいのちり)かも

 地上に降る雨は、天の川を漕ぐかいのしづくだというのです。

 織女は彦星を待っています。

機を織って、 彦星の着物を作って待ちますが、待ちかねて機を壊してしまいました。

 機(はたもの)の

  まね木持ち行きて

    天の河

   打橋わたす

    君が来むため

 機を壊し、そのふみ木をかついで行って天の川に打ち橋を渡して、君がおいでになるのに役立つためにと、もう一生懸命です。

いよいよおいでだ。

 天の河

  川門に立ちて

    わが恋いし

   君来ますな

    紐解き待たむ

 川門に立っていると櫂の音が聞えて来ました。下紐を解いて待ちましょう。はやく寝れるように、と。 素直ですね。きついですね。はっきり歌えるのですね。

 わが待ちし

  秋は来りぬ

    妹とわれ

   何事あれぞ

    紐解かざらむ

 一年間待った、ようやく来たこの夕、どんなことがあっても下紐を解かない事がありましょう。 

 解きますわよ。

 長い月日を待ちに待って、二人は互いに袖を巻く事が出来ました。

 一年(ひととせ)に

  七夕(なぬかのよ)のみ

    逢ふ人の

   恋も過ぎねば

    夜は更けゆくも

 一年に、この七月七日の夜だけしか逢う事の出来ない牽牛、織女の恋、今愛し合っても愛し合ってもまだ満たされない。

もっともっとと思うけれども、夜は更けて行く。

二人の愛は深まるけれども、暁が近くなるのです。

 お別れが近づくのです。

   はかなくもうるわしい歌です。

      (新匠工芸会会員、 織

物作家)

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 今回はすごく素直で赤裸々な歌でしたね。

次回も続きますが、万葉集はとても鷹揚で万(よろず)のうたがありますね。

染めと織の万葉慕情19

 七夕の歌

   1982/8/13 吉田たすく

 涼しい空梅雨の今年もだんだん暑くなって、七夕の季節も過ぎました。この「万葉慕情」の第一回に七夕の歌を取り上げましたが、もう一度七夕の歌を賞味してみましょう。 万葉巻十の秋の雑歌に七夕の歌が九十八首あります。 その他 巻八に山上憶良の十二首、巻九に二首と合計して百十二首にものぼります。

集中、同じ主題を歌った歌はいろいろありますが、百首以上も歌われた歌は珍しいものです。

こんなに沢山歌われたのは、その頃大陸から次々新しい文化が導入されて、憧れの国の中国の秋の夜空のロマンはすばらしく新鮮で、ハイカラなポエムとして受け取られていたのでしょう。

 天の川

  梶の音(と)聞こゆ

    彦星と

   織女(たなばたつめ)と

    今夕 (こよい) 逢ふらしも

夜空にかかる天の川に、舟で行くのでしょう。 かじの音が聞こえるなんて、おつなものです。

 彦星と

  織女(たなばたつめ)と

    今夜(こよい)逢ふ

   天の河門(かわと)に

    波立つなゆめ

今夜二人が逢う晩だから、天の川よ、波立たせるな、早く渡れるように。

 君に逢はず

  久しき時ゆ

    織るはたの

  白衣(しらたえごろも)

   垢(あか) つくまでに

 昨年の七夕から長く逢っていない。君が織ってくれた白い衣も、垢づくまでになってしまっている。今年も早く逢いたい。

織女は家で機を織りながら一年間、この夕を首を長くして待っています。

 わがためと  

  織女(たなばたつめ)の

    その屋戸に

   織る白栲(しらたえ)は

    織りてけむかも

わしのために織っている白い衣は、織り上がっているだろうか。 早く行って着たいものだ。

 織女(たなばた)の

  五百機(いそはた)立てて

    織る布の

   秋さり衣

    誰か取り見む

 織女が多くの機を立てて織る布の秋になって着る着物は、誰が取って見るのでしょうか(それは勿論わかった事、彦星です)

今年の七夕は残念ながら雨でした。

 秋風の

  吹きただよはす

    白雲は

   織女(たなばたつめ)の

    天つ領巾(ひれ)かも

秋風が吹き、白雲がたなびいていて天の川は見えない。あれは織女が肩のストールをなびかせなびかせ、彦星をよんでいるのでしょう。 天つ領巾(ひれ)(ストール)に白雲をたとえ、今夕、二人のちぎりを領巾のベールの向こうに祝福するのです。

                                  (新匠工芸会会員、織物作家)

…………………………………………

今日2022年8月4日は、旧暦の七月七日です。

 丁度七夕の日にこれを紐解くことができて嬉しいです。

  しかし今日は雨。

  それでも雨のおかげで、彦星と織女(たなばたつめ)は雲の上で誰にも見られずに静かな逢瀬を楽しんでいることでしょう。

父は、織物につかれると夕刻にいつものように自転車で小鴨川へ行っていました。

 川の土手から望む大山や川面を眺めて癒すのですが、初夏から今時分の 蛍が舞い、宵待草の咲き始める頃が一番好きでした。

 宵待草 

  待てど暮らせど 来ぬひとを

   宵待草の やるせなさ

    今宵は月も 出ぬそうな

           竹久夢二

 

 

あめふりの

 あけてあおさの

    ありがたさ

 …………………………

長雨が続いた後

 ふと空を仰げば青空が

  ああ! と感嘆

 

染めと織の万葉慕情18

 はかない露草

   1982/8/6 吉田たすく

古代の染物は、摺染(すりぞめ)(注1)をいろんな草花でためしています。 カキツバタもそうでしたが露花もその一つです。

 今年の梅雨は空梅雨なのか、この山陰でも降りそうで降りません。むし暑さもなく、すごしやすい日がつづきます。

梅雨の時期になれば、庭さきの雑草の中に可憐な露草の花がつつましく顔を見せます。 笹に似た葉を持った細い茎に、同じ淡緑色の小さな舟形のがくが花を包んで伸びてくると、上側が割れて藍紫の花が顔を出します。 まだ朝露の残っている時刻に咲く草であり、朝露が消える風情をもつのでその名に露草をもらったのでしょう。 やさしくちょっとはかない名前です。

 夕方になるとしぼみます。 小さな花ですが、近くで見るとちょうど鴨の鳥の頭の色羽根の形によく似ているのです。

 万葉集にこの露草の歌が九首し ありますが、その内の四首は「鴨頭草(注2) 」の文字があてられています。 形から来た文字ですね。他の歌は「月草」になっています。

そして両方とも「つきくさ」と読んで「つゆくさ」とは読みません。月草の月はお月様の意でなく着き草、布に花の色の着く草、染草のことです。露草が染料として斑(まだら)の衣染に使われたのです。

この九首とも気持ちを表すのに露草の摺染を使って歌います。

 月草に

  衣ぞ染(し)むる

    君がため

   斑(まだら)の衣

    摺らむと思ひて

ところが、露草で染めた紫色は間もなくうつろうてしまうのです。また、水に濡れると色あせてしまいます。定着しないのですね。

染まる(恋愛する)けれどもうつろう色(はかなく消える恋)として、美しくも悲しい歌が生まれます。

 月草に

  衣は摺らむ

    朝露に

   濡れて後には

    うつろいぬとも

 露草で衣を染めて、あすの朝露で色あせてしまうかも知れないように、あすの朝はあなたと別れてしまうでしょうが、せめて今夜一夜だけでもあなたに染まりたい、女心の切ない気持ちを歌っています。

 露草の色が消える、あの人の色も消える恋の悲しさ。

 朝は咲き

  夕は消ぬる

    鴨頭草の

   消めべき恋も

    我はするかも

 結ばれる事のないあの人への想いを歌い、露草を手にそぼ降る雨にうたれている姿が見えるようです。

 鴨頭草に

  衣色どり

    揺らめども

   変(うつろ)ふ色と

    いふが苦しき

 申し出をうけたが、移り気なところが心配でというのでしょう。

 また、それとは対照的な歌で

 百に千(ももにち)に

  人は言ふとも

    鴨頭草の

   移(うつ)ろうこころ

    われ持ためやも

 他人がいくら言っても、あなたへの想いは変わりません。どうぞ一緒になりましょう。 初夏の清く涼やかな可憐な露草にたくして、恋心を歌います。

 現代は、露草の液を「青花」といって、洗えば必ず消えるので染物の下絵描きに使っています。

(新匠工芸会会員、織物作家)

 …………………………

(注1)

摺染(すりぞめ)

古くから用いられてきた技法で、草や木の葉、花などをそのまま布に置き上から叩いてその形を生地に染めつけたり、葉や花の汁を摺りつけて染めていました。

この方法で染めたものを摺衣(すりごろも)といいます。

(注2)

鴨頭草(つきくさ・かもとぐさ)露草(つゆくさ)の古名であり、この草の花弁の色素を得ることからこの名がつきました。

 …………………………

 こうやって「染めと織の万葉慕情を読みといていますと、今回はいつも以上に、ロマンティストで繊細で優しい父の姿と その愛する母の姿が浮かんできました。 

 この繊細さがあの素晴らしい織物を作り続けたのだと思います。

「野の花料理・恵那の野山の 蕎麦懐石」では、いつもお客様のテーブルの脇に小さな野の花を飾っていますが、 露草の咲く頃はいつも大好きな露草を飾ろうとするのですが、とても小さく儚く、花を一日持たせるのがとても大変です。それでも飾って見ていただきたい大好きな花です。

染めと織の万葉慕情17

 カキツバタ

   1982/7/30 吉田たすく

東郷池(注1)の湖畔に新しい公園が出来て、そこにカキツバタの大花園が造られています。 先日、誘われて参りました。

紺、紫、白の大輪の花がたおやかにほころび、水面(みずも)にゆれていました。コンクリートではありますが、ジグザグに橋も造られ、伊勢物語の八橋をわたる気持ちです。

この時期になりますと、 万葉のカキツバタの歌がうかびます。

 住吉の

  浅沢小野の

   かきつばた

  衣に摺り付け

   着む日知らずも

カキツバタの花を衣に摺(す)りつけて着る日はいつなのだろうか、という歌です。花の色を衣に摺りつけることは、桃の花の時にもありましたが、染の技術のまだ発達していない原始染色は花そのものの色をすりつけて、斑(まだら)の衣に染めたのです。

カキツバタは日本人に古くから親しまれた花の一つです。カキツバタの名は、衣に摺りつけたのでカキツケバナから起こったと言われております。

 大伴の家持の歌に

  杜若(かきつばた)

   衣に摺りつけ

    大夫(ますらお)の

   きそい猟りする

    月は来にけり

という歌があります。

 青紫に摺り染した衣を、ますらおが着飾って初夏の野に猟をしている 月が来た、という季節感あふれる歌です。森や林の間の野草の野原を進む大夫の姿が見えるようです。

 カキツバタの美しさを美人にたとえた歌もあります。

 われのみや

  欺く恋すらむ

    杜若(かきつばた)

   丹つらふ妹(いも)は

    如何にかあるらむ

杜若(かきつばた)

 丹つらふ君を

   ゆくりなく

  思ひ出でつつ

   嘆きつるかも

私だけが、こんなにあなたを恋いしたっているのであろうか。 カキツバタのようにうるわしく、ほおをほのかに紅に染めた貴女は、私のことを思ってくれているのかい? 少々心配な気持ちです。

次の歌も同じように、カキツバタのような紅さしたほおの美しい君を思い出しては、 嘆き会いたい気持ちでいっぱいだ。

 杜若

  咲く沼の官を

   笠に縫ひ

  着む日を待つに

   年を経にけり

カキツバタの咲く沼の管で作る笠を着る日を待つうちに、年月は經てしまった。好きなあの娘と結ばれるのはいつのことか、と嘆いた歌です。

 失恋の気持ちは、カキツバタのあまりにも美しい花によって一層深さを増していきます。万葉には、心を花に寄せた歌がたくさんあります。

  (新匠工芸会会員、織物作家)

 …………………………

杜若丹つらふ君をゆくりなく思ひ出でつつ嘆きつるかも

杜若(かきつばた)は色の美しいことから丹(に)つらふにかかる枕詞。丹(に)つらふとは赤く照り映える美しい色をしているの意。

杜若のようにほんのりと紅いろの美しいあなたの顔をふと思い出してはため息をついております

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(注1)東郷池

東郷池(とうごういけ)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にある周囲12kmほどの汽水湖であり、長さ2kmほどの橋津川を通じて日本海につながっています。池の中央付近の湖底からは温泉が湧くという全国でも珍しい池であり、湖畔には はわい温泉と東郷温泉があります。僕は子供の頃実家から釣り竿を持って東郷池に鮒や鯉釣りに自転車で50分ほどかけて何度か行ったことがあります。(車だと18分くらいです)

また、冬には池から湯気が立つ神秘的な風景も見られることがあります。

 東郷池周辺は鳥取でも有数の20世紀梨の産地。 梨は日本中で作られていますが、20世紀梨は鳥取県が一番だと思います。その中でも東郷の20世紀梨は肌理細かく瑞々しい美味しさで世界で一番美味しい梨だと思います。

 古くは入江であり、近くには伯耆(ほうき)一宮の倭文(しとり)神社や羽衣石(うえし)という天女の羽衣伝説の場所もあり、古代の出雲王朝の織物や物資の重要な積出港であったとおもわれます。

 羽衣石(ウエシ)は倉吉市の中心でお城もあった打吹山の天女伝説の天女の舞い降りたところです。

 倭文(しとり)とは倭文織(しずおり)のことで、まだ綿や麻が無い頃から織られていた日本最古の織物と言われています。文章に出てくるのも、源義経を慕って鶴岡八幡宮で頼朝の前で静御前が今様を踊って歌った「しずやしず しずのおだまき」の本歌の、平安時代に在原業平の伊勢物語を最後に倭文織の文献は出ていません。

伊勢物語は、現存する日本の歌物語中最古の作品です。

 伯耆国(ほうきのくに=鳥取県の西半分)の第一番の神社が織物に関するという事はここは古代織物の大産地だったということですね。

 倭文織もまだ現代でも多くの研究者が解明中です。

写真の東郷池は湖畔の旅館に泊まった時に撮った夕景です

 

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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。

 尚このシリーズのバックナンバーは私のブログ 「foo-d 風土」の中のカテゴリー『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、そちらをご覧ください。

http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/cat24334548/index.html

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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。

風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。

東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。

代表的作品は倉吉博物館に展示されているタピストゥリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士

 尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいる。

吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく