空気…のようなもの。(48について) | 想像上のLand's berry

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言葉はデコヒーレンス(記事は公開後の一日程度 逐次改訂しますm(__)m)

「空気…のようなもの。」

 僕らは「空気」を呼吸して生きる。誰もそのことから逃がれられない。外部に居るものはわずかに漏れ出てくる空気から内部の様子を伺い知ることができるだけだ。

 僕がかつてAKBを、そしてSKEを離れたのは、「推し変」したからってだけじゃない。島崎遥香の「弟で良いじゃん」発言や紅白でのマスゲーム失敗に代表されるAKBメンバーのゆるい空気が耐え難かったからだし、たとえば大矢真那の差別発言や総選挙での松井珠理奈の振る舞いに対する批判的な意見さえすべて「アンチ」とするようなSKEヲタの排他的な空気が耐え難かったからだ。

 

 大事なのは空気なんだ。

 

 今の48では、まほほんの件に対する内部の空気が気になる。彼女たちとそれを取り巻く周囲の空気。その空気が僕にとって受け容れがたいものかどうか。

 あの事件に関しては、当初から僕は「白も黒も僕らには分かりはしない」と書いてきた。その上で、「教唆」は否定してよいけれど「つながり」は第三者委員会にも指摘されているから真摯に受け止める必要がある。「不問」というのは愚かな判断で、「再教育期間として◯ヶ月間NGT全体の活動を停止します」とでもしておけば良かった、と書いた。いまもその考えは変わっていない。

 もちろん、実際問題としてNGTは一定期間活動停止に陥ったわけで、ある種の「社会的制裁」は受けてきたとも思う。ただ、いまでも引っかかる点がある。ひとつは、このままだとカタルシスが感じられないこと。なんとなく休業して、なんとなく再開したから、「けじめ」がついた感じがしないんだ。だからいつまでもモヤモヤするわけで。

 もうひとつが、ほかならぬ空気の問題。

 

 少し古い話になるけれど、10月31日に行われた歌唱力no1決定戦の決勝、NGTの三村ちゃんが参加していた。

 

 第3組が終わった時点で、僕は「ここは三村、なぁちゃんかなあ_φ(・_・」と呟いている。この組には、なーみんやヨコちゃん(頑張れー!)がいたわけで、僕は彼女たちを応援していたのだけれど、それでも三村ちゃんに軍配を上げた。それだけ三村ちゃんの歌唱が良かったということもあるし、何よりドラマを感じた。苦境のNGTを背負うというそのドラマが彼女の歌唱に力を与えていた。

 

 正直、感動したんだ。メンバーがひたすら頑張る姿。それが48ヲタの本懐だし、こういう感じなら僕も彼女たちのこれからを応援できるかも知れないと、わずかな光を見た気がした。

 でも次の日。こんな記事が出た。

 「「山口真帆に集団訴訟も」NGTメンバー保護者会が激怒 暴行事件裁判で”場外乱闘”勃発

 腸が煮えくり返った。いかなる理由であれ、今回の件でまほほんを訴えようなんて人間の側に僕がつくことはない。そんな奴らに支えられているグループを応援したいなんて微塵も思わない。「NGTを支えてくれている人々」のために歌ったと言った三村ちゃんの想いを、彼/彼女らは台無しにしたと思えた。

 もちろん、そんなのは一部の跳ねっ返りの為すことかも知れない。でも、人は空気を呼吸して生きている。いわゆる「バカッター」は単にその個人がバカってだけじゃない。それを許す周囲の空気があるから生まれるんだ。例の加藤美南のインスタ誤爆も、その投稿に共感できる相手が彼女の周囲にいたことを示唆している。NGT内部の空気は果たしてどうなっているのか。

 

 僕らは、ときどき漏れ出てくる空気から内部の様子を…その腐敗を伺い知ることができるだけだ。

 

 いつだかの文春記事では吉成社長がまほほんの支持者を「山口真帆信者」呼ばわりしていることも出ていたし、まほほんに対して反論しなかったのは「私がそれを高々に言うと、言った言わないの話になって彼女の卒業がまた更に遅れるという判断をしました」と、まるでまほほんを早々に追い出したかったかの如き発言をしていたことも出ていた。

 

 早川支配人名義で出されたNGTのSNSガイドラインには、「②仲間であるメンバーを傷つけたり、憶測を生む可能性があるため、メンバー自身がフォローしている48グループメンバーのフォローを断りなく外すことを禁止致します。」という条文がある。これ、前半はどう見てもかつて「フォロー外し」をした まほほんを批判している。「メンバーのフォローを断りなく外すことを禁止致します」だけで良いのに、なんでこんな余計なことを書くんだろう。まほほんに対するその敵意は、NGTにとっていったいなんの得があるの?

 

 「良識派」のもふちゃんもすでに辞めてしまった。AKB新聞は、その卒業公演すら「NGTメンバーは白であり、ネット世論によって傷つけられた被害者なんだ」と自分が言いたいことを言うために利用した。彼女が言ってもいないことを勝手な憶測で斟酌して、いったいなにが報道か。

 

 あまつさえ、その主幹はAKBの名を使いながら批判者に対する挑発をSNSで繰り返しているし(僕はAKBファンとして、彼がやっていることを恥ずかしいと思う)、AKBとよく仕事をしている週プレのS氏にいたっては、まほほんの写真集売上を揶揄する投稿さえしている。それが心ある人間のやることか?


 しかし、それもすべて空気のなせるわざかもしれない。たとえ心の中で思っていたとして、AKSがこういう発言を許さない空気だったら、彼らもそんな発言を表に出せないだろう。内部の空気は果たしてどうなっているのか。まほほんと秋元さんのつなぎ役だったとされるM(おそらく牧野彰宏)プロデューサーも辞めてしまったらしい。気がつけば、僕が好きだったアンナ公演もなくなってしまった。

 

 AKBではたとえば、まほほんの卒業発表前にもえきゅんが「彼女が帰ってくるのを待っています」とSRで発言したり、卒業発表の翌日に麟ちゃんが「大人の人に言いたいことは山ほどあります」と公演で発言したり、卒業後にはヨコちゃんやセリカ、ななみんのようなチーム8メンがまほほんのインスタに「いいね」しているのを僕は見ている。それらを見る度、救われた気持ちになるけれど、あれって彼女たちだけの判断なの?

 

 NGTとAKBの空気は当然(もしかしたらAKBとチーム8も)違うのかも知れないけれど、メンバーの誰が何を考えているのか、この件ではほとんど見えてこない。

 歌唱力決定戦を振り返れば、ドキュメンタリーで三村ちゃんが発した「今はNGTというだけで悪く言う人がすごく多い」という言葉が小さな話題になっていた。これも内部の空気をどう読むかで捉え方が変わる。ただストレートに事実を述べたようにも見えるし、保護者会同様の被害者意識の現れのようにも見える。

 日陽が博多座の舞台で自分の出番を飛ばしたという逸話も、単純なうっかりミスにも見えるし、「自分たちは別に悪くない」という被害者意識の現れにも見える。「出してもらえるだけで有り難い」と思っているなら、そんなミスはしないんじゃないか、と。これも結局、内部の空気をどう読むかで変わってくるんだ。内部の空気は果たしてどうなっているのか。

 

 外部から攻撃された組織が被害者意識によって先鋭化していき、いよいよ社会の常識から外れていく…という例は古今東西枚挙にいとまがない。だから僕はいま、NGT内部の空気がどうなっているか、そして、他のAKS傘下のグループの空気がどうなっているか、とても気になっている。まほほんについて、第三者委員会の指摘について、告発者を追放した組織について、いったいどう思ってんの? と。

 分水嶺は裁判じゃない。一人ひとりの意識の中にこそある。これは、いかに仲間を増やすかという戦い…言い換えれば、自分たちがどう見えるかというイメージの戦いなんだ。被害者意識に凝り固まってまほほんやその支持者を敵視したって、一ミリも良いことなんてない。本当に流れを変えたいなら、歯を食いしばって踏ん張るしかない。誹謗中傷には別に対処していいと思うけれど、それはまほほんやその支持者を敵視することとイコールじゃない。