・・・・・・・っということで、リフォーム工事が始まり、かつてあった場所と物がどんどん消えていきます。
これって、案外ショッキングなものですよ。
フツーに手を洗おうとしたら、洗面所がない。
ビールとおつまみを出そうとしたら、冷蔵庫がない。
食べ物を温めようとしたら、キッチンそのものがない。
残っているのはトイレだけ。
かつてそこにあった生活が、もう失われてしまったのです。
これはバスルーム。
毎朝41℃の湯に浸かりながら、バッハを聴いてゆったりしていたのに・・・
これですもんね。😬
・・・・・・・っということで、ようやく見ることができました。
うぅ〜〜〜んですね。
続編を作るのは難しいと痛感されます。
なぜなら、前作が完璧に近かったからです。
コンバットシーンだけが印象に残り、本来主体であるストーリーがアクション間を埋めるだけの存在になっています。
ディンゼル・ワシントンが悪役を担当しているのだけど、あのホアキン・フェニックスには遠く及ばない。
登場人物で唯一、コニー・ニールセンが前作のルッシラ役を引き継いでいます。
あのとき彼女は35歳。
今回は撮影時点で59歳。
映画とは全く関係ないところで、年齢の残酷さにタメ息をついてしまいます。(^^ゞ
見たところ、前作よりお金がかかっています。(倍以上の2.5億ドル)
感心するのが、衣装、建築、風景など、時代考証に手抜きが全く見られないこと。
細部までこだわりを感じます。
圧巻の一つであるコロッセウムでの海戦の再現。
本場のイタリアでコロッセウムのグラウンドの地下まで見た者にとって、いくら何でもあの構造で水を張って船を浮かべるなんてあり得ないと自信を持って断言できます。
ところが史実なんですね。↓
ローマ人って、異常なほどにエンターメントを追求したのね。
サイに乗って戦ったり、猿をけしかけたのも本当らしいのです。
どうしてこんな特異なアクションシーンを採用したか、前回描いてしまっているからです。(ライオンや戦車)
アクションに目が行ってしまうのと反対に、カラカラ帝とゲタ兄弟の扱いは出鱈目すぎる。
主役のポール・メスカルの頑張りは好印象。
しかし【アフター・サン】の繊細な演技を見たら、マッチョマン役はさせたくないと感じるはず。
ディンゼル・ワシントンはミスキャストだと思う。
演技が上手いのが鼻につくと言ったら同調してくれるかな?
悪の要素を一手に引き受けてくれないと、巨悪を倒した時に感じるカタルシスが弱い。
彼がこの映画をダメにしたと言ったら、言い過ぎ?
実際のところカラカラ帝は超悪人でしたので、悪役は彼に担当してもらった方が良かったと思います。
★★★★☆
・・・・・・・っということで、3回目にようやく通して見ることができました。
ビールを飲みつつ見る映画じゃないですね。(;^_^A
オッペンハイマーという人物はとても複雑で、ミステリアスだから、映画にするにはとても難しい対象だと思います。
しかも「原爆の父」ですから、両極端の意見があるため制作には勇気が必要でしょう。
そんな難しい映画に果敢に挑んだノーランの挑戦は評価されるべきでしょう。
そして、ノーランが監督して良かったと誰もが感じるでしょう。
アメリカを勝利に導いた科学者として戦後間も無くは英雄扱いされました。
しかし、マッカーシーの「赤狩り」の嵐が吹きまくり、彼がソ連に情報を流したと疑われ聴聞会を受けることになります。
裏にストローズという政治家がオッペンハイマーを陥れようとする策略がありました。
ストローズ役をロバート・ダウニーJrが好演していて、彼だと気づきませんでした。
物語はその聴聞会を中心に進みながらオッペンハイマーの人物像に近づこうとします。
・・・・・・・
日本人としてなぜアメリカが原爆を投下したのか知りたいですよね。
そして、被害者である日本人をどう描くか興味ありますね。
その期待は裏切られるでしょう。
と同時に、原爆投下を擁護もしていません。
ぼくが注目したセリフがあります。
「我々科学者は原爆の威力を知っている。しかし一般人は見せつけないと分からない。」
実は、科学者も知らなかった。
そして、オッペンハイマー自身も。
ドイツが成功する前に。
ソ連が成功する前に。
日本が降伏する前に。
・・・が原動力でした。
科学者には責任はないのか。
使う使わないの責任は政治家のみにあるのか。
アメリカの性(さが)とは?
科学者の性とは?
そして人間の性とは?
地球を壊滅させるまで、その答えは出ないでしょう。
★★★★★
・・・・・・・っということで、自分だけが皆さんと異なった感情を持っているかもしれません。
LA大火のニュースを聞いても特別な同情心が生じないのです。(ーー゛)
被害に遭われた住人たちの絶望感は想像を絶します。
お気の毒と思わざるを得ません。
でも、「まるで原爆投下後の広島みたいだ」と表現した途端、同情心は消し飛んでしまうのです。
結局のところ、連中は自分たちが犯した罪の重さをこれっぽっちも感じていないのだと。
アメリカの中でも富裕層が住む高級住宅地。
被害総額が何兆円だと訴えられても・・・だからナニ?
君たちは自然災害による被害と、意図的な被害を比較するってワケ?
そこに、「同情」が生まれる余地があると思っているのでしょうか?
このニュースに気の毒だと思う人がいるのか疑問です。
ザマァ〜みろとは言いません。
そう言ったら、自らを貶めてしまうからです。
世界にはもっと悲惨な事件が起きているからです。
これがカーター大統領やオバマ大統領の時に起きたのなら、世界中から同情を集めることでしょう。
でも、いまはトランプのアメリカなのです。
案の定、反トランプ色の強いCA州での災害ですから、トランプなら政治利用するに違いないと予想するでしょう?
ほらご覧なさい。
富裕層の住宅街で起きた災害ですから、窃盗犯が集結するに違いないでしょう?
ほらご覧なさい。
この自然災害が起きたのは、地球温暖化が招いたのではなく、放火による陰謀説が出てくるに違いないでしょう?
ほらご覧なさい。
そんな国に同情するなんて、なんてお人好しなのでしょう?
・・・・・・・っということで、いよいよ明日からリフォームの工事が始まります。
余計な物を処分するいいチャンスです。
まだまだ使えるダイニングセットは残しておこうと思ったけど、思い切って捨てることにします。
尤も、また買わなきゃならんのですが。
ぼくは、使えるものはなるべく残すという性格なのですが、カミさんはその全く逆。
バッサバッサと捨てる判断をしてしまいます。
まあ、カミさんの両親が購入したものだから、権限はカミさんにあるので反対はできません。
でもねぇ〜新しく買うのはぼくなんですがねぇ〜。(ーー゛)
エアコンも、冷蔵庫も、洗濯機も、炊飯器も、照明器具も・・・・。
まあ、部屋が新しくなるのだから、中身も新品で揃えたい気持ちはわかりますがね。
そんな中、カミさんも最後まで迷ったのがコレ。
桐のタンスです。
コレは年代物で、カミさんの祖母が嫁入り道具で持ってきたものだそうです。
すると1900年前後の代物です。
明治時代製ですね。
一度削ったそうです。
もちろん中身は着物です。
昔、女の子が生まれると庭に桐の木を植え、女の子が結婚する頃それでタンスを作るという話。
どこまで本当か分かりませんが、成木になるのに20年と短いそうです。
驚くほど軽くて、防虫効果があるそうで、日本の気候にマッチするそうです。
でも、要らない。
下取りで売ってもいいんですが、今はそんなに人気がないそうです。
ぼくは、アンティークとして新しい部屋にマッチするんじゃないと言いましたが、今朝になってカミさんは処分する決心をしました。
・・・・・・・っということで、蔦屋重三郎って有名人じゃないですよね。
NHKもずいぶん思い切った路線に踏み出したものです。
しかも「遊郭」が舞台ですよ。
吉原については色々と思うところがありますのでおいおいと。^m^
放送1回目は半分見たところで、ツマランと途中で消してしまいました。
たぶんNHKの必死の情報操作だと思うのですが、【べらぼう】は評判になっているとのこと。
まんまと騙されて放送2回目を見てしまいました。(;^_^A
例によって主演や出演者のほとんどを知りません。(^^ゞ
・・・・・・・
とはいえ、江戸時代の庶民の生活には興味があります。
物語のベースになっているのが、主人公が遊郭で出版物をレンタルして生計を立てていることです。
「当時の遊女が文字を読めたのか?」という疑問を抱くのがぼくの悪い癖。
・・・っで、調べました。
江戸時代の日本は、世界的に見ても識字率が高い社会だったという事実。
遊女が育った家庭環境にもよるけれど、寺子屋で基礎教育を受けている可能性が高かったそうです。
遊女の役割は、単に接待(SEX)だけでなく、客と会話を楽しませたり、詩歌や芸能で魅了したりすることも含まれていたのです。
特に高級遊女である「花魁」などは、客との接待で教養が重視され、和歌や漢詩、書道、茶道、さらには音楽や舞踊までのスキルが求められたそうです。
このため、教養がない遊女たちはこれら高級遊女に遊郭内で教育を受けたりすることがあったのです。
日本の遊郭は、いわゆる西欧における「売春宿」とは一線を画していたのは確かなようです。
面白いねぇ〜〜〜。
日本らしいねぇ〜〜〜。
外国人には理解できないだろうねぇ〜〜〜。
・・・・・・・っということで、また始まったの?・・・というのが正直な感想です。
なんか昔と比べて多くない?
ぼくが生まれてすぐの昭和28年に、初、春、夏、秋の4場所制となりました。
昭和32年の福岡場所から5場所制になりました。
何と翌昭和33年の名古屋場所から6場所制になったそうです。
今年は昭和100年ですから、一ヶ月おきに開催されていることを知らない方がおかしいんですけどね。(^^ゞ
でも、昔はもっと回数が少なかったような気がするのはなぜでしょうね。
「一年を二十日で暮らすよい男」という江戸時代の川柳の影響でしょうね。
当時は春と秋の2場所、それぞれ10日間ですからそう言われたのです。
・・・・・・・
本場所以外に巡業というのがあるらしく、力士の生活はそんなにヒマじゃないようです。
とはいえ、ぼくが子供のころ見ていた大相撲と今のとはずいぶん違いますね。
当時は柏戸と大鵬という二大横綱がいて、柏鵬時代と言われる黄金期がありました。
年代としては、1960年代から1970年代にかけての期間です。
ということは、ぼくが8歳から18歳にかけてですね。
ホントーに興奮したものなんですよ。(^^)/
その後、輪湖時代というのがあって、輪島と北の湖が優勝を争いました。
昭和49年9月から昭和53年5月(1974年〜1978年)にかけてのことです。
その後、ウルフというあだ名(千代の富士)の力士が出てきて、あれよあれよというまに横綱になってしまいました。
横綱在位が昭和56年9月~平成3年5月(1981年〜1991年)ですが、この辺からなんか大相撲がオカシクなってきたように見えます。
オカシクなったとは、小兵なのに強すぎるという点です。
平成7年1月から平成10年5月(1995年〜1998年)にかけては、曙と貴乃花が活躍した時代ですね。
・・・・・・・
曙とか小錦のハワイ力士がいた頃はまだ平和でしたね。
ところが、モンゴル力士が出現して大相撲が大きく様変わりしてしまいました。
ぼくは大相撲はスポーツではなく、「様式美」を追求する伝統芸能だと思っています。
モンゴル力士たちはそんな伝統や様式美なんて理解できない。
強いから勝つのであって、勝ち続ければ横綱=チャンピオンになることはスポーツの基本だろうという世界の正論を相撲協会に突き付けたのです。
おっとどっこい、それは日本では通用しない。
チャンピオンの資質は「心技体」の3要素が揃わなければならないのが日本における定義なのです。
心とは、「人格」のことです。
強靭な体格と優れた技を持っていても、心がなければ横綱という定義からは外れるのです。
これはスポーツと認識している者にとって理解し難い。
大相撲どころか野球においても、日本人は選手に人格を求めるのです。
・・・・・・・
さて、最近の大相撲中継を見ていると、ナンか以前より面白くなった。
若い力士たちが生き生きと相撲をとっているように見えるのです。
様式美も大事だろうが勝負である以上実力だろう?・・・という考えが浸透してきたようなのです。
昔の相撲は様式美を保つために、目に余る申し合い相撲が多かった。
ひたすらスポーツの道を歩んでしまった柔道と比べて、大相撲はどういう経過を辿るのでしょうね。
・・・・・・・っということで、バイデンが日本製鉄のUSスティール買収を禁じましたね。
その理由が「国家の安全保障」に関わるからというもの。
同盟国である日本の企業がアメリカの企業に救いの手を伸ばすのは、全くの商行為であります。
それが何で安全保障問題にすり替わるのか?
日本製鉄がアメリカ政府を提訴するのは「理屈において」全く正しい判断です。
しかし、アメリカの判断理由は理屈ではありません。
「感情」の問題なのです。
偶然でしょうが、「日本」製鉄と「US」スティールと、両社とも国名を背負っているのです。
日米の歴史においてまず思い出すのが太平洋戦争前のアメリカが行った経済制裁です。
当時の日本は鉄の80%を輸入に頼っていました。
輸入の大半がアメリカの「鉄くず」でした。
これから戦争をするのに鉄を止められたら、日本の負けは必須です。
ABCD包囲網というのがあって、鉄ばかりでなく石油をはじめゴムやスズの遮断、資産凍結が実施され、戦争をおっ始めるなんて正気の沙汰ではありませんでした。(始めちゃったんですが。)
鉄は国家なりの時代に、鉄は重要な安全保障問題だったのです。
・・・・・・・
しかし、あれから80年以上が過ぎ、そんな感情論が日米間にあっていいのか?
いいはずがありません。
まだまだアメリカは若い国であって、懐の深さを期待するのは無理筋なんですね。(ーー゛)