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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、「安全」って何でしょうね。

 

昨日発生した東武日光線の事故で、50代から60代の作業員男性4人が亡くなりました。

 

まさか除草作業中に人生を終えるなんて予想しなかったでしょう。

 

亡くなられた方々の無念を思わざるを得ません。

 

保線作業は最も危険な作業であると同時に、安全確保はそれほど複雑ではないはずです。

 

列車の接近を予知し、作業員を退避させるという実にシンプルな手順です。

 

事故は起きたばかりで原因究明を待つばかりですが、このような事故は初めてではないと聞き驚きました。

  • 山手貨物線 触車事故(1999年)作業員5名が死亡。
  • JR伯備線 触車事故(2006年) 作業員3名が死亡、2名が負傷。
  • JR山陽本線(厚狭〜厚東間)触車事故(2019年)作業員1名が死亡。

ぼくがサラリーマン人生を送った会社は製造業でした。

 

国内外に何ヶ所かに工場を持ち、そこには「安全第一」という大きな看板が必ず掲げられていました。

 

毎年「安全」をテーマに標語を全社員に募集して結果発表していました。

 

ぼくも応募しましたが、佳作にさえもなりませんでした。(;^_^A

 

そのとき思ったのは、「安全などどこにもない」です。

 

就寝中でも安全だとは限りません。

 

火事が起きたり、ガス漏れが起きたり、地震が起きたり、泥棒が入ったり、はたまた隕石が落ちてくるかも知れません。

 

だとすれば、「安全」など概念にすぎず、どこにも存在しないのです。

 

存在するとすれば、工場に貼ってあるスローガンの安全という文字だけなのです。

 

もちろん可能な限り「危険」を排除し、安全に近づこうと努力することは必要です。

 

それを無駄な努力だとは言いません。

 

しかし、安全安全と称えるだけで本当に安全が実現すると考えているのなら、それは全く無駄なエネルギーです。

 

会社が行う安全標語運動のたびに、ぼくはそう思いました。

 

安全などどこにもないことを先ず各自が自覚することが先決じゃないでしょうか?

 

不思議なことに、死は人間の一瞬の油断を見逃さないのが厄介なところなんですね。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、NHKの番組で「クールジャパン」ってありますよね。

 

正直に言いますが、ぼくはこの番組が好きじゃありません。

 

ニュースで「クールジャパン機構」が赤字で廃止する方向で検討中と報じられていました。

 

やっぱそうだろうなぁ〜と思って調べたら、NHKの番組と機構は別物でした。(;^_^A

 

「クールジャパン機構」は2013年に安倍政権の政策として設立された官民ファンドなんだそうです。​

 

要は「日本のアニメ、漫画、映画、食、観光、ファッション、伝統産業などを海外で売って、日本の産業にしよう。そのために国も金を出して投資しよう」という趣旨です。

 

結局目論見が外れて、約540億円の累計赤字なんだそうです。

 

NHKと機構は別物とはいえ、根底にある「浅ましさ」は同じだと感じます。

 

番組は、「日本人には普通のこと → 外国人に見せる → 外国人が驚く → 日本ってスゴイ!」を狙っているんです。

 

「ほら、外国人も日本をスゴイと言ってますよ」という自己確認番組になっているのです。

 

ねっ!?

 

浅ましいでしょう?

 

・・・っというか、野暮でしょう?

 

そもそも自分のことを「クール」だと主張しますか?

 

それも、ガイジンを出汁にして言ってもらうのです。

 

これは美しくない。

 

ぼくは日本は美しいと信じて疑いません。

 

だけれども、ひとたび政府や半官の放送局の手にかかれば、このセンスの無さ。

 

13年も国民の税金を使って赤字を垂れ流した政府も政府だが、NHKもさっさと番組を中止すべきじゃないだろうか?(ーー゛)

 

 

 

・・・・・・・っということで、(哲学ではなく)哲学的に考える重要性とその能力を磨くのにAIがとても有効であると書いてきました。

 

では、次はAIを具体的にどう教育に活かすかです。

 

教室の生徒全員にパソコンやタブレットを配って、各自AIと会話してください・・・なんて授業は、親からパソコンに教師の役割を丸投げしたとクレームが出てくるのは間違い無いでしょう。(^^ゞ

 

パソコン一台とやり取りを映すスクリーンがあれば十分です。

 

教師はその日の哲学的な命題を用意します。

 

生徒の中から数人選んで(5人くらいがいいかな)、教室の前に座らせAIに課題を質問させます。

 

キーボードがいいか音声によるか、または難しければ先生が打ち込んで手助けしてもいいです。

 

AIが出した答えに、どう次の質問をするか生徒に考えさせます。

 

生徒に任せるか、先生がどの生徒の質問が「いい質問」かを選んでもいいでしょう。

 

このやり方のいいことは、先生には哲学の素養がなくてもいいことです。

 

たぶん先生も生徒と一緒に考えることになるでしょう。

 

ある一定の質疑応答に区切りをつけたら、今度は他の生徒の意見を聞きます。

 

そしてどう考えるのが正しいのかみんなで考えさせます。

 

ここで大事なのは、「正解はない」ということです。

 

間違いなくエキサイティングな授業になるはずです。

 

たぶん先生は収集をつけるのに苦労させられるでしょう。

 

ポイントは、声を発しない生徒を置き去りにしないことです。

 

逆に、黙っている生徒を発掘し、少数意見の大事さを示すのです。

 

それでも、生徒は賢いものです。

 

AIの答えを先読みして、AIを罠にかける悪ガキも出てくるはずです。

 

そこまで来れば授業は成功と言えるでしょう。

 

繰り返しますが、授業のまとめは必要ないのです。

 

生徒の各自が自分の頭で何が正解か考え続けることが大事なのです。

 

この授業なら、先生の負担はほとんどないでしょう。

 

逆に、先生が教育の面白さに目覚めると思います。

 

以上、長々と書いてきましたが、ここまでAIが哲学の教育に最適だとの主張を述べてきました。

 

もちろんこれが結論ではありません。

 

哲学に終わりはありません。

 

今後も変わっていくとの前提で、とりあえず分かったつもりになるのは否定しません。

 

何が正解なのか、ソクラテスは死ぬ直前まで対話をやめなかったではないですか。

 

・・・以上で、このシリーズ終わります。

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、哲学は大事だと4回に分けて書いてきました。

 

いまはSNSによって個人の意見を自由に発信する時代です。

 

言論の自由という点では、それはとてもいいことである反面、何が正しいのか見えなくなってしまった時代ともいえます。

 

そんな時代だからこそ「自分の意見」を持つことがとても重要になります。

 

自分の意見を持つことで民主主義は成り立っているのです。

 

ただ意見を持つだけでは足りません。

 

正しい意見を持つ必要があるのです。

 

何が正しいかは自分で判断しなければなりません。

 

正しい正しくないは、自分で判断するところがミソなのです。

 

それは他人が判断することではないんです。

 

SNS上では自分が正しいとの主張で溢れています。

 

どこかの政治家だって自分のSNSに「True Sochial」なんてふざけた名前をつけて、嘘八百(フェイクニュース)を撒き散らしています。

 

実際のところ、自分で正しいかどうかを考えるのは簡単なことではありません。

 

大抵の人は、インフルエンサーといわれる人気者の意見を丸呑みにしてしまいます。

 

他人の意見に賛同するのはいいけれど、自分の頭の中のフィルターを通さず、そのまま信じ込んでしまうのが問題なのです。

 

そのために、リテラシー(読解力)を磨くことが大事なのです。

 

ぼくはリテラシーの大もとを支えるのは「哲学的に考えられる能力」だと信じています。

 

哲学と聞いただけで、拒否反応を示してしまいますよね。

 

小難しい哲学用語が山ほど出てきて、大体入り口で挫折してしまいます。

 

ぼくも挫折した一人です。(;^_^A

 

とてもじゃないけど、哲学者なんかにはなれない。

 

大学を出て哲学者になったとしても食えませんしね。

 

でも、哲学的考え方ができるよになるのは難しくはありません。

 

まず世の中の正しいとされている意見に疑問を持つこと。

 

SNSでみんなが叩いているから尻馬に乗ることとは真逆の行動です。

 

池上彰さんの「いい質問ですねぇ〜」というフレーズは、その質問が「本質」を問おうとしている時に発せられます。

 

なんでも問うのではなく、「何が本質なのか」を問う質問がいい質問なのです。

 

この質問をするには多少の訓練が必要です。

 

・・・・・・・

 

ずいぶん前置きが長くなってしまいました。

 

触れたことの繰り返しも多いですしね。

 

自分の意見を持つ能力、何が本質かを見分けるかの能力、これは哲学的な考え方で鍛えられます。

 

ぼくはチャットGPTが出てきた時から、ずっと利用してきました。

 

そこで気がついたのです。「AIは哲学的な考え方を鍛えるのにうってつけのツール」だと。

 

あ”ぁ〜〜また長くなってしまいました。

 

(その5)につづく。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、トランプは1946年6月14日生まれなんですね。

 

ギリギリ戦後生まれです。

 

80歳ということになりますね。

 

80歳は、日本の医療保険制度において後期高齢者に該当します。

 

日本で「後期高齢者」とは75歳以上で、80歳はすでに後期高齢者です。

 

アメリカ人男性の平均寿命は約76.5歳です。(2024年のデータ)

 

トランプの大統領の任期はいつまででしょうか?

 

2029年1月20日で、残り885日(2年と154日)です。

 

・・・・・・・っということは、トランプはいつ死んでもおかしくないし、あと885日間我慢すればヤツは単なる無力なクソジジイになるのです。

 

ぼくは何を言いたいのでしょう?

 

「歴史的視点を持て!」ということです。

 

数年後、数十年後、数世紀後に今の時代を振り返って、どう評価するだろうか?・・・という視点です。

 

トランプごときをを怖がって、ご機嫌を伺う人々。

 

少なくともぼくは、そういう人間の一人だったと評価されたくないですね。(;^_^A

 

 

言いたいのは以上です。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、このシリーズ今回で最後にするつもりでしたが、哲学を語る上でソクラテスに触れないわけにはいきませんね。

 

ソクラテスは若者たちを惑わしたという罪で死刑(毒を飲まされる)になりました。

 

ぼくが彼のエピソードで深く印象に残っているのは、死刑になる直前まで彼の弟子たちが牢獄に集まり哲学的な「対話」をしていたことです。

 

押しかける弟子も弟子ですが、それに対して最後まできちんと応対したソクラテスもソクラテスです。

 

そこでAIくんに死に至るまでの経緯を質問してみました。

 

【AIくん】

  • 国家が認める神々を信じず、独自の新しい神々を導入していること

  • 若者たちを惑わし、堕落させていること

という2つの罪で告発されたこと。

 

ソクラテスは、弁護士に頼らず自ら弁明したこと。

 

(ソクラテスの弁明)

世間で「知者」と自負する人々と対話を行い、彼らが「知っているつもりで実は何も知らない」ことを無知の自覚(無知の知)を通して暴いてまわっただけだと。​

 

弟子たちが脱獄の手筈を整えても彼はそれを断り、裁判の判決が不当なものであったとしても法は法であり、自分もその恩恵を受けていたのだからといって、迷いなく毒の盃を飲み干したこと。

 

【ぼく】

ソクラテスは自分の考えを文章として残さなかったのはなぜでしょう?

 

プラトンなど弟子の記述によるしかないのでしょうか。

 

【AIくん】

ソクラテスはこう考えていました。

  • 文字は「生きている言葉」ではない
  • 誤解されやすく、対話ができない
  • 「書くこと」への依存が記憶力を弱める

【ぼく】

文字として残さなかったのは、孔子もイエスも同じですね。

 

主に門下人が回想して書いている。

 

たぶんソクラテスもそれを見越して、わざと文字にしなかったと思うんですがどうでしょう?その方が神格化されるから?

 

【AIくん】

とてもスリリングで魅力的な見方ですね。

 

生きた伝説としての不滅性、あるいは弟子に師を超えることを促していた可能性。

 

 

しかし、ソクラテスにその意思があったかは疑問。

 

まず、自分を特別な聖人と考えていなかったこと。

 

次に、知の伝達は、あくまでも口承(オーラル)と考えていて、哲学とは「今、目の前の相手と語り合うことの連続」であり、後世のためにアーカイブを作ろうとは考えていなかっただろう。

 

【ぼく】

確かに文字となった時点で、そこで思想は一旦止まってしまいますからね。

 

彼は無知の知を実践するには継続的に対話し続けなければならなかった。

 

これは必然であって、停止は不可能だったと考えられますね。

 

いっぽう、文字を持たない文明は実に脆弱であることも知っていたはず。

 

彼が文字の力を疑っていたとは思えないんですが。

 

【AIくん】

1. 紀元前5世紀アテナイにおける「文字」の爆発的普及について。

2. 「文字を疑った」のではなく、「文字の限界と魔力」を恐れたのでは。

ソクラテスは、文字の力を軽視していたから書かなかったのではなく、「文字にするにはあまりにも哲学がダイナミックであり、生きてうごめくものだったから」こそ、自分の手で書くことができなかった――そう考えると、彼が最後まで「問う人」であり続けた理由が、より鮮烈に浮かび上がってくるように思います。

 

【ぼく】

今回の対話は哲学とは言えないでしょうが、哲学的な展開であったことは確かですね。

 

いろいろ気づかせてくれてありがとう。

 

・・・・・・・

 

以上、引用が長くてここまで辿り着いた人はいないでしょうが、これでも随分省略しています。

 

なぜ長々と引用したかというと、「AIとは哲学的な対話ができる」ことを証明しかったからです。

 

今回のシリーズの目的はここがポイントです。

 

対話とはソクラテスが哲学の根本に置いていた手法で、「無知の知」を極めようつする限り、停止は許されないのです。

 

ぼくは哲学について無知ですが、このAIとの対話によって、今回のテーマ「哲学的な考え方」を理解していただけたと思いますがどうでしょう?^m^

 

もうお気づきでしょうが、ぼくはAIくんをかなり「誘導質問」しています。

 

多少なりとも、ソクラテスの死について予備知識があったからです。

 

しかし、この対話を通じて、哲学についての認識をさらに一歩進めたと思っています。

 

・・・・・・・

 

次回こそ本当の最終回、教育へのAIの利用を提案します。

 

・・・つづく。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、今月千葉を襲った豪雨で車が水没し、亡くなった方が4人おられます。

 

千葉市中央区(2人):40代男性、60代の女性。

佐倉市(1人):66歳の女性

柏市(1人):70代の女性

 

ドアの高さ半分まで水没したら、ドアは水圧で絶対に開きません。

 

今はウィンドウの上下は電動ですので、電源が喪失したら下げられません。

 

昔の手動式だったら開けられるのに。

 

足で蹴っても破れないし、ましてや映画のようにゲンコツでぶち破ることもできません。

 

そのため脱出用ハンマーがあります。

 

 

ぼくは運転席側のドアに常備しています。

 

シートベルトを切るためのカッターも付いています。

 

それがない場合、ヘッドレストを引き抜き、金属棒を使えばガラスを割ることができるとの知識を持っていたので、亡くなられた方々はそれを知らなかったのでしょう。

 

知っていたなら命を落とすこともなかったのだろうに・・・と残念に思っていましたが・・・。

 

 

 

こういうYoutubeがあります。↑

 

ヘッドレストの利用はオールマイティーではなさそうです。

 

ましてや女性や高齢者は自力脱出は相当難しいでしょう。

 

ただ、こういう知識を持っているのと持っていないでは、生存のチャンスは大きく異なります。

 

ぼくも長年生きてきましたので、何度か死にかけたことがあります。

 

死は背中合わせだと知るべきでしょう。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、哲学的な考え方を身につけさせるには、どうすればいいのでしょう。

 

フランスを見てみましょう、お手本になるかどうか。

 

フランスにはバカロレア(高卒で大学受験の能力があるかの判定)という試験があります。

 

その中で「哲学」は必須です。

 

アメリカやイギリスでは哲学は大学の科目で、フランスのように高校の主力科目ではありません。(スペイン、イタリア、ブラジルなどラテン系では重視されるのが面白いですね。)

 

提示される問題は3問で、その中から1問選び小論文形式で答えます。

 

文系、理科系、職業系に関わらず必須科目です。

 

「答えのない質問」をいかに理論的に料理するか、その能力が試されます。

 

時間は4時間だそうです。

 

目指すところは、「自分の頭で考えろ」であって、暗記力を問うのではありません。

 

まさしくぼくの言う「哲学的思考」ですね。

 

どんな問題が出されるかというと:

 

「他人が幸せでないとき、自分は幸せになれるか?」

「議論することは、暴力の行使を諦めることか?」

「国家がない方が、私たちはより自由になれるか?」

「私たちは自分の言葉をコントロールできているか?」

・・・

 

なかなかいい問題ですね。

 

どこまで持論を展開できるか、知識の広さと深さ、プラス表現力が求められています。

 

大人にとっても、手強い問題ですね。

 

まず心配になってしまうのが、どうやって「採点」するかです。

 

試験管の能力によって採点が違ってきそうですね。

 

まあ、そこは注目すべきポイントを徹底的に打ち合わせておくのでしょうね。

 

まるで、フィギュアスケートの採点のように。^m^

 

・・・・・・・

 

採点の難しさもさることながら、どうやって教育するのでしょう?

 

ぼくが注目するのはこちらです。

 

教育で扱う概念は主に自由、幸福、真理、正義と権利、国家、道徳、意識、無意識、技術、芸術、時間、言語 などだそうです。

 

いかにも哲学が好むテーマばかりですね。

 

生徒たちは各自の考えを持つでしょうが、問題はそれをどうやって論文に仕立てるかです。

 

これはテクニックの問題ですね。

 

問題提起(Problématique)→

正論(テーゼ)→

反論(アンチテーゼ)→

止揚/総合(ジンテーゼ)対立を乗り越え、より高い視点から自分の結論を導き出す。

 

という流れになります。

 

やっぱこの分野ではフランスは進んでいますね。

 

ぼくがもし高校生に戻れるなら、こんな授業を受けてみたい。(^^ゞ

 

彼らはフランス革命の精神に絶対的価値を置いているのでしょうね。

 

「自分の頭で考えろ」・・・これこそ今の時代(情報過多の時代)に必要とされる能力でしょう。

 

特に日本においては全く足りていない。

 

どちらかというと、日本の教育は「従順で優秀なサラリーマン」を大量生産するのが目的のように見えます。

 

採点者の能力が求められていると同じく、教師の資質が大きな意味を持ちますね。

 

フランスの哲学の授業が実際にどう行われているのか見てみたい。

 

・・・・・・・

 

ここからが本題になります。

 

フランスは哲学の重要性に気づき、早い段階からこのような教育システムを構築しました。

 

じゃあ、日本での教育はどうすればいいでしょう。

 

まず教師から育てなきゃならない。

 

ただでさえ日本の教師は「雑用」にがんじがらめになっていて、哲学を学ぶ暇なんかねぇ〜ぞ!・・・という現場からの声が聞こえてきそうです。

 

しかも、日本教育が大好きな◯×式の手っ取り早い採点なんかできませんからね。

 

そうなんです、哲学的思考力を身につけさせる教育って、手間がかかるのです。

 

次にぼくの案を書いてオシマイとします。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、何なんだろうなぁ〜、この気力のなさは。

 

4月の帰国以来、ズゥ〜〜〜っと腰痛に悩まされています。

 

こんなに長いのは久しぶり。

 

腹筋を鍛えようと運動しても、さらに痛みが増す結果に。

 

ならば、余計な刺激を避けるために安静を心がけていると、すぐに足腰の筋肉が弱っていきます。

 

どぉ〜すりゃいいの?

 

下手な民間療法を試さず、まずは整形外科で精密な検査を受けようと、総合病院に紹介状を書いてもらいましたが、予約が取れたのが3週間先。

 

この歳になると、じっとしているのがいちばん悪いのは知っていますが、猛暑だったり、台風だったり。

 

することがないので、ついビールに手を伸ばしてしまいます。

 

こんな怠惰な生活を続けていると、日が経つのがものすごく早い。

 

アァ〜ア、もう8月17日ですぜ。

 

腰痛が改善するまで旅行なんかできないのですが、次は世界一周旅行を企んでいます。

 

スターアライアンスの世界一周というサイトがあって、目的地と日にちを指定すれば簡単に計画できて、チケット発券まで進めます。

 

日本→オセアニア→日本→ニューヨーク→アムステルダム→ドレスデン→エジンバラ→トルコ→日本のルートを試しに入れてみたら、二人で300万円と出ました。

 

ウゥ〜ン、もちろんビジネスクラスですが、ちょっと高すぎませんか?

 

これだったら、格安航空券で何度かに分けていく方がいいかな?

 

でも、その場合、エコノミークラスだからなぁ〜。

 

ヨーロッパやアメリカ東海岸は遠すぎますね。

 

そんなこんなで、怠惰な生活を送っています。_ノ乙(、ン、)_

 

 

 

・・・・・・・っということで、昨日は終戦記念日でしたので、B29戦略爆撃機についての蘊蓄を少々。

 

終戦時点で、父親は18歳、母親は16歳でした。

 

戦時中の話はあまり話したがりませんでしたが、終戦になって何しろホッとしたと言っていました。

 

両親より祖母の話が強い記憶となりました。

 

愛媛県の波止浜の丘から今治の軍事工場への爆撃を見たそうです。

 

B29の編隊が投下した焼夷弾で街全体が火災に包まれ、その反射でジュラルミンの機体が夜空に浮かび上がりました。

 

祖母はそれを見て「綺麗だった」と言っていたのが印象に残っています。

 

 

B29は日本人にとって憎っくき敵機です。

 

大抵の日本人には、とてもじゃないけど歯が立たない爆撃機と刷り込まれていますよね。

 

それもそのはず、B29は高度10,000m付近を時速600km以上で飛ぶ怪物機で、当時の日本の主力戦闘機だとその高度では追いつくことさえ不可能だったのです。

 

じゃあ、そのほとんどを撃墜できなかったと思いますよね。

 

B29は終戦間近にアメリカの威信をかけて開発された最新爆撃機です。

 

製造総数は3,970機で、そのうち約1,000機強が対日戦争に投入されました。

 

そのうちの全損失が414〜485機(作戦行動中の墜落・不時着、機械故障、事故を含む)だそうです。

 

えっ!?😮ですよね。

 

半数近くが失われた計算になります。

 

一方的に日本がやられていたとの認識とはかけ離れていますよね。

 

しかし、損失の中身を見てみると・・・

 

戦闘による損失は約147機で、そのうち戦闘機による撃墜が約80機、対空砲による撃墜が約70機なんだそうです。

(大本営発表では500機撃墜ですが、アメリカ軍のデータは客観的なものです。)

 

 

1/3が撃墜され、残りの2/3がほぼ機体の不具合による墜落あるいは不時着なんです。

 

・・・ということは、そもそもB29は欠陥機であったことがわかります。

 

ヨーロッパ戦線ではB17爆撃機が使用されました。

 

最近はその損失が凄まじい数だったことが知られるようになりましたね。

 

1回の出撃で10%が帰還できなかったケースもありました。

 

それに比べ、対日戦では1%程度で済んでいます。

 

だから、アメリカは高高度から大量の爆弾を投下できる新型機の開発に迫られていたのです。

 

総予算は当時の額で30億ドル。

 

現代の価値に換算すると日本円で約7.5〜9兆円相当の規模です

 

これは原爆開発費の約19億〜20億ドルを上回り、どれほど本腰を入れたプログラムであったかがわかりますね。

 

現代の価値では1機あたり約15〜18億円です。(B17の約3倍)

 

ところがあまりにも開発を急いだため多くの設計ミスを残したまま実戦に投入されました。

 

いちばんの欠陥はエンジンでした。

 

出力2,200馬力を誇る怪物エンジンでしたが、冷却がうまくいかず加熱による火災が頻発しました。

 

エンジンに負荷がかかる原因は、高高度における運用、搭載重量の大きさ、ジェット気流の影響についての知識不足、何にも増して長距離飛行(片道約2,500km・往復12〜15時間に及ぶ超長距離飛行)でした。

 

パイロットの間では、「走る火災現場」と呼ばれていたそうです。

 

損耗率1%だと、パイロットは鼻歌混じりに出撃していたと思われるかもしれませんが、彼らのノルマは出撃30回です。

 

30回出撃した時の生還率は何と約54%だそうです。

 

彼らも必死だったのです。

 

ところが、1945年3月に米軍が硫黄島を占領したことで短い航続距離の戦闘機の護衛が付くようになってから、それこそ鼻歌混じりの出撃になりました。

 

P51ムスタングはレシプロ機の傑作機で、日本の戦闘機は性能の上で全く太刀打ちできませんでした。(トム・クルーズの愛機として知られていますね。)

 

 

日本軍は戦闘機を温存して、その後は神風特攻に使ったくらいです。

 

すると、高高度で飛ぶ必要もなくなり、低空で焼夷弾をばら撒く作戦に切り替えました。

 

・・・・・・・

 

日本人にとって、B29は無敵の空飛ぶ要塞として刷り込まれていますが、とんだ欠陥機だったわけです。

 

その後、不具合は改善され朝鮮戦争にも投入されました。

 

ところが新しく登場してきたジェット戦闘機(ミグ15)のいい餌食になってしまいました。

 

その後はB52などのジェット爆撃機に座を譲りました。

 

ですからアメリカにとってB29は良い印象を残さないまま、引退していった不運な爆撃機だったのです。