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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、ティモシェンコ(64)というウクライナの元首相を思い出しました。

 

髪型が印象的でしたよね。(実際は金髪でなく黒髪だそうです。)

 

 

西側からは好意的に見られていましたね。(美人は得。)

 

投獄されたと聞いていたけど、今はどうしているのだろう?

 

釈放されて、今もウクライナ国内に留まっているそうです。

 

外見によらず、経営手腕を発揮して、(天然)ガスの女王と称される資産家になりました。

 

いわゆるオリガルヒの一員ですね。

 

ウクライナのオリガルヒは、ソ連崩壊に伴うウクライナ独立後(1991年)の混乱時期に政権と経済を牛耳りました。

 

政権は腐敗し、国民の不満が高まり「オレンジ革命」(2004年)が起きたときに彼女は首相に就任します。

 

その後、親露派と親欧米派に分かれて抗争が続きますが、彼女は親露派の大統領に汚職を咎められ投獄されます。

 

大統領に反発した市民が「ユーロマイダン運動」を起こし多数の犠牲者が出て、大統領はロシアに亡命します。(2014年)

 

このときロシアがクリミアを併合し(2014年 3月18日)、欧米への流れを引き戻そうとします。

 

次のポロシェンコ新大統領は欧米志向でしたが、汚職問題は解決しないままでした。

 

そこで登場したのがゼレンスキーです。(2019年)

 

西側がクリミア併合に対して効果的な対抗手段を取れないまま、プーチンは傀儡政権を樹立するべくウクライナ侵攻を決心したというわけです。(2022年)

 

ティモシェンコはその後大統領選にも出馬しますが、汚職や殺人事件への関与を取り沙汰され、投獄の憂き目にあっています。

 

ティモシェンコがクリーンであったかどうかは不明ですが、ウクライナの政治はロシアと同様に汚職まみれの伝統が続いているのです。

 

ゼレンスキーも今の地位を獲得する過程で、オリガルヒの協力を得ています。

 

いまは悪のロシアに敢然と戦う正義のウクライナと見られがちですが、こうやってウクライナの近代政治を眺めると、決して褒められたものではないのです。

 

そんな政治に失望した国民が、クリーンなイメージのティモシェンコやゼレンスキーに夢を託す気持ちには同情せざるを得ません。

 

この国民と政治のギャップがウクライナの悲劇と言えるでしょう。

 

もし、戦争が終わったとしても、ウクライナの前途は多難なのです。

 

 

 

・・・・・・・っということで、今日は秋分の日です。

 

なんか時間が過ぎるのが速い気がしませんか? 

 

時間の流れは公平で、時間の流れに遅い速いはないはずです。

 

でも、あえて言っちゃいます。

 

時間は一定ではないと。

 

もっと言えば、「時間なんてない」と。

 

ぼくの自論なんですが、「時間は存在しない、あるのは変化だけ」です。

 

なんか、変なことを言っているように聞こえますよね。

 

アリストテレスは言いました。


「時間とは変化を数えるための尺度」と定義しました。

 

ニュートンは「絶対時間」を仮定しましたが、アインシュタインは「時間は相対的だ」とひっくり返しました。

 

そう、時間とは絶対的ではなく、相対的なものなのです。

 

でも、「時間は存在しない」とは言っていませんよね。

 

ぼくは、時間は単なる「言葉」であって、人間が変化を納得しようとするための便宜上の言い回しであって、実際は存在しないという立場です。

 

こういう自分のユニークな発想が好きです。(;^_^A

 

現代物理学のループ量子重力理論などでは「時間はそもそも存在しない。宇宙の状態変化を記述するために、人間が便宜的に使っている」との説を聞いて、思わずしてやったりとガッツポーズをしたのでありました。

 

・・・・・・・

 

ここまでが前振り。

 

本題はコレからです。^m^

 

「ジャネーの法則」というものがあることを知りました。

 

年齢を重ねるほど時間が早く過ぎるように感じる」という心理法則です。

 

分かりやすく説明すると以下の通りです。

  • 10歳の子にとっての「1年」は人生の10分の1。とても長く感じます。

  • 50歳の人にとっての「1年」は人生の50分の1。相対的に短く感じます。

つまり、年齢が上がるほど「1年が自分の人生の中で占める割合が小さくなる」ので、体感的にどんどん短くなる、という考え方です。

 

すっごく分かりやすいですよね。

 

特にぼくのように72年を生きてきた人間には納得できます。

 

そして2025年の秋分の日は何をしないまま、あっという間に過ぎていきました。(ーー゛)

 

皆さんにとって今日はどんな1日でしたか?

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、1992年公開のずいぶん昔の作品です。

 

 

偶然NHKBSで放送していたので、見入ってしまいました。

 

実は過去に見たことがあります。

 

ところが、VHS録画したのが最後の一番いい部分で、テープが切れてしまいました。

 

いい映画であることはわかっていましたが、まさかその一番いい部分を30年後に見ることになるとは。

 

ほとんど忘れていましたが、名作と言っていいでしょう。

 

とくにキャスティングが素晴らしい。

 

トム・クルーズは当時30歳と若かったけど、彼の特徴(嫌味な感じ)が生かされた演技をしています。

 

デミ・ムーア(当時30歳)も若かった。

 

ケビン・ベーコン、キーファ・サザーランドもみんな若かった。

 

今から思うと豪華キャストでしたね。

 

しかし、何と言ってもいちばんの適役はジャック・ニコルソン。

 

彼にしかできない「怪演」を見せてくれました。

 

本作はアカデミー賞にも多くノミネートされていましたが、受賞を逃したのが信じられません。

 

今だったら間違いなく作品賞も主演・助演男優賞を総なめしたはずです。(そのときの作品賞は【許されざる者】が受賞。)

 

原作は舞台劇だそうで、実によく練られたストーリー展開でした。

 

30年間ずっと引っかかっていた最後の見逃したシーン。

 

被告となった二人の海兵隊員は、結局殺人罪では無罪を勝ち取りますが、不名誉除隊とする判決が出ます。

 

一人が「何で(無罪だったのに)不名誉除隊なんだ?理由がわからない」と叫びます。

 

それに対してもう一人が「本当に守るべきは国への忠誠心ではなく、殺してしまった被害者個人の人権だった(意訳)」と言って、弁護士役のトム・クルーズに敬礼をします。(それまでは彼を軽蔑していました。)

 

最後の最後になって、脇役扱いの兵士が主役級の演技をします。

 

この部分を見逃していたとは、皮肉ですね。

 

★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、涼しくなったので、懸案だったアパートの切り株を整理しました。

 

道路側の生垣が成長しすぎてジャングル化したものです。

 

リフォームの際、大雑把に切り倒したのですが、残った切り株からまた芽が出て、垣根を越える高さになったものもありました。

 

今回は、なるべく根元近くでカットする作業です。

 

 

使用したのは、この電動ノコギリ。

 

 

簡単に済むと舐めてかかっていました。

 

植木といっても育てば巨木になります。

 

 

巨木とはちょっと大袈裟ですが、電動ノコギリではなく、チェーンソーが必要でした。

 

体力がないので、予定の1/3くらいしか進みませんでした。

 

救いは涼しかったこと。

 

夏だったら、汗だくになっていたことでしょう。

 

1日で終わらせる予定だったけど、気長にやることにしました。

 

ブラジルのジャングルを与えられた開拓移民の気持ちが少しわかりました。(;^_^A

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、東京は秋の空気と入れ替わっています。

 

空気が乾燥しているのがありがたい。

 

とはいえ気温は32℃と真夏日ですが。

 

涼しくなってくると、延び延びになっていた植木の剪定をしなければなりません。

 

自宅の生垣が上へ上へと伸び放題。

 

カミさんが毛嫌いするケムシが向かいのグラウンドで異常発生しています。

 

・・・・・・・

 

北海道で線状降水帯が発生したそうです。

 

秋雨前線の時期とはいえ、1日で1ヶ月分の雨量だったとか。

 

北海道の稲刈りの時期は今月下旬から来月下旬ですので、一年の苦労が水の泡にならないか心配ですね。

 

・・・・・・・

 

涼しくなってくると「旅行の虫」が疼き出します。

 

今年の夏は暑すぎて、国内の旅行客は少なかったのではないでしょうか。

 

さて、どこへ行くか?

 

十三湊(とさみなと)遺跡はずっと宿題として残っています。

 

青森県にある何てことはない場所だとは知っていますが、かつては北前船の重要な寄港地で栄えた港です。

 

青森県に行くたびに、立ち寄ろうとするのですが叶いませんでした。

 

でも、この目的地のために750kmもドライブするってぇのはどうなのかな?

 

モタモタしていると、東北は冬が早いですからね。

 

若い頃だったら途中気の向いたところでテント泊だったでしょうが、今はクマが怖いですからね。

 

色んな意味で、日本は変化しています。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、自民党内の総裁選挙。

 

ぼくらには投票権がないので、どぉ〜でもいい。

 

だけれども、クレージーなトランプと張り合えるくらいクレージーな総理大臣が選ばれればいい・・・と考えています。

 

そのクレージーさを判断基準にすれば、だれだろう?

 

林(64)?茂木(69)?小林(50)?高市(64)?小泉(44)?

 

ぼくの個人的な意見では、高市(64)がダントツだと思うんですけど、どうでしょう?

 

そろそろ女性の総理大臣が登場してもいいじゃん?

 

^m^

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、アメリカでは麻薬汚染が想像以上に深刻化しているようですね。

 

トランプがメキシコ国境のフェンスを強化しようとしたり、中国に合成オピオイド(フェンタニル)の供給を止めるよう脅したり、そしてついにはベネズエラから向かってきた麻薬密輸船を撃沈するまでに至っています。

 

麻薬がらみの犯罪ばかりでなく、有名人でさえ過剰摂取で命を落とすケースが増えています。

 

それに比べ、日本における麻薬汚染は生やさしい方です。

 

では、なぜ日本はアメリカほど問題化(表面化)しないのか?

 

その理由を日本人が誘惑に対する強さ(=道徳がある)に求めたくはありません。

 

半ばアル中のぼくが自信を持って言えるのは、日本人だから麻薬の誘惑に負けないとは思えません。

 

じゃあ、何が(バンアレン帯のように)日本を麻薬汚染から守っているのか?

 

まず歴史的に考えてみます。

 

イギリスが引き起こしたアヘン戦争に負けたことによって中国は中毒患者で溢れかえりました。

 

オランダも植民地に対して、同様の手口を使いました。

 

日本が阿片禍に見舞われなかったのは、先に情報が得られ対策が立てられたからです。

 

地球の果て、極東という地理がプラスに働きました。

 

さらに、日本が島国であったことが役立ったとぼくは考えます。

 

アメリカのように陸路による大規模な密輸を仕掛けにくい。

 

半ば鎖国状態であったことが密輸を防ぐ効果があった。

 

これは現代でも言えることです。

 

ここまでは、普通に予測できる理由です。

 

もう一つ日本独特の理由があったと思うのです。

 

・・・・・・・

 

ゴッドファーザーでドン・コルレオーネが麻薬ビジネスに手を染めることを頑なに拒否します。

 

麻薬ビジネスは手っ取り早く儲けられるマフィアにはうってつけの商売なのに。

 

結局は麻薬販売にマフィアは大きな役割を果たすことになります。

 

同じくヤクザという反社会組織が存在する日本で同様のことが起きなかったのか?

 

もちろんなかったわけではありません。

 

戦後ヒロポンが日本中に蔓延した時代がありました。

 

しかし、それは強い警察権力(法律の強化)によって押さえ込まれました。

 

ここに日本独特の事情があるとぼくは睨んでいます。

 

警察とヤクザ組織の間には、「ナアナアの関係」が存在します。

 

徹底的に組織を壊滅するより、お互いに情報を流し合い、いわば共存の道を進んでいるのです。

 

アメリカのように「アンダー・カバー(潜入捜査)」が発達しない理由がここにあります。

 

良いか悪いか判断つきにくいですが、日本人らしい表と裏の使い分けが上手くいった例でしょう。

 

麻薬の密輸が大きな組織で行われなくなると、小規模な密輸組織が乱立するようになります。

 

そして麻薬カルテルという国家を巻き込んだ大きな組織が生まれるようになります。

 

日本はそこまで巨大化しておらず、個人レベルでの密輸が主でしょう。

 

しかし、中国マフィア(蛇頭や三合会など)が着々と日本で麻薬ビジネスを展開していることは容易に予想できます。

 

日本人の道徳性が高いからなどとノンビリしていたら、アメリカのような取り返しのつかない事態に陥るのではないかとても心配です。

 

 

 

・・・・・・・っということで、この映画はずいぶん昔に観ました。

 

2003年公開ですから、もう22年も昔の映画。

 

映画館で見たわけではないので、たぶんTVだったはず。

 

このブログを書き始めたのが2007年ですから、検索しても無駄でした。

 

 

ビル・マーレイ、スカーレト・ヨハンセン、ジョバンニ・リビシそして監督がソフィア・コッポラという、今からすると贅沢な顔ぶれです。

 

タイトルは「翻訳不能」かな?

 

舞台は日本ですから、日本社会の奇妙さを茶化した内容だと容易に想像がつくはずです。

 

内容はまさしくそうなのです。

 

しかし、ぼくもあれから大人になった。

 

確かに日本の奇妙さを利用しているけれど、そうじゃないんだと今なら分かるのです。

 

ソフィア・コッポラは逆に日本に対する愛で溢れているのです。

 

「西洋人の傲慢さvs日本の素朴さ」と捉えることもできるのですが、そんな単純な比較ではないのです。

 

スカヨハもあの時19歳。

 

若かったなぁ〜、ハナっからパンツ一丁で現れます。

 

いっぽうお相手のマーレイは53歳。

 

二人が結ばれるはずもありません。

 

しかし映画はこの二人の愛の物語なのです。

 

ウン、無理があります。

 

いつ二人は肌を重ねるのだろう?(要はセックスね)と引っ張り続けますけど、それは起きない。

 

タイトルは言葉のすれ違いですが、実は人間と人間のすれ違いを表しているのです。

 

文化のすれ違いを背景にして、男女のすれ違い、年齢のすれ違い、生き方のすれ違いを描いているのです。

 

人が他人を愛するということは、それらを超越しているべきだ。

 

22年前は気付かなかったことを今になって気付かされます。

 

もう一度同じ映画を撮れといってもそれは無理でしょう。

 

日本もずいぶん国際化してしまいましたからね。(^^ゞ

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、言論の自由の中でも特に「風刺」の精神がぼくは好きです。

 

戦時中「贅沢は敵だ」を「贅沢は素敵だ」に変えたのは歴史に残る傑作だと思う。

 

江戸時代の「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」とい川柳も素晴らしい出来ですね。

 

日本人にはお上(政府)を笑いでもって批判する精神が根付いてます。

 

こんな風刺にいちいち腹を立てる人間は底が浅く「粋でない」と蔑まれるのが日本です。

 

あんな国と言っちゃ失礼だけれど、ロシアではアネクトードというかなり毒を含んだ体制批判の笑い話の伝統があります。

 

イギリスではブラックユーモアという形が市民権を得ています。

 

・・・・・・・

 

アメリカはいったいどうしちゃったのだろう?

 

ぼくが入社したてのとき、アメリカ人の検査官のお守りをさせられたことがあります。

 

なかなか英語の通じない環境の中で、頻繁にユーモアを加えて話すのです。

 

彼は鼻髭を蓄えていたのですが、例えばステーキをご馳走したとき、夜眠るときヒゲについたステーキソースを舐めてこの味を思い出すとか。

 

硬い雰囲気の中で、ちょっとしたユーモアはその場を和ませると同時に、その会話が1段階大人になった気分になります。

 

・・・・・・・

 

「チャーリー・カーク氏射殺事件をMAGA派の連中が自分たちに都合の良いように利用している」と批判した司会者の番組が閉鎖されました。

 

トランプは早い段階からこの犯人を死刑にすべきだと主張しています。

 

そりゃあ自分が同じように狙撃され死にかけたのですから、二度と狙われないようにそういった発言をする気落ちは分からないでもありません。

 

でも、犯人は逮捕されたものの動機が解明されていない段階で、第一級殺人で死刑にしろはあり得ないでしょう。

 

犯人の精神鑑定で、責任能力なしとなった場合どうするのですか。

 

いやしくも大統領となる立場の人間は、このような幼稚な反応をすべきではありません。

 

ユーモアにはユーモアをもって、風刺には冷静に切り返すくらいの懐の深さが指導者になければなりません。

 

もっと問題なのは、こんな底の浅い人間を恐れ、ご機嫌をとるような風潮が世間を支配することです。

 

実際に、そういったトランプ批判者の魔女狩りが始まっているそうです。

 

政権を風刺する自由を与えるのはその社会の成熟度を示しているはずです。

 

そうでなければ、民主主義が成り立たない。

 

だから、「アメリカはいったいどうしちゃったのだろう?」なんです。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、この世界に一時期身を置いていたので、さまざまなパイロットを知っています。

 

例外なく彼らは「酒飲み」です。

 

それも相当の呑み助で、下戸は一人もいませんでした。

 

航空法では血中アルコール濃度基準値は1リットルあたり0.2グラム未満と定められています。

 

これはFAA(アメリカ連邦航空局)に準じたものです。

 

そのFAAでの規定は、ぼくがこの世界に入る前(約40年ちょっと前)には「8 hours between bottle and throttle」と決められていました。

 

(酒の)ボトルと(操縦)スロットルの間は8時間以上空けることという韻を踏んだものです。

 

アルコールの分解能力には個人差があるので、血中濃度というより厳密な規定に変えたというわけです。

 

いまJALのパイロットの飲酒が問題になっています。

 

それでも飲酒操縦を防ぐことはできないでしょう。

 

パイロットが酒を飲む気持ちは分かります。

 

何百人もの乗客を背中に背負って飛ぶんですから、そのストレスは相当大きいと想像できるでしょう。

 

無事着陸して緊張から解放されたら、そりゃあ酒の一杯でも飲みたくなりますヨ。

 

クルマの飲酒運転は許されるものではありませんが、クルマを停止させてチェックすることはできます。

 

でも、飛行機はそうはいきません。

 

パイロットを信用するしかないのです。

 

乗客側としてはいま操縦桿を握っているパイロットがアルコールの影響を受けているなんて許せませんよね。

 

ぼくが断言できるのは、パイロットに誓約させるなんて何の役にも立ちません。

 

制度として法律を厳密に適用することです。

 

すなわち、呼気のチェックを受けないと操縦桿を握れないようにするのです。

 

それ以外方法はありません。