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so what(だから何なんだ)

人生のバックパッカーのブログです。
暇はあるけど体力と金と気力がない。
そんなお年頃。
68カ国で止まったまま先に進みません。(;^_^A

・・・・・・・っということで、発電所ができたのが今からたった144年前だった話です。

 

それが2世紀に満たない間に、All is電気、電気is Allとなったのには驚かざるを得ません。

 

この間の世界の総発電量の変化をグラフにしてみましょう。

1900年 66 TWh
1950年 950 TWh
2000年 15,565 TWh
2024年 31,256 TWh

 

つまり、

1900→1950年:約14倍

1950→2000年:約16倍

2000→2024年:約2倍

 

となって、「最後の24年間」が、約15,500 TWhも増えているのです。

 

では、一人当たりの電気消費量はどうでしょう?

 

一人当たりの年間発電量が、約40 kWh → 約3,830 kWh、つまり、約96倍。

 

人口増加の約5倍に対して、一人当たりは約96倍。

 

現代文明の電力需要の爆発は、人口爆発だけでは説明できないということです。

 

エジソンの時代と比べると、思いつくだけでも冷蔵庫、照明、テレビ、エアコン、洗濯機、エレベーター、工場、鉄道、コンピューター、スマホ・・・と、次々に便利な製品が出現していますからね。

 

今の生活は電気の上に成り立っていると言っても過言じゃないでしょう。

 

こうなってくると、ぼくのような時代遅れのジジイは心配になってくるのです。

 

心配の一つが地球温暖化です。

 

発電所がどれほどのCO2排出に寄与しているかはわかりませんが、削減のために再生エネルギー政策を進めているのでしょう?

 

EVの推進も地球温暖化対策が大きな理由の一つでしょう?

 

電球はLEDになったし、コンピュータ室があった時代に比べ、スマフォのように手の上に乗るところまで省電力化の努力があったのも事実です。

 

そこに新たに電力大食い虫の登場です。

 

AIという化け物。

 

この厄介なところは、だれにもAIの進歩を止められないし、止めようともしないことです。

 

AIを放棄することは選択肢にないのです。

 

・・・つづく。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、小学生の頃、世界の偉人伝(だったかな?)という本でエジソンが紹介されていました。

 

白熱電球の発明で、彼が京都の竹が一番良かったなんて内容。

 

タングステン?を用いた方法を別の発明家が成功したのですが、結局はエジソンが名を残しました。

 

まあ、それは偉人物語として完結していますが、白熱電球を発明しても、その時代は各家庭に電気が供給されていなかったという記述が印象に残っています。

 

じゃあ、なんでエジソンが名を残したかということです。

 

はい白熱電球を作りましたから、電気は頼みますよで終わらせず、電力供給まで関わったのです。

 

当時は蓄電池(バッテリー)で点灯させるしかなかったのです。

 

彼の偉いところは発電機、配電線、電力量計、ヒューズ、ソケットなどを含めた電気供給システム全体を作ったことです。

 

1882年にはニューヨークの発電所から周辺の建物へ電力を供給する商業的な電力事業を開始しています。

 

ここが驚くポイントですよ。^m^

 

今から144年前の出来事です。

 

たったの144年前にはどの家庭にも電線が繋がっていなかった。😮

 

この前の熊本地震でも、電気の供給が止まり大騒ぎになった。

 

この時代に電気のない生活は考えられないのです。

 

電気はガスや水道と違って、フレキシブルな電線で自由に配線できるのが最大の特徴です。

 

この手軽さは他の追従を許さないのです。

 

エジソンが今の時代を見たらどう思うでしょうね。^m^

 

・・・つづく。

 

 

 

・・・・・・・っということで、予約をとってから18日目にやっと受診できました。_| ̄|○

 

待たされるだろうと覚悟していましたが、あっという間に終わってしまいました。

 

もう4ヶ月以上も悩まされていた腰痛です。

 

半世紀前の椎間板ヘルニアの話から始めたのですが、医者は興味を示しません。

 

ちょっとした検査と、当然ながらレントゲンを撮りました。

 

 

これがぼくの腰です。

 

矢印の部分が潰れています。

 

加齢でしょうと言われましたが、年齢に比べ程度はどうですかと聞くと、平均よりすり減っていますとのこと。

 

半世紀前に椎間板ヘルニアと診断され、手術一歩手前までいったんですと言うと、「椎間板ヘルニアは自然治癒するものです」と衝撃のお言葉。

 

そういえばTVで飛び出た部分を細胞が食べてくれると言っていました。

 

そしてさらに衝撃のお言葉。

 

「腰痛は治療の対象ではありません」だと。😮

 

運動障害とか神経障害が出て初めて治療します。

 

運動するしかありませんね。

 

湿布はどうなんですか?

 

気休め程度と考えてください。

 

まあ、重大な疾患がなくてホッとしました。^m^

 

・・・・・・・っということで、かつて関係したことがあるので、何度かこのテーマで書きました。

 

結論としては、エンターテイメント(客寄せ)以外に将来はないだろうでした。

 

中国製のロボットが注目を浴びていますが、その結論に変わりなく、客寄せの方向に向かっているなと見ています。

 

ただ、技術進歩は予想を遥かに超えるものです。

 

人型ロボットは日本が最先端を走っていました。

 

ホンダのアシモを思い出していただければわかるように、実用化するには高い壁がはだかっていました。

 

直立歩行まではできましたが、その動きはまるで「太極拳」でした。

 

ホンダも産総研もこの時点で実用化を諦めました。

 

ところがアメリカがアットいうまに追いつき、追い越してしまいました。

 

なんと走るどころかバック転までするのです。

 

ぼくはあれを見て、アメリカが本気を出したら敵わないなと思いました。

 

ところが、中国のロボットを見て目を疑いました。

 

人間が入っているんじゃないか?CGで誤魔化しているんじゃないか?

 

太極拳どころか、カンフーまでやってしまうのです。

 

まあ、彼らがゼロから開発したわけじゃないのはミエミエですがね。

 

しかし、その開発スピードは驚異的です。

 

2000年頃にネットを騒がした中国製ロボットをご存知ですか。

 

 

ジャジャァ〜〜〜ン

 

中国の国防科学技術大学が発表した「先行者」です。

 

股間に何やら火器のような代物が付いていたのでイジリ倒されました。

 

日本が先行していたのがよほど悔しかったのでしょう。^m^

 

これほど中国が進歩したのは、政府によるバックアップでしょう。

 

電気自動車と同じように、「フィジカルAI」に集中投資したためです。

 

高市政権もこれじゃイカンと思ったらしく、成長戦略会議でこの分野への投資を決定しました。(ぼくは反対ですが。)

 

ここで注意して欲しいのが「ヒューマノイドロボット」から「フィジカルAI」への名称の変化です。

 

ぼくらが開発していた時代はあくまでも人型ロボットで、ハードウェアの限界が将来性を規定していました。

 

ところがAIの登場で、外見ばかりでなく内面(知能)をロボットに求めることができるようになったのです。

 

技術的な飛躍と同時にソフトウエアの飛躍が重なったのです。

 

これは最初に書いた結論を見直さなければなりません。

 

長くなったので、つづく。

 

 

 

・・・・・・・っということで、TVを点けたら、またレベル5の警報が流れていました。

 

なぜ石川県ばかりなんだろうと思ったら、今度は福井県でした。

 

昔から、台風の通過時とか、梅雨前線や秋雨前線による「豪雨」はありました。

 

ところが今は、「線状降水帯」という言葉が頻繁に登場します。

 

一方で、以前はよく聞いた「ゲリラ雷雨」という表現は、あまり聞かれなくなりました。

 

「レベル5」も、これだけ頻繁に発令されると、慣れてしまうのが怖い。

 

「命を守る行動を」とか、「すでに災害が発生している可能性が極めて高い」とか、「垂直避難」なんて言葉まで、普通にセットで聞くようになりました。

 

被害に遭われた方々は、本当にお気の毒です。

 

刈り入れが迫っている田畑が水没している映像を見ると、心が痛みます。

 

何か、「気象のフェーズが変わった」と感じます。

 

これまでの気象に対する見方を、根本的に変えなければならない。

 

そんな気がします。

 

その背景には、やはり温暖化の影響があるのでしょう。

 

ネパールで起きた大規模な氾濫は、これまで見たこともない光景でした。

 

まるでディザスター映画を見ているようです。

 

NHKでは逃げ惑う人々の部分は隠されていましたが、あの映像はトラウマ級です。

 

最初は、人災の可能性も考えました。

 

しかし、あれを見ていると、やはり「気象のフェーズそのものが変わった」と考えるしかないような気がします。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、旅行の楽しみの一つに、泊まった先での居酒屋探しがあります。

 

日本百名城巡りでは印象深いい居酒屋が数多くありました。

 

さて、今回の旅行では良い店に出くわさなかったなぁ〜。

 

泊まったホテルが街の中心からちょっと外れていたからでしょうね。

 

魚が美味しい店をあちこち探したのですが残念。🙍

 

最後の古河もこれはという居酒屋がありませんでした。

 

スーパーで刺身の盛り合わせを買ってホテルで部屋飲みかなぁと諦めかける。(ーー゛)

 

Googleでホテル前の中華料理店が評判が良かったので、覗いてみると超満員。

 

 

ちょうど客が出て行ったカウンターに案内される。

 

人気の店だとわかる。

 

次に来た客は席がなくて残念そうに引き返して行きました。

 

仲間同士の宴会が2組。

 

賑やかなこと。

 

 

ニラ玉炒め。

 

 

定番の餃子。

 

 

中華丼。

 

 

どれもボリュームがあって、我ながらちょっと食べ過ぎ。

 

評判通り安くて美味しかった。

 

会計を済ませようとしたら、奥からオヤジが出てきて挨拶されました。

 

どうして?

 

よく食べ(よく飲み)たから驚いたのかな。(^^ゞ

 

ここで店を開いた馴れ初めなどを一方的に話されましたが忘れた。(;^_^A

 

聞いてもいないのに70歳だと教えてくれた。

 

ぼくの方が若いと思っていたらしく、ぼくの年齢を聞いてビックリしていました。

 

まあ、いつものことですが。

 

もう再訪するチャンスはないけど、ブログで褒めておきますと言って店を出ました。

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、東北地方を旅行すると、「熊」の存在を身近に感じてしまいます。

 

今回の旅行前に、「クルマから離れて行動するときはクマに気をつけなくっちゃ」と一応考えていました。

 

ところが実際に現地を観光すると、熊の存在をきれいに忘れてしまいます。

 

高速道路のパーキングには、こんな注意書きが貼ってあります。

 

 

これは高速道路を走行中に熊と衝突しないための注意書きです。

 

実際走っていると、動物飛び出し注意のサインが頻繁に出てきます。

 

たぬきや鹿より「熊」の看板が多いような気がします。

 

↓竜飛岬のトイレに貼ってあった注意書きです。

 

 

クルマからずいぶん離れていたので、「ここで出会したらどうしよう?」と初めて気づく始末。

 

リアス式海岸で有名な北山崎では遊歩道をずいぶん歩きましたが、全く熊の存在を忘れていました。

 

ビジターセンターに戻って、この熊の剥製を見て、自分が危険な行動をしていたんだと気付きゾッとしました。

 

 

駐車場に戻るとき、地元の人と思われるおじさんとすれ違いましたが、腰に熊よけの鈴をぶら下げていました。

 

ケニアのサファリパークで味わった恐怖が、全然役立っていないことに唖然としてしまいます。(ライオンが潜んでいるのに車を降りてしまった。)

 

 

 

・・・・・・・っということで、無事帰ってきました。(^^)/

 

全走行距離約1800km。

 

車を買って2年3ヶ月、走行距離がようやく8,000kmを超えました。

 

どんだけ乗っていないんじゃ?(;^_^A

 

クラウン君も久しぶりの長距離ドライブができて喜んでいることでしょう。

 

それにしてもやっぱり歳だな。

 

長時間ドライブがキツくなってしまった。😭

 

2時間もすればお尻が痛くなってくる。

 

さらに尿意がすぐやってくる。

 

あと運転が危なくなった。

 

何度か接触事故を起こすところだった。

 

安全装置満載だから、それに助けてもらったようなもの。

 

自宅まであと2時間というところで大渋滞に巻き込まれてしまった。

 

東北自動車道が全く動かなくなって、仕方なく一度下りて一般道を走った。

 

2年以上も乗っているくせに、ある自動運転装置がついていることを知らなかった。

 

渋滞時のノロノロ運転の時、これを使えば足も手も離して腕組みしていても、勝手に前のクルマに付いて行く仕掛けだ。

 

こりゃ便利だ。(;^_^A

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、女川から常磐線を下って帰路に着きます。

 

このまま帰るのではもったいないので、途中「いわき市立美術館」に立ち寄ります。

 

ここは近代美術館で趣味には合わないのですが、たまにはいいでしょう。

 

ヘンリー・ムーアの彫刻が出迎えます。

 

 

 

入館料はたったの170円。(JAFの割引を使っています。)

 

駐車場は無料です。

 

建物はそれなりですが、常設展示場はたったの2フロアー。

 

とてもこじんまりとした美術館です。

 

展示は特に目を引くものがありません。

 

シャガールのリトグラフくらいですかね。

 

近代美術といっても、すごく分かりやすい作品と展示でした。

 

市の財政の中から捻出する限度ギリギリなのでしょう。

 

しかし、美術館を持ちたいという熱意は立派です。

 

入館者はぼく一人でした。(;^_^A

 

館内のカフェでランチ。

 

 

カミさんは美術館のカフェが大好きです。

 

おしゃれな雰囲気がいいのでしょう。

 

値段はおしゃれじゃないですけどね。(^^ゞ

 

このまま一気に東京まで帰るか?

 

6時間以上のドライブなので、途中でもう一泊することに。

 

じゃらんで石岡あたりかな?と場所を確かめもせずテキトーにホテルを予約。

 

そのまま常磐線を南下するつもりだったのに、どこかのICで降りてしまいました。

 

標識を見ると宇都宮方面に向かっています。

 

あれぇ〜〜?

 

一般道をずいぶん走ってたどり着いたのが、古河という街。

 

「ふるかわ」じゃなくて「こが」です。

 

渡良瀬遊水地の近くと分かり、ようやく明日は東北自動車道で帰らなくてはならないことに気づく有様。

 

無計画の旅行というのはこういうものだと納得せざるを得ませんでした。

 

 

 

 

 

・・・・・・・っということで、全くの行き当たりばったりの旅行です。(^^ゞ

 

一泊目 仙台

二泊目 八戸

三泊目 女川

 

となりました。

 

何で女川なのか、自分でもさっぱり分かりません。

 

石巻周辺で探していたら、女川に良さそうなビジネスホテルが見つかったというだけ。

 

石巻も女川も津波の直撃を受けています。

 

海岸線は高くて頑丈そうな防波堤が完成しています。

 

走っていると、「ここまでが津波到達地点」なんて看板がたくさん見受けられます。

 

海岸近くは建物が建っているのですが、まばらです。

 

当然新しい建物ばかりなのですが、プレハブ建築が目立ちます。

 

なんかチグハグな印象は否めません。

 

もう15年経っているのにね。

 

あと気になるのが、高速道路脇にある自動で放射線レベルを表示する看板。

 

あの悲劇を忘れたわけじゃないのですが、実際に災害を受けた土地に足を踏み入れると、ああそうだったんだと実感させられます。

 

泊まったホテルに来てビックリ。

 

何とプレハブなのです。

 

プレハブのホテル??

 

すぐ分かりました、各地から集まってくる復興支援の人たち(主に作業員)のための宿泊施設だったんだ。

 

ただ宿泊施設(昔は飯場といいましたが)を建てるのではなく、ちょっとレベルを上げて将来はホテルとしても使える仕様にしたのです。

 

ですから、宿泊施設としては文句ありません。

 

入った途端に学校のように靴を入れる棚が並んでいるのですが。

 

多くの靴が並んでいましたが、今でも作業員たちがこの施設で寝泊まりしていることがわかります。

 

これが朝食ですが、このホテルに住んでいる人たち(身なりも作業服)がほとんどでした。

 

 

いや、食事や施設に文句を言っているのではありませんヨ。

 

逆に、いまだに復興中なんだと理解できました。

 

部屋の説明書には「津波の時の避難経路」が載っていました。

 

・・・・・・・

 

翌日(今日)は津波で被害を受けた遺構を見ることにしました。

 

女川港の目の前に立っていた交番です。

 

 

津波の直撃を受けてひっくり返ってしまいました。

 

 

杭基礎もしっかりしていたのが分かります。↓

 

 

次に隣町の石巻にある門脇小学校の遺構です。

 

 

この小学校を遺構として残すべきかずいぶん議論があったそうです。

 

ぼくは入りませんでしたが、内部が見学できるコースが設けられているそうです。

 

 

知らなかったのですが、津波で破壊されたあと、発生した火災で学校が焼けてしまったそうです。

 

白い外壁が一夜にして真っ黒になったそうですが、15年経つうちに雨に流されて元の白色に戻りつつあるそうです。

 

左の方の教室は焼けなかったので、散乱した室内が見られるそうです。

 

 

経年劣化でカーテンがボロボロになって垂れ下がっているのがやたら印象に残りました。

 

聞くところによると、住民たちは観に来ないそうです。

 

そりゃそうですよね。

 

自分たちの子供たちどころか、親たちもこの学校で学んだのですから。

 

幸いなことに、生徒たちと教員で犠牲になった者はありません。

 

日頃の準備で、直ちに高台に避難したからです。

 

同じ石巻市でも大川小学校は別でした。

 

両校の位置関係です。↓

 

石巻市震災遺構 | 石巻市震災遺構のご利用について、ご案内してます。団体での見学、見学オプション、多目的学習室のご利用についてはこちら。

 

大川小学校では、児童74人と教職員10人が死亡または行方不明となりました。

 

今これを書いていて目に涙が滲んできてしまいました。T_T

 

確かに悲劇の証人として、原爆ドームは残す必要を理解できます。

 

でも、小学校はなぁ〜〜〜

 

・・・というのが正直な気持ちです。