ドラクロワという人物 | so what(だから何なんだ)

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そんなお年頃。
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・・・・・・・っということで、NHKBSでドラクロワを放送していました。

 

ドラクロワで有名なのはこの絵。(民衆を率いる自由の女神)

 

 

個人的には好きではありませんが、何しろ印象に残る。

 

女神の左で銃を構えるシルクハットの男性はドラクロワ自身という説もあります。(山田五郎もその説)

 

それよりぼくの好みはこちらの絵。(キオス島の虐殺)

 

 

何たってルーヴル美術館で実物を見ましたからね。

 

やたら強い印象を受けたのを覚えています。

 

トルコからのギリシャ独立戦争の過程で起きた虐殺事件です。

 

↓これもショッキングな絵ですね。(サルダナパールの死)

 

 

城を包囲されたアッシリアの王サルダナパールが自分が死ぬ前に持ち物である愛妾たちを皆殺しにする場面です。

 

それをベッドに横たわり無表情で眺めている王もドラクロワ自身との説があります。

 

どの絵も劇的であることが共通していますが、画家自身は目撃したわけではありません。

 

見てきたような嘘を描く天才はカラバッジョじゃないかな。

 

ドラクロワはそれまでの絵画の技法を覆す先駆者として評価されています。(ロマン派の代表)

 

ぼくには古い芸術をまだ多く引きずっているように見えます。

 

番組では最晩年の作品であるパリのサン=シュルピス教会の「聖天使礼拝堂」の2枚の壁画を紹介していました。(本当は天井画もあって3枚なんだけど。)

 

これはコテコテの聖書を題材にした宗教画なんですが、1枚は宮殿の宝物を盗んだ人間が天使たちにとっちめられている場面。

 

もう一枚は天使と人間が取っ組み合って力比べをしている場面。(3枚目は神が悪魔をやっつける場面。)

 

その天使と争っている人間はやはりドラクロワ自身との説を紹介していました。

 

ぼくはこれは正しい解釈だと思います。

 

ドラクロワは裕福な家庭に生まれましたが、親の遺産を継げず、貧乏暮らしをしました。

 

そのくせ女遊びをし、派手な生活をしていました。

 

結局独身のまま生涯を終えます。

 

ドラクロワは革新的なゆえに、当時の画壇と対立した反骨精神の塊のような人間だったようです。

 

晩年になってなぜ彼がこの壁画の完成に執念を燃やしたか、番組は全く触れないまま終わりました。

 

絵画は完成した時点で画家の手を離れますが、解釈する上で画家のプライベートはとても参考になります。

 

他の芸術一般もそうですがね。