「建国記念」の日
今日は「建国記念の日」ということになっており、祝日だ。祝日になったのは、1967年から。要するに、「神武天皇即位の日」という戦前の「紀元節」を復活させたもので、天皇支配のイデオロギーに基づく「祝日」と言える。
無論、神武天皇という架空の人物の即位の日、という非科学的な話に基づくものであることは問題であるが、問題の本質は、ここでは科学的か非科学的かということよりも、明治政府が「紀元節」を定めて以降、国民を支配し軍国主義を推し進める道具として使われてきたという歴史的文脈だろう。一般論としては、ファンタジーに基づく祝日があっても構わないと私は思うけれども、紀元節や神武天皇が戦前には「事実」として教えられ、国民支配の道具とされてきた過去は消し去れない。その文脈を無視して議論するのは危険だとさえ思う。
***
入り口は「科学か非科学か」だが問題の本質は科学を離れたところでの主張である、という点では、「水伝」問題の構造とも似ている面があるように思える。こういう構造は、よく見ればあちこちに存在するのだろう。「メタ」な視点の有効性というのは、少なくとも、様々な問題に共通する構造をあぶりだすことで、見通しをよくするというところにあるのだと思う。あぶりだされた構造を一人歩きさせ、図式的に異なる問題に適用することは厳に慎まなければならないだろうけれども。
無論、神武天皇という架空の人物の即位の日、という非科学的な話に基づくものであることは問題であるが、問題の本質は、ここでは科学的か非科学的かということよりも、明治政府が「紀元節」を定めて以降、国民を支配し軍国主義を推し進める道具として使われてきたという歴史的文脈だろう。一般論としては、ファンタジーに基づく祝日があっても構わないと私は思うけれども、紀元節や神武天皇が戦前には「事実」として教えられ、国民支配の道具とされてきた過去は消し去れない。その文脈を無視して議論するのは危険だとさえ思う。
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入り口は「科学か非科学か」だが問題の本質は科学を離れたところでの主張である、という点では、「水伝」問題の構造とも似ている面があるように思える。こういう構造は、よく見ればあちこちに存在するのだろう。「メタ」な視点の有効性というのは、少なくとも、様々な問題に共通する構造をあぶりだすことで、見通しをよくするというところにあるのだと思う。あぶりだされた構造を一人歩きさせ、図式的に異なる問題に適用することは厳に慎まなければならないだろうけれども。
グランドプリンスホテル新高輪の「いいわけ」
以前のエントリ
で書いた、グランドプリンスホテル新高輪が一度は契約した日教組の教研集会を、高裁の決定を無視して拒否した件。プリンスホテルのウェブページの「お知らせ」に2件いいわけが載っている。
「今回の日本教職員組合様に対する対応について当社の考え方」 (2/5)
「グランドプリンスホテル新高輪における日本教職員組合様との会場利用に関するトラブルについて」 (2/1)
どちらもPDFになっていて読みにくいなあ、というのは別にして(他の「お知らせ」もPDF)。
内容については他の場所でも色々と取り上げられているので置くとして(たとえばNHKの解説委員室ブログのこの記事 )、なんというか、「自称中立君」の振る舞いと似ているというか。「喧嘩はよそでやってくれ」のような。様々な意味で当事者であるという意識がなく、まるで自分が被害者であるかのように言う。
社会の当事者、ましてや責任の大きい大企業であるという意識が欠けているとしか言いようがない。
「今回の日本教職員組合様に対する対応について当社の考え方」 (2/5)
「グランドプリンスホテル新高輪における日本教職員組合様との会場利用に関するトラブルについて」 (2/1)
どちらもPDFになっていて読みにくいなあ、というのは別にして(他の「お知らせ」もPDF)。
内容については他の場所でも色々と取り上げられているので置くとして(たとえばNHKの解説委員室ブログのこの記事 )、なんというか、「自称中立君」の振る舞いと似ているというか。「喧嘩はよそでやってくれ」のような。様々な意味で当事者であるという意識がなく、まるで自分が被害者であるかのように言う。
社会の当事者、ましてや責任の大きい大企業であるという意識が欠けているとしか言いようがない。
燃費向上グッズ
メモ。
「燃費向上グッズ16商品「根拠無し」 19社に排除命令」 (『朝日』)
ようやくメスが入った格好(きくちさんのコメントも入ってますね)。
これだけガソリン価格が高騰したら、この手のグッズも売れるんだろう。
しかし、自治体の反発は強いようだけど、道路特定財源の暫定税率は引き下げるべきでしょう。生活防衛という意味と、ムダな道路の建設をやめさせるという意味で。必要な道路は作ればいいが、しかし実際本当に必要な道路は作ってないですよね。災害で崩れた道路とか、そういうのの補修などは後回しで、本当に必要なのか、少なくとも今すぐは必要ないんじゃないかという高速道路などを大量に作っている。本当に必要なら予算で措置すればいいんで、特定財源にする必要もない。特定財源にこだわるのは、必要でない道路も作りたいからでしょう。結局、ゼネコン行政が続いているんだとしか思えない。
ホメオパシーと同じで、本当に必要なとこの予算はカットして、効き目のない「代替」療法なり対策なりを放置し、国民に対しては安上がりな対応しかしない。
こういうところからも、この国の政府が誰を見ているか、誰のための政治をやっているのかが見えてくると思う。
「燃費向上グッズ16商品「根拠無し」 19社に排除命令」 (『朝日』)
自動車に取り付けたり、燃料タンクに入れたりするだけで「燃費が向上する」と表示した商品について調査していた公正取引委員会は8日、カー用品店などで販売されていた16商品について、燃費向上の合理的な根拠がないとして、景品表示法違反(優良誤認)にあたると判断し、製造・販売していた計19社に対し、表示の停止や再発防止を求める排除命令を出した。
ガソリン価格の高騰などから、こうした燃費向上グッズは根強い人気があるといい、対象商品の累計の売り上げは約20億円にのぼるという。
(中略)
これらの商品は「マイナスイオンの力」「電磁波」など科学用語を多用している。大阪大学の菊池誠教授(物理学)は「科学的に全く無意味な表記。消費者は、商品の効果を科学的に確認するすべがない。メーカー側が表示の根拠を示し、効果を証明しなければならない」と話している。
ようやくメスが入った格好(きくちさんのコメントも入ってますね)。
これだけガソリン価格が高騰したら、この手のグッズも売れるんだろう。
しかし、自治体の反発は強いようだけど、道路特定財源の暫定税率は引き下げるべきでしょう。生活防衛という意味と、ムダな道路の建設をやめさせるという意味で。必要な道路は作ればいいが、しかし実際本当に必要な道路は作ってないですよね。災害で崩れた道路とか、そういうのの補修などは後回しで、本当に必要なのか、少なくとも今すぐは必要ないんじゃないかという高速道路などを大量に作っている。本当に必要なら予算で措置すればいいんで、特定財源にする必要もない。特定財源にこだわるのは、必要でない道路も作りたいからでしょう。結局、ゼネコン行政が続いているんだとしか思えない。
ホメオパシーと同じで、本当に必要なとこの予算はカットして、効き目のない「代替」療法なり対策なりを放置し、国民に対しては安上がりな対応しかしない。
こういうところからも、この国の政府が誰を見ているか、誰のための政治をやっているのかが見えてくると思う。
考えることと想像力
昼間、ちょっと脱力することがあったもので、少し考えていた。
「考える」ということがどういうことか、どれくらい理解されているんだろうか?もちろん、自分がわかってるかと言われれば、そりゃ自信はないのだけれども。でも、「知っている」ということとは違うのだ、というぐらいの認識は、持っていて欲しいと思う。
おそらく、最近も kikulog でふれられた「知識の断片」というやつと関係しているのだろう。「考えたけど分からなかった」というのは、「自分の持っている知識には書いてなかった」という程度の意味なんだろう、きっと。
新たな経験を手持ちの知識の中に位置づける。
未経験のことを、手持ちの知識を総動員して論理的に外挿し、予想する。
たぶん前者が「理解力」と関係していて、後者が「想像力」と関係しているのだろう。いくら知識の断片を蓄えても理解したことにはならない。非論理的な外挿はただの妄想である。そして、両者に共通するのは、「考える」ということだ。考えることが出来れば、さらに、想像力を駆使して得た仮想的な経験すらも己の中に位置づけ、理解を深めることだって出来る。
「水伝」が蔓延するのも、スピリチュアルが蔓延するのも、「羊水」発言も、こういう能力の欠如から来るのだろう。
***
「ゆとり教育」とか「生きる力」ってのは、本来こういう能力を育てることを目指していたのではなかったか。
結局、教師に考えるゆとりを与えなかったことが、諸悪の根源だったのだろう。こういう力を教育するには教師に相当の力量が必要だろうから。
「考える」ということがどういうことか、どれくらい理解されているんだろうか?もちろん、自分がわかってるかと言われれば、そりゃ自信はないのだけれども。でも、「知っている」ということとは違うのだ、というぐらいの認識は、持っていて欲しいと思う。
おそらく、最近も kikulog でふれられた「知識の断片」というやつと関係しているのだろう。「考えたけど分からなかった」というのは、「自分の持っている知識には書いてなかった」という程度の意味なんだろう、きっと。
新たな経験を手持ちの知識の中に位置づける。
未経験のことを、手持ちの知識を総動員して論理的に外挿し、予想する。
たぶん前者が「理解力」と関係していて、後者が「想像力」と関係しているのだろう。いくら知識の断片を蓄えても理解したことにはならない。非論理的な外挿はただの妄想である。そして、両者に共通するのは、「考える」ということだ。考えることが出来れば、さらに、想像力を駆使して得た仮想的な経験すらも己の中に位置づけ、理解を深めることだって出来る。
「水伝」が蔓延するのも、スピリチュアルが蔓延するのも、「羊水」発言も、こういう能力の欠如から来るのだろう。
***
「ゆとり教育」とか「生きる力」ってのは、本来こういう能力を育てることを目指していたのではなかったか。
結局、教師に考えるゆとりを与えなかったことが、諸悪の根源だったのだろう。こういう力を教育するには教師に相当の力量が必要だろうから。
君が代と都教委
「<君が代不起立>再雇用拒否は違法 都に賠償命令 東京地裁」
(『毎日』)
と言うわけで、額はともかく、都の対応が異常であることは認められた。もっとも、同じ記事の中で、
とあるのはどういうことだろう?学習指導要領の方が思想・良心の自由より上、ってこと?公共の福祉のためには制限されても構わない、ということなのだろうか…。
卒業式などの君が代斉唱時の不起立を理由に再雇用を拒否されたのは違憲・違法として、東京都立高の元教職員13人が都に計約7270万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁(中西茂裁判長)は7日、計約2760万円の支払いを命じた。判決は都教委の判断について「不起立を極端に過大視する一方で、他の事情を考慮した形跡がなく、合理性や社会的相当性を著しく欠く」と述べた。
と言うわけで、額はともかく、都の対応が異常であることは認められた。もっとも、同じ記事の中で、
職務命令については「原告の思想・良心の自由に抵触する余地はあるが、学習指導要領の趣旨にかなう」と判断。教職員に君が代の起立斉唱を義務付けた都教委通達(03年10月)も合理性や必要性があったと認めた。
とあるのはどういうことだろう?学習指導要領の方が思想・良心の自由より上、ってこと?公共の福祉のためには制限されても構わない、ということなのだろうか…。