ほたるいかの書きつけ -74ページ目

メタとベタ:今更ながら…

 というわけで7回にわたって連載(?)した太田龍と江本勝の対談(へのコメントというかツッコミ)、いかがでしたでしょうか?(^^;;

 これを書いていて思ったことは、メタな議論ってなんてラクなんだろう、ということ。具体的な文章を批判するってことは、当然ながら色々調べないといけない。脇の甘さが全体の論調への評価を左右しかねない。だから、結果的に文章にしていなくても、調べたことはたくさんあります。ま、批判する相手が相手なので、調べなくても間違っていることは明らかだし、批判はできるわけだけど、とはいえ「本当のところはどうなのだろう」と気になる部分も出てくるわけです。
 でも、「批判批判」の人たちは、こういうのもメタな議論でカジュアルに切り捨てちゃうんだろうなあ(このブログはひっそりとネットの片隅で展開されているので、そういう人々にも気づかれないとは思いますが)。

 ところで、久々に論宅氏のブログを見てみたのだが、天羽氏の「レッテルはがし」に対して、「社会学的には誤謬である」などとおっしゃっている。こういうのを見ると、ニセ科学の実態を見ずに、論宅氏言うところの社会学(本当のところ、社会学がどうなのか、私は知らないのですが)の「公式」を当てはめるだけでわかった気になっているのだなあ、とつくづく感じる。
 おそらく世の大多数の人々は、物理学というと公式を覚えさせられて退屈であった、というような感想を(残念ながら)持っていると思う。しかし、実際の研究では、公式に当てはめてすむなどということはほとんどない。公式を使うことはよくあるけれども、必ずその公式を適用していい現象かどうかを考察するというプロセスが入る。つまり、その公式とはどういう意味を持っているのかを理解していることが必要なのだ。ところが、実態を見ずに表面的な行為だけを見て「社会学的には誤謬」などと言うのであれば、私にすれば、「そんな社会学は無力であり無意味である」と言うしかない(繰り返すが私は本当に社会学がこんな無意味な学問なのかどうかは知らないし、そうではないと期待しているしまたそうではないのだろうと予想している)。メタな議論が意味を持つかどうかは、必ずベタな部分から帰納的に考察するしかないのだ。

 でまあこんなことはとっくにニセ科学を批判する人々の間では理解されていることなのだが、今回改めて思った次第、というわけ。

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 ところで、ameblo は自動的に広告がつくようになってしまうのだけど(消すことはできない)、ニセ科学について書くと、どうもキーワードを見て広告内容を決めるらしく、ニセ科学の広告になってしまう。たとえば、さきほど上げた記事の場合、
   「水素水うんと飲みましょう」水容器に入れっぱなしで限りなく電解する手間いらずの還元器!
   「エネルギー水」自然界を超えた水0活性水・プラチナ宇宙
   「話題の高濃度水素水H4O」150万倍の水素の力をお届けします酸化還元電位-600mV 送料無料
てな感じ。限りなく電解、プラチナ宇宙、H4O、ってなんでもアリですな。(^^;;
 なんとかしてほしいけど、単語だけで判断されちゃうとどうしようもないか。文脈無視して単語だけ切り出すことがいかに無意味かってのをよく表してますね。(^^;;

「Hado」2月号(7)オーラと原子と波動と水

太田龍と江本勝の対談の続き。七回目。いよいよ最終回(今月号については)。
「水の研究は現代科学を転倒する」
さて、この節、完璧に意味不明である。理解できる部分がない。それでも、なんとかコメントしてみる。まずは太田の発言から。
 生命創造の源は光です。そういったことからも、水素がどういうふうにして生まれるかと考えていくのです。水素創造から、いろいろな元素ができていくのですね。
最初の一文、まあ気持ちわからなくもない。ただし、好熱性細菌はどうするの?とかツッコミは入れざるを得ないが。そして、何が「そういったことからも」なのかも不明。生命創造と水素創造とどういう関係があるのか。最後の文だけは理解可能。たしかに水素(というか水素原子核の陽子というべきか)から色々な元素ができていくからね。
 ところで、オーラという言葉を広辞苑で引いてみると、その項目がありませんでした(笑)。つまり、現代科学でオーラは物理的に説明できないわけです。
 オーラとは、魅力があるとか、カリスマ性があるとか、力があるというようなときに使います。
 そのオーラを物理的に説明すると、水素創造の過程に大いに関係が出てきます。
広辞苑に載ってるかどうかと物理的にどうこう言うのは別だと思うが、それはともかく、オーラとは、の例で出しているように、オーラは物理的な存在ではない。当然、水素とも関係ない。しかし、以下に示すように、太田にとっては関係しているらしいのだ。
 原子核のまわりには陰電子が1個ついていて、その質量は非常にわずかです。原子核の核子と、電気的にはプラスである陽電子を1個捉え、核力の質量の力によって、捉えられていない自由電子が捕まえると、核力から離れようとする斥力が働きます。
 斥力は原子の外に向かってエネルギーを発します。それがオーラです。
 軌道電子とは、核によって電子が捉えられている状態のことですが、捕まえられないで、核から離れようとする斥力が強いほど、オーラは強くなります。
湯川秀樹が泣くで。「核力の質量の力」ってなんなんだよ。質量が生み出すのは重力。核力は重力とは別の力。妄想も甚だしい。ちなみに電子(陰電子とは普通言わないと思う)は陽子の1840分の1の質量しかないので、わずかというのは間違っていない。
 さて、負電荷を持つ電子が、正電荷を持つ陽子と電気的な力で引き合い、結合しているのが水素原子。なのだが、そういう常識を持っていると、この文章は理解できない(そもそも日本語になっていないと思うのだが)。何が核子と陽電子を捉えるのか?(なお日常の場では陽電子は存在しない)。自由電子がいる状態ってどういう状態かわかっているのか?なんに対して斥力が働くのか?これが理解できないので、次のオーラが何かって文もまったく理解できない。「それがオーラ」と言われても。
 軌道電子の説明はまあよいだろう(ちょっと違和感はあるけれども、間違っているとはいえない)。が、捉えられているのに捕まえられないで離れようとしているって日本語として理解不能。そもそもなにが離れようとしているの?
 オーラの割合は、水素がもっとも多く、次が酸素です。これが結びつくと、オーラは最大になります。したがって、水はオーラに充ち満ちている、と説明できます。
説明できます、というか、強引に説明しちゃった、というべきか。
 こうした研究が進むと、3~400年の歴史をもつ西洋科学は、構造が破壊されてしまいます。
 水の問題は、そういったことを内包しています。ですから、彼らは「地球の水がどこから来たかということについては関与しない」ということになるのだと思います。
仮に「こうした研究」が正しいとすれば、確かに科学は破壊される。ただし、それは、昨日書いたように、我々の日常を支える科学的技術も、その構造が破壊されるということを意味しているのだ。なお、心配しなくても、「こうした研究」がいくら進んでも、間違っているので、科学はなんら破壊されることはない。それに地球の水の起源については当然大勢の科学者が研究を積み重ねている。関与しないなどということはない。関与しないのは明らかに間違った説についてである。

 ここで今月のシメを江本がつける。
 たしかに水の研究に興味をもち始め、進めていくと「波動」という考え方がないと、まったく理解できなくなります。ですから、私は波動と水の研究者ということになっているのだと思います。その波動的なことが「斥力」ということになっていくのではないでしょうか。
「波動」(本来の物理学で出てくる波動とは別の波動ですね)などという概念を持ち出さないと理解できないと考えることこそが、江本が水について理解していない証拠であるとも言える。それに波動と斥力がどうつながるのかさっぱりわからない。無意味なことを複数つないでわかった気になるというのはトンデモの定番だが、ここでもそれが表れているといえよう。

 というわけで、来月号につづくそうです。こんな内容でも、信じちゃう人は多いんでしょうね。嘆かわしいが、こうやってできるところから地道に批判していくしかないのだ。

「Hado」2月号(6)マイナスの科学 (追記あり)

太田龍と江本勝の対談の続き。六回目。
「水は地球外から到達した」
の後半。

 太田の言葉から始めよう。
 大量の水がほかの星から地球に来ているということが世界中のいたるところに証拠としてのこされています。
これが前回の結論であった。しかし:
 ところが、古い記録を組織的に破壊している節があるのです。
だそうだ。その例として、アレクサンドリア図書館の消失が挙げられている。そして、
 このようなことからも、地球の水がどこから来たかが、葬り去られているのだと思われます。
と続ける。どうやら、これも誰かの陰謀らしい。そんな昔から組織的に記録を破壊する陰謀が続いていたのか…すごいな(そう思える発想が^^;;)。

 江本の言葉を挟み、太田は次のように言う:
 地球にとって、きわめて重要な多くのことが潜んでいるようにも思います。
 「マイナスの科学」の著者、坂元邁(つとむ)さんは大正15年生まれで、昭和59年、58歳で亡くなっていますが、亡くなられる前の5年間くらい、私といっしょに仕事をした民間の学者です。
 この方も水素がどのようにして生まれてくるかということを研究していました。近代科学の基礎はニュートンがつくったといわれていますが、この方の仕事や江本さんの説は、そういうものが全部壊れるような話ですね。
そうなのだ。江本の説を認めれば、現代科学の基礎は壊れる。まさに。このときにおそらく信奉者は、これで否定される現代科学と、例えば目の前のパソコンやそのディスプレイ、テレビや冷蔵庫などの作動原理とのリンクを意識しないのではないだろうか。江本の説を認めるならば、パソコンの動作も、冷蔵庫の動作も、すべて「偶然に」そのような動作をしている、ということになってしまう。冷蔵庫の中がいつでも冷えていると言う保証はなくなってしまうのだ。そこを理解しているのだろうか?
 それから今まで話していたのは水の起源だったわけだが、ここでイキナリ水素の起源の話になっている。ここでの水素をどう捉えるかに依るが、まっとうな話をすれば*1 、「水素原子」の起源ならば、宇宙誕生後約40万年経過した頃に、宇宙の温度が下がり、それまでプラズマ状態(原子核と電子がバラバラになり、イオンになっている)だったのが電子を捕獲することによって中性化、すなわち水素の原子核である陽子と電子が結合することによって誕生した(宇宙の歴史上最初の結合だけれども、再結合と呼ぶ)。このときの名残が絶対温度2.7Kの宇宙背景輻射であり、1965年にPenziasとWilsonにより発見され、後にノーベル賞を獲得している。ビッグバン理論の証拠の一つだ。ちなみに宇宙背景輻射の揺らぎの発見により、2006年にはSmootとMatherがやはりノーベル賞を獲得している。水素原子核、と言う意味で言えば、これはすなわち陽子であるので、陽子の起源、ということになる。陽子はクォークと呼ばれるさらに根源的な素粒子3つから構成されており、宇宙誕生間も無い頃に、やはりクォークがバラバラになっていたところから温度が下がることによってクォーク同士が結合し、陽子となった(クォーク-ハドロン転移)。この相転移の性質についてはまだ議論されているところだけれども、この筋書きは変わらないのだ。
 ついでに、太田の経歴を考えると、年代を表すのに元号を使うのはいかがなものかと思うのだけれども、「転向」したら関係ないんですかね。ちなみに私は元号の使用には反対です。

 さて、その続き。
 水は、水素と酸素が結びついていますが、何故、そのようなことが起こるかということは、現在、西洋科学では説明がつきません。
ええと、どういう意味だろう。電気的に結合しているわけだが。そうではなくて、なぜ電気的な結合があるかのような形而上学的な理由だろうか?サムシング・グレートのおかげ、みたいな?そりゃ説明がつきませんわな。
 このあと、坂元氏はUFOにも興味を持っており、西洋科学は根本的に間違っているのではないか、と言う。UFOと西洋科学の関係もよくわからんが。で、
 西洋科学の何が間違っているのかというと「真空の何も無い空間があって、その中に限界がある」のではなく、坂元さんがいうには「空間は真空ではなく、膨大なエネルギーが満ちている」のだと。
わら人形論法というのはこういう感じか、と思うが、量子力学では真空ってのは何も無い空間ではなくて、活発に粒子の生成・消滅が起こっているところである、というのは基本的なところなんですけどね。ところでここで言ってる「限界」の意味がまったくわからないのだが…。
 エネルギーには2種類あって、1つは膨張・創造のエネルギーで、もう一方は収縮と破壊のエネルギーです。
うーん、エネルギーってものをわかってないねえ。物理と比喩がごっちゃだ。これを受けて江本は
 空間は2つのエネルギーに満ちているということです。空間には何も無いというよりは、はるかに納得できる話ですね。
いや、普通はそっちが納得できないだろう。納得できないけれども、量子力学を頑張って勉強して、やっと「うーん、そうかもしれない」となると思うのだが。
 で、太田の発言:
 宇宙空間も同じです。膨張・創造と収縮・破壊の2つのエネルギーが半分ずつ充満しているような空間です。そういう空間から天体が生まれてくる……と言われています。
いや、そんな空間ないから。そんなところから天体生まれないし。「半分ずつ」ってのも謎。
 ところが、西洋の科学は、目に見える収縮と破壊のエネルギーだけを科学の対象にしたわけです。ここに根本的な間違いがあるのです。
だから「収縮と破壊のエネルギー」ってなんなのだ。そんなもの科学の対象じゃないぞ。
 でまあだから科学が発達すると地球も人間も破壊されるという考え方が出てきた、とまとめてしまう。ソレに対して江本は
 今の説明をお伺いしますと、物質中心の唯物科学が、結局は地球環境を破壊し、人類を破滅させようとしているということが納得できますね。
全然納得できん。これもわら人形だと思うけど、唯物論ってそんな薄っぺらなものじゃないんですけどね。意識・精神は物質(脳)の機能である、ってのが(少なくとも私が考える)唯物論で、現代科学は基本的にそれをベースにしているはずだけれども。

 最後にようやくここでのエネルギーの定義?が出てくる。太田は言う:
 収縮のエネルギーとは「万有引力」として表現されます。その万有引力に対して「万有斥力」があるはずです。斥力とは、膨張に相当するエネルギーで、本当は万有引力が少し大きいのです。
 それを科学は研究しない、西洋科学の学者は、ただ引力だけを対象にしています。
電気的な反発力は?とか突っ込みたくなるが、まあ重力について語りたいのだろう、ここでは。まず万有斥力に相当するものは、どうやらありそうである、というのが最近の結論(暫定的な)。いわゆるアインシュタインの宇宙定数とか宇宙項とか、あるいはモダンな言い方をすればダークエネルギーなんてやつが、存在すれば万有斥力として働くことが知られている。だから、引力だけを対象にしているわけじゃない(もっとも相互作用という意味では、重力とは意味合いが異なるけれども)。
 もう少しツッコムと、「本当は」ってアンタ何を知ってんねん、とか、エネルギーと言っておきながら力であると言ってみたり(物理の点はやれませんな、これでは。次元あるいは単位がわかってない)。まあ何もわかってないと言っているようなもの。妄想だけで語っている。

 これを受けた江本の発言が、珍しくマトモ。
 たしかに引力があるなら、斥力があるといっても、それはとても理に適っていると思います。
そうなのだ。それは確かにそうなのだ。電気は正負の電荷があって、引力もあれば斥力もある。ところが重力には引力しかない。これは質量には正符号のものしかないからだが。ニュートン力学と電磁気学を勉強すれば、出てきてもおかしくない疑問だ。でも自然はそうなっちゃってるんだから仕方が無い。その意味はもっとずっと深い。ただ、万有斥力があってもいいんじゃないか、という疑問はよろしい。「あってもいいんじゃないか」→「あるのだ」とならなければ。

 というわけで、次回でいよいよこの対談も最後(2月号掲載分としては)。ますますあっちの方向にトんで行きます。

*1 : (追記、2008/2/25)上記水素の話がわかりにくいというコメントを頂いたので、もう少し簡単にまとめてみる。

   (追々記)書き出したら長くなってしまった。長いよ!という方は、最後から2つ目のパラグラフだけでも読んでみてください。



 一般に、温度が高いということは、分子や原子のランダムな運動が激しい、ということを意味している。そして、分子や原子は、そのランダムな運動のため、お互いに衝突しまくっている。あまりにも温度が高いと、激しく分子同士が衝突し、壊れてしまう。


 では、壊れるとはどういうことか?逆にいうと、壊れていないとはどういうことだろうか。例えば、ビー玉はガラスを構成する原子同士が結合して一つの形をたもっている。人体も、細胞同士が結合して形をたもっている。いったん結合したものを引き離すには、エネルギーを与えることが必要だ。つまり、ビー玉を思い切りぶつけてやれば、ビー玉が内部で結合しているエネルギーを振り切って、バラバラに壊れるのだ。これは人体でも、車でも、原子でも分子でも、基本的には何でも同じだ。


 さて、水素原子を考えよう。水素原子は陽子と電子が電気の力でくっついている。宇宙初期は温度が高いので、水素原子があったとしても、すぐに激しくぶつかって、陽子と電子がバラバラになってしまう。宇宙が膨張すると、内部のエネルギーが膨張に食われて下がっていくため、宇宙の温度は下がる。そうすると、水素原子ができ、お互いにぶつかっても、もはや衝突のエネルギーが低いためバラバラになることはない。

 このように、温度が下がって、水素原子が安定して存在できるようになったのが、宇宙誕生後約40万年たったころと考えられている。ちなみに、電子が単独で存在すると、電子は光を散乱させやすいので、遠くの景色が曇って見えなくなる。水素原子の誕生とともに電子は原子内に閉じ込められるので、光は散乱されることなくまっすぐ宇宙を走ることが可能になる。なので、水素原子誕生の時期を「宇宙の晴れ上がり」とも言う。こうやってまっすぐにこられるようになった光が、「宇宙背景輻射」として現在観測されているものである。


 さて水素原子核、つまり陽子の場合はどうか。これも基本的には同じだ。陽子はクォークと呼ばれる素粒子3つからできている。温度が高いと、このクォークもバラバラになる(この状態のことを、「クォーク・グルーオン・プラズマ」という)。温度が下がると、さきほどと同様に、クォーク同士が結合し、安定して陽子を構成することが可能になる。

 クォーク同士の結合エネルギーは、陽子と電子の結合エネルギーよりもずっと大きいので、陽子ができるのは、水素原子ができるときよりもずっと宇宙が熱い時期だ(それだけランダムな運動のエネルギーが大きくないと、陽子をバラバラにできない)。なので、宇宙の進化とともに、まず陽子ができて、それから陽子が電子をつかまえることで水素原子ができるのだ。


 ええと、長くなってかえってわかりにくくなったかもしれない。(^^;;

 要は、原子だってなんだって、思いっきりぶつけりゃ壊れるし、ほっとけば陽子と電子なんてえのはひっつこうとする。その兼ね合いで、原子ができるかどうかが決まる、というわけ。

 車が衝突して壊れるかどうかだって、車の運動エネルギー(スピードと関係)の大小で決まりますよね。そっとぶつければ壊れないけど、時速100kmでぶつけりゃメチャメチャになる。それくらいの速度でぶつければ車が壊れるかは自動車会社で実験しているわけですが、同じ様に、どれくらいの速度で原子同士をぶつければ壊れるかってのも実験されてるし理論も確立していてもはや疑う余地はない(少なくとも原子については)。



 というわけで、太田氏や江本氏らの妄想が入り込む余地はまったくないのだ。

 科学でわかっていないことは沢山あるけれども、わかっていることだって沢山ある。そして、水素原子がどうやってできるか、ということは、既に明確にわかっていることなのだ。


「Hado」2月号(5)水が来た!

太田龍と江本勝の対談の続き。五回目。
「水は地球外から到達した」
の前半。ちなみに、いままでの部分で、やっと2ページなのです。この節は長いので、今日のところは途中まで。

 まずは太田の発言から。
 地球には水が非常にたくさんあります。しかし、その大量の水が、一体どこから来たのか、わからないままです。
 自然科学は、今まで地球上の水はもともと地球にあった、という考え方でした。しかし、この20~30年の間に、学問上の問題が生じており、学問的につじつまが合わなくなってきているのです。地球にもともとあったのなら、それは、どういうところから、どういうふうにあったのか。
つじつまが合わなくなってきているとは知らなかったなあ!岩石って、結構水分を含んでいて、地球ぐらいの質量があれば、十分地球上の水分をまかなえるぐらい地球を構成する岩石が含んでいたとしても全然おかしくない。実際、地球内部から噴出される火山ガスの組成を見ると、大半が水蒸気である。だから、もとからあったとしていいのだ。

 ここからトンデモ話になる。太田は、江本に「プランクという人」と会っていることを確認する。江本は、
ええ。「水の惑星」のルイス・プランク先生ですね。
と答えるのだが、これは Louis A. Frank, Iowa大学の professor のことだろう。この人の説の詳細を知らないのでアレですが、まあちょっとエキセントリックだけれども、科学の俎上に載せられるだけのものではあるようだ(水の起源が地球に落下してきた大量の氷の塊である、ただしそれほど大きくない塊が長期間にわたって少しづつ降り注いだ、というものであるようだ)。
 しかし、プランク先生はここで終わり。太田は続ける:
日本には東大の理工系出身で、原子力関係の仕事をしていた高橋実という人がいます。
「灼熱の氷惑星」かよっ!!トンデモは忘れた頃にやってくる、という感じだねえ。
 昔の太陽と、今の太陽があるということなのです。昔の太陽の寿命が終わり、畏縮し、爆発します。そして新しくできたのが、今の太陽です。
 古い太陽が爆発するとき、…地球の半分か、あるいは3分の1ほどの大きさの核をもつ惑星が、3千年くらいを周期にして、太陽系を楕円形で回るようなものが放射されたのです。
うーん、どういう状況だろう。一般に、太陽が爆発してなくなれば、惑星にとっては重力源がなくなるので、そのまま進行方向に飛んでいく。だから、「放射された」ということは物理的には正しい(と解釈できる余地をこの文章は残している)。しかし、「今の太陽」ってのはなんなんだ?爆発した跡に、新たに出来たってことか?それはあまりにも変。別の太陽に捕らえられたってのならありそうだが。
 ところが3千年くらいの周期で回っているうちに、一番遠いところに多量にあった「水素雲」の水素を引力で引き付け、太陽の近くの酸素を引き付けました。
で、これらの水素と酸素が結びついて水になり、氷の惑星ができた、ということだそうだ。しかしまず上の文章がおかしい。水素雲は実際に宇宙空間には至るところにある。しかし、銀河系内では、どの水素雲も、質量比で1%程度の酸素を含んでいるものである。だから純粋な水素の雲というわけではない。さらに、「太陽の近くの酸素」ってのがまたわからない。なんで酸素がそんなところに濃く存在しているのか?
 でまあこの氷惑星が1億年に2回くらい地球をかすめ、現在までに40回くらいこれを繰り返しているそうだ。そのたびに大量の水が地球に移されたのである、と。ええと20億年にわたって、ってことですね。てことは、今の太陽は20億年前にできたってこと?
太田: ごく最近の接触によって大量の水が運ばれてきたときの記憶が、ノアの箱舟の伝説になっています。
江本: その影響でアトランティスやレムリアなど、かつて地球上に存在した大陸が沈没しているわけですね。
太田: 一部の学者は、この説を強く支持していますが、広がっていくことはなかなか難しいようです。
「ノアの箱舟」が出てくるところでひっくり返るわけだが、間髪入れずに「アトランティスやレムリア」と来るのだから息が抜けない。一部の学者ってダレ?
 江本はさらに
水が地球のものではなく、宇宙の彼方から来たという事実は、とても納得のいくものです。そのことで、プランク先生の『水の惑星』と出合い「ああ、そうだったんだ!」と納得し、私の水学説が誕生しているわけです。
勝手に事実にしちゃいかん!それにどうして納得いくんだ?しかし「水伝誕生秘話」なんですかねコレ。

 またこうも言っている:
水が地球外から来ているんだということは、間違いないと思います。水の歴史も、宇宙の原点から見ていかないといけないわけですね。
だからどうして「間違いない」と言い切れるのか。まあニセ科学の人は自分が直感的にそう思っちゃったら即事実、というのがパターンなわけですが。

 前後するが、太田によると、2年ぐらい前に高橋実の自宅に電話したそうだ。そしたら健在で、いまネイチャーに投稿する論文を書いているんだ、と言ってたそうだ。一体どんな論文だったんでしょうね。

 太田は、
 西洋の学者の計算によると、宇宙の質量全体の7~8割が水素だということを聞いたことがあります。水素は大量にありますが、酸素と結びつかないことには水にならないわけですから。
というのだが、大体7割強が水素であるというのは正しい。残りのうち24%程度がヘリウム、1%が酸素、その他の元素を集めて1%、というぐらいである。もちろん、これはバリオン(陽子・中性子からなる物質)に限った話で、現在では正体はともかくダークマターがないと困るということになっているので、バリオン自体がダークマターの1/5程度ということは忘れてはいけない。
 また、ヘリウムが1/4程度というのは、西洋の学者ではなくて、日本の林忠四郎の計算によるものですよ、太田さん!ガモフらのビッグバン説に基づいて、中性子の崩壊時間をきちんと考慮した計算を世界で最初にやったのです。
太田: 世界の学者が海を研究しているうちに、地球上の水の大部分が、もともと地球にあったのでは、成り立たない証拠がたくさん出てきているそうです。ではどうするんだ・・・・・・となりますが、問題があまりにも大きすぎて「それに関してはもう少し、そっとしておこう」「あまり、触れないようにしよう」となっているらしいです。
江本: 研究チームの一員だったアイオワ大学のレイ・ストラックさんが失踪したとか。ジャック・ベンベニスト教授と同じような道を辿っているような気がするのですが。
ベンベニスト!「水の記憶」「ホメオパシー」のベンベニスト先生ですよ。「同じような道」ってのは何を意味しているんですかね。ニセ科学とみなされた、って意味かな。しかし陰謀論全開だなあ。

 というわけで、今日はここまで。
 これからどんどんあっちの世界に行きます。(^^;;

「Hado」2月号(4)DNAが来ましたよ

太田龍と江本勝の対談の続き。四回目。
「武装解除で平和を守るDNA」
を持っているんだそうです。日本は。
 まずは太田の発言から。ヨーロッパから鉄砲が持ち込まれ、たった1丁の銃砲をもとにしてあっという間に100万丁くらいつくってしまったそうだ。ところが、火薬の原料は輸入に頼らざるを得ないので、
しかし、いくらを(ママ)つくっても、肝心の火薬の原料になる硝石は輸入ですから、武器としてどうかというと、難しかったわけです。
何が難しいのかこれだけではわからないのだが、次の文を読むと…
そういう状況で、日本がヨーロッパと張り合って、海軍や鉄砲で対抗し、世界中で戦争をすることになると、それはとても危険だと思ったはずです。
ええと、太田氏によると、どうも世界戦争をやろうにも弾薬の確保がままならないのでやめた、ということになるんですかね?
 続けてこう言う:
 徳川家康は、鉄砲を発展させず、鉄砲や大砲は廃止、禁止してしまいます。そのうえ鎖国し、貿易は厳重に管理しました。
 つまり、自発的に250年も武装解除してしまった、このような国はどこにもないと思います。
武器を持っていると世界と戦争することになるから、自分から武装解除した?そのための鎖国?それを家康が考えた、と?大名を武装解除(と言っていいのかよく知りませんが)したのは、徳川の支配を固めるためと今までは理解していたのですが、違うのでしょうか?世界と戦争するかもしれないという危惧があったのでしょうか?

 これを受けた江本の発言がまたズレまくり。
武力を永久に放棄した平和憲法の存在意味が、歴史的にもあったのですね。
平和憲法の存在意味はそういうことじゃないだろう。

 で、太田がまるで江本の発言がなかったかのように続ける。
問題は、今、ヨーロッパなどの西欧諸国が世界を完全に抑えていることです。このまま暴走すると、人類の未来は無いと思います。
完全にかどうかはともかく、こういう言い方をするのであれば、普通は「ヨーロッパ」ではなくて、「アメリカ合衆国」となるんじゃないでしょうか?
 で、どうするか。世界を救える国家や民族は西洋にはないのだ、日本の存在が期待されている、と来る。いや、
そこで、日本の存在が期待されているというか、4度目の役割、使命が与えられているようなのです。
…「4度目」って何?1,2,3度目の役割ってなんだったの?
 このあとも「暴走」は続く。
日本という国は、そのためにあるとしか思えません。そういった意識が日本人の一部にある潜在意識としてもっているということですね。
 人類全体の方向性を変換させるという使命は、大きな思想に裏づけられた学問で担うことができる。つまり、まとまった一つの民族の役割だと思います。そのように人類の蘇生と変換が展望されるように思います。
まず最初の文。「日本人」って誰よ?なんでここで脈絡もなく日本に歴史上の特別な役割が与えられるわけ?こういう雑駁な日本人論が出てくるときは、たいてい荒唐無稽なロジックが展開されてますよね。
 で、その次の文章がまた意味不明。「つまり」ってなにが「つまり」なの?なんで「大きな思想に裏づけられた学問」と「まとまった一つの民族」が関連するわけ?それに加えて「まとまった」ってどういう意味で使っているのか?民族をどう定義づけるかにも依るだろうが、多かれ少なかれ「まとまっ」ているのが民族ではないの?で、こんな曖昧で妄想に満ちた文章で勝手に展望しないでほしい。

 おまけとしてこの節をしめる江本の文を:
私にはとてもよくわかります。潜在意識とおっしゃいましたが、私のなかにも、そういった気持ちがあるように思います。
私には全然わかりません。(^^;;
トンデモはトンデモを知る、というところか。

 というところで次に続きます。今回はツッコミどころが多くてだいぶスルーしてしまいました。
 次回から自然科学系(あくまでも題材が)のお話。都合により更新は少し先になるかもしれません。