「Hado」2月号(6)マイナスの科学 (追記あり)
「水は地球外から到達した」の後半。
太田の言葉から始めよう。
大量の水がほかの星から地球に来ているということが世界中のいたるところに証拠としてのこされています。これが前回の結論であった。しかし:
ところが、古い記録を組織的に破壊している節があるのです。だそうだ。その例として、アレクサンドリア図書館の消失が挙げられている。そして、
このようなことからも、地球の水がどこから来たかが、葬り去られているのだと思われます。と続ける。どうやら、これも誰かの陰謀らしい。そんな昔から組織的に記録を破壊する陰謀が続いていたのか…すごいな(そう思える発想が^^;;)。
江本の言葉を挟み、太田は次のように言う:
地球にとって、きわめて重要な多くのことが潜んでいるようにも思います。そうなのだ。江本の説を認めれば、現代科学の基礎は壊れる。まさに。このときにおそらく信奉者は、これで否定される現代科学と、例えば目の前のパソコンやそのディスプレイ、テレビや冷蔵庫などの作動原理とのリンクを意識しないのではないだろうか。江本の説を認めるならば、パソコンの動作も、冷蔵庫の動作も、すべて「偶然に」そのような動作をしている、ということになってしまう。冷蔵庫の中がいつでも冷えていると言う保証はなくなってしまうのだ。そこを理解しているのだろうか?
「マイナスの科学」の著者、坂元邁(つとむ)さんは大正15年生まれで、昭和59年、58歳で亡くなっていますが、亡くなられる前の5年間くらい、私といっしょに仕事をした民間の学者です。
この方も水素がどのようにして生まれてくるかということを研究していました。近代科学の基礎はニュートンがつくったといわれていますが、この方の仕事や江本さんの説は、そういうものが全部壊れるような話ですね。
それから今まで話していたのは水の起源だったわけだが、ここでイキナリ水素の起源の話になっている。ここでの水素をどう捉えるかに依るが、まっとうな話をすれば*1 、「水素原子」の起源ならば、宇宙誕生後約40万年経過した頃に、宇宙の温度が下がり、それまでプラズマ状態(原子核と電子がバラバラになり、イオンになっている)だったのが電子を捕獲することによって中性化、すなわち水素の原子核である陽子と電子が結合することによって誕生した(宇宙の歴史上最初の結合だけれども、再結合と呼ぶ)。このときの名残が絶対温度2.7Kの宇宙背景輻射であり、1965年にPenziasとWilsonにより発見され、後にノーベル賞を獲得している。ビッグバン理論の証拠の一つだ。ちなみに宇宙背景輻射の揺らぎの発見により、2006年にはSmootとMatherがやはりノーベル賞を獲得している。水素原子核、と言う意味で言えば、これはすなわち陽子であるので、陽子の起源、ということになる。陽子はクォークと呼ばれるさらに根源的な素粒子3つから構成されており、宇宙誕生間も無い頃に、やはりクォークがバラバラになっていたところから温度が下がることによってクォーク同士が結合し、陽子となった(クォーク-ハドロン転移)。この相転移の性質についてはまだ議論されているところだけれども、この筋書きは変わらないのだ。
ついでに、太田の経歴を考えると、年代を表すのに元号を使うのはいかがなものかと思うのだけれども、「転向」したら関係ないんですかね。ちなみに私は元号の使用には反対です。
さて、その続き。
水は、水素と酸素が結びついていますが、何故、そのようなことが起こるかということは、現在、西洋科学では説明がつきません。ええと、どういう意味だろう。電気的に結合しているわけだが。そうではなくて、なぜ電気的な結合があるかのような形而上学的な理由だろうか?サムシング・グレートのおかげ、みたいな?そりゃ説明がつきませんわな。
このあと、坂元氏はUFOにも興味を持っており、西洋科学は根本的に間違っているのではないか、と言う。UFOと西洋科学の関係もよくわからんが。で、
西洋科学の何が間違っているのかというと「真空の何も無い空間があって、その中に限界がある」のではなく、坂元さんがいうには「空間は真空ではなく、膨大なエネルギーが満ちている」のだと。わら人形論法というのはこういう感じか、と思うが、量子力学では真空ってのは何も無い空間ではなくて、活発に粒子の生成・消滅が起こっているところである、というのは基本的なところなんですけどね。ところでここで言ってる「限界」の意味がまったくわからないのだが…。
エネルギーには2種類あって、1つは膨張・創造のエネルギーで、もう一方は収縮と破壊のエネルギーです。うーん、エネルギーってものをわかってないねえ。物理と比喩がごっちゃだ。これを受けて江本は
空間は2つのエネルギーに満ちているということです。空間には何も無いというよりは、はるかに納得できる話ですね。いや、普通はそっちが納得できないだろう。納得できないけれども、量子力学を頑張って勉強して、やっと「うーん、そうかもしれない」となると思うのだが。
で、太田の発言:
宇宙空間も同じです。膨張・創造と収縮・破壊の2つのエネルギーが半分ずつ充満しているような空間です。そういう空間から天体が生まれてくる……と言われています。いや、そんな空間ないから。そんなところから天体生まれないし。「半分ずつ」ってのも謎。
ところが、西洋の科学は、目に見える収縮と破壊のエネルギーだけを科学の対象にしたわけです。ここに根本的な間違いがあるのです。だから「収縮と破壊のエネルギー」ってなんなのだ。そんなもの科学の対象じゃないぞ。
でまあだから科学が発達すると地球も人間も破壊されるという考え方が出てきた、とまとめてしまう。ソレに対して江本は
今の説明をお伺いしますと、物質中心の唯物科学が、結局は地球環境を破壊し、人類を破滅させようとしているということが納得できますね。全然納得できん。これもわら人形だと思うけど、唯物論ってそんな薄っぺらなものじゃないんですけどね。意識・精神は物質(脳)の機能である、ってのが(少なくとも私が考える)唯物論で、現代科学は基本的にそれをベースにしているはずだけれども。
最後にようやくここでのエネルギーの定義?が出てくる。太田は言う:
収縮のエネルギーとは「万有引力」として表現されます。その万有引力に対して「万有斥力」があるはずです。斥力とは、膨張に相当するエネルギーで、本当は万有引力が少し大きいのです。電気的な反発力は?とか突っ込みたくなるが、まあ重力について語りたいのだろう、ここでは。まず万有斥力に相当するものは、どうやらありそうである、というのが最近の結論(暫定的な)。いわゆるアインシュタインの宇宙定数とか宇宙項とか、あるいはモダンな言い方をすればダークエネルギーなんてやつが、存在すれば万有斥力として働くことが知られている。だから、引力だけを対象にしているわけじゃない(もっとも相互作用という意味では、重力とは意味合いが異なるけれども)。
それを科学は研究しない、西洋科学の学者は、ただ引力だけを対象にしています。
もう少しツッコムと、「本当は」ってアンタ何を知ってんねん、とか、エネルギーと言っておきながら力であると言ってみたり(物理の点はやれませんな、これでは。次元あるいは単位がわかってない)。まあ何もわかってないと言っているようなもの。妄想だけで語っている。
これを受けた江本の発言が、珍しくマトモ。
たしかに引力があるなら、斥力があるといっても、それはとても理に適っていると思います。そうなのだ。それは確かにそうなのだ。電気は正負の電荷があって、引力もあれば斥力もある。ところが重力には引力しかない。これは質量には正符号のものしかないからだが。ニュートン力学と電磁気学を勉強すれば、出てきてもおかしくない疑問だ。でも自然はそうなっちゃってるんだから仕方が無い。その意味はもっとずっと深い。ただ、万有斥力があってもいいんじゃないか、という疑問はよろしい。「あってもいいんじゃないか」→「あるのだ」とならなければ。
というわけで、次回でいよいよこの対談も最後(2月号掲載分としては)。ますますあっちの方向にトんで行きます。
*1 : (追記、2008/2/25)上記水素の話がわかりにくいというコメントを頂いたので、もう少し簡単にまとめてみる。
(追々記)書き出したら長くなってしまった。長いよ!という方は、最後から2つ目のパラグラフだけでも読んでみてください。
一般に、温度が高いということは、分子や原子のランダムな運動が激しい、ということを意味している。そして、分子や原子は、そのランダムな運動のため、お互いに衝突しまくっている。あまりにも温度が高いと、激しく分子同士が衝突し、壊れてしまう。
では、壊れるとはどういうことか?逆にいうと、壊れていないとはどういうことだろうか。例えば、ビー玉はガラスを構成する原子同士が結合して一つの形をたもっている。人体も、細胞同士が結合して形をたもっている。いったん結合したものを引き離すには、エネルギーを与えることが必要だ。つまり、ビー玉を思い切りぶつけてやれば、ビー玉が内部で結合しているエネルギーを振り切って、バラバラに壊れるのだ。これは人体でも、車でも、原子でも分子でも、基本的には何でも同じだ。
さて、水素原子を考えよう。水素原子は陽子と電子が電気の力でくっついている。宇宙初期は温度が高いので、水素原子があったとしても、すぐに激しくぶつかって、陽子と電子がバラバラになってしまう。宇宙が膨張すると、内部のエネルギーが膨張に食われて下がっていくため、宇宙の温度は下がる。そうすると、水素原子ができ、お互いにぶつかっても、もはや衝突のエネルギーが低いためバラバラになることはない。
このように、温度が下がって、水素原子が安定して存在できるようになったのが、宇宙誕生後約40万年たったころと考えられている。ちなみに、電子が単独で存在すると、電子は光を散乱させやすいので、遠くの景色が曇って見えなくなる。水素原子の誕生とともに電子は原子内に閉じ込められるので、光は散乱されることなくまっすぐ宇宙を走ることが可能になる。なので、水素原子誕生の時期を「宇宙の晴れ上がり」とも言う。こうやってまっすぐにこられるようになった光が、「宇宙背景輻射」として現在観測されているものである。
さて水素原子核、つまり陽子の場合はどうか。これも基本的には同じだ。陽子はクォークと呼ばれる素粒子3つからできている。温度が高いと、このクォークもバラバラになる(この状態のことを、「クォーク・グルーオン・プラズマ」という)。温度が下がると、さきほどと同様に、クォーク同士が結合し、安定して陽子を構成することが可能になる。
クォーク同士の結合エネルギーは、陽子と電子の結合エネルギーよりもずっと大きいので、陽子ができるのは、水素原子ができるときよりもずっと宇宙が熱い時期だ(それだけランダムな運動のエネルギーが大きくないと、陽子をバラバラにできない)。なので、宇宙の進化とともに、まず陽子ができて、それから陽子が電子をつかまえることで水素原子ができるのだ。
ええと、長くなってかえってわかりにくくなったかもしれない。(^^;;
要は、原子だってなんだって、思いっきりぶつけりゃ壊れるし、ほっとけば陽子と電子なんてえのはひっつこうとする。その兼ね合いで、原子ができるかどうかが決まる、というわけ。
車が衝突して壊れるかどうかだって、車の運動エネルギー(スピードと関係)の大小で決まりますよね。そっとぶつければ壊れないけど、時速100kmでぶつけりゃメチャメチャになる。それくらいの速度でぶつければ車が壊れるかは自動車会社で実験しているわけですが、同じ様に、どれくらいの速度で原子同士をぶつければ壊れるかってのも実験されてるし理論も確立していてもはや疑う余地はない(少なくとも原子については)。
というわけで、太田氏や江本氏らの妄想が入り込む余地はまったくないのだ。
科学でわかっていないことは沢山あるけれども、わかっていることだって沢山ある。そして、水素原子がどうやってできるか、ということは、既に明確にわかっていることなのだ。