「Hado」2月号(7)オーラと原子と波動と水 | ほたるいかの書きつけ

「Hado」2月号(7)オーラと原子と波動と水

太田龍と江本勝の対談の続き。七回目。いよいよ最終回(今月号については)。
「水の研究は現代科学を転倒する」
さて、この節、完璧に意味不明である。理解できる部分がない。それでも、なんとかコメントしてみる。まずは太田の発言から。
 生命創造の源は光です。そういったことからも、水素がどういうふうにして生まれるかと考えていくのです。水素創造から、いろいろな元素ができていくのですね。
最初の一文、まあ気持ちわからなくもない。ただし、好熱性細菌はどうするの?とかツッコミは入れざるを得ないが。そして、何が「そういったことからも」なのかも不明。生命創造と水素創造とどういう関係があるのか。最後の文だけは理解可能。たしかに水素(というか水素原子核の陽子というべきか)から色々な元素ができていくからね。
 ところで、オーラという言葉を広辞苑で引いてみると、その項目がありませんでした(笑)。つまり、現代科学でオーラは物理的に説明できないわけです。
 オーラとは、魅力があるとか、カリスマ性があるとか、力があるというようなときに使います。
 そのオーラを物理的に説明すると、水素創造の過程に大いに関係が出てきます。
広辞苑に載ってるかどうかと物理的にどうこう言うのは別だと思うが、それはともかく、オーラとは、の例で出しているように、オーラは物理的な存在ではない。当然、水素とも関係ない。しかし、以下に示すように、太田にとっては関係しているらしいのだ。
 原子核のまわりには陰電子が1個ついていて、その質量は非常にわずかです。原子核の核子と、電気的にはプラスである陽電子を1個捉え、核力の質量の力によって、捉えられていない自由電子が捕まえると、核力から離れようとする斥力が働きます。
 斥力は原子の外に向かってエネルギーを発します。それがオーラです。
 軌道電子とは、核によって電子が捉えられている状態のことですが、捕まえられないで、核から離れようとする斥力が強いほど、オーラは強くなります。
湯川秀樹が泣くで。「核力の質量の力」ってなんなんだよ。質量が生み出すのは重力。核力は重力とは別の力。妄想も甚だしい。ちなみに電子(陰電子とは普通言わないと思う)は陽子の1840分の1の質量しかないので、わずかというのは間違っていない。
 さて、負電荷を持つ電子が、正電荷を持つ陽子と電気的な力で引き合い、結合しているのが水素原子。なのだが、そういう常識を持っていると、この文章は理解できない(そもそも日本語になっていないと思うのだが)。何が核子と陽電子を捉えるのか?(なお日常の場では陽電子は存在しない)。自由電子がいる状態ってどういう状態かわかっているのか?なんに対して斥力が働くのか?これが理解できないので、次のオーラが何かって文もまったく理解できない。「それがオーラ」と言われても。
 軌道電子の説明はまあよいだろう(ちょっと違和感はあるけれども、間違っているとはいえない)。が、捉えられているのに捕まえられないで離れようとしているって日本語として理解不能。そもそもなにが離れようとしているの?
 オーラの割合は、水素がもっとも多く、次が酸素です。これが結びつくと、オーラは最大になります。したがって、水はオーラに充ち満ちている、と説明できます。
説明できます、というか、強引に説明しちゃった、というべきか。
 こうした研究が進むと、3~400年の歴史をもつ西洋科学は、構造が破壊されてしまいます。
 水の問題は、そういったことを内包しています。ですから、彼らは「地球の水がどこから来たかということについては関与しない」ということになるのだと思います。
仮に「こうした研究」が正しいとすれば、確かに科学は破壊される。ただし、それは、昨日書いたように、我々の日常を支える科学的技術も、その構造が破壊されるということを意味しているのだ。なお、心配しなくても、「こうした研究」がいくら進んでも、間違っているので、科学はなんら破壊されることはない。それに地球の水の起源については当然大勢の科学者が研究を積み重ねている。関与しないなどということはない。関与しないのは明らかに間違った説についてである。

 ここで今月のシメを江本がつける。
 たしかに水の研究に興味をもち始め、進めていくと「波動」という考え方がないと、まったく理解できなくなります。ですから、私は波動と水の研究者ということになっているのだと思います。その波動的なことが「斥力」ということになっていくのではないでしょうか。
「波動」(本来の物理学で出てくる波動とは別の波動ですね)などという概念を持ち出さないと理解できないと考えることこそが、江本が水について理解していない証拠であるとも言える。それに波動と斥力がどうつながるのかさっぱりわからない。無意味なことを複数つないでわかった気になるというのはトンデモの定番だが、ここでもそれが表れているといえよう。

 というわけで、来月号につづくそうです。こんな内容でも、信じちゃう人は多いんでしょうね。嘆かわしいが、こうやってできるところから地道に批判していくしかないのだ。