考えることと想像力 | ほたるいかの書きつけ

考えることと想像力

 昼間、ちょっと脱力することがあったもので、少し考えていた。
 「考える」ということがどういうことか、どれくらい理解されているんだろうか?もちろん、自分がわかってるかと言われれば、そりゃ自信はないのだけれども。でも、「知っている」ということとは違うのだ、というぐらいの認識は、持っていて欲しいと思う。

 おそらく、最近も kikulog でふれられた「知識の断片」というやつと関係しているのだろう。「考えたけど分からなかった」というのは、「自分の持っている知識には書いてなかった」という程度の意味なんだろう、きっと。

 新たな経験を手持ちの知識の中に位置づける。
 未経験のことを、手持ちの知識を総動員して論理的に外挿し、予想する。

 たぶん前者が「理解力」と関係していて、後者が「想像力」と関係しているのだろう。いくら知識の断片を蓄えても理解したことにはならない。非論理的な外挿はただの妄想である。そして、両者に共通するのは、「考える」ということだ。考えることが出来れば、さらに、想像力を駆使して得た仮想的な経験すらも己の中に位置づけ、理解を深めることだって出来る。

 「水伝」が蔓延するのも、スピリチュアルが蔓延するのも、「羊水」発言も、こういう能力の欠如から来るのだろう。

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 「ゆとり教育」とか「生きる力」ってのは、本来こういう能力を育てることを目指していたのではなかったか。
 結局、教師に考えるゆとりを与えなかったことが、諸悪の根源だったのだろう。こういう力を教育するには教師に相当の力量が必要だろうから。