ポスドク問題
「『博士の就職難』解決へ 共産党シンポ 若手研究者ら討論」
(『赤旗』)
(参考)「国民の立場で大学改革を」 (日本共産党の大学改革に関する特集ページ)
ポスドク問題がようやく政治の場で日の目を見ることになってきた、ということだろうか。他の政党には大学問題について政策と呼べるほどの政策もない。悲しいことに。それだけに、頑張って欲しいと思う。
私はいまのすべてのポスドクが研究職に就けるようにすべし、とは思わないけれども(研究者としてのそれなりの素質は必要だと思うので)、現状は有能なポスドクの数に比べテニュアポジションが圧倒的に少なすぎるとは思っている。競争的資金だけをいくら増額してもおそらく「国際競争力」は上がらないだろう。人を大事にしない政策は長期的には衰退をもたらすのだと思う。大学でもっと人(研究・教育職だけでなく事務職も)を増やさないといけないと思う。
それと同時に、大学院のドクターコースはもう少し絞ってもいいのではないかと思う。重点化以降無闇やたらと院生を増やし、場当たり的な対策に終始し、破綻が目前だ。さらに科研費ポスドクが増え、自由に研究ができるPD学振はだいぶ減っていると聞く。若手研究者を手足のように使うだけで、人としてマトモな保障がされない状況はどう考えても間違っている。
研究者も人なのだ。人として尊重され、まっとうな人生設計ができるよう、対策してほしい。
(参考)「国民の立場で大学改革を」 (日本共産党の大学改革に関する特集ページ)
ポスドク問題がようやく政治の場で日の目を見ることになってきた、ということだろうか。他の政党には大学問題について政策と呼べるほどの政策もない。悲しいことに。それだけに、頑張って欲しいと思う。
私はいまのすべてのポスドクが研究職に就けるようにすべし、とは思わないけれども(研究者としてのそれなりの素質は必要だと思うので)、現状は有能なポスドクの数に比べテニュアポジションが圧倒的に少なすぎるとは思っている。競争的資金だけをいくら増額してもおそらく「国際競争力」は上がらないだろう。人を大事にしない政策は長期的には衰退をもたらすのだと思う。大学でもっと人(研究・教育職だけでなく事務職も)を増やさないといけないと思う。
それと同時に、大学院のドクターコースはもう少し絞ってもいいのではないかと思う。重点化以降無闇やたらと院生を増やし、場当たり的な対策に終始し、破綻が目前だ。さらに科研費ポスドクが増え、自由に研究ができるPD学振はだいぶ減っていると聞く。若手研究者を手足のように使うだけで、人としてマトモな保障がされない状況はどう考えても間違っている。
研究者も人なのだ。人として尊重され、まっとうな人生設計ができるよう、対策してほしい。
菅原明子氏、NHK経営委員辞任へ
「<NHK>経営委の菅原委員が辞表提出 所得隠し指摘され」
(『毎日』)
「菅原NHK委員辞任へ、経営会社の所得隠しで引責」 (『読売』)
先日「菅原明子の所得隠し」 で取り上げたNHK経営委員の一人である菅原明子氏だが、辞表を提出し経営委員を辞任することになったそうだ。
新会長の選任に反対したからではないか、叩けば他の委員もホコリは出るんじゃないか、など色々噂は飛び交っているようだけれども、本当のところはもちろんまだわからない。ただ、辞任に追い込まれた背景よりも、マイナスイオンブームを煽りに煽った彼女がなぜNHK経営委員に選ばれたのか、そこをジャーナリストには探って欲しいと思う。そこから見えてくる「何か」があるのではないか、と漠然と思っている。
「菅原NHK委員辞任へ、経営会社の所得隠しで引責」 (『読売』)
先日「菅原明子の所得隠し」 で取り上げたNHK経営委員の一人である菅原明子氏だが、辞表を提出し経営委員を辞任することになったそうだ。
新会長の選任に反対したからではないか、叩けば他の委員もホコリは出るんじゃないか、など色々噂は飛び交っているようだけれども、本当のところはもちろんまだわからない。ただ、辞任に追い込まれた背景よりも、マイナスイオンブームを煽りに煽った彼女がなぜNHK経営委員に選ばれたのか、そこをジャーナリストには探って欲しいと思う。そこから見えてくる「何か」があるのではないか、と漠然と思っている。
グランドプリンスホテル新高輪による自由と民主主義の破壊
「教研集会 全体集会初めて中止に ホテル側の開催拒否で」
「社説:会場使用拒否 言論の自由にかかわる問題だ」
(どちらも『毎日』)
東京地裁・高裁の決定を無視し、会場使用を拒否。いくらなんでも無茶苦茶だ。
司法を無視し、自由と民主主義を否定する実力行使に出た「グランドプリンスホテル新高輪」の名を、刻みつけておきたい。
「社説:会場使用拒否 言論の自由にかかわる問題だ」
(どちらも『毎日』)
東京地裁・高裁の決定を無視し、会場使用を拒否。いくらなんでも無茶苦茶だ。
司法を無視し、自由と民主主義を否定する実力行使に出た「グランドプリンスホテル新高輪」の名を、刻みつけておきたい。
教員免許の更新制はやめるべき
問題教師増加で「教員免許の更新を」の声 現場は反発
30日、文部科学省の調査研究協力者会議は、適切な指導ができない「指導力不足」教師の定義や認定手続きに関するガイドラインを大筋で了承した。..........≪続きを読む≫
免許更新制にして一体何が改善されるというのだろう。これで問題教師が駆逐されて学校には「良い教師」しか残らずメデタシメデタシ、とでも思っているのなら、とんでもなくおめでたい思考回路だ。現場で悩み考えながら少しでも子どものためにと頑張っている圧倒的多数の教師たちを萎縮させる。更新のための研修に時間を割かれ子どもと向き合い授業を改善することもやりにくくなる。そりゃ教師になろうという若者が減るのも当然というものだ。
おまけに更新のための研修を誰がするのかわかっているのだろうか?全教師の約1/10が毎年更新のための長時間の研修を受けなければいけない。そのために、大学がしなければならない仕事は大量にあるだろう。大学人の多忙化も加速され、研究に使える時間が減り、大学の質も落ちていく。
ちょっと考えれば分かることなのに、ほんの一部の問題教師のために「ヤッチマエ」とばかりに教師全体を槍玉にあげ、結果的に全体の質を下げようとする。昨今の社会的風潮の反映ではあるのだろうが、だからこそ施政者の責任は大きい。彼らの持つ権限の大きさを考えれば、安易な風潮に流されず、合理的な政策を作らなければならない義務があるのは当然だろう。こんなことをするよりも、教師の数を増やし、意味があるとは思えないような書類作成から解放させ、自らを鍛える時間的余裕を確保し、なにより一人ひとりの子どもと向き合う時間を保障すること。教育の改善を考えるならば、これ抜きには語れないだろう。
今の政府がやっていることは、あまりにも安易すぎる。
***
まだ自分の中では整理しきれていないのだが、こういう安易な思考は現在この社会に蔓延する様々な風潮とつながっているように思える。例えば大阪府知事に当選してしまった橋下氏が煽った弁護士への大量の懲戒請求などはストレートにつながるものだろう。また自分を権力と同一視して例えば南京事件や従軍慰安婦問題を否定・軽視するような発想、さらには願望と事実の区別がつかない「水伝」的・「スピリチュアル」的発想(自分の信じたいことだけ信じる)もそうだ。これらはみな根っこが同じなのではないかと言う気がしている。もちろん、同じ面もあれば違う面もあるだろう。現象は当然違うのだから。しかし、これら諸現象の地下に流れる共通したものがもしあるならば、それらを分析し、あぶりだしていきたいと思う。現代日本に生きる者として。
30日、文部科学省の調査研究協力者会議は、適切な指導ができない「指導力不足」教師の定義や認定手続きに関するガイドラインを大筋で了承した。..........≪続きを読む≫
免許更新制にして一体何が改善されるというのだろう。これで問題教師が駆逐されて学校には「良い教師」しか残らずメデタシメデタシ、とでも思っているのなら、とんでもなくおめでたい思考回路だ。現場で悩み考えながら少しでも子どものためにと頑張っている圧倒的多数の教師たちを萎縮させる。更新のための研修に時間を割かれ子どもと向き合い授業を改善することもやりにくくなる。そりゃ教師になろうという若者が減るのも当然というものだ。
おまけに更新のための研修を誰がするのかわかっているのだろうか?全教師の約1/10が毎年更新のための長時間の研修を受けなければいけない。そのために、大学がしなければならない仕事は大量にあるだろう。大学人の多忙化も加速され、研究に使える時間が減り、大学の質も落ちていく。
ちょっと考えれば分かることなのに、ほんの一部の問題教師のために「ヤッチマエ」とばかりに教師全体を槍玉にあげ、結果的に全体の質を下げようとする。昨今の社会的風潮の反映ではあるのだろうが、だからこそ施政者の責任は大きい。彼らの持つ権限の大きさを考えれば、安易な風潮に流されず、合理的な政策を作らなければならない義務があるのは当然だろう。こんなことをするよりも、教師の数を増やし、意味があるとは思えないような書類作成から解放させ、自らを鍛える時間的余裕を確保し、なにより一人ひとりの子どもと向き合う時間を保障すること。教育の改善を考えるならば、これ抜きには語れないだろう。
今の政府がやっていることは、あまりにも安易すぎる。
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まだ自分の中では整理しきれていないのだが、こういう安易な思考は現在この社会に蔓延する様々な風潮とつながっているように思える。例えば大阪府知事に当選してしまった橋下氏が煽った弁護士への大量の懲戒請求などはストレートにつながるものだろう。また自分を権力と同一視して例えば南京事件や従軍慰安婦問題を否定・軽視するような発想、さらには願望と事実の区別がつかない「水伝」的・「スピリチュアル」的発想(自分の信じたいことだけ信じる)もそうだ。これらはみな根っこが同じなのではないかと言う気がしている。もちろん、同じ面もあれば違う面もあるだろう。現象は当然違うのだから。しかし、これら諸現象の地下に流れる共通したものがもしあるならば、それらを分析し、あぶりだしていきたいと思う。現代日本に生きる者として。
大学教育への介入と統制
「大学教育内容に指針 学術会議に審議59年ぶり依頼へ国が一定方向性 文科省方針」
(『東京』)
ついに文科省が大学教育の内容まで統制をはじめる気らしい。大学の自治や自主性もなにも踏みにじることになるわけだが、こんなことで大学が活性化されると思っているのだろうか?大学の教育をなんだと思っているのだろう。まるで缶詰工場のように学生を教育し、規格品を作り上げればそれでよい、下手に考える能力のあるものなど世に送り出すな、と言っているような気がする。実際、大枠ではその方向で教育改革というのは進んでいるわけだけど。
研究と教育というのは、たとえ一般教養レベルでも不可分のものであって、自由な発想で推進された研究成果を背景に、現場の人間が実情に応じて知恵を絞って、初めて本物の迫力のある良い教育ができるのだ。上から統制したってうまくいくわけがない。
もちろん、現状で問題はたくさんあるだろう。しかしまずは、その問題が大学人の問題なのか国からの締め付けによって引き起こされた問題なのか(ここ数年、特に独法化以降は問題だらけだ!)を分ける必要があるし、大学人に責任のある問題であったとしても、このような形の統制で果たして質が上がるのかと言う検証も必要だ。さもなければ、介入するだけ介入し、研究者を疲弊させ、教育の荒廃だけでなく研究の後退も招くことになる。
学術会議で議論してもらうそうなので、おいそれと文科省に都合の良いようには進まないだろうけれども、アメとムチを使い分け大学をすっかり支配下におさめたかに見える現状では、スルスルと進んでしまうのかもしれない。あまり楽観はできない。
大学教育に対する統制については言いたいことが山ほどあるのだが、それはまた改めて書いていこうと思います。このままでは日本の高等教育は滅び、人材が枯渇しますよ(高等教育の意義は「人材の育成」だけでは無論ないけれども、国にとっても困るでしょ?)。
ついに文科省が大学教育の内容まで統制をはじめる気らしい。大学の自治や自主性もなにも踏みにじることになるわけだが、こんなことで大学が活性化されると思っているのだろうか?大学の教育をなんだと思っているのだろう。まるで缶詰工場のように学生を教育し、規格品を作り上げればそれでよい、下手に考える能力のあるものなど世に送り出すな、と言っているような気がする。実際、大枠ではその方向で教育改革というのは進んでいるわけだけど。
研究と教育というのは、たとえ一般教養レベルでも不可分のものであって、自由な発想で推進された研究成果を背景に、現場の人間が実情に応じて知恵を絞って、初めて本物の迫力のある良い教育ができるのだ。上から統制したってうまくいくわけがない。
もちろん、現状で問題はたくさんあるだろう。しかしまずは、その問題が大学人の問題なのか国からの締め付けによって引き起こされた問題なのか(ここ数年、特に独法化以降は問題だらけだ!)を分ける必要があるし、大学人に責任のある問題であったとしても、このような形の統制で果たして質が上がるのかと言う検証も必要だ。さもなければ、介入するだけ介入し、研究者を疲弊させ、教育の荒廃だけでなく研究の後退も招くことになる。
学術会議で議論してもらうそうなので、おいそれと文科省に都合の良いようには進まないだろうけれども、アメとムチを使い分け大学をすっかり支配下におさめたかに見える現状では、スルスルと進んでしまうのかもしれない。あまり楽観はできない。
大学教育に対する統制については言いたいことが山ほどあるのだが、それはまた改めて書いていこうと思います。このままでは日本の高等教育は滅び、人材が枯渇しますよ(高等教育の意義は「人材の育成」だけでは無論ないけれども、国にとっても困るでしょ?)。