菅原明子氏の所得隠し
「<所得隠し>NHK経営委員の研究所…国税局指摘」
(『毎日』)
いわゆる「マイナスイオン三人衆」と呼ばれるうちの一人、菅原明子氏が1億5千万円の所得隠しだそうで。
マイナスイオンブームを煽って、なぜかNHK経営委員にまでなって。
菅原食生態学研究所 にあるプロフィールには、「マハリシ国際大学社会心理学科客員教授」と書いてあるわけですが、それについては「「米国大学(院)学位商法」の危険性-NHK女性経営委員の「客員教授」とは?」 (『JANJAN』)に色々コメントがあります。
どういういきさつでNHK経営委員になったんですかね。もっとも、彼女が選出に反対した新会長も、NHK(というか世の中)のためにとってはどうなんだろう、とは思うのですが…。
よくわからない、としか言いようがない。
いわゆる「マイナスイオン三人衆」と呼ばれるうちの一人、菅原明子氏が1億5千万円の所得隠しだそうで。
マイナスイオンブームを煽って、なぜかNHK経営委員にまでなって。
菅原食生態学研究所 にあるプロフィールには、「マハリシ国際大学社会心理学科客員教授」と書いてあるわけですが、それについては「「米国大学(院)学位商法」の危険性-NHK女性経営委員の「客員教授」とは?」 (『JANJAN』)に色々コメントがあります。
どういういきさつでNHK経営委員になったんですかね。もっとも、彼女が選出に反対した新会長も、NHK(というか世の中)のためにとってはどうなんだろう、とは思うのですが…。
よくわからない、としか言いようがない。
マクドナルド訴訟 そして歴史は進む
マクドナルド訴訟 店長は非管理職 東京地裁が残業代認定 (『毎日』)
凄いことだと思う。こういう地道な取り組み一つ一つが、少しづつ、社会を前に進めていくのだと思う。行きつ戻りつしながらも、長い目で見れば歴史は進む。いま、私たちの社会は、また一歩階段を登った。会社側は控訴したようだが、次も勝訴となることを望みます。他の企業で働く人々にも良い影響がありますように。
凄いことだと思う。こういう地道な取り組み一つ一つが、少しづつ、社会を前に進めていくのだと思う。行きつ戻りつしながらも、長い目で見れば歴史は進む。いま、私たちの社会は、また一歩階段を登った。会社側は控訴したようだが、次も勝訴となることを望みます。他の企業で働く人々にも良い影響がありますように。
樹村みのりの新刊
- 見送りの後で (眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)/樹村 みのり
- ¥609
- Amazon.co.jp
この人のマンガの魅力はおそらくその繊細さでしょう。繊細なマンガを描く人は何人もいますが、この人にしか描けない繊細さが、今回も満載です。生きていれば誰もが経験するような日常と非日常の出来事を通して、人の心の奥底まで降りていき、悩みもだえつつ、しかし時は容赦なく過ぎてゆく。しかしそれすらもいとおしく受け入れ、自分はどう生きるべきか、どう行動すべきか、考えつつも一歩を踏み出していく。この人ほど物事を奥深くとらえる人は、なかなかいないのではないでしょうか。
もう一つこの人に特徴的なのは、個々の人生と大きな社会とのつながりを感じさせてくれることでしょう。小さなコミュニティではなく、日本や世界という大きな社会。それは具体的に描かれるのではありませんが、社会とどうつながるべきか、どう関わっていくべきなのか、という問題意識が、日常を精一杯生きるごく普通の人々を通して浮かび上がってきます。
人生の厳しさを見せつけられつつ、それでも人を信頼し、精一杯生きることの喜びと美しさを感じさせてくれます。読み終わった後に、ほんの少し優しくなれるような…というと陳腐な表現ですが、そんな気になります。多くの人に読んで欲しいマンガです。
ところで初出は「朝日ソノラマ」が多いのですが、昨年秋に会社は吸収合併され消滅していたのですね。それで発行元が朝日新聞社になっている、と。なんだか複雑な気持ちです。
***
こういう作品を読んでいると、死後の世界だの生まれ変わりだの本当にバカバカしくなりますね。そんなことを考えるより、今の人生に注力するほうがどれだけ素晴らしいか。「銀河鉄道999」(の第一部、と今となっては言うべきでしょうかね)のテーマでもありますが、限りある命だからこそ輝く、ということを忘れないようにしたいものです。
江原啓之から統一協会への道
「統一協会 洗脳教材にTV番組利用 “占い・霊界”で引き込む」
(『しんぶん赤旗』)
ちょっと古い記事(2007/4/15)だが、どこかで紹介されていたのをメモしておいたのを思い出したのでここに挙げておく(どこで見たか忘れました。すいません)。
内容は、要するに統一協会が杉並で洗脳教材として「天国からの手紙」を使っていたというもの。江原と統一協会の間には直接の関係はないのだろうが、思想的に親和性を持っており、洗脳に有効という判断だったのだろう。
ここで踏まえておくべきことは、勿論「スピリチュアル」がオカルト・カルトへの一里塚であるということなのだが、もう一つ、スピリチュアルと統一協会に代表される明確に反社会的なカルト集団とは確かに違うということがある。おそらく、テレビや本で江原に感化され、「本当かどうかはわからないけど、なんかいい話しだし、信じたいよね」と思っている人々は、江原と統一協会とは「全く別物」と思っていることだろう。江原自身だっておそらくそう思っているに違いない。しかし江原の思想をつきつめていけば、統一協会などのカルト思想と同様のものになっていく。ソフトなスピリチュアルとハードなカルトの間には、反社会的な直接行動をするかどうかという点での違い「しか」ないのだ。無論、その違いが犯罪かどうかの境目にもなるのだから、批判するにしてもその違いを押さえておく事は重要だ。しかし、思想的には本質的な違いはないことにも注目せねばなるまい。我々は、物事というものは連続と不連続が重層的に折り重なっているものだと言うことを忘れてはならないだろう。
なお、「統一協会という言葉について」 (紀藤正樹弁護士のブログ)に端的に解説されているが、ここでは統一「教会」ではなく統一「協会」と書きたい。統一協会側は「教会」と書かせたいようだしマスコミもそれに従っているが、正式名称から考えても「協会」だろう。「教会」と書くのは悪事を糊塗しようとする意図を感じてしまうからだ。
***
このブログでは、「ニセ科学」という言葉を広い意味で捉え、オカルトに対しても使うつもりです。一部でオカルトを含めるかどうかで議論にもなっていたと思いますが、私は、主張する本人が科学にのっとっていると主張するかどうかは瑣末な問題だと思っています(勿論、科学であると主張してくれたほうが、「いやそれ間違ってるから」と言いやすいわけですが)。主張の内容が、科学と矛盾するものであれば、それはニセ科学にここでは含めたい。非科学であっても、科学と並存するものであれば、そういうものとして受け入れることも可能です。しかし、例えば「科学的には生まれ変わりはないと言うのでしょうが、それはそれとして、やっぱり私は生まれ変わりはあるのだと思います」という主張はどうでしょうか。生まれ変わりはあるのかどうか、という事実関係についての言明である以上、それは科学的に検証されうるということになります。だから、「科学とは思ってないから、事実であってもいいじゃない」というのは通らない話です。
これもある意味連続と不連続が絡まったものだと言えるでしょう。「狭義のニセ科学」、あるいは私の言い方だと「ハードなニセ科学」(「ハードSF」的な意味での使い方ですが)と「オカルト」は、たしかに主張する人が科学であるという自覚があるかどうかという点については異なるのですが、言っている内容についてはどちらも科学的検証の俎上に乗りうるものであり、その意味で本質的な違いはありません。
というわけで、このブログでは「ニセ科学」という言葉を広く解釈し、科学的知見と矛盾するものはニセ科学の範疇に含めて議論していきたいと思っています。
ちょっと古い記事(2007/4/15)だが、どこかで紹介されていたのをメモしておいたのを思い出したのでここに挙げておく(どこで見たか忘れました。すいません)。
内容は、要するに統一協会が杉並で洗脳教材として「天国からの手紙」を使っていたというもの。江原と統一協会の間には直接の関係はないのだろうが、思想的に親和性を持っており、洗脳に有効という判断だったのだろう。
ここで踏まえておくべきことは、勿論「スピリチュアル」がオカルト・カルトへの一里塚であるということなのだが、もう一つ、スピリチュアルと統一協会に代表される明確に反社会的なカルト集団とは確かに違うということがある。おそらく、テレビや本で江原に感化され、「本当かどうかはわからないけど、なんかいい話しだし、信じたいよね」と思っている人々は、江原と統一協会とは「全く別物」と思っていることだろう。江原自身だっておそらくそう思っているに違いない。しかし江原の思想をつきつめていけば、統一協会などのカルト思想と同様のものになっていく。ソフトなスピリチュアルとハードなカルトの間には、反社会的な直接行動をするかどうかという点での違い「しか」ないのだ。無論、その違いが犯罪かどうかの境目にもなるのだから、批判するにしてもその違いを押さえておく事は重要だ。しかし、思想的には本質的な違いはないことにも注目せねばなるまい。我々は、物事というものは連続と不連続が重層的に折り重なっているものだと言うことを忘れてはならないだろう。
なお、「統一協会という言葉について」 (紀藤正樹弁護士のブログ)に端的に解説されているが、ここでは統一「教会」ではなく統一「協会」と書きたい。統一協会側は「教会」と書かせたいようだしマスコミもそれに従っているが、正式名称から考えても「協会」だろう。「教会」と書くのは悪事を糊塗しようとする意図を感じてしまうからだ。
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このブログでは、「ニセ科学」という言葉を広い意味で捉え、オカルトに対しても使うつもりです。一部でオカルトを含めるかどうかで議論にもなっていたと思いますが、私は、主張する本人が科学にのっとっていると主張するかどうかは瑣末な問題だと思っています(勿論、科学であると主張してくれたほうが、「いやそれ間違ってるから」と言いやすいわけですが)。主張の内容が、科学と矛盾するものであれば、それはニセ科学にここでは含めたい。非科学であっても、科学と並存するものであれば、そういうものとして受け入れることも可能です。しかし、例えば「科学的には生まれ変わりはないと言うのでしょうが、それはそれとして、やっぱり私は生まれ変わりはあるのだと思います」という主張はどうでしょうか。生まれ変わりはあるのかどうか、という事実関係についての言明である以上、それは科学的に検証されうるということになります。だから、「科学とは思ってないから、事実であってもいいじゃない」というのは通らない話です。
これもある意味連続と不連続が絡まったものだと言えるでしょう。「狭義のニセ科学」、あるいは私の言い方だと「ハードなニセ科学」(「ハードSF」的な意味での使い方ですが)と「オカルト」は、たしかに主張する人が科学であるという自覚があるかどうかという点については異なるのですが、言っている内容についてはどちらも科学的検証の俎上に乗りうるものであり、その意味で本質的な違いはありません。
というわけで、このブログでは「ニセ科学」という言葉を広く解釈し、科学的知見と矛盾するものはニセ科学の範疇に含めて議論していきたいと思っています。
国鉄分割民営化と組合潰し
「JR不採用 東京地裁が違法認定 支援機構に賠償命令」(『毎日』)
国鉄分割民営化の際に、JRへの採用で明らかに組合差別が行われ、国労・全動労潰しがなされた。それに関する訴訟で、全動労(現・全日本建設交運一般労組)が勝訴。1人当たり550万円(総額3億1900万円)の支払いを清算事業団を引きついた法人に命じた。
当たり前ですよね。こんなムチャクチャがまかり通る世の中でいいはずがない。
『赤旗』に詳報が幾つか載っています。
「JR採用差別を認定 全動労訴訟 国鉄は中立義務違反」
「JR差別 全動労訴訟判決 全面解決 政府の責任 断罪された国家的不当労働行為」
「JR差別全動労訴訟 勝利判決 『交渉のテーブルに』 清算事業本部前で訴え」
「JR不採用事件 解決交渉に応じよ 全動労、鉄運機構に要請」
(以上『しんぶん赤旗』)
この記事にも載っているが、とにかく当時政府は「一人も路頭に迷わせない」と言っていたのだ。それをこんな形で不採用にし、20年たっても解決していないのだ。上記『赤旗』の2番目記事には以下のようにある:
これが日本という国の現状なのだ。このような嘘が国家レベルでまかりとおり、大勢の人間の人生を狂わせる。何が自由か、何が民主主義か。自由も民主も上っ面の言葉だけで、実態が全く伴っていない。
我々は、こういう人々に政治を委ねてしまっているのだ。このままでいいわけがない。
国鉄分割民営化の際に、JRへの採用で明らかに組合差別が行われ、国労・全動労潰しがなされた。それに関する訴訟で、全動労(現・全日本建設交運一般労組)が勝訴。1人当たり550万円(総額3億1900万円)の支払いを清算事業団を引きついた法人に命じた。
当たり前ですよね。こんなムチャクチャがまかり通る世の中でいいはずがない。
『赤旗』に詳報が幾つか載っています。
「JR採用差別を認定 全動労訴訟 国鉄は中立義務違反」
「JR差別 全動労訴訟判決 全面解決 政府の責任 断罪された国家的不当労働行為」
「JR差別全動労訴訟 勝利判決 『交渉のテーブルに』 清算事業本部前で訴え」
「JR不採用事件 解決交渉に応じよ 全動労、鉄運機構に要請」
(以上『しんぶん赤旗』)
この記事にも載っているが、とにかく当時政府は「一人も路頭に迷わせない」と言っていたのだ。それをこんな形で不採用にし、20年たっても解決していないのだ。上記『赤旗』の2番目記事には以下のようにある:
しかも政府は、「所属組合によって選別することがあってはならない」(当時の橋本龍太郎運輸相)「一人も路頭に迷わせない」(中曽根首相)との約束も投げ捨て、許されない国家的な不当労働行為を行ったのです。採用差別を否定できない国側は裁判で、「民営化に反対するものはJRにふさわしくない」とのべ、民営化を御旗に差別は当然だと開き直りました。しかし、使用者が労働者を差別しても当然だなどという論理が通用するわけがありません。判決は、国のこの姿勢を「中立義務に違反する」として断罪しました。
これが日本という国の現状なのだ。このような嘘が国家レベルでまかりとおり、大勢の人間の人生を狂わせる。何が自由か、何が民主主義か。自由も民主も上っ面の言葉だけで、実態が全く伴っていない。
我々は、こういう人々に政治を委ねてしまっているのだ。このままでいいわけがない。