教員免許の更新制はやめるべき
問題教師増加で「教員免許の更新を」の声 現場は反発
30日、文部科学省の調査研究協力者会議は、適切な指導ができない「指導力不足」教師の定義や認定手続きに関するガイドラインを大筋で了承した。..........≪続きを読む≫
免許更新制にして一体何が改善されるというのだろう。これで問題教師が駆逐されて学校には「良い教師」しか残らずメデタシメデタシ、とでも思っているのなら、とんでもなくおめでたい思考回路だ。現場で悩み考えながら少しでも子どものためにと頑張っている圧倒的多数の教師たちを萎縮させる。更新のための研修に時間を割かれ子どもと向き合い授業を改善することもやりにくくなる。そりゃ教師になろうという若者が減るのも当然というものだ。
おまけに更新のための研修を誰がするのかわかっているのだろうか?全教師の約1/10が毎年更新のための長時間の研修を受けなければいけない。そのために、大学がしなければならない仕事は大量にあるだろう。大学人の多忙化も加速され、研究に使える時間が減り、大学の質も落ちていく。
ちょっと考えれば分かることなのに、ほんの一部の問題教師のために「ヤッチマエ」とばかりに教師全体を槍玉にあげ、結果的に全体の質を下げようとする。昨今の社会的風潮の反映ではあるのだろうが、だからこそ施政者の責任は大きい。彼らの持つ権限の大きさを考えれば、安易な風潮に流されず、合理的な政策を作らなければならない義務があるのは当然だろう。こんなことをするよりも、教師の数を増やし、意味があるとは思えないような書類作成から解放させ、自らを鍛える時間的余裕を確保し、なにより一人ひとりの子どもと向き合う時間を保障すること。教育の改善を考えるならば、これ抜きには語れないだろう。
今の政府がやっていることは、あまりにも安易すぎる。
***
まだ自分の中では整理しきれていないのだが、こういう安易な思考は現在この社会に蔓延する様々な風潮とつながっているように思える。例えば大阪府知事に当選してしまった橋下氏が煽った弁護士への大量の懲戒請求などはストレートにつながるものだろう。また自分を権力と同一視して例えば南京事件や従軍慰安婦問題を否定・軽視するような発想、さらには願望と事実の区別がつかない「水伝」的・「スピリチュアル」的発想(自分の信じたいことだけ信じる)もそうだ。これらはみな根っこが同じなのではないかと言う気がしている。もちろん、同じ面もあれば違う面もあるだろう。現象は当然違うのだから。しかし、これら諸現象の地下に流れる共通したものがもしあるならば、それらを分析し、あぶりだしていきたいと思う。現代日本に生きる者として。
30日、文部科学省の調査研究協力者会議は、適切な指導ができない「指導力不足」教師の定義や認定手続きに関するガイドラインを大筋で了承した。..........≪続きを読む≫
免許更新制にして一体何が改善されるというのだろう。これで問題教師が駆逐されて学校には「良い教師」しか残らずメデタシメデタシ、とでも思っているのなら、とんでもなくおめでたい思考回路だ。現場で悩み考えながら少しでも子どものためにと頑張っている圧倒的多数の教師たちを萎縮させる。更新のための研修に時間を割かれ子どもと向き合い授業を改善することもやりにくくなる。そりゃ教師になろうという若者が減るのも当然というものだ。
おまけに更新のための研修を誰がするのかわかっているのだろうか?全教師の約1/10が毎年更新のための長時間の研修を受けなければいけない。そのために、大学がしなければならない仕事は大量にあるだろう。大学人の多忙化も加速され、研究に使える時間が減り、大学の質も落ちていく。
ちょっと考えれば分かることなのに、ほんの一部の問題教師のために「ヤッチマエ」とばかりに教師全体を槍玉にあげ、結果的に全体の質を下げようとする。昨今の社会的風潮の反映ではあるのだろうが、だからこそ施政者の責任は大きい。彼らの持つ権限の大きさを考えれば、安易な風潮に流されず、合理的な政策を作らなければならない義務があるのは当然だろう。こんなことをするよりも、教師の数を増やし、意味があるとは思えないような書類作成から解放させ、自らを鍛える時間的余裕を確保し、なにより一人ひとりの子どもと向き合う時間を保障すること。教育の改善を考えるならば、これ抜きには語れないだろう。
今の政府がやっていることは、あまりにも安易すぎる。
***
まだ自分の中では整理しきれていないのだが、こういう安易な思考は現在この社会に蔓延する様々な風潮とつながっているように思える。例えば大阪府知事に当選してしまった橋下氏が煽った弁護士への大量の懲戒請求などはストレートにつながるものだろう。また自分を権力と同一視して例えば南京事件や従軍慰安婦問題を否定・軽視するような発想、さらには願望と事実の区別がつかない「水伝」的・「スピリチュアル」的発想(自分の信じたいことだけ信じる)もそうだ。これらはみな根っこが同じなのではないかと言う気がしている。もちろん、同じ面もあれば違う面もあるだろう。現象は当然違うのだから。しかし、これら諸現象の地下に流れる共通したものがもしあるならば、それらを分析し、あぶりだしていきたいと思う。現代日本に生きる者として。