『an・an』の血液型特集:ダメだこりゃ
『an・an』8.13/20合併号を買ってきた。「最新版 血液型スーパーBOOK」と銘打ち、紙面の半分近くを血液型性格判断にあてている。
端的に言えば、「だめだこりゃ」である。もうダメダメだ。編集者の見識を疑う。やってて恥ずかしくないのかね。売れりゃなんでもいいのか?
TAKESANさんのところでこの話題が出ていたのだけど、そのコメント欄が必読なのでご覧あれ。
「血液型で政治を語る」 (Interdiciplinary)
エントリの趣旨そのものは、私も取り上げた『東京新聞』の記事について であるが、コメント欄で『an・an』の話題が出ている。安原さんが記事の一部を紹介してくださっているほか、編集者としての裏話もあって面白い。
で、私もコメントしたのだけれど、そこでも書いたようにあまりに脱力な内容なので、そのコメントをここに書いてエントリの代わりにする(すいません)。
ダメダメな陰謀論(ユダヤのなんとかとか純粋水爆とか)を言う人に対して、「『マトモ』な陰謀論の人はそんなトンデモ陰謀論者をほっといていいんですか?」ということがあるけれども、まさにそんな感じ。ABOFANさん、こんなのほっといていいの?あなたの中では「前世」もアリなわけ?
なお、女性誌といえば占いだらけでダメダメというイメージがあるけれども、男性誌も別の方面で相当ダメダメなので、要するに週刊誌という媒体はダメダメなものが多い、ということですかね。女性誌が科学的にダメな記事が多いのに対して、男性誌(週刊新潮とか文春とかその手のやつ)は人間的にダメな記事が多いというか。まあマトモな雑誌もありますが、売れ筋ということではそうなっちゃうのかなあ。影響力が大きそうなだけに、編集者に対しては、もっと強く批判しなきゃいけないのかなあ、とも思ったりします。
端的に言えば、「だめだこりゃ」である。もうダメダメだ。編集者の見識を疑う。やってて恥ずかしくないのかね。売れりゃなんでもいいのか?
TAKESANさんのところでこの話題が出ていたのだけど、そのコメント欄が必読なのでご覧あれ。
「血液型で政治を語る」 (Interdiciplinary)
エントリの趣旨そのものは、私も取り上げた『東京新聞』の記事について であるが、コメント欄で『an・an』の話題が出ている。安原さんが記事の一部を紹介してくださっているほか、編集者としての裏話もあって面白い。
で、私もコメントしたのだけれど、そこでも書いたようにあまりに脱力な内容なので、そのコメントをここに書いてエントリの代わりにする(すいません)。
こんばんは。ちなみにABOFAN氏の名前が出てくるのは、コメント欄でも書かれているように、ABOFAN氏のコメントが紙面に載っているからです。
さっき、コンビニで『an・an』買ってきました(10冊ぐらい重ねてあってガックリです)。
なんつうか、内容も量もすごいですね。1冊の半分近くが血液型の話じゃないですかね、これ。
しょっぱなの話題が「新登場!前世血液型診断でわかる、あなたの中のもう一人の自分!」で、これだけでもう脱力してしまってマジメに検討する気力を失いました。バーナム効果だよって言ってあげたい…。
20個の質問(昔流行ったいわゆる心理テスト的なもの)に答えて、「前世血液型」なるものを判定し、それと「現世」の血液型を組み合わせて診断するんですが…(「気になる彼」の血液型は現世のものだけでいいようです^^;;)。こういうのって、血液型性格判断を「科学」と言い張るABOFANさんのような人こそ徹底的に批判しなきゃいけないもんなんじゃないかと思うんですが、コメント求められてノコノコ出てきたりして、そのあたりどう思ってるんですかね。
後ろの方には江原啓之の連載もあるし、広告は占いのオンパレードだし、なんだかなあ。
ダメダメな陰謀論(ユダヤのなんとかとか純粋水爆とか)を言う人に対して、「『マトモ』な陰謀論の人はそんなトンデモ陰謀論者をほっといていいんですか?」ということがあるけれども、まさにそんな感じ。ABOFANさん、こんなのほっといていいの?あなたの中では「前世」もアリなわけ?
なお、女性誌といえば占いだらけでダメダメというイメージがあるけれども、男性誌も別の方面で相当ダメダメなので、要するに週刊誌という媒体はダメダメなものが多い、ということですかね。女性誌が科学的にダメな記事が多いのに対して、男性誌(週刊新潮とか文春とかその手のやつ)は人間的にダメな記事が多いというか。まあマトモな雑誌もありますが、売れ筋ということではそうなっちゃうのかなあ。影響力が大きそうなだけに、編集者に対しては、もっと強く批判しなきゃいけないのかなあ、とも思ったりします。
どこで誹謗中傷があったかお分かりの方はいらっしゃいます?
例の yahoo 掲示板での議論。ssfs2007氏(SSFS氏)が、kikulogで松下を誹謗中傷したと主張している。
No.1501 より。
何人かが、「どこでそんな発言があったのか調べてもわからない」旨述べているのだが、ssfs2007氏の典型的な反応は以下の通り。No.1566 より。
さて、いったいssfs2007さんは何をもって「誹謗中傷」と言っているのでしょうね。真剣にわからないのですが。
「技報」について、若干揶揄するような発言もありましたが、ssfs2007さん御自身も、No.1451 で
どなたかわかる方はいらっしゃいます?いやもちろん実際に「誹謗中傷」があったわけではないのですから、「コレだ!」と言えないのは当然なのですが、「ssfs2007さんはひょっとしてこの発言のことを言っているのかな?」というので結構ですので、わかれば教えていただけると有り難いです。今後の議論の役に立つ…かどうかはわからないのですが。(^^;;
で、あらためて当該エントリのコメント欄を見返してみたのですが、これかな?
で、このコメントがヒントになるとして(他にもありますかね?)、どういうロジックで訴えられると思ったのだろう?SSFS独自ロジックを理解できたところで私の人生には何の得もないのだが、まあツッコミポイントは押さえておきたいと思うので。
なお、私の戦略として、「技報」をかなり前面に打ち出しているが、これは無論、「技報」を出しているのが製造販売に携わっているものだから、という理由による。「技報」でさえ証明できていないものを、他人がわざわざ証明する義理はない。売る側がちゃんとしたものを売るというのは社会的大原則であって、立証責任云々以前の話である。
「技報」自体は論文でもなんでもないので、これを論文だと思われると困るのだが(だから、「技報」でさえ効果が証明できないことは○○イオンに効果がないことを強く示唆するものであるが、「技報」が効果を証明したと主張しても、それは割り引いて考えなければならない)、それについては当該エントリのコメント欄(の最後の方)で、PseuDoctorさんが丁寧に解説されている(TAKESANさんのブログにてまとめられている ので、そちらをご覧いただくのが良いでしょう)。
No.1501 より。
ニセ科学を批判するには「相手の主張を丁寧に分析し周辺分野の知見を詳しく調べる必要がある」ので、どんな商品があるか、実際に売れているかも調べているわけです。kikulogの連中は分析・調査を軽視する悪癖があり、それが災いしてとうとうナノイーエントリでとんでもないことをやらかしてしまいました。国立大学サイトで松下を誹謗中傷したのですから、訴えられても全然不思議じゃありません。「ナノイーエントリ」というのは、kikulogの「nanoeイオン(松下の登録商標)の効果 」のこと(コメント数が1000を超え、重いので注意)。
何人かが、「どこでそんな発言があったのか調べてもわからない」旨述べているのだが、ssfs2007氏の典型的な反応は以下の通り。No.1566 より。
>kikulogを調べても私には根拠がわかりませんでした。なお、上記引用文中で引用されているのは、tsunchan_samaさんの発言。
それは残念でした。自らのリテラシー不足を認めてしまいましたか。こんな簡単なことすらわからないというなら、tsunchan_samaさんはニセ科学批判にかかわるには不向きかもしれませんね。
さて、いったいssfs2007さんは何をもって「誹謗中傷」と言っているのでしょうね。真剣にわからないのですが。
「技報」について、若干揶揄するような発言もありましたが、ssfs2007さん御自身も、No.1451 で
技報をもとに断定的な物言いはできないと思います。技報は一定のレベルにはあると思いますが、穴はたくさんありますから。かつて阪大・菊池氏が技報を1晩で斜め読みをして、技報を反対の結論を出してそれを喧伝し、技報の不備を指摘されるととたんに撤回したというお粗末がありました。繰り返しますが、技報以外の材料で判断することをお勧めします。と述べているんですよね。
どなたかわかる方はいらっしゃいます?いやもちろん実際に「誹謗中傷」があったわけではないのですから、「コレだ!」と言えないのは当然なのですが、「ssfs2007さんはひょっとしてこの発言のことを言っているのかな?」というので結構ですので、わかれば教えていただけると有り難いです。今後の議論の役に立つ…かどうかはわからないのですが。(^^;;
で、あらためて当該エントリのコメント欄を見返してみたのですが、これかな?
もし、これを持って「訴えられても不思議じゃない」と思っているのであれば、科学における議論の仕方を全くご存じない、ということになる(いや、全くご存じないわけだが。ssfs2007氏は)。
で、このコメントがヒントになるとして(他にもありますかね?)、どういうロジックで訴えられると思ったのだろう?SSFS独自ロジックを理解できたところで私の人生には何の得もないのだが、まあツッコミポイントは押さえておきたいと思うので。
なお、私の戦略として、「技報」をかなり前面に打ち出しているが、これは無論、「技報」を出しているのが製造販売に携わっているものだから、という理由による。「技報」でさえ証明できていないものを、他人がわざわざ証明する義理はない。売る側がちゃんとしたものを売るというのは社会的大原則であって、立証責任云々以前の話である。
「技報」自体は論文でもなんでもないので、これを論文だと思われると困るのだが(だから、「技報」でさえ効果が証明できないことは○○イオンに効果がないことを強く示唆するものであるが、「技報」が効果を証明したと主張しても、それは割り引いて考えなければならない)、それについては当該エントリのコメント欄(の最後の方)で、PseuDoctorさんが丁寧に解説されている(TAKESANさんのブログにてまとめられている ので、そちらをご覧いただくのが良いでしょう)。
侵略の帰結としての8月15日
今年も8月15日、「終戦記念日」がやってきた。
この日の捉え方は様々だろうが、戦争はしてはいけない、というのが大方の思うところだろう。
私もそれに異論を挟むつもりはないし、当然、戦争なんてしてはいけないと思う。ただ、ここで敢えて言いたいのは、「戦争はイカン」というのはある意味小学生でも言える理屈であって、それは大前提として共有されなければいけないけれども、しかしそれだけでは不十分であろう、ということである。
戦争は自然災害ではないし、事故でもない。原因があって、その結果戦争がおきるのである。なにを原因とするかは国際政治の中で色々と解釈はできるだろうけれども、明確に言えるのは、国際紛争を解決する手段として武力を意志をもって選択し、他国を侵略する、ということが直接的な原因であり、責任能力を有する国家(あるいは政府)のまさに責任において決断され実行されるということであろう。
要するに、「戦争はイカン」から一歩進み、「侵略はイカン」とならなければいけないのではないか、と思うのだ。
侵略に対抗する自衛的な戦争をどう見るかという問題もあるだろう。侵略されれば戦うべしという人も、(私は与するものではないが)無抵抗で侵略されるにまかせ場合によっては黙って殺されるのもやむなしとする人もいるだろう。しかしそもそも侵略という行為があるからいけないのである。単に戦争一般を悪とするだけでは歴史から何かを学んだとは言えないだろう。
いい大人、しかも侵略を推進した人々の系列に連なる連中が、単に「戦争はイカン」というのを聞いていると、私にはまるで「泥棒に合うのは対策をしない方が悪い」「痴漢にあうのはあう方も悪い」的な発想を感じてしまう。まあ「レイプは元気があって正常」発言 をするような人(太田誠一)が閣僚になるような政府だからねえ、と諦めもよぎるのだが。
しかし、原因があって結果があるのであるから、その直接の原因としての侵略をきちんと批判しないことには、その結果としての戦争をなくすこともできないだろう。やはり、「侵略がイカン」「侵略戦争がイカン」と堂々と言えるようにならないといけないのではないか、と改めて思う。
この日の捉え方は様々だろうが、戦争はしてはいけない、というのが大方の思うところだろう。
私もそれに異論を挟むつもりはないし、当然、戦争なんてしてはいけないと思う。ただ、ここで敢えて言いたいのは、「戦争はイカン」というのはある意味小学生でも言える理屈であって、それは大前提として共有されなければいけないけれども、しかしそれだけでは不十分であろう、ということである。
戦争は自然災害ではないし、事故でもない。原因があって、その結果戦争がおきるのである。なにを原因とするかは国際政治の中で色々と解釈はできるだろうけれども、明確に言えるのは、国際紛争を解決する手段として武力を意志をもって選択し、他国を侵略する、ということが直接的な原因であり、責任能力を有する国家(あるいは政府)のまさに責任において決断され実行されるということであろう。
要するに、「戦争はイカン」から一歩進み、「侵略はイカン」とならなければいけないのではないか、と思うのだ。
侵略に対抗する自衛的な戦争をどう見るかという問題もあるだろう。侵略されれば戦うべしという人も、(私は与するものではないが)無抵抗で侵略されるにまかせ場合によっては黙って殺されるのもやむなしとする人もいるだろう。しかしそもそも侵略という行為があるからいけないのである。単に戦争一般を悪とするだけでは歴史から何かを学んだとは言えないだろう。
いい大人、しかも侵略を推進した人々の系列に連なる連中が、単に「戦争はイカン」というのを聞いていると、私にはまるで「泥棒に合うのは対策をしない方が悪い」「痴漢にあうのはあう方も悪い」的な発想を感じてしまう。まあ「レイプは元気があって正常」発言 をするような人(太田誠一)が閣僚になるような政府だからねえ、と諦めもよぎるのだが。
しかし、原因があって結果があるのであるから、その直接の原因としての侵略をきちんと批判しないことには、その結果としての戦争をなくすこともできないだろう。やはり、「侵略がイカン」「侵略戦争がイカン」と堂々と言えるようにならないといけないのではないか、と改めて思う。
心理研究家?ヒーリングクリエーター?
どうなっちゃったのだ『東京新聞』。『京都新聞』と並んで数少ない見識あるメディアだと思っていたのだが。まあダメな記者はどこにでもいる、ということか。ダメなメディアにもマトモな記者はいるように。
さて、問題の記事はこれ。
【即興政治論】心理研究家御瀧 政子さん Q 福田さんは典型的なA型? 2008年8月12日
のっけから、O型は狩猟民族、A型は農耕民族、B型は遊牧民族とくる。そんなもん同じ民族でも地方や時代によってちがうだろうが。日本だって、農耕で暮らす人々もいれば、狩猟・漁労をメインにする人々もいるぞ。同じ民族だからって簡単に一色に染め上げるな。
A型はまとめ上手で人の意見をよく聞くがその分リーダーシップは苦手だ、福田もそんな感じだろう、というが、福田が官房長官だったころを忘れているのだろうか?あれだけ記者の質問をテキトーにかわしはぐらかす人物のどこが「人の意見をよく聞く」なんだ。
結局、最初に○型というレッテルを貼り、そのあとでその人物についてレッテルに合うことだけを選択的に取り上げているだけなんだよな。こんな人にいったい何を期待してインタビューしたのだろう?東京新聞は。
ところで、「心理研究家」ってなんだ?心理学者でもないし、心理学研究家でもないよな。人の心を探ります、って程度か。で、「ヒーリング・クリエーター」ってのはなんなんだ?この人のウェブを見ると、なんかちょっといっちゃった感じだし(名前で検索すればすぐ見つかります)。
なんだかなあ。
念のためくりかえしますが、血液型と性格には、「あなた○型だよね?」とか「あなたは○型だから、~という性格でしょう?」と言えるような強い相関はありません。日常生活のレベルでは、無関係と言って構いません。これは、大規模な調査によって、すでに判明していることです。よくこの手の話の最後に「信じる信じないはあなた次第」と出てきますが、確かに信じるかどうかはあなた次第ですが、あなたが信じる信じないにかかわらず、間違っていますので念のため。下記エントリをご覧ください。
血液型と性格に強い関係はないことがわかっています
***
明日からまた3日ほどネットワークの通じないところにこもります(今度は休暇ですが)。
さて、問題の記事はこれ。
【即興政治論】心理研究家御瀧 政子さん Q 福田さんは典型的なA型? 2008年8月12日
のっけから、O型は狩猟民族、A型は農耕民族、B型は遊牧民族とくる。そんなもん同じ民族でも地方や時代によってちがうだろうが。日本だって、農耕で暮らす人々もいれば、狩猟・漁労をメインにする人々もいるぞ。同じ民族だからって簡単に一色に染め上げるな。
A型はまとめ上手で人の意見をよく聞くがその分リーダーシップは苦手だ、福田もそんな感じだろう、というが、福田が官房長官だったころを忘れているのだろうか?あれだけ記者の質問をテキトーにかわしはぐらかす人物のどこが「人の意見をよく聞く」なんだ。
結局、最初に○型というレッテルを貼り、そのあとでその人物についてレッテルに合うことだけを選択的に取り上げているだけなんだよな。こんな人にいったい何を期待してインタビューしたのだろう?東京新聞は。
ところで、「心理研究家」ってなんだ?心理学者でもないし、心理学研究家でもないよな。人の心を探ります、って程度か。で、「ヒーリング・クリエーター」ってのはなんなんだ?この人のウェブを見ると、なんかちょっといっちゃった感じだし(名前で検索すればすぐ見つかります)。
なんだかなあ。
念のためくりかえしますが、血液型と性格には、「あなた○型だよね?」とか「あなたは○型だから、~という性格でしょう?」と言えるような強い相関はありません。日常生活のレベルでは、無関係と言って構いません。これは、大規模な調査によって、すでに判明していることです。よくこの手の話の最後に「信じる信じないはあなた次第」と出てきますが、確かに信じるかどうかはあなた次第ですが、あなたが信じる信じないにかかわらず、間違っていますので念のため。下記エントリをご覧ください。
血液型と性格に強い関係はないことがわかっています
***
明日からまた3日ほどネットワークの通じないところにこもります(今度は休暇ですが)。
8月9日とホルミシス(追記あり2009/1/5, 1/6)
というわけで、8月9日をむかえました(6日は出張先だったもので…)。
最近とみに思うのが、たとえば長崎原爆の犠牲者が7万余、と言われるが、亡くなられた方々のみならず、幸いにして生き残った方々も地獄を見てきたということ(その地獄は被爆直後の惨状だけでなく、その後の周囲の人々の反応や、社会、政治との関係も含むだろう)、そして、その一人ひとりに、「数」では表わされ得ない固有の人生があり、ドラマがあるのだ、ということ。ごく普通に生きているように見えるお年寄りが、実は大変な人生を生きてきたのだ、と思うと、なんとも言えない気持ちになる。
これはまあ原爆に限らず、戦災一般にも言えることではある(東京大空襲とか)。ただし、原爆の独自性は、「その後の人生」において、「被爆」の経験が「後遺症」として現れるのではなく、いつ病気を引き起こすかわからない「時限爆弾」を抱えて生きているということだろう。
その意味で、物理学的に言えば、電磁気力に起因する化学反応の世界(原子・分子の結合・解離の世界)に生きる生物にとって、核力に起因する原子核反応によりもたらされる放射能は、実に異質な「能力」であると言えよう。エネルギースケールもタイムスケールも何桁も違うのである。
核兵器はやはりすみやかに地球上からなくさないといけないと思う。「究極的」に、ではなく、期限を設けて廃絶に踏み出す必要があるだろう。
さて、出張中に気になる記事が出ていた。『読売』 より。
なにが気になったかというと、例の「ホルミシス」である。ホルミシスとは、被曝線量が小さいと、かえって体にいいのではないか、という仮説である。ラドン温泉はまさにそれだろう(まあ温泉に入ればリラックスして気持ちもいいので、問題ない程度の放射線量だったら、リスクより温泉に入ったということで健康にはいいかもしれないが)。保守的な考えとしては、被曝線量が低く、実証的にリスクと被曝線量との関係がよくわからない領域では、被曝線量とリスクの間には比例関係が成り立つという「線型仮説」が使われてきた。しかし、それは保守的に考えれば、という仮説にすぎず、「しきい値」があってそれ以下ではリスクはゼロという仮説もあれば、ホルミシスのように、逆に健康にいい効果があるとする仮説もあるわけだ。
このあたりのサイト を見ると(「放射線と健康を考える会」のサイト)、0.2Svで0Svと同程度の白血病リスクになり、0.1Svあたりで相対リスクは最低(つまり放射線を浴びない時よりもリスクが低い)ということが仮想されているようである。
ところが、上の記事を見ると、0.005Svでもリスクが高いという結果になっている。つまり、ホルミシスとは真っ向から相対する結果であり、さらに線型どころか0.005Sv(=5mSv)以下のところに「しきい値」があることを示唆しているようにも見える。
むろん、ホルミシス推進側も、一応は実証的に研究しようとしているので、そのあたりの齟齬が今度どう決着がついていくのかは見守らなくてはならないが、いずれにしても、まだ実証されていない効果を実際に効果があるかのように宣伝するのは許されないだろう。原発推進勢力は宣伝の片隅にホルミシスを置くことが多いようだが、ことが命にかかわるだけに(そして被爆者にとってはまさに己の人生と今後の生活にも関わることだ)、強く批判していくことが必要かもしれない。
ところで、爆心からの距離と被曝線量との関係は、どうも指数関数的になっているようなのですが、なんでなんですかね?直感的には距離の自乗に反比例しそうなんですが。γ線と中性子線から被曝線量を計算しているようなので、中性子の崩壊が効いているのかな。半減期を考えると無視して良さそうな気もするのだけれど、中性子崩壊は確かに指数関数的なので、重要なのでしょうかね。
ざっとネットを見ただけではわからなかったのですが、もし御存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけると嬉しいです。
ホルミシスについては、以前のエントリ「ホルミシスと原子力発電 」もどうぞ。
(2009年1月5日追記)
あの奥村晴彦さんのブログ にコメントを寄せたところ、速攻で返事をいただいた。(^^)
指数関数的減衰の起源は、大気中の原子核との衝突によるのでは?とのこと。確かにそういう気がします。というのは、大気中の原子核密度の空間変化が無視できれば、放射線強度は指数関数的に減衰するはずだからです。
文献もなにも調べずちょっと適当に見積ってみます。放射線強度をI、大気中原子核密度をn、散乱断面積をσとし、放射線は種類に関わらず光速c=3×10^8[m/s]で走るとします。すると、強度の時間変化は
dI/dt ~ -nσcI
程度になります。この解(時刻t後の強度)は、
I ∝ exp(-nσct)
となります。n として1気圧での原子核密度(1molで22.4L)、σとしてごくごく単純に幾何断面積(10^{-15}[m]の自乗)をとってみると、nσc~10^4ぐらいになります。走る時間t は、3[km]走るとすると 3×10^3/c=10^{-5}[s]なので、そうだとすると、強度は10^{-1}ぐらい減りますね。
断面積はよくわからなかったのですが、wikipediaの記述 を見ると、平均自由行程が大気中で220mとあります。そこから逆算してみると、
σ~1/(nl)~1/(3×10^{25}*2.2×10^2)~10^{-28}
で二桁ぐらい大きいようです(質量数がN、Oでそれぞれ14,16で断面積が質量数の2/3乗になること、及び二原子分子であることを考えると、1桁程度は大きくなりそうですが)。これを使うと、強度は(nσct~ct/l~3km/220m~15)
dI/I ~ exp(-15) ~ 3×10^{-7}
となって、3km地点では大半が大気に吸収されることになりますね。もっとも元の中性子量が莫大ですから、影響は明らかにあるでしょうが。
(2009年1月6日追記)
mobanamaさんよりはてブで以下のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。
mobanamaさんによる本エントリへのブコメ
ただ、(相変わらず元論文にあたっていないので大変申し訳ないのですが)記事によると肝がんだけではなく白血病のリスクも上がっています。そのあたりはどうなのでしょうね(白血病にも地域差などあるのでしょうか。あるいは肝がんとの相関とか?)。
次に「線量に対するリスクを考えるべき」というコメントですが、なんせはてブで文字数が少ないもんで真意が取れているか自信がないのですが、文脈から、必要以上に放射線を恐れないようにすることの方が重要(放射線の影響を定量的に理解する)ということかな、と受け取りました(違っていたらすみません)。それもまたその通りだと思います。ただし、対象が同じ放射線でも内容が全然違いますから、どちらを優先させるかというのは各自の問題意識によると思います(いわゆる優先順位問題)。もっともホルミシスのような微妙な問題を理解するには定量的な把握ができていないとそもそも何が問題かわからないでしょうけど。なんにせよ、ニセ科学で問題になる「いい悪いの単純な二分法」ではダメ、というのはここでも同じですね。
ついでに断言するのはトンデモということですが、関連エントリ「ホルミシスと原子力発電」で取り上げたように、電力会社などがやっていることは、断言せずとも事実上「良い」と臭わせて人々を誘導しているように見えて仕方がないのですよね。一種のバイブル商法というか。マイナスイオン問題と同じですが、メーカーは決して「マイナスイオンが健康にいい」とは言わないわけです。それは別の人々が別の場所で言ってくれる。消費者は、「あ、マイナスイオンが出る機械なんだ、きっと健康にいいに違いない」と「勝手に」判断してくれる、「勝手に」付加価値を見出してくれるわけです。
もちろん、結果的にホルミシスが肯定的な方向で検証される可能性もあるでしょう(マイナスイオンもそれは同じ)。しかし、現状ではまだなんとも言えないわけで、そういう状況で誘導に使う(あるいは商売に使う)のは批判されてしかるべきかと思っています。
最後に奥村さんのブログでmobanamaさんから示していただいた日本語の文献 (PDFです;「放射線影響協会 」というところが出しているのですね)をざっと見てみました。面白いですね。教えていただいてありがとうございます。
疫学の知識がないもので、深くは理解していないのですが、前半の疫学的なところでは、いわゆる線型関係を否定するところまでは行っていないように見えました。やはり低線量被ばくでは影響がそもそも小さいため他の要因と切りわけるのが難しいようですね。
ついでに同じ団体が出している『放射線の影響がわかる本』の内容が、同サイトによって公開 されていました。第2章にホルミシスのことが書いてありますが、うーん、ちょっといい方に書きすぎじゃないかなあ、という印象を持ちました。いちおう最後に、マウスなどの結果を人間にあてはめていいのかどうか、今後いっそうの研究が待たれます、というようなことが書いてはあるのですが…。
後半の作用機序に関するところはとても勉強になりました。動物実験だけでなく、放射線治療を行ったヒトのリンパ球を採取するなどの実験も行われているのですね。遺伝子修復機構を活性化させるということのようですが、こういった実験が積み重ねられて、定量的にリスクが判断できるようになればいいと思っています。ただ、現状ではまだ示唆の段階であるというべきかな、と思います。
最近とみに思うのが、たとえば長崎原爆の犠牲者が7万余、と言われるが、亡くなられた方々のみならず、幸いにして生き残った方々も地獄を見てきたということ(その地獄は被爆直後の惨状だけでなく、その後の周囲の人々の反応や、社会、政治との関係も含むだろう)、そして、その一人ひとりに、「数」では表わされ得ない固有の人生があり、ドラマがあるのだ、ということ。ごく普通に生きているように見えるお年寄りが、実は大変な人生を生きてきたのだ、と思うと、なんとも言えない気持ちになる。
これはまあ原爆に限らず、戦災一般にも言えることではある(東京大空襲とか)。ただし、原爆の独自性は、「その後の人生」において、「被爆」の経験が「後遺症」として現れるのではなく、いつ病気を引き起こすかわからない「時限爆弾」を抱えて生きているということだろう。
その意味で、物理学的に言えば、電磁気力に起因する化学反応の世界(原子・分子の結合・解離の世界)に生きる生物にとって、核力に起因する原子核反応によりもたらされる放射能は、実に異質な「能力」であると言えよう。エネルギースケールもタイムスケールも何桁も違うのである。
核兵器はやはりすみやかに地球上からなくさないといけないと思う。「究極的」に、ではなく、期限を設けて廃絶に踏み出す必要があるだろう。
さて、出張中に気になる記事が出ていた。『読売』 より。
「広島」少量被曝でも、がんリスク高い…名古屋大調査文中、「?」で表示されているのは、「シーベルト(Sv)」のことと思われる。
広島原爆の爆心地から2・7~10キロ離れた場所で被爆し、直接浴びた放射線量がごく少ない人でも、がんによる死亡リスクが高まることが名古屋大などの調査でわかった。
「黒い雨」や放射性降下物などによる内部被曝(ひばく)や残留放射能の影響による可能性が高いと見られる。
今春見直された原爆症認定の新基準では、3・5キロ以内の直接被爆者と、投下から100時間以内に2キロ以内に入った人などのがん、白血病などは積極的に認定されるようになったが、それ以外は個別審査の対象とされ、放射性物質の影響がまだ過小評価されているという批判もある。調査は宮尾克・名古屋大教授(公衆衛生学)らのグループが、日本衛生学会の英文雑誌電子版に発表した。
日米両政府が出資する「放射線影響研究所」の寿命調査データのうち、広島の被爆者約5万8000人分を用い、〈1〉2・7キロ超~10キロ以内で被爆した「極低線量群」(推定被曝線量0・005?未満)〈2〉1・4キロ超~2・7キロ以内の「低線量群」(同0・1?未満)〈3〉1・1キロ超~1・4キロ以内の「高線量群」――の3群に分けた。
これを非被爆者と比較したところ、極低線量群でも、白血病の死亡リスクは男性で3・14~3・15倍、肝臓がんは男性で1・73~2・40倍、女性で1・90~2・65倍とかなり高かった。
放影研が行った従来の寿命調査では、広島と長崎の9万3000人の被爆者と、「非被爆者群」を比較しているが、後者には今回の調査の「極低線量群」が含まれ、被爆者と非被爆者の比較になっていないという指摘があった。
(2008年8月5日 読売新聞)
なにが気になったかというと、例の「ホルミシス」である。ホルミシスとは、被曝線量が小さいと、かえって体にいいのではないか、という仮説である。ラドン温泉はまさにそれだろう(まあ温泉に入ればリラックスして気持ちもいいので、問題ない程度の放射線量だったら、リスクより温泉に入ったということで健康にはいいかもしれないが)。保守的な考えとしては、被曝線量が低く、実証的にリスクと被曝線量との関係がよくわからない領域では、被曝線量とリスクの間には比例関係が成り立つという「線型仮説」が使われてきた。しかし、それは保守的に考えれば、という仮説にすぎず、「しきい値」があってそれ以下ではリスクはゼロという仮説もあれば、ホルミシスのように、逆に健康にいい効果があるとする仮説もあるわけだ。
このあたりのサイト を見ると(「放射線と健康を考える会」のサイト)、0.2Svで0Svと同程度の白血病リスクになり、0.1Svあたりで相対リスクは最低(つまり放射線を浴びない時よりもリスクが低い)ということが仮想されているようである。
ところが、上の記事を見ると、0.005Svでもリスクが高いという結果になっている。つまり、ホルミシスとは真っ向から相対する結果であり、さらに線型どころか0.005Sv(=5mSv)以下のところに「しきい値」があることを示唆しているようにも見える。
むろん、ホルミシス推進側も、一応は実証的に研究しようとしているので、そのあたりの齟齬が今度どう決着がついていくのかは見守らなくてはならないが、いずれにしても、まだ実証されていない効果を実際に効果があるかのように宣伝するのは許されないだろう。原発推進勢力は宣伝の片隅にホルミシスを置くことが多いようだが、ことが命にかかわるだけに(そして被爆者にとってはまさに己の人生と今後の生活にも関わることだ)、強く批判していくことが必要かもしれない。
ところで、爆心からの距離と被曝線量との関係は、どうも指数関数的になっているようなのですが、なんでなんですかね?直感的には距離の自乗に反比例しそうなんですが。γ線と中性子線から被曝線量を計算しているようなので、中性子の崩壊が効いているのかな。半減期を考えると無視して良さそうな気もするのだけれど、中性子崩壊は確かに指数関数的なので、重要なのでしょうかね。
ざっとネットを見ただけではわからなかったのですが、もし御存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただけると嬉しいです。
ホルミシスについては、以前のエントリ「ホルミシスと原子力発電 」もどうぞ。
(2009年1月5日追記)
あの奥村晴彦さんのブログ にコメントを寄せたところ、速攻で返事をいただいた。(^^)
指数関数的減衰の起源は、大気中の原子核との衝突によるのでは?とのこと。確かにそういう気がします。というのは、大気中の原子核密度の空間変化が無視できれば、放射線強度は指数関数的に減衰するはずだからです。
文献もなにも調べずちょっと適当に見積ってみます。放射線強度をI、大気中原子核密度をn、散乱断面積をσとし、放射線は種類に関わらず光速c=3×10^8[m/s]で走るとします。すると、強度の時間変化は
dI/dt ~ -nσcI
程度になります。この解(時刻t後の強度)は、
I ∝ exp(-nσct)
となります。n として1気圧での原子核密度(1molで22.4L)、σとしてごくごく単純に幾何断面積(10^{-15}[m]の自乗)をとってみると、nσc~10^4ぐらいになります。走る時間t は、3[km]走るとすると 3×10^3/c=10^{-5}[s]なので、そうだとすると、強度は10^{-1}ぐらい減りますね。
断面積はよくわからなかったのですが、wikipediaの記述 を見ると、平均自由行程が大気中で220mとあります。そこから逆算してみると、
σ~1/(nl)~1/(3×10^{25}*2.2×10^2)~10^{-28}
で二桁ぐらい大きいようです(質量数がN、Oでそれぞれ14,16で断面積が質量数の2/3乗になること、及び二原子分子であることを考えると、1桁程度は大きくなりそうですが)。これを使うと、強度は(nσct~ct/l~3km/220m~15)
dI/I ~ exp(-15) ~ 3×10^{-7}
となって、3km地点では大半が大気に吸収されることになりますね。もっとも元の中性子量が莫大ですから、影響は明らかにあるでしょうが。
(2009年1月6日追記)
mobanamaさんよりはてブで以下のようなコメントをいただきました。ありがとうございます。
mobanamaさんによる本エントリへのブコメ
名古屋大調査はコントロールの設定が岡山というのが問題っぽい。医原性の肝炎を考慮に入れねば肝がんリスクなど問えまいに。広島市はC型肝炎が多い地域。/ホルミシスを問う以前に線量に対するリスクを考えるべき。また上記奥村さんのエントリへのブコメ
ホルミシス自体はニセ科学ではないが「健康に良い」と断言するのは「トンデモ」。"広島原爆被爆者発がん率等の解析"は広島市に多いC型肝炎を考慮に入れていない点で眉唾。まずコントロールの問題は、たしかにそうですね。バックグラウンドレベルを揃えないと話が変わるので、それはその通りだと思います。私がこの新聞記事に注目したのは、問題意識としてはまさに同じで、いままでの研究ではバックグラウンドレベルと思っていたものが実はそうでもないらしい、という報告だったのが理由です。
ただ、(相変わらず元論文にあたっていないので大変申し訳ないのですが)記事によると肝がんだけではなく白血病のリスクも上がっています。そのあたりはどうなのでしょうね(白血病にも地域差などあるのでしょうか。あるいは肝がんとの相関とか?)。
次に「線量に対するリスクを考えるべき」というコメントですが、なんせはてブで文字数が少ないもんで真意が取れているか自信がないのですが、文脈から、必要以上に放射線を恐れないようにすることの方が重要(放射線の影響を定量的に理解する)ということかな、と受け取りました(違っていたらすみません)。それもまたその通りだと思います。ただし、対象が同じ放射線でも内容が全然違いますから、どちらを優先させるかというのは各自の問題意識によると思います(いわゆる優先順位問題)。もっともホルミシスのような微妙な問題を理解するには定量的な把握ができていないとそもそも何が問題かわからないでしょうけど。なんにせよ、ニセ科学で問題になる「いい悪いの単純な二分法」ではダメ、というのはここでも同じですね。
ついでに断言するのはトンデモということですが、関連エントリ「ホルミシスと原子力発電」で取り上げたように、電力会社などがやっていることは、断言せずとも事実上「良い」と臭わせて人々を誘導しているように見えて仕方がないのですよね。一種のバイブル商法というか。マイナスイオン問題と同じですが、メーカーは決して「マイナスイオンが健康にいい」とは言わないわけです。それは別の人々が別の場所で言ってくれる。消費者は、「あ、マイナスイオンが出る機械なんだ、きっと健康にいいに違いない」と「勝手に」判断してくれる、「勝手に」付加価値を見出してくれるわけです。
もちろん、結果的にホルミシスが肯定的な方向で検証される可能性もあるでしょう(マイナスイオンもそれは同じ)。しかし、現状ではまだなんとも言えないわけで、そういう状況で誘導に使う(あるいは商売に使う)のは批判されてしかるべきかと思っています。
最後に奥村さんのブログでmobanamaさんから示していただいた日本語の文献 (PDFです;「放射線影響協会 」というところが出しているのですね)をざっと見てみました。面白いですね。教えていただいてありがとうございます。
疫学の知識がないもので、深くは理解していないのですが、前半の疫学的なところでは、いわゆる線型関係を否定するところまでは行っていないように見えました。やはり低線量被ばくでは影響がそもそも小さいため他の要因と切りわけるのが難しいようですね。
ついでに同じ団体が出している『放射線の影響がわかる本』の内容が、同サイトによって公開 されていました。第2章にホルミシスのことが書いてありますが、うーん、ちょっといい方に書きすぎじゃないかなあ、という印象を持ちました。いちおう最後に、マウスなどの結果を人間にあてはめていいのかどうか、今後いっそうの研究が待たれます、というようなことが書いてはあるのですが…。
後半の作用機序に関するところはとても勉強になりました。動物実験だけでなく、放射線治療を行ったヒトのリンパ球を採取するなどの実験も行われているのですね。遺伝子修復機構を活性化させるということのようですが、こういった実験が積み重ねられて、定量的にリスクが判断できるようになればいいと思っています。ただ、現状ではまだ示唆の段階であるというべきかな、と思います。
963. SSFS — August 24, 2007 @01:29:49
きくちさんの最近の乱心振りは目に余ります。「社会学玄論」に突如乱入し、http://mercamun.exblog.jp/7306370/
|まあ、おそらくそういう的はずれなことしか書けないだろうと
|思っていましたが、やっぱりだめですね。がっかりです。絵に
|描いたような「駄目な議論」です(2007-08-21 01:11)。
|「僕の意見は理解できないし、スルーされますか。残念です。
|だめですね」(2007-08-21 09:06)。
と、ひたすらブログ主を見下しています。大学の先生がまさかこんなことをしでかすとは予想もしませんでした。下のほうは、意見表出からたった8時間しか経っていないコメントです。ブログ主に向かって居丈高に性急な対応を求める資格が、ご自分にはあると思い込んでいるのでしょうか。
ブログ主の「スルー」が気に入らないというなら、例えば私が#933でうかがっている「ドライヤーの評判でどんな点が良いということを誰から聞いたのか」「濡れた髪にドライヤーを当てたときにどんな作用が起きるか」について、ご自分がスルーし続けていることをどう解釈したらいいのでしょうか。よそで批判していることは全部自分の身に降りかかっているのですよ。
ROMの方向けに、おさらいをしておきます。きくちさんはマイナスイオンドライヤーの効果について「基本性能の向上」が大きいという考え方を示しています。それはもちろんありうる話なのですが、どんな基本性能かを明らかにしたことはありません。
そもそも隣の「マイナスイオン・ドライヤー」のエントリの#80(October 17, 2006 @19:31:59)で下記の松下電工の技報を初めて読もうと予告しています。
http://www.mew.co.jp/tecrepo/79j/pdfs/79_17.pdf
つまり、2002年11月に出た技報の存在を5年間も知らずに、マイナスイオンに対するさまざまな批判を繰り返していたわけです。
そして翌日の#86(October 18, 2006 @23:35:27)で、
|技報を眺めると、使用感(普段使っているものとの差)については
|イオンの有無よりも、本体の基本性能のほうが効いているよう
|にも見えます。
と、急に「基本性能説」を唱えだします。上記の技報で、松下は「マイナスイオンに効果あり」との見方をしているので、少なくともきくちさんが「基本性能説」を有力としたいならば、松下側と交渉をして「マイナスイオン説」を引っ込めさせないことには、「基本性能説」は単なる感想にすぎません。
これ以降、きくちさんは「基本性能説」を持論としました。しかし、松下側と交渉したフシはなく、ほかの文献・データ等をチェックした形跡もありません(もともとその種の資料不足が問題ではありますが)。それはそれで構わないのですが、困ったことには単なる感想を人に押し付けて思考停止に追い込んでいることです。
一番問題だと感じたのは以下のケースです。
http://takanodiary.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post_1002.html
ここではブログ主が「マイナスイオン発生スイッチをオンにしている時の仕上がりがすごくいい」と述べています。それに対してきくちさんは「松下電工の技術報告を見るかぎり、イオンスイッチのオンオフはほとんど効いてません」と誘導的なコメントをしています。きくちさんに心酔(?)したブログ主は「スイッオフにして使用していないので、比較対照実験は皆無ですね(笑)」で満足して終わっています。
これは非常にまずい押し売りです。もしきくちさんが実態に迫りたいなら、ブログ主に予断をもたせず、スイッチオフにした対照実験を勧めるべきでした。ことほど左様に、きくちさんはマイナスイオンドライヤーの科学的な検証に一貫して消極的でした。このエントリを「技術と効果に絞って議論できる項目」と位置づけ、カテゴリーも「サイエンス」としたはずなのに、です。
その後、このエントリにおける、ドライヤーに無関心な投稿者によるストーカー的な振る舞いや的はずれの非難を、きくちさんはたしなめることもなく、むしろ推奨して科学的な検証に幕を引きたがっている様子です。私は、検証によりマイナスイオンの効用が認められてしまう「不都合な真実」を忌避しているのではないかという疑念を差し挟みましたが、依然としてその疑念はぬぐえません。
そしてここにいたって、#932で
|松下は「真剣に」検証しようとしているように見えますが、
|科学的方法になっていないですね
と、技報をこきおろしてしまっています。技報が科学的方法に基づいていないのなら、「基本性能」は有名無実なものになり、無責任な物言いをずっとしてきたことになります。支離滅裂です。きくちさんはそうしたいい加減なスタンスでマイナスイオン、ひょっとしてニセ科学全般に臨んでいるのかもしれません。ROMの方はその辺の雰囲気をぜひ客観的に判断してみてください。
この期に及んで、マイナスイオンドライヤーの仕組みがどうだろうと知ったこっちゃない、というトーンの高飛車な痛々しい投稿があります。ドライヤーのユーザーでもなく関心もない人間にとってはどうでもいいことでしょうが、世の中にはぜひ知りたいというユーザーはたくさんいるはずです。投稿者には彼らの知的好奇心を損なわないような誠実な対応を求めたいのですが、エントリがここまで腐ってしまうと無理な望みかもしれません。
津村さんも言いえて妙です。私が示すところの“懲りない面々”をここまで婉曲表現できるとは。
http://ytsumura.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_79e7.html
|・非専門家も認定活動に協力することで何らかの社会正義
|を実行したとの充足感を得ているようである。