ほたるいかの書きつけ -44ページ目

『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その4 (『Hado』9月号)(追記あり)

(追記)下記の文章に出てくる「クリエイター」は、どうやら「神」や「サムシング・グレイト」と同列の意味で解釈すべきもののようだ。詳細はこの次のエントリ を御覧ください。

 つづき。

(6)人間関係の調和もそれぞれの音の調和から

 まず最初の文。「エネルギーは振動で、振動は音を出します。だから、この世の中は音であふれています。」いきなり間違い。振動はエネルギーを持つが、エネルギーが振動とは限らない。まあそういうと、このヒトは量子力学が云々というまたトンチンカンな言い訳をするんだろうけど。それから、音というのは振動のうちのある特殊なクラス(広い範囲にわたって存在はするけど)なので、振動が音とは限らない。真空中を電磁波という電磁場の「振動」は進むことができるけれど、真空中では音は発生しないですからね。
 この後「ドレミファソラシド~♪」などと唄っちゃうのだが、そのあと「つまりエネルギーは、この音の中にすべて含まれているということです。」とまたまた暴論を吐く。

 さらに「音が高くなればなるほど、質量は小さくなります。」ってわけわからん。その例として、こう言う:「たとえば、弦楽器は質量の高い方から、バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスといった関係になっており、これを『ロー オブ シュミラリティー・相似象』といいます。したがって、私たちの身体は『ミクロコスモス』といわれています。」と言うのだが、ここまで支離滅裂な文章ってそうお目にかかれないと思う。まず、「質量の高い方から」は、きっと「音の高い方から」並べると、質量の小さい楽器から並ぶと言いたいのだろうと思うけど、違うのだろうか。そうですよね、きっと。この雑誌、校正もちゃんとやってないんじゃないかな。江本の言うことは御託宣のごとくそのまま受け取るんだろうか。
 って挙げ足取りはおいといて。低音の楽器がなんでデカイか江本は知らんのかね?低音は低周波だから波長が長く、よって楽器のサイズをデカくするしかない(楽器を構成する物質を伝わる音波の音速が遅くなるような材質を採用してもいいのだけど)。それよりも、江本の好きな「量子力学」(≠「物理学における量子力学」なのはおさえておくべきではあるが)では、高周波の方がエネルギーが高い、つまり質量が大きい(E=mc^2)なのだけど。逆だよ。
 「シュミラリティー」は「シミラリティー(similarity)」の間違いかな。普通、相似「則」と訳すと思うけど。で、この例のどのあたりがシミラリティーを表しているのだろうか。さっぱり理解できん。
 そして、何がどうしたら「したがって」なのだろう。この文章のどこにミクロコスモスを示唆する内容が書かれていたのだ?妄想炸裂としか言いようがない。

 先に進もう(なかなか進めないが)。「♪ドレミファソラシド♪を、同時に鳴らすと、宇宙の音になります。」知らなかった!「これではわかりにくいので、半音を入れて細かくしてみましょう。さらに細かく分けることができます。」確かに細かくはわけてるけど、それで?ますますわかりにくくなったような。
 「日本ではこの1オクターブに含まれる音の種類を、800万としています。つまり日本の古神道の教えで『八百万(やおよろず)の神』というのは、この音のことなのです。」し、知らなかった!!800万の音の種類って何?日本で生まれソレナリに長く生きてきたけど、そんな話は知らなかった!誰がどこで言ってるのでしょうか?で、八百万の神ってのが音だってのもすげえ!

 ここから先は音楽関係の方は要注目である。
 そして、音には仲の良いものと良くないものがあります。仲の良い「ド、ミ、ソ」は、きれいな和音となって心地良く、仲の悪い音「ド ド」は和音しません。これが問題です。これが争いのもとになっているのです。
 私は世界中歩いて、1つのことを発見しました。
 どこの国でも、嫁と姑は仲が悪いものです(爆笑)。人と人が近くにいて、考えが違うと、違う音を出し合っていることになるからです。この2つは共鳴しませんから、フラストレーションを起こします。
…ツッコミどころ満載である。順番に行こう。
 江本さん、「和音」って何か御存知?「きれいな和音」(しかしこのヒト「きれいな」が好きだね)だけで良い音楽が作れると思う?いま話題(かどうか知らないが)のマーティ・フリードマンなんて、その昔「カコフォニー」なんてバンドやってたんだよ(脱線が過ぎたか^^;;)。それに「ド ド」ってどういうつもりで書いたのかわからないけど、「和音しません」ってどういうことだろう?それに比喩的な表現で言うならば、「争いのもと」があるからこそ、楽曲というのは展開し響くのではないのだろうか。こんな安直な音楽理論を披露しちゃって困ったね全く。
 それに、どういう和音が心地良いかってのは、それこそ文化で決まるもんですよね。いまの日本で短調が「暗い」とされるのは、西洋音楽が入ってきたここ100年ぐらいの話で、それ以前は、民謡に代表される短調の曲で、みんな盛り上がってたわけだから(という理解で正しいですよね?)。ここは文化相対主義の立場からも徹底的に批判すべき部分ですぞ。
 そして、最後の部分、これは恐ろしいですよ。この社会では、違う考えを持っちゃいけないみたいだ。違う考えを持った人々が、互いを認め合って、批判すべきところは相互に批判しつつ、協力して生きていくのが民主主義じゃないのか?これ、船井系に典型的なのだが(京セラの稲盛なども凄いようだが)、意図してかどうかはともかく、現状への不満は持っちゃいけない、というイデオロギーなんですよねえ。うまくいかないのは何でも自分のせい、会社と違う考えを持っちゃいけない、そんなのは争いのもと、と。かなり危険な思想だと思うのだけど。

 この後の段落では、「このような(440と442ヘルツの組み合わせ)では、クリエーターは何も作ることはできません。だからクリエーターは、仲の良い音の組み合わせだけで、いろいろなものをつくってきました。」と述べているのだが、これって「クリエーター」に失礼だよねえ。

 そして危険度はますますアップする。
 太陽からは、惜しみなく情報が送られてきます。たとえば、アルファベット。この音の共鳴する音同士を組み合わせることのできるクリエーターは、アルファベットでいろいろなものをつくりました。
 そして、振動の伝達がもっともすばらしいかたちで伝わる海で、生命をつくりました。そしてだんだん複雑な生命が生まれていきました。
 最終的につくられたのが人間で、美しく、カッコよくできあがりました。(江本会長の写真に会場は大爆笑!)
(略)
 ですから、人間の設計図を見ることができたら、いかに美しい言葉がいっぱい詰まっているか、想像できます。
アルファベットが太陽から送られてくるっていったい何なんだ。これ、講演聞いてた人(と、『Hado』の読者と、編集者)は変に思わないわけ?アルファベットの音の共鳴する音同士ってどういうこと?日本語の単語が並んでいるはずなんだけど、完全に理解不能な文章だ。

 言葉の乱れは、私たちの精神を乱し、身体を乱し、社会を乱し、国を乱し、世界を乱し、宇宙を乱していきます。
 (略)
 今の世の中、言葉が非常に乱れていて、危機感をもっておられる方も多いかと思います。しかしこれを是正するのは、それほど難しいことではありません。
 親や先生が、子どもたちに美しい言葉を使うように教えていくことによって、すばらしい地球を取り戻すことができるでしょう。
江本さん、あなたの支離滅裂な言葉によって、私の頭が大混乱なんですけど。
 親や先生が子どもたちに「美しい」言葉を教えるのが大事なのは良いのだけど(なにが「美しい」かは措いといて)、それはより良いコミュニケーション(広い意味で)のためであって、それがあって初めて地球が云々と言えるはずなのだ。これは「水伝」そのものの思想と同じなのだが、「言葉」が一足飛びに物質に影響を与えてしまうというものだから、こんなとんでもない飛躍が入り込んでくる。

(7)カラオケタイム
 ここで、江本がイキナリ歌い出すのだなあ…。ドレミの唄も歌ったらしい。ドレミが歌えれば、何でも創ることができる、って、比喩と現実がごっちゃになってる。「神様が私たちに与えてくれた、ものすごい才能なのですね。」いやそうじゃないだろう。そうじゃないという意味は、歌が直接なにかを作るんじゃなくて、歌によって心が揺さぶられ、それが私たちの思想や行動に反映される、そういう高度な精神活動がものすごい才能だろう(誰が作ったかは別にして)。なんというか、何度も言うけど、自然観がホント薄っぺらいんですよねえ。

 で、ここで音楽を聴かせた蒸留水の結晶を紹介していく。「ドイツに敬意を表し『ベートーベン』。でも水は『ベートーベンよりもマリア・カラスの方が好きよ』と言っています(笑)。」…絶句。「写真を見ずに見せます。マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン……。水は、美しい女性が好きなようです。私と同じですね(爆笑)。」ひどいよね。外見の「美しさ」(あくまでもカッコつきで)で、結晶の形が決まる、つまり善悪が決まると言ってるんだよね。これは「水伝」が批判されなければならない要素の本質的な一つであるけれど、外見の美醜で善悪が決まるということを江本勝という人は言ってるんですよね。「子どもたちがいい言葉を使うようになればいいじゃない」なんてのんきなことを言っていていいんですか?その延長線上には、こういう思想があるんですよ。

***

というわけで、ようやくあと1ページを残すところまでやってきた。次回でこの記事についての連載は終わるかな。

現代の弾圧・茶色の朝、か…

あまりにひどい「事件」だと思うので、以下の記事、全文載せておく。

 メディアはもっと取り上げるべきじゃないか?これでも日本は「自由の国」と言えるのか?言論の自由は?政治的自由は?どこがいったい保障されているというのだろう。公務員の政治活動・選挙活動の規制自体どうかと思うが、今回の場合、公務員としての職権とも関係ないし、第一公務員であるということがわからないような形での活動だったのだから、これはまさに「弾圧」であると言っても過言ではない(動いたのが公安だし)。

 こうやって上に追随してると裁判所では出世できるんですかね。日本社会の「自由」と引き替えに自分の出世を取ったのか。


 ついでに言うなら、役所ぐるみ選挙をやってる幹部の方をなんとかするべきじゃないのかね。日本では、まだまだ闘い取らねばならない自由や権利が多いのだと改めて思う。

 以下の記事へのリンクはこちら
 関連する別の記事へのリンクもはっておく。
   「公務員の権利を無視/時代錯誤で不当な判決/日本共産党 市田忠義書記局長が談話
   「主張/世田谷国公法弾圧事件/国民のビラ配布の権利守ろう

2008年9月20日(土)「しんぶん赤旗」

世田谷国公法事件

ビラ弾圧に屈しない

宇治橋さんに不当判決 東京地裁


 厚生労働省職員だった宇治橋眞一さん(60)が休日に職場から離れた場所で「しんぶん赤旗」号外を配り、国家公務員法違反の罪に問われた事件の判決公判が十九日、東京地裁でありました。小池勝雅裁判長は、ビラ配布が「公務員の政治的中立性に抵触する、強い違法性を有する行為」だとして、求刑通り罰金十万円の実刑判決を言い渡しました。宇治橋さんは不当判決として控訴します。


 公判で検察側は、郵便局職員の選挙活動を違法とした猿払事件最高裁判決(一九七四年)に全面的に依拠して、宇治橋さんの行為の違法性を主張していました。

 この日の判決は猿払判決について「有力な学説からも厳しい批判が加えられている」としながらも、「合理性を欠くとはいえず、同種事案の解決の指針として確立している」と論述。「下級裁判所としては同判決を尊重すべき立場」だと述べました。

 その上で、宇治橋さんの行為を「政治的偏向の強い行為」だと指摘。こうした行為が「自由に放任されると、公務の運営に党派的偏向を招くおそれがあり、行政に対する国民の信頼が損なわれる」と、猿払判決の論理をほぼ踏襲して述べました。

 弁護側は公判で「勤務時間外に私服でビラを配っただけ。なんら犯罪行為ではなく、行政の中立性を損なう危険もなかった」と無罪を主張していました。

 この点について判決は「公務の中立性が具体的に害されなかったとしても、(政治的行為を禁じた)国公法の規定を適用することは違憲ではない」と断言。国家公務員の表現の自由が制約されるとしても「間接的、付随的なものに過ぎない」としました。

 この事件では、警視庁公安総務課が捜査の主体になりました。弁護団は「日本共産党を対象とした違法捜査だ」と指摘しましたが、判決は「(本件が)捜査機関の日本共産党に対する差別的な取り扱いに基づくとはいえない」と述べ、公安警察の捜査を追認しました。

“検察の言いなりだ”

 「不当判決に抗議する」「ビラ配布の権利を守れ」―。世田谷国公法弾圧事件で「不当判決」の垂れ幕が掲げられると、東京地裁前に怒りのシュプレヒコールがこだましました。

 毎回のように傍聴に訪れ、裁判を支援してきた元国家公務員の女性は、「ビラ配りが犯罪なんてどう考えてもおかしい。勝つまで応援していきます」と話しました。

 判決後、地裁前で行われた抗議集会では、宇治橋眞一さんが「検察官の言いなりの恥ずかしい判決です。裁判所の良識が問われます。無罪判決を勝ち取るまでがんばります」と力強く訴えました。

 弁護団の小部正治弁護士が「血も涙もない最悪の判決だ」と判決内容を厳しく批判しました。

 参加者の一人、東京都品川区の男性(62)は「判決は政治的なビラまきを委縮させることが狙いです。絶対に負けるわけにいきません。みんなでどんどんビラをまいて、きたるべき総選挙にも勝利し、不当判決をはね返したい」と語りました。


控訴審ではぜひ勝ってほしい。

『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その3 (『Hado』9月号)

 前回、前々回からのつづき。

(5)共鳴することによって生命の振動は続く
 早速トンチンカンな論理。
 地球上のエネルギーの素であるバイブレーションは、太陽から注がれているので、太陽の恵みだといえます。ですから、どんな宗教でも太陽を第一義としています。
 地球のエネルギーの素は太陽エネルギーである(地熱は除く)。だから、太陽の恵みだし太陽を第一義とする宗教が多いというのも納得できる。しかし「バイブレーション」なるものは地球上のエネルギーの素、ではない。決してない。

 この太陽エネルギーを隅々まで届けるのは、江本も述べているのだが、確かに水である。海流にせよ大気(には水蒸気が含まれるので)の運動にせよ、水の大規模な流れがエネルギーの配分に大きく関与しているのは間違いない。ところが、「だから私たちは、水をたった一日飲まないだけで死んでしまうのです。」というのは論理の飛躍がひどすぎる。

 さらに飛躍は続く。
 私たちの身体は、60兆個もの細胞でできています。それぞれ微妙に役割が違い、微妙に違うバイブレーションをもっています。
 その細胞たちも、いつまでも自分で振動し続けることはできません。30日も共振エネルギーを送らなければ、止まってしまうでしょう。
 細胞たちは、エネルギーが不足してくると「もっとエネルギーをください」とご主人に頼みます。そのとき「お腹が減った!」と思い、食事をするのです。
 ですから食事とは質量を口にしているわけではなく、いろいろな違った周波数のエネルギーを食べているわけです。だから、いろいろな種類を片寄らないように食べる必要があるのです。
…江本の文章の要約が難しい、というのがおわかりいただけるだろうか。最後の文章を見てほしい。「ですから」に続く文は、「質量ではなく色々な周波数のエネルギーを食べている」である。質量という言葉で何を伝えたいのか理解不能だが、とにかく「周波数」で表されるエネルギーを摂取している、と言いたいのであろう。いずれにせよ、接続詞の前後が内容的に無関係なのに、強引に「ですから」などとつなげるものだから、読んでて頭がクラクラするのだ。
 この部分の内容についての問題をまとめよう。食事で摂取するエネルギーは分子の結合エネルギーに由来するから、質量を持つ分子を摂取しなければエネルギーは摂取できない。つまり質量とエネルギーを対置することは無意味。これが一点。次に、たしかにエネルギーは原理的に周波数で書ける(E=hνという意味で)が、次元としてそう書けるというだけで、まったく無意味である。したがって、ここで「周波数」を出すのも無意味である。これが二点め。要するに、「波動」につなげたいだけというのがミエミエである。
 いちおう前に戻って指摘しておくと、細胞のバイブレーションも意味不明だし(生物学者ならば細胞の通常の振動をイメージするだろうか)、共振エネルギーというのもまったく理解できない。おそらく、食事で摂取したエネルギーの「周波数」と「共振」することによって細胞にエネルギーが与えられるとでも言いたいのだろうが、そんなことを言う前に中学レベルの生物でも勉強しなおすべきだ。

 さて、ここまでで十分頭をぐちゃぐちゃにされたと思うのだが、ここからはまさに異次元の世界である。2012年をまたずにアセンションですよ!
 人は、腎臓、肝臓、肺臓、膵臓、脾臓、と5つの臓器をもっていて、それぞれに5つの色、五行の法則があてはめられています。
 肺………白い色の食べ物
 心臓……赤い色の食べ物
 肝臓……緑色の食べ物
 脾臓……黄色い食べ物
 腎臓……黒い色の食べ物
が必要です。
 色にも周波数があり、水がその周波数のエネルギーを体の必要な箇所へ届けてくれるわけです。
 食事のバランスが悪く、余分なものを食べたりしていると、病気や肥満になるのは、いろいろな周波数を持つ食べ物を、まんべんなく食べていないからです。
これ写してて気がついたのだが、最初に挙げた5つの臓器と表のように挙げた5つの臓器が違うよ!!膵臓がどっかいっちゃって、心臓に変わってる!!ムチャクチャや。
 色も様々な周波数の電磁波の重ね合わせであるが、その周波数と、「食べ物の周波数」ってどれくらい違うか計算してみた方がいいんじゃないか?「食べ物の周波数」を物質波の周波数だとすると、とんでもなく高い値になるぞ。それとも、栄養素を分解して得られるエネルギー(何キロカロリーってやつ)のことなのか?それだって周波数にしたらものすごいぞ。1000kcalを摂取すると、ν=E/h=10^6*4.2[J]/6.6*10^{-34}[J s]≒10^{40}[Hz]ですよ。
 そして、そして、自戒を込めて言うが(ぐっ、、、)、肥満になるのは消費エネルギーより摂取するエネルギーが多いからだ。まんべんなく食べたって、必要な量の10倍食べてりゃ肥満にもなるし病気にもなる。

 ここから上で述べたことの説明に入る。
 すべてこれは共鳴の論理です。細胞は、同じ周波数のものを補充してあげると、いつまでも元気でいることができるわけです。
 太陽からエネルギーをいただき、それを水が媒介し、いろいろなエネルギーを与えているのです。
 夕立ちの後に現れる虹。これは、水の中にある色という情報・エネルギーがあるという証拠です。
 この世の中は、エネルギーで満ちあふれています。太陽の光の中にも、水の中にもあふれています。
共鳴の論理なんかではない!細胞がいつまでも元気でいるって、生物学の方、なんか言ってやってください。
 色ってなにかわかってるのかな、このヒトは。この世はエネルギーで満ちあふれているけど、それは江本が言っているような形であるわけじゃないのです。

***

次の節が長いので、今日はここまで。
あああ、負け犬パルス((c)島本和彦)に共鳴してしまいそうだ。

『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その2 (『Hado』9月号)

前回のつづき。

(4)言葉には振動がありエネルギーを持っている
 「『何故、水が文字を見て、そして言葉の内容によって、美しくも汚くもなるのでしょうか?』『ご飯やイチゴも、何故、こういうことになるでしょうか?』(ママ)と言われます。」と冒頭に述べる。で、これは前回紹介したように、(1)節の末尾で「水伝4」に答えが載っていると江本自身が述べた。しかし、またここで同じ問を繰り返す。このように、江本の文章は、論理が一貫しておらず、あちこち行きつ戻りつしかも脈絡なく続くので、論旨を理解するのが大変困難なのである。
 で、その答えは聖書にあるのだそうだ。江本パワーを実感していただくために、少々長くなるが、引用しよう。
 聖書の冒頭には「初めにことばありき」とあります。
 言葉はバイブレーション、振動です。そしてバイブレーションはエネルギーです。
 日本語の「音」。この文字は「日が立つと音が来ますよ……」と書きます。エネルギーであるバイブレーションは、必ず音を出します。私たちには、ある一定の音しか聞こえませんが、どんなものでも音を出しています。
 百合の花には百合の花の音があるはずです。この花の音に共鳴すると、花が元気になります。
 バイブレーションは1人で長続きすることはできないのです。自然に止まってしまいます。ということは、「生命」の音も、いつか自然に止まるということです。

 音叉の音も、叩くと振動を始めますが、いつか止まってしまいます。今、音が止まりましたね。ご臨終です(爆笑)。
 しかし、同じ周波数の仲間がいると、復活させることができます。一方が鳴りやんでも、もう一方を鳴らすことによって、再度、鳴り始めるのです。これが「生命」の原理原則です。
 百合の花も、あと数日後には振動しなくなります。でも心のやさしい人が、この花のバイブレーションを感じ、その音に合わせながら百合の花に向かって、
 ♪お~、アイラブユー♪(爆笑)。と歌ってあげると、またバイブレーションを始めるわけです(拍手!)
 ですから、庭の花がいつも元気な家は、いつもお花に語りかけているからきれいなのです。
この破壊力、実感していただけただろうか。
 「音」という漢字の成り立ちについては詳しくないので、ぜひ専門家の方のフォローをお願いしたいところであるが、とにかくわけがわからない。さらにわけがわからないのは、その説明のために図が付いているのだが、それはこんな感じだ。
---
  立 立→RISE, STAND
  日 日→THE SUN
 SOUND
 太陽があって、音があります。森羅万象、すべてのものは音を出しています。
---
『Hado』の読者はおそらく「納得力」の高い方々であると推察されるので、これでなにか納得してしまうのだろう。
 なんというか、江本の理解では、「振動」「波動」ってのはすべて音波である、となっているのだろうという気がする。縦波・横波の区別もついてないんじゃないだろうか。電磁波も、その振動数に応じた音を出していると思っているのではないか?
 普通の人が、こういうことをわからないのは別に問題ではない。しかし、こうやって多くの人に影響を与える立場で発信する場合、やはり自分の言動には責任を持つべしというのは基本だろう。せめて高校レベルの物理でいいから、きちんと理解して語って欲しいものである。ま、理解しちゃうと過去の自分を全否定することになるので、全力で理解を拒否するだろうけど。

***

ちょっと短いですが、今日のところはここまで。
 しかしアレですな、『Hado』の紹介は疲れます。きっと、悪い波動が出ているに違いない。:p

『共鳴によってのみ生命の音は振動し続ける』その1 (『Hado』9月号)

 大仰なタイトルと思われたかもしれないが、これ、『Hado』内の記事のタイトルである。羊水について触れた記事だ。正確には、『江本勝 ドイツ・ハンブルグ版 誌上セミナー』というのが頭につく。『水伝4』発刊記念ということで、ドイツで講演してきたそうだ。その報告が、この記事である。

 とりあえず、記事のリードを引用する。
 ―去る6月21日、4年ぶりになる待望の水の結晶写真集第4弾『水はことばの鏡』の発刊を記念して、ドイツのハンブルグでセミナーが開催されました。振り返ると『水からの伝言Vol.1』は、ヨーロッパから火がついたのがきっかけとなり、全世界で知られるようになりました。今では45カ国語に翻訳されています。
 皆様もご存知のように、昨年、江本会長はアメリカでドクターストップになり、しばらく日本国内で療養生活をしていました。しかし、皆様の温かいご声援のおかげで身体もすっかり回復し、以前と同様、世界行脚を開始しています。
 水の伝道師として原点となるドイツで行われましたセミナーをお送りいたします。
私は『水伝』が広まった経緯の詳細を把握していないのだが(TOSSが広める以前の段階の話)、もしこれが本当だとすると、「東洋の神秘」的な、まさにニューエイジ的な受け止めだったのだろうか。

 さて、以下、7ページにわたって記事が続く。女性校長会の記事が2ページであったことを考えると、こちらの方が内容としては一見「充実」している。しかし、はっきり言って、内容を理解することは不能である。断片を無理矢理関係づけて強引に一つのストーリーに仕立て上げ、ソレっぽいキーワードが出てくるまっとうな話を自説の補強材料にしてしまうアクロバットの連続だからだ。
 そこで、本エントリでは、記事の小見出しに番号を付け、小見出しで分けられた節ごとに内容を紹介していきたいと思う。

(1)水が言葉に反応する その答えがここに
 まずは講演の冒頭である。この「セミナー」は江本一人の講演ではなく、スピーカーが3人だそうである。江本以外の人物については触れられていないが、「ドイツ語、英語、そして日本語の私です」と述べているので、あとの二人は日本人ではなさそうである。セミナー主催者は「コーハ出版のコンラッドさん」だそうだが、どういう出版社なのだろうか。
 「すでに70カ国を訪れ、1000回以上のセミナーをしました」そうだ。アル・ゴアなみである、と誇っている。しかし、「ゴアさんはノーベル平和賞を受賞され、とても良かったですね。私は今もって、日本では、科学界や物理学会の一部から非難され、叩かれています。神様は不公平だなぁ(笑)。」神様にもっと「ありがとう」って言わなきゃ!それはともかく、(ゴアへの評価は措いといて)この過大な自己評価はなんなのかね。
 この節の残りの部分を引用しよう。
 皆さんが最初に興味をもっていただいたのは、言葉によって水が変わるということでした。なかには、
 「水が言葉を読めるわけはない、お前は何とインチキなことを言うんだ!」と言う人もいました。
 当然、開発者として反論をする必要があり、一生懸命その理由を考えました。
 その答えをつい10日前に日本で出版した『水からの伝言Vol.4 水はことばの鏡』という本の中で述べています。まだ日本語だけで、英語にもなっていません。今日の話をお聞きになり、この本がぜひ欲しいという方は、先ほどご紹介したコンラッドさんに「まだか?」「まだか?」と聞いてください(爆笑)。
コンラッドさんには「ありがとう」と言ってあげた方がいいんじゃないか、というツッコミは措いといて。
 一つ目のポイントは、江本がファンタジーだのポエムだの言おうと、「水は言葉を読めるのだ」というのが彼の主張である、ということだ。つまり、「科学的に分析すれば、水が言葉を理解していることがわかるはずだ」、つまり『水伝』の主張は科学で証明されるべきものだ、ということである。従って、江本が科学の土俵に上がってきた以上は、あくまでも科学のルールにのっとって、徹底的な批判をすることになる。自らの主張の正しさを示したければ、きちんと論文を書き、コミュニティ(信奉者内部ではなく)で認めさせる必要がある。もちろん、江本がそんなことをするはずはなく、絵本を小学校に配ったりして、空気を醸成していくわけだ。
 つぎに、どのような反論が『水伝4』に載っているのか、ということが気になるだろう。
 反論などあったかな?と思った私は、再び『水伝4』を開き、該当部分を探してみた。どうやら、「はじめに」に書かれていることが、江本にとっては「反論」らしい。そこで、「公正さを保つため」(笑)、江本の反論も載せておこう。
 なぜこの様な現象となるのか?という事について、この様な事を世界で始めて(ママ)発表をし、多大の共感者を得た者としての責任上、私はこの10年間、一生懸命これを考えてきました。そして前述したように世界の多くの国を訪問してきた体験から、その答えは既に各宗教の教えにあるということに気がつきました。
 例えば
キリスト教・・・はじめに言葉ありき
イスラム教・・・その経典「コーラン」に書かれている言葉の絶対性
仏教・・・真言(マントラ)
ヒンズー教・・・サンスクリット言語、オウムと言う言葉の響きの絶対性
神道・・・言霊

 そして私はこれらのカテゴリーに共通している言葉を捜してみると、すぐに「振動」という言葉に行き当たりました。もちろんこれらの宗教の教義は、原点追及の結果得られたものばかりですから、「振動」というより、その原点、すなわち「光」であり、「波動」です。これは現代物理学が追い求めている「量子」の世界の事でもあるでしょう。
 いずれにしても、「言葉」とは一体何であるのか、ということの解明は、人間とは一体何者であるのか、という事を解明する為の必須条件になると私は思います。そしてその言葉と水との関わりは一体どの様な事なのかも、同じように、人類がいずれは解明しなければならない重要課題と考えます。
 私が行ってきた、水に対しての文字見せや、写真を見せ、音楽聴かせ、そして祈りを捧げる実験の結果は、きっと将来科学者が、この課題について取組んでくれる時の、大変重要な参考資料となると思います。
というわけで、江本自らが「水伝」は科学だ、と宣言している(この後に、この本をベンベニスト[文中ではバンベニステになっているが]に捧げる旨書いてあるのは今回は措いておこう)。
 まあツッコミどころ満載の「反論」であるが、ちょっと見るだけでも、(あ)どうして「振動」が共通のキーワードになるのか、(い)「振動」の原点が「光」であり「波動」であるとは一体どういうことか、(う)そんなものは現代物理学が追い求めている量子の世界とは関係ないのだが、どこの世界の物理の話か、(え)言葉と水の関わりがどうして重要課題なのか、等々、疑問がテンコ盛りである。こんなものが反論になるなら、なんのために査読誌があって、レフェリーとの壮絶な闘いを繰り広げなきゃならんのだ。
 結局、江本の「反論」なるものは、「論」にはまったくなっていなくて、単に思いつきを並べただけのものであることがよくわかるであろう。思い込みと妄想の産物でしかない。

(2)「私たちは水です」大切なのは子どものころからの言霊教育
 「ナマステ」を見せた水の結晶だの「天使」「悪魔」「おふくろの味」「インスタント食品」だのを見せた水の結晶の写真の紹介。「悪魔」の写真って、「天使」の時の結晶がとけかけただけなんじゃないの?という気もするが、それも措いておこう。どうせ統計的には無意味なことだ(詳細はテーマから「水からの伝言」を選んでください。過去のエントリで統計についても少し取り上げています)。
 そして、最後にサンスクリット語で「シヴァ神への祈りの言葉(サンスクリット語)」を見せた水の結晶の写真を紹介。「この写真集を見て、若い女の子たちが、毎朝、鏡を見て自分に向かって「あなたは、とても美しい」と言い始めているそうです。だんだん世界中の皆さんが、自分が水であることを認識し始めたようです。」だと。まあポジティブな自己暗示をかけて己に自信を持って生きるのは、適度であればいいんだろうけど。みんながみんな、鏡に向かって「あなたはとても美しい」と語っている光景は、ちょっと想像したくない。

(3)お腹の中の赤ちゃんに語りかける胎教の大切さを伝えよう
 「そんなこともあって、私は胎教に興味を持ち、今、韓国のお医者様と研究を進めています。」という文でこの節は始まる。「そんなこと」って何だ?と思うのだが、「若い女の子」が自分に語りかけているのだから、胎教で赤ちゃんにも語りかけよう、ということか。
 ここで、先日のエントリで触れた、羊水(を「ホメオパシー溶液の倍率である5万倍に薄めた水)の結晶の話が出てくる。
 ブクマコメでダフトパンクに触れていた方が複数いらっしゃったので、正確に引用しておくと、「次はダフトパンクというグループの電子音楽を聴かせました(笑)。たしかにこれはこれで良いのですが、少し落ち着きのない子なるかもしれませんね(笑)。」(ママ) この写真、細かい6角形の角板がたくさんつながっているような写真になっていて、だから「落ち着きがない」なのだろう。なんと強引な。

***

まだ2ページちょいしか紹介していないのですが、長くなったので、続きはまた次回に(すいません)。小見出しだけ紹介しておきましょう。
(4)言葉には振動がありエネルギーを持っている
(5)共鳴することによって生命の振動は続く
(6)人間関係の調和もそれぞれの音の調和から
(7)カラオケタイム
(8)水はエネルギーをもっている それは現代科学ではタブー
(9)新たな科学の幕開け 多次元世界が立証される?
とりあえず羊水の部分は紹介しました。ここから、どんどんディープな世界に入っていきます。乞うご期待!

***

経験上、この手の話はどう説明しても誤解する人がいるので、あらためて明確に書いておきますが、「水からの伝言」はその前提が間違っています。言葉(や音楽や絵や「波動」)は、水の結晶形に影響を与えることはありません。膨大な実験が、それを示しています。
 ましてや水に道徳を教わるなど人間の尊厳の否定もいいところです。「お水様」に教えを乞うぐらいなら、自分の頭で考えましょう。人間は考える葦、なのですから。