ほたるいかの書きつけ -42ページ目

関東地区女性校長会の件・続報(追記あり)

(追記その1[10/5])詳報が出ましたね。こちら
(追記その2[10/5])小学校の実情を知る上で、こちらのブログ が参考になる気がします。社会から学校を切り離してはいけないんだろうなあ…と改めて思います。色々な意味で。小学校の先生ってすごいですよね。

 水伝がニセ科学である旨、件の校長には伝わったようです。こちら。
 これをきっかけにして、校長会に限らず、現場の教師たちが自ら深く多面的に考えられるようになるといいのですが。

 その一方、学校といえども社会の縮図なので、社会が荒れれば学校の中も荒れる。その中で一所懸命なんとかしようとしている先生たちの善意を、間違った方向に向かわせないよう、どう支援していけばいいのかというのは、本当に大事だろうと思います。
 とはいえ、私がここでできることは、ひたすらウェブ上でニセであるということを書くだけではあるのですが。「検索さえしてくれれば、ニセであることがわかる」という状況にもっていく。
 検索をしよう、あるいは、検索をして確かめた方がよさそうだ、という発想に持っていくにはどうしたらいいのですかね。

 本質的には、教師にゆとりがあって、自主的な研修もする時間があって、もちろん子どもたちと向き合う時間もあって…というようにしないといけないんでしょうけど。ニセ科学であるということを伝えると言うのは、ある意味、対症療法なんだと思うんですよね。教育という面から見ると。
 前にも書いたと思うのですが、ニセ科学問題って、ホントに世の中の深い部分と密接な関わりがあって、現代の病理を反映していると思うのですよ。もちろんニセ科学自体は昔からあったわけですが、どういうニセ科学が流行るかってのは、その時代をおそらく反映している。だから、世の中をなんとかしないとどうしょうもない部分ってのがたぶんある。そこを抜きにして、現場に一切の責任を負わせるような風潮は、やはり問題の解決にはならないと思うわけです。無論、バカだのなんだのと切って捨てるのは、たぶん逆効果で、悪循環に陥るだけだと思います。

 私の狭い範囲の経験ですが、教師って、ウソを教えてはいけないということはとても強く思っているんですよね。だから、逆に「これはウソかもしれない」と思わなかったら、調べないのは当然なわけです。じっくり考えれば、「ん?ヤバいかもしれん」と気づくかもしれないけど、色んなものに追われていれば、表面的な結論(いい言葉を使いましょう、みたいな)に飛びつき、深く考える前にそれをどう使って話を組み立てるかという発想にどうしてもなる。

 基本的には、子どものためになる教育を皆さんしたいと思っているわけですから、いい方法って必ずあると思うんですよね。でも、それが何かはわからない。とても難しい問題。「ニセ科学と教育」という視点で考えると、本質的な問題の一つなんでしょうね、きっと。

ある実験:ニセ科学批判の方法

 前回のエントリで触れた、amebloに開設されている掲示板、血液型で本当に性格わかるの? 投稿者:まりあさん
に4回コメントしました(既にコメント数300という制限に達し、現在は書き込みできません)。
 そのコメントを以下に掲載しますが、書き方をだいぶ変えました。その理由について述べ、考察をしていきたいと思います。ちょっと長いエントリになりましたので、最後に【まとめ】を置きました。

 本題に入る前に、なぜこの掲示板に私がコメントする気になったか、ですが、それは単に「たまたま」です。amebloユーザーのトップページには、その時のホットな掲示板が自動的にいくつか表示されるようになっていて、タイトルに反応してクリックしたら、ちょっと一言コメントしておいた方がいいかな、と思うようになった、と、まあそういうわけです。

 まず最初のコメント(番号が変ですね。スクリプトがおかしいのかな?)。

22 FSM さん(引用者注:元は72番です)

前の投稿でもどなたかが書いておられましたが、血液型と性格に一目でわかるような強い相関はないということが、大規模な調査により判明しています。統計調査なので、よくよく調べたら弱い相関はあるのかもしれませんが、日常生活で「使える」ような相関はない、ということです。

 まあ全員に「あなたA型?」と聞けば、平均して4割の確率で当たる(日本人の場合)ので、それ以上の高確率で当たらないとダメですよね。

 いまでは、心理学関係の研究成果として「なぜ無関係なのに関係があると思ってしまうのか」ということも結構わかっていたりします(「バーナム効果」とか)。さらに恐ろしいことに、「自己成就予言」と言って、本当は無関係なのに「自分は○型だからこういう性格のはず」と思いこみ、そのように行動してしまうという可能性が指摘されています。

 というわけで、血液型性格判断は、かなり罪作りだと思いますよ。

 それと、仮に免疫系などに血液型の影響があるとしても、そこから性格につなげるには数ステップ必要ですよね。まあ結果としては上で書いたようにほとんど関係ないということがわかっちゃっているわけですが。


 興味のある方は、このエントリのリンク先をたどってみてください。

 http://ameblo.jp/fireflysquid/entry-10099259360.html

ここでは、要点だけを簡潔に述べるようにしました。普通、私が書くように書いています。
 これにたいするスレ主さんの返答。
23.まりあ さん(引用者注:元は73番です)

72さん

ありがとうございます。

今チラッとBPOあたりを読んできましたが、基本的には推奨していないことが解りました。

植えつけられた意識が確信となるのは怖いですね。

嬉しいですね。ちゃんと伝わっています。

 ところが。しばらく時間がたってから続きを読んでみたのですが、コメントされる方々の多くが、それ以前のコメントをまったく読まずに自分の経験や思い込みだけを根拠に書き込みをされているのに気付きました(というか、見てしまった、というか…)。いえ、ちゃんと書かれている方もいるんですよ。フツーに議論ができそうな感じで。だけど、結構な割合のコメントが、ね…(脱力しても明日に響かない方はどうぞ掲示板をお読みください^^;;)。
 で、こりゃいかんと思って、改めて書き込んだものがコレ。
106.FSM さん(引用者注:元は156番です)

72で書き込みをしたものです。

主のまりあさんには伝わったようで安心していますが、その後の議論もふまえて、少し補足します。


(1)客観的事実としては、血液型と性格に、日常生活で使えるほどの関係はありません。1万人規模の統計調査によって明らかになっています。つまり、統計学として、関係がないことが分かっているということです(肯定側の統計調査はズサンであることも知られています)。血液型と性格の関係を信じる信じないは自由ですが、事実としては「関係がない」です。人は間違ったことを信じる自由がある、と言う意味で、信じたい方は信じればいいと思います(間違ったことを広められるのは困りますが)。


(2)関係がないのについ信じてしまう心理学的効果が研究されています。バーナム効果やフリーサイズ効果といったキーワードで調べてみてください。実感したければ、肯定する本のうち、自分の血液型と違う血液型について書いてある部分を読んでみてください。当てはまることが多いはずです。

 また、もっとわかりやすい例としては、「錯視」があります。目で見る錯覚ですね。以下のウェブサイトはとても面白いので、眺めるだけでもおススメです。 私たちの感覚がそう当てにはならないことがわかると思います。

http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/


(3)飲み会の席での潤滑油として話題となるのまで頭ごなしに否定はしませんが、一方で、一部では深刻な差別につながっていることも知ってください。血液型で職場の配置を決められてしまったり、さらにひどい場合には就職の面接で血液型を訊かれる場合もあるといいます。


興味のある方は、「ニセ心理学にだまされるな!」(古澤照幸、同友館)がとてもわかりやすくておススメです(血液型の話だけではありませんが)。帯には「ananの読者よ目覚めよ!」とあります。(^^;;


 ここでは、論理を明快にし、ポイントごとに番号をつけてわかりやすく工夫したつもりです。こういう風に書かれたら、私としてはわかりやすいな、と思いながら書きました。

 ところがね~、これが無力だったんですね~。もちろん、ちゃんとした書き込みもありますし、他のコメントを読んでなくても、直感的に「血液型と性格に関係はない」という主旨で書かれている方もいらっしゃいます(論理は別にして)。

 で、どうしよう、と悩んだわけですね。その結果たどりついたのがコレ。

285.FSM さん


性格から血液型を当てたり、

逆に、血液型で性格がわかったり、

ということは、ありません。


これは、科学的に証明されていることです。


統計学で、証明されています。

ちゃんとした研究で、証明されています。

「関係ない」ということが、証明されています。科学的に。


本屋さんで売っているような血液型の本は、

だれでも「あるある」と思うようなことが書いてあります。

もちろん、自分とは違う、ということも書いてある場合もあるでしょう。

当たるも当たらないも、偶然です。


だから、「当たってる」と思っても、それは錯覚です。



だから、「当たってる」と思っても、それは錯覚です。


あなたの前にいる人は、もしかしたら、一生の友人になる人かもしれません。

そんな人を、「○型だから」とレッテルをはって遠ざけてしまったら、

悲しいと思いませんか?


また、逆に、自分は仲良くしたいのに、目の前の人から「血液型の相性がよくないから」と

言われてしまったら、悲しくありませんか?


しかも、事実ではない、間違ったことで、ですよ?


それから。

うまくいかない人間関係を、血液型のせいにすることはありませんか?

目の前の人、その人自身を、ちゃんと見てみませんか?

血液型というレッテル貼りから、自由になりましょうよ。


血液型で人間関係が左右されるような、そんな悲しい世の中にはいやですから。


どういう人たちに届いてほしいと思って書いたか、伝わるでしょうか。

 これを書くにあたって、仮説を一つたてました。
   この掲示板を読まれている方のうち、少なくない方々が、複数行にわたる文は読まない・読めない。
   行間のつまった文が並ぶと、読まない・読めない。
 もちろん、掲示板を見られるとわかりますが、全員が全員そういうわけではありません。ちゃんとした文章を書かれている方は大勢います(たとえ肯定される方でも!)。ただ、これを書き込むにあたって、私が「伝わってほしい」と思った人ってのは、そういう人だ、ということですね。

 で。結果はどうだったか。
 この次にコメントされたYOUTAさんと言う方は、ちゃんと私のコメントの主旨をふまえて書き込みをしてくれました(もっとも、この方の文章から推測すると、わざわざ空白を多くして書かなくても、ちゃんと読んで書ける方なのだろうとは思うので、この書き方が成功したかどうかは言えないのだろうと思います)。
 その次の方も、内容はともかく、私のコメントに引きずられるような形で書かれているような気がするので(気がする^^;;)、ちょっとは影響を与えられたかな?と思います。

 でも、それ以降はあまり関係なくなっちゃったみたいで…。この試みの成否は、残念ながらわからない、というのが正しい言い方なのでしょうね。

 それはそれとして、前回のエントリでも触れた方が、その後に書き込みをされます。それを受けて書いたのがコレ(最後のコメント)。
295.FSM さん

>>293

心理学者たちです(ちゃんとした心理学の人たち、です)。

よく引用されるのが、以下の論文。  

  松井豊 1991 血液型による性格の相違に関する統計的検討 立川短大紀要, 24, 51-54.

ただし、元論文を入手するのは少し面倒だと思います。


ちょっと古いですが、書籍・論文をまとめたものが以下のサイトにあります。

http://www.remus.dti.ne.jp/~nakanisi/ketsueki/literture.html

ただしここには新しいものがふくまれていません。


入手しやすい書籍だと、一番網羅的にしっかり書かれているのがコレだと思います。

『不思議現象 なぜ信じるのか』(菊池聡、宮元博章、谷口高士)

http://www.amazon.co.jp/dp/4762820326

関係ないのについ信じてしまう心のメカニズムについても、きちんと解説されています。


最近出版された、誰でもわかるように書かれたのはコレですね。

『ニセ心理学にだまされるな!』(古澤照幸)

http://www.amazon.co.jp/dp/4496043637

ただし血液型についての部分はそう多くはありません(要点はちゃんと書いてあります)。


なお、「血液型人間学」をおしすすめた能見親子関係の団体や、『an・an』の血液型特集に書いてるような人たちの「研究」は、あまりに杜撰で科学的批評に耐えるようなものではないです。

で、前回のエントリにつながるわけですね。そのエントリでTAKESANさんからもコメントをいただいていますが、やはりまだまだ血液型性格判断の本質は伝わっていないようです。どうやったら伝わるのでしょうかね。道は遠い。


 ところで、以下のようなコメントを見ると、なんだかなあと脱力しますね。竹内薫の影響かなあ。だとすると、困ったもんですね。「自称中立」君的な、というかなんというか。きくちさん流に言うなら、重みづけができない人、というか。で、科学をこき下ろした揚句、「信じています」と来るんだもんなあ。

187.まことさん
科学ってほとんど仮説なんですよね?笑
それに人の性格を科学的に証明されたらたまりませんよ。
決め付けられないのが人間なんじゃないんですか?
ちなみに私は血液型信じています。
今まで生きてきた中で、傾向は少なからずあると、一度も思ったことありませんか?

 それから。「統計学」の使い方が、人によって全然違いますね。肯定される方が「統計学です」と言うときは、まさに「占いは統計学」という意味で使ってるんだろうなあ。この掲示板で誰かも突っ込んでましたが、「統計学っていうけど、ちゃんと統計とったの?」と言いたいですね、そういう人には。一方、「科学的に否定されてると言ってもそれは統計学ですから」みたいなよくわからん使い方もあったりして。
 あと、「科学的に根拠がない」という言い方を多くの方がされていたんですが、肯定派の人にとっては、どうもそれが「将来、関係が科学的に証明されるかもしれない」ととらえられているのではないかという気がしました。なので、私のコメントでは、「(強い)関係がないということが科学的に証明されています」と書いています。

 なお、否定される多くの方が言っていたのが、「性格をたった4つに分けられるはずがない」というやつです。ところが、現代の心理学では、「ビッグファイブ仮説」というのが有力なようで、大まかに分けると、性格は5つに分類できそうだ、ということになっているようです。これを述べるべきか迷ったのですが、ナイーブな意見ばかりが語られる掲示板で、この話をすると場を完全に混乱させるなと思い、言いませんでした。本質ではないし。
 でもまあ下手に分類されるよりは、分類に対し拒否反応を示すほうが、健全なんだろうとも思います。
 どう伝えるかだけでなく、どこまで伝えるべきか、ってのも悩むところなんですが、ケースバイケースで考えるしかないんですよねえ。

【まとめ】
 今回、私は掲示板参加者の傾向を考慮し、普段の私の文体を大幅に変え、どうすれば彼らに伝わるか、ある種の「実験」をしてみました。私が考えた掲示板参加者(のある特徴的な集団)の性質として、(1)一つの文が複数行にわたる長い文は読まない或いは読めない、(2)なるべく空白行をはさみ、全体が白っぽくなるようにする、を仮定しました。ケータイ小説風、とでもいいましょうか(ケータイ小説を読んだことがないのですが)。具体例は上に示した通りです。
 その結果、ダイレクトに私のコメントに反応してくださった方もいたものの、(1)その方の文章を読む限り、わざわざそのような工夫をしなくても読んでくれたのではないか、(2)反応があったとはいえ、無関係なコメントもその後いくつもあった、そして決定的なこととして、(3)サンプル数が少な過ぎた、ということから、今回の結論としては、成功とも失敗とも現段階では言えそうにない、と言うべきだろうと考えます。
 また、後半には読者の共感を誘うような形で文章を書きました。もしかしたら、文体よりも、そちらの方が重要だったのかもしれません。

 注意すべきことは、この「実験」は、あくまでもある特定の層をターゲットに絞りデザインされたものだということです。仮にその層に対して成功したとしても、それが他の層に成功するとは限りません。どんな人にでも通用するような方法はありませんから、ね。

 このエントリを読まれた方が、ニセ科学批判の実践をするにあたり、なんらかの参考になれば幸いです。

***

最近下火になってきたみたいだけど、メタメタなニセ科学批判批判をするよりも、「自分はこうやってみたがこうだった」ってのを報告してもらう方が、100倍役に立つんですよねえ。NKHHな方々におかれましてはそのあたり御留意頂けますと幸甚に存じます。:p

血液型と性格についての補足

こっちの掲示板 での議論、うかうかしてたらコメント数300で終了してしまったので、書けなかった事をここに書いておきます。

こちらの方の発言に対してのレスです(この人とはちょっと議論が成り立って嬉しい)。
その前の私の発言については、また改めてエントリを起こしたいと思います。

298.名無しさんLcz_8JJXv09R
>>295
どれも個人的な見解を述べてるだけだから、血液型性格判断の類いと何ら変わらんと思うが?

科学的証明というからには、一般外界から遮断された、いわゆる純粋培養的な子供を対象としなければ判断は出来ないだろう。

既に大人になっていたり、親や他者の影響が性格に大きく関与してしまった後では、血液型と性格の科学的証明は出来ないと思うがね。

如何かな?

まず、研究者コミュニティでは、自分の主張は互いの厳しい批判にさらされます。そこで生き残った主張だけが、(少なくともその時点では)正しい、と看做されます。ここでは、「本当は正しかったんだが周囲に理解されず不遇の時期があった主張」はごくごく例外ですので無視します。
 つまり、私が掲げたものは、基本的にはコミュニティによって「間違ってはいなさそう」と認められたと思って構いません。
 ところが、血液型性格判断を主張する人々は、彼らの根拠を論文にしません。一般向けの本で出すだけです。これは能見親子も同じです。プロの研究者は、仕方がないので彼らの本を批判します。しかし、肯定派は、ほぼ「我関せず」で自分の主張を垂れ流します。つまり、他者による検証が進まないまま、世の中に広められているのです。この違いはとても大きい。

 次に、検証の方法について。
 これは、何を主張したいかに依ります。いま問題になっているのは、現実社会に生きている我々に対して、血液型と性格に相関があるか、ということです。ですので、ここで示されている結果は、周囲から影響を受けて育った我々には、血液型と性格に相関が(ほぼ)ない、ということです。
 もちろん、これは「よくよく調べてみたら、ごく弱い相関があった」ということを否定しません。もしかしたらあるかもしれません。しかし、それは、あったとしても、よく調べないとわからないような関係で、日常生活で「使える」ようなものではありません。
 「純粋培養」はもちろん人道的に許されるものではないので、そんな実験はできません(おっしゃりたいことはわかります)。ただ、仮に「純粋培養」された人々には血液型と性格に相関が見られたとしても、それは通常の社会での育ち方をすれば、簡単に消されてしまうような相関でしかない、ということが、いままでの研究からは言うことが可能です。

 なお、いずれにしても、統計学的な研究です。これも科学的研究のひとつですね(言うまでもありませんが)。
 これとは別に、血液型物質が生物学的にどのような影響を及ぼしうるかというメカニズムの研究はもちろんありえます。ありえますが、既に統計学的に「強い相関はない」ということになってしまった以上、メカニズムが発見されたとしても、それはごく弱い相関しかもたらさないものであろう、ということは予言できます。入口と出口がおさえられてしまったので、その通り道がどのようになってても、別の出口には行けないと言うことですね。

ここをお読みになられているといいのですが…。

誤字

あ。いま気づいた。
月刊『Hado』のページ、「生命」が「姓名」になってる…。
「共鳴によってのみ 生命の音は振動し続ける」が正しいタイトルです。
もっと言葉を大事にしようよ! :p

魚拓

『Hado』って校正の体制かなりヤバいんじゃないかなあ…。こっちが心配になってしまう。(^^;;

愚かなり中山成彬:教育を歪めているのは誰か

 麻生とどっちが先に失言するかと思っていたら、あまりにも早くてあいた口がふさがらないというか、呆れてものが言えないというか…。

 教育に関することとして一つだけ。日教組と学力が関係ないということはすぐに明らかにされたが、それにもかかわらず、辞任しても強弁を続けているという無茶苦茶。要するに、嘘つき、ということだ。さらに、コイツが文科省だった2004年に全国学力テストを導入した (リンク先はwikipedia)わけだが、その理由が、自説を確認するためだったという。バカな理由で日本の教育をひっかきまわし、教育を歪め(テストの成績を良くするために授業の内容がテスト対策にされたところがあちこちにあるというのは既に報道されているとおり;しかも橋下大阪府知事のようにそれを煽るバカがいるからまったく頭が痛い)私物化し、挙句戦後政治を支配してきた己の責任を棚に上げて組合に責任転嫁するとはあまりにも情けない。こんなのがいるから教育は良くならんのだよ!

 確信犯だか何だか知らんが、中山成彬は「ウソつき」だ。ウソつきが教育を語るな。


 コイツの問題点については『赤旗』の主張 がよくまとまっているので掲げておきます。

主張

中山国交相発言

問題閣僚任命した首相も同罪


 成田空港の整備の遅れを「ごね得」と誹謗(ひぼう)し、日本は「単一民族」といいはる、さらには大分での教員採用汚職にかこつけ「日教組が強い県は学力が低い」と中傷する―異常きわまる発言で批判されてきた、中山成彬国土交通相が辞意の意向を固めました。

 中山氏に大臣を続ける資格がなかったのは明白です。中山氏を任命した麻生太郎首相の責任も厳しく問われなければなりません。

一片の道理も真実もない

 中山氏の発言に、一片の道理も真実もなかったのは明らかです。

 成田空港の整備の遅れが住民の「ごね得」によるものだというのは、中山氏も、所管した国交省の事務当局の説明を受けて撤回したように、事実に反します。国交省も認めるように、政府が住民の理解を得ることなく建設を進めたことが遅れの最大の原因です。中山氏の発言は、国のやることへの反対は認めないという住民敵視の立場を示すだけです。

 日本は「単一民族」というのも、全く事実に反します。政府は国連の「先住民権利宣言」に賛成し、ことし六月には衆参両院の本会議が、アイヌ民族を日本の「先住民族」と認め、「総合的な施策の拡充を図る」ことを全会一致で決議しています。中山氏の発言は、アイヌ民族の尊厳を傷つけるとともに、国会の決議をないがしろにする点でも重大です。

 大分県教委の教員採用汚職事件に関連して、「日教組が強い県は学力が低い」などと中傷したのは、事実に反するだけでなく、何より子どもたちの心を傷つける、まったく配慮に欠けた発言です。

 しかも中山氏は、文部科学相として「全国いっせい学力テスト」を推進したのはそのことを確かめるためで、それは確認されたから「もう学力テストは役目を終わった」とまでいうのです。国民の税金を投入した「学力テスト」を、自らのゆがんだ考えを確認するために推進したというのは驚くばかりです。そんな「学力テスト」はただちに中止すべきです。

 中山氏は、「日教組」発言については撤回を拒否し、二十七日になっても「日教組は日本の教育のがん」「ぶっ壊すために火の玉になる」などと発言しています。文字通り“確信犯”としての発言というしかありません。

 ことは閣僚として自覚を欠いたとか、舌足らずで誤解を招いたというものではありません。発言は中山氏の本音であり、中山氏に閣僚としてはもちろん、国民に選ばれる政治家としても不可欠な最低限の資質、最低限の民主的感覚さえないことを示すものです。閣僚の資質に欠けた中山氏が、その職にとどまることが許されなかったのは当然です。

侵略肯定の「靖国」派

 重要なのは、中山氏がこうした資質の持ち主であることはよく知られていたのに、麻生氏が閣僚に任命したという事実です。

 中山氏は文科相時代から、「教育勅語にはいいことが書いてある」とか、「教科書から『従軍慰安婦』の記述が減ってよかった」と発言してきた、自民党内屈指のタカ派で、過去の侵略戦争を肯定する「靖国派」の一人です。麻生氏の任命責任は重大です。

 首相自身の責任がきびしく問われるのは避けられません。

大体にして、こうやって自分の都合のいいように教育に介入するやつらが後を絶たんから、教育現場はどんどん忙しくなって疲弊し、ものを考える余裕もなくなり、組合も攻撃にさらされ教員同士の横のつながりも希薄になり、藁にもすがる思いでロクに検討せずニセ科学にはまる。こうやって「水伝」みたいなのが侵入する下地ができてしまうんだよなあ。悪循環も甚だしいのだが…。