関東地区女性校長会の件・続報(追記あり)
(追記その2[10/5])小学校の実情を知る上で、こちらのブログ が参考になる気がします。社会から学校を切り離してはいけないんだろうなあ…と改めて思います。色々な意味で。小学校の先生ってすごいですよね。
水伝がニセ科学である旨、件の校長には伝わったようです。こちら。
これをきっかけにして、校長会に限らず、現場の教師たちが自ら深く多面的に考えられるようになるといいのですが。
その一方、学校といえども社会の縮図なので、社会が荒れれば学校の中も荒れる。その中で一所懸命なんとかしようとしている先生たちの善意を、間違った方向に向かわせないよう、どう支援していけばいいのかというのは、本当に大事だろうと思います。
とはいえ、私がここでできることは、ひたすらウェブ上でニセであるということを書くだけではあるのですが。「検索さえしてくれれば、ニセであることがわかる」という状況にもっていく。
検索をしよう、あるいは、検索をして確かめた方がよさそうだ、という発想に持っていくにはどうしたらいいのですかね。
本質的には、教師にゆとりがあって、自主的な研修もする時間があって、もちろん子どもたちと向き合う時間もあって…というようにしないといけないんでしょうけど。ニセ科学であるということを伝えると言うのは、ある意味、対症療法なんだと思うんですよね。教育という面から見ると。
前にも書いたと思うのですが、ニセ科学問題って、ホントに世の中の深い部分と密接な関わりがあって、現代の病理を反映していると思うのですよ。もちろんニセ科学自体は昔からあったわけですが、どういうニセ科学が流行るかってのは、その時代をおそらく反映している。だから、世の中をなんとかしないとどうしょうもない部分ってのがたぶんある。そこを抜きにして、現場に一切の責任を負わせるような風潮は、やはり問題の解決にはならないと思うわけです。無論、バカだのなんだのと切って捨てるのは、たぶん逆効果で、悪循環に陥るだけだと思います。
私の狭い範囲の経験ですが、教師って、ウソを教えてはいけないということはとても強く思っているんですよね。だから、逆に「これはウソかもしれない」と思わなかったら、調べないのは当然なわけです。じっくり考えれば、「ん?ヤバいかもしれん」と気づくかもしれないけど、色んなものに追われていれば、表面的な結論(いい言葉を使いましょう、みたいな)に飛びつき、深く考える前にそれをどう使って話を組み立てるかという発想にどうしてもなる。
基本的には、子どものためになる教育を皆さんしたいと思っているわけですから、いい方法って必ずあると思うんですよね。でも、それが何かはわからない。とても難しい問題。「ニセ科学と教育」という視点で考えると、本質的な問題の一つなんでしょうね、きっと。
血液型と性格についての補足
こちらの方の発言に対してのレスです(この人とはちょっと議論が成り立って嬉しい)。
その前の私の発言については、また改めてエントリを起こしたいと思います。
298.名無しさんLcz_8JJXv09R
>>295
どれも個人的な見解を述べてるだけだから、血液型性格判断の類いと何ら変わらんと思うが?
科学的証明というからには、一般外界から遮断された、いわゆる純粋培養的な子供を対象としなければ判断は出来ないだろう。
既に大人になっていたり、親や他者の影響が性格に大きく関与してしまった後では、血液型と性格の科学的証明は出来ないと思うがね。
如何かな?
まず、研究者コミュニティでは、自分の主張は互いの厳しい批判にさらされます。そこで生き残った主張だけが、(少なくともその時点では)正しい、と看做されます。ここでは、「本当は正しかったんだが周囲に理解されず不遇の時期があった主張」はごくごく例外ですので無視します。
つまり、私が掲げたものは、基本的にはコミュニティによって「間違ってはいなさそう」と認められたと思って構いません。
ところが、血液型性格判断を主張する人々は、彼らの根拠を論文にしません。一般向けの本で出すだけです。これは能見親子も同じです。プロの研究者は、仕方がないので彼らの本を批判します。しかし、肯定派は、ほぼ「我関せず」で自分の主張を垂れ流します。つまり、他者による検証が進まないまま、世の中に広められているのです。この違いはとても大きい。
次に、検証の方法について。
これは、何を主張したいかに依ります。いま問題になっているのは、現実社会に生きている我々に対して、血液型と性格に相関があるか、ということです。ですので、ここで示されている結果は、周囲から影響を受けて育った我々には、血液型と性格に相関が(ほぼ)ない、ということです。
もちろん、これは「よくよく調べてみたら、ごく弱い相関があった」ということを否定しません。もしかしたらあるかもしれません。しかし、それは、あったとしても、よく調べないとわからないような関係で、日常生活で「使える」ようなものではありません。
「純粋培養」はもちろん人道的に許されるものではないので、そんな実験はできません(おっしゃりたいことはわかります)。ただ、仮に「純粋培養」された人々には血液型と性格に相関が見られたとしても、それは通常の社会での育ち方をすれば、簡単に消されてしまうような相関でしかない、ということが、いままでの研究からは言うことが可能です。
なお、いずれにしても、統計学的な研究です。これも科学的研究のひとつですね(言うまでもありませんが)。
これとは別に、血液型物質が生物学的にどのような影響を及ぼしうるかというメカニズムの研究はもちろんありえます。ありえますが、既に統計学的に「強い相関はない」ということになってしまった以上、メカニズムが発見されたとしても、それはごく弱い相関しかもたらさないものであろう、ということは予言できます。入口と出口がおさえられてしまったので、その通り道がどのようになってても、別の出口には行けないと言うことですね。
ここをお読みになられているといいのですが…。
誤字
月刊『Hado』のページ、「生命」が「姓名」になってる…。
「共鳴によってのみ 生命の音は振動し続ける」が正しいタイトルです。
もっと言葉を大事にしようよ! :p
魚拓 。
『Hado』って校正の体制かなりヤバいんじゃないかなあ…。こっちが心配になってしまう。(^^;;
愚かなり中山成彬:教育を歪めているのは誰か
教育に関することとして一つだけ。日教組と学力が関係ないということはすぐに明らかにされたが、それにもかかわらず、辞任しても強弁を続けているという無茶苦茶。要するに、嘘つき、ということだ。さらに、コイツが文科省だった2004年に全国学力テストを導入した (リンク先はwikipedia)わけだが、その理由が、自説を確認するためだったという。バカな理由で日本の教育をひっかきまわし、教育を歪め(テストの成績を良くするために授業の内容がテスト対策にされたところがあちこちにあるというのは既に報道されているとおり;しかも橋下大阪府知事のようにそれを煽るバカがいるからまったく頭が痛い)私物化し、挙句戦後政治を支配してきた己の責任を棚に上げて組合に責任転嫁するとはあまりにも情けない。こんなのがいるから教育は良くならんのだよ!
確信犯だか何だか知らんが、中山成彬は「ウソつき」だ。ウソつきが教育を語るな。
コイツの問題点については『赤旗』の主張 がよくまとまっているので掲げておきます。
大体にして、こうやって自分の都合のいいように教育に介入するやつらが後を絶たんから、教育現場はどんどん忙しくなって疲弊し、ものを考える余裕もなくなり、組合も攻撃にさらされ教員同士の横のつながりも希薄になり、藁にもすがる思いでロクに検討せずニセ科学にはまる。こうやって「水伝」みたいなのが侵入する下地ができてしまうんだよなあ。悪循環も甚だしいのだが…。主張
中山国交相発言
問題閣僚任命した首相も同罪
成田空港の整備の遅れを「ごね得」と誹謗(ひぼう)し、日本は「単一民族」といいはる、さらには大分での教員採用汚職にかこつけ「日教組が強い県は学力が低い」と中傷する―異常きわまる発言で批判されてきた、中山成彬国土交通相が辞意の意向を固めました。
中山氏に大臣を続ける資格がなかったのは明白です。中山氏を任命した麻生太郎首相の責任も厳しく問われなければなりません。
一片の道理も真実もない
中山氏の発言に、一片の道理も真実もなかったのは明らかです。
成田空港の整備の遅れが住民の「ごね得」によるものだというのは、中山氏も、所管した国交省の事務当局の説明を受けて撤回したように、事実に反します。国交省も認めるように、政府が住民の理解を得ることなく建設を進めたことが遅れの最大の原因です。中山氏の発言は、国のやることへの反対は認めないという住民敵視の立場を示すだけです。
日本は「単一民族」というのも、全く事実に反します。政府は国連の「先住民権利宣言」に賛成し、ことし六月には衆参両院の本会議が、アイヌ民族を日本の「先住民族」と認め、「総合的な施策の拡充を図る」ことを全会一致で決議しています。中山氏の発言は、アイヌ民族の尊厳を傷つけるとともに、国会の決議をないがしろにする点でも重大です。
大分県教委の教員採用汚職事件に関連して、「日教組が強い県は学力が低い」などと中傷したのは、事実に反するだけでなく、何より子どもたちの心を傷つける、まったく配慮に欠けた発言です。
しかも中山氏は、文部科学相として「全国いっせい学力テスト」を推進したのはそのことを確かめるためで、それは確認されたから「もう学力テストは役目を終わった」とまでいうのです。国民の税金を投入した「学力テスト」を、自らのゆがんだ考えを確認するために推進したというのは驚くばかりです。そんな「学力テスト」はただちに中止すべきです。
中山氏は、「日教組」発言については撤回を拒否し、二十七日になっても「日教組は日本の教育のがん」「ぶっ壊すために火の玉になる」などと発言しています。文字通り“確信犯”としての発言というしかありません。
ことは閣僚として自覚を欠いたとか、舌足らずで誤解を招いたというものではありません。発言は中山氏の本音であり、中山氏に閣僚としてはもちろん、国民に選ばれる政治家としても不可欠な最低限の資質、最低限の民主的感覚さえないことを示すものです。閣僚の資質に欠けた中山氏が、その職にとどまることが許されなかったのは当然です。
侵略肯定の「靖国」派
重要なのは、中山氏がこうした資質の持ち主であることはよく知られていたのに、麻生氏が閣僚に任命したという事実です。
中山氏は文科相時代から、「教育勅語にはいいことが書いてある」とか、「教科書から『従軍慰安婦』の記述が減ってよかった」と発言してきた、自民党内屈指のタカ派で、過去の侵略戦争を肯定する「靖国派」の一人です。麻生氏の任命責任は重大です。
首相自身の責任がきびしく問われるのは避けられません。