連載小説 ~物語で愛を描こう~ -2ページ目

薄明の世界 二十話

 歳を重ねた猫で、尾が二股に分かれていることから、猫又と呼ばれ、妖力をその身に宿した猫又は、人をも食らうと言われている妖怪であった。


 猫又と自称するこの黒猫の尾も、良く見れば二股に分かれている。ただ、それ以外に単なる猫と変わりはなく、むしろ愛嬌のある可愛らしげな目をしている。言葉を発しなければ、何と可愛らしいことか――などと称され、どこぞの娘にでも飼われていただろう。


 ところが、口を利くことでここまで憎らしくなる。

 

 不思議なものだ。


 言語とは、人にだけ許された叡智というわけではないということだ。 


 止めていた足が無意識にぴくりと動く。宗庵和尚の下へ走らなければならない。その想いが、そうさせたのだろうと宗弦は思った。


 そうだった。





「その話は後だ。いいか、これより禅清寺へ向かう。望みどおり、共に連れてゆくが……大丈夫なのか?」






「心配はいらねえよ。あんたに抱かれてるだけで俺ぁ満足だからよ」





 思いもしない黒猫の言葉に、宗弦は気分を悪くする。





「気持ち悪いこと言うな」








「あんたは相当の法力を持ってるからな。てめえの傷を治すにゃ充分すぎるさ」







「おまえ……今から亡霊を払うと言うに、力を奪うとは……!!」





 宗弦は激昂した。


 その激しく高ぶった心が、いらぬ考えを頭の中に浮かんでくる。


 この猫又は綾に関係あるのではないだろうか。そして、綾に飼われている猫又ではないだろうか、と。







「心配すんねえ。その亡霊を払う法力までは奪うつもりはねえよ」






「おまえ、それをどこで……」






「わずかな妖力の消費で、人間のそれとは比べ物にならねえ情報を手に入れることができる読心術でぃ。任せな。あんたに力を貸してやるよ」






「ふん、期待はしておかんよ」

薄明の世界 第十九話

 宗弦は走った。


 言うことを訊かない黒猫を何故か抱きかかえながら。


 目指すは禅清寺。


 そこに、綾がいる。


 宗弦に苦汁を舐めさせ、奈落の底へ落としめるためには、恐らく何の罪悪感もないはずだ。綾の中には既に虚無が存在している。満足できるならばどんな方法も厭わず、目的の達成のため、例え自らの身を削ろうと気にも留めないだろう。


 彼女をとめなければならない。それが、宗弦に課せられた最後の使命であることに何の変わりもない。




「あー、目がくらんできやがった」





 抱きかかえた黒猫が言う。


 それならば、何故言うことを訊かなかった? 今更、私のせいだとでもいうつもりか?


 宗弦は憮然とした態度でそう問いただそうとしたが、喉まで出掛かってやめた。万が一、この黒猫が役に立つ時がくるかもしれない。無論、綾を成仏させることにおいて、何かしらの力を発揮してくれるなどという他力本願をするつもりは全くない。しかし、黒猫が発した言葉が忘れられなかった。


 一緒にいなきゃならねえ。


 そう言われた時、宗弦もそう思った。理屈は何もなく、根拠もそれこそ、どこにも見当たらない。ただ、共にいなければならない。無性に、そんな感じがした。

 



「勘が働いたならば、その勘に従うも自らの信念を貫くことであり、やがて信仰心に導かれ、神仏からの御言葉であるとも言える」




 宗庵和尚の言葉だ。





「血は止まってるだろう。何故、目がくらむ?」





「血じゃねえよ。片足を失って、それを修繕するのに力を注いでんだ。目もくらむさ」





「修繕?」





「ばーか。どこの世界に人の言葉を喋るただの猫がいるってんだよ。猫又だよ、俺ぁ」




 黒猫の言葉は宗弦の足を止めるには充分すぎるものだった。


 急ぎ禅清寺に向かわなければならない。


 そのことすら、宗弦は頭の中から消えかけていた。

薄明の世界 第十八話

「待てって言ってんだろうが! いててててっ」


 足を引きずりながら後を付いてくる黒猫を宗弦は無視を決め込んで、禅清寺へ急ぎ走った。昨日今日出会った、人語を喋るような猫と、和尚を一緒に考えることはできない。比べようもなかった。


 ただし、血も涙もない冷血漢でもない。


 あやふやな優しさは罵詈雑言に等しい。やがては相手をゆっくりと奈落の底へ引きずり込むようなものだ。


 じわじわとなぶり殺す。それこそが、中途半端な優しさの根底なのかもしれない。


 そう――綾にそうしたように。


 二度、同じ徹を踏むわけには行かない。




「他へ言ってくれ。ああ、そうだ。そこの角を曲がったところに飲み屋がある。そこに、お涼という人がいるから、私の名前を出して助けてもらえ。もう私の名前は知っているのだろう?」




「そういうわけにはいかねえんだ。あんたに助けてもらって、あんたと共にいなきゃいけねえんだ」





「何故だ」





「そうでなきゃ、俺は生きていけねぇ。目ぇつけられちまったからな」





「目をつけられた?」





 宗弦は、そのまま聞き返した。


 




「沖浦家だ。やつら、あんたを捜してくれって俺に頼んだ挙句、殺そうとしやがったんだ」

薄明の世界 第十七話

 若い僧――ああ、見つけたよ。

 

 そう……あれは最悪な出会いだったかな。無論、私にとってというわけではなく、彼にとってだがね。


 その時、色んな事情があって仕事上の都合で彼を探さなくてはならなかった。


 私もあの時は、世間様に背くような、汚い仕事ばかりしていたからね。深くは利かないで欲しい。


 もう時効だろう? 


 いい世の中になったものだな。君たちのような若い人間が、私のような人間に笑顔を向けてくれる。


 もっと、このような世の中が訪れれば良かったと思うよ。


 ああ、済まないね。若い僧侶の話だったかね。


 その若い僧侶は、聡明だったが暗い人間だった。元々、どんな人間だったかは知らないけれどね。


 彼は高名な僧になるはずの人間だったらしい。


 それが、ある女を殺めることで破戒僧という道を歩んだのだよ。


 私にも大いに関係のあることだ。

 

 何? その話を聞かせて欲しい、と。


 長い、長い話になるよ。その話を聞く時間と根性が君にはあるのかね?


 よかろう。


 話してあげよう。


 しかし、大昔の話だ。記憶は曖昧でバラバラだ。


 年寄りの話だと思って気軽に聞いてくれ。


 粗茶だが、飲みたまえ。

薄明の世界 十六話

 黒猫の目は見れば見るほどに、憎たらしく見えた。


 人を見下したような鋭い目は、更に宗弦をいらつかせる。


 そもそも、癇癪持ちではない宗弦が、一目見ただけで苛々する生物に出会ったのは、初めてのことだった。火急の用があるためだからだろうか。一日中暇な日に出会ったとしても、言葉を解するような黒猫をすんなり受け入れられるほどの柔軟さは、持ち合わせていない。


 人をハゲ呼ばわりするような猫を快く思うはずもない。



「辛気臭せぇ顔しやがって。てめえが宗弦って坊主だろう? ようやく見つけたぜ。こちとら、命狙われてちょいと手負いなんでぃ。助けやがれ」



「断る。どこのどちらさんか知らぬが、手負いならば医者に見てもらえばいいだろう」



 見れば、黒猫の左前足がすっぱりと斬れてなくなっている。刀で斬られたのだろう、見事な切り口だった。

 

 哀れだとは思うが、医術の心得は宗弦になく、助けたいという願望を持ったとしても宗弦にはどうしようもない。少なくとも、この黒猫に対して哀れだと同情するが、助けたいという願望は宗弦の心に溢れることはなかった。




「血の涙もねぇ坊主だな! てめえには慈悲って心がねえのかよ!」




「だったら、ハゲって言葉を取り消せ、莫迦猫」





「どこをどう見たってハゲだろうが! 嘘言って何になるってんだ」




「これは剃ってるんだ!」




「知るか、ハゲ!!」

薄明の世界 第十五話

「くそっ!」



 宗弦は立ち上がり、すぐさま支度を整えて外へ飛び出した。綾の行き先は分かっている。 


 宗庵和尚のいる禅清寺だろう。宗庵和尚を手にかけることで、自分に本当の意味で苦汁を舐めさせようとしているに違いない。


 宗弦は走る。


 一目散に走りながら、懐に宗庵和尚から譲り受けた数珠がないことに気がついた。


 幾ら急ぎで支度を整えたとはいえ、神経質な宗弦が物忘れをするなどありえない。どこかに置き忘れるなど、もってのほかだ。


  宗弦は、限りなく真実に近い推測を立てた。


 いつも肌身離さず持ち歩いていたはずのその数珠は、宗弦が禅清寺を出た八年前に譲り受けた、命よりも大事な物。長屋にいる時でさえ、懐に潜ませて文字通り、肌身離さずいつも宗弦とともに行動してきた数珠だった。


 首から提げなければ持ち歩けないほどの大きなその数珠に、どんな力があるのか宗弦には想像もつかない。それよりも大事なことは、和尚から譲り受けたという事実だった。


 実の父よりも心の中で思う、本当の父であるべき宗庵和尚からの、最後の贈り物。


 それをなくすなど、ありえない。


 だとすれば、数珠はどこに行ったのか。意識があるわけでもなく、ましてや生き物ではない。人間の目から見れば、ただの道具に過ぎない。一人歩きするわけがない。


 禅清寺にあるに違いない。


 どのような方法で取り上げたか知る由もないが、宗庵和尚が持っている。


 考えれば考えるほど、それは確信へと変わっていった。





(綾が自分の所へ導き、払うおつもりなのか! なんと……なんと愚かなことを。聡明かつ、ご高名な和尚の成す所業とは思えん)




 宗弦の足は無意識に幅を広げて大股で走り出す。




「そこのお坊さんよ! ちょっと待ちな」




 その声に反応し、振り向いてみるも、声が聞こえたはずの場所に人らしき姿はどこにも見当たらなかった。眉をひそめて怪訝な思いを払拭できずに、足を止めてしばらくあたりを見回してみても、誰もいなかった。空耳と確信した宗弦は首をかしげてから、再び走り出した。




「待てって言ってんだろうが、このすっとこどっこいが!」





 今度ははっきりと聞こえる。


 そして、声の主をその目に捉えた。


 黒い猫。


 短いながらも、艶々とした黒光りの毛並み。光る鋭い眼光。


 地面にちょこんと座るそのやせ細った身体を見れば、野良だろう。しかし、口を利く猫がいることを現実として認められない宗弦は、無視して禅清寺へと足を向けた。




「てめえがその頭で考えられねぇもんは認めねぇってのか、能無しハゲ!」





誰がハゲだ!!


薄明の世界 十四話

 かつて見た聡明なその女は変わり果てていた。くぼんだ目、紫色の唇、うねる髪、死者であるが故の特徴に何ら変わりのない姿の中に、宗庵和尚はそれ以上の毒々しさを、身をもって感じていた。

 本人であるとは到底思えない。

 様々な死者をその目にしてきた。禍々しいまでの怨念は、生きとし生ける者を地獄へ引き連れていく力を持っている。実際、宗庵和尚も悪霊払いをし、何度も地獄に足を落としそうになったことがある。力ある僧ほど、地獄への扉は大きく開かれる。

 綾はそれ以上の存在に思えた。悪霊と言う存在を超えた別物に思えてならない――むしろ、そう見えてならなかった。




「かの方もそうおっしゃられたわ。紛れもなく、わたくしは綾でございます。宗弦さまを愛し、宗弦さまに裏切られた挙句に殺された、不憫な女でございます」




 言葉とは裏腹に、綾は微笑んでいる。禍々しさを含んだ笑いは生前の面影はどこにも見当たらない。軽々しくも自らを不憫と称する様は憎らしげでもあった。


「不憫? おかしなものだ。宗弦がおまえさんを殺した、とな。しかし、本当に不憫なのはおまえさんではない」




「わたくしではない?」





 ふと、綾から笑みが途絶える。




「本当に不憫なのは、このわしだ」




 宗庵和尚は首に提げている巨大な数珠を手にし、それを綾に向けて掲げて懐から経文らしきものを取り出し、言葉を耳に聞こえぬ細々とした声で正確に、すばやく唱えていく。その声は次第に大気を震わせ、月までもゆらゆらと振るわせる。

 幻想を謳い続けた月が歪み、悲鳴を上げているようだ。

 さらに経文の詠唱は速さを増していく。七十を遥かに超える老体の成せる業ではない。




「わしがおまえさんを払う。そうすることで、宗弦の念願は奪われる……わしは、宗弦から恨まれることになる。息子に恨まれて死ぬことは不憫だとは思わないかね?」




 その日、宗庵和尚はこれまでにない達成感を味わいながら、静かに目を閉じた。眼前に、薄気味悪い笑みと苦悩の織り交ざった表情を浮かべる綾を見ながら。





(そうか。わしは息子に嫌われることなく死ねるのか)




 宗庵和尚の意識は、ここで途絶えた。

あなた

朝顔






朝、おそるおそる顔を出す



昨日会ったあなたがあなたでなくなってしまわないかと思いながら



ああ、良かった



『あなた』がそこにいる

薄明の世界 第十三話

 もうすぐ、死が訪れる。何故か、宗庵和尚は悟っていた。死期が近いことにいささかの不安も焦燥もない宗庵和尚だったが、美しい弧を描く月を見つめながら、己が心がざわついていることに気がついた。


 死が恐いなど、今更思いもしない。

 散々、長生きはしてきた。見られるはずがないと思い続けてきた未来を見続けてきた。干渉するわけでもなく、ただ傍観していたわけでもなく。


 のうのうと生き抜くだけの人生ならば、どんなに幸せだったろう。それをしようとしなかったのは、自分自身の性格なのだろうと、宗庵和尚は我の事ながらくすみ笑いをしてしまう。




「さて、どうするかの。死ぬのなら、床の中が良かったのだがな」




 宗庵和尚は草履を履いて外へ出る。目の前には、ため池があり、檀家の人々が寄与した鯉が優雅に泳ぎを見せている。鯉が泳ぐする脇に、ゆらゆらと揺れる月が見える。手の届きそうな場所にあるそれを掴まえようとするのは、人間のすることではない。宗庵和尚は馬鹿馬鹿しく思いながら、池の中の月を掴もうと伸ばした手を握り、猿猴取月という言葉を思い出した。



「猿と人間は紙一重だな。どんな知識を身につけても、どんな力を手に入れても、本性は単純なものなのだな。複雑になればなるほど、自分がどれだけ単純なつくりをしているのか、手に取るように分かる。死ぬ間際に悟っても詮無いことか」




 一人ごちる宗庵和尚に鯉が一定の間隔で口を開いたり、閉じたりして応える。




「そうでもありませんわ。私がきちんと、訊いておりました」




 綾が宗庵和尚の目の前に現れる。辺り一帯の空気ががらりと変わり、目に見える前から宗庵和尚は、綾が自らの目の前に現れるのを感じることができた。




「来たか。我が愛息を死してたぶらかし、苦悩を浴びせ続ける亡者よ。とうに覚悟はできておる。だが、わし一人を殺したとて、我が愛息がおまえの言い成りになるなど、思わぬほうがよい」




「果たして、そうでありましょうか。かの方に申しましたら、それはそれは苦痛な表情を浮かべておりました」




「別人のようだ。おまえはわしのことを本当に覚えておるのか?」




「ええ、もちろんでございます。かの方にとってとても大事な人で、父親のような存在であることくらい、覚えておりますとも」



「ほう。それは結構だ。しかし、それは間違っておる。貴様は何者だ?」




 宗庵和尚は綾を睨みつける。


 若かりし頃の自分と照らし合わせながら。

少し、休憩。

今日一日、少し充填させてください。