なんてことはない、風邪をもらってくたばっていただけだ。
 

なんだかこの最近立て続けにいろいろなことがあった。

それらに一夏のエトセトラが合わさった結果の風邪であろうことは想像に難くない。

 

長い付き合いの友人と仲違いをした。

金がらみのトラブルだ。

 

人付き合いの仕方に正解はない、自分が納得した道こそが正道足りうるのだろう

その人が何をしたら怒るか。

 

熱っぽい頭ではろくに文章も出てこない。長いセンテンスが驚くほど作れなくなっている。

この散文形式も悪くないのかもしれない。

 

正解なんてない。

まず断っておこう。まだ読み切っていない。

町田康「ホサナ」。なにしろとにかく、強敵だ。

 

難解極まる語彙、支離滅裂な展開。不条理を混沌で煮込んで瓶詰めにしたような小説である。

「混沌」と言うと黒色を思い浮かべるであろう。私も打ち込みながらそう思った。しかし、この本に黒色という印象は抱かない。極彩色のネオンのような狂った色調である。

赤、緑、青、シアン、マゼンタ、イエロー、金、銀、紫、水色、オレンジ、ピンク色。あらゆる色相が瞬き嘶き、白黒二色の活字からは信じられない量の光彩が目をつん裂く。

その異様な筆致からしか摂取できない成分がある。まるで健康とは程遠い成分であるが、時に体が求めて仕方がない。だから彼の小説はやめられないのだ。

 

彼の小説を読んでいた頃、並行して読んでいた本があった。「車谷長吉の人生相談 人生の救い」という本である。

まぁ当時、いろいろ悩んでいた時期であったが、別にそれと関係なく興味本位で読んだのだが…

Q.「人生が辛いです」

A.「人生が辛いのは当たり前だし僕はもっと辛い」

不条理、というか理不尽というか、悩みなんてもっとでかい負の力をぶつけりゃ消えるんだよ!!という超ネガティブな脳筋思考に基づいた、まるで答えになっていない答えがひたすら続く。奇怪な、でも力に満ちた本だった。

車谷長吉氏は、常にズボンのチャックを開けているらしい。曰く「愚か者のダンディズム」であるという。まるで意味がわからないが、側から見たら意味不明なことでも当人が意味を見出しているのならそれは意味ある行為なのだということなのであろうか。

 

少なくとも、今日も酒は美味い。

それだけで、今日までを生きた俺の人生には意味があるのだろう。

ドラゴンクエスト7に「ジェネラルダンテ」というモンスターがいた。

完全に記憶のみで話すが、確か過去の聖風の谷付近で湧いた…ような記憶がある。

まぁとにかく影の薄い…ドッ地味なモンスターである。

 

上位種、もしかしたら下位種かもしれないが、色違いのモンスターに「デビルマスタッシュ」というのがいた。どこに出現するのかなんて、もうまるで覚えちゃいない。
神木のねっこだったような気もするし、その後のコスタール付近だったような気もするし、まぁとにかく印象の弱いモンスターだ。

 

マスタッシュ、という言葉。『金太の大冒険』に出てきそうな馴染みのない単語だが、どうやら「口髭」を指すらしい。確かに立派な口髭をたくわえた、精悍な老兵のモンスターであった。が、それよりもこのモンスターには「顎髭」の印象が残っていた当時の私。マスタッシュは髭を意味すると知り、それがどうもねじくれて「マスタッシュ=顎髭」という意味で覚えてしまい、同級生の池田くんに誤った意味を吹き込んでしまったことは、いまだに慚愧に堪えない。

 

顎髭は「ビアード」だ。当たり前である。

 

ビアードパパのシュークリームを買うと、手提げのついていない紙袋に入れてもらえる。私はそれが好きだ。

だってなんか、あのビアードパパの袋を手で抱えて歩いているとすごいおしゃれに感じるっていうかー…

よく「概念として共通のビジョンが存在するが実際にそれを見たことがないもの」でよく出る「購入した品物を入れる、よくフランスパンとかが上から出てる感じの手提げがない茶色い紙袋」を使っている、外国の少しふくよかで赤いルージュを引いたファーのついたカーキ色のコートを着ている貴婦人のような気分になれるっていうかー…

ビアードパパにおけるわくわくの極北は購入前に列から山積みのシュークリームを眺めている時であることは疑いようもないが、それに次ぐ二番目は帰りの道中、ビアードパパのあのおひげのおじさんが他人から見えるように配慮しつつ腕で抱え込むように袋を持って歩く時である。

食べる時ももちろん大事だが、食事においてはこういったロケーションを整えることを楽しみ、そしてそのロケーションを味わうことでより一層味わいが出る、のである。

 

「焼きチーズケーキシュー」、大変に美味でした。

好きな映画の一つに「有頂天ホテル」が挙げられる。

いわゆるグランド・ホテル形式をとる作品である。群像劇と言った方が通じは良いのだろうが、こちらの言い方のほうが好みなのだ。

同時にバラバラに勃発するそれぞれの話が順々につながり、ラストへ向けて一本の筋道を描き出す。この様式で描かれる作品の中、名作と呼ばれるべき一作と勝手に思っている。

他に好きな映画といえば「天使にラブ・ソングを…」「八つ墓村(1977年版)」「ダークナイト」「天国と地獄」「ウォッチメン」「スルース」あたりだろうか。

 

そんな中読んだ伊坂幸太郎「ラッシュライフ」。名著であると、深い充足感に噛み締めながら本を閉じた一作だ。

 

たしか、多分どっかのまとめサイトで見かけた「群像劇の名作」に対するレスポンスにあった「ラッシュライフは唸った」という複数の投稿に惹かれて読んだ。これが満点大当たり、バックスクリーン直撃の大ホームランであった。

 

読み終わるや否やすぐさまページを捲り、冒頭から再度読み始める経験もなかなかない。そして、「オッフwwwwww」などと電車で言っているのだ。なんとまぁお気楽なことか。

しかし、こういった作品は二度目に読む時が一番面白いのだ。すべてを知った上で答え合わせを進めるこの瞬間。手に持ったままだったピースのハメどころが見つかった瞬間、気づいていなかったボタンの掛け違えを直せた瞬間、その一瞬一瞬に魂が乗るからこそ楽しいところがある。

特にこの「ラッシュライフ」、最後まで読み進めても分からなかった、もとい描かれなかった、と思っていたことが、再度読み直したら「こんなところに。。。。」

この快感はそうそう塗り替えられる気がしない。

 

ピースがはまって完成したジグゾーパズルは、最後に全体を眺めて悦に入ることで完成を自覚する。

話のすべてを見通したときの絶頂感を、ぜひとも味わってもらいたいものである。

 

どうでもいいけどポニテの若く綺麗な白人女性って想像を掻き立てて心の中の変な動物が騒いじゃうね。

世代が世代だけに、馴染みが深いものである。

少年の頃、何も意味がわかっていないながらもその語感や独特の雰囲気に大笑いしたものだった。

友人らと集まってはPCの前に齧り付き、繰り返し繰り返しみていたことは今でもいい思い出だ。

 

しかし、所詮は小学生、児戯の一つでしかない。次第に印象は薄れさり、記憶の片隅にかろうじて残る程度の「楽しかったこと」でしかなくなっていた。

 

それが、大人になった今、よもや動画サイトで本家本元に行き当たるとは。その時は大層驚いたものだ。まさか、これは…!?と。

子どもの頃に失くしたまままま忘れていた宝物が、ある日突然見つかったような、驚き、高揚、いろいろなものがないまぜになった感覚だ。

 

僕は、「同音異義の交錯」というネタが好きだ。

 

ただ、それだけが言いたかった。

※この先「綺羅星ルックバック」に関するネタバレがあるかもしれません

 

とにかく泣いたので、その勢いのままに書き連ねます(黒ラベル350ml×6本の頭であることはご留意ください」

 

こんなん、智代子を好きになるに決まってんじゃん!!!!!!!!!!!!???????????(イベント読了後並感)

何バンナムくん、世界中を智代子ファンで埋め尽くそうってか!?いいじゃないの!!!!早くやれよ!!!!

 

俺は1000000000000000年前から「智代子の魅力が凝縮されているのはmany screensの「それは大事な話だね?」(うろ覚え)である」と主張していたが!

今回の「綺羅星ルックバック」は、そん凝縮された智代子の魅力をイベ尺全部つかって正面からお出しされているのであるよ!!

 

開幕から園田智代子ツイスタが武士っぽい説を丹念に塗り固めてくるサービス精神も見せつつ、しかして話が進むごとに智代子が果穂の悩みに100点の回答を出し続ける様が断続的に叩きつけられて、特に後半我々の魂が果穂ちゃんの中に闖入している時に浴びせられるあの!!あの言葉の数々、果穂ちゃんだから耐えられたあの光のワードを我々闇のおじさんたちがまともに浴びたら当然の如く光堕ちして、まぁもう魂ヴァルハラ送りになるのはわかりきっている

 

っていうかもう果穂ちゃんがいい子すぎるっていうか果穂ちゃん含めて誰も悪くない状況ででも果穂だからそう思ってしまうのも痛いほどわかるしその後の行動もわかるしその行動が果穂ちゃんを苦しめるのも十二分に分かる中であの時の果穂の行動心理とそれを彩る河野さん演技が天才でもう5000000000000000000点あげたいって中にくる智代子は我々の心の心の奥底にある不可解な気持ち、相反する感情に答えが見出せないもどかしさを正面から受け止めてくれる偉大な存在であって智代子はもう推すというフィールドから脱却した信仰の対象へと駒を進めていることがありありと見てとれた今回のイベコミュでした、本当にありがとうございます。

最後の最後のあの男のセリフ、お前……!!!ってなるけどもう俺らが見ていない心の奥底の感情を拾い上げて名前をつけてくれてるから一生ついていきます

 

園田智代子は、推したことを公開することは絶対にあり得ません。

 

*追伸*

酔った頭で書いているので乱文上等の読めない記事になっていることをお詫びいたします。

この衝動をなるべく真空パックしたかったが故の行動ですのでどうしようもありません。

これからsSSRコミュ見てきます

今日も今日とてビールが美味い。

飲まない!と心に決めたとしても、喉の渇きに人間は抗えない。

酒を求めている時の身体は実にわかりやすい。舌の付け根の、首根っこの辺りがじんわりと熱を帯びて仕方がなくなる。熱は当然乾きを呼ぶ。その乾きを癒せるのはビールしかいないのだ。

 

ふと思い出す。タバコを吸っていたころも、そんな不可思議な喪失感を埋めんがために吸っていた。

最近はなくなったと聞く、GAULOISESのブロンドライト、通称赤。香料に燻されたようなスモーキーな風味が大好きであった。カポラルに手を出せない臆病者の私ではあったが、あの味には随分と楽しませてもらったものだった。

タバコが吸いたい時は、脳に煙が足りていない気分になる。だから、吸い込む。口から、鼻から。あの紫煙をいっぱいに吸い込む。そうすることで、顔の中心を通って頭に煙が充満していくのだ。当然、頭の中は靄がかかったようになり、身体は酩酊にもにた前後不覚状態に陥る。それがいい。それがたまらないから、当時の私はタバコを好んだのだろう。

 

今は吸うことはない。しかして、たまに吸いたくなる。

今日みたいな日なら、吸ってもよいか。たまの、悪事。ちょっとした悪事だが、これがたまにしたくなる。

 

だから私は、今日もビールを飲むのである。

この私こと秋嵐は、フリーライターとして厳しいけれど自由に生きていくことを願ってやまない男である。

そんな人生を願いつつ踏み出した道には充実があれど、しかして足りないものがある。

 

先立つもの。金である。

 

先立つもの、という言葉を最初に知ったのは、我が小学生のころ。スマブラDXのイベント戦、「お金がないんです」(だったか)の説明文「冒険には先立つものが必要」という一文だったか。なるほどどうして、その言葉は当時の自分にはまったくの引っ掛かりをみせず、しかして自分の知識として蓄積された、そんなごまんとある言葉の一つにすぎない。

 

その言葉が、今の自分には備前長船の切っ先に見えて仕方がないのだから、人間の感覚というものは面白いものだ。

 

お金を稼ぐということが簡単でないことは、この私これまでの人生で人並みには痛感してきたつもりだ。

人間が人間らしくあるためには、適度なストレスが必要であると、新卒で入った会社で、新人研修の時に聞いた話だったか。確かにその言葉には同意だ。無論、激しいストレスは避けるべきとして。

適度なストレスが存在しない状態がどのようなものかと問われれば、おそらくは望んだものがすべて手に入る状況、自身の気分を害するものが存在しない環境なのであろうか。その環境下で生成される物体が果たして人たりうるのだろうかと問われれば、おそらくNOであろう。少なくとも私はそう思う。

『幸せについて本気出して考えてみた』とき、自分の答えは「満たされないこと」だった。満たされた人間には、もう幸せは来ない。飢え乾き、追い求める中で、人が生きる喜びは生まれるのだと思うからだ。

お金を稼ぐためには人は大いなる苦しみ、手間暇、疲労などの得たくない泥沼をかき分ける必要がある。挙句に、その泥沼に金塊が沈んでいるとは限らないのだ。その手に残るものは徒労のみ。そんなことも多くあった。

 

閑話休題

 

人が人らしくあるために、それなりにストレスが必要である。しかし私にはやりたいことがある。

やりたいことをやる。そのために手間暇を惜しむつもりはない。しかし、現実としてのしかかってくる問題もある。

人が生きる上で、問題がないことなんてあり得ない。人が人らしく営むと、そこには必ず問題が発生する。

今の仕事場には不満しかない。しかし、業務のフィールドや関わる人々には恵まれた。そんな安寧の棺桶に片足を突っ込みながら自分の力を付ける。今の状況の中で、使えるものは使う。足りないものは、なんとか自分で補う。自分のために。

 

だからこそ、やりたいことをやろうと思い、我である秋嵐くんはフリーライターを志したのである。

世の中、物好きな人はいるものでして。

 

例えば食べ物の好み。

僕なんかが見たら、失礼ながらもゲェ〜っと言ってしまいそうなものをうまいうまいと召し上がる方がいますね。

例えば女性の好み。

どう優しく言っても個性を隠しきれないお顔をされた方にも、これまた世界一の美女だと言ってメロメロになってしまう方もいらっしゃるでしょう。

美醜の感性、五感の捉え方なんてのは人それぞれ。そんなものは当たり前ですね。

僕が如き樗材でも知っております。

 

ほんに世の中、物好きな人はいるものでして。

例えばあなた。

何の因果かこのブログに辿り着き、そしてこの漠々とした記事を読んでいるなんて、これはこれは相当に物好きなのでしょう。

 

そして僕は、そんな物好きなあなたが大好きになりました。

 

わざわざここまで笑覧いただきありがとうございます。

このブログは、基本的に僕の自由帳と思っていただいて差し支えございません。

僕が好きなものについて好き勝手話すことで自分自身の作文力を上げていく。

そのついでにお小遣いをもらえたら嬉しいな、なんていう甘ったれた考えに基づいています。

好きなものは主に音楽、小説、漫画、アニメ、ゲーム、などなど。

具体的に何が好きか?と言われたら…いつの日もこの胸に流れてるメロディとか、阿呆の血のしからしむるところとか、ブラウスの背中が膨らみきるような速さとか、敗因はこの私とか。

 

自分のことを自分の言葉で表現するのは実はとても苦手で、でもそれこそがいい訓練になるのだと信じています。

この秋嵐の作文坂登頂道中、なにとぞごゆるりと見守ってくださいませ。