この私こと秋嵐は、フリーライターとして厳しいけれど自由に生きていくことを願ってやまない男である。
そんな人生を願いつつ踏み出した道には充実があれど、しかして足りないものがある。
先立つもの。金である。
先立つもの、という言葉を最初に知ったのは、我が小学生のころ。スマブラDXのイベント戦、「お金がないんです」(だったか)の説明文「冒険には先立つものが必要」という一文だったか。なるほどどうして、その言葉は当時の自分にはまったくの引っ掛かりをみせず、しかして自分の知識として蓄積された、そんなごまんとある言葉の一つにすぎない。
その言葉が、今の自分には備前長船の切っ先に見えて仕方がないのだから、人間の感覚というものは面白いものだ。
お金を稼ぐということが簡単でないことは、この私これまでの人生で人並みには痛感してきたつもりだ。
人間が人間らしくあるためには、適度なストレスが必要であると、新卒で入った会社で、新人研修の時に聞いた話だったか。確かにその言葉には同意だ。無論、激しいストレスは避けるべきとして。
適度なストレスが存在しない状態がどのようなものかと問われれば、おそらくは望んだものがすべて手に入る状況、自身の気分を害するものが存在しない環境なのであろうか。その環境下で生成される物体が果たして人たりうるのだろうかと問われれば、おそらくNOであろう。少なくとも私はそう思う。
『幸せについて本気出して考えてみた』とき、自分の答えは「満たされないこと」だった。満たされた人間には、もう幸せは来ない。飢え乾き、追い求める中で、人が生きる喜びは生まれるのだと思うからだ。
お金を稼ぐためには人は大いなる苦しみ、手間暇、疲労などの得たくない泥沼をかき分ける必要がある。挙句に、その泥沼に金塊が沈んでいるとは限らないのだ。その手に残るものは徒労のみ。そんなことも多くあった。
閑話休題
人が人らしくあるために、それなりにストレスが必要である。しかし私にはやりたいことがある。
やりたいことをやる。そのために手間暇を惜しむつもりはない。しかし、現実としてのしかかってくる問題もある。
人が生きる上で、問題がないことなんてあり得ない。人が人らしく営むと、そこには必ず問題が発生する。
今の仕事場には不満しかない。しかし、業務のフィールドや関わる人々には恵まれた。そんな安寧の棺桶に片足を突っ込みながら自分の力を付ける。今の状況の中で、使えるものは使う。足りないものは、なんとか自分で補う。自分のために。
だからこそ、やりたいことをやろうと思い、我である秋嵐くんはフリーライターを志したのである。