という訳で、何とかMSN-0096SHIKI(黒式)様主催「ザブングルグラフィティ通」にて乱造稚拙ながら一品デッチ上げる事が出来ました。

事の発端はこちら。


事の顛末はこちら。

その最中、せっかくの機会だったので「戦闘メカ ザブングル」(1982)発表当時「1980年代前半」の状況・事情を、何時もの個人的備忘録として書き綴っていたのですが…


あまりに思い入れが強過ぎて、軽く何時もの容量オーバー。所々で「完成させな祭」も引き続く中、今回はそんな与太話を、何とこの期に及んで前後編の二部構成にて取りまとめ。

楽しかった「ザブングルグラフィティ通」祭への自分なりの〆とする事にしました。

庇を借りて母屋を乗っ取らんがばかりのこの所業。他人様のお祭りの末席に乗せて頂いておきながら何とも情けない話ではあるのですが、自身に残されたほんの僅かな気力・体力・時の運。

全てを掛けて踊り切る為にどーしても必要だった事前儀式。備忘録だから仕方がないね。

純粋なキットレビューのみご所望かつ「お前の個人的な事なんざどーでもいーわ!」という方々には大変申し訳ないのですが、こんな有様ですのでブラウザバック推奨。

とは言え、それでも読んでもらう事で見方が変わり、ザブングルへの評価が一転してより「楽しく(カッコ良く)見る」事が出来る!…かもかも?だといいな。

当の昔に完結した本作。故にいつものネタバレ満載裏付無・特定個人&団体への非難の欠片も無い、愛故のお気楽極楽与太話。

それでもお時間のある方は、何卒寛容にお付き合い下さい…それでは、どうぞ!


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「富野 由悠季」氏と言えば、言わずと知れたアニメ制作会社サンライズにおいて様々なロボットアニメを発表してきた名監督。
その中でも「機動戦士ガンダム」(1978)において提示した"ハードかつリアリティ溢れる設定"に基ずく世界観・物語構成は、後に「リアルロボット物」路線と呼ばれる作品群を産み出す大きな切っ掛けとなりました。

そんな「リアルロボット物」を数多く輩出してきた富野監督作品は、主に「白富野/黒富野」と言う分類でその内容が語られる事が多いような感じがします。

特に本案件となる「戦闘メカ ザブングル」(1982)については、白富野の末席としてサラッと流される事しばし…でも「ちょ待てよ。」この現状に関してはキムタクばりのツッコミを入れさせて頂きたい。

何故ならこの"ザブングル"は、個人的に「富野監督作品における最高傑作」だと確信しているからです…それも「今でも充分通用する作品(※)」として(異論はもちろん認めます)。

※…昔の作品でよく言われる「作画の古さ」への抵抗感について否定はしません。が、昨今の「デジタル彩色・作画」が「FRP性のレーシングカー/抵抗の少ない航空機」然としているのに対し、本作当時の「アナログ彩色・作画」はザブングルの目指した「AFV/MSV」的雰囲気にマッチ。今の人には「味のある作画」と解釈して頂きたい所。


自分の中での富野作品の分類は、白黒と言うよりもっと感覚的な方がしっくり来ます。ザブングル前で例えると…

◼️「スゴい」作品
・無敵超人ザンボット3(1977)
・伝説巨神イデオン(1980)

◼️「面白い」作品
・無敵鋼人ダイターン3(1978)
・機動戦士ガンダム(1979)

ではザブングルはどうなのか?と言うと、そのどちらでもない

◼️「楽しい」作品
・戦闘メカザブングル(1982)

そしてこれは「現状全ての富野作品」を並べてみても変わりません…つまり、数有る富野監督作品の中でも「唯一無二」の「楽しい」作品。それが"ザブングル"なのです。

では、なぜ「楽しい」作品に仕上がったのか?それにはやはり、それ相応の理由と言うモノが在ったりします。

【1】サンライズ作品の"その後"を方向付けた「パターン破りのザブングル」

【2】劣悪・貧乏な制作環境を逆手に取った「究極のリミテッド・アニメ活劇」

【3】シンプルながらも端的に独自の世界観を提示した「3日の掟」「ブルー・ストーン」の奥深さ


【4】80年代当時のサブカルチャー誌(アニメ・模型・漫画等)で見る「ザブングルの評価」


【5】小学生 中学年の一ザブングルファンから見た「1/100 ギャリア・ショック」


今回はその理由と事例を上記5項目に分別し、各々解析してみようと思います。


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【1】サンライズ作品の"その後"を方向付けた「パターン破りのザブングル」

80年代前半における(ロボット物も含めた)あらゆる男子向キャラクタータイトルの中で、その展開が最も挑戦的だったのが本作。

誰が言ったかいつの間にか付いたキャッチコピーが「パターン破りのザブングル」。尤もこれは何もかもが初めての試みだった訳ではありません。

真に評価されるべきは「新規性」では無く、あらゆる楽しいレア要素をブチ込みまくったその「貪欲さ」。これこそが"ザブングルの真骨頂"だったのです。

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①カッコ良くない主人公

この当時の主人公像と言えば十中八九色男で、ギャグ物ですら見映えの悪くない最低限な容姿な事が当たり前の時代でした(※)。
※…流石に原作漫画&TVアニメで見慣れていた「銀河鉄道999」(1977)の主人公「星野 鉄郎」が、劇場版(1979)では等身が伸びて「カッコ良くなってしまった」時は賛否両論巻き起こりましたが。
処がそんな「時代の要請」に抗うかの如く、本作の主人公「ジロン・アモス」は別名「メロン・アモス」と称される程の丸顔で、当時のアニメ誌では良くて「三枚目」酷い時は平気で「ブ男」なんて書き方をしていたように思います(※)。

※…何しろ当時はハラスメントなんて言葉・倫理観なぞ全く無い時代でしたから。

しかも、この頃の主人公らしからぬ「大義」を持たないエゴイスト(復讐者)。尤もそれはジロンのみならず、その周辺を固めるレギュラーキャラも同様。

生きていくのに大義はいらぬ、どんな事でもやってやる。小市民かつ小悪党な、何とも人間臭い処が魅力的。

そんな小市民かつ小悪党な連中が、ボヤキながらギャグもシリアスも難なくこなし、一生懸命に生きながら巨悪を討つ。大事なのはノリよノリ!


そのパワフルな勢い溢れる生き様から、次第に勇気と希望をもらえるようになります。


「男は顔じゃない、生き様だ」ジロンはそれを体現する、何とも「男前な」主人公だったのです。

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②複数存在する主人公機

③主人公機対決


そんなジロンが駆る主人公機ザブングル。「機動戦士ガンダム0083」(1991)・「機動戦士ガンダムSEED」(2002)では殊更「ガンダム対ガンダム」を謳っていましたが、その遥か前、本作及び「装甲騎兵ボトムズ」(1983)であっさりと実現化してたりします。

これは「ウルトラマン」(1966)・「仮面ライダー」(1971)等のキャラ物で定番だった所謂「ニセ物回」&「機動戦士ガンダム」(1978)で初めてキャラ物で定番化させた「量産型(ザク)」という概念の合体応用技。

本作が突出しているのは、人気回確実なこの流れを「第1話の掴み」として展開して見せた点にあったりします。


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④ガンプラMSVの魅力を具現化した「ミリタリー・生活感満載」の多彩なWM

「活劇=ギャグ・アクション」な本作において、そのアクション&独特の世界観を魅力溢れるモノとして提示して見せたのが、当時のSFブームで一気にメジャー化した鳥脚型の作業・戦闘用ロボット「ウォーカー・マシン(以降 WM)」です。


「∀ガンダム」(1999)において、∀が洗濯したり牛さんを運んでいたりして、当時流行していた「"日常アニメ"要素の投入か?!」等と話題になっていましたが…

ザブングルにおける「日常」描写はそんなレベルじゃなかったんスよ?移動・喧嘩は当たり前。サーフィンにスキー・組体操に泥棒・ニセ物製作等、ロボット=人型である事を良いことに…否、最大限に活かした(イカれた)アクション満載でしたから。

ハンドル&ギア&クラッチ&ブレーキのたった四系統操作であまりに多彩なアクションをこなすため、WMに搭載されてる「コンピュータ・コア」ってどんだけ高性能なんだ?って話にもなった程。
そしてまたこれ等のシーンが、当時のホビー業界の主流だった「ガンダム」書籍記事企画「MSV」=「AFV」的演出にピタリとハマっていたのです。

そんな最中に発売されていたのが「バンダイのプラモデル"WMシリーズ"」。まだ旧イマイ時代の繊細なリアルスケールモデルのノウハウを残していた、当時のバンダイ ホビー部独特の息吹が感じられる名キットが多数残されています。

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⑤矜持を持つ小悪党?個性溢れるライバルキャラ達

そして、主人公ジロンの前に立ちはだかるのが、これまた小市民かつ小悪党ながら魅力溢れる個性豊かな面々です。

・ニヒルで凄腕ながら、最後がどうも決めきれない「ティンプ・シャローン」

・ヒロインのエルチに惚れてるが故、これまた爪の甘い「キッド・ホーラ」

・愛する人の敵を討つためジロンへの復讐を誓う「合せ鏡」的存在の人情派「カラス・カラス」

その中でも特に目立っていたのが、この頃既に「女性の強さ」に着目していた富野監督ならではの、世論に先んじた「ジェンダーフリー」男勝りの魅力的な女性陣。


・陰険な年増女のヒステリー責めは怖い「ギャブレット・ギャブレー」

・ボーイッシュな魅力満載!ザブングル一の人気ゲストキャラ「トロン・ミラン」

・愛する夫のため「迸る女っ気」で突っ走る凄腕女房「グレタ・カラス」等々

そしてこれは先の④にも直結する事なのですが、ヘタなネームド・メカや専門機よりもよっぽど魅力的な活躍を「量産型WM」で彼らが行うため、プラモデルの独自改造(設定)のしがいがある作品となっていたのです。

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⑥書籍設定上でしか見れなかった「現地改修型(F/A装備)」の初めてのアニメ映像化

そしてWMの持つ「ガンプラMSV」=「AFV」的演出のもう1つの魅力。それが「カスタマイズ」「チューニング」等の、いわゆる「現地改修型」の存在です。

これまでも「マジンガーZ」「スーパーロボット レッド・バロン」(1973)等のスクランダー型装備において、確かに単品装備によるパワーアップを示した事例は存在しました。

ですが「別のメカに見える」程の変化を伴う改修は行われていなかったのが実情(キャラクター性の維持という観点から見ればこれは当然)。そこに「現地改修型」という概念を初めて提示したのが、ガンダムから派生した「MSV」という書籍記事企画でした。

その中でも特に当時の男の子達の心をワシ掴みしたのが「武装全載(フル・アームド)」「装甲全載(フル・アーマー)」…所謂「全身を隈無く武装で覆う"F/A装備化"」概念です(※)。

※…各々「パーフェクト・ガンダム」「フルアーマー・ガンダム」として結実。今や殆どのガンダムが何かしら「F/A装備化」されてますね。

そんな書籍設定上でのみ存在していた概念を初めて「TVアニメ」で動かして見せたのが、本作第14話に登場した「フル装備型ザブングル」だったのです。

当然CGなぞ無い時代に全手書き、かつ時間のかけられる劇場では無くペースの早いTVアニメ。そのインパクトは絶大なモノがありました。

この「F/A装備化」は、翌1983年後発のロボット物において一種のトレンド化を果たす事となります。


「武装全載(フル・アームド)」で言えば、「装甲騎兵ボトムズ」の「レッドショルダーカスタム」&「超時空要塞マクロス」の「スーパーバルキリー」。

「装甲全載(フル・アーマー)」で言えば、やはりマクロスの「アーマードバルキリー」&「特装機兵ドルバック」の「コンバットキャリバー」等々。

近年立体化された物では「GEAR戦士 電童」(2000)や「機動戦士ガンダムUC(アニメ)」(2012)と言った処でしょうか…特に電童については、ザブングルのフル装備パーツのデザインがそのまま使い回されてたりします。

ザブングルのフル装備は設定上「専用機材」とされていますが、おそらくイノセント直轄の「メーカー品」では無く、コトセットやジロンの手による「カスタマイズ品」だったのでは?と思っています。その位の「手造り感=現地改造感」を、本編の空気感は醸し出していたからです


ギャリアにも「5連装ミサイルランチャー&ブーメラン・イディオム」というフル装備がありますが、ガッチリ感が強すぎてどう見てもイノセント直轄の「メーカー品」。その場のデッチ上げ「現地改造感=手造り感」には欠けるのです(しかも本編に殆ど出てこなかったし)。


処が、ギャリアはギャリアでロボットキャラクター史上初「自分の身の丈を遥かに越える物理攻撃(=玩具・模型では支え無しで持たせられない!)」=「巨大ミサイル(ICBM)投げ」を披露しています。
これは後に「重戦機エルガイム」(1984)の「バスターランチャー」、「機動戦士Zガンダム」(1985)の「ハイパー・メガ・ランチャー」等に代表される「超巨大兵装」のトレンド化へと繋がっていきます。

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⑦複数存在する母艦
⑧母艦同士のガチンコタイマン対決(物理)

本作の前半・そして後半における最大級のクライマックスシーンと言えば、母艦たる「アイアン・ギア(以降 IG)」同士による迫力の「ガチンコタイマン対決」な事に同意してくれる方々も多いかと思います。

元々「サンダーバード」(1965)の頃から男の子の間で人気のあった「基地遊び」。その後「宇宙戦艦ヤマト」(1974)ブームにより、玩具・模型スポンサー作品の主な活躍場が「基地」からコンパクトにまとめられ移動可能な「母艦」へと変化する事になります。

そしてプレイバリューの面から「基地=母艦」がそのまま「ロボット」に変形する事は、もはや時間の問題でした。

玩具オリジナル展開だった「タカラ ダイアクロン」シリーズは、一足早く「基地→人型ロボット」へと変形する「ロボットベース」(1980)を発売。

特撮では「宇宙刑事ギャバン」(1982)にて竜型ロボットに変形する「ドルギラン」が登場。その同年TVアニメで登場したのが「地上移動艦→人型ロボット(WM)」への変形可能な本作のIGでした。

処がこのIGが凄まじいのは、敵にも同型艦を登場させたあげく、母艦同士のガチンコタイマン対決を「砲撃戦」のみならず、物理的な「体当り戦」そして「殴り合い」で行わせた点にあります…ちょっと自分でも何言ってるかよく分からなくなってきたな(※)。

※…更には、敵艦を「パクる」& 誤魔化すために「塗り直す」のオマケ付


後日「母艦→ロボット」変形モノの大本命となる「超時空要塞マクロス」(1982)が放映される事となりますが…

現在まで続く「マクロス」シリーズにおいてですら、一方的に「殴る」事はあっても未だ「殴り合い」には至っていないのです(…無いよね?)。

この点だけでも、当時の本作の桁外れな「パターン破り」ぶりが伝わるのではないでしょうか(※)。
※…ちなみに、本作では「主人公機 対 母艦」ガチンコ対決も既に行われています。「マクロス」シリーズきってのイカれポンチ野郎「マクロスプラス」(1994)の主人公「イサム・ダイソン」によって行われたこの所業。

本作の主人公ジロンも、つまりは相当なイカれポンチ野郎だと言う事です。

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⑨主人公機の交代劇

当時最も「パターン破り」と称されたのが、この交代劇。臆面もなく「商業として意図的に」後継機を提示された事は、ファンにとっては却って新鮮に見えたのです。

交代時のオープニング映像差替も含めてこれも初めてのケースでは無く、タイトル変更も含めば「ゲッターロボ」(1974)→「ゲッターロボG」(1975)。
ロボでは無くビーグルなら「タイムボカン」(1975)。同じテレビ漫画・ロボット枠でジャンル違いの特撮なら「ジャンボーグA」(1973)で既に実現化していたりします。

…尤も後日、肝心要な1/100ギャリアが発売中止となる事で、当時のファンは「商業主義の業の深さ」をもまざまざと見せ付けられる事となるのですが…(※)

※…詳細は【5】小学生 中学年の一ザブングルファンから見た「1/100 ギャリア・ショック」にて後述します。

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⑩当時の主流を真っ向から否定した「ファット・フォルム」な主人公機デザイン

そしてジロン待望の後継機「ウォーカー・ギャリア」が登場する事になる訳ですが…初見の印象は「幻滅」その一言に尽きます。

と言うのも、当時のロボット物主人公機と言えば「グレートマジンガー」(1974)以降のマッシブな「ストロング・スタイル」か「勇者ライディーン」(1975)以降のスタイリッシュな「ファッションモデル・スタイル」の二択。

どちらにしても脚が長く身の引き締まった「スマート・フォルム」がデフォだったこの時代に、よりにもよって中年太りのオッサンのような「ファット・フォルム(※)」を提示してきたからです。

※…子供だった当時は無邪気に「デブっちょ」なんて呼んでました。

尤も「ファット・フォルム」なロボット物が全く存在しなかった訳でもありません。「鉄人28号(アニメ)」(1963)・「ゴワッパー5 ゴーダム」(1976)がそれに当たるのですが…

まあ詳細は省くとして、その後を継ぐモノは現れていませんでした…無いには無いなりの理由が有る。かように「ファット・フォルム」は半ばタブー視されていたのです。

そんな当時の「ファット・フォルム」への困惑ぶりを示す格好の資料も存在します。それも、スポンサーたる玩具メーカーから発売された商品で。


それがこちらの「タカラ マグネモシリーズ」のゴーダム&「クローバー DX変形合体シリーズ」のウォーカー・ギャリア。

マグネモシリーズ&DX変形合体シリーズと言えば、ガレージキットにも負けず劣らずの高い造形技術に裏付された「劇中スタイル再現力」に定評のあるシリーズ。

そんな「オーパーツ的玩具」を排出してきた玩具メーカースタッフですら、思わず「スマート・フォルム」化して市場に出してしまう有様だったのです(※)。

※…なお、当時の玩具・模型メーカーが「ファット・フォルム」を充分実現化出来る力量を持っていた事は「ドム」そして「1/144 ウォーカー・ギャリア」が証明しています。

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⑪リアルロボット史上初「面白カッコいい」凸凹主人公機コンビ(&ライバル機)

ところが、実際に動いてみると「トンデモ魅力メカ」で視聴者の度肝を抜き、(自分も含めた)その手のひら返しっぷりはいっそ清々しいモノでした(※)。

※…ここまでの視聴者の手のひら返しっぷりは、個人的に「仮面ライダー555」(2003)第1話にて「闇の中、光りながらライダーキックを咬ました瞬間」以外、見た事がありません。

これには幾つかの理由が考えられます。

・ジロンのリアクションが、自転車/バイク/車等の「新車購入時」を思わせる「男子の共感を得やすいモノ」だった事

・ガンダム→ガンプラブームのおかげで「ファット・フォルム」なデザイン(ドム等)を「カッコ良さ」として享受出来るだけの素性がファン間で熟成されていた事

・先代主人公機のザブングルも、ギャリアとの凸凹コンビでカッコ良さ&ギャグ両面において対等な活躍の場が与えられた事

そして何よりも

・ギャリア初登場回にて大幅なギャグ演出変更が図られ、それが効を奏した事(※)

※…【2】劣悪・貧乏な制作環境を逆手に取った「究極のリミテッド・アニメ活劇」にて後述します。

脚本・企画・構成・演出の全てにおいて相当に練られた対応が為され、それが効を奏した結果、以降のサンライズ作品において「主人公機の交代」が定番化する事となります。

ちなみに「面白カッコいい」というキャッチコピーは、本作と同じアニメ制作会社より発表された「魔神英雄伝ワタル」(1988)からのモノ。
初めて聞いた時「ギャリア初見時のインパクトって、一言で言い表すと正にこれだよなあ…」と思った次第。

なお、当時の制作状況の厳しさ(既に玩具メーカーがスポンサーについていた作品を引き継いだモノ)から、何かと「世界観に合っていない」と証されてきた先代メカ・ザブングルについてなのですが…


子供だった立場からすると、当時の流行「スマート・フォルム」「合体変形」「ヒロイックさ」に新たな「MSV要素=リアルロボット」成分を加えて提示されたザブングルは「充分に新鮮で魅力的」な存在でした(※)。

※…尤も製作スタッフ自身がザブングルのデザインに不満だったという事で、世界観に合わせて合体変形機構を廃しリデザインしたのが、これまた定番人気要素のライバル機「ブラッカリィ」だとか。

何しろ「ガンダム」直後の「リアルロボット」路線と言えば「イデオン」か「ダグラム」位で、(青年層はともかく)主視聴者の子供達にとっては、そのどちらもリアルロボット要素が強過ぎ、内容もハード過ぎたからです(※)


※…当時の気持ちを素直に書くなら「ジンルイニハマダハヤスギル…トクニデロイアノセイカンアラソイトバッフクランメカ」と思っていました。

以前の「スーパーロボット路線」のヒロイックさと「リアルロボット路線」のリアルさの調度良い案配が「ザブングル」だったのです。


例えば玩具・模型メーカーは、長年主役ロボットメカデザインにおいてキャラクター性の強い「デュアル・アイ(2つの目)」の風潮を脱せずにいました。

それを覆せるようになったのは「ガンダムブーム」(1980)にて「デュアル・アイ」だった主役メカ(ガンダム)のみならず、サブメカ(ガンキャノン・ガンタンク)・敵メカ(ジオンMS)にも人気が生じた結果以降となります。

特にサブメカだった「ガンキャノン=バイザー・アイ」&「ガンタンク=コックピット型ヘッド」デザインは、以降の「ロボット物」においてトレンド…否「定番化」を果たす事となります。メーカー毎で見て行くと…

・タカラ:太陽の牙ダグラム(1981)→コックピット型ヘッド
・バンダイ:宇宙大帝ゴッドシグマ(1980)→バイザー・アイ
・トミー:伝説巨神イデオン(1980)→バイザー・アイ

・タカトクトイス:超時空要塞マクロス&「銀河疾風サスライガー」(1983)→バイザー・アイ

※特撮ロボでは、バンダイ:「科学戦隊ダイナマン」(1983)→バイザー・アイ


そして、

・クローバー:戦闘メカザブングル(1982)→バイザー・アイ


確かに「イデオン」「ダグラム」以降でインパクトには欠けますが、メーカー毎で見ればザブングルも充分に「革新的」で「先進的」なデザインだったのです。

と同時に、「世界観」云々以前にいきなり「ファット・スタイル」なギャリア(or「非合体変形」なブラッカリィ)を提示されても、当時の市場に受け入れられるには相当ハードルが高かったであろう事も容易に想像つきます。


何はともあれ、登場当時充分に「革新的」で「先進的」なデザインが、キャラクターデザイン湖川 友謙 氏(&ビーヴォー)による「流麗なマス感」溢れるアレンジでアクション作画されたのです。

こんなにカッコ良くて面白い、スマート&ファット(&ストロング)な「リアルロボット主役メカ」凸凹コンビ(&ライバル機)もそうそう無いと思います。

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⑫美形キャラのパターンを覆す「無敵の病弱人」アーサー様


「男子玩具の宣伝映像」と揶揄されていた「ロボット物」ですら、その作品人気の勢いを大きく左右するのが「女性層」である事は、当時の「製作側」も充分理解しておりました。

1970~80年代当時「キャラクター作品」の中で「テーマ・表現・技法」全てにおいて最先端を行っていたのが「少女マンガ」。

その「テーマ・表現・技法」を明確な形で「ロボット・アニメ」に取り入れたのが、1975年に発表された「勇者ライディーン」「UFOロボ グレンダイザー」等の作品群…所謂、薄幸の「美形キャラ」の台頭です。
その後「ベルサイユのばら(アニメ)」(1978)を以て、日本のTVアニメーションにおける「美形キャラ」の魅せ方に1つの決着「パターン化」が成される訳ですが…

そんな「パターン化」が成されると、今度はそのパターンを崩したくなるのが「ギャグ漫画」の宿命。

ちょうどこの頃、「少年漫画」において「ギャグ漫画」の革命が突然変異の形で現れます。それが、1977年に発表された「すすめ!!パイレーツ」「マカロニほうれん荘」の2作品です。

各々強烈な個性はありますが、共通していたのは「スタイリッシュでスマートな"ごっこ遊び"」というメタネタ前提の新たなギャグの見せ方でした。

この"ごっこ遊び"に関しては、当時で言う処の「おちょくる」・今で言う処の「弄る」に値する「対象=ネタ元」が必要不可欠な訳ですが、その「対象=ネタ元」の1つとして「美形キャラ」をも押さえていた処が革新的だったのです。

処が、そんなほぼ同時期の「少女マンガ」においても、やはり突然変異とも言うべき「ギャグ漫画」が登場しています…しかも、この作品の特徴は「スタイリッシュでスマートな"美形キャラ"ギャグ」。


「美形キャラ」を「おちょくる」「弄る」事に特化しているが故、その方面のギャグに関しては他より一歩も二歩も先んじていたのです。
その作品こそ、奇しくもザブングルと同じ年にアニメ化を果たした「パタリロ」(1978)です。

パタリロの「スタイリッシュでスマートな"美形キャラ"ギャグ」が革新的だったのは「美形キャラもガンガン突っ込んでボケ倒すスタイル」を提示した点にありました。

「パタリロ」以前にも、確かに「美形キャラ」を「おちょくる」「弄る」事で「ギャグ」としていた作品はありました。


処がそれは「美形キャラ」自らがボケ&ツッコミで笑いを取りに行くのでは無く、周辺キャラがボケ&ツッコミとして勝手に「拾う」事で、結果的に「ギャグ」として成立させていたに過ぎません。

「美形キャラ」はあくまでも美形キャラのスタンスであり、既成のポジションから大きく逸脱するモノでは無かったのです(※)。

※…まず作者自身が、欄外に「××先生orファン、ごめんなさい」と謝罪を入れている段階で"負い目"を感じている事。またキャラ自体が「赤面」「崩れ顔(デフォルメ)」描写されている段階で"照れ"て"ちゃかし"止まりになっている事(※※)。

※※…つまり、作者&キャラ自身が「美形キャラ」である事を自覚し、「ギャグキャラ」になる事に"躊躇"してしまっていたのです。

処が「パタリロ」の「バンコラン」「マライヒ」は違います。「真顔(シリアス)」のまま、自らボケもツッコミも難なくこなす。

彼らは「美形キャラ」である以前に「ギャグキャラ」だと言う事を、作者&キャラ自身が充分自覚した上で「確信犯的に」ギャグを行っているからです(※)。

※…デフォルメ等身時に「目口鼻だけシリアス描写」というのは、当時「確信犯的に」ギャグを行っているパタリロならではの手法でした。

・美形キャラ→「美形な事に命(キャラ)をかける」

・パタリロの美形キャラ→「受ける事に命(キャラ)をかける」

この2つの差は小さいようで、実際は大きな差があります。そしてこれは「ザブングル」に登場する「二大美形キャラ」各々の特徴をそのまま言い表したモノでもあります。即ち、


・「美形な事に命(キャラ)をかける」→ビエル

・「受ける事に命(キャラ)をかける」→アーサー・ランク

「従来の美形キャラ」たるビエルの合せ鏡として「当時最先端の美形キャラ」を体現して見せたのがアーサー・ランクだったのです。


当時の「美形キャラ」に関して、主視聴者層たる「子供達(男の子)」の反応は一律「キライ」の一言に尽きます。気になる異性(女の子)の心を掴む「美形キャラ」に対し、素直にやっかみの気持ちを抱いていたからです(※)。

※…故に当時、ビエルも含め軒並み敵キャラとして「美形キャラ」が配されていたのかと思います。

処がアーサー・ランク…否「アーサー様」に関して言えば、美形キャラながら「子供達(男の子)」の間で「キライ」なのは誰一人としていませんでした。


当時の「子供達(男の子)」自身、大いに不思議だったのです…何故「美形キャラ」なのにアーサー様だけは「キライ」になれないのか。


尤も「子供達(男の子)」は、理屈化(言語化)する事無く素直な感覚だけで受け入れました…だってアーサー様が出るだけで、単純にザブングルの面白さが2~3割増となったからです。


そんな当時の「子供達(男の子)」が「理屈化(言語化)」出来なかった「アーサー様の魅力」について、今ならこう答えると思います。

「美形よりギャグの方が美味しい」事が解った上で確信犯的に行動する、今までにいなかった「美形キャラ」だから。と。


アーサー様の達が悪いのが「病弱薄命薄幸」な美形キャラを装いながら、ザブングルのどのキャラよりもギャグに対して「貪欲かつあざといタフなキャラクター性」。

・薔薇背景を背負って登場したり、殊更 気弱なセリフを吐いて見せるのは、単にその場にいる女性キャラ達へのファンサービスのため。


・カメラの向こう側(=視聴者)を鏡に見立て、それ処じゃないのに髪の毛を整える余裕を見せてのメタネタブッ込み。

・ジロンに止めなさいって言われてるにも関わらず、何度も体を張った繰り返しギャグを行う


・「びけいきゃらのやくめ(パターン)でしょ?」と言わんばかりにざっくり面倒事を一身に背負っての早々離脱(それを受けてジロンもノリノリなんだよなあ…)…等々。


失うモノが無いために躊躇い無く犯行を行う「無敵の人」という言葉がありますが、アーサー様は受ける事なら何でも行う「ギャグ版 無敵の人」。「只の美形キャラじゃない」のは当然の事だったのです。

なお個人的に、アーサー様のキャラクター性は今でも充分に通用すると思っています。と言うのも、近年登場した「とあるキャラ」が、アーサー様と全く同じ立ち位置かつ「ギャグ版 無敵の人」だったからです。

それが「銀魂(アニメ制作は同じサンライズ!)」(2004)に登場する”将ちゃん”こと、江戸幕府第14代将軍・徳川茂茂。

・傀儡政権の象徴とされている事
・強い責任感と気さくさを持った優しい人徳者な事
・弄られまくりのギャグ要員な事
・主要キャラと仲良しな事(銀魂内では"ダチ公"と呼んでましたね)
・そして、共に悲劇的な最期を向かえる事(※)

流石に”将ちゃん”程の「下ネタ」はブッ込んでは来ませんが、当時のアーサー様の「美形キャラとしての先進性」が、少しでも伝わればこれ幸いです。

※…なお、TVアニメ放映後に公開された劇場版「ザブングル・グラフィティ」も併せてご覧頂けると、少し意味合いの異なった結末がご覧頂けます。

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…とまあ、このように手っ取り早く書き出しただけでも軽く10を越える「パターン破り」をザブングルは披露しており、突き詰めればその数は更に増加します。

全50話に渡るTVアニメの中で、少なくとも「4話=1ヶ月に1回」の割合で「パターン破り」がブチ込まれて来る訳ですから、これが面白くならない訳が無い。そのお陰で、毎週放映が楽しみでしょうがなかったのがザブングルなのです(※)。

※…3/6よりYoutubeにて毎週公開配信中!

この「(ロボット物)掟破りのザブングル」の「楽しさ」は玩具・模型メーカーにも受け入れられ、以降そのままアニメ会社「サンライズ」ロボット物の「定番」となって行ったのです。

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【2】劣悪・貧乏な制作環境を逆手に取った「究極のリミテッド・アニメ活劇」

何はともあれ、まずはこちらの画像をご覧下さい。ロボのコクピット内にパイロットが居て、手前のロボにもキャラが乗って動き回る。ザブングルでは「ごく当たり前」なこのカット。

これなのですが「CG全盛」の現代においてすら、面倒&手間がかかるため敬遠されがちな「人と巨大ロボの対象比較前提の構図・視点」。

それを(作画崩れが当たり前なこの時代とはいえ)毎週放映するテレビアニメで「ごく自然にこなしてる」という、当時の作画スタッフの力量&熱量を推し測る参考例となります。


…さて。「ザブングル」については監督自身が様々なインタビューにて「未来少年コナン」(1978)=宮崎 駿 監督作品ならではの「アクションコメディ」即ち「活劇」を模倣する所から始めたと証言されています。

テーマはリアルロボット物初の「活劇=アクション」。それも「アニメーションらしいアクション」の追及。

という事で、ザブングル前半はかなり「コナンらしさ」を追及した(=アニメーターに負担のかかる)ほぼ「フルアニメ」に近いスムーズな表現方法を有していました。


処が26話「イノセント大乱戦」(ウォーカー・ギャリア初登場回!)以降、その表現方法がザブングル後半で劇的に変化します。

「大胆な中割抜き」を敢えて行う事で(=アニメーターにセンスを要求する)「リミテッドアニメ」ならではのラフな表現方法が採用されるようになったのです(※)。

※…後の「マクロス」参加のため、ザブングル前半で原画から籍を外した「板野 一郎 氏」ですが、「イデオン」での「板野サーカス」を目の当たりにした現場からすると、後半の作画でこそ力量を発揮して欲しかったんだろうなあ…とか思ったり思わなかったり。



東映動画班にて本格アニメ製作に携わってきた宮崎氏と、虫プロのアトム班にてリミテッドアニメを極めた富野氏。ザブングル前期/後期でその違いを明確化しているようで、中々興味深い事になっています。


どちらもアニメーションの持つ「快感原則」を押さえているため、今見ても充分気持ちよく動いて魅せてくれますが、その違いは明白。誤解を前提に敢えて乱暴簡潔に分類すると…

・前半…「フルアニメ」に近いスムーズな表現方法→クスリと笑える上品な笑い=「コミカル・アクション」

・後半…「リミテッドアニメ」ならではのラフな表現方法→ガハハと笑える下品な笑い=「ギャグ・アクション」

「どちらが良い悪い」と言う話では無く、最も異なるのが「活劇の笑いの質の違い」と言う事になります(※)。

※…そういえば丁度この頃、「ドラえもん」も「天才バカボン」も一律「痛快爆笑ギャグ」として紹介されていた事に、強烈な違和感を感じた事を思い出しました…バカボンはともかく、ドラえもんは「ほのぼのギャグ」か「ほのぼのユーモア」ですよね?

その最も顕著な事例として「ギャグの〆方」を一例に、その違いを考察してみようと思います。

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【ザブングル前/後半における"ギャグの〆方"の違いについての一考察】


皆様にはこういう経験は無いでしょうか…「お笑い」を見ていて、周りの人がドッと笑うモノの一瞬どこが笑い所か分からず、直後に理解し笑おうと思ったら、もう次のネタに行ってて笑うのを無理やり我慢した経験が。

「お笑い」での「〆のツッコミ」は、基本会話のテンポ良いやり取りの中に「スパッ!」と挟み込まれるほんの一瞬のモノ。

ここで「素早く反応」して笑えるのは「頭の回転が早い人」「ギャグを理解する知識を持つ人」「考え方の柔軟性がある人」と言う事になります。

処が「頭の回転」「ギャグを理解する知識」「考え方の柔軟性」は個人差があり「素早く反応出来る人」と「出来ない人」が当然出てきます。

仮に「素早く反応出来る人=若者」「素早く反応出来ない人=子供」とした場合、一瞬のツッコミ直後に「若者」はすぐ笑えますが、「子供」は状況把握に一テンポズレてしまい、次のネタのために笑い声を抑えざるを得なくなります。

つまり「子供」は笑えなかったストレスを無意識に溜め込む事となり、結果そのギャグが理解出来るにも関わらず「今一乗り切れない」=「面白くない」という評価を生み出す事となってしまうのです。

かと言って「子供」に合わせ、ツッコミ直後に「間を開ける」事こそ愚の骨頂。これをやると、今度は「テンポの良い会話のやり取り」のリズム自体が崩れ、今度は「若者」が笑えるモノも笑えなくなってしまうからです。

では「若者」「子供」双方に解りやすく「ここ!ここが笑い所ですよ?!」と合図的に誇張した〆ツッコミを行うのはどうか?そうなると今度は「ギャグを解説されている」=「バカにされてる」感が強くなり、双方から不評を買ってしまう事になります。

常日頃、あらゆる方面での「サジ加減」が「お笑い」の奥深さでもあり、難しい処だよなあ…と思うのです。

では「コナン」を参考とした「ザブングル前半」のギャグの〆方はどうなのか?

それはギャグ終了後、必ず「バタンキュー」「ハラホロヒレハレ」的な、誰もが分かりやすい「オチ画面」を最後に見せる方式。これだと「若者」「子供」双方に「笑わせる」間を取らせる事が出来ます。

反面、次のカットでは「話は変わって…」と場面転換を行わざるを得ない。メリハリはあるが「流れ」は止まり、「ギャグ」と言うよりはどこか上品な優等生的構成「コミカル」となってしまいます。

では「中割」を徹底的に排除した「ザブングル後半」のギャグの〆方はどうなのか?ここでは、主人公ジロンに相対する愉快で小悪党な敵コンビ「キッド・ホーラ&ゲラバ・ゲラバ」の定番やりとりから説明してみます。
このコンビの鉄板ネタとして「ホーラが真面目な話をしてるのに、話も聞かず視聴者アピールに余念の無いゲラバ。ホーラ、全力で〆ツッコミを叩き込む」というのがあるのですが…

ホーラが全力で〆ツッコミを入れた直後、その反動で ゲ ラ バ が 何 故 か ゆ っ く り と 横 ス ラ イ ド 移 動 で ス ッ 飛 ん で い く の で す 。


普通の〆ツッコミなら、その後のリアクションはせいぜい1秒もかかりません。処がゲラバは、空中に吹き飛ばされながらヘタをすると 3 秒 近 く も 滞 空 し 続 け る の で す 。

ではゲラバがお間抜けに滞空している間、視聴者はこれをどう解釈して行くのか?時間経過順に羅列していくとこうなります。

①〆ツッコミ後 0~0.5秒…「若者」が一笑い

②〆ツッコミ後 0.5~1.0秒…「子供」が1テンポ遅れて一笑い

③〆ツッコミ後 1.0~1.5秒…「若者」が、チープな止め絵スライドながらまだ滞空しているゲラバに「…くそっ、こんなんで!」という二笑い目に突入

④〆ツッコミ後 1.5~2.0秒…「子供」が、今だ滞空し続けてるゲラバに気が付き、二笑い目に突入

⑤〆ツッコミ後 2.0~2.5秒…「若者」が、流石に滞空長過ぎだろ?と突込み三笑いor苦笑い

問題はこの⑤。苦笑いする「若者」の中には流石に「しつこい!」と思う人も出て来るはずなのですが…ここで「絵」とは別に繰り広げられている「流れ」に気が付く事になります。

それが、〆ツッコミ直後からハイテンションのまま継続中の「声優さん達によるアドリブ合戦」。その結果、

⑥〆ツッコミ後 2.5~3.0秒…「若者」も「子供」も、激しい「アドリブ合戦」に耳を傾け出す(※)。

※…ザブングルの声優陣は芸達者な方ばかりなのですが(レギュラー陣一の若手がチル役「ちびまる子ちゃん」のTARAKO氏!)、中でも「キッド」役の二又 一成 氏&「ゲラバ」役の西村 知道 氏は、共に自然な演技で「場のトーン」を一変させる技に長けておりました(※※)
※※…「めぞん一刻(アニメ)」(1986)の五代 裕作 役 &「魔神英雄伝ワタル」(1988)のシバラク先生 役でその長所を遺憾無く発揮した後、「機動警察パトレイバー」(1988)の進士 幹泰 役 & 松井 孝弘 役にて再び共演。シリアスorギャグの「場のトーン」を司る重要な役柄を演じています。


・止め絵スライドによる間稼ぎ
・声優陣のアドリブによる間繋ぎ

実はこの2方式こそ、劣悪・貧乏な制作環境から来る「チープさ」を逆手に取った「リミテッド・アニメ」…否、「ザブングル後半」ならではの「新たなギャグの〆方」技法だったのです。

「ザブングル前半」の「オチ画面」方式だと、この後に場面転換を行わざるを得ず「流れ」は必ず止まってしまいます。
また「メリハリ」がハッキリしているが故、声優さんは脚本通りの演技のみで「アドリブ」を入れる余地もありません。

処が「ザブングル後半」の技法においては「若者」と「子供」双方の「笑い」を取り零す事無く、「流れ」が止まる事もありません。
だってその間にもゲラバが お 間 抜 け に ゆ っ く り と 空 中 を 飛 び 続 け 、アドリブ合戦の応酬も続いているからです。

その結果、「ザブングル後半」ではこのまま立て続けに怒濤の「ギャグ・ラッシュ」に突入する事が可能となったのです(※)。

※…もちろん、唐突に次カットに切り替える事で「話は変わって…」という場面転換を行う事も可能。その無慈悲かつ強引な〆方自体も「ギャグ」となります。

この怒濤の「ギャグ・ラッシュ」。リミテッド・アニメの「チープさ」を逆手にとった「反則技」に近く、下品で泥臭くコスい劣等生的構成とも言えます。ですが、どっちが「大爆笑」に繋がり易いかは一目瞭然。

こうしてザブングルは「前半=コミカル・アクション」から「後半=ギャグ・アクション」という大変革を成し遂げる事に成功。そしてこれは、物語内容の変化に対して思わぬ効果を発揮します。


ザブングルのストーリー構成は、大別して「前半→惑星ゾラを巡る道中記」「後半→イノセント激戦記」の二分構成となっています。

後半の「イノセント激戦記」となると、"ヒロイン エルチの誘拐""反乱軍ソルトとの軋轢""イノセントの猛攻"により、その内容が一気に「ハード・シリアス路線」へ大きく舵を切る事となりました。


あんなに元気で明るかったキャラ達が苦悩する姿を見せるようになった矢先、そんな空気を吹き飛ばすが如く「ギャグ・アクション」への路線変更が成され、先のアーサー様の登場と相まって、重苦しい雰囲気を中和させるのに大きな効果を発揮したのです。



その結果、「ギャグのテコ入れ」によって"笑いの質"を変えたザブングルは、終始一貫「楽しい」雰囲気を維持しつつ、最終回まで一気に「駆け抜ける」事が出来たのでした。

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何時の時代も、不変のメッセージを伝えてくれる。

又は、

見る時の状況によって、印象がガラリと変わる。

過去作に対し、そのどちらの評価も得るモノを「名作」と呼ぶのだとしたら、間違いなくザブングルは名作です。

今回の「ザブングルグラフィティ通」参加にあたって本作を改めて見直した訳ですが、楽しさは相変わらずだし、今の視点で見直すと新たな共感要素も発見出来ました。

例えば、ザブングル後半の「大胆な中割抜きによるラフな演出」。

これに関しては、何も考えず行えば只の手抜きになってしまう。少ない労力で大作に負けじと良く見せるには「要素の取捨選択に対する相応なセンス」が要求されます。

例えば、ザブングル前半の「小市民かつ小悪党」なキャラクター達による「惑星ゾラ道中記」。

小悪党故に、画面内での彼らの不幸・ボヤキはそのまま笑って見てられる。でも小市民故に、画面内での彼らの幸福・歓声もそのまま笑って受け止められる。
ローカル番組「水曜どうでしょう」で明確化されたこの演出構成は、ただひたすら「出演者のいらぬ苦労&努力」が要求される過酷なモノ。
「要素の取捨選択に対する相応なセンス」&「出演者のいらぬ苦労&努力」というこの2要素は、プロに比べて技術が劣る代りに持ち前のセンスと時間をかけて「面白い映像」を作る、昨今の映像アマチュア・プライベーターを彷彿とさせます。

1990年代のFlashアニメムーブ。2000年代中盤以降のニコニコ動画ムーブ。そして、2010年代以降のYoutubeムーブ等々。


これ等最新の映像ムーブメントに対し、ザブングルの「製作スタイル」&「楽しさ」と共通するモノを、2022年の今 感じさせられてる。

…何とも不思議な感覚を、放映40周年の旧作から味わされている。そんな今日この頃なのです。

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…と言った処で、今回はここまで。

【3】シンプルながらも端的に独自の世界観を提示した「3日の掟」「ブルー・ストーン」の奥深さ


【4】80年代当時のサブカルチャー誌(アニメ・模型・漫画等)で見る「ザブングルの評価」


【5】小学生 中学年の一ザブングルファンから見た「1/100 ギャリア・ショック」


次回は以上3項目についてまとめていきます。