今回取り上げるのは、怒涛のラインナップ展開を続ける「GOOD SMAILE COMPANY」さんの「MODEROID」シリーズより「超高速ガルビオン」(1984。以下、本作)の主役メカ「ガルビオン」(以下、本キット)のキットレビューと相成ります。
本作については内容云々より、スポンサーたる「玩具メーカー倒産→アニメ放映打ち切り→果てはアニメ制作会社までもが倒産」の憂き目に会うという、同期の「超時空騎団サザンクロス」と共に「負の連鎖」の方が何かと話題になりがち。

更には2024年現在に至るまで「スーパーロボット大戦」(以下、スパロボ)参戦も余り果たせていない有様。とかく「不遇・残念な作品」と言うのが、本作専らの総評となっています。
尤も、自分の中では放映当時発売された名キット「イマイ 1/48 可変ガルビオン」(以下、旧キット)のお陰で、残念ではあったモノの左程怨嗟は残っておらず。

ただちょっとやりたい事が有り、いずれは…と思っていた矢先、旧キットとほぼ同サイズで発売してくれた本キットにテンションは否が応にも盛上がり捲り。
そんなロンリーチェイサーな「夢」を見事なまでに視覚化してくれているのが本キットのパッケージ(旧キットパッケージ絵の角度変えオマージュ?)。

モデロイドと言えば、塗装参考も考慮された一律「全身図」なパッケ絵な訳ですが、今回は「MERCY RABBIT」氏渾身の「サーカスⅠ・Ⅱ・Ⅲ」揃い踏みな描き起し。この後の展開も思わず期待しちゃいます。

開封してみると、相も変わらずギッシリかつ完成形のイメージが浮かぶ適度なパーツ分割&数。

繊細なツイン・アイ周りやウィンドウ部等、こちらもまた相も変らぬ痒い所に手が届く適切な一部塗装も健在です。
更に特筆すべきは、合体変形時のデンジャラスさを本能・視覚的に訴えかけて来る赤&黒二色印刷された「変形組立て説明書」。

この二色刷って、80年代当時の合金玩具の合体変形説明書の基本フォーマットなんすよ。これは完成後の楽しみとして「敢えて」後読みするとして…(※伏線)。
 
それでは早速、早速何時もの「パチ組・ガンプラマーカー」&クリアフィニッシュによるお気楽極楽対応で、放映時玩具未発売だった本作の無念を晴らしていくとしましょう。
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さて。そんな本作てすが、少なくとも都内在住の1中学生周辺での本作のイメージは当初決して悪いモノではありませんでした。というのも、以下3大ポイントを誇っていたためです。


【01】「ミーハー」かつ「ユルい」ツボを押さえたリアルロボット物


【02】時代を先取りニューパワー。制作は「あの」国際映画社が担当


【03】キャラクターデザインに「たがみ よしひさ」氏を採用


そんな80年代中盤当時の状況・事情を「極めて個人的な備忘録」として、本キット作成の合間に書き散らかしてみようと思います。


純粋なキットレビューのみをご所望な皆様には誠に申し訳ない気持ちで一杯なのですが、こんな有様ですのでブラウザバック推奨。このまま読み続けるにしても「ーーー」まで飛ばして頂けますとこれ幸い。備忘録だから仕方ないね。

何しろとうの昔に完結した本作ですので、ネタバレ前提・当時のライブ感を直接お届けすべく敢えていつもの裏付無・特定個人&団体への非難の欠片も無い、愛故のお気楽極楽与太話。

それでも知ってもらう事で見方が変わり、より「楽しく(カッコ良く)見る」事が出来るかも?…だといいな。という訳で、何卒お時間のある方は寛容にお付き合い下さい…それでは、どうぞ!

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そもそも何故本作が「そこそこ」の期待を持っていたのか?それを実を以て証明してくれる超一級の資料が存在します。放映直前に各玩具・模型店にて配布された「超時空騎団サザンクロス/超攻速ガルビオン ミニカタログ」(以下、本書)です。

「アニメブーム」真っ盛りな当時。サブカルチャー誌に端を発した「OUT」(1977)を皮切りに「アニメージュ」&「アニメック」(1978)・「ジ・アニメ」(1979)・「アニメディア」&「マイアニメ」(1981)等、アニメ誌全盛の時代でもありました。

ただブーム故に年間50タイトル以上の情報全てを付録攻勢を持ってしても網羅する事敵わず、已む無く「玩具・模型」メーカーが「タミヤニュース」(1967)・「ホビージャパン」(1969)体裁の「ホビー誌」を刊行する事で、主に「リアルロボット」タイトルの最新情報を補完しておりました。


その流れで刊行された本書が、ガキ共の懐にも優しい50〜100円(時に無料!)という安価さ・過不足無い世界観&メカ&キャラ解説・今後の商品ラインナップ展開等、ワクワクする構成で本作への期待感を煽るに煽っていたのです。


本書を踏まえ、まずは「【01】良い意味で「ユルい」ツボを押さえたリアルロボット物」から。当時の元気有り余る小中学生男子(以下、ガキ)時は全く自覚していませんでしたが…


今思うと、毎年毎シーズン発表される大量かつハードかつストイックな「リアルロボット」作品群に対してかなりの精神的負担(疲労)を感じていたように思います。


その始祖たる「機動戦士ガンダム」(1978)のスペースコロニーを始めとし、バッフ・クランとか惑星ゾラとかデロイア政権とかアストラギウス銀河とか…


新作発表される度に、まずはその全く新しい異世界設定を0から認識しなければならず、更に多数登場するキャラを覚え、その後ようやく「リアルロボット」各種のスペックを把握しなくちゃならなかったから。


何より「リアルロボット」の新たなカッコ良さの個性「癖(へき)」にも随時順応しないといけませんでした。


「太陽の牙ダグラム」(1981)・「機甲創世記モスピーダ」(1983。以下モスピーダ)の「顔が無い」コクピット型頭部、更にエッジを効かせ「鉄の棺桶」と化した「装甲騎兵ボトムズ」、「聖戦士ダンバイン」(1983)の「虫」をモチーフとした生態系デザイン等々。


こうなるとガキ共も内心薄々と、とある方向に気持ちが傾きつつある事を自覚せざるを得ません…つまりは。


「異世界」も良いけど、そろそろ自分達が実際に住んでる「現実世界≒現代日本」(せめて、それがイメージし易い近未来)を舞台に暴れ回わる、無難にカッコ良い「リアルロボット物」が見たい!(※)。


※…「超時空要塞マクロス」(1982。以下、マクロス)はこの点においても画期的で、異星の超科学「オーバーテクノロジー・オブ・マクロス」(以下、O.T.)というたった一つのキーワードで、近未来の現実世界≒横浜中華街(イメージの街並み)に「リアルロボット」を出現させてくれています。


ガキなりに贅沢な要望なのは百も承知だったのですが、当時イケイケだった各種クリエイター陣から繰り出される余りに隙の無いハードかつストイックな独自設定&異世界観ラッシュに、半ばノックアウト寸前だったのです(※)。


※…「特装機兵ドルバック」(1983)、「蒼き流星SPTレイズナー」「メガゾーン23」(1985)や「機甲戦記ドラグナー」(1987)等で大分「近未来の現実世界」に歩み寄ってくれていた事からも、この感覚は制作側にも共有されていたように思います。


バリヤーで飛行制限され「車社会」となった地球において、私設警察チーム「サーカス」の無宇(ムウ)&麻矢(マヤ)コンビ(いわゆるバディ物)が、新鋭マシン「サーカスI・ガルビオン」を駆り、世界征服を企む秘密組織シャドウに挑む!というのが本作の大筋な訳ですが…


モータリゼーションの成長著しい80年代当時の現代日本を体感していたガキ共にとって(※)、本作の親和性・現代社会に近い設定という「敷居の低さ≒ユルさ」は、実に良くスーッと馴染みました。


※…何しろあの「スーパーカーブーム」世代ですから。尤も当時は「第二次バイクブーム」真っ盛りでしたが。そして、後年の「F1ブーム」に繋がる、と。


更に、当時の「リアルロボット」物の流行・売れるツボ(条件)、良い意味での「ミーハーさ」をも的確に押さえておりました。まずは「実在するビーグル」をモチーフとした変型ロボの採用です。


戦闘機(F-14トムキャット)を基としたマクロスの「VF-1バルキリー」に始まり、バイク(GSX1100Sカタナ)を基としたモスピーダの「VR-052F/Tライドアーマー」等…


本作の主役ロボ「サーカスI・ガルビオン」は、スーパーカーブームの一端を担いながらも短命に終わった「シルエット・フォーミュラ」(グループ5)と入れ替わり立ち上がった「プロトタイプ・カー」(グループC)をモチーフとしています。


更には「軍用ロボ(戦闘用)=メタルバトラー」のみならず「一般向汎用ロボ(作業用)=ロードマシンナー」設定を採用する事で、普通に巨大ロボが闊歩する世界観を作り出します。


リアルロボット物の中では「戦闘メカザブングル」(1982)の「ウォーカーマシン(以下、WM)」から提唱された技法となりますが、本作には「社会・交通システムの治安用に配置された単座機動ロボット」として、様々なロードマシンナー(チェイサー)シリーズが登場します。

その中で特にご注目頂きたいのが、この「ロードチェイサー」。別名チェイサーポリス・色配置・脚部のガンホルダー・胸部中央の金印…どこか既視感がありませんか?

そう。「機動戦士ガンダム〜逆襲のシャア」(1988)を以て一区切りを迎えたはずの「リアルロボット」ムーブ。がその直後、


「自分達が実際に住んでる「現実世界≒現代日本」(せめて、それがイメージし易い近未来)を舞台に暴れ回る、素直にカッコ良い「リアルロボット物」が見たい!」

というガキ共の思いを「バビロンプロジェクト」のたった一言であっさり視覚化して見せた人気シリーズ「機動警察パトレイバー」(以下、パトレイバー)の先駆けとも言うべき要素を本作は有していたのです。

これらメカニックを取り纏めていたのが、後に「忍者戦士飛影」(1985)・「装鬼兵MDガイスト」(1986兼監督)・「鋼の鬼」(1987)等の「人の業を背負った禍々しいデザイン」を続々と世に放つ事となる「大畑晃一」氏。

本作においてはその「癖(へき)」を抑え、プレーンかつ手堅い「奇を衒わないカッコ良さ」が際立つ職人技を披露。これまた良い意味での「ユルさ&ミーハーさ」を提供しています。

この当時の時代性に合った「ユルさ」と「ミーハーさ」の両立こそ「【02】時代を先取りニューパワー。制作は「あの」国際映画社が担当」する意義そのモノだったのです。


当時のアニメファン。特に男子向けタイトルに対し、国際映画社には他アニメ会社と異なる明確な指針、制作意図が有りました。


それは「アメリカの若者向けドラマ」で日常シーンでもアクションシーンでも当たり前にやりとりされる、粋でいなせな会話のやりとり「軽妙なセンス」を意識して制作していた事。


言わばライトかつスタイリッシュな「トレンディドラマ」を、アニメで先駆けて実現しようとしていた訳です(※)。


※…ほぼ時同じくして「特捜刑事マイアミ・バイス」「超音速攻撃ヘリエアーウルフ」(1984)、「ナイトライダー」(1987)等の海外ドラマが再び注目される時期でもありました。


この実現化のため、国際映画社は積極的に外部スタッフの導入を行います。


劇場版「銀河鉄道999」(1979)等、東映動画を主戦場とし「シブい」作画が魅力の小松原一男氏を採用した「銀河旋風ブライガー」(1981)以降のJ9-3部作。


「魔境伝説アクロバンチ」(1982)では、当時「萌え」の最先端ながら「艶と華」のある作画で評判を呼んでいたカナメプロのいのまたむつみ氏を採用。


その流れから、本作において「【03】キャラクターデザインに「たがみ よしひさ」氏を採用」する事になったのです。


当時全盛期だったサブカルチャー誌。中でも「ぱふ」「だっくす」「ふゅーじょんぷろだくと」等の漫画専門誌において、圧倒的描写力を持つ新進気鋭の若手3大漫画家として良く取り上げられていたのが


①「童夢」(1980)の大友克洋氏

②「Dr.スランプ」(1980)の鳥山明氏

そして、

③「軽井沢シンドローム」(1981。以下、軽シン)のたがみよしひさ氏


彼ら3人に共通していたのは、メカへの造詣が深く、アクション描写はおろかオリジナルデザインまで難なくこなす高い筆致力。

そして、たがみ氏ならではの魅力として挙げられるのが、何と言っても「粋でいなせな会話のやりとり」をこなす「軽妙なセンス」を併せ持っていた事です。

どの位かと言うと、当時はおろか令和の今はなおセンシティブとされる「性のコミュニケーション(一言で言うとS◯X)」すらサラリとこなしてしまう程。


「カーンチ、S◯Xしよっ!」でお馴染み柴門ふみ氏原作「東京ラブストーリー」(1988)が提唱したとされる「開放的な性」を、同じ掲載誌で数年以上も前に実施済。その先駆け度合も相当な物だったのです(※)。


※…尤もそのお陰で、個人的には「我が家で初めてエ◯本認定された本」という不名誉な記憶も。ネット全盛な現在では絶滅危惧の概念ですが(※※)。


※※…親から「そのままだが生暖かい目で見られる」「綺麗に机上に並べられる」「問答無用で捨てられる」の3択中、ウチは断然最後。「ちっ、ちげーし!エ◯じゃねーし!」ってテンプレな大喧嘩後、2度も単行本を買い直す羽目になりましたとさ。


その割に「艶気のある男性キャラ」「自立したカッコ良い女性キャラ」「カワイイSD描写」で、女性ファンが極めて多かった事も特徴の1つ。

当時のビッグコミックスピリッツ誌上において、軽シンは高橋留美子氏「めぞん一刻」(1980)と並び、2枚看板となる程の大人気作品だったのです。

まさに国際映画社の望む「ユルさ」と「ミーハーさ」を兼ね備えていたたがみ氏。でも、当時の仕事量は尋常ならざるモノでした。


軽シンのみならず「我が名は狼」(1982)・「フェダーイン〜戦士」(1983)その他諸々、連載・不定期・読切作品を引っ切り無しに発表していた時期。


70年代以前の石森章太郎氏・永井豪氏・松本零士氏・聖悠紀氏等はともかく、当時の漫画家がキャラクター原案を務める場合、その画稿その物が公開される事の方が異例だったにも関わらず…

本作についてはアニメグッズ用(本来はイメージボード?)に複数の画稿を発表されています。よって、少なくとも企画当初の双方の相性は抜群、ノリノリで作業されてたのではないでしょうか(※)。

※…当時だとニヒルでシャイ・今で言うとツンデレなたがみ氏は、背景のお遊びで「今季のロボ物新番組」についてコメントを寄せる事でも有名でした(※※)。



※※…本作放映頃に発表されたコレ。一見キャラの小競合いを「銃&盾」で誇張表現しているだけに見えますが、実は「重戦機エルガイム」(1984)より「銀河漂流バイファム」(1983)の方が好みと言うアピール。でもどっちもお好きなはずなんすよ、でなければ忙しくてそもそも描かないでしょうし(※※※)。


※※※…なので、本キット発売前後に「ガルビオンなんてキライさ」とたがみ氏が発言されてたとの噂については(真偽はともかく)額面通りに受け取るのはちょっと違うんじゃないか?って思ってます。ただただ本作の末路が残念なだけだったんじゃないか、と。


ちなみに本作と同年。漫画業界的に恐らく地域復興&観光名所化の先駆けだったであろう軽シンの「ら・くか」&「まんが王国」訪問記等(※)、他にも書きたい事は山程有るのですが、何時もの文字数制限で断念。

※…あんな大掛かりだったのに当時の資料がほぼ残っておらず、今や「幻のイベント」とか言われてるのにビックリ。


さて、ここでもう一つご注目。本作の持つ「カーアクション」「刑事(デカ)」「バディ物」「トレンディドラマ」という4大要素…どこか既視感がありませんか?

日本テレビ系列の日曜9時連続ドラマシリーズにして刑事シリーズ第3弾として登場した、ハードボイルドな松田優作氏主演ドラマを数多く手掛けてきたセントラルアーツ制作のこれまた大人気シリーズ。
舘ひろし氏&柴田恭兵氏W主演による、あの「あぶない刑事」(1986)の先駆けとも言うべき要素をも、本作は有していたのです。

尤も、本作を「早過ぎた名作」とは口が裂けても言えません。あくまで「先駆け」止まり。この微妙な感覚を共有するためにも、最後にこの方の紹介をさせて下さい。


「国際映画社」ならではの「ユルさ」と「ミーハーさ」を併せ持つ独特のテイスト。これを見事に音楽を以て体現して見せたのが「天才」シンガーソングライター「山本正之氏」です。


個人的に、山本氏の「天才」性に関して思い知らされた機会が過去2回ほど有りました。

まずはまだガキの頃、ゆうきまさみ氏の傑作「究極超人あ~る」(1985)のイメージアルバムが発売された時。個人的に定番を外しながら「カッコ良い!」と思っていたアニソンOP&EDの殆どを山本氏が手掛けられていたという事実に気が付かされた事。

もう一つは社会人(アニメ関係者)になってから。今となっては嘘か真かはトンと判断も付きませんが、当時を知る関係者から以下の話を聞かされた時です。


彼はその時、国際映画社関連の各タイトルに1行説明を付けてみろ。と言いました。例えば「惑星ロボダンガードA」(1977)なら「宇宙版巨人の星なスーパーロボット物」、「戦闘メカザブングル」(1982)なら「マカロニウェスタン風なリアルロボット物」みたいな感じです。


・銀河旋風ブライガー(1981)

…宇宙SF必殺(J9)シリーズのスーパーロボット物

・魔境伝説アクロバンチ(1982)

…宇宙古代文明探索ファミリーのスーパーロボット物

・おちゃめ神物語コロコロポロン(1982)※

…おちゃめな神達の愉快な物語

・亜空大作戦スラングル(1983)

…未来都市非合法防衛部隊のリアルロボット物

・ななこSOS(1983)※

…すーぱーがーるかんぱにーの超能力少女ギャグ


※…当時の「ロリコン」、今で言う「萌え」の元祖「吾妻ひでお」氏を採用。ここにも「ユルさ」と「ミーハーさ」を併せ持つ国際映画社らしさが伺えます。


ザッと出してみた処、今度はこう曰います。


「もしお前が作詞作曲家に発注するとして、このOP/EDをどう依頼する?」


その瞬間、定番に収まらない「イカれた」もといイカした企画が故「定番の曲作りノウハウが全く通用しない」事に気が付かされます。


…尤も?実際に作詞作曲を行うのは「企画が完全に固まってから」のお話な訳だから、そこからイメージを拡げる形で作詞作曲をお願いするのは有りなんじゃないかな?大変だとは思うけど。


処が彼は曰います。違う、ここまでは多かれ少なかれどのアニメ会社もかいくぐって来てる。真にスゴいのはここからだ、と。


当時は「アニメブーム」「リアルロボットムーブ」の真っ只中だと先に書きました…どの位かと言うと、毎週放送されている「定番枠」のみならず、春夏冬休み時にたった一回のみ放映される劇場クラスの「スペシャル番組(※)」も頻繁に放映されていた程。


※…有名なのが「ニッセイファミリースペシャル」で放映された、あだち充氏原作「ナイン」シリーズ(1983)。後にほぼ同じ座組のまま「定番枠」となったのが、あの「南ちゃんを探せ」ブームを巻き起こした「タッチ」(1985にアニメ化)となります。


その裏では、放映局付番組プロデューサーの胸先三寸で次々とアニメ化の正否が成されていた時期。練りに練った企画があっさりボツを食らう傍ら、ポッと出の企画が突発的に採用される事もまた然り。


「国際映画社」真の強みとは、この「定番枠」チャンスを超ハイペースでモノにしてきた貪欲さ「プロデュース力」?(※)だと言うのです。そして、この時の決まり文句がこう。


※…これについては今だに「営業力(もしくは幸運度)」が正しい言い方じゃないの?と思ってます。絶対プロデュース力なんかじゃないよコレ。


「じゃ、次シーズンからヨロシク!」


この場合の1シーズン、当然1年なんて悠長なモノではありません。最悪の場合1クール≒3ヶ月以内に、まだ形にもなっていない「企画」を「番組」という形にでっち上げるという「無茶振り」に応えなければならない事になります。


となると今度は「ディレクション力」が問われる事となる訳ですが…「企画」ましてや設定なんてのは「番組」になるまで二転三転するモノ。最初に確定するのはせいぜい商品名絡みのキーワード、タイトル&各種ネーミング位。という事は、間近に見てきたが故すぐに理解出来ました。


問題なのは「その末端となる現場に話が行くのは何時頃か?」という話になる訳ですが…ま、まさか?!


「詳細設定未定、辛うじて決定した幾つかのキーワードだけでOP&EDを作詞作曲完パケして下さい。ただし、1か月未満で!」


そんな発注したくないよ!ましてや立て続けに何件も?でも…でも!心当たりが、有り過ぎる!!

個人的に定番を外しながら「カッコ良い!」と思っていたアニソンOP&EDの殆どが「当時ハイペースで手掛けられた」山本氏という事実に、改めてその「天才」性を思い知らされたのです(※)。

※…そして、当時の国際映画社オリジナル企画・脚本・作詞家だった山本優氏もスゴさも。


※…ちなみに当時、本作のOP&EDが最も「ハマる」とされる漫画がありました…「軽井沢シンドローム」の「暴走族抗争編」がそれ。もしお手元にありましたら、一度騙されたと思ってOP&EDを掛けながら読んでみて下さい。


さて。このお話は、あくまで「音楽」方面でのお話でしかありません。では実際の「アニメ制作現場」はどんな状況だったのでしょうか。


国際映画社の良い意味での「ユルさ」と先に書きましたが、実はこの言葉。相反する意味での「ユルさ」をも内包する、言わば「諸刃の剣」でもありました。


というのも、時代への適合というレスポンスの良さに反比例し、悪い意味での「制作体制のユルさ」が、特に当時の歯に衣着せぬアニメ誌に指摘されていたからです。


例えば「日本サンライズ(現サンライズ)」にしても「東映動画(現東映アニメーション)」にしても「葦プロ」にしても、重要話(※)においては必ず最高のスタッフを投入し全力を以て「ハイクオリティ」な魅せ方を披露していました。


※…「掴み」の1話、「物語転換期≒新メカ登場回」のクール〆話、「〆」の最終話など。


処が「国際映画社」については必ずしもその限りで無く、何の脈絡も無い処で「最高のスタッフ」が投入されたり、肝心要の重要話に限って「海外の外注スタッフ」が配されたり。


かように「制作体制(スタッフ配置)のリソース配分」が上手くいってない事は明白で、制作意図に期待した当時のファンは「作品の当たりハズレ」の行末をヤキモキしながら見守っていたのです。


これは本作のみならず「粋でいなせな会話のやりとり」「軽妙なセンス」を意識し制作していた国際映画社作品のほぼ全てに深刻な影響を及ぼします。


ザックリ説明すると…例えば「軽妙なセンス」が「シリアス/ユーモア」のトータルバランス7対3で成立するとします。総合演出が全体を隈無く見渡す事で、この絶妙なトータルバランスをどう微調整・維持するかが要となる訳ですが…


「制作体制(スタッフ配置)のリソース配分」が上手くいってない場合、最初からトータルバランスが破綻する事になります。


「当時の作画レベルが」とかいうお話では決してありません。他社の例えで申し訳ないのですが「タツノコプロ」作品「宇宙の騎士テッカマン」(1975)に登場する「アンドロー梅田」は、軽妙なセンス」をかなり良い処まで実現化出来ている好例だと思っています。


処が「制作体制(スタッフ配置)のリソース配分」が最初から上手くいってない場合、特に手が回らず「海外の外注スタッフ」に任せると、ニュアンスを一切汲み取る事無く一律カートゥーン風に作画されてしまいます。


つまり同社同年なら「タイムボカン」の「グロッキー」として作画されてしまう訳で…これでは声優さんも過剰におチャラけて演じざるを得ず、「ユーモア」では無く最早「ギャグ」。悪い意味での「ユルさ」が本作の最後辺りまで続く事になります。

結局、個人的には「カウボーイ・ビバップ」(1998)まで、この路線がアニメで実現化するのを待たなければなりませんでした。


それでも、中盤を過ぎ話が核心に入り始めてからは少しずつ作画も安定。新たな変型バンクもお披露目され、このまま最終回まで行けばそれなりの評価を受ける事も出来たはず。


そんな矢先です…本作が唐突に「打ち切り」をむかえる事となったのは。

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そんな大人気シリーズ「機動警察パトレイバー」&「あぶない刑事」の先駆けとも言える「超攻速ガルビオン」。

本キット作成にあたり、個人的にフューチャーしたいポイントがありました。それは本作の放映から数年後、ワンダーフェスティバル(以下、ワンフェス)が開催されたばかりの頃。

1990年代後半まで、浅草を中心とした浅草橋〜蔵前間には数多くの玩具・模型問屋が軒を並べておりました。その関係から、ほぼ中心に位置する浅草寺周辺には、問屋と太いパイプを持つ観光客狙いの老舗玩具・模型店がこれまた軒を並べていたのです(※)。

※…どの位太いパイプかと言うと、何処の店でも予約だけで品切続出だった「SFCストリートファイター2」(1992)・「MGガンダム」(1995)等が発売初日に入手出来た程。

浅草寺に向かって左側にある小さなアーケードには、入口と出口に各々1軒ずつ玩具・模型店が有りました。その出口側の店で、ビニール袋に包まれただけの吊るし状態・シールも付属品も無い素性不明の玩具が、確か3千円(当時のCD1枚分)という値段で売られていたのです。

早る気持ちを抑えつつ店のおばちゃんに話を聞くと、倒産した玩具メーカーのデッドストックが放出されたので安く仕入れて来たとか何とか…思わずワンフェス仲間と顔を見合わせます。

いやコレ、どう見てもあの幻(未発売)のタカトクトイス版ガルビオンじゃん?!

高校生には少々痛い額でしたが喜び勇んで購入。本来シールが貼られていたであろう箇所に0.1mmプラ版でディテール&塗装を施し1人悦に浸っていたのですが…その後の経年劣化により金属パーツに錆が浮かんでプラが割れ、泣く泣く廃棄となったのです。

よって本キットではその再現を最優先ポイントとし、他は別名で発売されていたチープトイ>旧キットパッケージ>カラー設定画の優先順位で作成する事に。

せっかくの塗装パーツでしたが、ウィンドウ部は一律スモークブラックに統一。合金パーツだった胸部左右の羽部分は、ガンプラマーカーのヘビーガンメタリックを塗った直後まだ生乾き状態でクリアーを吹く事で、亜鉛合金独特のモアレ状の錆を再現しています(失敗じゃないよ?)。


で、まずはその第一形態がサクッと完成しました。

当時まだ始まったばかりの自動車レース最新カテゴリー「プロトタイプ・カー」(グループC)をモチーフとした「サーカスⅠ」です。

 コロ走行こそ出来ないモノの、可動部が結構多いため意外と手作内が捗ります…どの機構も見事に急制動(急ブレーキ)にしか作用しないなコレ。
…ってゆーかね?「変形組立て説明書」見てビックリしたよ!だって車両の約2/3がゴロッと1パーツで用意されてんだもん!!そりゃサクッと完成しますわ!!!(伏線回収)

この大胆なパーツ構成により、設定画さながらの流麗なプロポーションを獲得した当キット。

でもせっかくの差替変形部を隠すには余りに忍び無く、当時の旧キットへのリスペクトも相まって、敢えて車体後左右上部を切り飛ばし露出させて見えるようにしてみました(まるでこうされるのが分かってたかのようなパーツ構造&強度でニッパー1つで対応可)。

ここまで来ると、第二形態「ロードアタッカー」もサクッと完成します。

どうも物語終盤で飛行制限されていた枷が外れる展開が予定されていたらしく、ご覧の通り半飛行形態とも言える形状。
 尤も打切の影響からか本編では未登場。この形状のまま強化パーツを付けた準備稿も散見される事から底面を見てみると、明らかにスタンド用3mm穴とは別の接続穴らしき物も有り。今後の発展性を期待しても良いのでしょうか…。
 

さて。これまでプラモを作成する時のBGV・BGMとして、そのプラモに関係する元ネタベストやBGM集を流していたのですが。


最近は、各種動画サイト上で公開されている元ネタ当時のTV-CMを流しながらの作成にハマっています。と言うのも、

①「子供」時の思い出(主に当時、疑問・違和感を感じていたモノ事)がふと蘇る事。
②「大人」の経験・知識から、勝手に当時の世相を読み解く「邪推」が出来る事。

この①②掛け合わせにより発生する脳内麻薬の酔いに任せたツッコミ、言わば「妄想遊び」が捗るからです。

特に当時前後の数年間、1970年代後半〜1980年代後半にかけてのTV-CM構成から伝わってくるのが、男子玩具(以下、男玩)&女子玩具(以下、女玩)の世相・ブーム変遷の激動っぷり。更に番組提供を行うスポンサー各社の思惑&力関係をも如実に現してくれています。

更に「本作の打ち切りに至るまでの異常さ・違和感」(以下、ミステリー)も垣間見る事が出来るのです。

そんな80年代中盤当時の状況・事情を、作成の合間に書き散らかしてみようと思います…そう「また」なんです。ブラウザバック推奨、読み続けるにしても「ーーー」まで飛ばして頂けますとこれ幸い。

ネタバレ前提・当時のライブ感を直接お届けすべく敢えていつもの裏付無・特定個人&団体への非難の欠片も無い、何時もの愛故のお気楽極楽与太話。お時間に余裕のある方だけ寛容にお付き合い下さい…それでは、どうぞ!


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ネット配信がその立場に取って変わりつつあり、TV(地上波)の価値や重要性が相当薄らいでる感のある令和現在。それでも、まだ影響力が有ると仮定して…

「ご覧の提供(スポンサー)でお届けします」というナレーション時に表示される「提供枠」&「TV-CM構成」から「その番組がどのような意図で製作されたか≒どの商品を売りたいのか?」が、視聴者に露骨に伝わるようアピールされているのが「TV番組」のセオリー。

「新世紀エヴァンゲリオン」(1995)以降、「製作委員会方式」で番組製作される事が多くなってきてから令和現在に至るまでの主な「深夜アニメ番組」の約8割は(ほぼ均等に扱われ優先順位は実質無いに等しいモノの)以下のような座組が組まれている事が多い印象があります。

①BD/DVDメーカー
②原作本orアニメ誌出版社
③モバイルゲームorネット配信メーカー

④音楽販売・イベントメーカー

⑤トレーディングカードメーカー(大体ブシロード)
⑥アニメグッズメーカー(大体アニメイト)

これ即ち「そのキャラクターコンテンツの主要商品」をそのまま体現してると見なせる訳ですが、この視点で各年代のTV-CM構成を見て行くと、その時々の世相が垣間見え、中々に面白いのです。

例えば「TV」と言うメディア、特にアニメ・特撮・子供向け番組という「キャラクターコンテンツ」が軒並み「テレビまんが」と呼ばれていた1970年代。

「帰ってきたウルトラマン」・「仮面ライダー」(1972)等の第二次特撮ブーム作品群は明確に「キャラクターマーチャンダイジング前提」のコンテンツとして扱われていました。


その後、「マジンガーZ」(1972)で男玩・「キャンディ・キャンディ」(1976)で女玩と、令和現在まで連綿と続く事となる所謂「ニチアサ枠」≒「玩具中心のキャラクターマーチャンダイジング」の基本フォーマットが完成される事となります。ちなみに、この時の平均的な「TV-CMの座組」と「優先順位」がこちら。


①玩具メーカー
②テレビまんが誌出版社(大体テレビマガジンかテレビくん)
③関連菓子販売メーカー

その他関連商品販売メーカー(自転車・凧・浮輪等)

⑤文房具販売メーカー(大体セイカorショウワノート)


当時の座組は当然「製作委員会」方式では無いため、露骨に①から⑤の「優先順位」に差異が出ます。

「提供枠」時のナレーションが「この番組は、おもちゃの①。②・③。その他(④⑤)の提供でお送りします」に。最も露骨に「優先順位」が出るのが「CM枠数=CM放映時間」。その比率おおよそ「①:②③:④⑤≒3:2:1」と言った処でしょうか(※)。

※…参考例「戦闘メカザブングル」(1982)。ネットの無い時代、発売日告知等の「貴重な情報源」だった事。カワダの部分は話数によって他社に差替るため、キャラに関係無い玩具メーカーのスポットCM枠が用意されていた事が分かります(※※)。

※※…なお「ジオン脅威のメカニズム」でお馴染み「ガンプラ」CMが流れていたにも関わらず、何故か提供枠に「バンダイ」表記がありません…こういう所が「引っ掛かる」んですよね。

この座組が「70年代前半〜少なくとも80年代迄の約20年間」(以下、この頃)においての常識「当たり前」だった事を、まずは踏まえておいて下さい。

更には「テレビまんが」と称される全番組中、元々CM枠の無い「NHK系列」&一休さんや日本昔ばなしや世界名作劇場(1975)等の俗に言う「教育番組(文科省推薦番組)」を除く「約7割の番組のメインスポンサーが、全て玩具メーカー」だったという事も。

つまり、この頃の「テレビまんが」において「玩具が出て当たり前」なのが、玩具メーカーとガキ共の間で結ばれた密約「暗黙の了解」だったのです。

処で、本ブログは主に「玩具・模型のキャラクターモデル」を取り上げているのですが「模型≒プラモデル」(以下、プラモ)の事をこの「TV-CM」項目ではまだ取り上げておりません。

この頃の「キャラクターコンテンツ」における「プラモ」は、丈夫≒高価な玩具を買えないガキ共に対しての、壊れ易い≒安価な代換品。言わば「廉価版」「消耗品」と言う立ち位置でした。

これはそのまま「玩具」と「プラモ」の総売上額≒力関係を表しています。ぶっちゃけ「プラモ」メーカーには、一部例外を除き「この頃のTV-CM」に参入するだけの「資金力」が無かったのです。

そんな「プラモ」メーカーが「玩具」メーカーの牙城をついに崩し始める刻が訪れます…そう。それが劇場版「宇宙戦艦ヤマト」(1977)に端を発した「ヤマトブーム」。これは「キャラクターコンテンツ」に携わる全ての業界に、多大なる革新を促す事となりました。
玩具の「廉価版」「消耗品」に過ぎなかったプラモは、ハイエンドユーザー向けの「ディスプレイモデル」とする事で一気にその顧客を引き寄せる事に成功します。劇場版「機動戦士ガンダム」(1981)に端を発する「ガンプラブーム」そして「リアルロボットムーブ」への派生です。

これは「約7割の番組は全て玩具メーカーがメインスポンサー」という流れをも変える事となりました。「プラモ」メーカーが「TV-CM」に参入するだけの「資金力」をついに持つに至ったのです。

この流れに対し最も柔軟かつ俊敏な対応を示した玩具メーカーこそが意外や意外。実は本作のメインスポンサーだったあの「タカトクトイス」だったりします。

放映前からポストガンダムとして期待値の高かった「マクロス」において、最初から「プラモメーカー」とのW(ダブル)メインスポンサー体制をとり、これを大々的に告知。
しかも、この頃急速にシェアを伸ばしていた「LSIゲーム」通称「ピコピコ」も投入し、これまでの玩具の主流だった「合金系キャラクターモデル」からの脱却を図ろうとしていた起来も「TV-CM」構成から見受けられるのです…「当初」だけは。

その後は皆さんご存知の通りバルキリーが大ヒット。いわゆる「バルキリーショック」により「TV-CM」構成も早々に「キャラクターモデル」中心へと切替わり、更には3クールで3回ものCM更新(しかも特撮度合アップ≒製作費もアップ)。


「バルキリーショック」によるタカトクの舞い上がりっぷりが目に見えて伝わってきます…尤もこれが、本作途中の倒産騒動に繋がっていく訳ですが。

片や2社体制で挑んだ「プラモメーカー」のイマイ&アリイは最後までCM更新無。もともとCM構成も撮影部材・ナレーションはおろかBGM(JASRAC申請)まで共有化されており、CM枠を押さえるのに精一杯でCM制作費にまで手が回らなかったであろう台所事情が伺えます。
ちなみに「マクロス」に参戦した「プラモメーカー」が実はもう1社ありまして。ピタバンという小スケールキットシリーズを発売していた「ニチモ」がそれにあたるのですが…TV-CMには何故か文房具を大抜擢。

これぞ「トンチキマクロCM」としてファンを騒然とさせた「キミガスカダヨ」でお馴染み、ゼントラーディ軍分艦隊ブリタイ司令御用達の「マクロスタンプ」。何故出したのかサッパリ解りませんが、ジョークグッズとして意外な人気を獲得しています。

それはともかく、この「1982年」年度は「玩具メーカー」と「プラモメーカー」のまさにターニングポイントでした。
事実「ガンプラ」の大ヒットにより、1982年度の総売上額において初めて「バンダイ本社」に後塵を拝した玩具メーカートップの「ポピー」が、翌1983年度に吸収合併されています。

何故「本作」と全く関わりの無い「玩具&プラモメーカー」の話をいきなり持ち出したかと言うと…本作の「TV-CM」を見た時に感じた同じ異常さ・違和感「ミステリー」を、1年前既に感じさせたメーカーだからです。

玩具メーカーの「クローバー」が倒産したのは「聖戦士ダンバイン」(1983)の放映開始から約半年後。どうなるかと思いきや、その後はポピー吸収合併後の「玩具・模型メーカー」バンダイがメインスポンサーを務める事となり、無事放映継続と相成ります。
当の「ミステリー」は、年末商戦向けに発売される事となった合金玩具「ビルバイン」のTV-CMから発生しました。何と、普段ならあれ程連呼されるはずの「メーカー告知」が、ナレーションはおろかテロップに至るまで「一切無かった」からです。

「玩具が出るのが当たり前」≒「玩具情報は告知されて当たり前」だったガキ共にとって、これは相当ショックな事でした。しかもこの「ミステリー」まだ続きがあります。

いざ店頭に並んだ「ビルバイン」のパッケージ表面にも「玩具メーカー」マークが無く、裏面下段を見てようやく「玩具メーカー」名を知る事になるのですが…

「クローバー」はおろか「バンダイ」ですら無く、全く脈絡の無い「株式会社トミー」(現タカラトミー)という表記が成されていたのです。

なので「この頃」のガキ共は皆知っています。同じ会社でも、「玩具」部門と「プラモ」部門には大きな隔たりがある事を。ましてやそれが「メーカー」間だとしたら尚の事。

2019年。そのバンダイがとあるビッグプロジェクトを高らかに宣言します…玩具とプラモの初コラボ「蒼流&AOI」2020年2月、発売!

尤も世間の評判は専ら「え?まだやった事無かったの?」とか「は?同じ会社なら当たり前なんじゃないの?」とか言うモノでした…うん。俺達も全く同じ気持ちだったよ?もう30年以上も昔の話だけど。

さて、話を「本作」に戻して。ここ迄話しといて何ですが、どの動画サイトを見ても当時の「本作」のTV-CMを観る事は叶いません。

それはそうです。と言うのも「ガルビオン関連の玩具・プラモCMが何時まで経っても全く流れない」という「無」方面の異常さ・違和感「ミステリー」だったからです。

ナレーションとテロップが「無」なだけで大騒ぎな訳ですから、その「ミステリー」度たるや比べるべくもありません。とは言え「無」を伝えるのは至難の技。


一応、最もその感覚が伝わる例も有るにはあるんだけど、これすら今の10代には全く伝わらないだろうなあ。何より倫理面であまり良い例えとは言えないし…ま、いいか。言っちゃえ。


アレですよアレ、いわゆる311の「ポポポポーン♪」がひたすら流れ続けていたあの時の感覚。尤も「ポポポポーン♪」は、他チャンネルも時間も関係無しに流れていたからこその「ショック」でしたから、

そこから色々差し引いて大体1/4位の「ミステリー」感。これが一番、本作のTV-CMパートの印象に近かったのです…尤も、すぐ見慣れてしまいましたが。

だからこそ唐突な「打ち切り」には驚きはしたモノの、どこか「さもありなん」な気持ちがあったのもまた事実。更には、次なる「ビッグウェーブ」の予波をも感じ取っていたからです。

本作と言えば思い出す「TV-CM」が実は1本だけ存在します…と言うのも、よりによって本作打切月6月というナーバスな時期に限って流れまくっていたため。

「トンチキマクロCM」第二弾として再びファンを騒然とさせた「味、おぼえていますか」でお馴染み、当時としては珍しい「すかいら〜く×劇場版マクロス」コラボキャンペーンCMがそれです。


特に15 秒Ver.をそのまま間延びもとい拡大させた30秒Ver.があまりに絶妙な間を提供してくるため、友人らと見るたびこんなツッコみをしまくりました。


「味、おぼえていますか?」

→何腑抜けた事言ってんねんミンメイ!タカトク潰れとんのやぞ?!


「いや、僕…覚えています!」

→そーだ輝よーく覚えとけ?打ち切られたガルビオンの事をよ?!


「また連れてって…美味しかったわ!」

→ちっとも上手くなんかないわ、玩具でもプラモでも良いから、さっさと劇場版モデル出せやぁーっ?!


「すかいら、ぁ〜くっ♪」

→やっぱおかしいってこのCMっ!おいそこの鳥、せめて(劇場版バルキリーの)ストライクパック付けて出直してこいっ!!(無茶振り)


もう荒れ捲り。こんな具合なので、自分の中のガルビオンの印象は、タカトクトイス繋がりでマクロスに紐付かれていたりするのです。


ちなみに翌年となる1985年には更なる「ビッグウェーブ」が、玩具・模型業界はおろかサブカルチャー・メディア界隈をも激震させる事になります。


「ファミコンブーム」≒「TVゲーム」の台頭です。以降、玩具の「TV-CM」枠は「TVゲーム」が中心となっていきます。

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まあ何やかや有りましたが、ようやく第三形態「ロードファイター」ガルビオンが完成しました。

 パーツ分割の関係上、白で抜かれていた脇下&スネ内側は青く塗るのが俺のジャスティス。見慣れた胸部前面左右羽のサビ塗装具合が、妙に見てて落ち着きます…そうそうコレコレ。
 以降、幾つか見慣れたポーズを。
 OPのコレも、絶対外せないですね。
スネ部が長いせいか、イマイチ片膝立ちが決まらない…まあ、コレはコレで。
 差替で浮遊走行形態にも対応。
 一しきり遊んで満足したので、ここらで今回の「並べて見た」を。友人が譲ってくれた、アオシマ1/43「イングラム」となります。
 全高8.02mのイングラムに対し、ガルビオンの全高は7.9m。ご覧の通りほぼ同スケールと言い切っても良いボリューム感。これ即ちミニカーの国際スケールな訳で、早速デザインの元ネタたるグループCカー(MAZDA  767B)と並べてみる。

実寸大イングラムを見た者は、全高8m級ロボの幅が道路約二線分な事を思い知らされます。ヘルダイバーの肩折り畳み機構は、イングラムにこそ必要だよなあ…。

 そしてサーカスⅠはやっぱデカい。思わず「特装機兵ドルバック」(1983)のムゲンキャリバーと並べたくなっちゃいますね。
 互いのウェポン・システムを交換しても、ほぼ違和感無く遊べます…うん、大満足。

最後に。軽シン終了後のたがみ氏は「GREY」「化石の記憶」(1985)等数々の名作を発表していきます。中でも「なあばすぶれいくだうん」(1988)は、当時ネタ供給に手間暇がかかるため敬遠されていた「推理ミステリー物」(しかも、本作と同じバディ物!)に敢えて着手。
あの「金田一少年の事件簿」(1992)&「名探偵コナン」(1994)に先駆けて、約9年にも渡る長期連載をこなしています。

今でもこの本作放映時最後の公式商品「BGM集vol.2」のジャケ絵を見ながらふと思うのです…この頃のたがみ氏が「ガルビオン」を漫画化していたら、一体どんなモノになっていたのだろう、と。

今回は、そんな昔懐かしい気分を思い出させてくれた「MODEROID版ガルビオン」レビューでした。それでは皆様。また次の機会にお会いしましょう。