の続きです
「院長先生でなくてもええです。
先生して下さい。お願いします。」
吉井さんに言われて
驚いた私は、
明日またお電話差し上げます
と返事して、電話を切りました
窓の外は、もう夕方の景色で
いつもならこれから
お勤め帰りの患者さんで
待合室が混み合う時間なのに
今日は静まり返っています
毎日、この時間になると
待合室のポットのお茶が足りなくなり
再度沸かし直すのに
今日は全く減っていません
私は、後片付けをして
キッチンへ行き、魔法瓶に
ポットのお茶を移して
タオルを何枚か袋に詰めました
キンセンカの花に
また明日ねと声をかけて
戸締りをすると
院長先生が入院した病院へ向かいました
先生は、ベッドに横になって
点滴をしていました
顔色は良くありませんでしたが
私が行くと顔を上げて
「みなさんに、連絡とれた？」
と、聞きました
私が、大丈夫ですと答えると
大きなため息をついて
「参ったわ。しばらく休診だけど、
電話番に出てきてくれる？
9時から5時でいいわ」
いつものような
しっかりした声ではありませんが
それでも、頭は
ハッキリされているようです
私はおそるおそる、吉井さんのことを
先生に聞いてみました
すると、意外にもあっさり
「あらそう？いいわよ。
他にも希望の方が居たらお願いするわ」
という返事でした
次の日から私は、出勤前に
院長先生の病室へ立ち寄るように
なりました
希望の方からの予約は
取ることになったので
当初思っていたよりは
仕事があり、それなりに
忙しい1日です
水曜日、吉井さんが来られる時間に
他の予約は入らず
私はいつもよりゆっくり時間をかけて
お灸をさせていただきました
痣は先週よりも減ったものの
やはり新しく出来たような
打ち身もあり
私は、何か声をかける代わりに
１つずつ丁寧に湿布を貼りました
触れる度に、見える映像は
吉井さんらしき女性だったり
あの小さい女の子だったりしました
見えるものの意味は
全く分かりませんでしたが
私は、今の自分に
出来ることだけをしようと思って
黙ったまま黙々と施術をしました
最後のお灸が終わるのを
待っていたかのようなタイミングで
吉井さんが話し始めました
先生、うちの旦那さんも
昔は優しかったんです
実家のお父ちゃんは
お酒飲んだら、いつも暴れよって
私もよく叩かれてました
お母ちゃんは
いつもいつも泣いてたから
私は、もし結婚するなら
一滴もお酒を飲まれへん人と
決めてましてん
でも、仕事場の事故で怪我してから
旦那さんも、たくさん
お酒飲むようになってしもて
気がついたら
私もお母ちゃんみたいに
泣いてるだけになってしまいました
因果というんやろか
何年経っても弱いもんは
弱いもんですね
先生が心配してくれて
ほんま嬉しかったけど
でも、これが私の運命やと
思てます
吉井さんの横顔には深い影があり
とても悲しそうに見えました
続く・・・
