Mi diario -7ページ目

スイミング

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新しい習い事、スイミングきら


幼稚園で週一で水泳のクラスはあるんだけど、

その他に学校が主催で希望者を募る、週一のクラスがあるので
水泳は絶対習わせたかったから、応募しました。

月謝は普通に習わせるより、ちょっと安いくらいかな。
学校のプールきれいだし、クラスのお友達もいるし、いいかなぁって思って。


親はプールサイドで見学。

子供たちが可愛すぎる~ラブラブ


スイミングの先生たちの教え方も上手だし
子供たちも思ったより上手でした。

見てると楽しくてあっという間の1時間でした^^


帰りは約束のドーナツドーナツ


私も子供のころ、習い事の帰りにお母さんたちが
お茶でもしましょう~ってなると、ミスドに寄るから、それが楽しみだった~pero

今はマリネラ(ペルーの舞踊)が週2で、水泳が週1だけど
もっと体力がつくであろう、小学校中学年には水泳を週2か3に増やしたいなぁ。


ちなみにペルーの舞踊、マリネラはこちら。
子供のマリネラってとっても可愛い~





シンプルに生きる

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 南半球にあるペルーは日本とは反対の季節なので秋です。


陽射しは相変わらずの強さなのに、寒い!

今日なんてパンツに、シャツに、カーディガン、パンプスだと甲と足首が寒いから

まさかのブーティですよ~。


でも街行く人々は相変わらず夏の格好で

私だけ(?!)日傘、サングラスなのに服は秋の格好で

ちぐはぐなかんじです汗


ま、近所の人たちは私のこと、「相変わらずチニータ(アジア人女性の総称)が変わった格好してる」って

思ってることでしょう。


*


ドミニック・ローホー著「シンプルに生きる」は


フランス人が書いた「断舎離」といった趣です。

とはいえ、私は「断舎離」の本を読んだことがないのですがあせる読んでないのに、憶測で

ものをいってごめんなさいmakovv




この本を要約すれば、

「無駄なものは極力持たず、自分の持ち物、お金、時間、人間関係を把握、管理し、

シンプルに気持ちよく生きよう!」


といったライフスタイルの提案です。



20代のころ、それこそ、わたしは極力、物を持たないという、いま思えば強迫観念?!

に近いぐらい徹底してた時期がありました。


20代のころのその時期の私を知ってる友達には

今となっては笑いの種にされるぐらいでした。



なんにもないぶろぐ

という素晴らしいブログがあるんですが、これぐらい徹底してました。

ただこれを書かれてる、まいさんの生活必需品はそれはもう美しく統一感があり

彼女の審美眼の素晴らしさをかんじれて、ブログに登場する小物を見るだけで楽しいですーラブラブ

私の場合はジャンクなものばっかりでしたけど汗




さて、そんな生活をしていた20代のころ、

自分よりずっと上の世代のひとの家に遊びに行ったり、泊まったりすると

(叔母や、元上司、年上の友人、お世話になっている方など)

物多い!!片付いてる、ごたごたしてるのは人の家によってそれぞれでしたが、

もう、どの家も空間の割合に対して

120%~150%ぐらい物があるんですよ。

おもわず

「これ必要ですか?」ってうっかり喉元まででかかって言葉を飲み込んだことも

しばしば。



でもね、たとえば、叔母の家なんかに私が泊まって、

こんなの持ってないだろうなぁって思いながら

いま、例えが思いつかないんですが・・・

「こんなの持ってる?」

って聞くと

「持ってるよー。」

って言いながら、いそいそ出してくれるんです。


それが、すごい楽なの!


普段、必要最低限のものだけを持つように心がけ、

物を選ぶときの基準が、どれだけこの一つで何役も使えるか(例えば化粧品ならオールインワン)

服ならばその一枚でどれだけ着回せるか、

軽くコンパクトかに集約されて、無駄なものが一切なかったので

そういうのも、実は疲れるんですよ。


そして、ある日、私が20代の頃ですから随分前のことですがあるコラムを読みました。


雑誌か新聞のコラムなのか、定かではないし

そのコラムを書いた人が経済学者なのか、社会学者なのかも定かではないんですが

こんな内容でした

不況の中、生き残る中~大企業というのは、じつは長い目で見ればリストラを大規模にしない

企業であり、一見無駄と思われる、人材を抱えるのもその企業の余裕であり、底力である。

なぜならば、企業がピンチの時に、普段は無駄と思われている人が思わぬアイディアをだしたり

、ピンチをチャンスに変えるきっかけを作ることがあるのだ。


というような内容でした。



それで、これを読んだ時思い出したのが

蟻社会の話。


働き蟻は私たちからみればどの蟻も100%働いているように見えるけれど、

観察するとそのなかでも20%は働かない怠け者なのだそう。

その働かない20%を取り除くと、その残った蟻、全部がまた働くかというのかというと

そうではなく、また20%働かなくなるのだそう。

それは何度繰り返してもそうなのだそう。



つまりね、一見無駄にみえる働かない20%の蟻たち。

だけど、総合的にみると100%の蟻が働くよりも生物として効率がいい、合理的、

もしくは生存の確率が

高まるってことなんでしょうね。


だから、群れとして、組織として、80%が働き、20%が怠けるというほうが

じつは効率的、なにか思いもよらない危機が訪れたとき乗り越えられるっていう

意味らしいのです。



そんなこと、や、あんなことがあって(割愛します)

無駄を抱えるってことも大事なことなんだなって

わたしは思いなおすようになりました。


余裕を持つっていうのかな。遊びを持つっていうのかな。


割合としてはそれこそ20%の割合で。


だいたい、全体の20%、普段、必要ではないものも持つように

心がけようといまは思っています。


私の性分からして

物を持たないように気を付けるというよりは

20%の割合で一見無駄と思えるものも持てるように

なりたいんですけど


どなたか、そういうライフスタイルの提案本知りませんか?



*


ちなみに写真は本文とは一切関係ないです。







今週のお弁当

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よく、こんなに野菜だけ、器用にはじいて食べれるねーって感心してしまうほど

野菜をきれいに残してくる娘が珍しく


「ママ―!今日はトマト食べてきたよー」

とちょっと得意げに報告してきたので


「えらいえらい^^」

と褒めたら


「今日は、ラファ(友達の名前)も食べてたから私も食べた!」


そうそう、お友達ができることは自分も頑張ろうと娘は思えるみたい^^


*


お弁当の野菜は残してくる娘ですが家では食べます。

なぜならば、子供のいる家ではどこでも使っているであろう

「食べないなら、おやつもなし!」っていう脅し(?!)テクニックを使ってるから。


あとは

私「食べなさい」

sss「食べない」

の押し問答をするエネルギーが(私が)ない時はフードプロフェッサーのお世話に。



でも、お弁当の野菜を残してくるのは怒らないことにしています。


なぜならば、私が子供のころお弁当の野菜を残すと、母が鬼のごとく怒ったり、

不機嫌になったりしてたので


私は、残したおかずは家に帰る前にゴミ箱に捨てたり、トイレに捨てたりする子だったから。


私は、自分の子供にそんな子になってほしくないんですよ。



お友達と食べるお弁当って、楽しいし、おいしいですよね。

そして家にいるみたいに「食べないなら、おやつもなし!」

って言ってくる親もいないし、笑。


でも、お弁当のおかずを残すことによって

「ママに怒られる」っていうのを気にかけながら食べたら楽しくないかなって思って。

やっぱり食事は楽しみながらしてほしいし、その代わり家ではちゃんと食べよう!

っていうメリハリで。


そして、「トマト食べたよ!」って報告してきたのをみると

彼女としては子供ながらにも

野菜を残してしまう自分を多少は後ろめたく思ってるんでしょうね。


食事のたびに野菜が必ずある、っていう状態をなるべく保てたらと思います。


いまは嫌いで残しても、必ず、野菜があるのが自然で

食べないと落ち着かないっていうにようになる・・・(かな?)という希望も込めてにっこり


いつかのランチ


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おいしい~ラブラブ

iPhoneからの投稿

ムートンブーツ



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 昨日は具合が悪くて、外出は控えたかったけど、
娘とムートンブーツを買いに行く約束をしていたので
買いに行きましたひつじ


紫外線は相変わらず強いのに、ここのところ寒くて
足元が冷えてしょうがないので、家の中でもムートンブーツを履いてたら
娘も欲しがったのです。

4・5千円するの覚悟だったんだけど、2千円以内で買えたよーはーと
子供用のムートンブーツって小さくて可愛い。


出かける前は、外に出るのが嫌だったのに
ブーツを探して買って、ふたりでお茶する頃にはなんだか気分も晴れて
元気ににっこり


マックのオレオフルーりー、初めて食べたけど、おいしいーー
セニョリータが、手が滑ったのか、サービス精神旺盛だったのかわからないけど
チョコレートソースをこれでもか!ってぐらいたっぷりかけてくれたよakn



天の刻


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 私はいろいろな作家の本を読むというよりは
決まった作家の本をしつこく読むほうです


ノンフィクションよりはフィクションを好み、
物語の内容よりは言葉で事柄、物事、人物のディテイールを丹念に積み重ねていく
作家を、

また、文学史で谷崎潤一郎のように耽美主義と謳われる作家を好み、
耽美寄りの作家を選んで読む傾向があります


そんななか、小池真理子もよく読んでいました
長編よりは短編のほうが好きですが
ただ、読んだ端から忘れていきます

どうしてだろう?

たぶん、程よく陳腐で程よく官能的、程よく美しく、心理サスペンス的
全部、程良いので印象に残らないんでしょうね


ほら、BarでBGMとして流れるピアノの生演奏みたいに
お酒を飲みながら会話を愉しむのに、邪魔にならない、美しい、耳に心地よい
あういう演奏って一切、覚えないでしょう?
聴いた端から忘れてしまう


小池真理子の短編もわたしにとってはそんな趣があります


けれど、小池真理子の「天の刻」だけは印象に残っていました
20代後半のころ読んだのですが

たまたま電子書籍で見つけて再読したのです


天の刻、(刻と書いて「とき」と読みます)は6作品が収められた短編集です
6作品どれもよいとは言い難いのですが
収められた短編集には共通したテーマがあります

もう若くもない、かといってまだ年を取り過ぎていない、30代、多くは40代の
女性が主人公であり、死と性をテーマにしています


ただ、「死」は現実的な生々しい「死」というよりは
観念的、抽象的な「死」の概念として

性と死は不思議なことに、セットとして文学作品のテーマになることが多いです

谷崎潤一郎、澁澤龍彦、ジョルジュ・バタイユ、マルキ・ド・サド


この「天の刻」は上記の作家の作品ほどアウトローでもマニアックでも極端でも
ないですもっと軽い。ウエハースのような軽さと儚さです。


6編のなかでいちばん好きなのは本の題名にもなっている
「天の刻」


これを読んだのが26か7歳のときだったのですが、
わたし、そのころ身近なひとが衝撃的な亡くなり方をして
常に「死」について考えていたころでした。

そうして実家の片づけをひとりで数ヶ月間していた時期も重なりました。

遺品の片づけを家一軒まるごと、したことがある人ならばわかると思うのですが
遺品の処分や片付けって本当に大変。


実家は100平米くらいの極端に広くはない一軒家なのですが
一軒家って下手に収納場所があって、とにかく物が多くて、処分するのに
お金も時間も労力も随分かかりました。


そうして、思ったものです。「物」ってそのひとをすごく物語るんですよ。
どこに価値観を置いて、どういうことを大事に思っていたのか
どういう傾向の性質があるのか、
「物」はその人の魂が宿り、人生の歴史を物語ります。


私は、そういうことに一切感傷を抱かない女なので
機械的に使えるものと売るものと処分するものを分けていましたが

叔母がたまに手伝いにこようものなら、大変、
感傷に耽って涙目になるので片づけが進まないの笑。

いまとなってはそんなふうに亡くなった人たちの片づけをしたことも
もう、思い出になってしまったことだけど、
その頃は私も彼女もそれぞれに傷ついてて、ピリピリしてましたね。

時間て大事ですね。



さて、話がそれましたが
「天の刻」は自分の死のための支度をする、中年女性のお話です。

決して自殺の準備をしているわけではなく、いつ死んでもいいように、
身のまわりに余計なものは増やさないで整理して、処分している女性なんです。

面白いでしょう?気持ちよく暮らすために、生きるために余分なものを処分するのではなく
いつ死んでもかまわないように身辺の整理をしている
女性の話なんです。


でも、この本を初めて読んだ当時の私もそれに近い考え方をしていて
読んでとても共感できたんです。

私が、明日亡くなっても、どこに何があって、そして親しい人たちの手を
煩わせないように余計なものは一切持ちたくない、
また、私の持ち物によって、私のことを分析なんかされたくない
そんなふうに思っていたからです。


小池真理子のこの短編集に描かれてる全編の「死」の概念が
わたしのそれととても近くて


きっと、多くの人に共感される作品ではないと思う。

だって、作中に

「これでいつ死んでも大丈夫、心ゆくまで安心して死ねる、という、
 不思議な満足感がわきあがる。」
とか

「いつ死んでも心残りはない。そう思って、蕗子はうっとりする。」
とか

あるんですよ。笑、全然共感されなさそうでしょ。
ま、さすがに私も今は幼い子供がいるのでそんなふうに思うことはないのだけれど

きっと主人公の蕗子と同じ年齢(47歳)ぐらいになったら
わたしもこんなふうに思いながら暮らすんじゃないかしら、
たぶん、こうなる。私の考え方や性質の傾向からして。

彼女は
何にも「天の刻」があると思っていて、流れに逆らわず受け入れる生き方をする女性です。

というか、この短編集、全編に共通する主人公の女性の生き方です。
彼女たち驚くほど、人にも物にも執着をしないで生きる人々です。

何に対してもそれほど執着せずに、受け入れるという生き方の是非を
簡単には判断できないと思います。

むしろ私は、この世で生きていくためにこだわり、人にも物にも執着し、「死にたくない」と
強く願い、欲張り、足掻き、立ち向かって生きる人の方がいいのかもしれないって思ってるほうです。


そうは思っているけれど
私の薄情さや、執着を嫌う(というか、執着に囚われることが怖い)、怠惰な性質は
やはりこの短編集の女性たちの考え方に心地よさを
覚えてしまいます。

名作とは思わないむしろ、なかには陳腐で退屈な短編もあるのですが
こういう概念を抱きながら、生きるひとたちもまたいるということ、
また「死」を決して否定的に捉えていない概念は面白いと思います。



***

写真はバランコ区のスタバ。

照明の落としたカフェって好きです。
特に夏は。

窓や開け放たれた扉から溢れんばかりの外の
光が見えるでしょう?

その対比が好きなの。

まるで自分はその賑やかで光あふれる渦中には入らないで
薄暗く静かで落ち着いた場所からそれを眺めてるみたいな気になる。








夏のある日


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喉が痛くて、咳が止まらずにいます。

元々、喉は弱いんですが、
リマに住んでからというもの
さらにそれが顕著になりました[みんな:01]


写真は夏のある日。
もう秋だけど相変わらず紫外線の
強い日が続きますね
日傘もサングラスもほんっとうに面倒くさい&邪魔です~DASH!

しかし写真の私、
日焼け止めの塗り過ぎで豆腐みたい、なおかつ髪がボサボサ過ぎます汗眉毛ないしな[みんな:02]


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今週のお弁当


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最近の娘、バゲットを絶賛気に入り中
表面のパリパリが好きらしい[みんな:01]


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可愛い♡

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朝、娘を幼稚園に送った後、
その足でリンセ区の郵便局へ荷物を
取りに。

いちばん乗りーー♪───O(≧∇≦)O────♪なんだかとっても
得した気分[みんな:01]

叔母がお弁当作り道具色々
送ってくれたよ~可愛い~♡

お弁当を作るためのピックやシリコンはクッキーの空き箱にいれてあるんだけど、
カラフルでおもちゃ箱みたい[みんな:02]

他にも娘にと 色々送ってくれて娘
大喜びでした(*^^*)

ありがとう~[みんな:03]

ちょうど友達が送ってくれた荷物も
届いてて麻婆豆腐の素が入っていたのでお昼ごはんは麻婆豆腐にしたよ

うまうま~
ごちそうさまでした音譜


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ヴィジョネア セラム

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ランコムのヴィジョネアセラム
良いのでリピートしたいです音譜

それと今まで使ってたファンデが切れたので、
新しいファンデを開けました♡

カネボウのアロマシリーズで
大好きで、もう何年もリピートしてたんだけど、
廃番になちゃったダウン


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