・昭和時代に 実際にあった『偏見』
『【昭和時代のありえない就職面接】偏見の時代』
https://www.youtube.com/watch?v=6TJYT4f4k5w
Youtube上に興味深い動画があります。
昭和日本の「就職差別」について、当時の経験談をもとに1955年~1970年代の面接状況をピックアップされた内容となっております。
家系の出自や地域、親の状況(父親の職種/片親かそうでないか)、中には兄弟の趣味にまで「採用の基準」に含む、現代とまったく違う価値観が存在していた。
まさに、本シリーズ(70年代)にも重なる部分かと思われる。
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その1(徳義なき国の所業)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その2(戦争末期の「朝鮮兵」虐殺計画)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その3(日本学校「入学取り消し」問題)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その4(息苦しい社会は延々と・・・)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その5(民族的主体性を奪われた人びと)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 その6(戦後社会の差別構造)‐
‐戦後・在日コリアンの「強いられた生き方」 最終回(民族教育を「放棄」した末路)‐
7.在日朝鮮人二・三世はどう生きるか
戦後、日本は民主主義になったとはいえ、日本の独占資本社会では“失地挽回”に汲々としたのは確かである。その失地挽回の一つに「就職差別」がある。こうして在日朝鮮人の多くは就職差別にさらされた。
この渦中に生まれ育った朝鮮人の二・三世はどう生きようとするのであろうか。いわゆる一世ともちがって二世や三世たちの顔つきや言語態度には日本の若者と異なるところがない。それで多くの青少年は親の影響もあって「日本名<通名>」を名乗って日本人学校へ通い、また日本名<同>で就職の門を潜ろうとする。
だが、旧権力層のバッコする日本の企業は、それをチェックして排除し、朝鮮人子弟のたいていは泣き寝入りして不運を嘆いた。これが日本の就職社会の暗黙のしきたりだった。そして岐阜県で生まれ育った新井鐘司(本名・朴鐘碩)君も、日立の就職門を潜った。が、いったん採用されながらも、戸籍抄本提出の段階で、入社を拒否された。・・・・・・在日朝鮮人子弟の、幾千人もが踏んだ轍であろうか。しかし、各人にとっては、不可解な悲しい処女体験である。
銃救済の新井こと朴鐘碩君は、純朴に会社の正当性を疑い、帰途の横浜駅前で署名運動をやっていた日本人学生に、事情を訴えて協力を求めると、四人は即座に“協力を約束”した。これが「朴君を支援する会」となり、日本の広い世間にアピールする一方、横浜地裁に「日立の入社取り消し無効の訴訟」を起こし、多くの支持者を集めた。
この朴鐘碩君の“訴え”は、在日朝鮮人六〇万の二五年を通じて前例のない「就職差別裁判」として注目を集め、「日本社会の試金石」と脚光を浴びた。
朴君の訴訟のあったころ、新聞紙上にトインビーの文章が載っていた。
それは日本の少女の手紙に応じたものだった。いわば、かつて帝国として植民地を領有したイギリスと日本の、老歴史家と少女の、往復書信であるだけに、私には印象的だった。その一部分を掲げておく。
「自分の国が行った過去の悪事に対して私たちが責任を感じるべきだ、ということは確かです。私たちや私たちの先祖が行った不正に対して、できる限り十分に、かつ、できる限り速かに私たちが償いをすべきだということもまた確かです。(中略)責任を感じても、できるだけの償いをして良心の苛責を静めようとしても、過去の悪事を取り消すことはできません。責任感および過去の罪を背負うとする意識が、私たち自身のあやまち、あるいは私たちの先祖の犯したあやまちを将来繰返す誘惑にさからう上で、役に立つだろうというあなたの意見に賛成です」
横浜地裁における「朴鐘碩君就職差別裁判」は三年にわたり、本年(一九七四年)六月十九日、ついに判決が下りた。
「労働契約は採用通知書を出した時点で成立している。在日朝鮮人が置かれている歴史的社会的背景を考えると、出生以来使っていた日本名を使用したからといって企業が解雇する理由にはならない」「しかも本件の解雇は被告が在日朝鮮人であることを決定的理由としているので、労働基準法三条に抵触し、民放九〇条にも反し無効である」と、朴君の勝訴を宣した。
朴君の勝訴は、在日朝鮮人の歴史的背景から民族差別の実態にまでメスをあて、日立製作所ばかりでなくその他日本の大企業にも民族的就職差別があるとして戒めた点は注目すべきであり、画期的な判決として評価されている。
この三年間、朴君を励まして援助を惜しまなかった日本人仲間に、敬意と感謝を捧げたい。
※傍点はアンダーライン <>は筆者註
『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社 263~266頁より
・「差別」の中から生まれた パチンコ産業
在日コリアンの友人が、ご親族の過去や現在で、誰かしらが「パチンコ業」を営んでいて、彼自身は一度もやったことはないですが、幼少期に会社にあったパチンコ台の実験機に触らせてもらった記憶があるとのことです。
-続・『自粛警察』の「心理」を探る(コロナ以後の社会を見据えて)-
恒久化するコロナ渦で、パチンコ店に対する「社会的圧力」はより一層強くなり、他にも『依存症対策』という名目で批判する人々がいますが、そこには、かつての就職差別で苦しんだ在日コリアンの「歴史」があって、“自らで稼ぐこと”を宿命づけられた人々が、当時の時節とマッチする産業としてパチンコが隆盛したこと。こうした前提を抜きに「パチンコを潰せ」だとの吠えている人間は、彼らに対して「死の宣告」を行なっているに等しく、実に物事を一方向でしか見れない性質にあると思います。
誰かを“敵”に見立て、扇動し、攻撃することは、ある種『正義の執行者』として、さぞ留飲が下がるのだろうが、社会総体のビジョンが悉く欠けているわけで、その歴史や複雑性を理解できない不誠実な性格のあらわれであろう。
<参考資料>
・Youtube動画 『【昭和時代のありえない就職面接】偏見の時代』
https://www.youtube.com/watch?v=6TJYT4f4k5w
・『日朝関係の視角 歴史の確認と発見』 金一勉著 ダイヤモンド社
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