Outdoor Nylon American Flag

 

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とても興味深い内容です。

 

我々日本人は、是非ともこの記事を読まなくてはなりません。

 

 

簡単に、事のあらましをご説明いたしますと、リブログ元の記事を書かれたMichikoさんは、かれこれ、6年近くに渡って、海外のフォーラムサイトや幾多の外国人たちと直接交流され、そこでアンケート調査や、時には(アメリカ人に)罵声も浴びせられながらも、根気よく彼らの考えていることや、米国政治の生々しい現実と、その内情をウォッチし続けてきました。

 

その中でも「まったく話が噛み合わなかった」ことが、今回の『平和』に関することがらです。

 

ひとえに「平和」と言っても、様々な形があると思いますが、少なくとも「戦争が起きぬ太平な世」とするのが、ほとんどの人たちの共通理解でしょう。

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12403760386.html

 

※英語の原文サイト

 

What kind of peace education you ever got? · POLITICAL RHETORIC BUSTERS · Disqus

 

https://disqus.com/home/channel/politicalrhetoricbusters/discussion/channel-politicalrhetoricbusters/what_kind_of_peace_education_you_ever_got/oldest/

 

 

Michikoさんは、アメリカ人相手に「どのような平和教育を受けたのか」というタイトルで、彼らに質問をされました。

 

そもそも、アメリカ人が多く集まるフォーラムでも、「平和」に関する議論がほとんどなされていないことと、根本的に「平和」に関する興味がないのか、それについて話し合う記事を探すのが非常に困難である事実を指摘され、我が国日本では、当たり前のようになされている、過去の戦争についての残忍さや、悲惨さ、果ては無情さから、もう二度と戦争を起こしてはならない、また巻き込まれてもいけないという意識を、おじいちゃん・おばあちゃんの話や、学校教育を通じて学んできました。

 

しかし、アメリカ人の意識は違いました。

 

ある人(skipsaling氏)は、ご自身の海軍の経験から「力によってこそそれは成就される」と言い、別の人(Conservativaly Unambiguous氏)は、アメリカという歴史の中から「誰が勝者になること」に重きを置き、その人は、Michikoさんのご質問に対し「アメリカでは恒常的な平和教育は行われていない」ニュアンスの返答をされました。

 

また、他のコメント(Jimbo氏)では、平和教育を行う日本の歴史について「恥にまみれている」とあからさまなディスをしたり、彼の認識の中では、「平和を尊ぶ=恥」という概念で物事を考えていて、それに対してMichikoさんは然るべき掣肘を加えていらっしゃいます。

 

そして案の定、こうした問題を話すときに、決まって飛び出す文言(BadCase氏)「過去に日本人(君たちの先祖)が、我々アメリカ人を騙し討ちして2000人以上のアメリカ人を殺しやがった。だから(あらゆる脅威に)我々は対処することにしたんだ」というコメントも見受けられました。

 

※場合によっては、原爆の動画などを送り付ける嫌がらせコメントも、アメリカのフォーラムサイトでは多々見受けられます。

 

別のコメント(✪Kye909氏)では「(「平和教育は行われていない」のを前提に)、アメリカという国自体が、永遠の警戒だとか、世界の警察官だとか、その庇護者という概念にさらされている」として、その人が学生の時の記憶から「平和の時代は限定的である」と教えられているわけで、平和は終わるという前提をもとに「(紛争と紛争の間の)なだめすかしの期間」を、今の我々は生きていると、当時の教師たちは言っていたとおっしゃられました。

 

中には絵文字いっぱいで「教育というものは、征服者と、被征服者の間で違うのさ。負け犬の日本人め、身の程を知りやがれ!」(MPTT氏)とか「(友情のおせっかいを持ち出す日本人に対して)キミたちちっぽけなニップスは、真珠湾攻撃を計画していたくせに?」(Dick Move氏)という、あからさまな日本人へのヘイトコメントをする輩もいましたが、こんなものはまだ序の口だそうです。

 

中には、我々日本語話者にはとても見せられないような、おぞましいものもあり、そもそもアメリカ人が『平和』をどのように解釈し、その言葉を消化しているのか。根底的にアメリカ人を憎めば良いという話ではなく、そもそも彼らとは「文化そのものが違う」のだと、我々日本人は理解しなくてはなりません。

 

日本を一方的に軍事占領して、全国あちこちに基地を乱立させ、治外法権も良いところの植民地として、我が国を追いやったところで、今回調査されたMichikoさんの言葉にもあったように、(そうした絶望的状況を前提に)何とかこの状態を変化させて、『対等な友人関係』に持っていくことは、こちらの努力で、何とかあちらの気が変わるように、仕向けなければなりません。

 

しかしながら、アメリカ人は「変わる気ゼロ」です。

 

それは彼らのコメントにもあったように、こうしたアメリカ人を説得することは、ほぼ無理に近いのであり、教育文化、果ては歴史的な思考の違いから、本来東アジアで培ってきた平和という概念は、海の向こうの欧米国家には「無為な言葉」として解釈されます。

 

いずれも、アメリカ人たちから踏んづけられるような扱いを受け、それでもなお、東アジアへの「不信」を抱き続ける日本人について、一体何の見返りを期待して、彼らはこのような態度を取り続けているのでしょう。

 

これもアメリカへの「奉仕」なのでしょうが、ハッキリ言って彼らは感謝など一つもしていない。

 

脚色されたメディアよりも、英語ブロガーの直接のフィールドワークによって、そうした現実が赤裸々になった今、これからも、私もそれをブログで発表し続けていきますが、私たちは、普段から自国メディアばかりを見て、結果、我々は無意識に「日本人が中心だとに思い込んで」しまいがちです。

 

つまり、それは「今の状態」に満足して、現状の矛盾や不条理に盲目になるということに繋がります。

 

正直、こうやってアメリカ人の意見を覗くのは、怖いですよ。

 

彼らが、本当はどんなことを思っていて、日本やアジアについての印象だとか、私たちとは180度も違う視点を持っていて、それを無理に押し付けようとしてきて、考えが会わない人に対して、容赦のない罵詈雑言やヘイトスピーチを浴びせつけて来る。

 

もちろん我々の中にも、「そうした矛盾」に頭の中では気付いている人はいるけれど、直接的な事実を観なければ、どうしても国内の「安楽な風潮」に流されてしまいます。何となくアメリカとつるんでいれば、安全だとか、経済や民主主義を守るためには、彼らとの協力が必要だとか、一部の才覚ある人を除き、私を含め、多くの日本人は「モノリンガル」です。そうした桎梏から、少しでも自由になるためには、アメリカ人たちと「直接向き合い」、それまで自分たちが思い描いてきた『友情の絆』が打ち壊される恐怖を味わい、この先自分たちが、どのような行動を取るべきなのか、しっかりと自分たちの頭で考え、そうした現実と対峙しなくてはなりません。

 

 

<参考資料>

 

・Cluttered talk blab blab blab 『アメリカ人は、平和教育を受けていない』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12403760386.html

 

・同 『「等身大の自分たち」を知るには、外国人の反応を見るしかない』記事

 

https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12403518228.html

 

 

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