今回も、Michikoさんの記事を読み進めていく形となります。
ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(哲学者)
https://twitter.com/hashtag/%E3%83%98%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
「本来のアフリカは、歴史的にさかのぼれるかぎりでは、ほかの世界との交渉をもたない閉鎖地域です。内部にひきこもった黄金の地、子どもの国であって、歴史にめざめる以前の暗黒の夜におおわれています」
「人の住める場所はごくわずかしかありません。海岸線から内陸にむかって、ほとんどどの地域でも、植物が鬱蒼としげる湿地帯が広がり、あらゆる種類の猛獣や蛇の絶好の棲息地となっている、━ヨーロッパ人にとっては身の毛のよだつ雰囲気を持った帯域です」
「アフリカの特徴をとらえるのは困難なのですが、というのも、ここでは、わたしたちがものを考えるときつねに必要とする一般観念を、すててかからねばならないからです」
「黒人の特徴はといえば、その意識がなんらかの確固たる客観性を直観するにいたっていないことが、まさにそれで、人間の意思が関与し、人間の本質を直観させてくれる神や法律がかれらのもとにはない。アフリカ人は、個としての自分と普遍的本質としての自分との区別を認識する以前の、素朴で内閉的な統一のうちにあって、自己とはべつの、自己より高度な絶対の実在については、まったく知るところがありません。黒人は自然のままの、まったく野蛮で奔放な人間です」
「黒人は人間というものを完全なまでに軽蔑していて、法や共同体のありかたも軽蔑を基本としています。・・・・・・人間は、信じられないほど価値のないものとされ、暴虐も不正とはみなされず、人肉を食べることも広くおこなわれている許可事項です。わたしたち(ヨーロッパ人)たちなら人肉を食べることを本能的に━人間に本能があるとしての話ですが━避けますが、黒人はそこがそうではなく、人間を食べることはアフリカの原理に合致している」
「感覚的な黒人にとって、人肉はたんなる肉という感覚的な存在にすぎないのです。王の死に際しては、百人もの人間が殺されて食べられる。捕虜は殺されて、その肉が市場で売られる。敵を殺した勝利者は、原則として死者の心臓を食べる。魔術をおこなうにあたっては、しばしば、魔術師が適当なひとりを選んで殺し、えじきとしてみんなにわけあたえます」
「黒人を考える上で、もう一つ特徴的なのは、奴隷制度です。黒人はヨーロッパ人の奴隷にされ、アメリカに売られますが、アフリカ現地での運命のほうがもっと悲惨だといえる。現地には絶対の奴隷制度があって、というのも、奴隷制度の根底は、人間がいまだ自分の自由を意識せず、したがって、価値のない物体におとしめられるところにあるからです。黒人は道徳的感情がまったく稀薄で、むしろ全然ないといってよく、両親が子どもを売ったり、反対に子どもが両親を売ったりする。どちらがどちらを所有することもできる。奴隷制度の神道によって、わたしたち(同)のもつような、道徳的尊敬にもとづく絆はすべて消えうせ、わたしたちがたがいに要求しあうような敬意を、黒人は相手に期待する気がおこらないのです」
「本来の意味でのアフリカは、歴史を欠いた閉鎖的な世界であって、いまだまったく自然のままの精神にとらわれ、世界史の敷居のところにおいておくほかない地域です」
『歴史哲学講義(上)』 ヘーゲル著 長谷川宏訳 岩波文庫 (世界史の地理的基礎<旧世界編> 一五七頁~一六九頁より)
これが、それ以前から18世紀後のヨーロッパ人のアフリカに対する「総観」で、さらに帝国主義の時代に入ると、鉱物資源や労働力確保を目的に、いよいよ「収奪の対象」となりましたが、時が変わり、その利用価値がなくなれば、嘘のように放り出して、結果彼らがいたずらに引いた国境線や、残された数々の禍根によって、今もアフリカは苦しめられています。
しかし因果応報、現在では、北アフリカからの移民・難民が、高福祉のヨーロッパ諸国に殺到しています。そうなってしまったのも、もともと「経済格差が開きすぎた両地域」にとって、本来なら自分たちの国で一生を終えたいはずなのに、渡航時のリスクや、文化や習慣の違う地域で苦労してまで「行く理由」は、長い歴史的構造によって生み出された、戦争や内乱による極度の治安の悪化が原因です。
単純に言って、まともに暮らせる状態ではないのです。
そんな中、中国の北京では大規模な『中国アフリカ会議(FOCAC)』が開催されています。
日本では、ほとんど報じられていませんが、この中で中国が唱えた「5つのノー」を見ていきましょう。
①それぞれのアフリカ諸国の発展状況に合った道程への不干渉
②アフリカ諸国の内政への不干渉
③われわれの意思をアフリカ諸国に押し付けない
④アフリカへの支援にあたり、政治的なヒモをつけない(訳者註:傀儡政権を置かないという意味だろう)
➄アフリカへの投資によって、自分勝手な政治利益を得ない
※同会談における習近平国家主席のスピーチより
https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12402862291.html
リブログ元のMichikoさんもおっしゃられていたように、中国は本当に長いスパンで物事を捉えているのだなと、普通の国なら「今を生きている人たち」優先に、すぐ見返りを求めるのが常ですが、おそらく習主席の「何代もあと」の話なのに、ものすごく真剣に取り組んでいる。
この中で見えることは、かつて西洋がアフリカでやったことを振り返れば、結果どのようなことになったのか、中国は冷静にその「事実」を俯瞰し、この先の政治が目指すべきことを考え、弱者強者問わない国家観の在り方を模索し続けた形と言えるでしょう。
中国政府は、対アフリカに限らず「ウィンウィンの関係」を基本としています。
過去の尖閣諸島(所謂「棚上げ論」)もそうでした。
内弁慶の石原慎太郎の尖閣買取騒動(2012年)により、慌てふためいた日本政府(野田政権)が、急遽「国有化」をすることによって、その関係をぶち壊し、現在のような状況になってしまったのも、本来ならば、双方が満足する取引関係を結ぶ、そうすることによって、どちらにも恨みを残さない、ゆえに禍根も残らない。
強者だけが主役になる世界との決別
以上のように、「長い時間をかけて、中国文化で育まれた知恵」に基づく平和の発想ですが、その対極にある西洋の考えと、実際的な行為との対比については、歴史を見れば一目瞭然でしょう。
欧州の大哲学者であるヘーゲルも、かつてアフリカを区分するとき、サハラ砂漠の北の海岸地帯を「ヨーロッパ化されたアフリカ」(一五七頁)と称して、まさに『自分たち本位の見方』であり、彼らが描く「強いモノだけが中心となる世界」というものは、文化・経済・金融・政治を筆頭に、現代の欧米国家が作り上げた世界構造と合致します。
また中国のアフリカ投資は、他にも色々な面で大切にされていることがあり、数百年後に巨大なマーケットとして確立することや、アフリカ自身の、世界での発言力強化だったり、人口抑制政策だったりと、最終的には「使い使われる」それまでの歴史との別れを告げ、結果生まれる『大きな平和の時代』を目指して、それが中国や欧米以外の国々にとって、最大の「利益」へと繋がるのです。
<参考資料>
・Cluttered talk blab blab blab 『中国のアフリカ投資は、超長期的「ウィンウィン」ストラテジー』記事
https://ameblo.jp/cluttered-talk/entry-12402862291.html
・『歴史哲学講義(上)』 ヘーゲル著 長谷川宏訳 岩波文庫
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