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機材紹介「Fender Japan ストラトキャスター 改」

以前書いた記事でも少しだけ触れた、中学生の頃に姉から譲り受けたFender Japanのストラトキャスターを改造したものです。


シリアルナンバーから調べたところ、1994~95年に富士弦楽器(現フジゲン)で製造されたもののようです。正式なモデル名は残念ながら不明です。

シリアルナンバー

ヘッド

全身図

もともとピックガードやノブ、ピックアップカバーは白でしたが、全て黒に換えてます。

特筆すべきはここです。

コントロールを1ボリューム2トーンから1ボリューム1トーンに変更。トーンは3つ全てのピックアップに有効になるよう配線しました。さらに、セレクターの位置も変えています。

ちなみにこちらがストラトキャスターのコントロール系の本来の配置です(改造前の画像を撮り忘れたので拾い画像ですが)


改造後は弦に近いノブを1つ撤去し、セレクターをノブ側へ寄せて設置しました。
なぜこうしたかと言うと、もともとの2トーン仕様が扱いづらかったのもありますが、一般的なストラトキャスターってストロークの時に弦に近いノブとセレクターに手が当たりやすいんですよね。実際僕は演奏中に結構当たってしまいます。
なので、思いきって演奏がしやすい形にがっつり変えてしまいました。以前ご紹介した、セレクタースイッチの位置を移設したレスポールタイプのギターと考え方は一緒ですね。普段使いのギターはまずとにかく使い勝手を良くしてしまおうという。
今回の改造にあたって参考にさせていただいたブログ



上記のブログを見てからというもの、これを実際にやってみたくて仕方がなかった。それがやっと叶えられて満足です。
そして改めて先人の皆様には深く感謝です。


ピックガードは注文するとなると特注になってしまい高価になるので、Amazonで3プライのプラ板を購入し、ルーターを使い自作しました。いろいろと試行錯誤しましたが、コツも覚えてきてだいぶ安定して作れるようになりました。ピックガード製作は、結局は基になる木製の型板をいかに上手く作れるかが肝ですね。僕は型板作りの際には基本糸鋸をよく使うので、そのおかげで糸鋸の扱いにはだいぶ慣れました。

余ったプラ板で裏側のコントロールプレートも自作。やっぱりピックガードと同じく3プライにすると見映えがいいですね。

ポットの抵抗値はボリュームとトーン共に250kΩ、ピックアップはFenderのTex-Mexセットに交換、ボリュームポットにはハイパスコンデンサーとしてSILVER MICA 250pFを装着しています。
Tex-Mexは安価な部類のピックアップだし、テキサススペャルの廉価版という位置付けらしいですが、音は個人的にはかなり気に入りました。少なくともここからさらに高価なピックアップに交換しようとは僕は思いません。

ストラトタイプは他に2本持ってますが、そちらについてはピックガードを新調する予定はあっても、コントロール系の位置を弄るつもりはありません。元々の位置でちゃんと弾きこなす練習もしないとね(^_^;)
そちらの紹介についてはまたいつか…


このストラトキャスターは僕が最初に手にしたギターであり思い入れもあったので、それを自分で改造してまた使えるようになったことが嬉しくてたまりません。これからまたたくさん弾いてあげたいと思います。

朗報

先日、思いがけずとても嬉しいことがありました。

実家の母から連絡があり、僕の小中学校時代の同級生が突然実家を訪ねてきて、どうしても僕に伝えたいことがあるので連絡先を教えてほしいと言っていたとの話を聞きました。

これだけ聞くとなんだか怪しげな感じがしますが、その同級生の名前を聞いたところ、僕には一つ思い当たることがありました。


その同級生は小学校時代は「ザ・ガキ大将」といった感じの男子で、少々荒っぽいところがありながらも非常に男気があり人情家で、なんやかんや男子からも女子からも慕われていた記憶があります。僕が些細なことから普段仲良くしていた友達から仲間外れにされていた時に、相手を本気で注意してくれたこともありました。

中学生になってからも彼の人柄が変わることはなく、部活にも一生懸命励んでいました。勉強はあまりがんばっていた印象はありませんでしたが、3年生の受験の時期になると「部活のために行きたい高校がある」と言って大きなペンだこを作りながら休み時間にも一生懸命勉強していたことがとても印象的でした。

彼とはたまに遊んだり、うちに泊まりに来たこともありましたが、そこまでいつも一緒にいる仲間というわけではなかったので、高校からは別々の学校になり、その後は20代の頃に同窓会などで1~2回顔を合わせた程度で、それから会うこともないまま数十年が過ぎました。


数年前に、テレビでとある不祥事を起こした会社の会見が流れていました。ふと目をやると、そこにはかすかに面影を残した元ガキ大将の彼が映っていました。彼は、部下が起こした不祥事の責任を取り、会社の矢面に立って悲痛な表情で会見に臨んでいました。そんな彼と僕が知っている頃の彼とは、頭では同一人物と分かってはいても、どうしても重ねることができませんでした。   

僕はいても立ってもいられなくなり、彼個人の連絡先は分からなかったので、その会社宛てにメールを送りました。内容はあまり覚えてはいませんが、彼を激励する文章と、会社として会見の矢面に立つような人達を守ってほしいといった内容だったと思います。勿論、会社が一番大変であろう渦中に送られてきたそんなメールなんて、彼の目に届くはずがないだろうことは重々承知していました。それでもテレビに映る彼に向けて何かアクションを起こさずにいられなかったのだと思います。それは正直、善意というよりかは自分自身のためだったと言えると思います。


そして、そんなことがあったということも記憶から薄れていた中、彼が実家を訪ねてきたというわけです。
母から彼の電話番号を聞いたので早速こちらから電話をかけ、数十年ぶりに会話をすることになりました。

やはり彼は、その時僕が送ったメールを見ており、いつかどうしてもそのお礼が言いたかったけど周りに僕の連絡先を知っている人がおらず、そのため昔の記憶を頼りにわざわざ実家を訪ねてきてくれたとのことでした。

彼曰く、あの不祥事の時は本当にどん底だった。そんな時に会社から、自分に宛てた激励のメールが届いていたことを聞かされ、それを見てすごく救われたと話してくれました。送り主が僕だと分かったのは、文末に僕の下の名前の記載があったからとのこと。僕としては無記名でとも思ったけど、独善的に言いたいことだけ言い逃げすることに気が引けた結果、下の名前だけを記名してメールを送った記憶がおぼろげながらありました。

僕からしてみれば衝動的に、そして独善的に送ったとしか認識できていないメール。それでもそれが、少しばかりでも彼の心を軽くすることができた。そして彼はあの頃の義理堅い性格のまま、迷わず僕にお礼を言いに来てくれた。

何より嬉しかったのは、電話口の彼の声がとても元気そうだったこと。
不祥事により迷惑をかけた方々へ、会社の一員として自分なりのケジメをつけた後、会社に残る道もあるにはあったそう。しかし不祥事の影響から、会社に残るには他県への異動という条件付きであったため、自分の家族のために彼は退社を決意。その後、なんと自分で会社を立ち上げたとのことでした。
彼が元気だったことに加えて、あの頃と変わらない、もしくはそれ以上のバイタリティーと努力家の面を垣間見ることができて、感無量の気持ちでした。彼はやっぱり今でも、あのガキ大将の彼のままなのだと感じました。


やらない善よりやる偽善。
偽善かもしれない。独善なのかもしれない。相手に届かないかもしれない。でも、もしかしたら自分が行動を起こすことで何かをほんの少しだけ変えることができるかもしれない。そのほんの少しで、救われる人、救われる自分がいるかもしれない。世の中が大変な今だからこそ、人の温かみを感じることができるのかもしれない。
彼のおかげで、そんなふうに思うことができました。
だから感謝するのは僕のほうです。
本当にありがとう。

川へ

昨日は小一時間遠出をして川へ。

娘は久々の川に大興奮。
「泳ぐ!」とか言ってたけど、それはやめてください…。


布バケツで川カジカを捕獲。
勿論キャッチ&リリース。

昔は札幌にある実家の近所の小川でも捕れたっけな。懐かしい。


暑い日だったから冷たい川の水が気持ち良かった。



陽射しが少々きつかった。
テントはいらないけどやっぱりタープは欲しいなぁ…

嫌いな言葉 の補足

前回の記事の補足です。

前回の記事を読み解くと分かると思いますが、僕は自分の母を尊敬はしていません。自分で気づいているかは分かりませんが人としてかなり癖のある人ですし、自分の子供のことをかわいいとは思っていない人でした(これは後に本人がはっきりと断言していた)。

ただ、尊敬していない=感謝していないという意味では勿論なくて、躾や教育、子供との接し方に関しては親として立派とは言えませんでしたが、衣食住に関して困ったことはなかったし、大学にも行かせてくれて思いきり勉強させてくれたことに対しては感謝しています。世間的に見れば立派な親だろうし、ある意味、かわいいと思えない子供を4人も成人まで育て上げたことは立派と言えると思います。

しかし、この「衣食住に関しては困らなかった」「世間的には立派な親」というのがある意味曲者で、虐待とまでは言えないまでも、子供を自分のコントロール下に置く、精神的に支配する、というあたりが、現在では「毒親」などという言葉で表現される、子供を苦しめてしまっている親の一例ではないかと思います。

うちの両親は、既に亡くなった父も含め子育てには熱心ではあったと思います。二人ともとても働き者でしたし、仕事にも家事にもいつも一生懸命でした。休みの日にはよく家族皆で出かけた記憶もあります。しかし、二人とも自分の価値観、大人側の思いを常に優先して考える人達であったので、子供の気持ちや価値観を優先してくれることはほぼ皆無でした。

世間から見れば僕らは、衣食住には困ってなくて休日にはどこかに連れて行ってもらえて、高校も大学も出してもらっているごく普通の恵まれた子供たちであったと思います。しかし、そういった世間の目と、家庭の中で感じている息苦しさとのギャップこそが、うちの家庭の子供たちを苦しめていた根源なんです。

年齢が上がるにつれて増していく息苦しさや辛さ。でも世間的に理解してくれる人はいない。勿論両親は、自分達を立派な親と思って憚らない。親は立派だ、親は尊敬せよという世間からの無言の圧力を感じ、萎縮して過ごさざるを得ない状況でした。

結局僕はそういう環境に耐えられなくなり、母と関係を断絶する期間を数年間経ることになります。関係を断絶してから暫くの間は罪悪感に苛まれる日々が続きました。しかし、そのおかげで妻や当時生まれたばかりの娘とゆっくりと向き合って過ごす時間が増えたことで、自分が何より大切にすべきものや、今まで理解できていなかった新しい価値観について考え、気づくことができました。

現在ではちょくちょく娘を連れて会いに行くまでには母との関係も回復しています。今は「親は尊敬しなければいけないもの」という呪縛から解き放たれて、母の人として弱いところや未熟なところも含め、親と子というよりはお互い一人の普通の人間同士として向き合うことができるようになったと感じています。でも正直、娘が生まれていなければもしかしたらもう会うこともなかったかもしれません。娘の存在はやはり大きかったと思います。

おそらくうちの親は、自分達が育てられたように、または育てられた経験を基にして自分の子供を育てただけなのだと思います。時代的にそうだったように両親とも兄弟が多かったし、そんな中で衣食住の面倒をしっかりみて、厳しく大人の価値観を教え込んで育て上げることこそが、親としての立派な務めだったのかもしれません。

しかし、時代というのは常に変化していくものだし、特に僕の親の世代が子供から大人になる時代は激動の時代だったはずで、身の周りの環境や子育ての価値観が大きく変わった時代だったのではないでしょうか。はっきり言ってしまうと、そこに順応できなかったのがうちの親ということなのでしょう。

いろいろ偉そうには言いましたが、勿論僕自身が時代の移り変わりに対応できる親になれるかはまだ分からないし、娘に尊敬してもらえる親になれるかも分からない。でも少なくとも僕は、尊敬されるされないなんてどうでもいいと思っているし、自分の弱さをちゃんと見せられる親であろうと思ってます。

あとは、自分自身の経験をちゃんと昇華して引き継いでいける親でなくてはいけないですね。こればっかりは絶対に実行していかなければと強く思っています。

嫌いな言葉

僕には非常に嫌いな言葉がある。

「世話してやった」とか「~してあげた」
という言葉。

この言葉を言う人が嫌いなわけではない。
僕にとって尊敬に値しない人達が上記の言葉を使う場合が非常に多いのだ。

尊敬に値しない=嫌いというわけではないが、
まあ、結局好きにはなれないよね。
尊敬できないんだから。

あともう一つは、自分の経験のほうがさも大変だったように言う人。
「いや~あなたのその経験なんか全然だよ~俺なんかさ~」みたいなやつ。職場に1人2人は必ずいますよね…。
これについては、こういう話が好きな人間て実際多いですよね。苦労自慢みたいなやつ。正直、僕自身も気をつけなければと思う時はあります。

どちらの言葉にも共通しているのは、そこに自分の価値観しかないということ。

言わずもがな、世話をしたか、してあげられたか、なんていうのは自分が決めることではなく、してもらった側の人がどう感じるか、どう受け止めるかというもの。結果、親切心をウザく感じてしまう場合だってあるだろうけど、それはそれで仕方のないことだし、そもそも「世話をしてやった」という感覚で人に親切にするべきではないだろう。

また、その経験がどれほど大変であったかどうかなんてのは、経験した当人にしか分からないものであり、仮にかなり似た経験をしている場合にしたって、感じ方は人によって違う。にもかかわらず、自分の経験のほうがさも大変だったかのように話す感覚というのはいかがなものなのか。

自分的に「この人ちょっと苦手だな~」と思っている人に限って上記の言葉を使うんですよね。逆に、最初から好感を抱けるような人からは、何年付き合ってても上記の言葉は絶対に出てこないですね。面白いことにね。

自分でそう思っている以上、自分自身がそういう感覚に陥らないようにと常日頃から気をつけているつもりです。職場や友人関係は勿論、家族、そして今なら特に娘に対して。

娘に対して「世話してやった」「~してあげた」なんて感覚、僕からしてみれば親として異常だと思うんですが…残念なことに、僕の親からは実際によく言われた言葉です。その頃は深く考えずそういうもんかと思ってたんですが、実際自分に子供ができてみると、子供の世話をする、子供にいろんなことをしてあげる…これってごくごく当たり前のことじゃん?って気づくわけですよ。
子供ができると自分の親の気持ちが分かる…なんてよく言いますけど、はっきり言って僕の場合はますます自分の親の気持ちが理解できなくなるばかりです。まあ、うちの親なんて大して何も考えずに言ってたんでしょうけど、僕としては自分の娘には口が裂けても絶対に言うまいと心に決めている言葉です。

あと、言葉というか、「生んでくれてありがとう」ってやつも大嫌いですね。なんで生んでくれただけで感謝せにゃならんのか。むしろまず親の意思があって、そして生まれてくるという順序なわけなんだから、それを言うなら「生まれてきてくれてありがとう」が先だろ、と。

親の立場からしてみれば、そう決めたのなら生むのも育てるのもただただ当たり前のこと。大事なのはその先の、+αの部分だろう。そして親に感謝せにゃならんのかどうか、決めるのは親ではなく子供自身だろう。もっと言えば、そもそも感謝なんかされないかもしれないし、感謝してくれるとしても、それは何十年後か、もしくは親が死んだ後かもしれない。それでも、感謝や見返りなんか期待せずに、子供のために最善を尽くすのが親として当たり前の在り方ではないのだろうか。

なんか字面にするとネガティブな雰囲気の記事になってしまいましたが…ただ常日頃から思っていること、心掛けていることを書いただけなんですけどね。
ということは自分はやはりネガティブな人間なのか…?
んー…まあ、そうですね、残念ながらね…。