嫌いな言葉
僕には非常に嫌いな言葉がある。
「世話してやった」とか「~してあげた」
という言葉。
この言葉を言う人が嫌いなわけではない。
僕にとって尊敬に値しない人達が上記の言葉を使う場合が非常に多いのだ。
尊敬に値しない=嫌いというわけではないが、
まあ、結局好きにはなれないよね。
尊敬できないんだから。
あともう一つは、自分の経験のほうがさも大変だったように言う人。
「いや~あなたのその経験なんか全然だよ~俺なんかさ~」みたいなやつ。職場に1人2人は必ずいますよね…。
これについては、こういう話が好きな人間て実際多いですよね。苦労自慢みたいなやつ。正直、僕自身も気をつけなければと思う時はあります。
どちらの言葉にも共通しているのは、そこに自分の価値観しかないということ。
言わずもがな、世話をしたか、してあげられたか、なんていうのは自分が決めることではなく、してもらった側の人がどう感じるか、どう受け止めるかというもの。結果、親切心をウザく感じてしまう場合だってあるだろうけど、それはそれで仕方のないことだし、そもそも「世話をしてやった」という感覚で人に親切にするべきではないだろう。
また、その経験がどれほど大変であったかどうかなんてのは、経験した当人にしか分からないものであり、仮にかなり似た経験をしている場合にしたって、感じ方は人によって違う。にもかかわらず、自分の経験のほうがさも大変だったかのように話す感覚というのはいかがなものなのか。
自分的に「この人ちょっと苦手だな~」と思っている人に限って上記の言葉を使うんですよね。逆に、最初から好感を抱けるような人からは、何年付き合ってても上記の言葉は絶対に出てこないですね。面白いことにね。
自分でそう思っている以上、自分自身がそういう感覚に陥らないようにと常日頃から気をつけているつもりです。職場や友人関係は勿論、家族、そして今なら特に娘に対して。
娘に対して「世話してやった」「~してあげた」なんて感覚、僕からしてみれば親として異常だと思うんですが…残念なことに、僕の親からは実際によく言われた言葉です。その頃は深く考えずそういうもんかと思ってたんですが、実際自分に子供ができてみると、子供の世話をする、子供にいろんなことをしてあげる…これってごくごく当たり前のことじゃん?って気づくわけですよ。
子供ができると自分の親の気持ちが分かる…なんてよく言いますけど、はっきり言って僕の場合はますます自分の親の気持ちが理解できなくなるばかりです。まあ、うちの親なんて大して何も考えずに言ってたんでしょうけど、僕としては自分の娘には口が裂けても絶対に言うまいと心に決めている言葉です。
あと、言葉というか、「生んでくれてありがとう」ってやつも大嫌いですね。なんで生んでくれただけで感謝せにゃならんのか。むしろまず親の意思があって、そして生まれてくるという順序なわけなんだから、それを言うなら「生まれてきてくれてありがとう」が先だろ、と。
親の立場からしてみれば、そう決めたのなら生むのも育てるのもただただ当たり前のこと。大事なのはその先の、+αの部分だろう。そして親に感謝せにゃならんのかどうか、決めるのは親ではなく子供自身だろう。もっと言えば、そもそも感謝なんかされないかもしれないし、感謝してくれるとしても、それは何十年後か、もしくは親が死んだ後かもしれない。それでも、感謝や見返りなんか期待せずに、子供のために最善を尽くすのが親として当たり前の在り方ではないのだろうか。
なんか字面にするとネガティブな雰囲気の記事になってしまいましたが…ただ常日頃から思っていること、心掛けていることを書いただけなんですけどね。
ということは自分はやはりネガティブな人間なのか…?
んー…まあ、そうですね、残念ながらね…。