いまのしゅんかん -43ページ目

母になって四半世紀

今日は、娘の25歳の誕生日だった。
 
なので、3人で恒例となりつつある居酒屋レストランで食事プラス飲み。
ビールと日本酒をたらふく飲んできた。

 

食事はお任せメニューで、10品くらいもあり最後は満腹に。

 
私が家購入がらみでここんとこずっとストレスだったから、今日は飲む!と言ったら、娘も超ストレスだったと。
試験期間中で、ずっと課題に追われていて、今日は提出してきたらしい。
なんでも、あるプロトタイプを作る課題で、学術論文形式で書かなければならず、いつもとは違うフォーマットで大変だったと。
そんなこと言ったら、私も最初の投稿論文がパブリッシュされたのは23歳の時だった。
娘もそんな年齢になったかと思うと感慨深い。
 
忙しい最中、先週は友達に頼まれてモデルもやったそうだ。
 
12月にこの格好での野外フォトシューティングは凍えてキツかったようだが。。。
 
なんとその友達は、自分でデザインしなおかつ縫製もし、自作の服をネットで販売しているプチアパレル会社の社長さんなのである。
今はどのアパレルメーカーもダイバーシティで人種だけでなく体型問わずいろんなタイプのモデルを起用しているそうで、お友達も人種マイノリティである娘にたまに頼むのだとか。
小学生の時は化粧を頑張っていたけど、今はむしろすっぴんに近く、逆にそれはそれで様になっている。
 
3歳の時にデンマークに移住し、私自身が教育とキャリアと言語と生活に追われていたせいもあり、母親としては不甲斐なかったのを認めざるを得ず、娘には大変な思いをさせてきたと思う。
特に、なまじ裕福な地域に住み続けてきたから、娘の友達の親に比べると、私の頼りなさは余計際立っていたと思う。
それもあって、一時期は荒れてたこともあったし、、マスカラを頑張っていたのも、自分の容姿へのコンプレックスもあったのかもしれない。
だから、今は化粧をしなくても魅力をきちんと発している娘はかっこいいなと思う。
ずっと恋愛してこなかったのに、今や彼氏のためにセーターまで編み上げるという。。。なんと健気な。。毛糸代だけで600krもかかったとボヤいていたが。1月に日本に行くときに渡すそうだ。
 
25年間、色々あり、その度に学んできたけど、成人して養育の義務がなくなった今でも、一人の身近な人間の存在は、まだまだ学ばさせられているように思う。

アパートの写真撮影

今日はアパートの撮影日だった。
そのためずーっと片付けをしていて、できる限りチャーミングなもの以外はクローゼットの中とかに隠していたのだが、いよいよそのキャパもなくなり、今朝は最後の手段、ベッドの下に物を隠すという、、、
 
今日は、あいにく悪天候でただでさえ暗い12月なのに一層暗かったので、ありとあらゆる照明をつけて待機、、、

 

普段は使わない間接照明を二つも。。ちなみに、この寝室もかなりものを隠した。

 
しかし、カメラマンにあっさり、照明はかえって調整が難しくなるので、無照明で撮影したいとのこと。。。。
まじか。。。しかし、試しに照明有り無しで撮影してもらったものを見せてもらったら、確かに無照明の方が自然な感じで、しかも調整でかなり明るくすることも可能で、無照明でお願いすることに。
11年前のこのアパートを売り出した時の写真を見たら、多くの間接照明を駆使しているように見えたので、照明は使うものだと思ってた。。

 

今は完全に物置になっている部屋。娘が出ていくまで私の部屋だったので、かなり私好みのカラフルな部屋にしていたのだが、やはりチャーミングな部屋だと言ってくれた。

 
あまりものがなさすぎるのも、アクセントがなさすぎてよくないそうだ。。。
確かに、、、たまにすでに引っ越した後の物件が出ていたりするが、家具もないと、本当に見栄えが悪い。
このアパートも、前のオーナーは亡くなっていたので子供達が売り出していたのだが、すでにかなりのものが出されていて、おしゃれなランプとかだけが置かれていたのみだった。
 
ちなみに、この部屋は、ダブルベッドが置いてあるだけの寝室で、ダブルベッドを置いていってもいいか聞かれたが、私は自分の部屋として使いたく、机も置きたかったのでベッドを引き取ってもらったものの、実はベッドの下だけビニール床が張ってなく、多数の釘が打ち付けられた元のフローリングが剥き出しになっており、絶句させられたのである。
仕方なくビニール床を全部剥がしてもらい、元のフローリングの上に薄い木の板を張ってもらったのだった。そのおかげで一気に雰囲気が良くなったのだが。
 
キッチンは、醜いものは隠すようにしていたが、映らないだろうとスナックが入っているボウルをそのままにしておいて指摘されたらボウルごとどかそうと思っていたら、中身を出してボウルだけ置いてと言われ、チップスなどをバラバラと廊下に一時避難させた。
バスルームは、可愛いものは皆無だったので全て隠したが、白いタイルだけだと味気なさすぎると言われ、わざわざシャワーカーテンが少し見えるようにして撮影してもらった。
 

また、部屋ではないけど、この廊下は私のお気に入りなので撮影してもらった。

ジグザグしていて家具を運ぶのに苦労する廊下だが、いろんな国で買ってきたものを私のコレクションとしてミュージアムっぽく飾っているのが我ながら気に入っている。

 

そしてここも。

日本の暖簾と、アフリカ製の洗濯物入れ
 
出来上がるのが楽しみ。。

陶芸作品完成の集い

今日は、陶芸クラスの作品完成の集まりに行ってきた。

 

 
初心者のコースだったのに、先生には基本的なテクニックを教わるだけ、あとは自分の作りたいものを作るというスタンスで、必要とあればアドバイスをもらうだけだったけど、みんな色んなものを作っていて、また釉薬もいい感じですごいなーと思った。

 

パフィンちゃんの出来は満足

しかしお茶碗は、釉薬の仕上がりが思い通りではなかった。。。やっぱりベタ塗りではなくて、アクセントつけた方がいいのかな、、と思ったり。

 
来年は、釉薬でもっといろいろ試してみよう。。。模様をつけたり、濃淡をつけたり。。
でも楽しいクラスだった。。。

 

銀行とのミーティング

家の購入でかなりバタバタしている。

 

アパートの売却で、週末は片付けと掃除に追われただけでなく、

 

−共益費のレシート

−暖房の年間費用

−固定白物家電のリストつくり(有無とメーカー情報)

−アンテナの有無

−地下室の割り当て番号

−固定資産税

 

などの情報を不動産屋に求められた。

そのためにドキュメントをいろんなところからピックアップしたのだが、暖房費はオンラインで見つからず、どうしたものか、、と途方にくれたら、紙のファイルから出てきて、今更紙か、、、とスキャンして送ったり。

アンテナも使ってないのでわからず、11年前の購買契約書を古いファイルから探し出し、情報を見つけ出したり。前の所有者も使ってなかったらしく、ケーブルのことを書いていたので、わたしもそれを書いた。というか、アンテナ情報なんて今いらないような。。

 

そして、弁護士から連絡があり、

−面積が本当に正しく登録されているのか

−所有者変更保険に関する情報がない

−法律の改正で、入居後12か月間以内に暖炉を変えなければならないこと

という、購買契約書の気になった3点について話した。

 

最初の二点は弁護士から直接不動産屋に問い合わせしてもらうことになり、最後の一点は夫婦で話し合って決める、ということになった。

結局、たいした負担ではなさそう、ということで自己負担することに決めた。最初はそんな法律を知らなかったのでショックだったけど。

 

夕方には夫婦で銀行にいき、

−実際に買うことになったら、どのようなプロセスになるのか

−銀行を変える手続きについて

−所有者変更保険について

−個人年金における死亡一時金のチェック

 

について話したが、プラクティカルな質問がたくさんあって、一時間あっというまだった。

そして、わたしの宿題として、

 

−個人年金の死亡一時金の受け取りが誰が決まってないので、年金会社に連絡する

−今わたしがもっている保険会社に、所有者変更保険のオファーをお願いする

−私の投資口座は、解約に特別な手続きが必要なので、それを調べる

 

が与えられ、今、そのすべてに着手した。

−年金会社は、オンラインミーティングを申し込めなかったので、対面ミーティングを予約

−保険会社は、担当者につながらなかったので、オンラインでオファーの申し込みをした

−今の銀行にオンラインチャットで問い合わせたら、投資口座の解約は担当者に直接コンタクトする必要があるとの回答。ああ、、それが嫌だから、わざわざチャットで聞いてみたのに。。まぁ、解約だけなら波風立たないかな。。。

 

また、なぜ個人年金の情報も渡す必要があるんだろうと思っていたら、年金者になってからの経済状況が問われるのではなく、万が一片方が死亡しても、死亡一時金でローンをカバーできるかどうかをチェックするためだったらしい。

わたしは20年以上入金しているので潤沢な一時金が下りることになっているが、彼の場合は、移住して5年しかたってない上、永住権が下りるまでデフォルトで3%しか入金してなく、今年になってやっと10%以上に引き上げたので私に比べるとずっと小さい額で、銀行としてはセキュリティとしてイマイチだから、可能なら保険への比率を上げるよう問い合わせしてほしいとのリクエストがきた。

家は売るまでが時間がかかる可能性があるから、そういう心配がされるんだ、、、と。

 

この家の購入で、いろんな学びをしているわたしたちである。

 

 

(追記)

また、ローンについて聞いてみたかったことも聞いた。

それは、私はアパートを資金源にできるため頭金を大目に払えるので、その代わり彼にローンの支払いを多くしてもらう予定なのだが、同時に税金控除も彼に多めになるように、夫婦独立してローンができないか、という質問である。

そしたら、案の定、ローンは一つの家に対してなので、別々にローンをかけることはできず、内々に額を決めて払うようにしてほしいとのこと。そして税金控除も平等に同じくらいかかるので、その調整も自分たちでしてほしいと。

別々に住んでいる場合には、それも可能らしいが。。。例えば、子供がアパートを買うときに、50%親が頭金を払い、50%子供がローンをする場合、子供だけがローンの支払いをし、税金控除もされるパターンである。

今まで、一つもジョイントアカウント持ったことがなく、私がすべて生活費を払い、彼に一定額振り込んでもらうやり方だったので、家を持つことによって私たちの経済状況もガラッと変わる。

6年前の思い出

 

しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか。」と言っています。実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。それでは、尋ねよう。彼らは聞いたことがなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。

「その声は全地に渡り、その言葉は世界の果てにまで及ぶ」のです。

(ローマ10:16-18)

 

 

昨日のオンラインの聖書の学びは、パウロが、孤独な戦いを強いられたエリヤに自分の身を重ねながら、モーセの言葉も引用しながらの箇所で、モーセがどこでなくなったのかとか、エリアがどこで挫けそうになったのかとか、地図を見つつ、旧約聖書を読みながらで面白かった。

エリヤが活躍した時代というのは、当時のユダヤの王アハブが異教徒の娘と結婚したため、国がバアルの宗教に染まっており、エリヤは一人でバアルの預言者たちと戦わなければならなかった。

 

6年前のイスラエル旅行で、カルメロ山に訪れた時、そんな話を聞いたなぁ、、と。しかも、その時にホテルのルームメイトだった子も学びに参加していたので、その思い出話を語ることになったのだった。

当時私は旧約聖書にはほとんど馴染みがなかったので、初めて聞く話についていくので精一杯だったが、乾いているイメージのあるイスラエルの中で、カルメロ山のあたりは湿っている気候で、海に近いが里山にもなっているので突然雨が降ることも多く、その変わった地形に興味を持った記憶はある。

 

モーセやエリヤのようにパウロはユダヤ人に伝えきれず、結果的に異邦人に伝道することになる。

そしてキリスト教が生まれ、ヨーロッパに移住していったユダヤ人は迫害され、またイスラエルに戻るが、今度はパレスチナ人やアラブ人との衝突が生まれ、今もまだ戦争中、、、と、このパウロの戦いから今に至るまでの歴史の流れを感じて戦慄が走った。

 

娘と二人でのベルリン旅行で、ドイツはかなりイスラエルを支持しているので、公的機関にイスラエルの旗が掲揚されているのが見られ、それに娘が反応し、私にもアグレッシブに責めてくるのに辟易した。

私は、イスラエルに旅行したことがあり、3D地図を娘が寝泊まりする寝室に飾っているし、イスラエルを支持していると思ったのだろう。支持しているわけでもないけど、だからと言って、アンチというわけでもない。

ドイツは特に、ユダヤ人のイスラエル移住のモチベーションを直接もたらした国なので、支持するしかないんじゃない?と言っても納得してくれず。

ユダヤ人がドイツから亡命するのに殺到したAnhalter Bahnhofに見に行ったのも、そういう歴史背景を見せたかったというのもあった。

 

とはいえ、写真撮影とオープンハウスで絶賛片付け中、そっとイスラエルの3D地図はクローゼットの中に隠し入れたのだった。

Den Forandrede Verden(変化した世界)

 

外務省トップ、在アメリカ、在中国、在ドイツのデンマーク大使を歴任したFriis Arne Petersenの対談本を読了した。

 

11月頭のブックフォーラムでインタビューを聞き、興味が湧いてすぐに本を購入、翌日から読み始めたが、330ページとなかなかのボリュームで時間はかかったものの、どのチャプターもぐいぐい読ませる内容だった。

今でも、世界情勢に詳しい第一人者として講演に引っ張りだこだそうである。

わかる。。。決して個人的な情やバイアスを噛ませることなく、冷静に情勢について語る様は聞いてて信用できる。

ブックフォーラムはアメリカ大統領選の三日前にあったが、トランプが選ばれるだろうということもほとんど確信しているような言い振りだった。

 

 
2006年から15年間三カ国でデンマーク大使として外国にいたが、1979年に外務省に入省し、1981年に在エジプト大使館に赴任になり、1984年にデンマークに戻ってから20年以上コペンハーゲンで働いていたらしい。メンターは、外務大臣だったUffe Ellemann Jensenだったそうである。去年政治家として引退した元ベンスタ党首Jakob Ellemannの父親である。
 
私は知らなかったのだが、1992年の欧州連合(EU)創設を定めたマストリヒト条約における国民投票で批准拒否になった結果、他のEC(欧州共同体)加盟国と交渉し、なんとか条件をつけて再度の国民投票を行い、デンマークがEUに加盟できるよう働いたのがUffe Ellemannだったそうだ。
最初の国民投票でまさかの拒否の結果が出て、その瞬間からUffeはEC加盟国の外務大臣に連絡しまくり、外務省も徹夜で対応に追われたという。Friisも昼間に外務省を抜けて自転車でフレデリクスベアに投票に行き、その夜は批准決定のパーティをやるつもりだったのが暗転した一日だったとか。
 
デンマークは比較的早くECに加盟していたし、その延長としてEUに引き続き加盟したものと思っていたので、危うくEUに加盟できない局面があったとは知らなかった。
確かに、当初デンマークは特別4つの例外条項があり、ユーロ通貨ではないし、防衛条項は去年例外除外したばかり、難民に関しても例外条項なので、割り当て受け入れもなく、なぜ?とは思っていた。
普通だったらありえない条件付き加盟で、ヨーロッパで太いネットワークを有していたUffe Ellemannだったからこそ、デンマークのEU加盟がなし得たと。
1993年に政権が変わり、8年間社会民主党政権が続いた後、2001年に再びベンスタ政権に戻ったが、やはりUffe Ellemannが最も仕事しやすい外務大臣だったようである。
 
こないだのベルリン旅行でも思ったが、第二次世界大戦後のヨーロッパは激動だったんだな、と。
1989年までの冷戦、ベルリンの壁崩落、ソ連の解体、ユーゴスラビア内戦、難民の流入、東欧諸国のEUとNATOへの加盟、、
デンマークは防衛でアメリカにかなりコミットしてきたので、1990年の湾岸戦争にも、1994年にユーゴスラビアにも派兵したそうである。
  
トランプに関しては、淡々と語っているが、中でも興味を引いたのは、グリーンランド購入発言に関してである。
デンマークとしては、トランプがとんでもない発言をして、メッテさんが「不条理だ」とコメントしたことにキレて、公式訪問をやめ女王との晩餐会までドタキャンするなんて、なんという、、という感じだったと記憶しているが、実はデンマーク人が思うほど突拍子もない発言とはトランプ自身も思ってなかったのだろうという。
1951年での合意で正式にグリーンランドにアメリカ基地ができ、北極覇権においてアメリカにとってもグリーンランドは重要な場所になっているし、小国デンマークにとってグリーンランドへの負担はさぞかし大きいだろうと、むしろ「いいディール」と思ってオファーしたのに、という感じだと。
その時は、アメリカに購入されるなんて、とグリーンランド人もネガティブに反応していたけど、最近のグリーンランドはデンマークからより離れようとしているとか。私も知らなかったが、ヌーク空港の拡張工事は、かなりの中国資本が入っているそうである。
中国やアメリカと経済的な提携をすることによって、名実とともにデンマークから独立しようとしているらしい。
 
最後の、今の世界情勢に関する言及にはヘーっと思わされた。
多くの人が、冷戦後に西側諸国が東欧諸国の民主化にもっと何かできたのではないかと思っているが、Friisはそう思わないという。
戦争が起きたウクライナにしても、今新しい大統領がプロロシアの議会によって選出されてデモが起きているジョージアでも、冷戦後の30年間民主化が進まなかったのはあくまでもその二国の選択であって、西側が責任持つ領域ではないと。
NATOもEUも、「無料」で加盟できるわけではない。ジョージアのNATO加盟は、スウェーデンとは次元が違うと。すでにNATOにcontributeしていた軍事産業豊かなスウェーデンに対し、ジョージアは、NATOによるセキュリティを享受したいだけ。
NATOもEUも積極的に拡大してきたかというと語弊がある。なぜなら、加盟する条件が厳しい上、加盟したらそれだけのコミットメントが求められるからである。
 
また、2022年にウクライナの戦争が始まった後、バイデンの「あの男を除外できれば」という失言に対しても厳しく批判している。その直後にアメリカ外務省が慌てて、「ロシアの内政に関して、アメリカは干渉するつもりはありません。」と声明を打ったそうである。
20年間にもわたるアフガニスタン派兵も結局失敗に終わったが、西側が世界をコントロールすることも決定することもできない。
 
それにしても、ベルリンに行ってきたばかりなこともあって、Friisのドイツへの思い入れは印象に残った。
 
Tyskerne stadigvæk bidrager til at gøre Europa stærkere. Simpelthen fordi tysk histories drama og ulykke, den grusomme anden verdenskrig, har lært dem at sige "aldrig mere alene, altid sammen med andre". 
(ドイツは今もなおヨーロッパを強くすることに貢献している。それは単純に、悲惨だった第二次世界大戦で、ドイツはもう孤立しない、常に他国と共にいようと学んだからである。) 
 
日本と第二次世界大戦での同じ敗戦国として、なんという違いだろうと思った。
欧州共同体の前身の設立もドイツのイニチアティブによるものであることは知っていたけど、ちょうど難民危機の起きた2015年にFriisがベルリンでデンマーク大使として就任し、ドイツ政府が「ドイツにはたくさん余地があるから大丈夫」と気前よく難民を受け入れたのを目の当たりにし、ヨーロッパの問題にドイツが先陣を切って解決しようとする姿勢にうたれたのだと思う。
ただ、その歪みが徐々に大きくなり、右翼政党が跳躍してもいるが。
 
 
そして、私が昨今感じている懸念は、「アメリカでの二極化」のチャプターに書かれている。
 
Vi kan ikke have en offentlig samtale med hinanden og et vejfungerende politisk system, hvis halvdelen af et land ikke hører på den anden halvdel og omvendt. Dermed mister vi nemlig enhver mulighed for at tale kompromisernes sprog.
 
「歩み寄り」や「寛容」が乏しくなってきたと感じる今日この頃。
それだけにますます複雑になっていく世界情勢に関する記述満載で、最初から最後まで読ませる本だった。

女子会

不定期に行われる日本人クリスチャン仲間との女子会。

昨日久しぶりに3人でご飯に行ってきた。

 

一人と、カルチャーナイトでばったり会って、お連れさまがいたので長く話せなかったのだが、彼女が住居のことでバタバタしていることを聞いてて、ちょうど同僚の家の購入騒動が始まった頃だったし、またゆっくり話したいとアレンジした結果、昨日で調整できて会ったのだった。

二人は、年頃が近い子供がいるので家族でよく一緒に会うようだが、やはり小さい子供がいると単独で会うことはなかなか難しく。

 

ちなみに、昨日の朝のミーティングで、その私に家をオファーしてきた同僚が、育児のためにしばらく週1ー2日のパートタイムで勤務することを知らされ、40代に入るまで10年以上シングルライフを謳歌していたのに、45歳で子供を得てから完全に子供にコミットするようになり、年子で第二子も生まれ、ガールフレンドがほぼ同じ歳で高齢出産だったため家族に献身的になっている彼の姿に感動した。

かなり優秀なエンジニアで、家にワークショップを作り旋盤も導入するほど仕事も好きな人なのに、キャリアよりも家族を優先するなんていいなぁと思った。

 

私自身、子供が小さいときは、育児と仕事を両立させるだけで精一杯だったので、友達二人の話を聞くと、その頃のことをよく思い出す。大変だったけど、楽しかったこともたくさんあった。ハロウィーンのエピソードを聞き、確かに私も年に2度はコスチュームを作ってたな、、と思ったり。今は、裁縫なんて本当にしなくなった。。。

 

また、あまりにも仕事との両立が大変すぎて、転職を考えていたり。

そうなんだよね、、、そのパートタイムに移行する同僚もそうだけど、デンマークだからといって、必ずしも仕事と育児の両立がスムーズなわけではない。皆それぞれ、創意工夫をしながら両立しているのだと思う。

 

そして、住居についても盛り上がり。

二人ともコペンハーゲンに住んでいて、私は電車でたった20分の近郊の街に住んでいるとはいえ、コペンハーゲンとはなんと事情が異なることか、と思ってしまった。

私の住んでいるところはそこそこ人気があり、住みにくいどころか住みやすいとさえ思っているけど、それでも不動産の値段が全然違う。

 

友達は、実は郊外に家を買って引っ越そうとしたが、パートナーが嫌だと言ってすぐにまた売ってしまい、コペンハーゲンに戻ってきたそうである。

しかし、コペンハーゲンで家族4人で住めるようなアパートを買うことは無理だったので、安価な部分的所有型のandelsbolig(初期購入額は低めだが、建物そのものは共有なので共益費が高め)を買うことにしたらしい。

即時購入が条件で、全て改装する必要があるほど状態の悪いアパートなのに、これを逃すとチャンスがないとして、オファーされてすぐに決めて購入したそうだ。

 

私もデンマーク人夫と最初に住んだのがandelsboligで、離婚した時にそのタイプのアパートを買うことも考えたけど、andelsboligは、何年もウェイティングリストにサインアップしてオファーされるので、市場に出てくるのはよっぽどいわく付き、というリスクが大きく、買うことになっても、価値は上がらないし、ローンを借りると利子が高いしで、普通の完全所有型のアパートを買うことにしたのだった。

それでもなおもコペンハーゲンで住みたがるのも、それだけ都市型の生活に慣れきっているからなのだろうか。

まぁ確かに、ここでも車がないと不便で、デンマークに移住して最初の5年間は車がなくてキツかった。車がなくても生活しやすいコペンハーゲンはある意味住みやすいと言えるかもしれない。(というか、むしろ車があると経費がバカにならないコペンハーゲン。)

 

そして、子供が小さいながら、二人とも自分のキャリアについていろいろ考えていて、ちょうど考えることの多いタイミングだっただけに身につまされた。

来年から私の会社ではちょっとした変革がある予定で、私は私なりにどうするべきかと考えさせられている。

私が興味あったパイプラインにあったプロジェクトはグラントがリジェクトされ、メインで携わるはずだった同僚が辞めることになったので、今後もチャンスがなくなる見込みになり、また、火曜日に、2年前くらいに携わっていた水素関係のプロジェクトの最終ミーティングがあり、私の専門とする分野は全く触らない方向に事業転換する旨知らされ、その分野もなくなることがわかり。

来年から人材コーディネーターをすることになった同僚に相談して、必要とされる分野での再教育を無償で申し出てみようかとも考えたり。

 

二人と話すと、いつも人生いろいろあるなと思いながら、励まされるのだった。

釉薬

今日はお稽古で、初釜でやるという立礼式の薄茶濃茶点前のお稽古をした。
 

師匠が作った皆具。

 
初めて見る道具ではないのに、陶芸をやるようになってから改めて師匠の技術の凄さを知る。。。
 
手捻りではなく、板を作って六角柱になるように作ったらしい。
まずこんな大きな均一の厚みの板を作るのがすごいし、底はともかく、六角の柱を作るのは大変だと思う。
特に水指は敷居が高すぎる。。
 
それに、この模様。。。
釉薬を塗った後に、水で濡らした筆で模様を書いて釉薬を取り除いたらしい。
いいなぁ、、これ、、、私もこういうふうに絵を描いてみたい。。

 

あと、茶道には関係ないけど、師匠が釉薬を塗ったという大皿。

私もこういうふうに、まだらな仕上がりになるように塗れるようになりたい。。。
 
こないだは初めてだったから、ついつい単調な塗り方をしたけど、、
でも、実際は焼き上がるまでどういう仕上がりになるかは分からないらしい。
師匠も、最初は釉薬で何度も失敗したとか。
大量に自作の蓋置があったが、いろんな釉薬を試してみるために、意図的に小さなものをたくさん作ったそうだ。
確かに、、、私も次回は小物をたくさん作ってみよう。。
 
ちなみに師匠は、年間費600krだか払ってワークショップを使わせてもらっているらしい。材料費は別途だが、粘土1kgあたり30krで、焼成と釉薬も含んでいるという。安すぎる。。。
あまりにも安いので人気があり、今も700人だか会員がいるが、待機している人が1000人とかいるようで、入会できるまで数年待たないといけないらしい。
まぁ私がサインアップしたクラスは7回のコースで2000krだしね。。陶芸クラスは本当に高い。
それでも、コペンハーゲンのクラスは人気があり、だから私は北シェランまで通うことにしたけど、陶芸ってどれだけ人気があるんだ、、という感じ。
でも、陶芸ってメディテーションにもなって本当に楽しいし、人気があるのもよくわかる。

 

今日のお菓子。あん焼きというものらしく、、餡に両面衣をつけて焼くお菓子らしい。初めて食べたけど美味しかった。

娘と日本人学生の招待

娘と、日本人研究者の集いで知り合った、娘よりも1歳年下の日本人学生の子を我が家に招待した。

人見知りするし、日本語をあまり話せない娘、呼んでおきながらどうなることかと思っていたら、招待した学生さんは一生懸命話しかけてくれてありがたかった。。娘も拙い日本語で一生懸命返してた。

 

二人とも、今年の夏にマスターコースに入学した修士課程1年生で、分野は違えど、住居のこととか、試験のこととか、学生生活のあれこれについて話した。

また、その日本人の子は、卒業後もデンマークで就職する希望を持っているそうで、ちょうど学生ジョブのアプライをしまくっている娘の現況について興味津々のようであった。

ちょうど、保険会社のUI/UXデザインのジョブインタビューを受けたばかりだったらしく、なんと80人も応募があって面接に呼ばれたのはたったの5人だったそうである。いい感じのインタビューだったとはいえ、他に4人もライバルがいるので仕事をもらえる確証はないとのこと。

 

なので、その日本人の子は、就職するためには、今から民間での学生ジョブを経験するべきなのか知りたがっているようだった。

娘は、もちろん経験した方がいいし、少なくともインターンくらいはやった方がいいかもとアドバイス。

 

娘が来る前に、その子にデンマーク語が必要かどうか聞かれ、私は、デンマーク語はやってもネイティブには追いつかないから、デンマーク語以外のスキルで勝負した方がいいと言ったけど、娘の話を聞くと、基本的にはデンマーク人に有利になっているようである。娘が受けたポジションはデンマーク人の採用と決まっていたらしい。80人も殺到したところからして、外国人もアプライしたのだろうが。そのくせ、娘はデンマーク国籍を有していることはCVに書かないとのこと(なぜ???)。

でも、エンジニアの世界では外国人も採用されまくっているが。。。

 

あと、その子はやはり口頭試験にstruggleしているとのこと。

そしたら、娘も苦手だと。9年生の時から口頭試験をやってきたけど、今でも慣れることはないと言った。

確かに。。。娘は、私が言うのもなんだけど、日本式の教育だったら、かなり上位だったと思う。口頭試験の出来が悪くて、ずっと成績がイマイチであり続けたと思う。

でも、私も苦手だけど、デンマークの教育の良さは、口頭試験にあるとも思っている。やっぱり、やってみるとわかるけど、口で発することの方が、本当の理解力を求められるので。

なんとその子の初めての口頭試験は、一人1時間もかけて行われたという。。。まじか。。。先生も大変だ。。。

 

やりたいことがはっきりしてて、モチベーション高く持っているから、なんとかデンマークでの道が開けるといいなぁと思う。

娘が、その子に、「デンマークに来てよかった?」と聞いてて、「うん、すごくよかった」と答えたら、娘はホッとしたらしい。

 

ちなみに、今娘がやっている大学広報での学生アルバイトで、外国人学生の質問に答えるという仕事をやったそうで、例えばどうやってCPRナンバーを取得できるか、など、自分自身がやったことのない質問もあったりして大変だったらしい。

 

私が学生だった時に比べて、今は学生のうちからいろんな経験が求められ大変だなぁと思う。

易きに流れているように見える娘もいろいろあるのね、、、と思った夜だった。

保険

今アメリカでは、このニュースで持ちきりらしい。。

 

 
彼がよくアメリカの情報を追っているので、これについて彼経由で聞いている。
アメリカの保険は暴利を貪っているのか、ひどいと聞くし、特に社長が殺された保険会社は拒絶率も高いそうなので、正直あまり同情できなかったが、、、犯人も結構色々ある感じ?
 
 
私も、実は、保険のことでものすごくストレスなことがあった。
 
変えようとしている銀行ではなく、今全てのお金がある銀行とのミーティングの時に、何気なく保険会社とのミーティングをしないかと話を持ちかけられたので、深く考えずに了承したのだった。
しかもよく聞いてなくて、今契約している保険会社と勘違いしていたのだった。なぜなら、その保険会社も、私が11年前にアパートを買うときに、この銀行に勧められ、確かに全ての保険を一箇所にまとめた方がいいかもと、銀行系列の保険会社と新たに契約したからだった。
 
そしたら、ミーティングの時に、全く違う保険会社であることが判明。
私が契約していた保険会社と、その銀行は提携をやめ、その別の保険会社との提携を始めたらしかった。
それでも、今契約しているパッケージよりも、1000krも安い上、自動車の緊急ヘルプの契約もつけてくれるという。緊急ヘルプは別途年に1500krも払っているので、それはいいディールかもと、気軽に新しい契約にサインしてしまったのだった。
 
そしたら、その翌々日あたりに、契約していた保険会社から怒り心頭の電話がかかってきて、どうすることもできず、それでも緊急ヘルプを無料でつけること、そして確かに契約しなおした保険会社は保険料が高いことで有名で、もし家を買ったら高い保険をふっかけてくる可能性も考え、それまでに保険を変えることは得策ではないと考え直し、やはり今までの保険会社に留まることに決めたのだった。
今日、契約しようとしていた保険会社から電話かかってきたが、「やっぱり契約は辞めることにしたのですか?」と聞かれ、「はい」と答えたら、あっさり「そうですか、了解しました」で終わったのでホッとした。
 
だけど、あの怒りに満ちた電話は怖かったし、トラウマレベルで嫌な思いをさせられた。
まぁ、私は11年間一度も保険を使ったことがないので、私ほど美味しい客を逃したくないということなのだろうが、、、デンマークでここまでアグレッシブな対応されたのは初めて。
 
しかし、今まで私単独でアパートを所有していたから、彼とは違う保険会社で契約してきたけど、新しい家を買ったら、それも考え直さなければならない。家の保険は共有になるわけだし。
保険に関しては気が重い。。。