ショーエイのアタックまんがーワン -26ページ目

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

物事を考えるって結構疲れますよね。

人間が考えるのを辞める瞬間は、疲れたから。

もうこれで十分だと思う限界がその人の本質です。

 

一番単純なのは、口=論理で勝てないから

殴って力で抑え込んじゃえ。

面倒くさいから殴っちゃえ。

まあ、こいつと話しても無駄だから殴っちゃえとなるケースも有るわけですが・・・

 

日本の政治家にしても、コメンテーターにしても、

こういう程度の低い所で終わる人が後を絶ちません。

 

N国のタチバカ…

ネット上では本人は「実際はやりたくないんですけどね」と体裁上に言葉を吐いてますが、

結局は、「人口が増えたら選別して優劣付けて虐殺するしかな無い」

が彼の結論な訳でしょ、

それ以外の方法を考えない時点で彼の本質はそこ止まりな訳です。

更に、信用してはいけない本質は、優劣を人間に付けて選別するという発想。

いわば自分が優勢として生き残れればいいという考えな訳で、

その他の人間に対する敬意は全く有りません。

また、こうした発想の持ち主は、自分が神でありそれを選別できる権利が有ると勘違いしている人でも有ります。

 

同様に、ホリエバカふみも

「12年働いて手取り十四万円しかもらえない…日本終わってる」

というコメントに対して、

彼は

「終わってるのはお前だ!!」

と、センスのないジョークを飛ばしたわけですが、

彼の中に何の日本に対する危機感も感じていない

平和ボケした程度の低さを感じた点は否めません。

まあ、自分が復活して再び金を手にできたから

他の人間の事は知らないという姿勢が本質なのでしょう。

 

寧ろ、手取り14万程度の人がゴロゴロ居たら、

日本の国内需要は伸びないわな…

そりゃ儲けも少ないし市場としての魅力も中国以下になるわな…

と感じて欲しいね。

 

体裁を繕おって人請けする事を言うのは簡単です。

でも、その人のジョークのセンスは、

その人の笑いのツボを表し、

そこが考え方の本質に成る事を知っておいてください。

因みにウチの魔仙妃ちゃんのツボは、

人をバカにしている奴を馬鹿ににするのがツボだそうで、

アホ首相や、タチバカ、ホリエボンのように

勘違いして人を嘲る人間が地獄を見るのが

一番楽しみなのだそうです。

まあ、クレイジーな本質です。

 

ちょっとマニアックなニュースですが、

テイラー・スウィフトのレイシック手術を受けた動画で、

ジャスティン・ビーバーがテイラーをからかったニュース。

https://www.cyzowoman.com/2019/10/post_253460_1.html


正直、ジャスティン・ビーバーにはガッカリ…

夫婦で超セクハラ行為を堂々と公表したナンセンスな笑いのツボ。

逆に、同じようにフザケてあげるとすると…

 

ジャスティンには幼少のテイラーがそういうモノを欲しがるように見えるんだ…何とも痛々しいご趣味な事で・・・子供作らない方が良いかもね。

(付け加えて)・・・あ、ゴメン、お猿さんには忠告しても無駄だった…

 

と、不本意ながら自分のツボを表明した魔仙妃ちゃんでした。

まあ、魔仙妃ちゃんに言わせれば…

ジャスティンが私のツボを引き寄せたのが悪い!!

という事です。

 

人間の本質というのはその怒りのポイントであり、笑いのツボで見抜くことが出来るのです。

 

【河村たかし・・・君の表現の自由とは?】

まず最初に、愛知トリエンナーレの話で、

色々な主張が独り歩きしている訳ですが、

実際に、何に対して怒っているのか漠然としないのが現実。

天皇陛下の肖像画が焼かれた映像・・・と有るけど、

一体どんな映像だったかご存じなく、

ただ、「河村たかしが日本人に対するヘイトだ」と怒っていることしか

伝わりません。

そういう意味で、何を以て議論としているのかを知る意味で、表現の自由という形で公にどういう表現だったのか紹介する義務が有ると言えます。

こういう意味で「国民の知る権利」として表現の自由は存在する訳だから、河村たかしが何を主張しようがその実態を確認しない事には、その表現がどういうモノかも隠蔽されてしまうと言えます。

自分の主張が正しいと「表現の自由」を以て訴えるのなら、適切な議論となる様に多くの人に問題の動画を見てもらいなさい。

そういう意味では、愛知トリエンナーレの展示を中止するのではなく、寧ろその中身をテレビでも紹介すべきなのではという事です。

そういう様々な見識を公平に議論する上で、逆にその題材を見せないという働きかけは寧ろ違憲であり検閲行為に成るのは当然です。

 

因みに、それを見て傷付いたというけれども、日本国に傷つけられたという人がその趣旨を表現しただけの事だから、心情としては相殺される話です。寧ろ、日本に傷つけられたという心的外傷を更に閉鎖的な議論で冒涜すれば、更にその人たちを傷つけることに成り、河村たかしの言う暴力的な行為というならば彼の行為も暴力イ的なモノと成ります。

寧ろ、そういう話ならちゃんと議題として議論できるように、やっぱり国民は確認できる状態にすべきなのが正常な状態では無いでしょうか。

展示物を見たくない知りたくない人は愛知トリエンナーレへ行かずに見なくてもいい状態なのだから、確認したい人が確認できる状態は問題視する状況でも有りません。

見せたくないは寧ろ表現の自由に対する検閲で、公共の福祉に反する行為そのものです。

 

では、天皇陛下の肖像画に関するモノ。

先ず、それを失礼だとか日本人に対する冒涜と唱えるのは一つの表現です。そしてそれに対する怒りを抱く感情も正常です。

ただ、日本人の歴史認識が曖昧で、第二次大戦中日本軍は歓迎されていたなどと言う主張に対して、占領地の人々がそんな出鱈目をよくのうのうと言えるなと憤る気持ちも察します。

そういう意味で当時の象徴でった写真を焼き付ける事で、歓迎されていたという日本の都合に合わせた表現に過剰な形で怒りを表現した作品とも捉えられます。

お互いに腹立たしい表現を以てぶつかり合うのなら、お互いの尊重を用いて理解する事が先ず先決なのでは…まあ、このまま怒りがぶつかり合えば、殺し合いになる結末を呼び込みそうですね。

殺伐とした感情を持ち続けるならどうぞご自由に。何の利も無い話だけど…寧ろ尊重し合って上手く付き合う方が利に成ると思うんだけどね。

https://www.cyzowoman.com/2019/10/post_253460_1.html

 

現・天皇家の寛容な姿勢を尊敬するなら、寧ろこれは一つの怒りを示した表現として日本人は受け止めるべきです。

現・天皇家は昭和天皇が示された戦後の姿勢を踏まえて、戦争に巻き込んだ諸外国へ様々なご配慮をされていると同時に、現人神としてでは無く、日本の象徴として、そして日本人として人が受けるべき様々な因果も十分に受け止められる寛容な人格者であると思います。

故に、諸外国または日本国内に於いても様々な感情がある事をご理解され、それをも真摯に受け止める姿勢であるがゆえに、日本の象徴として立派なお役目を果たしておられると考えます。

そういう意味で日本国民もそうした感情に真摯に向き合い、誠実に歴史の在り方を他国と共有することは求められるモノです。

戦争に彼らを巻き込んだ事実は変わらない訳で、米国との戦争は前後の外交上の問題は別として、実際に戦争に至ったのは日本による真珠湾攻撃が切っ掛けです。

そうした事実を美化せずに受け止めるのが大事で、

美化するのは物語の中だけにしとけよ!!という事です。

 

【徴用工問題、無実を証明する必要性がある話】

雇用と賃金不払いの問題が発生した場合、労働者は働いたという証明を提示しなければならず、使用者は支払ったという証明をしなければ成りません。これ当然の論理。

 

徴用工たちは写真など色々な物証であり、証言などを以て働いていたという証明を既に認められています。

その上で日本側が提示できないのは支払ったという証明です。

当時が今の様に給与明細なるものが存在していたのなら、それで支払いの証明と位置づける事は出来ます。

もしくは銀行の振込明細でも構いませんが、恐らく当時の日本にはそのようなモノが存在していなかったと言えます。

故に、払った証明が出来なければ、払ったという証拠は無いわけで、徴用工として不法に労働させた事は否定できません。

また、戦時中の軍事的圧力下での話である点、日本人と韓国人と言う地位的な格差が生じていた点など付け加えれば、より徴用工が事実として無かったという根拠は無く成ります。

※故に、事実として認めて日韓協定で既に解決したというのなら既に決着のついた話ですが、それを事実として無かったと主張したら、日韓協定の賠償に関するところに徴用工であり慰安婦問題に関する謝罪は含まれないという主張も正当化されます。

 

ただし、既に70年以上も経過した出来事で、当時の給与授与形態も帳簿が焼失したなどの可能性も踏まえ、より明確化する為に、「リバーストレース」と名付ける手法を提案します。

リバース・トレースとは「逆追跡」で、

政府の管理監督が事実として成立しているのなら、必ず何らかの問題発生に関する資料が存在するというモノで、「逆」という意味では適正に法によって管理されていたのなら「問題が何も発生していなかった」という状態よりも、「問題が発生し処罰や勧告等で対処した」という事実が出てくるという意味です。

いわば、労働基準法で賃金未払いが発生した場合、それが事件として調査され労働基準監督署または都道府県知事によって支払い勧告が為されて適正に処理される、又は民事裁判等で対応され結果社会的に不払いを監督した事実が残る訳です。

そしてこういう事件は社会的に必ず発生するモノで、問題が発生していないという事の方が有り得ない話です。

故に、当時の日本政府にそのような問題がどれほど発生し、それにどう対処していたかの資料が有れば、寧ろ徴用工問題も慰安婦問題も適正な管理の下対応し、当時に日本政府に社会的な非は無いと主張できます。

 

しかし、そのような資料が存在せず、寧ろ事件であり問題として挙がってきていないのなら隠蔽された不法行為が存在したという確定事項に成ります。

※こういう資料は恐らく存在せず提示できないだろうから、当時の日本政府であり企業は有罪確定という論拠に成ります。

 

戦時下で徴用工や慰安婦問題は100%発生しうると言った根拠もこういう事です。

現代の様に管理監督がある状態でも、残業代未払いだとか、過労死だとか、ハラスメントが発生する訳です。

管理監督されているがゆえに事件として公表もされるわけで、全く対応は現状でも不完全で有りますが、それでも事実として問題は提示されてます。これが逆に何の問題も提示されていない状態と考えたら…

全ての不法行為は完全に隠蔽され、何も無かったという事実を押し付けられた状態に成るのです。

こういう考えで適切かつ中立に物事を計ると・・・

Oh My God!!Primeminister Aho is goddam fuc*** sit!!

this motherfuc*** is Fuc*** Joke!! Dam Ass!!

と、魔仙妃ちゃんが愕然とする状態に成っている訳です。

 

 

 

人間の本質に纏わる話は

吉川英治の三国志の一説に面白いモノがあります。

このエピソードは実際はとても複雑です。

蜀の国を計略によって奪う形となった劉備陣営で、

ある時に酒に酔った玄徳が

もうすぐ蜀が自分の国に成ると実感したとき、

ツイツイ陽気に喜びを示したというエピソード。

それを見た軍師龐統はあれだけ信義を重んじて、

無私を貫いた御仁が、この様な不義な形で喜びに浸るのか…

と、その偽善を疑う訳です。

 

さて同じ状態を孔明先生が知ると…エピソードには出てきませんが・・・

信義の道を通し続けようやく大義たる足掛かりに踏み入れたのなら、自の天命が証明されたと喜ぶのは人としてこの上ない喜びかな…

と、偽善というよりも人として当然と感じた事でしょう。

 

この違いの本質は…

龐統先生は君主である劉備を聖人または神として尊敬しており、孔明先生は寧ろ人間劉備を見ていた。

人間として信義を貫くことは、物理的に損する事が多く、険しい道である。その上で大義を為すにはその損を何かの運で補うしかない。

その運は人徳であり、人望によって支えられ、逆に敵が信義を裏切る形の運を以て貫き通したうえで大義への利をようやく得られた訳です。

人間として善であるから信義を通せるのではなく、信義あればこそ信頼を得られるという利を重んじて信義を貫き通す訳で、最終的には頑固な生き様を見てその本質=人として何を利としているのかを見分ける事が出来るのです。

言葉の上では体裁を繕う事は簡単ですが、決断やその思考で必ずボロが出ます。

奥さんを「愛している」というのは簡単だけど、

美女の誘惑であり、エロエロな妄想に耐え抜くことは、

本当に大変な事だとオッサン先生は言ってます。

貴方は耐え抜きますか?それとも隠し通しますか…

もしくは妄想位は許してとお願いしますか?

愛を表現する方法は人それぞれですが、

意外とその気持ちが嘘か真かの本質は、

その態度で見抜けるものです。

勿論、それは他人(国民)に対するモノも同様です。

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

環境問題はついに自由の女神の逆鱗に触れてしまった。

グレタという少女を軸に、閑居問題で色々と指摘し始めたが、

彼らの論理に行きつく先は人類こそ地球に害悪なものゆえに、

人類すべてを消滅させた方が地球の為に良いという話に成る。

それを差し置いて自分たちだけ生き残って幸せを享受できれば良いというのであるならば、全く筋道が異なって来る。

 

キリスト教国にこういうう環境問題を唱える人間が多い点から、

彼らにキリストの言葉を浴びせよう。

「隣人を愛せ」

彼らは地球の事を盾に自分たちが興味を持たずとも幸せに感じられる事だけを主張し、それ以外の人「隣人」の幸せを犠牲にしろと言っている。

牛肉一つにしても、ステーキを食べる事を楽しみに生きている人も居ることを考えず、彼らにその楽しみを放棄しろと平気で言えることに、

既に憤りを感じます。

 

【WTOも含めて身体的健康と精神的健康のバランスをもっと研究すべし。】

タバコ一つにしても身体的健康の部分のみに焦点を当てて

それによって抑制される喫煙者の「精神的健康」は全く考慮していません。

何故精神的な健康を考えなくてはならないのか?

身体的な健康を維持しても事件に巻き込まれれればその健康維持の努力はむっだに成ります。

精神的に健康な状態であれば、憤怒の気持ちを抑える機能が有りますが、精神的な健康を阻害されるとこの抑制が狂って制御を失います。

人をツイツイ殴ってrしまった。

勿論、これらは法律違反です。

しかし、法律違反だからという概念で抑止できるのは、

精神的健康状態にバランスが保たれているからであって、

このバランスが崩壊すると、法律違反という抑止を無視して、

憤怒の感情を優先させ、最悪いな場合、自暴自棄という状態に成ります。

いわば自爆テロなどを考える精神状態に近づくわけです。

中には自殺で終わる人も居れば、銃乱射行為の下で怒りを示して死ぬ人も居ます。

 

【自由を享受する事で精神は満たされ、お互いにその自由を尊重し合う事でその環境が守られる】

キリストの隣人を愛せという言葉はココに着きます。

人には様々な趣味趣向が有り、それを認めてもらう事で解放感を得る。

オタクと言われる人たちがかつての疎外感を受ける状態で、自分の趣味を隠すして生活する状態よりも、今の認知してもらえる状態の方が居心地が良いと感じるのにも近いかも知れません。

認知されない社会状態で、仮に自分の趣味趣向が変質者扱いの下で曝け出されたらその人の精神は大いに蝕まれます。

その状態で何か衝撃を受けると、自信の生きていく価値観が崩落し始め、時には自部時期の行動を起こすケースも有る訳です。

今でも変な目で見られる事は有っても、趣味を共有できる環境があるだけで竿外観は緩和され、精神的なバランスもかなり保てる社会機能が存在します。

「これらは自由を認められた環境で有り、マイノリティの保護という人権機能が働いている故に保たれる社会構成です。」

 

【自由の女神の怒り】

アメリカをUSAと表記して進めますが、

USAの憲法上、個人の自由でありマイノリティの保護は盛り込まれており、それ故にニューヨークの自由の女神を象徴する国家だと言えます。

日本も戦後それがベースとなって現行の日本国憲法が誕生したように

自由が享受された国家です。

USAのかつての犯罪は、格差に於ける貧困が齎いた症状で、その改善に伴い犯罪もかなり減りました。

貧困が齎す犯罪との精神的因果関係は、生活満足度に於ける精神崩壊とも言うべき点です。

特に格差を感じる状態において、豊かな人間は美味しいモノを好きなだけ食べれて、貧しい方は空腹すら満たされない。

その空腹感と社会的にそれ以下が無いという底辺に対する環境への絶望感が、犯罪で何かを失う抑止力を崩して実行の決断へ結びつけるのです。そしてそれによって達成感と満足感が得られると、リスクは考えなくなっていきます。

現行、北朝鮮の精神状態はここに近い点でも言えます。

また、マフィアやヤクザの理論で、4~5年塀の中で我慢すれば幹部候補だという話に成れば、犯罪で捕まるリスクよりも美味しい話に聞こえてしまうのも事実です。

それが生活の安定によって犯罪リスク<安定した生活となれば、人間は自然犯罪への抑止力が働きます。

しかし、安定した生活の中で全ての欲求を満たすほどの豊かさは一部の人しか達成できず、その他の人は限られた生活条件から厳選して選ぶモノと成ります。

例えばタバコ…単純に愛煙家という人にとっては、刑務所に入ればその制約を余儀なくされ、自由気ままに吸える環境という点でも犯罪リスクを考えるポイントに成ります。

更には食事に関しても同じで、ステーキを食べられるのが安定した生活にある訳で、制約の中ではその自由は奪われます。

こうした些細な自由であっても、それが安定した生活も制約の生活も同じだと成って行けば犯罪を犯して制約を受けても全然変わらないし、捕まらなければ儲けが出ると感じてしまう状態に成ると、完全い犯罪抑止としての労役効果は薄れていく訳です。

逆に、死刑になるというレベルならばまた別ですが、死刑廃止を唱えて、制約の社会を齎すなんて話は格差でもなく成らない限り、犯罪をした方がマシな環境を生み出すだけです。

 

【環境問題は他人に制約を与えない範囲で努力するモノ】

小泉進次郎がこの事を説明してセクシーにと言えば、彼の言葉は大きな意味を持ったでしょうが、説明できない時点で彼はこの論理に達していなかったと断定します。

「牛肉を食べるのを諦めろ!!」

こんな話に賛同する人も居れば、反対する人も出る。

地球を守るためにと大義を唱えても、

その為に楽しみを奪われるのなら地球の破滅と一緒に死ぬ方が良い。

ある意味、先に話したように地球の害悪は人間でしか無くなるのだから、だったら人間が滅ぶしかない様な話にまで進んでいく。

二酸化炭素排出と出生率の関係も関わることに成り、

人口が増えれば排出量はそれだけ増えるなんて話に成ると、

強制的に一人っ子政策みたいな話が持ち上がる。

あれ…という事は、中国の且つての政策は正しかったという話に成るのかな?

カトリック教の人たちは避妊すら危ぶまれる状態で、性交渉事態を制約しろなんて話にもなりかねない。

そこまで話をしていないと言っても、制約を用いればキリがないという事で、現状、現時点で認められている環境に制約を用いるべきではないという事です。

ベジタリアンなら牛肉食べなくても平気だろうけど、そうで無い人からすると物凄いストレスとなって、下手したら環境論者に対する迫害犯罪に発展しかねないです。

何故か…ベジタリアンがマジョリティを取れば、肉食者の歴史的に認められた享受が奪われるから。

彼らのマジョリティを抑えるべくベジタリアンを排斥すべしというヘイトが生まれてきます。魔女狩りの社会的審理に近いです。

健康だとか環境だとかという点に注視して、社会的に破壊するのでは結局元も子もなく、国家間の話に成れば戦争に成るというのも有り得る事に成ります。

それで最終的に環境問題を唱えた事で、より一層殺伐とした環境破壊に発展させて何の意味が有るのでしょうか。

ある意味、環境論者嫌いのオッサン先生が死んでも、これ自然発生する現象だから、ほっとけば人類は最悪な状態を齎してより一層苦しむから、死んだ後で笑いものにするだけだと言っているほどです。

寧ろ、社会的に精神的な健康をもっと重視しつつ、その適切なバランスの中で科学技術の投資と進歩を以て解決していく方が、平和的かつ自然な形で徐々に馴染んでいくと言える。

 

【科学技術の発展を信じなさい!!】

とは言え、牛肉に関してもホルモン活性技術、クロン技術、たんぱく質造成技術など様々な技術が進行しており、何れは牛肉を家畜では無く、人工的に工場のみで製造できるように成り、家畜製造のモノより美味しく感じられるレベルに達すれば、自然と家畜の牛は必要なくなる。

そうなれば牛肉生産を禁止する必要も無く、自然とその人口牛肉が市場を占めることに成り問題は解決する。

ここで万が一牛肉の生産を禁止すれば、牛肉の人口生産技術の魅力が削がれその達成も遅れる事となる。

環境問題論者は禁止を謳う前にそういう技術への投資を呼びかけ、研究を加速させる方に尽力を尽くすべしだ!!

そうで無ければ対立を生み、社会的により悪い方向へ進むことに成る。

その他に於いても同じで、二酸化炭素の排出を問題視する前に、森林構築へ投資して酸素供給をより促進させる技術へ投資すべし!!

現状10年前の日本の技術でも砂漠に植物を植えられる技術が既にあった訳だから、砂漠地帯の植林化への投資を各国に促し、酸素供給を加速化させる方がもっと建設的だ。

また、IT技術の発達で、紙の消費を抑え、I-Padの様なタブレットの一般ノート機能化を促して、森林伐採を抑制する事も出来る。

様々な制約を用いる前に、その対案として進める事業は山ほど存在し、それを基金などによって加速させるのなら環境問題を考える意味ではより協調性を仰げる。

こういう事を知らずに、不用意に制約を用いて社会の自由を侵害するのなら、それは自由の女神の敵でしか無いと断言します!!

ということで、実際に環境問題ブームは

日本の技術を売り込むチャンスと言ってもよい現象なのです。

砂漠地帯への植林技術などの研究を加速させて、

世界中からその資金を搔き集めて、

植林産業を充実させる。

製紙企業に紙の需要減少の台替えとして

環境植林管理への事業移転を促せば、

それで起こる失業も抑えられる。

グレタの言い分を上手く逆手に取って、

日本の優位技術を武器に売り込めば、

世界中とWinWinな形でアピールできるはず。

 

敵を知り己を知らば百戦危うからず。

地球環境の敵を知り、日本に何が出来るかの己を知れば、

他国に遅れたIT技術に打って出るよりも、

遥かに大きな国益を齎すことに気づくべき。

 

何とも日本は情けの無い国家と言うしかないのも残念です。

 

どうも…ショーエイです。

愛知トリエンナーレの表現の不自由展に

昭和天皇の写真が焼かれて踏みつけられる映像も出展されていたという情報を得たわけですが…

これが事実を映したモノならば表現の自由の中で展示されるべきモノです。

どこの国で起こったモノかは現状知りませんが、

いわば日本人は知りたくない事実でも、

それが事実として発生したのなら

その事実を知り受け止めるべきで、

当時アジア諸国で日本が歓迎されていたなんて話と照らし合わせて考えるべきと言えます。

逆に、中国人に天安門事件の映像を見るな!!

何てこと言えるのですか?

いわばそういう事実を受け止めて、実際には戦時中その人たちは日本に対してどういう感情を抱いていたのかを知る大事な情報源とも言えます。

それを批難して隠蔽する事こそ、真実を隠すことに成るのでは無いでしょうか。

 

逆に映画として完全にフェイクな映像ならば、日本人を差別する目的の創作品に成る為、公の場には相応しくないモノと言っても良いと言えます。ただし、事実を映したモノならば日本人はそれを事実上起こった話として認識し、その映像にある人の感情を適切に理解する努力をすべきです。

 

天皇陛下に関しては、失礼と思いますが、

実際に昭和天皇を含め今の天皇陛下もそういう諸外国の感情は受け止めておられる故に、靖国の親拝を為されないのであると理解しているため、そういう事実と照らし合わせて日本人としての考えを纏めるべきだと思います。

 

【N国に関して】

タチバカ…鼻が詰まった…

と言ってますが、実はコイツ

メディア手法に精通した人物で、ある意味危険です。

ホリエモンを誑かす手法も、

ホリエモンの性格を上手くついており、

ある意味彼が「N国」の乗っ取りを考えそうな方向で、

色々けし掛けていると言えます。

ホリエモンはタチバカの言動が公人として相応しくない点を突いて、

現状の政党となった党籍を狙い、タチバカを追放して、

自分の政党として改変する事で政治進出の機会としようという算段があると思えます。

そしてタチバカはその算段に乗るだろう点を見切って、

今度は渡辺善美を引き込みホリエモンと党内で共闘させようという腹積もりです。

そしてそういう話題性の下でタチバカが何を狙っているかと言うと、ヘイト心の塊のネトウヨを自分自身の支持者にしようと考えていると言えます。

現状、このネトウヨは安倍支持に回って居るのが大半で、

安倍が失墜または首相交代するタイミングで、

その受け皿としての地位を確保するのが狙いと言えます。

日本のメディアの手法を知り尽くし、そしてどういう層にどうすれば受けるかを知っている風が有り、「虐殺」発言などはそこを突いての事でしょう。

まあ、トランプマンの手法にそっくりなのですが…

そして地位を固めてから、徐々に真面な事を言えば、

ネトウヨ以外の人も

「こういう狙いでああいうパフォーマンスをしていたのか」

というギャップで賢い人に見えてくるのだろうと思います。

まあ、特に日本人だと簡単に騙されそう。

ただ、小泉進次郎も一緒で、結局何が出来るか…

多分、何も無いのは知っています。

要するに、総理大臣に成りたいだけの人なので、

早めに潰しておく方が良いと思うとだけ言っておきます。

アホ首相如きに騙される国民性ゆえに、

先行き不安な要素満載の平和ボケ天国日本。

事実を映したモノか、そうで無いかも判断できず、

表現の自由がある意味「知る権利」と解される点も忘れて、

歴史を修整(修正ではなく)してよく見せようとしている。

そんな諸外国から見ると「ダッサー」と明々白々な状態で、

日本人として何を誇れるのか。

その上ドンドン世界経済の主要国として失墜していき、

気付いたときには後進国に成っているなんて状態を、

ただ茫然と待っていたいのかな?

 

色々チャンスは転がっているのに、

そのチャンスにも気づかづに、

既に周回遅れの情報に飛びついて、

それを狙うなんて発想がそもそも情弱過ぎる話です。

 

まあ、本当に優秀な政治家ならば、

香港、シンガポール以上のアジア金融であり

情報の中心として日本の再興を立て直す

方策、外交を打って出るでしょうが、

そんな発想すら垣間見えないのは

真残念です。

どうも…ショーエイです。

このブログの読者の方はその辺の理解度が十分にある方が多いと思ってますが…何とも日本政府の程度の低さを見ると…

マッカーサーの言葉そのままだなという感じです。

 

先ず、文化庁が交付金を打ち切った理由…

「脅迫等が発生した事でセキュリティー上の計画に不備が生じたため撃ち切った」

と、その上の文科相がそのような事を言ってますが、

国が「脅迫」という犯罪行為に同調してそれに屈した形をとってどうするの?しかも、教育上そのような言い方で良いのでしょうか?

ある意味、気にいらない内容なら脅迫状を送って潰しても構わない、それがアホ政権の忖度に繋がるなら…

というレベルで犯罪行為を奨励した決断に成ってしまいます。

文部科学省という教育を担う立場で、そういう意図が見えてしまう行為で良いのかな。

本来、何らかの行事で脅迫やテロなどの犯罪行為の危険性が生じた場合、逆にセキュリティー上の予算は増額して安全な運営に協力するのが国としての役割です。

また、交付金のスポンサーは政府では無く、そもそもが国税=国民であるわけで、政府の趣向で決める前に憲法による規定を優先させなければ成りません。

 

【憲法の規定とは…】

総則にある言葉は、主権は日本国民であり、政府はその信託を受けて成立するモノという事です。

信託を受けているからと言う前に、

その信託の中には憲法に従うという条件もあり、

信託によって優先されるべき順序は、

①憲法②法令、政令③民意に成る訳です。

政権が民意だから何でも自由と言う事では有りません。

そこを勘違いしている人は、小学校の学級会と同じレベルで、

「多数決こそ正義」的な勘違いで民主制の理解が止まっている事を意味します。

もともと民主制は国政を担う権力者の独裁を許さない為のモノであり、それを不正であったり洗脳する行為でもコントロールされない様、憲法によって保護された形なのです。

更には多数が少数の人権を不当に侵害しないようにと言う形で進化を遂げていき、個人の自由が最大限に尊重される社会を理想としてます。

そういう意味で日本国憲法を読むと、

実に完成された素晴らしいモノであることが言えるのですが、日本人はこの素晴らしい「GHQの置き土産」と言っておきますが、この素晴らしさを全く理解せず、その恩恵にあって現代までの日本がある事を全く気付いていないのは残念です。

正に平和ボケとはこの状態にあると言えます。

 

さて、総則において国民主権と政府の信託という事を言いましたが、

国民主権に於ける言論の自由とはどういう意味なのか?

よくこれを考えて見て欲しいです。

簡単に言えば、間違っている事を間違っていると国民が指摘できるか否かの話に成ります。

間違っているモノにはNOと言ってもいい。

それが言論の自由が齎す恩恵で、

それによって政府が間違っているのなら、

民意でそれをいつでも変革できるというのがこの保護法益です。

これが成立しないと、

民意での変革は難しくなり、

革命という荒っぽい手段によって倒壊させなくてはならなく成ります。

ただ民意による変革が保障されているのなら、

態々自分の生活を犠牲にして混迷する状態を齎さなくても済む訳です。

中国は何れこれに気づくと思いますが、

民意による変革の無い政府は、必ず武力による革命が発生します。

三皇五帝の例にある様に、禅譲や世襲による善政は永続する事が無く、一度悪政に陥れば必ず革命が起こります。

逆にアメリカの例を挙げて民主制に於いては、

歴史上南北戦争の様な革命戦争は起きましたが、悪政を齎せば選挙によって変革が起こり、民主制または憲法をを阻害すれば弾劾が発生します。

これによってその市民は通常生活を失うことなくその権利が保証され維持する事が適う訳です。

現状、中国では香港などを含めて革命が発生する危険性に脅かされている状態で、それを安定的に維持するには経済的な保証が不可欠な状態です。

か、といって民主制にも難点があり、日本の様に自己主張の薄い国民性は自己主張の強い人間に押し込まれて世論をコントロールされてしまうケースも有る訳です。

民主制が完全に機能するには国民がその権利と制度を適切に理解している事であり、この理解が及ばなければ民主制は常に崩壊し独裁的な指導者の誕生を引き起こします。

現状の日本人は政治家を始めとし、裁判官までもその理解が12歳レベルでしか無く、憲法12条に記載してある不断の努力によってこれを保持しなければならない義務すら全うできていない状態です。

司法の長である最高裁が政治家の民意という圧力に怯えて何も出来ない時点で、誰が最終的にこの国を守ってくれるの?といった状態です。

 

さて、「言論の自由」と「国民主権」の関係性に次いで、日本国憲法にはまだまだそれを保護するものが存在するのです。

【憲法13条】

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 

今回の愛知トリエンナーレに於ける「言論の不自由展」としますが、

彼ら芸術家が主張するモノは個人の「幸福追求」という形に成ります。

問題は「公共の福祉に反する」か否かと言う点ですが、

公共の福祉とはあくまで憲法や法令、政令に反するモノで、それに反する表現ならば規制されると言えます。

例えば、児童ポルノなど法律に違反する行為を表現したモノゆえに規制されるわけで、一般ポルノも無修正画像は売春を斡旋する表現に該当する為、ある種の規制を設けている訳です。

過剰な殺害シーンであり犯罪に纏わる行為は公共の福祉に反するモノという事なら成立します。

しかし、慰安婦像を模した「平和の像」は?

不法売春行為の撲滅を謳う意味で有り、女性が受けた不当な権利侵害を訴えた意味と成り、寧ろ犯罪撲滅を主張した表現に成ります。

これは公共の福祉に反するというよりも寧ろ公共の福祉に沿ったモノゆえに、その主張は最大限に尊重されるべきです。

日本人でこの像をで見て嫌悪を抱く人たちは、日本人が辱められている象徴という思想に基づいている訳で、

逆に日本の恥ずかしい過去として受け入れる側からすれば、

「そんなに大騒ぎする方がよっぽど恥ずかしいわ!!!」

という感じのものです。

ある意味、日本の歴史上にそういう失態があったねと認めて、以後その様な事態が生じる事無いように、または嫌疑が持たれない様に、自衛隊の規定に役立てますという感じで良いと思うのです。

しかも、過去の戦犯者たちのやった事なのだから、今の日本人が何で恥ずかしいと思う必要性が有るのか?

寧ろ恥ずかしいと思う気持にどこかそういう行為を肯定する気持ちが有るのかな…

女性からすると「男のみすぼらしい意地」にしか見えなくて、

そういう男はダサいとしか言いようが無いと…

ウチの魔仙妃ちゃんは言ってます。

やったのバレバレで「俺を信じてないのか!!」

なんて言いきるアホ男子に見えるそうです。

 

因みにオッサン先生が「女にもそういう事言うのが居るぞ」

と突っ込んだら、「お前も同類か?」

と突っ込み返されて…「一般例です」と言って濁したのはさて置き…

 

「平和の像」だけを焦点に充てて見る限り

法律に違反する表現では無く、寧ろ政府の見解に反するだけのモノなのだから、公共の福祉に反するとすれば違憲と成ります。

【公共の福祉とは…】

生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利という条文で、マナーやモラルといった事は個人の「幸福追求」の方に該当し、思想に関しても同じです。そいう意味で「公共の福祉」という部分から外れるのが当然で、あくまで「公共の福祉」と規定される部分は法律で定められた範疇でしか表現できなく成ります。

いわばルールは法律上の契約を前提として成立するモノであり、マナーは個人個人のモラルの基準に依存して共通認識として規定できないものです。

その上で社会的にいわば公共で順守すべきモノは法令、政令として定められるわけで、それを順守する行為が「公共の福祉」に成ります。

【福祉とは】

https://ja.wikipedia.org/wiki/福祉

すべての国民に最低限の幸福と社会的援助を提供するというモノで、すべての国民が最低限の幸福が得られる条件となると、民主的な法則によって定められた法令のみが安全、生活、環境等を国が行える援助として保証できる意味と成ります。それ以外のルール等はすべての国民に最低限の幸福を与える意味では個々の納得を得る上では不公平が生じ、あえて「公共」としたうえでは公が共にする意味でも、法令、政令のみの対象以外は含まれません。

因みに社会福祉は社会・福祉で福祉の中の一環のものと成ります。

 

憲法13条の条文全体を考えても「福祉」という言葉そのものに該当する意味に成りますが、どの道、思想的な理由を元に「公共の福祉」とすることは出来ず、無論逆も然りです。

故に文化庁及びアホの尻尾である文科相の行為は違憲行為であり、更には犯罪行為を容認してそれを理由に支援を打ち切ると言う話に成れば、これは重罪に値する行為と成ります。

 

公共の福祉に反する言動で言えば、寧ろN国のタチバカ…

あゴメン鼻が詰まった…

あれの「無実な人々を虐殺する」という方が問題で、

彼の発言は動画サイトも含めて全て消去するぐらいの事は有っても良いかと。

まあ、魔仙妃ちゃんに言わせれば、

虐殺OK、でも無実な人は無実だからNG。

寧ろバカな奴なら話に乗ったとして、

先ずタチバカ…鼻が詰まった…

君はその馬鹿の典型なので、まず君自身がその犠牲になってくれ。

だそうです。

 

どうも…ショーエイです。

【イランとサウジ】

先ずはサウジで起きた石油施設攻撃の話。

トランプが本気で無いにしろ対話を呼びかけた事に、

イラン政府が全く応じなかった姿勢で、

イランにこの攻撃の動機が疑われる点は否めません。

問題はイエメンの反政府組織フーシ派が声明を出した点で、

国際社会の認識としてイランが

その背後で支援をしている事は明白で、

彼らフーシ派の独自の判断で有ったとしても、

イランが持つ影響力から責任を問われる事は

避けられないと言えます。

ただし問題はサウジアラビア及びイスラエルが

イランの孤立化を図るためにフーシ派を扇動した

陰謀(偽計)も疑われる点です。

その理由は、石油施設の回復が3日程度で回復した点で、

余りにも被害として計算された点が見え見えな所です。

 

イランは現状、トランプの次期落選を見込んでの姿勢で

考えている事が予想され、それ故にトランプとの交渉を拒否して、

民主党政権と先の核合意で再度交渉する方向で、

その調整を水面下で行っている事も考えられます。

ただ、そこに執着してトランプとの交渉を全く拒否する姿勢は、

対外的に見て対話する姿勢が疑われるように成る為、

対話には応じた上で、

交渉はトランプに妥協しない形が望ましいと言えます。

 

何れにせよイランとサウジの問題は、

イスラム教のシーア派とスンナ派による宗教論争な訳で、

その問題で世界中が巻き込まれるのは迷惑な話しで、

宗教論争なら討論で解決してくれ!!

どの道、最終的には信仰の自由を認めて、

考え方の違いは双方で寛容に、

個人個人の見解を尊重する社会という形で治めて欲しいモノです。

そこを理解していない政情に、

米軍は関与すべきでは無く、

そうしない方向にある事は現状評価します。

 

【トランプがノーベル平和賞を望んでる事に関して…】

冗談は髪だけにしとけよ!!

※アーノルドぼうやは人気者という昔TVドラマの

「冗談は顔だけにしろよ!!」が元ネタ。

https://www.youtube.com/watch?v=lmMp6Z94UKQ

 

【小泉進次郎のセクシー問題】

別にセクシーセクシー言う事は問題有りません。

問題は自分の意図を説明できない事。

若しくは意図が解る様な流れで、

自分の主張が伝えられなかった事。

そういう意味では、

セクシーの意味を質問された事事態がセクシーでなく、

「それに答える事がセクシーでないと」

言うならば、

「じゃあ、君はバカなんだね。」

と勝手に思われて余計にセクシーじゃ無くなる事です。

まあ、所詮はおまぬけなジャパニーズ・ポリティシャンが

新たな世代でも誕生したという話で終わりです。

 

因みに環境問題は各国各々で取り組みを

推進していくことは大事ですが、

それを水準化したりノルマを課すことは

現状優先なモノでは有りません。

環境に配慮した機器は高額で、

発展途上の国々がここにコストを掛ける事は大変です。

先ず、そういう国は市民レベルの向上を優先させるべきで、

市民レベル=生活レベルが欧米並みに安定すれば、

自ずと環境促進に前向きな考えで協調していくと思われます。

 

環境問題で主張で一番腹立たしいのは、

日本人も含めて生活水準に余裕がある人は、

100年後、200年後のヴィジョンで社会問題を

考える事が出来るのでしょうが、

生活水準が低く、明日の食い扶持すらままならない状態では、

100年後の未来より明日の未来が優先される。

環境問題で工場が閉鎖して職が失われるなどの事を考えると、

冗談ではないという話に成ります。

人権やら人の生命を尊重するなら、

先ずは彼らの生活が日本人や欧米人同様に

生活の心配より、社会や未来の心配を考えられるだけの

余裕ができる社会を目指すべきです。

その配慮が無ければ、大きな紛争を齎す結末に結びつき、

そして爆弾投下による汚染のみならず核戦争などによって

結局環境問題はより壊滅的な状態を齎すことを

危惧すべきだと言えます。

 

一点の問題のみ考えて行動するのではなく、

総括的に考えてその問題が

適切に受け入れられる環境を齎せないと、

社会問題は常に返発を招き、相容れない議論となってしまいます。

 

そういう典型がイスラム教の解釈問題であり、

それが派閥の闘争に成っている訳で、

その亀裂が戦争に発展するなど言語道断です。

イスラム教徒だけでやってくれ、

逆にキリスト教の解釈問題の様に

違う考えも許容して共存する姿勢こそが、

それによって引きおこる紛争を回避できる話に成ってきます。

 

そういう意味では環境問題に限らず、全ての社会問題は

寛容な姿勢で進める事が最善であると言えます。

 

この位、セクシーに自分の主張を語って、

セクシーに解決しようと言えば、

嫌らしい意味では無く、「魅了する」意味の言葉に成る訳です。

まあ、小泉ボンは小物で、

セクシーを強調するようにアドヴァイスしたのは、

その嫁によるもの故に、

本人も説明できなかったのだろうね。

あの嫁も世界基準のジャーナリストとしては3流だからね。

 

【北方領土問題】

先ず、アホ政権では無理な話です。

何を題材にしても、

領土問題で相手がその割譲を認めるには、

双方の関係が友好的でなければ成りません。

それ以外では相手に金銭的な価値で売り渡すかの何れです。

ただ、軍事的価値をその金銭的価値で代用するには、

いくら積んでも全く釣り合わない代物と言えます。

 

アメリカが沖縄を返還したのは、

ある意味、日本との友好関係というより

日本という国土の軍事的な立地も含めて、

その関係を強固なものにしたい意向があっての事。

では、北方領土問題はというと・・・

米国とロシアは軍事的なライバル関係にあり、

日本がアメリカというライバルに寄り添う状態では、

渡しても渡さなくても利害は変化しない、

むしろ渡してしまえばそれだけのデメリットになる点が考えられます。

領土が日本に渡れば日本が自分の主張で自由に出来てしまうため、

全ての約束が反故される事も考えられます。

100歩譲ってアホ首相が本気で約束を守ろうとしても、

民主制に於いては政権が変われば方針も変わる為、

国としての担保は何も無いと言えます。

 

総括すればこの話無理な話な訳ですが、

友好関係を構築して20年以上掛けたのちに、

その関係が経済的に切り離せないモノに成った場合、

「北方領土を日本に戻してくれない?」

と、言えば可能性としてはかなり高まる事が考えられます。

 

こうした現実的なヴィジョンを無視して考えている日本人は、

「バカなのかな」と思われても仕方なく、

アホ首相の議論はこんなレベルばかりです。

 

因みに北朝鮮の拉致問題に関しては、

北朝鮮がそれを隠しておくメリットは何も無いが、

日本政府の要請に応じて協力することにもメリットはない。

いわば、北朝鮮がどんな情報を開示しようが、

日本政府にメリットが無ければ日本人は信じない訳だから、

やるだけ無駄と思われてても仕方が無い。

 

どのみち正確に調査するには日本の検証が

北朝鮮に入る必要がある為、

現状の関係では日本人が納得できる解決は得られないという事です。

 

相変わらず、呆れた情勢ですが…

イスラエルのネタニヤフが与党から陥落した話であり、

ボルトン首席補佐官が解任された話は、

ある意味、いい方向。

まあ、トランプマンが本気でノーベル平和賞を望むなら、

先のイランとの核合意は戻るべきだし、

オバマ君が平和賞を受賞したのも、

そういう外交的な労力が認められてのモノ。

そいうモノを否定して崩してしまう人に、

平和賞が与えられるのかな?

北朝鮮問題もまだ交渉途中だし…

 

 

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

ワンピースを悪く言うと荒れそうだから、

無難に悪く言わない…

そういう日本の風情に嘆きです。

 

ワンピースの奥深さとは、

マクドナルド味を奥が深いと言っているに過ぎない。

その上で、マクドナルドの人気を以て正論の様に振舞う。

まあ、流石にマックの味を奥深いと言える勇気のある人は居ない訳で、

可笑しな比喩に感じるかも知れませんが、

マクドナルドの味に多くの人が嵌る理由は、

その味の中毒性によるものです。

中毒性だから毒性があるという意味では無く、

化学調味料によって

どうしても人が欲する味を上手くもたらしているのが

その実です。

 

こうした意味で考えると料理としての奥深さは無いですが、

ビジネス戦略としての奥深さは実に巧妙です。

 

ワンピースも同じで、

読み手に中毒性を与える手法で人気を博していると言えます。

ある意味、作家の上手さも有りますが、

寧ろ集英社及び少年ジャンプ編集部の戦略的な部分とも言えます。

 

では、内容は?

ちょっと頑張ってワンピースを見ているのですが…

正直、疲れる…

今、サンジとビッグマムの政略結婚の所なのですが、

先ず、ルフィーは100%死んだ

ナミは少年誌では描けない想像を絶する結末が、

本来の終着点で、

作者の裁量で無事な設定に成っているだけの話です。

 

そこでブルックとビッグマムの決闘シーンが出てくるのですが、

ブルックがビッグマムに吐いた名言に驚愕です。

「死ぬことを計画には入れないでしょう」

 

何か名言ポイ事言ってますが、

「最悪、死ぬことは計画に入れておきましょう。」

そうで無ければ味方が大量に死ぬわけだし、

既にリアルな流れで考えれば皆、死んでます。

ある意味、本願寺顕如やら大日本帝国の作戦と同じで、

「死ぬことを計画に入れずに突っ込め!!」

っていう事?

それがリアルな話で、

どれだけの戦死者が出た事か…

更には、自決して果てた市民まで沢山いた事を、

全く考えていない言葉に聞こえます。

これのどこが奥が深いのかな?

意味を浅くとらえて「良い言葉」としている時点で、

読み手が読み方が浅いだけの代物とも思えてしまいます。

 

まあ、所詮は少年漫画なので

その辺は深く追及するつもりは有りませんが、

大人がこの程度の内容で

「奥が深い」なんてことを言っている社会は、

寧ろ情けの無い話です。

 

マクドナルド同様に、

ワンピースの中毒に嵌っているだけ

にして下さい。

 

ついでに…

ワンピースの最後が仲間との絆「One Piece」で終わらないとした以上、One Pieceに掛けて、One Peace=世界平和のオチに向かうしか無くなっているようです。

それを実現させる為の世界政府の暴露情報、又は天井人だっけ…

支配階級を転覆させる情報となる。

ストーリーの筋書き上、最初にワンピースを見た人間が持ち帰る事も、実現する事も出来なかったモノで無くてはならず、何らかの大きな力であった場合はその筋書きが崩れてしまいます。

よって原作者が豪語する大きな宝とストーリーの集大成としては、

上記の暴露情報=革命という流れが妥当。

また、ルフィーの父親が革命家という立場もあって、ワンピースに記された内容が革命を成功させるカギである点も推測できる。

 

これ外したら…ほぼ愚作に成る感じに思えるのと、

これ以上で話の集大成を纏められるのなら、

流石だという話です。

恐らくはテンジョウビトの恥ずかしい出生の歴史が記された一つの破片でオチにする感じも有りますが、

一点、このストーリーに欠ける部分は、

テンジョウビトが如何に世界政府を支配下に置いているか問ういう点。

ユダヤ人を揶揄した感じなら、金と経済力による権力支配で、

実際に何かを暴露されても大きく崩れる要素は有りません。

それ故に世界政府とテンジョウビトが結びついているテンジョウビトが持つ何らかの信頼がストーリー構成上確り記されないと、

所詮はという終わりに成るとも言えます。

オッサン先生が一番構成上スゴイなと考える終わりは、

テンジョウビトモ、他の種族の人も元を正せば同じ種族がルーツで、

進化論に掛け合わせて人類皆、One Pieceの遺伝子から的な内容かな…

そしてそれが元でテンジョウビトの神格性が崩れ去り、革命の大混乱が発生する感じ的な…そうするとワンピースはまだ続けられるぞ…

最後の聖戦的なエピソードで…

ダラダラなげぇーよ!!

 

まあ、何故ワンピースに腹立ったかと言うと、

以前、持ち込みに行った時の担当編集者が、

ワンピースの担当編集を経て、

今では原作者の事務担当みたいな感じに成っていたからで、

驚きなのは、ホンマでっかTVの特集の時、

その人がTVに見事に映っていた事。

 

持ち込みに行った際に、彼はワンピースの話で、

「ワンピースとかは奥が深く、その深さを理解しないと・・・」

と、偉そういに言っていた話で、

その時、「馬鹿かコイツ!!」と内心思っていたにもかかわらず、

事を敢えて荒立てるのを避けて、

黙っていただけの事をオッサン先生が思い出したからです。

 

オッサン先生からすると・・・

少年誌程度の意味は、

一回流し読みする程度で理解できるレベルで、

まあ、大抵の書物はその程度で十分なのですが、

それを憲法の条文のf如き、

何度も読み返すごとに別な意味が見えてくる様な

そんなレベルで言われても…

兵法書やら法律文章などは、

色々な文脈と組み合わせると、

また別な意味が浮かび上がる訳で、

そこに書かれた一文が齎す保護法益などの

社会的目的を考えると奥が深いと言えます。

 

小説などは感情移入しなければ、

全ては結果待ちの話で、

最終的に答えは後で着いてくるもの。

作家からすれば感情移入する人を錯覚させるのは

そんなに難しい事では無いのです。

何故なら人間の嘘と本音はその人にしか解らない事だから…

寧ろ大事なのは明確な動機の部分で、

小説の答えが出た時にその動機=バックグラウンドとの辻褄が

明確に合致するかいなかという点だけです。

故にそういう見方でストーリーを追っている人にとっては、

小説は難しいモノでは無く、

その内容を楽しめるか否かだけの代物です。

 

ワンピースの様に中毒性の有る作品を楽しめているとする人は、

それで良いだけの事で、そこは否定しません。

しかし、その奥深さを語ろうとする人は、

本当に間抜けな人に見えるだけなので、

君らが理解してる程度のレベルは、

他の人も理解できる程度のレベルで、

その上で好き嫌いが分かれるだけのモノと、

ちゃんと理解して欲しいです。

 

オッサン先生に言わせれば、

ワンピースを理解できないのが問題では無く、

ワンピースを理解した程度で粋がっている奴の性根が、

正直キモイだけなのです。

 

原作者は子供向けに構成を考えて、

楽しめる様に務めているのに、

信者のアホみたいな妄想のせいで、

単なるアホが読む教科書のようになっているのは、

残念な事です。

 

ここまで言って更にトドメを差しておきます。

 

このブログを読んでおられた方はご存知かも知れませんが、

1974年W杯決勝を勝った西ドイツのベッケンバウアー選手の言葉。

「強い方が勝つのではない、勝った方が強いのだ!!」

浅い読みの人々、特に日本では、

勝った方が強い=勝てば官軍の意味でしか捉えてません。

逆に、それだけの意味だったらこの言葉が哲学として美化されないと言えます。

それよりも相手が、ヨハン・クライフ率いるオランダで有った事から、

相手の本来の強さに敬意を示し、

その激戦の末に勝ったという総括的な意味として伝わるがゆえに、

その言葉の美しさを与えるのです。

 

そいう事から哲学的な意味としては、

「強い相手だからと臆するな、勝負は最後に勝ちを拾った方が勝者(強い)に成る」

というチャレンジャー精神に纏わる意味に成ります。

それを日本人は「勝った方が強い」だけを強調して、

結果往来の意味でしか考えていないという情けの無い話に成るのです。

いわば、弱い相手でも勝てば強いという事でも使われ、

哲学的に考えても、当たり前のことを過剰に言っているだけのレベルなのです。

 

少年漫画は楽しめれば良いだけ。

奥深い話は青年誌の方で頑張って下さい。

 

※当ブログで日本人をバカにしているというよりも、

寧ろ、ネット上や電波上でバカをひけらかしている人間の自尊心を挫き、寧ろ真面な考えの日本人の発言が受け入れやすい様にと願っております。

いわば、馬鹿は黙って人の意見をロジックでまず考えろ!!

ロジックさえ確りしていればオッサン先生も自分の足りなさを馬鹿に出来るという事らしいです。

どうも…ショーエイです。

まず、小泉進次郎。

靖国参拝した議員は決して信用しない。

ロジックで理解できる人なら、

歴代天皇陛下が御親拝されない事を察して、

国政を担うモノとしても同じ見識に立つべき。

中国や韓国の圧力に屈したとかの

意地っ張りなお子ちゃま発想の前に、

日本人として礼節を弁え、

日本人として敢えて問題を拗らせない、

他国(他人)の心情を煽らない。

戦争にケジメを付けて、

そこで被った国内外の被害者へ

配慮をする姿勢で以て、

世界中jから愛される国家を目指す。

そういう心意気が寧ろ日本の良さでは無いのだろうか。

それ故に「おもてなし」という言葉の意味も

表裏の無い心遣いとして理解される。

 

正直、小泉親子揃って口だけ成人(星人)だから、

信用は出来ないというのが当ブログの見解です。

 

父親の方は信長を尊敬しているのに、

本願寺顕如の様な大日本帝国に敬意を払う、

ある意味、信長たまからすれば反逆者に当たる、

暗愚の将でしかないのだ。

 

まあ、この程度の国会議員でも、

選挙で選出された訳ですから、

税金で賄われる給与を受け取る資格は得た事になるので、

それに関しては問題視する事はありません。

 

寧ろ、育休を取るなら取ってくれ。

ある意味、永久に育休してもらっても良いと思う。

どの道、役に立たない人たちだし、

逆に余計な口を開かなくて助かる。

 

税金の無駄遣いと言っても、

地方の議員としてその地域が選出してしまうのだから、

彼らを選ぶ選挙区の人たちが、

見切りをつけない限り、

この状態は何も起こらない。

彼らにとっては地元の有名人で、

地元の星なのだから、

結局AKB48の総選挙と同じレベルで、

人気だけで当確するのも、

民主制に於いてはどうしようもない話です。

(民主制の副作用とも言えます。)

それ故に世襲も発生しやすい。

 

まあ自分の選挙権の及ばないところで、

(選挙区が異なる為)

選ばれてしまうのだから、

仕方のない事で、

その上で議員として給与を受けるのは、

彼らの権利です。

そして育休なども当然権利として有るべきなので、

税金の無駄と考えるのは間違いです。

どの道、いても居なくてもいい存在なので、

権利のあるモノは持って行っても構わないが、

国民からこれ以上貪り取る様なら、

永久に何もしないでくれ。

 

消費税に関して言えば、

5%が一番国民にとって適正かな。

その税収で政府は上手くやりくりすべきなのです。

因みによく考えて見て下さい。

 

消費税が導入されてから、

日本の経済的な勢いが上昇しましたか?

 

バブル崩壊時期に消費税3%が導入され、

そこから段階的に上昇してます。

他の国に比べてまだ安い水準ですが、

そういう水準で調整してくと

15%~20%に成っていきます。

 

暗愚な政治は歴史的に見て

国民から税金を搾り取ろうとします。

国政を担えば企業と同様に、

多くの予算が欲しいと思うのは当然です。

故に、国民への負担を考えず、

いいように理由を付けて予算を引っ張ろうとするのです。

 

因みにニュースでは一般販売に於ける消費税しか

語っていませんが、

経営側の目線では、取引で発生する消費税が多きい訳です。

 

いわば一般人は商品を購入した時に

10%か8%払うだけの話で終わりと思っているでしょうが、

商品が店頭に並ぶまでに、

輸送費にも消費税、

仕入れする際にも消費税、

またその生産者側の仕入れにも消費税。

下請けに受注を流す場合でも消費税。

たった2%上がる話でも、

価格的には10%やら20%の上昇分が発生するのです。

 

そして日本のパワハラ取引に於いては、

大企業が下請けに消費税の割引=税込み取引をする為、

実際に国内の下請け企業は消費増税分の

減収を引き起こしかねないのです。

 

政治家、テレビのコメンテーターが、

こう言うことを言わないのは

彼らがこういう副作用を知らないからです。

また、政府官僚などは、

経営状態や取引体系に関わることが無いため、

全く気付きもしないのが現状です。

いわば一般で経理に携わることなく

サラリーマンをやっているが知らないのと同じなのです。

 

何とも暗愚な政治時代…

とても恐ろしい話です。

 

まあ、こんな政治状態故に、

暗愚な社会に暗愚な政治家、

居ても居なくてもいい話という事で、

育休取ろうが何をしようが、

全然困る話ではないという事です。

 

因みに世界中で戦争を心配する必要が無くなれば、

防衛費分はほぼ必要なくなります。

無論、自衛隊などの隊員を首にする必要は有りません。

寧ろ、彼らには災害対策の国家救助隊として、

国民を守る仕事に専念してもらいます。

人件費は新規入隊分を抑えつつ、

リストラ無しで削減する事も出来る訳です。

まあ、世界的にこういう発想すら無いのは、

ちょっと残念ですが…

 

追記

米国の消費税に関して調べてみると面白い事に気づきました。

http://us.bloomsfun.com/240302102912398280403602731246.html


上記表を見ると各州で税率は様々です。

カリフォルニアに居たので、8.25%が当たり前と思っていたのですが、

0%の州もあったのは驚きです。

そうしてみるとアメリカでは消費税は連邦税(国費用の税)ではなく、

地方財源としての立ち位置に成るようです。

これで連邦税に消費税が加わると・・・

欧州なみの20%に成るのかな。

 

ただ、消費税が連邦税で無いとすると、

選ぶ週によっては企業立地として魅力的にも感じる訳で、

消費規模などを考慮すると、

米国で雇用して米国の経済活動に貢献していく方が、

より効率的にも感じます。

米国が強い仕組みを消費税のあり方で垣間見た感じです。

 

もう一点…日本がカリフォルニア州の8.25%を超える事は、

米国が企業優遇処置を講じることなく

カリフォルニアより企業が活動する魅力が下がる事を意味します。

欧州より米国が企業活動する上で有利な点も、

実際にはこうした消費税の影響を考えての事とも言えます。

いわば企業優遇税を施しても、

消費税分のコストが掛かれば、

結局、さほど負担は減らないとも言えるのと、

米国に集中して米国民に稼がせる方が、

収益としても安定する。

いわば人件費が高騰しても、

多くの企業が揃ってその雇用費を捻出すれば、

その国の経済は活性化されるという計算で、

実際には保護主義的な発想より

寧ろグローバル的な流れに任せる方が、

米国の国益にプラスに成るという事です。

 

 

 

 

どうも…ショーエイです。

どれだけ学歴を積もうが、

どれだけ知識を得ようが、

冷静なものの味方が出来ない奴は

どうしようもないだけ。

 

前々回にプロファイリングの話をしましたが、

韓国の弱点となるポイントは経済では無い。

彼らの自尊心を根本から覆される事。

韓国人は自らが正義であるという主張で盛り上がっておりますが、

この正義の意味を覆されると、

全てが崩壊していきます。

 

先ず、結果から、

韓国が今の日本人と同程度なら、

慰安婦問題も徴用工問題に対しても何も言えなくなる。

韓国がそれでもロジックを重んじるなら、

この件は痛み分けという結果へ結びつける。

 

逆に慰安婦像を立てる事は、

実際には韓国人自身が自らの首を絞めるような行為なのです。

ある意味そこに気づかない韓国人も韓国人だが、

それに乗せられて憤る日本人も日本人なのです。

 

前にも述べてましたが、

慰安婦問題を歴史的に起こった事実として認識し、

そういう事が起こる事象を社会的に把握して、

ディスオーダー(命令、政令違反)に対してどう取り組むか、

そういう姿勢を明らかにすることが大事です。

その上で

「その歴史的な汚点を日本政府は公式に認めているのだから

先の損害賠償に全て含まれたものである。」

とすればロジック上では既に清算の終わった話に成るのです。

それを事実として認めていないのなら、

逆にロジックとしては損害賠償に含まれていない項目に成るのです。

どの様な日韓協定を結ぼうとも、

日本政府が公式に認めていない事実は、

その時点での損害を支払ったという事実には成らず、

結局は省かれた賠償でしか無くなるのです。

この時点で、アホ政権はロジックで敗北している訳です。

 

要するに、

「日本は政治的に禁止に当たる事も、

戦時中に於いては監督、管理が行き届かなくなることは必定で、

慰安婦問題も徴用工問題も起こったであろう事実として認めます。」

としたうえで日韓協定上にそのことに対する損害賠償は含まれている。

と、言うべき事で実はアホがアホ故に今と成っては時遅しという事です。

故に政権交代を以てもう一度清算した上で、

「日本は人権問題に対して誠実な回答を出しました。

韓国はベトナム戦争で起こったライダハン(ベトナム慰安婦問題)を

同様に発生する事実として認め、

共に成熟した状態で人権を取り扱いましょう。」

と言えば…

慰安婦像の意味が今度は韓国人に降りかかる話に成るのです。

 

ここで結果として「痛み分け」とするなら、

韓国もライダハンが戦時中発生しうるディスオーダー(法令政令違反)として、

また日本同様に隠蔽された事実(証拠隠滅)として認識し、

ライダハンへ損害賠償を行うなら、

最終的に慰安婦像は

女性の権利の象徴として扱われる存在と成る訳です。

 

逆に、韓国が日本政府の誠意を無碍にして、

自らの汚点を清算できないのなら、

韓国は慰安婦像を立てた行為で世界の笑いものに成るという事です。

 

裏を返してみれば、

今の日本人の姿勢は韓国の後者の姿勢に近く、

世界の笑いものに成る様な状態で

どれだけ日本人が意地を張っても、

ロジックの理解できない間抜けにしか見えないという事です。

 

さて、百田だかモモっちだか何だか知らないが、

アホ政権も含めて

あの大日本帝国を美化しようとしている連中。

君らが如何に愚かなのかを教えてあげよう。

 

時は遡って戦国時代の戦術で比較してみよう。

「死なば天国」と農民を煽って、

一大勢力を構築した本願寺顕如。

ある意味、「お国の為の死ね」

と国民を煽った大日本帝国の戦術にそっくりです。

 

もう一方は、兵農分離で専軍制を取った織田信長。

ヤバいと思ったらさっさと撤退する。

味方の損害をものすごく嫌い、

それ故に三段撃ち成る戦法を編み出し、

兵の損失が最小限に済むように常に工夫を怠らなかった。

 

大日本帝国を崇拝する輩は、

織田信長の戦術、戦略を理解するには至らず、

逆に信長たまの様な戦いを好む人間が、

本願寺顕如の様な「自爆テロ」というより寧ろ、

「パワハラテロ」を最も嫌う事を知らないのだろう。

また、アルカイーダやらISなどの戦術が、

当時の大日本帝国と同じ「神風戦法」を模倣している事実も含め、

あのような戦術を崇拝することは、

現代社会においてまた人権を考える上で、

最も恥ずべきものだという認識すら欠けている。

 

故に、日本人でも未だ大日本帝国を美化する人間は

決して信じるべきでは無く、

また、彼らの発想は国民を騙して利用するという事しか

考えていないという事です。

※米国から兵器を買ったり、空母を作る為の費用を、

消費税増税から賄おうとする魂胆も見え見え、

予算配分で国防費の増額がその根拠で、

消費税が実際にどう使われるか、

国費として合算される予算の中では、

その配分を見て推察するしかないのも事実です。

 

織田信長も同じ日本史上の人物で、

最終的には連合軍同様に本願寺を降伏させてます。

※まあ、ミッチーに寝首をかかれちゃったけど、

今と成っては信長たまの「お茶目な気抜き癖」があざと成った感じ。

 

勝てる戦い、国民を考えた戦いを模索する上では、

織田信長の戦いや政治の在り方を模倣する方が、

より賢い訳で、

第二次世界大戦に於いては、

連合軍の戦い方の方が織田信長の戦い方に近いという

意味で良く分析するべきなのです。

※信長たまも原爆持ってたらあの場面で原爆を落とすだろうと思います。

 

まあ、プロファイリングの未熟な人は、

織田信長の残虐性ばかり意識して、

その本質と実態を知らず、

揚げ足取って最終的に本願寺=大日本帝国よりの見識で

主張を続ける事でしょうが、

結局、国民を疲弊させ

国民の現世での幸せを奪い去ろうとする発想でしかない事を、

他の方は理解して頂ければと思います。

 

 

 

どうも…ショーエイです。

正直、ジャニーさん有った事も無いし、

別にジャニーズに興味も無いので、

流れに任せてご冥府をお祈りしますという事は言いたくありませんが、

ニュースを見ていて

「You やっちゃいなよ!!」

という言葉にはとても力強い意味を感じて、

今の日本に必要な言葉だと思ったのです。

 

日本のスポーツ界には、

バスケの八村選手、サッカーの久保建英選手と、

若い力が世界に飛び立とうとしています。

日本のマスコミがこういう素材を潰す事は良く言われる事ですが、

何故だかマスコミも理解していないのがこの国の間抜けさの象徴ともいえる事です。

 

先ず2人の若い選手に言える事は、

日本代表として活躍する事は、

NBAでレギュラーを取るより、レアル・マドリードの先発に成るより、

ハードルが滅茶苦茶低いという事。

故に日本代表に成って大物ぶるなという事です。

 

更には、NBAでスター選手に成れないようなら、

日本をW杯で優勝に導くことは出来ない。

レアルでレギュラー勝ち取れなければ、

どの道W杯で期待すら出来ない。

 

そういう世界基準の中でのルーキーでしかない事を

確りと意識してルーキーシーズンを思いっきり楽しんでほしい。

大物ぶってチームの事とか考えなくて良いのだよ!!

君らはルーキーでチームに甘えなさい。

我武者羅に自分を表現して、

思いっきり自分をアピールしなさい。

そしてルーキーとしてチームに可愛がられなさい。

そういう意味では長友選手のインテル時代の姿勢は参考にしても良いと思います。

 

だからジャニーさんの名言を借りて、

彼らには「You やっちゃいなよ!!」

という言葉をかけてやりたいです。

 

NBAの先輩たちを相手にどれだけ自分のプレイを表現出来るか、

八村選手はチームの事なんか考えず、

とにかく「You やっちゃいなよ!!」

で、エゴイスティックに自分のプレイを表現すれば良い。

自分のプレイを表現する中で、

チームを使う時はチームを使えば良い。

意外と何も考えずに自分を表現すれば、

自然と上手くチームの動きも活かせるはず。

そういう自信も込めて、

「You やっちゃいなよ!!」

 

周りの事を気にしがちな日本人には、

こういう自己表現に集中する意味の言葉は

とても大事だと思うのです。

 

ルーキーとしての心構えは、

チームに何かを期待する立場では無いという事。

チームに何かを求めるのではなく、

我武者羅にチームの中で自分を表現して、

チームにそれを許してもらえる、

そういう存在になりなさい。

無駄に責任感とか要らないので…

サッカーのメッシ選手もルーキーシーズンはそういう存在だった。

フランスのエムバッペ選手だってそういう存在として可愛がられた。

大人として責任感を持つ姿勢は

日本のマスコミは評価するかも知れないが、

世界の目はそんなもの何の意味も持たないという事。

寧ろ子供の様に甘えて可愛がられつつ、

エゴイスティックに自分を表現する方が評価されるのです。

どうも…ショーエイです。

まあ、オッサン先生の思考でまた難しい話をします。

皆さんもよくご存知の「彼を知り己を知らば百戦連勝間違いなし」

孫ピン兵法を翻訳した言葉に成っていますが、

孫武の孫子にも似た意味の言葉は有ります。

 

【ステップ1】

敵の情報を収集する作業は、

正直誰でもできます。

今の時代なら様々なニュースだけを抜き取っても

十分に収集は出来る事です。

 

【ステップ2】…プロファイリング初歩

相手の弱みを探る。

日本人は基本ココ止まりです。

この初歩が出来ているからプロファイリング出来ていると

言っているだけなのでダメなのです。

 

【ステップ3】・・・プロファイリング中級

相手の目的を読み取る。

犯罪捜査に於いてはステップ2が証拠収集で、

ステップ3は動機を読み解く部分に成るのですが、

日本人はここを自白において処理する傾向にあります。

事件は事後=事が起こった後に情報をトレースするので、

推理によって動機を読み解くことは十分可能ですが、

事件の最中、いわば事件が進行している場面であり、

戦争中の場面では相手が用いるトリックを先読みしていく感じに成るのです。

 

これをスポーツで例えると・・・

1986年W杯準決勝でのマラドーナの5人抜きを見て

マラドーナの目的がドリブル突破だったと

悟るのは事後だから言える事で、

もっと複雑にプロファイリングすると、

マラドーナがドリブル継続を選択しやすい状況を

イングランドDFが与えていたという感じに分析できます。

 

それが事件の最中となると・・・

5人のイングランドDFが直面するマラドーナの動きに対する対策、

いわばドリブルかパスか、それともシュートなのか、

更には右に抜いてくるか、左に抜いてくるのか、

様々な選択肢の中で判断していかなくては成らないのです。

そうした中で最低でも

ドリブル突破を狙っているという目的を

瞬時に察してフォーメーションの修正を図らなければ、

マラドーナを止める事は難しいという事に成ります。

 

事後の推理が出来るから

プロファイリングが出来ていると勘違いしているのが、

日本の優秀な頭脳と呼べるレベルで、

最中であれば、事後の情報で傾向と対策で挑む日本人なら、

己の傾向とそれに対する対策が整えば、

とても簡単な相手でしか無いという事です。

世界レベルで見て日本人がバカに見えるのはこういう事です。

※バカと言われて腹立つならもっとロジックを学びなさい。

バカと言われて馬鹿じゃ無いと意地張るのはお子ちゃまです。

 

故に日本人の殆ど(海外経験のある人は別)

は中級のレベルすら理解できていない現実です。

 

【ステップ4】…プロファイリング上級

正直、ここは米軍の秘匿的な領域に入るのですが、

米国の頭脳はココまでの領域は当たり前とも言えます。

その領域は相手の目的から様々なケースを想定するです。

ケース・スタディと米国の短大でも教わるレベルなのですが、

弱み→目的→ケーススタディという手順は教わりません。

手順が違うと見え方の幅も異なります。

 

日本がステップ3で止まっている状態でケーススタディを用いると、

弱み→ケーススタディに成る為、

その発想はヤクザな感じで終わるとも言えます。

日韓問題を見ていれば、

如何に発想がヤクザな感じで、

「いざと成ったら抗争じゃ!!」

というムーブメントに成るのが見え見えです。

これしか方法が無いとマスメディアも含めて

日本人全体が陥る時点で

ステップ3が見えていないと言えます。

 

韓国の目的はそもそも北朝鮮の非核化を

平和的に導き出そうとしているに過ぎない。

 

これを聞いて「何を言っているの?」

と感じた時点で、

その領域に到達しようとすらしていないと言えます。

その部分が欠落してステップ4のケーススタディで

算出される最悪の事態の想定

すら見えていない事に気付きもしないのでしょうね。

 

最悪の事態は同じ「戦争」が結末でも、

規模は全く異なるし、

日本人が想定しているレベルとは全く異なるものに成る。

 

ある意味、最低でも韓国の目的のみならず、

北朝鮮の目的も把握してケーススタディを考えねば成らないのです。

北朝鮮が核兵器を隠し持とうとする目的は、

「窮鼠猫を噛む」

為にあるモノで、

その噛みついた牙に毒が仕込んでると知れば、

猫も流石に警戒するという事です。

これは心理的に自然発生する防衛本能とも言うべき部分で、

彼らを日本人が幾ら批難しても、

野生の状態では解決しないものという事を理解しましょう。

 

ちょっとステップの話ではかなりぶっ飛んでいきますが、

ケーススタディーを駆使して導くべき方向は、

野生の猫とネズミは相容れる事は難しいが、

ペットとしての飼い猫とハムスターなら

相容れる事は可能で、

それが国連という場によって齎すことが理想なのです。

 

さて…敵を知る部分でステップ4まで書きましたが、

4から上は複合した状況で、最良の方策を導き出すに成って来るのです。

簡単そうに見えて、実はステップ3すら導き出せないという現実を、

先ず日本人は自らの弱さとして自覚して欲しいです。

 

実は己を知るというのは敵を知る以上に難しい事です。

日本人は日本人と同じように

世界が同じ時間で流れているという事を

「素直に」理解しましょう。

世界は日本の技術に追いつこうと時間を進め、

既に日本の技術には追い付いてしまっている。

それを「まだまだ日本の方が上」と

自尊心にかられてしまうようでは

「己を知るに至らないという事です。」

心理学としても自己意識の克服はハードルが最も高いとされるモノで、

話は理解できても「自尊心が齎す癖」で、

結局、「自分は違う」という観念で

狭い考え方に固執してしまうのです。

 

残念な事に、日本と言う社会環境が

その愚かさを更に助長するとも言えます。

いわば自分が少しでも間違いを犯せば、

周りから叩かれるという恐怖心が社会性として存在するからです。

 

どういう事かと言うと、

例えばオッサン先生が

「相対性理論」を勘違いしていたとすると、

(噂でも勘違いしているという嘘が広まると…

現状ではそういう噂は耳にしないけどね)

日本人はそれだけでオッサン先生が

「信用できない人物」と見てしまうのです。

※まあ、現状ロジックとしての反論が無いので、

別に勘違いしている訳では無く、

寧ろそのロジックの成否を今後の研究に委ねるという

状態なのが現状です。

 

そういう「信用される目」を気にするゆえに

普通の人は迂闊に発言することすら難しいのも事実です。

 

この恐怖心が有っても発言できる人は

逆に自己の発言を否定できなくななり、

変な方向へ固執してしまう事にも成ります。

まあ、日本人がロジックに疎いから

ロジックが無くてもハート(口だけの気持ち)だけで

熱い思いが伝わると言う状態故に、

誤魔化しも成立しやすい社会だという事です。

 

本来というより世界基準では、

ロジックこそが大事で、

寧ろロジックを理解できない事が恥ずかしい。

故に自分のロジックがロジックとして矛盾が生じたり、

ロジックとして間違っていのなら、

成るほど「それは知らなかった」

「その発想は無かったな…」

と、簡単に自己を覆しても問題ないのです。

ただ、ロジックであって知識では有りません。

日本人の様に「東京大学の教授が言っていた」

というモノは「所詮は東京大学の教授程度が言っていた話」

でしか無く、

ロジックが無いと馬鹿にされるわけで、

寧ろその東京大学の教授が言っていたロジックを

適切に説明できないと

貴方が引用に頼った

その東京大学の教授に恥をかかせることに成るという事も、

理解すべきなのです。

 

そして自分がそのロジックを理解しきれていない弱さを認め、

矛盾も含めてロジックを理解するようにしないと、

それこそ「生兵法」という言葉に成るのです。

 

ロジックという言葉を知っていても、

ロジックの意味を知らない人も多いようなので、

実際にこういう話をしても

多くの人には「馬の耳に念仏」のように成るのかな。

 

ロジックは矛盾が生じると

定説、正論には成らないのです。

ただ、矛盾が生じてもロジックはロジックで、

色々な意見の下でロジックの矛盾を克服していくものです。

まあ、科学の世界では当然の事なのですが。

文系なのかな…ロジックの理解できない人は、

ロジックで敵わないと「それは正論だけど…」という

捨て台詞を言います。

理系からすると「正論なら」

「ハイ論破」で終わりです。

 

これはオッサン先生のクレイジー言い方なのですが、

ハートで語る人は路上喫煙している人に

「副流煙で他人に迷惑が掛かるだろう!!」

と言いますが、

ロジックで語るオッサン先生に言わせると

喫煙する際に他人に煙が不用意に行かない状況を考え、

吐く息の方向まで気を使っていて、

更には法律上禁止に当たる行為に該当しないのを知って、

そういう言い方をするという事は、

君は私に喧嘩を吹っかけてきた挑発行為に成るのだよ。

そういう君の方が不用意な発言で

他人の権利と心情を侵害する迷惑行為なんじゃないのかな?」

そして更に腹立つと

「トラブルに発展させて裁判所で決着付けるか、

裏で報復トラブルに引き込んでやろうか?」

という事に成るそうです。

 

現状、裁判で

今は名前を伏せますが、

禁煙表記の無い屋外のテラス席付近で喫煙していて

それを店員が不用意に注意したという事で、

それに対する再発防止処置とその行為が不当であるという事で、

やっている訳ですが・・・

ロジックの無い日本人には、

オッサン先生の言いがかりに思えるでしょう。

ところが…以前にも紹介した民法95条「錯誤」というモノには、

略式で説明すと

表意者(意思を表示する側)が錯誤=誤解を与える表記をしていた場合、

その意思表示は無効となるという内容です。

これは交通法規で見えない状況で捕まった際に

適応される事で知られるモノですが、

民法なので公共以外の機関にも適応されるモノです。

そういう意味で店舗側の状態は

民法上の表記不備状態で

不法状態に成っている事に成り、

オッサン先生の裁判の趣旨は、

不法状態に成る事を警告し、是正するように求めた事に対して、

相手が改善する意思を示さなかったためそれに対する、

原告(オッサン先生)への侮辱行為があったという事で

損害賠償を求めるというモノにしています。

被告側が不法状態で無いという主張なら、

それは屋外のそこが

禁煙という空間に成っていないという事を認める事で、

被告店員が注意して喫煙を止めさせた行為は

明らかな越権行為であり(正当な権利を不当に侵害し強要した)

不法行為としてそれに対する損害賠償を支払えというロジックに成ります。

 

地裁ではこのロジックを理解してか、

寧ろ判決で強引に錯誤が発生していなかった点を強調して、

入口ドア(屋外と店内の境界線当たる部分)に

禁煙マーク(文字無し=店内とも敷地内とも書かれていないマークのみ)

が有った事と、

灰皿の設置がないという点で

被告側に錯誤が無かったという事で棄却したため、

高裁に不服申し立てした訳です。

 

この地裁の判決が間違っていないと錯覚すると

日本人はロジックで法律を理解しようとしていない点が明らかになる部分で、

屋外に灰皿の設置が無ければ「禁煙」という法律、法令は存在せず、

消防法の「消火」が問題なのなら「携帯灰皿」によるマナーで対応でき、

タバコの灰などを不法投棄とした場合でも同様に「携帯灰皿」で処理できます。

よって裁判所の灰皿の設置の有無が「錯誤を与えない」という法律的な根拠は

全く無く、ドアが店内と屋外を区分する状態に設置されていた事実を知るのなら、

ドアにマークだけ貼られていた状態は

ドアの内側(店内)のみの効力と言う明らかな「錯誤」を与える状況に成ります。

また、受動喫煙防止法の内容も、店舗屋外の禁煙は記載がなく、

寧ろ「マナーを守って喫煙するように」と喫煙者の自主性に依存する文章に成っています。

 

まあ、被告弁護士の先生はまだ優秀で、

不用意な反論は最終的にしなくなりました。

 

最終的にはマクドナルドのコーヒー溢して火傷した

アメリカの判決の様な「イチャモン」的な裁判は

日本では認めるべきでは無いという部分が焦点に成るのでしょうが、

そういうロジックでは無く個人の心情を優先した裁判だと、

韓国の徴用工問題や慰安婦問題の判決に不当性を唱える事は

出来ないという事を理解しましょう。

 

法律はロジックで構成される事が一番公平であり、

その公平な状態を維持する上でロジックによる部分のみが大事成るのです。

イチャモン的な内容でも、

ロジックで考えてればコンプライアンスとして

裁判にすることなく対応出来た話で、

ある意味、原告の主張を元に是正=「屋外禁煙」という表記を設置するだけで、

原告はロジック上訴える事すらできなかった話なのです。

無論、損害賠償の請求も成立しなかったと言えます。

ロジックで考えずコンプライアンスをミスったのだから、

企業はその反省と損害賠償を以て、

今後同様の不法行為が発生しない様にする事の方が、

社会的にも善として機能すると言える話です。