現実思考とは自分の弱さを認める事!! | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

まあ、オッサン先生の思考でまた難しい話をします。

皆さんもよくご存知の「彼を知り己を知らば百戦連勝間違いなし」

孫ピン兵法を翻訳した言葉に成っていますが、

孫武の孫子にも似た意味の言葉は有ります。

 

【ステップ1】

敵の情報を収集する作業は、

正直誰でもできます。

今の時代なら様々なニュースだけを抜き取っても

十分に収集は出来る事です。

 

【ステップ2】…プロファイリング初歩

相手の弱みを探る。

日本人は基本ココ止まりです。

この初歩が出来ているからプロファイリング出来ていると

言っているだけなのでダメなのです。

 

【ステップ3】・・・プロファイリング中級

相手の目的を読み取る。

犯罪捜査に於いてはステップ2が証拠収集で、

ステップ3は動機を読み解く部分に成るのですが、

日本人はここを自白において処理する傾向にあります。

事件は事後=事が起こった後に情報をトレースするので、

推理によって動機を読み解くことは十分可能ですが、

事件の最中、いわば事件が進行している場面であり、

戦争中の場面では相手が用いるトリックを先読みしていく感じに成るのです。

 

これをスポーツで例えると・・・

1986年W杯準決勝でのマラドーナの5人抜きを見て

マラドーナの目的がドリブル突破だったと

悟るのは事後だから言える事で、

もっと複雑にプロファイリングすると、

マラドーナがドリブル継続を選択しやすい状況を

イングランドDFが与えていたという感じに分析できます。

 

それが事件の最中となると・・・

5人のイングランドDFが直面するマラドーナの動きに対する対策、

いわばドリブルかパスか、それともシュートなのか、

更には右に抜いてくるか、左に抜いてくるのか、

様々な選択肢の中で判断していかなくては成らないのです。

そうした中で最低でも

ドリブル突破を狙っているという目的を

瞬時に察してフォーメーションの修正を図らなければ、

マラドーナを止める事は難しいという事に成ります。

 

事後の推理が出来るから

プロファイリングが出来ていると勘違いしているのが、

日本の優秀な頭脳と呼べるレベルで、

最中であれば、事後の情報で傾向と対策で挑む日本人なら、

己の傾向とそれに対する対策が整えば、

とても簡単な相手でしか無いという事です。

世界レベルで見て日本人がバカに見えるのはこういう事です。

※バカと言われて腹立つならもっとロジックを学びなさい。

バカと言われて馬鹿じゃ無いと意地張るのはお子ちゃまです。

 

故に日本人の殆ど(海外経験のある人は別)

は中級のレベルすら理解できていない現実です。

 

【ステップ4】…プロファイリング上級

正直、ここは米軍の秘匿的な領域に入るのですが、

米国の頭脳はココまでの領域は当たり前とも言えます。

その領域は相手の目的から様々なケースを想定するです。

ケース・スタディと米国の短大でも教わるレベルなのですが、

弱み→目的→ケーススタディという手順は教わりません。

手順が違うと見え方の幅も異なります。

 

日本がステップ3で止まっている状態でケーススタディを用いると、

弱み→ケーススタディに成る為、

その発想はヤクザな感じで終わるとも言えます。

日韓問題を見ていれば、

如何に発想がヤクザな感じで、

「いざと成ったら抗争じゃ!!」

というムーブメントに成るのが見え見えです。

これしか方法が無いとマスメディアも含めて

日本人全体が陥る時点で

ステップ3が見えていないと言えます。

 

韓国の目的はそもそも北朝鮮の非核化を

平和的に導き出そうとしているに過ぎない。

 

これを聞いて「何を言っているの?」

と感じた時点で、

その領域に到達しようとすらしていないと言えます。

その部分が欠落してステップ4のケーススタディで

算出される最悪の事態の想定

すら見えていない事に気付きもしないのでしょうね。

 

最悪の事態は同じ「戦争」が結末でも、

規模は全く異なるし、

日本人が想定しているレベルとは全く異なるものに成る。

 

ある意味、最低でも韓国の目的のみならず、

北朝鮮の目的も把握してケーススタディを考えねば成らないのです。

北朝鮮が核兵器を隠し持とうとする目的は、

「窮鼠猫を噛む」

為にあるモノで、

その噛みついた牙に毒が仕込んでると知れば、

猫も流石に警戒するという事です。

これは心理的に自然発生する防衛本能とも言うべき部分で、

彼らを日本人が幾ら批難しても、

野生の状態では解決しないものという事を理解しましょう。

 

ちょっとステップの話ではかなりぶっ飛んでいきますが、

ケーススタディーを駆使して導くべき方向は、

野生の猫とネズミは相容れる事は難しいが、

ペットとしての飼い猫とハムスターなら

相容れる事は可能で、

それが国連という場によって齎すことが理想なのです。

 

さて…敵を知る部分でステップ4まで書きましたが、

4から上は複合した状況で、最良の方策を導き出すに成って来るのです。

簡単そうに見えて、実はステップ3すら導き出せないという現実を、

先ず日本人は自らの弱さとして自覚して欲しいです。

 

実は己を知るというのは敵を知る以上に難しい事です。

日本人は日本人と同じように

世界が同じ時間で流れているという事を

「素直に」理解しましょう。

世界は日本の技術に追いつこうと時間を進め、

既に日本の技術には追い付いてしまっている。

それを「まだまだ日本の方が上」と

自尊心にかられてしまうようでは

「己を知るに至らないという事です。」

心理学としても自己意識の克服はハードルが最も高いとされるモノで、

話は理解できても「自尊心が齎す癖」で、

結局、「自分は違う」という観念で

狭い考え方に固執してしまうのです。

 

残念な事に、日本と言う社会環境が

その愚かさを更に助長するとも言えます。

いわば自分が少しでも間違いを犯せば、

周りから叩かれるという恐怖心が社会性として存在するからです。

 

どういう事かと言うと、

例えばオッサン先生が

「相対性理論」を勘違いしていたとすると、

(噂でも勘違いしているという嘘が広まると…

現状ではそういう噂は耳にしないけどね)

日本人はそれだけでオッサン先生が

「信用できない人物」と見てしまうのです。

※まあ、現状ロジックとしての反論が無いので、

別に勘違いしている訳では無く、

寧ろそのロジックの成否を今後の研究に委ねるという

状態なのが現状です。

 

そういう「信用される目」を気にするゆえに

普通の人は迂闊に発言することすら難しいのも事実です。

 

この恐怖心が有っても発言できる人は

逆に自己の発言を否定できなくななり、

変な方向へ固執してしまう事にも成ります。

まあ、日本人がロジックに疎いから

ロジックが無くてもハート(口だけの気持ち)だけで

熱い思いが伝わると言う状態故に、

誤魔化しも成立しやすい社会だという事です。

 

本来というより世界基準では、

ロジックこそが大事で、

寧ろロジックを理解できない事が恥ずかしい。

故に自分のロジックがロジックとして矛盾が生じたり、

ロジックとして間違っていのなら、

成るほど「それは知らなかった」

「その発想は無かったな…」

と、簡単に自己を覆しても問題ないのです。

ただ、ロジックであって知識では有りません。

日本人の様に「東京大学の教授が言っていた」

というモノは「所詮は東京大学の教授程度が言っていた話」

でしか無く、

ロジックが無いと馬鹿にされるわけで、

寧ろその東京大学の教授が言っていたロジックを

適切に説明できないと

貴方が引用に頼った

その東京大学の教授に恥をかかせることに成るという事も、

理解すべきなのです。

 

そして自分がそのロジックを理解しきれていない弱さを認め、

矛盾も含めてロジックを理解するようにしないと、

それこそ「生兵法」という言葉に成るのです。

 

ロジックという言葉を知っていても、

ロジックの意味を知らない人も多いようなので、

実際にこういう話をしても

多くの人には「馬の耳に念仏」のように成るのかな。

 

ロジックは矛盾が生じると

定説、正論には成らないのです。

ただ、矛盾が生じてもロジックはロジックで、

色々な意見の下でロジックの矛盾を克服していくものです。

まあ、科学の世界では当然の事なのですが。

文系なのかな…ロジックの理解できない人は、

ロジックで敵わないと「それは正論だけど…」という

捨て台詞を言います。

理系からすると「正論なら」

「ハイ論破」で終わりです。

 

これはオッサン先生のクレイジー言い方なのですが、

ハートで語る人は路上喫煙している人に

「副流煙で他人に迷惑が掛かるだろう!!」

と言いますが、

ロジックで語るオッサン先生に言わせると

喫煙する際に他人に煙が不用意に行かない状況を考え、

吐く息の方向まで気を使っていて、

更には法律上禁止に当たる行為に該当しないのを知って、

そういう言い方をするという事は、

君は私に喧嘩を吹っかけてきた挑発行為に成るのだよ。

そういう君の方が不用意な発言で

他人の権利と心情を侵害する迷惑行為なんじゃないのかな?」

そして更に腹立つと

「トラブルに発展させて裁判所で決着付けるか、

裏で報復トラブルに引き込んでやろうか?」

という事に成るそうです。

 

現状、裁判で

今は名前を伏せますが、

禁煙表記の無い屋外のテラス席付近で喫煙していて

それを店員が不用意に注意したという事で、

それに対する再発防止処置とその行為が不当であるという事で、

やっている訳ですが・・・

ロジックの無い日本人には、

オッサン先生の言いがかりに思えるでしょう。

ところが…以前にも紹介した民法95条「錯誤」というモノには、

略式で説明すと

表意者(意思を表示する側)が錯誤=誤解を与える表記をしていた場合、

その意思表示は無効となるという内容です。

これは交通法規で見えない状況で捕まった際に

適応される事で知られるモノですが、

民法なので公共以外の機関にも適応されるモノです。

そういう意味で店舗側の状態は

民法上の表記不備状態で

不法状態に成っている事に成り、

オッサン先生の裁判の趣旨は、

不法状態に成る事を警告し、是正するように求めた事に対して、

相手が改善する意思を示さなかったためそれに対する、

原告(オッサン先生)への侮辱行為があったという事で

損害賠償を求めるというモノにしています。

被告側が不法状態で無いという主張なら、

それは屋外のそこが

禁煙という空間に成っていないという事を認める事で、

被告店員が注意して喫煙を止めさせた行為は

明らかな越権行為であり(正当な権利を不当に侵害し強要した)

不法行為としてそれに対する損害賠償を支払えというロジックに成ります。

 

地裁ではこのロジックを理解してか、

寧ろ判決で強引に錯誤が発生していなかった点を強調して、

入口ドア(屋外と店内の境界線当たる部分)に

禁煙マーク(文字無し=店内とも敷地内とも書かれていないマークのみ)

が有った事と、

灰皿の設置がないという点で

被告側に錯誤が無かったという事で棄却したため、

高裁に不服申し立てした訳です。

 

この地裁の判決が間違っていないと錯覚すると

日本人はロジックで法律を理解しようとしていない点が明らかになる部分で、

屋外に灰皿の設置が無ければ「禁煙」という法律、法令は存在せず、

消防法の「消火」が問題なのなら「携帯灰皿」によるマナーで対応でき、

タバコの灰などを不法投棄とした場合でも同様に「携帯灰皿」で処理できます。

よって裁判所の灰皿の設置の有無が「錯誤を与えない」という法律的な根拠は

全く無く、ドアが店内と屋外を区分する状態に設置されていた事実を知るのなら、

ドアにマークだけ貼られていた状態は

ドアの内側(店内)のみの効力と言う明らかな「錯誤」を与える状況に成ります。

また、受動喫煙防止法の内容も、店舗屋外の禁煙は記載がなく、

寧ろ「マナーを守って喫煙するように」と喫煙者の自主性に依存する文章に成っています。

 

まあ、被告弁護士の先生はまだ優秀で、

不用意な反論は最終的にしなくなりました。

 

最終的にはマクドナルドのコーヒー溢して火傷した

アメリカの判決の様な「イチャモン」的な裁判は

日本では認めるべきでは無いという部分が焦点に成るのでしょうが、

そういうロジックでは無く個人の心情を優先した裁判だと、

韓国の徴用工問題や慰安婦問題の判決に不当性を唱える事は

出来ないという事を理解しましょう。

 

法律はロジックで構成される事が一番公平であり、

その公平な状態を維持する上でロジックによる部分のみが大事成るのです。

イチャモン的な内容でも、

ロジックで考えてればコンプライアンスとして

裁判にすることなく対応出来た話で、

ある意味、原告の主張を元に是正=「屋外禁煙」という表記を設置するだけで、

原告はロジック上訴える事すらできなかった話なのです。

無論、損害賠償の請求も成立しなかったと言えます。

ロジックで考えずコンプライアンスをミスったのだから、

企業はその反省と損害賠償を以て、

今後同様の不法行為が発生しない様にする事の方が、

社会的にも善として機能すると言える話です。