どうも…ショーエイです。
このブログの読者の方はその辺の理解度が十分にある方が多いと思ってますが…何とも日本政府の程度の低さを見ると…
マッカーサーの言葉そのままだなという感じです。
先ず、文化庁が交付金を打ち切った理由…
「脅迫等が発生した事でセキュリティー上の計画に不備が生じたため撃ち切った」
と、その上の文科相がそのような事を言ってますが、
国が「脅迫」という犯罪行為に同調してそれに屈した形をとってどうするの?しかも、教育上そのような言い方で良いのでしょうか?
ある意味、気にいらない内容なら脅迫状を送って潰しても構わない、それがアホ政権の忖度に繋がるなら…
というレベルで犯罪行為を奨励した決断に成ってしまいます。
文部科学省という教育を担う立場で、そういう意図が見えてしまう行為で良いのかな。
本来、何らかの行事で脅迫やテロなどの犯罪行為の危険性が生じた場合、逆にセキュリティー上の予算は増額して安全な運営に協力するのが国としての役割です。
また、交付金のスポンサーは政府では無く、そもそもが国税=国民であるわけで、政府の趣向で決める前に憲法による規定を優先させなければ成りません。
【憲法の規定とは…】
総則にある言葉は、主権は日本国民であり、政府はその信託を受けて成立するモノという事です。
信託を受けているからと言う前に、
その信託の中には憲法に従うという条件もあり、
信託によって優先されるべき順序は、
①憲法②法令、政令③民意に成る訳です。
政権が民意だから何でも自由と言う事では有りません。
そこを勘違いしている人は、小学校の学級会と同じレベルで、
「多数決こそ正義」的な勘違いで民主制の理解が止まっている事を意味します。
もともと民主制は国政を担う権力者の独裁を許さない為のモノであり、それを不正であったり洗脳する行為でもコントロールされない様、憲法によって保護された形なのです。
更には多数が少数の人権を不当に侵害しないようにと言う形で進化を遂げていき、個人の自由が最大限に尊重される社会を理想としてます。
そういう意味で日本国憲法を読むと、
実に完成された素晴らしいモノであることが言えるのですが、日本人はこの素晴らしい「GHQの置き土産」と言っておきますが、この素晴らしさを全く理解せず、その恩恵にあって現代までの日本がある事を全く気付いていないのは残念です。
正に平和ボケとはこの状態にあると言えます。
さて、総則において国民主権と政府の信託という事を言いましたが、
国民主権に於ける言論の自由とはどういう意味なのか?
よくこれを考えて見て欲しいです。
簡単に言えば、間違っている事を間違っていると国民が指摘できるか否かの話に成ります。
間違っているモノにはNOと言ってもいい。
それが言論の自由が齎す恩恵で、
それによって政府が間違っているのなら、
民意でそれをいつでも変革できるというのがこの保護法益です。
これが成立しないと、
民意での変革は難しくなり、
革命という荒っぽい手段によって倒壊させなくてはならなく成ります。
ただ民意による変革が保障されているのなら、
態々自分の生活を犠牲にして混迷する状態を齎さなくても済む訳です。
中国は何れこれに気づくと思いますが、
民意による変革の無い政府は、必ず武力による革命が発生します。
三皇五帝の例にある様に、禅譲や世襲による善政は永続する事が無く、一度悪政に陥れば必ず革命が起こります。
逆にアメリカの例を挙げて民主制に於いては、
歴史上南北戦争の様な革命戦争は起きましたが、悪政を齎せば選挙によって変革が起こり、民主制または憲法をを阻害すれば弾劾が発生します。
これによってその市民は通常生活を失うことなくその権利が保証され維持する事が適う訳です。
現状、中国では香港などを含めて革命が発生する危険性に脅かされている状態で、それを安定的に維持するには経済的な保証が不可欠な状態です。
か、といって民主制にも難点があり、日本の様に自己主張の薄い国民性は自己主張の強い人間に押し込まれて世論をコントロールされてしまうケースも有る訳です。
民主制が完全に機能するには国民がその権利と制度を適切に理解している事であり、この理解が及ばなければ民主制は常に崩壊し独裁的な指導者の誕生を引き起こします。
現状の日本人は政治家を始めとし、裁判官までもその理解が12歳レベルでしか無く、憲法12条に記載してある不断の努力によってこれを保持しなければならない義務すら全うできていない状態です。
司法の長である最高裁が政治家の民意という圧力に怯えて何も出来ない時点で、誰が最終的にこの国を守ってくれるの?といった状態です。
さて、「言論の自由」と「国民主権」の関係性に次いで、日本国憲法にはまだまだそれを保護するものが存在するのです。
【憲法13条】
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
今回の愛知トリエンナーレに於ける「言論の不自由展」としますが、
彼ら芸術家が主張するモノは個人の「幸福追求」という形に成ります。
問題は「公共の福祉に反する」か否かと言う点ですが、
公共の福祉とはあくまで憲法や法令、政令に反するモノで、それに反する表現ならば規制されると言えます。
例えば、児童ポルノなど法律に違反する行為を表現したモノゆえに規制されるわけで、一般ポルノも無修正画像は売春を斡旋する表現に該当する為、ある種の規制を設けている訳です。
過剰な殺害シーンであり犯罪に纏わる行為は公共の福祉に反するモノという事なら成立します。
しかし、慰安婦像を模した「平和の像」は?
不法売春行為の撲滅を謳う意味で有り、女性が受けた不当な権利侵害を訴えた意味と成り、寧ろ犯罪撲滅を主張した表現に成ります。
これは公共の福祉に反するというよりも寧ろ公共の福祉に沿ったモノゆえに、その主張は最大限に尊重されるべきです。
日本人でこの像をで見て嫌悪を抱く人たちは、日本人が辱められている象徴という思想に基づいている訳で、
逆に日本の恥ずかしい過去として受け入れる側からすれば、
「そんなに大騒ぎする方がよっぽど恥ずかしいわ!!!」
という感じのものです。
ある意味、日本の歴史上にそういう失態があったねと認めて、以後その様な事態が生じる事無いように、または嫌疑が持たれない様に、自衛隊の規定に役立てますという感じで良いと思うのです。
しかも、過去の戦犯者たちのやった事なのだから、今の日本人が何で恥ずかしいと思う必要性が有るのか?
寧ろ恥ずかしいと思う気持にどこかそういう行為を肯定する気持ちが有るのかな…
女性からすると「男のみすぼらしい意地」にしか見えなくて、
そういう男はダサいとしか言いようが無いと…
ウチの魔仙妃ちゃんは言ってます。
やったのバレバレで「俺を信じてないのか!!」
なんて言いきるアホ男子に見えるそうです。
因みにオッサン先生が「女にもそういう事言うのが居るぞ」
と突っ込んだら、「お前も同類か?」
と突っ込み返されて…「一般例です」と言って濁したのはさて置き…
「平和の像」だけを焦点に充てて見る限り
法律に違反する表現では無く、寧ろ政府の見解に反するだけのモノなのだから、公共の福祉に反するとすれば違憲と成ります。
【公共の福祉とは…】
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利という条文で、マナーやモラルといった事は個人の「幸福追求」の方に該当し、思想に関しても同じです。そいう意味で「公共の福祉」という部分から外れるのが当然で、あくまで「公共の福祉」と規定される部分は法律で定められた範疇でしか表現できなく成ります。
いわばルールは法律上の契約を前提として成立するモノであり、マナーは個人個人のモラルの基準に依存して共通認識として規定できないものです。
その上で社会的にいわば公共で順守すべきモノは法令、政令として定められるわけで、それを順守する行為が「公共の福祉」に成ります。
【福祉とは】
https://ja.wikipedia.org/wiki/福祉
すべての国民に最低限の幸福と社会的援助を提供するというモノで、すべての国民が最低限の幸福が得られる条件となると、民主的な法則によって定められた法令のみが安全、生活、環境等を国が行える援助として保証できる意味と成ります。それ以外のルール等はすべての国民に最低限の幸福を与える意味では個々の納得を得る上では不公平が生じ、あえて「公共」としたうえでは公が共にする意味でも、法令、政令のみの対象以外は含まれません。
因みに社会福祉は社会・福祉で福祉の中の一環のものと成ります。
憲法13条の条文全体を考えても「福祉」という言葉そのものに該当する意味に成りますが、どの道、思想的な理由を元に「公共の福祉」とすることは出来ず、無論逆も然りです。
故に文化庁及びアホの尻尾である文科相の行為は違憲行為であり、更には犯罪行為を容認してそれを理由に支援を打ち切ると言う話に成れば、これは重罪に値する行為と成ります。
公共の福祉に反する言動で言えば、寧ろN国のタチバカ…
あゴメン鼻が詰まった…
あれの「無実な人々を虐殺する」という方が問題で、
彼の発言は動画サイトも含めて全て消去するぐらいの事は有っても良いかと。
まあ、魔仙妃ちゃんに言わせれば、
虐殺OK、でも無実な人は無実だからNG。
寧ろバカな奴なら話に乗ったとして、
先ずタチバカ…鼻が詰まった…
君はその馬鹿の典型なので、まず君自身がその犠牲になってくれ。
だそうです。