マックス・バーバコウ監督、アンディ・サムバーグ、クリスティン・ミリオティ、J・K・シモンズ、カミラ・メンデス、メレディス・ハグナー、タイラー・ホークリン、デイル・ディッキー、ジャクリーン・オブラドース、ピーター・ギャラガー、ジューン・スキッブほか出演の『パーム・スプリングス』。2020年作品。PG12。
Kate Bush - Cloudbusting 出演:ケイト・ブッシュ ドナルド・サザーランド
2019年11月9日、カリフォルニア州パームスプリングス。タラとエイブの結婚式に恋人のミスティと出席したナイルズは、花嫁のタラの姉サラと意気投合してその夜、荒野でふたりでいい雰囲気だったところ、いきなり矢で射られる。混乱するサラをあとにしてナイルズは洞窟の中へ。サラも彼を追って入ったところ、結婚式当日の朝に戻ってしまう。それから彼らは永遠にあの一日の中に閉じ込められることになる。
ネタバレがあります。
映画評論家の町山智浩さんが去年作品紹介されていたのを聴いていたんですが、結構前なので思いっきり忘れていたところ、公開後とても評判がいいので観てきました。
週末だったこともあって映画館は結構混んでたし、この映画にも人が入ってました(予想通り、劇場パンフは売り切れてた)。若いカップルが多かったなぁ。あとは女性のお一人様。僕みたいな独り客の中年男性は見事なまでに見かけなかった。
観た人たちの間では評判がいいし、やっぱりこういう作品は皆さんチェックしてるのかな。
いわゆるタイムループ物、あるいはループ物と呼ばれる作品の一つだけど、僕はその手のジャンルに詳しくないので見当違いなことを書くかもしれませんがご容赦を。
この映画を観て連想したのが『アバウト・タイム~愛おしい時間について~』。
この『パーム・スプリングス』がお気に入りになったかたには、『アバウト・タイム』もお薦めですよ(^o^)
厳密には“ループ”ではないのかもしれないけど、何度も何度もしつこく過去のある時点に戻ってやり直す、という展開が似ているし、こういうジャンルにとても多いけど、恋愛がらみという共通点がある。
時間をさかのぼるわけじゃないけど、ドリュー・バリモア主演の『50回目のファースト・キス』のような記憶障害・記憶喪失モノの中にもやはり同様のテーマを見出せる。
なんで「恋愛」を絡めた話が多いのかといえば、「同じ時間を繰り返す」という現実には不可能な状況、「IF(もしも)」の世界を描くことで逆説的に「今、この一瞬」のかけがえのなさを実感することに繋がるから。
恋愛こそ、「時間」が重要になる。
ほんの少しのタイミングで人と人は出会いもすれば、すれ違いもするし別れたりもする。
永遠に続く幸せな時間などないことを多くの人たちはわかっているからこそ、フィクションの中で描かれる「運命の出会い」や「繰り返される時間」に心惹かれる。それはすなわち「死」を意識することでもあり、結果的には「人生」そのものについて考えることにもなる。
この『パーム・スプリングス』も、まさにそういう話。
ゆえに、結論は予想しやすくなっている。その過程を楽しみ、偶然が必然に変わる瞬間の驚きと悦びに浸るべきなんだな。私とあなたが今ここで一緒にいることは奇跡的な偶然であると同時に、だからこそ「運命」なのだ、と。
いくらでも深く掘り下げられることをコメディタッチで描くことで、笑わせながらあとにいろんな想いが残る。
ナイルズ役のアンディ・サムバーグは『ブリグズビー・ベア』に、またサラ役のクリスティン・ミリオティは『ウルフ・オブ・ウォールストリート』に出演してたそうだけど、すみません、どちらも覚えてない。
アンディ・サムバーグの、いかにもアメリカのこの手のコメディに出てきそうな顔つきやお気楽キャラと、目の大きさがひと際印象的なクリスティン・ミリオティ。
彼女が演じるサラは最初は脇役然として出てくる。妹のタラを演じるカミラ・メンデスの方がヒロインっぽい美人さんなので(その彼女の前歯を思いっきりへし折って歯抜けヅラを見せるという意地悪w)、その姉で結婚式でも居心地悪そうにしているサラは最初は主人公にしてはイマイチ地味な感じなんだけれど、映画が進んでいくにつれてどんどん魅力的で可愛く見えてくるんですよね。
ナイルズは何考えてるのかよくわかんない飄々とした奴だし、サラはサラで意外とアグレッシヴというかマイペースでけっしてお行儀は良くない。このどこかひねくれたところのあるふたりの珍道中といろんなパターンの一日を何度も何度も試しながらお互いを知り、やがて惹かれ合っていくところが見どころで、コメディだから退屈もしないし、どうせ最後はくっつくんだろ、とわかってても楽しめました。
サラの妹タラの結婚相手エイブ役のタイラー・ホークリンはTVドラマでスーパーマンを演じている人で、そういう俳優さんを結婚前夜に結婚相手の姉とヤッちゃうような男の役でキャスティングしてるのが可笑しいw
映画の初めの方で結婚式のスピーチをしたナイルズに「いいスピーチだった」と声をかける可愛らしい老婦人を演じているのは、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』で主人公の母親を演じていたジューン・スキッブだけど、彼女は映画の終盤でやはり妹の結婚式でスピーチしたサラに同じく声をかけて褒める。あのおばあちゃんも、もしかしたらループを…?ということ。
目を覚ますとまた同じ一日に戻ってしまうという、悪夢のような“ループ”に囚われてしまったサラたちの前に現われてナイルズの命を狙うロイ役のJ・K・シモンズは『セッション』の鬼教官役の人だけど、絶妙な配役ですよねw
出ずっぱりではないし実は出番はそんなに長くはないんだけど、強烈な存在感を残すし、若いナイルズたちに対して老いや死というものを意識させる重要な役割も担っている。
ロイはある意味では年を取ってからのナイルズというふうに受け取れなくもない。
ナイルズのとばっちりを受けて同じ一日しか送れない呪いをかけられたロイは復讐のためにこれまでに何度もナイルズを殺そうとしてきたが、やがて彼の前に姿を現わさなくなる。
それなりにいい歳ながら妻との間に子どもをもうけていた彼は、まだ幼い子どもたちの成長する姿を見られないことを悲しむが、愛する妻やずっと庭で“クソ”に水をやり続けている息子、可愛い娘との永遠の一日を楽しむようになる。
彼の心境の変化は、やがて訪れるナイルズのそれなのかもしれない。
永遠に続く一日を選ぶのか、それともいずれは失われてしまうかもしれない変化していく日々を取るのか。
後者を選ぶことは、失うツラさを恐れずに可能性に懸けて一歩前へ踏み出してみることでもある。
サラと出会って、彼女もループを経験するようになる前に実は何度も彼女とエッチしていたナイルズは、一歩踏み出すことを恐れていた。このままここにとどまればサラとずっと一緒にいられるが、このループから抜け出てしまったらいずれ彼女との関係が破綻して二度とめぐり逢えないかもしれないから。
一方のサラは、なんとしてでもこの永遠に続く繰り返しの毎日から脱出しようとする。明日を目指して。
その手段が面白いんですよね。
ここでは時間は無限にあるから、彼女は読書とオンラインでの講義で量子物理学を猛勉強して、ループから抜け出す科学的な方法をついに突き止める。
『アベンジャーズ/エンドゲーム』でアイアンマンがやってたのと同じことを実現させてしまうサラ(^o^)
前に進むことを躊躇するナイルズと、前進しようとするサラのこの違い。
結局、取り残されるよりも再び彼女と出会って新しい関係を築いていく方を選ぶナイルズ。
あの場面でケイト・ブッシュの曲「Cloudbusting」が流れていて、耳に残りました。
なんでケイト・ブッシュなのか気になったけど、ウィリアム・ライヒの“オルゴン集積器”について唄っているこの歌から、やはり精神分析の方面を連想します。飽くなき探究心についても。
人生とは明日をさがして進むこと。
翌日の11月10日にたどり着いたサラとナイルズは、早速持ち主が誰なのかわからなかった家のプールでこれまでのようにくつろいでいたところ、帰ってきたその持ち主一家から「誰だ」と問われる。
変化はなんて新鮮なんだ。新しい朝が始まった。
ところで、ナイルズは以前「多元宇宙」がどうとかって言っていたように、ここで描かれているのはいくつもの可能性の世界がそれぞれ同時に別々に存在する世界(アベンジャーズもそうでしたが)のようで、だからナイルズとサラが去ったあとにロイが出会ったナイルズは別人なんですね。
目の前にいる仕事中のナイルズはロイとは“初対面”だった。ロイは、かつて彼をループに巻き込んだナイルズがサラとともに“明日”に向かったことを理解する。
ロイ自身はループの中に取り残されてしまったわけで、いくら愛する家族と一緒とはいえ永遠に変化しない世界で死ぬことさえできないというのは、まさに「煉獄」のような苦しみなんじゃないかと思うんだけど、この物語は「寓話」で現実には永遠に死ねないなんてことはないんだし、ナイルズが同じ日を繰り返すようになった原因については見事なまでに語られないので、どうしてそうなったのか、という謎の理由は重要ではなくて、「今、この瞬間」について考えてみることが目的だったことがわかる。
この映画で描かれた「繰り返される同じ一日で無数に試みられること」って、よーするに現実の世界で人が頭の中であれこれと想像することの喩えですよね。その“可能性”の中から一つ一つ選択する。
それは取り返しのつかない決定。この一日はけっして永遠に続いたりなどしないからこそ、大切にしようと思える。
誰かと出会ったり関係を築いたり別れたりすることの不思議さをあらためて感じることで、それらがいかに素晴らしい経験なのか追体験するような、そんな映画でしたね。
ちなみに、ちょっと前に観た『ノマドランド』(祝・オスカー受賞!)でも似たような土地が舞台で、でもこの『パーム・スプリングス』では荒野のリゾート地で結婚式を挙げてる人々は裕福そうだったのが、『ノマドランド』では高齢者たちが定住することもなくひたすら働き続けて旅する日々を送ってました。この違いになんだかボンヤリとしてしまう。
フランシス・マクドーマンドが演じていたあの女性も、もしかしたらパームスプリングスまで来てゴルフ場とかで働いていたのかもなぁ。
気軽に笑って観ていられるコメディにも、そんなことをふと考えてしまったり。
ナイルズとサラが砂漠で目にしたあの恐竜たちは、監督によれば何かの比喩ではなくてほんとに恐竜を目撃した、ってことなんだそうだけど、そういえば『ノマドランド』にも実物大の恐竜の模型が出てきていましたよね。
恐竜って物凄く長い間この地球で繁栄していたけど、やがて滅んでしまった種族の象徴でもあって、悠久の時を思わせる存在でもある。
この先、どんな人生が待っているのかはわからない。これまでよりももっとツラい経験をするかもしれないし、その傷は二度と治らないかもしれない。
それでも明日は来る。その明日をどう生きるかは自分次第。自分で決める。サラがそうしたように。
笑えて、考えさせられもする映画でした。
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