ライアン・ジョンソン監督、ブルース・ウィリス、ジョセフ・ゴードン=レヴィット、エミリー・ブラント出演の『LOOPER/ルーパー』。2012年作品。PG12。
2044年。タイムマシンで未来から送られてくる人間を始末する“ルーパー”を生業とするジョー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、報酬を貯めてフランスへ行く夢をもっていた。だが“ルーパー”にはけっして逃れられないルールがあった。
予告篇を観て昨年からけっこう楽しみにしていました。
まず、観てるあいだずっと、主人公のジョーを演じるジョセフ・ゴードン=レヴィットの“鼻”が気になってしかたなかった(^o^;)
もしジョセフ・ゴードン=レヴィットという俳優さんの顔を一度も見たことがなかったり、この映画の主演を彼だと知らなかったら別になにも感じないかもしれないけど。
で、ジョーはヤク中という設定らしくしょっちゅう目頭を指で押さえるので、付け鼻が取れやしないかヒヤヒヤした。
なんで付け鼻してるのかといえば、ブルース・ウィリスの顔に似せるため。
ようするにジョセフ・ゴードン=レヴィットはブルース・ウィリスの若い頃を演じている。
映画がはじまってすぐ、この世界での設定を主人公のジョーが説明してくれる。
舞台となる2044年のさらに30年後にはタイムマシンが発明されている。
しかし、その時代ではタイムリープは違法行為である。
また人は体内のナノロボットによって完全に管理されているために、誰かが殺されるとすぐにバレてしまう。
そのため殺したい人間を拉致してまだタイムマシンが存在しない過去の2044年に送り、そこで“ルーパー”とよばれる始末屋に殺させる。
ルーパーは仕事の報酬に、未来から送られてくる標的の身体にくくりつけられた銀の延べ棒をうけとる。
だが、秘密を守るためにルーパーはいずれ未来から送られてくる“自分自身”を殺さなければならない。これを「ループをとじる」という。
もし未来の自分を殺さなければ、永久に組織から追われることになる。
以上がこの映画の基本的な設定。
観る前には『マトリックス』に匹敵する面白さ、みたいな宣伝文句が謳われていた。
批評家の評価も高いらしい。
設定だけみるとなんとなくキアヌ・リーヴス主演の『JM』みたいなB級SFアクション物のようでもある。
そういういかにもジャンル物っぽい外見で、ストーリーの巧みさやアクションで魅了してくれる作品は大好物なのでおおいに期待した。
でもさっそく結論をいってしまうと、残念ながら期待してたような面白さは感じられませんでした。
だまされた感の方が強い。
むしろどこがそんなによくできているのかまったくわからなかったので、なにか重大なものを見落としたのでは、と思ったほど。
そんなわけでどうも困ってしまった。
なので、どうして僕には面白くなかったのか、映画のストーリーを追いながら考えていくことにします。
以下、ネタバレしていきますのでご注意ください。
この映画は近未来が舞台で超高層ビルがそびえたつ都市の風景やタイムマシン、ジェットバイクなどSF的なガジェットはいくつも出てくる。
でもおなじ未来世界を描いていても、たとえばおなじくブルース・ウィリスが主演した『フィフス・エレメント』のような観客を「見る快楽」で酔わせるような場面がまるでない。
そもそも「SFアクション大作」ではないので、そういう映画を期待してしまうとものすごい肩すかしを食らいます。
アクション場面にしても、敵との銃撃戦での肝腎の見せ場がどれも根こそぎ省略されていたりする。
それはもう毎回「わざとなのか?」と思うほどに。
30年後の未来から派遣された組織のボス、エイブが撃たれるシーンすらなくて、やはり30年後からきたジョーが大暴れした次のカットではもう死んでる。
エイブの手下で、デカい銃でしょっちゅう自分の足を撃ちまくっている男キッド・ブルーとの対決もそう。
現在のジョーが銃を撃った次のカットでは彼は撃たれてたおれている。
僕が単純に「あまり面白くないなぁ」と思ったのは、そのそっけなさだった。
アクション場面にこだわりがないというか、あえて描かない、みたいな撮り方をしている。
“ルーパー”の仕事は刹那的で、どんなに金を貯めこんでも30年後の未来から送られてきた自分自身を殺すことでみずからの“ループ”はとじられて、余命は30年となる。
ジョーは毎日のように未来から送られてくる人間を殺し、気晴らしに店でお気に入りの女を抱き、ドラッグを目にさす。
ある日、仲間のセス(ポール・ダノ)が未来から送られてきた彼自身を殺し損ねて逃がしてしまう。
このままでは自分が組織に殺されてしまうため「かくまってほしい」とやってきたセスを床下にかくすジョーだったが、即座にボスのエイブ(ジェフ・ダニエルズ)のもとに連れて行かれる。
エイブはジョーにフランス行きの夢を果たしたければセスを引きわたすように迫り、ジョーはいわれたとおりにする。
セスは捕まり、未来から送られてきた老いたセスもまた殺される。
このくだりがちょっとわかりづらかった。
現在のセスから逃げた未来のセスは腕に刻まれていた場所にむかうが、その途中でどんどん身体が朽ちていって、指定場所に着くとそこにはすでに現在のセスを捕らえたルーパーの一人、キッド・ブルーが待ちかまえていてとどめをさす。
現在のセスが死ねば未来の彼もどうせ消えるのだからわざわざ殺す必要はないのでは?などと思ってしまったんですが、どういうことだったのだろう。
それと、僕はポール・ダノ演じるセスがその後もストーリーにからんでくるもんだと思っていたので、彼がさっさと捕まって殺されてしまったのにはちょっとあっけにとられてしまった。
これではサスペンスにならない。
いずれ殺されてしまうにしろ、セスはここはひとまず生きのびてあとでジョーの前に姿をあらわすとか、ふつうはそういう筋書きになると思うんだが。
もちろん、これはのちにジョー自身がセスとおなじ状況に置かれることを説明しているのだし、最初にジョーが自分のために仲間を見殺しにしたことを描いておいて最後の彼の変化と対比するためなのはわかるのだが、どうも本来ならばさくさく描くべきところをこの映画はけっこう時間をかけるので、僕のように勘違いしてしまう人もいるんじゃないだろうか。
たとえば風俗店で現在のジョーがいつも指名するシングルマザーのスージー(パイパー・ペラーボ)もまた、なにか意味ありげに登場しながらけっきょくはただの脇役にすぎない。
反対に、かなり後半になって唐突に出てくるエミリー・ブラント演じるサラとその幼い息子シドは物語の主要人物となる。
いつのまにか現在のジョーは彼らを守ることになって、他方で思い入れたっぷりに描かれていた未来でのジョーとその妻の物語はなんだかボンヤリとしてくる。
物語がどこにむかってるのかよくわからず、そもそも主人公が現在のジョーなのか、それとも未来のジョーなのかも判然としなくなってくる。
このように、この作品にはキャラクターの使い方や話の展開に「?」と感じる部分がずいぶんとある。
いや、その予想のつかなさこそがねらいなんだ、といわれれば「ふーん、そうですか…」としかいいようがないんですが。
でもそれって計算によるものじゃなくて、結果的によくわからない話になっちゃったってだけのような気が…。
あと、ジョーがいつも目にさしてる目薬みたいなの、あれもなにか意味があるのかと思ってたんだけどよくわからなくて、後半になってサラとのやりとりでようやくあれがドラッグだったことがわかったぐらい。
とにかく、なんか意味があるようでじっさいにはどれも特に深い意味などないのだ。
未来から送られてきたジョー(ブルース・ウィリス)は、彼を殺そうとした現在のジョーの不意を突いて逃亡する。
未来の自分を取り逃がしたために現在のジョーは組織に命をねらわれる。
同時に逃げた未来のジョーも追われるが、しかし標的である未来のジョーは運が悪いことに“ジョン・マクレーン刑事”だったので誰もかなわなかった。
もう、悪人たちが気の毒になってくるほど無敵なんである。
このあたりも、あくまでも生身の人間だったはずの男がいきなり『エクスペンダブルズ2』みたいなぜったい死なない身体になって銃器を乱射して敵を壊滅させるので映画の“リアリティ・ライン”がブレブレで、映画館でも客席から失笑が漏れていた。
まぁ、この映画の数すくない面白がりどころではある。
彼の目的は、未来で彼の妻を殺した「レインメーカー」という男を殺すことだった。
「レインメーカー」の正体は不明で写真もない。
2044年の時点ではまだ少年のレインメーカーの情報を手に入れた未来のジョーは、標的を3人にしぼって1人ずつ殺害していく。
こうやってストーリーを思いだしながらつづっていると、別にお話自体はふつうに面白そうだと思うでしょう。
ただしストーリー運びにしても編集のテンポにしてもアクション映画のそれとはいいがたい。
では、これもブルース・ウィリス主演の『12モンキーズ』のようなSFミステリ風味のドラマなのかといえば、どうやらそうでもなくて。
この映画と『12モンキーズ』をならべて論じている人もいるようだけど(たしかにちょっと似てるところはあるが)、僕はこの映画からは『12モンキーズ』で描かれた「時を越えたありえない悲恋」や「なるほど、そういうことだったのかΣ(゚д゚;)」というみごとなストーリーテリングに対する感動のようなものをまったく感じなかった。
テリー・ギリアム監督の『12モンキーズ』を僕は傑作だと思っていて、いまでもときどき観たくなるし、オチがわかってても観るたびに胸にぐっとくる。
いっしょにされては困る。
『ルーパー』も、人によってはふつうのSFアクション映画だと思ってたら違っていた、というところに意外性を感じて、そこに面白さを見いだすことはできるかもしれないが。
この映画を観てまっさきに僕の頭に思い浮かんだのは、マット・デイモン主演でたまたまこの映画とおなじくヒロインをエミリー・ブラントが演じていた『アジャストメント』だった。
いや、ストーリーはまったく違うんだけど、観終わったあとのなんともいえない狐につままれたようなあとあじが似てるなぁ、と。
『アジャストメント』の原作はフィリップ・K・ディック。
僕はフィリップ・K・ディックの小説を読み終わったあとに「面白かったー」と満足するのではなくて、毎回ちょっと途方に暮れる。
もはや面白かったのかつまんなかったのかすらよくわからない、あの奇妙な感覚。
徒労感やある種のむなしさ、といってもいいかもしれない。
『ルーパー』のシナリオは監督自身が書いていて、ディックとは関係ないようですが。
僕が『ルーパー』を観てディックの作品を連想したのは、前半と後半で別の映画のようにも感じられるストーリーの迷走ぶりや「超能力」の使い方にもある。
タイムマシンというSF的小道具を使った現在と未来の主人公たちの追跡劇は、後半になってなにやら奇妙な展開をみせる。
この世界では突然変異で超能力をもつ者たちがうまれていた。
超能力、といってもせいぜい手の上でコインを浮かすことができる程度で、女性をクドくときぐらいにしか使い道がない。
映画の序盤で殺されてしまったセスも、またサラもこの能力の持ち主であった。
未来のジョーが命をねらっていた少年シドは、そのなかでも特別な力をもっていた。
彼の能力は、心が激しく動揺したり怒りを感じると発動する。
あるとき、ちょっとしたきっかけでシドはサラを「ほんとうのお母さんじゃない、うそつき!」とものすごい剣幕でとり憑かれたようにののしる。
似たような映画を以前観た。
フアン・アントニオ・バヨナ監督の『永遠のこどもたち』のなかにほとんどおなじシーンがある。
僕はあの映画は、母親の子どもに対する怖れのあらわれなんじゃないかと思った。
子どもは傷つきやすく、その命は非常にあやういバランスで保たれている。
『永遠のこどもたち』はそういうことを描いた映画だと思った。
で、『ルーパー』の方はというと、どうやら「怒り」や「憎しみ」と関係がありそうなのだが、これがどうもよくわからない。
これと主人公のジョーの物語とはなんの関係があるんだろうか。
ほんとに前半の話と乖離しているように感じられた。
追っ手から身を隠して、自分の生い立ちをシドに話すジョー。
ジョーはヤク中だった母親に捨てられた過去をもつ。
しかし母の孤独を理解したジョーは、いまでは彼女のことを許している。
一方のシドはサラの姉にあずけられて育てられたが、やがてサラがもどってきてふたたび彼女と暮らすことになった。
シドはサラを自分を捨てた人間としていまも恨んでいる。
これまたなんだか最近似たような映画を観た。
クリント・イーストウッド主演の『人生の特等席』である。
エイミー・アダムス演じる娘は幼い頃にイーストウッド演じる父親と引き離されて、大人になったいまでもそのことで父親とのあいだにわだかまりがある。
…と長々と書いてきてきりがないんでこのへんでやめますが、このあたりの描写を観ていて、僕はおもわず「なにが描きたいんだかよくわからん」と途方に暮れてしまったのだ。
シドが母親のサラに感じている怒りの理由がよくわからない。
サラがシドとの関係のことで言葉を濁し、ジョーに姉の死のことでつく嘘がよくわからない。
どうやらシドの超能力によってサラの姉は事故死してしまったようで、シドが怖ろしい超能力をもっていることをジョーに隠しておきたかったからのようだが、シドがふつうの子どもではないことは観客にはすでになんとなくわかっているので、なにやらモタモタと話が停滞しているのがなんとももどかしく、「その話もういいよ」とイライラしてきた。
ちょっと書いてて自分でも混乱気味ですが(意味不明な文章でスミマセン)、とにかくこうやってストーリーを追うのもしんどくて、しかしそれは話が複雑だからとか難解だからではなくて、あれこれといろんな要素がぶちこまれていながらそれらがまるで整理されていないからではないかと思うのだ。
シドは一種の化け物で、その超能力で追っ手の一人を宙に浮かせて内臓を破裂させる。
なんかちょっとスティーヴン・キングも入ってるような気が。
最後は“マクレーン刑事 対 悪魔の子ダミアン”の異種格闘技戦みたいな様相を呈してくる。
こうやって書くと笑える場面みたいだけど、でも怒りや憎しみをかかえた少年が成長して世のなかからルーパーたちを抹殺しはじめる、という話に超能力とかほんとに必要だったんだろうか。
僕はホラーやそっちの方面にはまるで疎いんでわかんないんだけど(今回はわかんないことだらけですが)、こういう展開はわりとポピュラーなんでしょうか。
僕はこれは「珍作」の部類に入る作品だと思うがなぁ。
シドを演じる子役の男の子は血まみれになったりして熱演だったけど、シド君のブチギレ方が家庭で荒れる少年の凶暴性をおもわせて僕はとても気分が悪かったです。
それから、これもなにか僕の思い違いだったらすみませんが、そもそも未来では人を殺せないはずなのに、ジョーの妻はふつうに撃ち殺されてたのはどういうわけだろう。
人を殺せないから過去に送るんじゃないのか。
ってゆーか、マクレーン刑事があんだけ無敵だったらわざわざ過去にもどってこなくても未来で「レインメーカー」(このもったいぶったようなネーミングもよくわからんが)の手下たちを全滅させられたんじゃないのか、とかどんどん雑念がわいてきて、まったく入りこめませんでしたよ。
この映画はきっと「怒りや憎しみや暴力の環を断ち切って、誰もが人のために自分を犠牲にする心をもてば世のなかは平和になる」みたいなことをいいたかったんだろうけど、でも悪循環を断つ方法が「自分を殺す」ってのもなんだか納得しがたいものがあって。
SFとかファンタジーとかって現実の世界のさまざま事象の“メタファー”として見ることが可能で、だからこの映画もなにかの「たとえ話」ととらえれば(自己本位的な心を殺す、とかいう意味で)、理解できなくもないですが、だから映画が面白いかといったらそれはまた別の話。
「これはこういう意味です」といわれれば「なるほど」と納得するかもしれないけど、最後にもう一度くりかえしますが、僕にはこの映画の面白さがわかりませんでした。
おことわりしておくと、僕はいつもこうやって映画の感想で屁理屈をこねてるけど、あくまで“理屈”はあとからついてくるもので、映画を観ている最中にいちいち頭のなかでここが優れているから面白いとか、あそこがダメだからつまらないなどと考えてるわけじゃなくて、面白いかそうじゃないかの判断は感覚的なものです。
それをあとになってからあれこれ理由付けしてるだけで。
よく「できあがったものをあとで部外者が、ああすればよかった、こうすればよかったというのはたやすい」というけど、ではそういう議論は無意味なのかといったら僕はそうは思わない。
映画の楽しみって、映画館を出てからもつづくものだから。
「この映画はなぜ面白くなかったのか」という、誰も得をしないような実りのない文章を書き散らしてきましたが、個人的にはこうやって文句をいうことも“映画を味わいなおしている”作業の一環なので、ご容赦ください。
けっして映画が憎くてやってるんじゃありませんよ^_^;
で、もしこの映画を「面白い!」と感じられたかたは、どのあたりがどのように面白いのか(めんどくせー奴だな)ご教示いただけると幸いです。
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