コリン・トレヴォロウ監督、クリス・プラットブライス・ダラス・ハワードニック・ロビンソンタイ・シンプキンスヴィンセント・ドノフリオB・D・ウォンオマール・シージュディ・グリアジェイク・ジョンソンイルファン・カーン出演の『ジュラシック・ワールド』。



叔母のクレアが働く、生きた恐竜たちが飼育されている「ジュラシック・ワールド」に観光に行くことになったザックとグレイの兄弟。しかしクレアは忙しくて甥たちの面倒を秘書のザラに任せる。パーク内で肉食の獰猛な恐竜ヴェロキラプトルたちを訓練しているオーウェンは、クレアからさまざまな生き物の遺伝子を掛け合わせて作られたハイブリッドの大型肉食恐竜インドミナス・レックスの存在を知らされるが、高くて頑丈な防壁で守られているはずの飼育エリアからその凶暴な恐竜が姿を消す。


感想のタイトルはゴジラ映画のタイトルをもじったものです。たまたまこの時期ですが、深い意味はありませんので。

スティーヴン・スピルバーグ監督の『ジュラシック・パーク』1作目は93年の劇場公開時に観て、スクリーンの中に蘇った恐竜たちの姿に震えました。




パークの遠景が映ってブロントサウルス(アパトサウルス)や頭の形が特徴的なパラサウロロフスたちが水を飲んでいる様子にジョン・ウィリアムズによるあのテーマ曲が流れると、言い様のない感動に襲われた。




今回の最新作でもこの“テーマ”は使われているけど(『ジュラシック・ワールド』の音楽はマイケル・ジアッキーノが担当)、やはりあのジョン・ウィリアムズの旋律の力は絶大で、あのお馴染みのメロディを聴くだけで自動的に心はジュラシック・パークの世界へ。

その後、映画でそれまでのストップモーション・アニメに替わりCGによって生き物が描画されるようになるきっかけを作った、映画史的にも非常に重要な作品だと思います。

そしてこの映画が素晴らしいのは、恐竜たちの登場や人間たちとの共演に公開から22年経った現在でも感動を覚えること。今なお映画としての魅力が褪せていない。

これはCGの力ももちろんあるが、スピルバーグのサスペンスの見せ方(恐竜がなかなか姿を見せずにジラす演出など)が優れているからに他ならない。

また、CGが強調されがちではあるけれど、Tレックスことティラノサウルスは実物大のロボットも作られてCGと併用されているし、この映画で一躍有名になった“ヴェロキラプトル”も場面によってCG以外に人間が中に入るスーツタイプが使い分けられていて、そのためこれ以降に作られたCGだけで生物を描いた映画よりもはるかにリアリティがあった。

子どもたちが施設の中でラプトルに追いつめられるシーンは、雨の中でTレックスに襲われる場面と並んでVFXの迫力とスピルバーグのサスペンス演出が見事に相乗効果をあげていて、特に印象に残っている。

 


僕は今回、シリーズ最新作を観てこの第1作目をとても強く連想しました。

それは作り手たちも意図的にやっていることで、随所に1作目を彷彿とさせる場面、描写がある。

 


ちなみに、1作目でパークを危機に陥れる太った男ネドリーを演じていたウェイン・ナイトは最新作への再登場を熱望していたが、ネドリーはエリマキ恐竜ディロフォサウルスに食い殺されてしまったようで実現せず。その代わりエリマキ恐竜は出てきます。どこに出てくるかは観てのお楽しみ。




さて、今回は公開初日に観てきたんですが、IMAXで観る気マンマンだったにもかかわらずその日はIMAXには他の作品(日本製の某巨人映画)がかかっていて観られず、やむなく通常のスクリーンで3D字幕版で鑑賞。

まぁ、それでも愉しめましたけどね。IMAXならより見応えがあっただろうからちょっと悔しい。

この夏観る「夏休み映画」としては以前からかなり期待していた作品だし、実際迫力ある映像は堪能できたんで観にいってよかったです。

シリーズをずっと観続けている人はもちろん、「ジュラシック」シリーズを観るのはこれが初めて、という人でもお話はわかるように作ってあるので、「面白かった!」と満足されるかたは多いと思います。

それを前提に、ストーリー面など気になった点などを交えて感想を書いていきます。

今回の『ジュラシック・ワールド』とともに1作目の『ジュラシック・パーク』のネタバレも含まれますので、未見のかた、これからご覧になるかたはご注意ください。



今回の第4作目には、これまで主人公として、あるいはゲスト出演という形で姿を見せていたグラント博士(サム・ニール)をはじめ、エリー(ローラ・ダーン)、マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)、「ジュラシック・パーク」の設立者でインジェン社の社長ジョン・ハモンド(リチャード・アッテンボロー)などは登場せず、主要登場人物は一新されている(唯一、B・D・ウォン演じる遺伝子学者のヘンリー・ウー博士が1作目に続いて再登場している)。




ただシリーズ1作目から設定は続いていて、「ジュラシック・ワールド」と名を変えたパークはイルファン・カーン演じるマスラニがインジェン社をハモンドから買収して造ったもの、とされている。

1作目では琥珀の中の太古の蚊が吸った血液を採取して遺伝子操作によって生み出された恐竜たちが飼育されている「ジュラシック・パーク」はまだ一般に公開される前の状態だったが、この「ジュラシック・ワールド」にはすでに多くの人々が来園している。

映画の冒頭でしばらく両親から離れてジュラシック・ワールドに行くことになったザックとグレイとともに、映画の観客はこの巨大テーマパークを回ることになる。

 


このあたりは生きた恐竜たちがいる観光施設が実在しているような錯覚に襲われるし、童心に帰ったような気持ちになる。

恐竜の赤ちゃんとふれあえるエリアなんて、兄のザックは退屈そうだったけど観ていてほんとに和む。

さながらイルカかシャチのショーのようにプールの上に吊り下げられたサメをひと飲みにする巨大なモササウルスは、インドミナス・レックスとともに本作の目玉恐竜でもある。


実在したモササウルスは最大でも18メートルほどだったらしいけど、この映画でははるかにデカく見えるんですが。


前作から14年経っていることもあってVFXの技術はさらに進んで、3作目では時々CGがいかにもなCGとして「絵」っぽく見えてしまっていたのが、特に人間と恐竜とのカラみの場面など映像的な不自然さを感じさせることなく、より本物らしく仕上げられている。

このように映像的な見応えは十分あるので、それだけで劇場に足を運ぶ価値はあると思います。

恐竜好きの人なら興奮すること請け合い。

そういう部分は大いに認めつつも、物語的には疑問点が多い。

ヒロインのクレア(ブライス・ダラス・ハワード)はマスラニからパークの運営を任されているが、倫理的な問題を孕む「ハイブリッド」には肯定的で、それで客を呼べると信じている。

結局、凶暴な新種のハイブリッド恐竜、インドミナス・レックスはその頭のよさと残虐さが災いして施設から逃走、多くの人々や恐竜たちを巻き添えにしてパークを崩壊させる要因となる。




だからクレアの考えが間違っていたことは明白なのだが、そのことで彼女が劇中で具体的に断罪されることはないし(当然彼女はこの件で責任を問われるはずなのだが)、一応もう一人の主人公でもあるオーウェン(クリス・プラット)となんだか急にイイ仲になったり、なんともお気楽な展開に。

独身のキャリアウーマンであるクレアの視点からこの映画を観て、いきなり姉に甥たちの面倒を押しつけられた彼女の立場を慮る感想を書いていた人がいて、なるほど、観る人によってずいぶんと肩入れする人物やその評価も変わってくるんだなぁ、と思ったんだけど、個人的には彼女に好感は持てなかった。

ブライス・ダラス・ハワードという女優さんは、ここんとこ『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』といい『50/50 フィフティ・フィフティ』といい、あきらかに悪役だったりいけ好かない女の役がずっと続いているけど、この映画でも「なんでわざわざこんなキャラ設定にしたんだろ」というモヤモヤ感が最後まで尾を引いた。

もしもこれまでのように脇役だったならば逆に映画を面白くしてくれただろうに、今回はヒロインだからこそ余計に釈然としないものが残る。

この映画では「命」がずいぶんと軽んじられていると思う。

こういうこと書くとすぐに「娯楽映画を素直に楽しめない奴」呼ばわりしてくる人がいるけど、この映画のストーリーをちゃんと追っていくと、どう考えたって疑問が湧いてくるはずだ。

クリス・プラット演じるオーウェンは元軍人で、現在はパークの中でヴェロキラプトルを人間の命令に従うよう訓練している。

彼にとってラプトルは動物園の飼育員にとっての動物たちと同じような存在で、油断すれば命を落としかねない危険な恐竜にもかかわらず、彼らに愛着を感じている。

しかし、檻を出て逃げたインドミナス・レックスを見つけだすのにラプトルを使うことをセキュリティ部門の責任者ホスキンス(ヴィンセント・ドノフリオ)から求められて、最初は拒否していたのになぜかその後あっさりと応じる。




そして案の定、インドミナス・レックスにはラプトルの遺伝子が組み込まれていたために仲間と認識、逆に人間たちが彼らに追われることになる。

確かにオーウェンがバイクでラプトルたちと並走する場面なんかはカッコイイんだけど、でもラプトルがどれだけ危険なのかは彼は十二分に認識していてそれは前半でしっかり見せているんだから、そんな恐竜を何頭も檻から出すことに同意するのはどう考えてもおかしくないか。

あそこはホスキンスが勝手に檻から出したためにやむなく、といった展開にした方がよかったのでは?

このように、どうも登場人物たちのほぼ全員の行動が驚くほど無責任なのだ。

少年たちは勝手に危険地帯に入っていくし、ウー博士はインジェン社の方針に従って兵器としての恐竜を作るためにインドミナス・レックスに改造を施す。

 


ウー博士は1作目では特に大きな役ではなかったんだけど(でもB・D・ウォンの表情を抑えた演技はちょっと不気味だった)、今回は殺されはしないものの完全に悪の手先として描かれている。

多分、続篇にも登場するんでしょうね。

だけど「恐竜を兵器に使う」という発想そのものが僕には物凄く陳腐に思える。

ヴィンセント・ドノフリオ演じるホスキンスの口からオーウェンにそのアイディアが話された時に、なんかとてもガッカリした。

だってそれって馬や犬を戦争に使ってたような時代に逆戻りするってことじゃん。

動物に芸を仕込んで客の前で披露させるのと戦争の道具に使うのとでは、かなりの飛躍がある。精密さが要求されるような現場で恐竜などという次にどんな行動をするのか予測できない、制御も難しい存在を利用するなんてちっとも現実的ではない。

生き物が機械のように人間の完全な思い通りにはならないのは、映画でも現実の世界でもこれまでにもう十分過ぎるほどわかってることなのに。

今さら「恐竜を戦争の兵器に」って、エイリアンと変わんないでしょ、そんなの。

 
オーウェンの「待て!」が『エイリアン2』のシガニー・ウィーヴァーがクイーン・エイリアンと対峙した時の仕草に似てるのは偶然でしょうか。


企業が黒幕、っていうのもそうだし、だんだん「エイリアン」シリーズや「バイオハザード」シリーズに近づいてる感じ。

そしてこの映画は、まさしく恐竜を兵器のように人間の代わりに戦わせるのだ。

ゴジラ映画に『怪獣大戦争』というタイトルの作品があるけど、あれもまた代理戦争のような形で怪獣たちがそれぞれ人間側や敵の宇宙人側に分かれて戦うという内容だった。

架空の生き物である“怪獣”でさえも作品の中での彼らの「死」についてはいろいろと論じられているのに、一応実在する生き物の体(てい)で描かれている恐竜たちが、人間に操られて殺しあう。

それを喜んで観ている映画の観客たち。

なんだろう、このモヤモヤ。

シリーズ化が進むにつれて、それまでの繰り返しにならないようにするために、ちょうどこの映画でクレアが語っていたようにどんどん巨大で凶暴な恐竜を登場させなければ観客に飽きられてしまう、という理屈もわからなくはないんですが。

前作のティラノサウルスを凌ぐ巨大恐竜スピノサウルスに続いて、ついに今回は架空の恐竜まで登場。

もうこうなると、この先はメカ恐竜とか出てきそうだよね。

“宇宙恐竜”とかな(それはゼッ○ン)。

恐竜はもちろん大事なんだけど、1作目の優れた点は最初に書いたようにスピルバーグによるサスペンス演出だったんだよね。

俳優たちの本当に目の前に恐竜がいるような迫真の演技こそが恐竜をさらに引き立たせていたのだし、恐竜たちも単に派手なアクションのためだけではなくて、「恐竜」というはるか数千万年も前に滅びた種族への“ロマン”、それを感じさせることこそがあの映画の最大の目的でもあった。

それと、スピルバーグはあの作品に疑似的な「親子関係」を持ち込んで、子どもが苦手なグラント博士が恐竜の脅威から彼らを守り、やがてともに人間の世界に帰っていく物語にしていた。

もちろんそこには、「恐竜」を復活させて育てる、ということも重ねられている。

スピルバーグの作品にしばしば見られる「親子」のテーマがここでもしっかりと根底にあるのだ。

どうもファンの人たちはキャアキャア言ってるようだけど、僕は最新作の主人公を演じるクリス・プラットには1作目でアラン・グラントを演じたサム・ニールのような人間味を感じないんだよね。




男前過ぎてほとんど『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のヒーローと同じに見えるし、元軍人という設定とはいえ、彼の中に怖れや苛立ち、葛藤などがまったく見えないのでハラハラしないのだ。

グラント博士は戦闘のプロフェッショナルではないからこそ、そんな普通のおじさんである彼が子どもたちを守らなければならない危機に陥る姿に観客は同じように“恐竜”という未知の生物に襲われる恐怖を感じたんだけど、この最新作の主人公のイケメンマッチョぶりが「こいつなら絶対死なないだろうな」と悪い意味でサスペンスを削いでしまっている。

これは主人公の外見だけの問題ではなくて、たとえばスピルバーグは『宇宙戦争』でトム・クルーズを子どもたちから尊敬されていないちょっと頼りない父親として描いていた。

その父親が宇宙人の襲来という未曾有の大惨事を生き延びて再び子どもたちとの絆を結び直す、という映画だったように、イケメンだからって最初からヒーローである必要はない。

必死で戦ううちに、主人公は“父親”というヒーローに成長するのだ。

「ジュラシック」シリーズって、どの作品もそういうちょっとダメな父親(または父親的人物)が父親になっていく話だったと思うんだけど、そこんとこをこの最新作は敢えてなのかそれともあまり考えていないのか、外しているんだよね。

この最新作には生身の人間の「父性」が欠落している。

オーウェンは現実的な「父親」像ではなくて、コミックヒーロー的な子どもの憧れのようなキャラクターだ。

彼がそのままインディ・ジョーンズのような超人的な活躍をしてみせても不思議ではないぐらいに(ってゆーか、実際結構インディっぽいし)。

そして、これまでは人間が科学の発達の成果によってついに生み出された「恐竜」という人知を超えた存在に翻弄されて、辛くもそこからサヴァイヴする話だったのに対して、今回は先ほどの「代理戦争」の話のように後半になればなるほど人間は恐竜たちに自分たちの代わりに戦わせるので、最後にティラノサウルスが再登場する直前まで絶体絶命の危機が続いた1作目とは似て非なるものとなっている。

最新作のクライマックスでのTレックス登場は、あきらかに1作目のそれを踏襲しているのだが、両者はまったく意味合いが異なる。

最初に書いたようにこの『ジュラシック・ワールド』には1作目のオマージュが随所に見られるんだけど、クライマックスはもはやオマージュというよりもパロディ、1作目のクライマックスを「天丼」にして笑いの域にまで達してしまっている。

だって観たらわかるけど、インドミナス・レックスにヴェロキラプトルをぶつけて、それがダメだとわかると今度はTレックス、さらにダメ押しでモササウルス、と恐竜のメガ盛り状態だもの。

それが面白いんじゃないか、と言われれば、あー、そうですね、としか返しようがないんですが。

そりゃ、僕たち観客は結局のところ恐竜たちの殺し合いを観にいってるんだけど、それでも人間たちがわざわざ恐竜たちをけしかけて殺し合いをさせる姿には抵抗を感じる。

キング・コング』や『ロスト・ワールド』(「ジュラシック」シリーズではなくて、ウィリス・オブライエンのコマ撮り特撮映画の方)などでは、前人未踏のジャングルの中で恐竜やデカい類人猿たちが戦う。

でもそれはあくまでも自然の中で行なわれる食物連鎖の一環であり、人間はかかわっていない。

人間にはまったく太刀打ちできない自然の猛威の象徴としての恐竜や巨大猿人。

つまり、自然や生き物たちへの畏れや敬いがあるんだよね。

同じようにTレックスとヴェロキラプトルたちが戦う「見世物映画」でも、スピルバーグの『ジュラシック・パーク』には人間たちの驕りへの警鐘があった。

『ジュラシック・ワールド』にはそれがない。

僕がモヤモヤするのはその点だ。

ヴェロキラプトルやティラノサウルスをまるでカプセル怪獣のように操る人間たち。

クレアはTレックスをインドミナス・レックスと戦わせるために大型の肉食恐竜を檻から出すという、もともとそのせいですべてが始まった過ちをまたしても繰り返す。

結果的にTレックスはクレアの誘導でインドミナス・レックスと戦ってくれたからいいものの、勝手に人間たちを襲いだしたらおしまいじゃないですか。

なんて都合のいい展開なんだろう。

その直前にはやはりラプトルたちが人間の命令を無視して暴走したばかりなのに。

ここでTレックスがクレアを丸呑みにしてくれてたら、映画は大ブーイングを浴びたかもしれないけど、僕は大喝采をあげていたのにな。

『ジュラシック・パーク』でもあわやのところでTレックスが登場してラプトルたちを退治してくれて、その隙にグラントさんたちは逃げられたんだけど、それはあくまでも「偶然」であってTレックスが人間たちを助けたわけではない。

でも『ジュラシック・ワールド』ではラプトルが自らの意思でオーウェンたちを助ける。

この映画では、他にも恐竜たちが何度も目と目で通じ合うシーンがある。

高い知能を持った彼らには仲間意識があり、復讐心や友情もあるのだ、ということ。

それはいいんだけど、すべての元凶は彼ら恐竜を生み出して意のままに操ろうとした人間たちであり、でも映画の中でその罪について触れられることはない。

僕は、この映画が人間の身勝手さに対してあまりに甘いので、もしかしたらこれは高度な皮肉なんじゃないかと思ったほど。

だって、ほんとにもう見事なぐらいにこれは『ジュラシック・パーク』1作目の裏返し、意地悪なパロディのようなストーリーになっているから。

恐竜は絶対に人間の意のままにはならない、というシリーズを通して何度も描かれてきた前提がこの最新作ではいとも簡単に覆される。

その気になれば、人間は恐竜を飼育して命令を聞かせることもできる、と。

生き物としての「恐竜」を扱うことに関して倫理的な問題を一切不問にして、というより茶化してさえいるように見える。

VFXの精度や演出力についてはともかく、ストーリーに限って言えば、僕は「ターミネーター」シリーズの最新作と変わらないぐらい乱暴な作りだと思う。

ザックとグレイの母親が子どもたちだけを妹に預けて自分たちは一緒にジュラシック・ワールドに来ないのは、親だけで離婚の話し合いをするためだ。

つまり少年たちの家庭はうまくいっていない。

ならば、そういう不安を抱えた少年たちが叔母や頼りがいのあるオーウェンとの出会いで成長していく話なのかといったら、そうではないのだ。

彼らは最後まで単なる災難に巻き込まれた子どもに過ぎない。

彼らの母親は忙しい妹に一方的に子どもたちの世話を押しつける。「あなたも喜んでくれると思ったのに」とか勝手なことを言って。妹が喜んでいるはずなどないのは映画を観ていればわかる。

息子たちは息子たちで、やはり忙しい中で彼らのために一緒にパークを回っていた叔母の秘書を撒いて、勝手な行動に走る。

秘書のザラがその後プテラノドンに空中に持っていかれて、そのままモササウルスの餌食になってしまうのはこいつらのせいだ。

最後に両親と再会して、実は彼らの間の問題は何一つ解決していないにもかかわらず、いつのまにか家族が再生したように描かれている。

クレアの無責任さは先ほど述べた通り。

一事が万事、登場人物たちの行動は最悪の結果をもたらし、しかし彼らは最後まで誰からも咎められることがない(『バケモノの子』の少年たちの甘やかされ方に酷似している)。

作り手に登場人物に対するなんらかの悪意がなければ、こんな展開にはしないはず。

だから脚本家や監督が意図的にツッコミ待ちのこういう「ブラック」な作品に仕上げた可能性もある。

そこを笑って楽しめるか、違和感や苛立ちを覚えるかの違いなんでしょうが、僕は後者だったんですよね。

いや、2作目や3作目の登場人物たちだってかなり身勝手だったんで(あまりよく覚えていないんですが)、この4作目の登場人物たちだけが特にヒドいのではないのかもしれませんが、少なくとも1作目を観終わった時のような「素直な」感動を僕は感じなかった。

映像は見応えあったけど、お話の方はマジでヒドいな、と。

脇の登場人物たちの動かし方も「?」だ。

最強のふたり』や『サンバ』のオマール・シーもあまり活躍せず、机が恐竜のフィギュアだらけでジュラシック・パークのTシャツを着ていてクレアから「それは脱いで」と言われてしまうメガネ君(ジェイク・ジョンソン)も、ほとんど直接危険な目に遭うことはない。

 


ホスキンスがヴェロキラプトルに食われるシーンもあまりに都合がよすぎて鼻白む。

ホスキンスはけっして善人とはいえないが、でも映画の中で殺されなければならないほどの悪事を行なっていたわけでもない。

もう、主人公たちにとって邪魔な奴らはみんな恐竜が始末してくれる。

映画の終盤、生命の危機が迫っているさなかでほとんど前後の脈絡なく子どもたちの前でオーウェンがクレアにいきなり濃厚なキスをするんだけど、僕はここで完全にシラケてしまった。

この主人公の強引なキスは、その後、メガネ君が同僚の女性にキスしようとして「恋人がいるの」と拒否られるギャグの伏線なのはわかるんだけど、あんまりな描写じゃないだろうか。

せっかくの緊迫感が台無し。

クレアの秘書のザラが空中でプテラノドンに弄ばれた挙げ句に無残にモササウルスに食われてしまうシーンなども、僕には作り手の悪ノリにしか思えなくて。

彼女はそんな悲惨な最期を遂げるほど因業なキャラではなかったし(そもそも彼女についての描写がほとんどない)、インドミナス・レックスに惨殺された(食うためではなくて楽しみで、と説明される)草食恐竜たちの命も人間の命ですらもあまりに軽く扱われている。

ってゆーか、瀕死のアパトサウルスが息絶える場面でクレアは悲しむんだけど、それ以前に大勢の人間が殺されてるんですけどね。あんたのせいで!

ただの娯楽映画なんだから、恐竜がどんだけ死のうが人間がどれだけ食われようがそんなのどーでもいいじゃないか、と言う人もいるかもしれませんが、それって作品自体を「どーでもいい」と言ってるのと同じなんじゃないですか?

ただ人が派手に食われて恐竜が戦って殺しあうのが楽しい、という人にとっては、この映画は愉快極まりない映画だろうし、そういう楽しみ方があったって別にいいと思いますが。

この映画はアメリカではジェームズ・キャメロンの『アバター』や『タイタニック』に続く大ヒットらしいし、日本でも客足は好調のようなのでヒットするでしょう。

別にこの映画が好きな人のことをとやかく言うつもりはないし、褒めるも貶すもそれは人の自由。

だから僕はここでこの映画に感じた違和感について述べました。

この先また作られるであろうさらなる続篇も楽しみにしているし、普通に映画館に観にいくつもりです。

そしてまた褒めたり文句言ったりするでしょう。それは僕の自由なので好きにさせてもらいます。

疑問に感じたことを述べたり人と議論したりすることも映画を楽しむ一環であって、それを誰からも邪魔されるつもりはない。

最近、映画の内容に批判的な意見を述べると感情的に攻撃してくる人たちがいて(つい先日もTwitterでカラまれた)正直かなりウンザリしているんですが、ちゃんとした反論なら構いませんけど「この映画をdisるのは許さない」「この映画の良さがわからないお前はバカ」的な低脳の言いがかりには付き合う気がないんで、そういう輩はお引き取り願いたい。




僕のような映画を観て屁理屈こねる奴が嫌いなら、そんな人間の書いたものは無視すればいいだけのこと。そこにいちいち難癖つけてくる奴らは単に日常の腹いせがしたいだけなのだ。

そして自分が好きなものは絶対で、ほんのちょっとの否定的な意見すら寄ってたかって叩く。そういう小バエのような連中がインターネットにはわんさかいる。

僕の『ジュラシック・パーク』に対する想いは個人的なものですが、同じようにあの映画に思い入れのある人たちとはきっと話が合うだろうし、今回の『ジュラシック・ワールド』だって「あの場面はカッコよかったね」とか「あそこはおかしいだろ」とか、いろいろと意見があると思うんですよね。

いろんな意見があって当たり前。人によって評価はさまざま。

それを認めないような偏狭な人間はこの世から消え失せればいいと思う。

映画って別に「白か黒か」を決めるものじゃないでしょう。そんな単純なもんじゃない。グレーだって、もっと他の色だってあるんだ。

そのへんを勘違いしているというか、すべてを「敵か味方か」で判断する物凄く単細胞的な人間が増えてるような気がして残念です。

最後は愚痴になっちゃいましたが、そんなわけで、これからも映画館で映画を観て自由に語っていきますので、どうぞよろしくです。



追記:

その後、IMAX3D字幕版でもう一度鑑賞。

2度目だからもはやストーリーについては気にかけなかったけど、1回目に観た時の記憶はそんなに間違ってなかったと思う。

今回あらためて気づいたことといえば、子どもたちが水中に潜った直後の場面で髪の毛や服があっというまに乾いてたこと(マッチも擦れるし)、あとクレアが場面によってハイヒール履いてたり履いてなかったりといった、映画によくある「ダウトをさがせ!」(古いな^_^;)的な間違い。

それと、この映画では恐竜たちに殺されてるのはすべてインジェン社の隊員やパークの警備員などで(CFOのマスラニも含む)、客が直接食われたり殺される場面はない。

インジェン社の人間は殺され要員だったんですな。

クレアの秘書のザラは一応関係者なわけだけど、今回の事故には直接まったくカラんでいないにもかかわらずサメやインドミナス・レックス同様にモササウルスの餌になってしまった彼女がますます気の毒になってくる。

クレアはせめて劇中で一言彼女にお悔やみでも言ってやれよな。

ラプトルを放すかどうかの会話については、オーウェンは脅されてたわけじゃなくてホスキンスの「反対はさせん」の一言で片がついてました。

IMAXは想像してた通り2Dよりもさらに迫力があって楽しかったです。

そう、僕は楽しんだんですよ、この映画。

そうでなければわざわざIMAXで観直したりなんかしない。

だから何度も言ってるでしょ?映像は見応えある、って。

だけど1度目に観た時に感想に書いたように、お話にノれなかった理由はハッキリしてるんで、僕同様に疑問を持たれたかたがたの意見はもっともだと思います。

特にあの兄弟は、彼らが勝手な行動をとったことでクレアやオーウェンが二人を助けようとして持ち場を離れざるを得なかったために指揮系統が混乱して被害が広がったともいえて、そのあとに事の重大さを認識していないガキんちょどもが調子に乗ってる様子を観ててかなりイラッとしました。

こんだけ迷惑かけといて「うちに帰りたい」じゃねぇだろ、と。

これはますます、映画の作り手が完全に意図的に悪意を込めてあのように描いたとしか思えない。


映画を観終わって会場から出る時に、同じ回を観ていた二人組のお兄さんたちの一人が呟いた「最後はほとんどゴジラだったな」という一言は、この映画をとても的確に表現していたんじゃないだろうか。

互いに会話して意思を伝えあったり、人間を助けるヴェロキラプトル。

最後の四つ巴の戦い。

そっか、ゴジラだw しかも昭和ゴジラ。

恐竜たちもそのうち“ふきだし”で会話しだすかもな。


 

 


※マスラニCFO役のイルファーン・カーンさんのご冥福をお祈りいたします。20.4.29


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批判的な感想が嫌なかたはご遠慮ください。
『GODZILLA ゴジラ』
『シン・ゴジラ』



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